市立小樽文学館企画展「テレビゲームと文学展」レポート

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市立小樽文学館企画展「テレビゲームと文学展」レポート

  岡和田晃 (協力:玉川薫(市立小樽文学館)、八重樫尚史、高橋志行)

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 2012年8月11日から9月23日まで、北海道の小樽市にある市立小樽文学館において、「テレビゲームと文学展」という企画展が開催されました。
 日本各地には様々な文学館が存在していますが、なかでも「テレビゲーム」と「文学」の関わりをテーマとして大々的に打ち出すというのは、きわめて珍しい試みです。

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【「テレビゲームと文学展」フライヤー】

 文学館というと古臭くて堅苦しいというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。けれども、そうしたイメージを払拭すべく、文学館の側も革新的な試みを打ち出すようになってきています。
 同じく北海道にある札幌の北海道立文学館では2014年2月8日か~3月23日まで、日本におけるスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説としてのSF)の第一人者であり、北海道におけるSFファンダムの始祖的な存在である作家・荒巻義雄をテーマに据えた「「荒巻義雄の世界」展」が開催されました。同展では、スペースオペラや伝奇ロマン、あるいは脳科学や精神医学、コンピュータ・サイエンスへの関心を全面に押し出され、著名なSF作家やSF評論家を交えたシンポジウムなども執り行われました。

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【「「荒巻義雄の世界」展」フライヤー】

 小樽市は小林多喜二や伊藤整を輩出した古き良き文学の街でもありますが、加えて、荒巻義雄や川又千秋といった、スペキュレイティヴ・フィクションの代表的な作家と縁が深い街でもあります。
 その市立小樽文学館での「テレビゲームと文学展」は、会期中に1335人の来場者を集め、盛況だった模様です。2014年4月4日~6月8日の期間には、「ゲームと文学」シリーズ第二弾としまして、「ボードゲームと文学展」も開催される予定となっています。そこで第一弾にあたる「テレビゲームと文学展」の模様を、簡単にご紹介してみたいと思います。

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【会場写真】

 展示は、大きく第一部「テレビゲーム史」、第二部「ゲームを生んだ文学、文学を生んだゲーム」、第三部「テレビゲームと文学の身体性・双方向性」に分けられます。
 第一部の冒頭に掲げられたコンセプトは、下記のようなものです。このコンセプトに加えて、黎明期から家庭のエンターテインメントとして定着するまでの「テレビゲーム史」が、1952年のコンピュータと対戦する三目並べ『OXO』の登場にまで遡る形で解説されます。

 テレビゲームは、1950年代に生まれ、80年代の家庭用ゲーム機の爆発的普及で、日本、さらに国際的にも世代を超えた遊びになりました。
 テレビゲームは、それよりはるかに長い歴史をもつ「書物による文学」と密接な関係があります。
 またテレビゲームの双方向性(遊び手によって物語自体が変化していく)と体感性は、従来の読書における作者と読者の関係にも変化をもたらしています。
 そしてテレビゲームで定着した複数の遊び手の同時参加により物語が変化するおもしろさは、ネット小説を生み出す原動力になり、文学の未来をも予感させます。
 この企画展は、テレビゲームと、その下地となったパーソナルコンピュータ技術、そして伝統的な文学の歴史を紹介し、相互の影響を考察しながら、テレビゲームを「文学的視点」で見直すものです。
 本展にあたり、多大なご協力をいただいた方々に、心より御礼申し上げます。

 第二部では、まず「世界の神話・民話・伝承・古典」と題して、『ギルガメッシュ叙事詩』、『ラーマーヤナ』、『聖書』、『古事記』、『イーリアス』、『アーサー王伝説』、北欧神話や御伽草紙が、「そのほとんどが作者不明で口承(こうしょう)で伝えられました。あらゆる物語の母胎(ぼたい)であり、ファンタジー文学の原郷(げんきょう)であり、おおくのテレビゲームの主人公が活躍(かつやく)する世界でもあります。」と紹介されました(年若い参加者でも理解できるように、適宜ルビがふられています)。
 続いて、「文学とテレビゲームをつなぐカギ、それが「テーブルトークRPG」」と題して、アナログゲームそれも会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の役割が、次のように強調されました。

 「テレビゲームと文学展」で、もっともたいせつなカギになるこの「TRPG(テーブルトークアールピージー)」について、うんとかんたんに説明しましょう。
 テレビゲームがすきな人はもちろん、やったことのない人、きょうみのない人でも「ドラクエ」は知っているでしょう。
 そのゲームは「勇者(ゆうしゃ)」が主人公であり、それはゲームをするあなたです。「勇者」はひと
りで旅をはじめますが、とちゅうで出あった戦士(せんし) 、魔法(まほう)つかい、商人(しょうにん)、あそび人(にん)が仲間になります。たたかった敵がともだちになり仲間(なかま)にくわわることさえあります。
 旅にはいろいろな困難(こんなん)がまちうけています。大嵐(おおあらし)や火山(かざん)、まよいこんだら出るのがむずかしい洞窟(どうくつ)。そしておそいかかってくる敵。
 とくいな力、欠点もある仲間とたすけあいながら困難をのりこえ、そのたびに「勇者」も仲間たちも成長していき、智恵(ちえ)も力もおおきくなっていきます。
 またその力にふさわしい「聖(せい)なる剣(けん)」なども手にすることができるようになります。
 そして最後にまちかまえている最大最強(さいきょう)のとりでと敵。それをのりこえ、たおさなけれ
ば「勇者」は「ほんとうの勇者」になることはできません。
 このようなゲームは、何かににていると思いませんか? 映画「ロード・オブ・ザ・リング」、その原作「指輪物語(ゆびわものがたり)」。そして「ナルニア国ものがたり」「ゲド戦記(せんき)」。「ネバー・エンディング・ストーリー(はてしない物語)」「モモ」。映画の「スターウォーズ」さえ、そのながい物語はまるで「ドラクエ」のようです。
 これらの物語は、世界じゅうに古(ふる)くからつたわる神話や伝説におおくのヒントをえています。だから国や年にかんけいなく、たくさんの人たちの心をとらえ、感動させます。
 これらの物語をどだいにして、それをみんなであそぶゲームにしたのが「テーブルトークRPG」です。ゲームに参加する人たちが、それぞれ「戦士」になり、「魔法つかい」や「妖精」になり「商人」や「あそび人」になったりする。みんなはこの国におおきな災難があることをしって、それを解決するために、つれだって旅にでます。そしていろいろな困難にであい、そのつど力をあわせてのりこえていきます。
 この「テーブルトークRPG」こそ、「ドラクエ」「ゼルダ」「ファイナルファンタジー」など、みんながだいすきなテレビゲームのもとになった遊びであり、「文学とテレビゲーム」をつなぐもっともたいせつなカギなのです。

 それにあわせて、何も知らない人でも理解できるように「TRPGとは?」といった解説、「ミニチュアを使用した戦争(ウォー)ゲーム」の古典であるH・G・ウェルズがデザインした“Little Wars”に、同作をルーツに持つ(『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の前身)でもある戦争ゲーム“Chainmail”の解説を含んだ「TRPGの誕生と発展」、さらにはゲームブックやリプレイの説明なども盛り込んだ「日本のTRPG」といった解説パネルが掲示され、実際に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版の「赤箱」、『ルーンクエスト』といったRPGのボックスが展示されました。
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【RPGのボックス展示(写真は「日本一周ぶらり旅」さまより引用)】

 とりわけ面白いのはプレイバイメール(郵便を使って遊ぶRPG)風の企画「ヲタブンQuest 往きて還りし物語」が実際にプレイされたことでしょう。「往きて還りし物語」とは物語の基本的な構造で、現在映画化されて大変な好評を博しているJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』でも採用されています。この企画は北海道大学RPG研究会が協力し、20人もの参加者を集め、好評を博したということです(北海道大学RPG研究会のほかにも、今回の「テレビゲームと文学展」には、藤井昌樹さま・宮崎佳奈さまが、パネルの文章執筆やゲームデザイン等、さまざまな協力を行っておられます)。
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【「ヲタブンQuest」で使用された各種シート】

 第三部では、「身体性」および「双方向性」という、ゲームを考えるにおいて欠かせない視点から、アクションゲーム、格闘ゲーム、体感推理ゲーム、ノベルゲーム、といった試みと「文学」の関係が模索されました。
 「身体性」が主軸となるアクションゲームを分析するにあたっては、「距離」や「間合い」といった視点が不可欠だとの指摘がなされ、ハードウェアやインターフェースの性能向上とともに、3D-CGのような三次元の感覚、あるいは体感型コントローラーの導入などが行なわれてきたと説明されます。面白いのは、直木三十五の剣豪小説『討入』と対比することで、そこにも「文学」とリンクする可能性が存在していることが、きちんと明示されていることでしょう。

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【「テミヤ線ファイター」(小樽文学館の側にある廃線・旧手宮線での格闘ゲーム)】

 それは、「体感型推理ゲーム」の紹介にあたっても同様で、証拠品が袋にとじこんであり、ゲームブックの嚆矢として語られることもある『マイアミ沖殺人事件』(デニス・ホイートリー)との対比で、名詞と動詞の入力で行われる初期のアドベンチャーゲームから、コマンド選択式のアドベンチャーゲームなど、ゲームシステムの違いをわかりやすくヴィジュアルで紹介しています。
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【ゲームシステムの変化が一目瞭然】

 その他、太宰治の『走れメロス』を横スクロール型のアクションゲームにしたらどうなるのかがシミュレーションされたり(『ベストセラー本ゲーム化会議』を彷彿させます)、あるいは小樽文学館の「色内広場」を舞台のオンラインゲームが構想されたりと、既成の枠組みにとらわれず、遊び心いっぱいに文学館という「場」を活かしながら、改めて「文学」のあり方が再考されているのが興味深く感じました。

 むろんここで紹介したのは、「テレビゲームと文学展」の一部にすぎません。ほかにも、展示に合わせてさまざまな参加型の企画が行われました。
 地域の文化を守り育てるために文学館が果たしている役割は、予想外に大きなものです。
 文学館に所蔵された資料のなかには、そこでしかアクセスできない貴重なものがありますし、学芸員の方々による工夫をこらした展示によって、文学を「そこにある、生のもの」として感じ取ることが可能です。
 それは、一人で本を読む経験とは、また学校で習う国語学習とは異なる展望を、私たちにもたらしてくれると確信します。
 「身体性」と「双方向性」に着目した「テレビゲームと文学展」は、知識の修得と実際の参加をうまく両立させた、意欲的な試みであることは間違いないでしょう。
 展示にあたっては著作権侵害などの恐れが生じないように工夫を凝らしつつ、企画展開催中は、会場の撮影やインターネット上での公開を積極的に推奨することで、広く浸透をはかったのことですが、そのような”開かれた”アプローチも興味深いところです。
 今年4月から開催される「ボードゲームと文学」展が、ますます楽しみになりました。

 快く資料の提供と公開許可をいただきました、市立小樽文学館の玉川薫副館長に改めて御礼申し上げます。

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企画展「ボードゲームと文学」

企画展「テレビゲームと文学」に続く、「ゲームと文学」シリーズ第2弾。
世界各地で根強い人気があるボードゲーム。その内部に組み込まれた「物語」に着目し、文学との接点を探ります。また、ゲームの盤面デザインやパッケージイラストなどアート的側面も紹介します。親子で楽しめる展覧会です。

1.魔法ゲーム「魔法のラビリンス」他
2.冒険ゲーム「小さなドラゴンナイト」他
3.おばけゲーム「3匹のおばけ」他
4.推理ゲーム「アロザ殺人事件」他
5.海賊ゲーム「海賊ブラック」他
6.動物ゲーム「やぎのベッポ」他

その他にも楽しい企画が盛りだくさんです。

会期:2014年4月4日(金)~6月8日(日)
休館日:月曜日(5月5日を除く)、4月30日(水)、5月7日(水)~9日(金)、13日(火)
入館料:一般300円、高校生・市内高齢者150円、中学生以下無料

市立小樽文学館公式サイトより引用。

増川宏一語る「研究の切り口」―その〔3〕(全3部)

増川宏一語る「研究の切り口」―その〔3〕(全3部)
(本文:増川宏一、解説・レビュー:蔵原大、協力:草場純、仲知喜)

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■【解 説】
  蔵原 大

 増川宏一といえば、ゲーム研究にとって「大先輩」にあたる、遊戯史研究の分野でご活躍されてきた高名な研究者です。将棋や賭博(ギャンブル)の盛衰に関する増川先生の史学研究について、ご存知の方も多いでしょう。

■ 遊戯史学会:http://www.gameshistory.net/

 先日、幸運にも増川先生とご縁ができましたので、当AGSの草場純顧問を介して、遊戯史や歴史研究における「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」をお聞きしました。遊戯史(あるいは歴史学やゲーム研究)はどんなポイントから研究してゆく学問なのか、ということをお訊ねしたわけです。

 以下の【本文】は、増川先生のご承認を得て、先生よりいただいたお手紙を転載したものです。長くなりますので、今回は三分割したうちの最後の部分「その〔3〕」を公開しました。

●その1( http://analoggamestudies.com/?p=199 )
●その2( http://analoggamestudies.com/?p=359 )

はすでに公開中です。

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■【本 文―その〔3〕】
  増川宏一

(その〔2〕 からの続きです)

 資料を探すのも大事な研究の一環です。信頼できる第一級の資料に辿りつくことは立派な研究活動です。

 よい資料を入手したら、それをどう読み解くか、自分の力量が試される問題です。大切な箇所に気がつかなかったり、見落とさないように鍛錬しておくことが必要です。これが無いと「猫に小判」で、たぶん私はいつも見過ごしているのではないかと思っています。

 遊戯史研究は、従来の史資料を遊戯史の観点から再検討することです。例えば『中世法例史資料』のなかに大和薬師寺の「薬師寺博奕制禁評定記録」(永禄一一年・一五六八年・三・二)の評定で「博奕徳政」のことが述べられています。この数年前も寺領内の博奕倍増とあるのですが、ついに博奕徳政をせざるをえないようになっています。賭博で負けた借財を全部チャラにする、という意味でしょうが、日本の遊戯史上、このような珍しいことがあったのにこれ迄、どなたも言及されませんでした。それで『(仮題)日本遊戯思想史』で述べることにしました。

 記録類の内容を積語しなければならない一例です。

解説コメント:この「博奕」とは「バクチ」ことギャンブル行為。なお「永禄一一年」とは、「桶狭間の戦い」が永禄三年(一五六〇年)、イギリスの劇作家シェイクスピアの生誕が永禄七年(一五六四年)に相当〕

 以上が先日の御手紙の返事です。御満足いただけなかったように思いますし、参考にならなかったと思います。

 研究の苦労や失敗談は幾つかありますが、これこそ参考にならないので省略しました。

 私は「遊び」を人間の生活のなかで正当に位置づけたいと思い、そのためには不当な評価や蔑視、無視を正そうと常々思っています。

 粗雑な返事になりましたが御容赦ください。

[追伸]
 私は次作『(仮題)日本遊戯思想史』の下書きのため毎日忙しくしております。昨日は長時間図書館で戦前戦中の「少年倶楽部」の少年小説を読み耽りました。とても懐しく、完全にタイムスリップした一日でした。少年に与えた軍国思想も「切り口」のひとつでしたので。

[二伸]
 切り口というのは一定の視点から述べることで、追伸のところは、「少年に与えた軍国主義、軍国思想」は、誰がどのようにして与えたのかを告発したい、という意図からです。あの時、手紙に書いたと思いますが、太平洋戦争が始まってまもなく、ミッドウェー海戦で日本海軍は大敗北で、戦死者三,〇五七名でした。この戦死者のうち、一四歳で海軍に志願した者八名、一五歳で志願した者三九名、一六歳で志願の者一五八名、一七歳で海軍に志願して戦死した者二六一名です。戦争が前途有為の青少年を殺したことに憤りといたましい気持ですが、それとは別に、一四歳、一五歳は親の反対を押し切ってか、親に隠して志願したのでしょう。その子供達は、つい先刻まで米英撃滅カルタで遊び、征け少年よ、という絵双六で遊び、少年倶楽部の軍事冒険小説で米英と闘うことを教え込まれ、海軍に志願して戦死したのです。

ミッドウェー海戦

 私は玩具や少年物語物が戦死へ誘う用具に転化した、本来楽しむべき遊戯具が、たとえ一時的にしろ、限られた社会状況にせよ、本来と異なる役割を果した、と知り、遊戯史研究の視野が開けたように思いました。これも『日本遊戯思想史』に記しましたが、どの立場からモノを見るか、が「切り口」の最も大切なことと思います。

(おわり)

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■【レビュー:増川宏一『将棋の歴史』】
  蔵原 大
将棋の歴史

 なお読者の中には増川先生の業績に不案内な方もおられるかもと思い、ここに先生のご著書のレビューを付け加えました。理解の一助にしてくだされば、幸いです。

 ところで増川宏一先生の名前を世に知らしめているものは、やはり先生の将棋史にかんする研究の成果でしょう。そのまとめにあたるのが、平凡社から出された『将棋の歴史』です。

http://www.amazon.co.jp/dp/4582856705

 よく将棋は、日本の伝統文芸のひとつとして引き合いに出されます。棋士たちの活躍やコメントが週刊誌に載ることだって、そう珍しくありません。にもかかわらず意外にも、将棋に関する歴史は、研究者が少ないせいか、今でも誤解されていたり、よくわからない点が少なくないのです。

 例えば……

 ▼日本の将棋は、中国の由来か、東南アジアから来たのか?
 ▼昔の「大将棋」「中将棋」は、実際にプレイされていたのか?
 ▼江戸時代、将棋指しは幕府から優遇されていた、というのは本当か?
 ▼明治から今まで、将棋とマスコミはどう寄り添ってきたか?

などなど、案外に知られていない諸々の事柄について、増川『将棋の歴史』は丁寧に解説してくれます。

 こうした将棋に関する歴史をひも解いていくと、いわゆる「伝統」「日本文化」が、外国の影響を受けていたり、思いがけない方向にチェンジしたり等、単なる古めかしさとは一線を画することが分かってきます。

 それというのも「伝統」とは、太古からの既定路線ではなく、昔の人・今の人・外国の人・この国の人々が作り出していく合作だからなのでしょう。将棋を通じて、改めて日本のモノづくり文化、クールジャパンを考え直すというのも面白いかもしれませんね。

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■【むりやり関連書籍】

● 山田芳裕『へうげもの』(漫画)
へうげもの
( http://www.moae.jp/comic/hyougemono )

 もともと茶の湯は、将棋と同じく、海外から伝来したポップな食文化の一つでした。茶の道に半生をかけた稀代のオタクこと古田織部のケシカラン生涯を追いかけるクールなマンガ!
 カッコイイって、こういうヤツだね。

● 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』
自由にしてケシカラン人々の世紀
( http://book.akahoshitakuya.com/b/4062584670 )

 中世の将棋は、もともと公家・僧侶といったセレブ限定の遊びだったと考えられています。コマを漢字で見分ける将棋、あるいは短歌のような文字遊びは、読み書きができない庶民には閉ざされていました。

 それが戦乱の南北朝時代になると、社会の表舞台に「悪党」「異類異形」なるパンクなベンチャー人が出没し、「江湖」という開かれた実力主義が駆けぬけ、公序良俗をかき乱しつつ、将棋を始めとする諸々の文化を庶民へと解放していくのです。

 『自由にしてケシカラン人々の世紀』は、アニメ『もののけ姫』、後醍醐天皇や楠木正成に象徴される「異類異形」「異形の王権」の生きざまをヴィヴィッドに描きつつ、世の中の混乱から生まれる歴史のイフこと「可能態」を足がかりにアキハバラの今、現代世界の変革まで見すえた野心作です!

【活動報告】Analog Game Studies第11回~16回読書会報告&各種活動報告

【活動報告】Analog Game Studies第11回~16回読書会報告&各種活動報告

 岡和田晃
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 Analog Game Studiesのサイト移転に伴い、活動報告が遅れておりましたが、その後も読書会は続いております。2013年3月の第11回では、杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』(講談社)を扱いました。中世世界を席捲したモンゴル帝国、その成立が世界に与えた影響を振り返ることで、「ポスト・モンゴル時代」の現代を解釈し直す、といった内容で、アカデミズムとジャーナリズムにおける言説のあり方、西洋中心主義的な歴史学へのオルタナティヴについてなどが議論されました。

 2013年5月の第12回では、石光泰夫『身体 光と闇』(未來社)を扱い、映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』等を参照しつつ、身体と観念、そして近代資本主義社会の関係について幅広い議論が交わされました。

 2013年7月の第13回、9月の第14回、2014年1月の第16回では、ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』下巻(ソフトバンククリエイティブ)を少しずつ精読しております。

 2013年11月の第15回は、明神下ゲーム研究会と合同開催で、「Mission Impossible 04 発達障害と想像力の世界」の開催準備の話し合いを行ないました。
 今後もAnalog Game Studiesは、より良いアウトプットを行なうために、読書会と議論を続けて参ります。

 このおよそ1年の間に、Analog Game Studiesのメンバーが行なった活動の一部をご紹介していきます(AGS内記事執筆・査読等を除く)。
 顧問の草場純氏は、小野卓也『ボードゲームワールド』(スモール出版、2013年5月)の座談会に参加し、また、2013年6月28日に「週刊金曜日」の東京南部読者会の催しで「左手利きと教育」についての講演を行ないました。「週刊プレイボーイ」2013年10月28日号、「日経流通新聞」2014年1月13日付のボードゲーム記事で取材を受け、コメントが掲載されました。また、アークライトから発売された『ククカード』のルール執筆と解説を担当しています。

 加えて人工知能研究者にしてゲームAIの開発者である三宅陽一郎氏との対話記事「ゲームデザイン討論会」が好評を集めました。その他、各種ゲーム関連イベントに、随時参加しています。また高田馬場の日本点字図書館3階会議室にて、視覚障害の当事者・支援者と「視覚不要! RPG この町を救え」を開催しました。
 AGS代表の岡和田晃は、「Role&Roll」に連載されている『エクリプス・フェイズ』関係の記事、および「SF Prologue Wave」の『エクリプス・フェイズ』企画に毎号協力しています。また、『ホームズ鬼譚~異次元の色彩』(創土社、2013年9月)に収録されたフーゴ・ハル「バーナム2世事件」への協力も行ないました。『本格ミステリー・ワールド2013』(南雲堂、2013年12月)では、座談会「ゲーム化しライト化する2013ミステリ」に参加。また、評論集としては初の単著『「世界内戦」とわずかな希望 伊藤計劃・SF・現代文学』(アトリエサード、2013年11月)を刊行し、「日本経済新聞」「SFマガジン」「小説推理」「紀伊國屋じんぶん大賞」といった媒体で評され、日本図書館協会の選定図書とされました。

 イベントは「Role&Roll Station」で継続的に開催されている『エクリプス・フェイズ』体験会、『ウォーハンマーRPG』オンリーコンベンションといった会話型RPGのイベントにゲームマスターとして携わり、JGC(ジャパンゲームコンベンション)2013での『ハーンマスター』体験会、発達障害の特性を持つ当事者・支援者・会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の専門家が一同に集い共に楽しむコラボレーションイベント「Mission Impossible03 発達障害と想像力の世界」(2013年6月)、同じく「Mission Impossible04 発達障害と想像力の世界」(2013年11月)にもゲームマスターとして参加しました。また、ジュンク堂書店池袋本店でのイベント「未来を産出(デリヴァリ)するために」(2013年10月)、市民講座・SF乱学講座「「伊藤計劃以後」のSFと文学」(2013年12月)等で講演を行いました。その他、各種雑誌や新聞等に寄稿を行なっています。詳しくは岡和田晃のウェブログをご参照ください。
 伊藤大地は、『ウォーハンマーRPG』オンリーコンベンションの展開に関わり、また「Mission Impossible03」、「Mission Impossible 04」にそれぞれプレイヤーとして参加しました。
 蔵原大は、第25回遊戲史学会で「遊戯から政策へ:”行政広報ゲーム”とは何か?」という講演を行い、また「Mission Impossible03」にプレイヤー参加。また「遊戯史研究」25号(2013年10月)に「近現代ウォーゲーム(兵棋演習)の歴史――二百年の変遷」を寄稿いたしました。
 小春香子は、「Mission Impossible03」(2013年6月)にプレイヤーとして参加し、2014年2月には、『エクリプス・フェイズ』小説「龍の血脈」が日本SF作家クラブ公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」に掲載されました。
 齋藤路恵はメイン・デザイナーとして、エテルシアワークショップ・東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシとの共同作品である会話型RPG『ラビットホール・ドロップスi』(エテルシアワークショップ、2013年11月))を完成させました。同作品はゲーム専門家や発達障害の当事者・支援者、その他コミュニケーションに関心を持つ方々に大きく評価されました。

 また、「SF Prologue Wave」に『エクリプス・フェイズ』小説「ゲルラッハの恋人」を寄稿。イベントでは、「伏見健二講演会――RPGで開かれる世界――」に協力、「視覚不要! RPG この町を救え」ではゲームマスターとして参加しました。SF乱学講座で「日本における同性愛”者”の発見/発明」(2013年2月)、「会田誠 戦争画リターンズを読む」(2014年2月)の講演を行ない、また「Mission Impossible 03」、「Mission Impossible04」にゲームマスターとして参加しました。
 田島淳は、サンセットゲームズから日本語版が発売予定の『ハーンマスター』入門キット『雛菊の野』の翻訳に参加、またJGC2013『ハーンマスター』体験会、および『ウォーハンマーRPG』オンリーコンベンション、「Mission Impossible 03」にそれぞれゲームマスターとして参加しました。
 髭熊五郎は、トリックテイキングゲームオンリーイベント「Trick Taking Party vol.1」(2013年3月)、「Trick Taking Party vol.2」(2013年10月)を主催し、また「Mission Impossible 03(2013年6月)」にプレイヤー参加しました。
 八重樫尚文は、オンラインセッションツール「どどんとふ」の同人誌「どどんとふで始める初めてのオンラインセッション2013年夏の号」「どどんとふ用オンラインセッションシナリオ集 オンセの素第2号!」の編集を担当し、「Mission Impossible 03」にゲームマスター参加、「Mission Impossible 04」にプレイヤー参加しました。

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第16回)

草場純(協力:伸井太一、岡和田晃、高橋志行)

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◆第15回はこちらで読めます。◆

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前回の予告どおり、今世界の様々なゲームの、「民族」(エスニシティ)的な受容の相を、具体的に見ていきたい。

その際に、Analog Game Studiesの読者にとっては、まず、伸井太一氏の「ドイツ・アナログゲームの歴史楽――ボードゲーム『イライラしないで』Mensch ärgere Dich nicht(メンシュ・エァゲレ・ディッヒ・ニヒト)」が重要な導きの糸となるだろう。
伸井氏の論考では、ドイツにおける『イライラしないで』の受容が、社会的な背景と絡めながら論じられており、私も啓発されるところが大きかった。
もし未読の方がいるならば、是非お読みいただきたいと思う。

同論によれば、ニュルンベルク市のおもちゃ博物館では、『イライラしないで』が1910年ごろに考案されたものと紹介されているという。そして、第一次世界大戦を契機として、ドイツで『イライラしないで』は大きく浸透を見せ、ドイツの国民的ゲームとして広く認識されるようになるわけだが、伸井氏は主題を明確にするためか詳しく触れていないものの、この『イライラしないで』には、実のところ長きにわたる「前史」が存在する。

1863年にイギリスで、『イライラしないで』によく似た『ルド』というゲームが販売され、その後、フランス、スペイン、オランダなどに広まったと言われている。この『ルド』が『イライラしないで』の祖であると、私は考えている。
任天堂から出ていた『ディズニー ロケットゲーム』が、『ルド』そのもの。私の子供のころは、はなやま(現在の株式会社ハナヤマ)などから、『飛行機ゲーム』として出ていたので遊んでいた。また『ルードゲーム』という名でも出ていたと記憶している。中国では「飛行棋」と呼ぶそうで、これはうまいネーミングだろう。
この『ルド』がドイツに渡ったのは、1925年にドイツのオットーマイヤー(ラベンスバーガー)社が出したことによる。シュペア社はそれを改変して『コピットゲーム(帽子取りゲーム)』として売り出した。これも私は子供のころだが、遊んだことがある。仄聞するところでは、現在でもラベンスバーガー社から出ているそうだ。

では『イライラしないで』はもともとイギリスのゲームかと言うとそうではなく、そのまたもとは、インドにまで遡る。オリエンタリストのトマス・ハイドが1694 年に『パチシ』として記述しているのが、ヨーロッパにおける初出とわれている。
インドではムガール帝国で遊ばれていたのは間違いなく、その頃に『パチシ』と呼ばれていた。ルールはほぼ同じだが、6面体ダイスではなく、2面体ダイス(いわゆる「宝貝」)を6個ふる。これは中国の六博と同じで、例によって中国起源説を唱える人もいる。
16世紀のムガール帝国で遊ばれていたところまでは確実で、そこで『パチシ』と呼ばれていた。『パチシ』は25という意味で、今でもスペインなどでは『ルド』ではなく、『パチーシ』と呼ぶそうである。一説によると起源は9世紀にさかのぼり、それが本当なら1200年の歴史のあるゲームとなる。尤も六博説を取れば、これは春秋戦国時代だから2400年の歴史となろう。

しかし、『パチシ』で最も興味深いのは、アステカに伝わる『パトリ』である。これは、誠に残念ながらスペインの植民地支配のため、失われた。またパチシがインドからイギリスへわたったのももちろん、植民地支配の結果に他ならない。
ちなみにこのパトリは、正確なルールは不明なものの、遺されたゲーム盤はなぜかパチシにそっくりという、アステカの伝統ゲームである。

さて、ここまで縷々述べたことは、ドイツの子供たちがみな一度は遊んだとされる『イライラしないで』が、実は真空から突如ドイツに発生したものではなく、長い前史があるということにまとめられる。そのオリジンは、確実なところに限っても16世紀のインドにまで遡ることができるだろう。
しかしここでよく注意しなければならないことは、ゲームに限らず小説などにも言えることだが、創作や著作権に関する考え方が、当時と現代では大きく異なるということである。
現在発売される新しいゲームの多くは、「ライナー・クニツィア」とか「アラン・ムーン」とか、クレジットされているのがむしろ常識である。日本人の名も、例えば「カワサキ」「カナイ」「キサラギ」「ハヤシ」などの名が、すでに世界に流通している。
けれども、これは21世紀の「常識」であって、むしろ記名されないのが「常識」という時代もあったのだ。これは議論のあるところではあるが、ルールそのものの著作権は、現在でも認められているとは言い難い部分がある。いわんや100年、200前に於いておやである。ゲームのルールシステムと著作権のより良き落とし所については、今後、積極的な議論が重ねられる必要があろう。本稿では、記名の是非を論じようというよりも、文化史的な観点から、パラダイムの変遷を指摘した次第である。
つまり私は、『イライラしないで』が実は創作ではないと告発したいのではなく、伸井氏の記事に触発され、当時は似たようなゲームを名前だけ変えて出すようなことが普通に行なわれていたということを指摘しつつ、失われた系譜を簡単ながら辿り直してみた次第である。

この点に関し、この6月2日になされた澤田大樹氏の講演「批評のためのドイツゲーム現代史」において、極めて興味深い指摘がなされている。
澤田氏によれば、ドイツゲーム・ユーロゲームの成立前夜、「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」が数多くつくられているというのである。時期としては19世紀から20世紀の前半に当たる。例としては上記のパチシ由来のコピットゲームのほか、ハルマ由来のダイヤモンドゲーム(チャイニーズチェッカー)、アフリカのマンカラ由来のワリやオワール、インドネシアのスラカルタ由来のラウンドアバウト、マダガスカルのファノロナ由来のワルツなどと、大きくは広まらなかったものを含めて、多数見出せるのである。
さらにオセロの名で日本では広く知られているリバーシも、1888年にロンドンで特許が取られている。これも、典拠は不明だが田中潤司氏によれば、ハンガリーの民族ゲームが更にその元であるという。(ハンガリーは植民地とは呼べないだろうが。)

こうした現象に先行するのがスポーツの事例である。例えばバドミントンはインドのプーナを「改良」したものであるし、ラクロスはアメリカ(と後に呼ばれる)大陸のネイティブの遊びを「改良」したものである。このような現象は、明らかに「民族」間の文化の伝播であるし、またゲームの受容のある形態(相)であるということが言える。一方これらはまた、ポスト・コロニアリズム理論の枠組みから見ても、興味深い現象と言うことができよう。
ここでまたスポーツから卓上ゲームに話を戻せば、現代日本の麻雀も、明治時代後半の初期植民地主義によって、中国や「満州」の地に「発見」され、「改良」されて、大正期そして昭和期に広まったものと言うことができそうだ。時代と地域を平行移動すれば、澤田氏の枠組みがそのまま敷衍できる。

ゆえに、『イライラしないで』のように、子供の遊びとして、あまり識者からは顧みられないゲームが、澤田氏の提唱するような大きなゲーム史の枠組みの中に位置づけられるというのは、私としても大きな発見であった。
貴重な提起として、伸井氏の記事には重ねて感謝したい。

東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ・明神下ゲーム研究会合同企画 TRPGコンベンション「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」に参加して

児童文学者の立場からRPGを中心としたアナログゲームへ関心を示し、雑誌『児童文学TRPG』を発行、会話型RPG『ラビットホール・ドロップスG』の序文を担当している佐々木江利子さまが、Analog Game Studiesメンバーもゲームマスターやスタッフとして協力したイベント「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」のレポートを寄稿してくださいました。(岡和田晃)

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東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ・明神下ゲーム研究会合同企画 TRPGコンベンション「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」に参加して

 佐々木江利子(協力:岡和田晃、伏見健二、冠地情、明神下ゲーム研究会)

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2013年12月8日(日曜日)、東京大学本郷キャンパスにて、午前10時から午後4時まで、発達障害の特性を持つ当事者、支援者、会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の専門家が一同に集い、共に楽しむコラボレーションイベント「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」が開催された。
東大の赤門をくぐると、まずは東大のシンボルにもなっている鮮やかな黄色に色づく銀杏並木に圧倒される。休日の午前中で地域住民か老若男女様々な人がそぞろ歩きを楽しんでいる中、赤門入口すぐに体格の良いスタッフが会の開催の表示を掲げてわかりやすく立っていてくれ、安心感。当会への参加は、私は二回目、実は前回、会場棟の入口や場所がわからず時間内にたどり着くことができなかったが、随所に誘導の表示があり、今回は探検感覚で会場にスムーズに到着。
赤門
【東京大学(本郷キャンパス)の赤門】

参加者はスタッフを含め約30名。20代から40代前後の年齢層。半数が女性で、会話型RPGは初めての参加者が約半数。これは通常のTRPGコンベンションでは異例だそうだ。
米田衆介先生の開会挨拶と、主催側のイイトコサガシ代表冠地情氏の説明を経て各テーブル部屋に移動。
米田先生
【米田衆介氏(明神下ゲーム研究会)の開会挨拶】
冠地さん
【冠地情氏(イイトコサガシ)の各種説明】

この日行われたシステムは『ゴーストハンター13』、『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ エッセンシャルズ』、『ゆうやけこやけ』、『ラビットホール・ドロップスi』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ 第4版』の六つ。ほぼどの卓にも当事者、支援者が複数名含まれる構成。
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【『ダンジョンズ&ドラゴンズ エッセンシャルズ』のプレイ風景】

今回、特筆すべきは齋藤路恵氏による『ラビットホール・ドロップスi』。これは、これまで発達障がいをもつ当事者によって開催されてきたイイトコサガシのワークショップを一冊にした『ラビットホール・ドロップスi』を、さらに、視覚不要バージョンとしたもの。ゲームマスターも参加者も同時にアイマスクを装着し、イラストやサイコロ、また、プレイヤーの表情等、視覚的な情報によらず、音声のみによって物語作りが共同で行われた。人の目を見て話すことの苦手な当事者にも好評で、物語の進行面でも混乱することがなかったという。
また、現在開発中の『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』では、人魚姫のキャラクターが人間の姿になった場合、声が出せないという設定が試された。この場合、声が出せないプレイヤーの表情や身振りに自然と目をやる運びとなった。これらは昔話のように口承文芸と親しい距離にもある会話型RPGの新しい側面を拓くと同時に、視覚障がいと発達障がい、聴覚障がいと発達障がい等、複合したハンディキャップをもつ人々にも会話型RPGやコミュニケーションの機会が開く可能性を示す前向きな試みになった。
昼食は各テーブルで。別なボードゲームを行うテーブルも。初対面の人と食事を共にするが、同じメニューのお弁当だったため、会話の糸口にもなったように思う。
筆者が参加したのは伏見健二氏の『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』のテーブル。自分が作成したシナリオのたたき台が、どうアレンジされ参加者によってどう変容するかを直接体験できる初めての機会となった。みにくいアヒルのこ役の男性参加者(当事者)が人魚姫シナリオの途中で眠ってしまうということがあったが、同じシナリオで中学生男子を含めたメンバーで行ったとき、全く同じ個所で同様の反応だったことを思い出した。恋愛というモチーフに関して感情移入、あるいは共感させる物語の運びは、年齢層や対象を含め今後の課題となった。ただし、「眠る」という反応は緊張の緩和があることで起きるものであり、安心感をグループ内で得られたのは、その後のプレイングに生きていたのではないか。見た目の容姿ではなく、真摯に生きるアヒルのこの役を、その方が他のシナリオの中で深くとつとつと語る姿が印象的だった。アンデルセン童話の中に内在する演劇や人の無意識に働きかけ、内面にゆさぶりをかけていく要素が、会話型RPGにどのように生きていくか、次作『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』の完成が楽しみな時となった。
 
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佐々木江利子(ささき・えりこ)

宮城県仙台市生まれ。宮城教育大学教育学部特殊教育教員養成課程出身。
白百合女子大学児童文化研究センター構成員。日本児童文学者協会会員。
著作『超カワイイ!こいぬのココロをチェック!!』(汐文社)
共編者『魔法のファンタジー』(ファンタジー研究会、てらいんく)、日能研「知の翼」他。
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※RPG『ラビットホール・ドロップスi』は、「Role&Roll Station」等、都内のゲーム専門店、およびAmazon.co.jpで好評発売中です。

この作品はAnalog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ(グランペール・ブランド)、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った完全新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

ラビットホール・ドロップスi 001

また、2014年2月15日(土)に「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 川崎市」が開催されます。リンク先の詳しい情報をお読みのうえで、ぜひ参加をご検討ください。
『ラビットホール・ドロップスi』のメイン・デザイナーで、Analog Game Studiesメンバーの齋藤路恵もファシリテーターとして参加します。申し込み方法はリンク先をご参照ください。

「第10回中将棋全国大会」のご案内

「第10回中将棋全国大会」のご案内

蔵原大

 将棋はあまりにポピュラーな遊び(ゲーム)ですが、いまの将棋のスタイルは実は江戸時代になって固まったものです。それ以前の将棋となると、お目にかかる機会はめったにないでしょう……。

 と思いきや。


wikipedia「中将棋」から引用

 いまでもチャンとプレイされていました。かつて「中将棋」と呼ばれた、盤はデカいし駒数は多い幻の将棋。なんと今年1/12(日曜)に各地のファンが大阪市に集結して、関西の将棋会館(あの日本将棋連盟の運営です)で一大プレイを敢行せんというのです。その名も「第10回中将棋全国大会」

http://www.chushogi-renmei.com/topics/topics.cgi

 そもそも「中将棋」って何ですか? というご質問には、例によってWikipedia先生が助けになります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%86%E6%A3%8B

 ちなみに来る1/12の大会では「親睦戦」として初心者プレイが可能となっており、これは一見の価値あります。

 じつは蔵原も、今回の大会を主催される「日本中将棋連盟」のメンバーのご好意により、中将棋のプレイを拝見したことがあります。

 駒数がとにかく多いから、指しつ指されつ日が暮れるだろう……という先入観とは裏腹に、とにかくテンポが早い早い(上記連盟では指し手に制限時間を設けているのです)。通常の将棋とちがって、威力の大きなコマが目白押しですから、序盤から派手な殴り合いになります。初手から二時間ほどでコマの半分が消し飛んでいました(持ち駒制不採用のルールです)。

 こんなモンスター将棋にご興味ある方は、ぜひ大阪の「第10回中将棋全国大会」をのぞいてみてはいかがですか?

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「第10回中将棋全国大会」
■開催日:2014年01月12日(日曜)
■09:30~午後
■会場:関西将棋会館4F 多目的ルーム
JR環状線福島駅徒歩3分、JR線新福島駅・阪神福島駅徒歩5分
http://www.kansai-shogi.com/access.html
関西将棋会館アクセス

■主催:日本中将棋連盟
http://www.chushogi-renmei.com/

■参加費:男性大人2,000円、女性および中学生以下1,000円
(※飛び入り参加可能なようですが、できれば事前申し込みがありがたいです、とのことです)
http://www.chushogi-renmei.com/topics/topics.cgi

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なかよし村第32回八八大会のご案内

 
 なかよし村にて第32回八八大会が開催されます。

 なかよし村はAnalog Game Studiesの顧問である草場純さんが運営されているアナログゲームの会で1982年4月に創立されました。以来毎週土曜日の19:00~21:30に、高田馬場ブリッジセンターで開催されています。
 週毎にプレイするゲームを決め、参加者全員でそのゲームに参加するのが原則です。

 今回のゲームは花札を使った遊びの1つ、八八(はちはち)です。

 八八は花札で最も面白いとされている遊び方です。
 手役を覚えるのに多少の手間がかかりますが、それだけの甲斐があります。

 八八という遊びがあるのは知っているけど、実際はどんなものかは知らない。興味はあるけどルールを知らないから不安だという方もご安心を。
 会が始まる前の18:00から来て頂ければ詳しいルールの説明が受けられます。

 遊び方も覚えられてすぐにゲームを楽しめるなかよし村。次回は12月28日(土)開催です!
 ぜひお越し下さい!

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■開催日:2013年12月28日(土)
■19:00~22:00 八八のルール講習を望まれる方は18:00~
■会場:東京都新宿区高田馬場2-16-11高田馬場216ビル3F高田馬場ブリッジセンターhttp://www.jcbl.or.jp/home/store_club/takadanobaba/tabid/90/Default.aspx
■主催:なかよし村
■定員:60名
■参加費:400円
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増川宏一語る「研究の切り口」―その〔2〕(全3部)

増川宏一語る「研究の切り口」―その〔2〕(全3部)
(本文:増川宏一、解説・レビュー:蔵原大、協力:草場純、仲知喜)

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■【解 説】
  蔵原 大

 増川宏一といえば、ゲーム研究にとって「大先輩」にあたる、遊戯史研究の分野でご活躍されてきた高名な研究者です。将棋や賭博(ギャンブル)の盛衰に関する増川先生の史学研究について、ご存知の方も多いでしょう。

■ 遊戯史学会:http://www.gameshistory.net/

 先日、幸運にも増川先生とご縁ができましたので、当AGSの草場純顧問を介して、遊戯史や歴史研究における「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」をお聞きしました。遊戯史(あるいは歴史学やゲーム研究)はどんなポイントから研究してゆく学問なのか、ということをお訊ねしたわけです。

 以下の【本文】は、増川先生のご承認を得て、先生よりいただいたお手紙を転載したものです。長くなりますので、今回は三分割したうちの「その〔2〕」を公開しました。
●「その〔1〕」はすでに公開済み。
「その〔3〕」も公開です。

(Note: Some of the game images below are quoted from the British Museum for scholary & non-commercial purpose according to the Standard Terms of Use: (http://www.britishmuseum.org/about_this_site/terms_of_use.aspx). Their copyright is preserved by the Museum.)

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■【本 文―その〔2〕】
  増川宏一

その〔1〕からの続きです)

 明治以来、遊びは学術研究の対象になりませんでした。そのため研究の蓄積も充分ではありません。皆様がゲームという大きなテーマに果敢に取り組んでいられることに私は敬意を表します。よくぞ頑張っていられると尊敬もし、感嘆し、激励したいと常に思っています。

 私の考えを詳しく述べる紙数もありませんので、気付いていることを簡略に述べると、盤上遊戯の歴史に興味をもっているのは、少なくとも五〇〇〇年という長い歴史をもち、現在に至るまで起伏も多く、分岐して様々な方向に向かい、或いは独創や隆盛、衰退や消滅があるのは、まさに人間の歴史と共通していること。ですから「ゲームに反映されている人間の歴史」とでもいえることを追及したいこと。すなわち巨視的な観点からが一つ。

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 画像は、大英博物館の所蔵品「ウルの宮中ゲーム」。イラク南部の古代都市遺跡ウルで発見され、紀元前2600~2400年頃のもの。

The image is quoted for scholary purpose from “British Museum – The Royal Game of Ur” ( http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/me/t/the_royal_game_of_ur.aspx ). The copyright is preserved by the British Museum.

 古代シュメール文明に属するウルの町並みをごらんになりたい方は、大成建設の「古代文明都市ヴァーチャルトリップ」へ→( http://www.taisei.co.jp/kodaitoshi/civil/civilization.html )。

 次は、ゲームが変化するのは、遊び手である人間がゲームを変えていることで、変える人間はその時代の風潮、考え、感覚、流行、嗜好、信条など、その時代の環境に影響されていると考えています。その時代に生きている人々の感覚が投影されてゲーム(又はルール)が変えられる、と思っています。

 この両者のなかにも「切り口」は見つけられると考えています。例えば、江戸の黄表紙本に現われている滑稽や諧謔、才覚や人情は、そのまま歌舞伎にも反映していますが、かるたや絵双六にも表われています。ですから江戸の雰囲気というのも一つの「切り口」でしょうし、多色刷の錦絵と同等な絵双六は、遊戯具に示されている芸術性という視点からも採り上げることができます。

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〈「江戸名所双六」(国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310733〉

 今、私が下書きをしている次の本の或る一章は「戦争と遊戯」をひとつの「切り口」に考えています。これには、戦争による遊びのかげり(細かいことで申し訳ないのですが、日中戦争が始まると神戸市内の麻雀荘が激減したこと等)から始まって、勇ましい紙芝居など、これも或る時代を「切り口」にしたといえるでしょう。

 このような様々な「切り口」があることに気づかれたら、自分の最も得意とする分野で「切り口」を見つけるようにしたら、案外、容易に発見できるかもしれません。あまり自信の無い分野は避けたほうがよいでしょう。但し、全体からの関連でどうしてもここで、これをテーマにするべきだ、または必要か、しなければならない、となったら話は別です。資料を探し、いやでも取り組むと自分の勉強になります。

 資料を探すのも大事な研究の一環です。信頼できる第一級の資料に辿りつくことは立派な研究活動です。

(その〔3〕に続きます)

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■【レビュー:増川宏一『盤上遊戯の世界史』】  蔵原 大
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 なお読者の中には増川先生の業績に不案内な方もおられるかもと思い、前回同様、ここに先生のご著書のレビューを付け加えました。理解の一助にしてくだされば、幸いです。

 シルクロード、という言葉の説明はとくにいらないでしょう。古代から現代に至るまで、世界中をさまざまな文物が往来しています。もちろんシルク(絹)だけではありません。今ならインターネットで無料ゲームが配信されますが、昔のゲームはヒトの手に抱えられて、山を越え、砂漠を越えて、海の彼方からやって来たのです。囲碁・将棋しかり、トランプしかり。

 この『盤上遊戯の世界史』は、シルクロードをはじめとする交易の道を通じて広まったゲームが、その変遷や伝わったルートと共に紹介されています。それも将棋(象棋・チェス)やトランプといった、お馴染みのコンテンツにとどまりません。「ポロ」(馬に乗ってボールを打ちあう遊び)や「マンカラ」(アフリカ・東南アジアなどでの伝統ゲーム)、さらには古代オリエント史の中に消えてしまった謎のゲームまで網羅されているのです。

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 画像(シエラネオネ製)は、大英博物館の所蔵品であるマンカラ・ゲームの基盤。マンカラは、アフリカや東南アジアに見られる盤上ゲームです。

The image is quoted for scholary purpose from “British Museum – Mancala (wari) board” ( http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aoa/m/mancala_wari_board.aspx ). The copyright is preserved by the British Museum.

 『盤上遊戯の世界史』は、どんな時代であれ、人類が遊びにそそぐ情熱とエネルギー、その大きさを感じさせてくれる名著だといえるでしょう。とくに日本ゲームの海外進出を考えておられるプロの皆さんにとっては。

 さて『盤上遊戯の世界史』の構成はつぎの通りです。

 ○ はじめに
 ○ 第一章 オアシスの路
 ○ 第二章 草原の路
 ○ 第三章 海のシルクロード
 ○ 第四章 日本への伝来
 ○ おわりに―新たな問題提起

 この本では、ゲーム研究の意義が、人類史そのものへの問いかけに重ね合わせて述べられています。皆さんへのご参考に、以下一部引用しました。

 「本書は人間が創り上げた文化の重要な側面を示す遊びについて考察するものである。盤上遊戯を主題としたのは、一万年近い歴史があり、進化ともいえる起伏に富んだ過程をみることができるからである。人々によって遠くまで伝えられた跡を知ることも可能だからである。何よりも人間の意志や意欲が反映されているからである。

  遊びは長い年月の間に枝分かれして、多種多様になった。新しく考案されたものや、しばらくして消えたものもある。遊び継がれてきたものには、楽しみを追い求める人間の姿があり、幾世代、幾十世代にわたって、あるいはもっと長い年月にわたって遊ぶ歓びを伝えてきたからである。これらの遊びから人間の営みの跡を辿ることにする。つまり遊びの歴史を調べることは人間の歴史を解明することにつながる。本書は、このような視点から遊びをとりあげていくものである。」(『盤上遊戯の世界史』pp.15-16)

 遊びやゲームって、ほんと奥深いですね。

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 画像は、大英博物館の所蔵品である古代エジプトのゲーム「セネト」です。セネトは今から1000年以上前に「滅んでしまった」ゲームでして、本来のルールや遊び方は謎につつまれています。

 セネトについては、当AGS顧問の草場純の解説をごらんください。

The image is quoted for scholary purpose from “British Museum – Senet game” ( http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aes/s/senet_game.aspx ). The copyright is preserved by the British Museum.

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■【ムリヤリ関連書籍】

● ヒカルの碁(アニメ・漫画)
 http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/hikaru/
 http://www.amazon.co.jp/dp/4088727177

● 藤本徹『シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム』
 http://www.amazon.co.jp/dp/4501542705

 先ほどの増川先生曰く「遊び手である人間がゲームを変えている」の最たるものは、ゲームが遊び以外の領域で成果をあげていることかもしれません。現代の医療や大学教育などの、その現代の現場におけるゲームの社会的効用を追跡した書籍です。

 日経ラジオ「マネー女子会」のシリアスゲーム解説(by 藤本徹)は、コチラでお聴きできます→ http://www.radionikkei.jp/podcasting/themoney/2013/12/player-post-121.html
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● 石井米雄・吉川利治『日・タイ交流600年史』
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 日本の将棋は、はるばる東南アジアから伝来したと言われています。またPCに欠かせないHDD(ハードディスク)、その世界的需要の大半を担っている国は東南アジアのタイだとか。この『日・タイ交流600年史』は平安の頃から江戸、明治そして現代にも続く日本とタイとの交流について、東南アジア史の大家であった石井先生、吉川先生がまとめられた一作です。

 東南アジアの人々って、日本人とはどんな係わりを持ってきたのか? 意外に多い日本との接点をお知りになりたい方には特にお勧めです。

 「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」レポート

2013年7月21日に開催された「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」というイベントの模様を、ゲストとして編集者の中森しろさまにレポートしていただきました。中森さまはカードゲーム『コレクタブルモンスター』のデザイナーでもあります。(岡和田晃)

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「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」レポート

中森しろ (協力:伏見健二、成人発達障害者当事者会イイトコサガシ、齋藤路恵、岡和田晃)

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2013年7月21日(日)豊島区心身障害者福祉センターで「伏見健二講演会-RPGで開かれる世界-」が行われました。主催は、東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ。イイトコサガシは、コミュニケーション・ワークショップに特化した成人発達障害当事者会です。講演会は、伏見健二氏が開発したRPG『ラビットホール・ドロップス』をイイトコサガシで運用できる形にした『ラビットホール・ドロップスi(アイ)』の体験会と合わせて開催されました。当日は、午前中に伏見健二講演会、午後からは『ラビットホール・ドロップスi』の体験ワークショップが行われました。ここでは、伏見健二講演会のみをレポートします。

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講演会は、前半が伏見健二氏の講演、後半がイイトコサガシ代表の冠地情氏との対談というプログラム。この日の聴衆は約30名。その後のアンケートを見ると、RPG経験者は少数で、多くはRPGを経験したことのない方々でした。

講演は、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に始まるRPGの歴史から始まりました。最初は淡々と聴いていた観客も「世界で最も売れたコンピュータRPGはなんでしょう?」という質問で「ドラクエ」「ウルティマ」「ファイナルファンタジー」「ポケモン」と様々な答えが出て、一気に場が和みました(正解は「ポケモン」)。

その後、日本でのRPGの展開が語られ、RPGが構造的に持っている一つの欠点として“ゲームの場から浮いてしまいがちなプレイヤー”の話へと進みました。

講演中、もっとも来場者の方々の関心が強かったのがこの箇所でした。というのも、その問題のある“浮いてしまいがちなプレイヤー”の特徴というのは、発達障害の特性とも重なる部分があったからです。

発達障害の現れ方はさまざまであり、こうした特徴を持たない発達障害の人もいます。しかしながら、たとえば“シングルフォーカス”(特定の事柄へ過剰に集中してしまうこと)の特性を有した発達障害者は、しばしば“空気が読めない”あるいは“協調性がない”とみなされ、コミュニケーションの場から排除されてしまうこともありました。

そういったプレイヤーも自然に溶け込めるユニバーサルなRPGをデザインしようというコンセプトで開発されたのが、『ラビットホール・ドロップス』、そして『ラビットホール・ドロップスi』であるということで、それらについてのより踏み込んだ話は、後半の冠地氏との対談の中で語られることになりました。

後半の対談の中では、RPGと発達障害との出会いについて語られました。これはまさに伏見氏と冠地氏の出会いによって『ラビットホール・ドロップス』が生まれてきたという歴史が披露されたのです。

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そういうこともあって、当日の午後に行われた『ラビットホール・ドロップスi』の体験ワークショップには、事前の申し込みの無かった方も含めて観客のほぼ全員が参加していただけるといった盛況ぶりでした。

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中森しろ(なかもり・しろ)
1964年兵庫県生まれ。法政大学卒業。在学中に『Advanced Dungeons & Dragons』にハマる。その後、出版社勤務を経て、1992年遊演体に入社。PBM『夜桜忍法帖』、『蓬莱学園の休日!』、『鋼鉄の虹 -Die Eisenglorie-』で会誌の編集を務める傍ら、『ファー・ローズ・トゥ・ロード』、『鋼鉄の虹 パンツァーメルヒェンRPG』、『蓬莱学園の冒険!!-復刻版-』などの編集にも携わる。その後、アニメ製作会社を経て、2003年エルスウェア入社。『ライトノベル完全読本』、『超解! フルメタル・パニック! 2007』などのムックや単行本の編集を手がける。現在は、フリーの編集者として、活動中。

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※RPG『ラビットホール・ドロップスi』の、「Role&Roll Station」等、都内のゲーム専門店、およびAmazon.co.jpでの取り扱いが始まりました。

この作品はAnalog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ(グランペール・ブランド)、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った完全新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

ラビットホール・ドロップスi 001

また、2013年11月10日に「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 神奈川県川崎市」が開催されます。リンク先の詳しい情報をお読みのうえで、ぜひ参加をご検討ください。

12月14日にも、「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 神奈川県川崎市」(同形式のイベント)の開催が告知されています。

12月8日には、「TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)が好き、もしくはTRPGに興味のある、発達障害のある成人当事者や発達障害支援にかかわる支援者・専門家と、TRPGの専門家とが一堂に集い、TRPGを楽しむコラボレーションイベント」である「Mission Impossible04~発達障害と想像力の世界~」が東京大学本郷キャンパスで開催されます。『ラビットホール・ドロップスi』にクレジットされている、明神下ゲーム研究会とイイトコサガシが主催するイベントで、Analog Game Studiesメンバーもゲームマスターとして参加します。申し込み方法はリンク先をご参照ください。

SF乱学講座「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える(2009年7月5日) 第1回

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【テーマ連載】「ゲームと文学をリンクする」

SF乱学講座「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える(2009年7月5日) 第1回

岡和田晃 (協力:草場純、田島淳)
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【但し書き】

本稿は2009年7月5日(日)に東京・高井戸で行なわれた市民講座「SF乱学講座」(前身たるSFファン科学勉強会から数えると、半世紀近い歴史を持つ市民講座で、「SFマガジン」に毎号告知が載っています)での講義を録音し、文字に起こして整理したものです。本講義は“ゲームと文学をリンクするという目的”で行われました。原則、細かな点には手を入れてはおりません(なので、以下の自己紹介等の情報は、2009年当時のものとなります)。

テーマ連載「ゲームと文学をリンクする」と題し、複数回に分けて公開していきます。聴講者の方の感想と併せてご参照いただき、ゲームと文学のよりよき関係について考えるよすがとしていただけましたら、幸いです。

【事前の内容紹介文】

SFがテクノロジーと人間との関わり合いに焦点を当てた文学形式であることは論を待ちません。しかし、「情報」として作品内にテクノロジーを組み込むだけではなく――J・G・バラードや筒井康隆らが示してきたように――爛熟したテクノロジーが人間を、ひいては表現そのものをもダイレクトに変容させてしまうところにも、SFの面白さは宿るものと私は考えます。

それゆえ、SFの在り方を考えるには、SF内で描かれる情報の種類だけではなく、SFを規定する表現そのものの在り方についても思考の幅を広げる必要があるのではないでしょうか。

かような問題意識のもとに、参加者の方々と一緒に、SFという表現の可能性について考えてみるつもりです。

具体的には、私が近々上梓する評論「青木淳悟――ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」(『社会は存在しない』所収、南雲堂近刊)と、ロールプレイングゲームについての単著『ガンドッグゼロ リプレイ アゲインスト・ジェノサイド』の両者(編注:ともに2009年に刊行された)がいかなる問題意識のもとに書かれているのかの解説を軸にして、「ナラトロジー」(批評理論としての物語論)と「ルドロジー」(批評理論としてのゲーム論)の両局面から、SFという表現の在り方が今後いかように深化しうるのかを考察しようと思っています。

「いわゆるハードSF的なアプローチの他にも、アクチュアルな表現としてSFに接することは可能だ!」ということを知っていただけましたら幸いです。

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●はじめに

皆様、はじめまして、岡和田晃と申します。今回はお忙しいなか、また日本SF大会と日程が重複しているさなか、わざわざ足をお運びいただきまして、ありがとうございました。

今回は皆様に「「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える」と題した講演をさせていただこうと思います。岡和田の話すことそのものをフィーチャーしたイベントというのはこのSF乱学講座が初めてとなります。拙い部分も多々あるでしょうが、なにとぞ、お手柔らかにお願いいただければと思います。

 

●自己紹介

さて、私はゲーム、特に「ロールプレイングゲーム」(RPG)という分野のライティング仕事を文芸批評と並行して行なっています。RPGのライティングとは、ゲームのシナリオを書いたり、設定を翻訳したり、チェックしたりする、という仕事でして、ほかにもイベントの取材をして結果をレポートしたりと、色々な仕事をしています。後述しますが、ゲームライティングといっても、会話型のロールプレイングゲームの場合、ゲームの運用そのものにもクリエイティヴィティが求められますから、ジャーナリストよりは小説家に近い仕事かもしれません。

一方、文芸評論・SF評論の仕事は主に「speculativejapan」という、ワールドコン・Nippon2007という世界規模のSFイベントを契機として結成されたグループをベースに活動しています。かつて「NW-SF」という雑誌を主催していた山野浩一さんや、山野浩一さんとの論争が日本SF史の基礎となった荒巻義雄さん、そして「NW-SF」で翻訳家としてデビューし、今も精力的に活動を継続している増田まもるさんらが活動しています。

「speculativejapan」には「ニューウェーヴ/スペキュレイティブ・フィクション・サイト」とありますが、わかりやすく言えば「純文学」と「SF」の境界線上にある作品についての批評を掲載していくプロジェクトなのですね。その活動の延長線上で、「SFセミナー2009」というイベントでは「若手SF評論家パネル」というパネルに出演し、合宿では「Speculative Japan (J・G・)バラード追悼『楽園への疾走』読書会」、「仁木稔さんというSF作家の『HISTORIA』シリーズを語る」なるパネルを主催いたしました。

商業ベースの批評では、『社会は存在しない』という共著が南雲堂から刊行されました。なにやら危険な題名ですが(笑)、マーガレット・サッチャー、そう、「鉄の女」こと、イギリスの元首相の有名なセリフ「社会は存在しません。あるのは国家と個人だけです」という有名な文句を下敷きにした本なのですね。つまり、サッチャーが推し進めてきた――現在ではネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれる、社会保障を切り捨て「小さな政府」を推進する経済政策が特徴的なグローバル資本主義が、日本のフィクションにいかなる影響を与えたのか、それを特集的に論じている評論集です。

こちらに私は、「青木淳悟――ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」という400字詰め原稿用紙換算で80枚ほどの論考を寄稿しました。商業媒体において批評の肩身は、年々狭くなってきておりまして、文芸誌を見ても掲載される内容の多くは「広告」であっても「批評」と呼べるものではなくなっています。そうしたなかで、ようやく書きたいことが書けた、という手応えがあります。

また、ほぼ同時期に、私の初めての単著であるところの『アゲインスト・ジェノサイド』という本を出させていただきました。『アゲインスト・ジェノサイド』は、RPGの「リプレイ」という分野に属する本です。なかでも、ジャック・ヒギンズやジョン・ル=カレらの仕事、つまり「冒険小説」を意識した長篇小説のような内容になっています。新書サイズですが、その実、内容はぎっしり、かなりのボリュームがあるんです。

『社会は存在しない』に収録された批評と、RPGリプレイ『アゲインスト・ジェノサイド』。これら二篇は、一見まったく異なる作品ではありますが、実は共通した問題意識に基づいて書かれています。そのことを中心に、お話を進めさせていただきます。

 

●在野で批評をするということ

私の仕事のうち、フリーライターとしての仕事は、わかりやすいものだと思いますが、批評の仕事については、もう少し、説明が必要かもしれません。
身も蓋もない言い方になりますが、そもそも批評とは、ある意味において図々しいものです。日本における近代批評を拓いた重要な立役者に小林秀雄という人がいますが、小林の時代から、自分がそれと直観したことが――たとえそれが通説に反していたとしても――社会において普遍的な価値を持つ、意見として提出するに足ると信じ、言葉を磨いていくことが根本的な出発点となっています。その問題意識がいかなるものであるのかをなるべく噛み砕いて説明していくことで、何らかの思考のヒントを提示できたらと考えています。

なお、私は批評の仕事をしているといっても、学会にも所属していなければ、大学院で指導教官を得ているわけでもありません。在野の批評の徒として、ここに来ているつもりです。私が大学にいたころは、アカデミズムに安住せず、在野で批評をすること、それ自体が、状況に対しての批評的な態度となる、そのような選択が許された時代でした。

在野であることのメリットは、まったく組織にいることの恩恵を受けられないということです(会場笑)。つまりはフリーランス・ライターですね。この立場にこだわりはないつもりですが、フリーランスでいることの長所は、学閥のような面倒くさい「しがらみ」に対して、できるだけ批評的な位置を崩さないでいられることでしょうか。反対に、自分の発言の保証を自分で取るしかないとも言えるわけで、自分の発言の前提を常に疑わなければなりません。つまり自分が、自分の指導教官なのです。必然的に言葉は重くなります。今回の講義は、そうした疑義の繰り返した結果の産物だとご了解ください。在野であることを自己目的化しているわけではないので(笑)、将来的には、どこかに所属することもあるかもしれませんが、出発点が在野にあるので、この精神は保持していきたいと考えています。

 

●「SF」は「近代」の産物

さて、今回は「SF乱学講座」ということもあり、これらの前提を「SF」に引きつけてお話をさせていただきます。「SF」がテクノロジーと人間性の関係を主軸とした文芸ジャンルであるということは、多言を要さないでしょう。

むろん、広義の「SF」、ひいては「幻想文学」という括りでは、私たちが思い浮かべるような「SF」の成立以前にも、優れた作品は多々存在します。例えば、旧約聖書。あるいは、『オデュッセイア』。モーゼの十戒で海が割れたりだとか、一つ目の巨人キュクロプスに出くわすだとかいった内容は、現実離れした荒唐無稽な内容ともいえ、その荒唐無稽さは「SF」として解釈できるようにも思えます。

ですが、ここでは「SF」を「近代」の産物として理解することにしましょう。それは、「SF」を「SF」と認識する姿勢が、産業革命と出版産業の拡充を経て、生まれた考え方であるからです。「実は何々がSFだった」という遊びは、私も好きでよくやりますが(笑)、話をわかりやすくするためにこうした文学史的な経緯を重視します。

さて、「近代」とは何なのかを具体的に措定するのは難しい行為ですし、そもそも実証主義的な歴史学では「近代」という概念が具体的な形として成立するかどうかすら、怪しい面があるのもまた事実でしょう。しかし、ルネッサンスにおける人間観のドラスティックな変化を経て、官僚と常備軍を備えた「国民国家」や、国民のアイデンティティを規定する「近代文学」が成立は、「近代」の重要なキーとなります。

いわゆる「近代文学」の登場人物は皆、際だった個性を有しています。ロシアの作家・ツルゲーネフは、「近代文学」の類型を、シェイクスピアの戯曲に登場する「“ハムレット”型」と、セルバンテスの小説の主人公である「“ドン・キホーテ”型」に分けています。ハムレットにせよ、ドン・キホーテにせよ、それぞれ病的なまでに極端な人物造形ですね。でも、彼らは「近代人」の典型、すなわち「国民国家」のパーツの一部分として受け入れられる。つまり、著名な批評の言葉を借りれば「ハムレットは我らの同時代人」、というわけなのです。それは、「近代文学」へ本質的に根ざした特性と言い換えることもできます。

「近代文学」を定義づける条件のひとつに「内面」の「発見」があると言われますが、一方で「近代文学」と「SF」の違いとは、「社会」における「個人」の内面だけではなく、「社会」の変動と「個人」の関わりについて、より主題的に考察したところにある。そう、私は考えています。

 

●社会システムへの思考実験としての「SF」

主題的とはどのようなものでしょうか。ダルコ・スーヴィンというSF評論家がいるのですが、彼は『SFの変容』という著作で、16世紀のトマス・モア『ユートピア』を、SFの端緒のひとつと見ているわけです。『ユートピア』には、当時のイギリスで行われていた「囲い込み」運動(エンクロージャー)、地主が羊毛の取り引き量を増やすために牧場を拡大し、そこに住んでいた民を追い出す運動ですが、それを批判する下りが出てきます。

モアが描くユートピアには「囲い込み」のような、非人道的なことをする者はいない。ひとつの島に批評的なイメージを集約しつつ、それを国家と対比するわけです。宇宙船も光線銃も『ユートピア』には出てきませんが、社会をめぐる環境の変動という意味で、『ユートピア』は「SF」の祖型であると言えるでしょう。

事実、現在も「SFマガジン」で樺山三英という優れた作家が、『ユートピア』やオーウェルの『1984年』や、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』など、ユートピアを主題に連作を書き続けています(注:2012年、『ゴースト・オブ・ユートピア』と題して早川書房より刊行)。樺山さんがSFという枠組みのなかで「ユートピアSF」を書いている、その問題意識には、スーヴィンと相通ずるところがあると思います。『ユートピア』が体現している、現実とは別の社会システムを思考実験として導出すること。それが「SF」というジャンルの枠組みを決定づけているのではないかと私は考えています。

作家・批評家のブライアン・オールディスによれば、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』から始まるとされるSF史の流れも、こうした、「近代文学」の一面としての「SF」の流れと密接に関わってきます。「SF」が文学ジャンルとして大成したのは、産業革命と出版産業の興隆、特に一般大衆への出版文化の浸透という経緯を経た後、すなわち、アメリカのパルプ・フィクションの勃興を経ているのですが、優れた「SF」は『ユートピア』が体現していたような、文明批評、社会批評的な側面を強く保持しているのではないかと思います。

架空のモデルを設計することで、テクノロジーや社会システムの工学化を問題にすること。事実、『ユートピア』で槍玉に挙げられた「囲い込み」も、明らかに近代社会における工業化の産物ですが、それと人間性の変化を主題とした思考実験。ここに、SFの特性は根ざしているのではないでしょうか。

 

●テクノロジーとフェティシズム

ただ、20世紀の「SF」には独自の特徴があります。ひとことで言えば、今までに類を見ない、テクノロジーの高度化による社会のドラスティックな変化です。例えばアポロ11号が月面に着陸したのは1969年、今からちょうど40年前のことで、それまで人間が月の上を歩くことはできませんでした。

「SF」の黄金時代は、1940年から50年頃だという意見があります。アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリ、フィリップ・K・ディックら、「SF」というジャンルを大成させた巨匠たちが、本格的に活躍を始めたのはこの頃のことです。彼らは自分たちが小説で考察したヴィジョンというものが現実として具体化する様子を、目の当たりにしてきました。ただ、「SF」というジャンルが成熟していく過程で、工学的なヴィジョンだけではなく、テクノロジーと社会の変化の内部で人間性がどう変容するのか、という問題も真摯に問われはじめました。

「SF」内で、そうした問題について考察した最初の作家は、先日亡くなったJ・G・バラードです。バラードの作品は「SF」の枠を内側から食い破るようなもので、時代の病理を赤裸々に暴き、私たちの世界認識を更新させてくれます。現代社会を理解するにあたって、バラードの小説は、必須の教養としても過言ではないでしょう。

20世紀に入り、ロケットの到着によって宇宙が開発され、気象衛星や衛星放送などのテクノロジーが具体化するわけですが、20世紀的な科学技術の発展は、ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾による大量死といったような悲劇をも生んでしまいました。ロケットや原子爆弾といったテクノロジーが、どこか手の届かないところにある遠いものではなくなったときに、現代人の心性としては、日常生活の延長線上にあるものとして、テクノロジーは一種のオブセッション、フェティシズムの対象となるようです。

バラードの小説でテクノロジーへの執着を端的に表しているのが、1964年に書かれた「終着の浜辺」という短編です。B-29で日本を爆撃した元飛行士がエニウェトニク環礁の水爆実験場を訪れ、日本人医師の死体と、哲学的とも言える内的な対話を交わすという作品ですが、内的な対話と言っても、内面描写は、全然ありません。そもそも、会話がほとんどない(笑)。ただ見ているだけ、歩き回っているだけ。もちろん、ストーリーらしいストーリーもありません。ただただ、水爆実験場の荒涼とした、しかしながら蠱惑的な風景を執拗に描き出すバラードの筆は、なまなかなメッセージ以上に、私たちのテクノロジーへの執着を明るみに出してくれます。

「終着の浜辺」では語り手が、テクノロジーの内容(例えば原爆のメカニズムだとか)について詳細に説明するのではなく、原爆と人間の関係についての関係性そのものを、あくまでも「語り」によって表現しています。これは、珍しいことです。私は「SF」について書かれた評論へできるだけ目を通しているつもりですが、なぜか「語り」の性質が問われる機会が少ないように思えてなりません。

黄金期の「SF」が、宇宙旅行のような古典的な「SF」のテーマを主題にしていたとしたら、バラードのような作家は「内宇宙」、すなわち人間の内的世界を主題としました。それが、60年代のSFを特徴づける要素と言ってかまわないでしょう。きわめて大雑把なまとめになりますが、続く70年代には「フェミニズム」が重要なテーマとなり、80年代にはコンピュータ・ネットワークを中心にした「サイバーパンク」がブームとなる。以後は「ナノテクノロジー」や「シンギュラリティ」が着目されるといったように、主題となるテクノロジーそのものに目を向けられる機会は比較的多いような気がしますが、一方で、テクノロジーや主題、作品に籠められた思想や、肝心の「SF」という物語ジャンルの「語り」については、批評的に問い直される機会が存外少なく、それが「SF」をかえって畸形化させているようにも思えます。

 

●ナラティヴの定義は難しい

それもそのはず。「語り」について考えることは、なかなか困難な仕事なのです。そこで私が補助線として用いるのが、「ナラトロジー」という考え方です。ナラトロジーとは、英語のnarrativeについての学問ということで、いわゆる「お話」についての理論です。思い切って大胆にパラフレーズしながら、その本質を考えたいと思います。

大学や教育機関において、物語論や言語哲学について学んだ人は、エクリチュールやパロール、シニフィアンやシニフィエといった術語を耳にしたことがあるかもしれません。これらの術語を駆使して内実に踏み込むことも可能ですが、今回はそのような方向の議論はせず、あえて「ナラトロジー」を、“開かれた”理論として考えてみます。「ナラトロジー」は自由な理論で、誤解を承知で言えば、みんながみんな、好き勝手なことを言っていると思っていい、というのは放言が過ぎるでしょうか(笑)。

どういうことかと申しますと、「物語る」行為は、神話的とも呼べるほどの、人間の本能の一つだと私は考えておりまして、客観的に定義付けても、そこから逸脱するところがあるのではと考えているのです。つまり理屈としては筋が通っているように見えても、どこかそれをはみ出す余剰がある。上手、下手は問わず、「物語る」ことはできるのだとしたら、「物語る」ことは本質的に開かれた、普遍的な営為でなければいけないのです。

 

●昔話や物語の原像が示すもの

「近代」に入って、文学やあるいは人間の形が問い直された際に、物語の原型として、昔話であるとか、伝承の収集が盛んに行われました。誰でも物語ることは可能であるならば、その紀源を探れば、近代に穢されていない、理想的な人間の原型像のようなものが手に入るのではないか。そのような思惑が、どこかにあったのかもしれません。

ドイツで言えばグリム兄弟が、「赤ずきんちゃん」など、ドイツの民話を集めました。フィンランドでは神話的な民族叙事詩の『カレワラ』が、エリアス・リョンロートによって集められました。アイルランドでは、『オシアン』のマックファーソンや、詩人のイェイツが、ケルトの民話を聞き書きで集めました(『ケルトの薄明』)。日本では、柳田国男の『遠野物語』などが、特に有名ですね。

さて、ロシアのウラジミール・プロップという批評家がいまして、その人はこうした民話を読んで、あることに気がついてしまった。こうした物語は、みんな同じような構造をしている、と。ストーリーはいくつかのパターンに分けられる。日本の「浦島太郎」と、ドイツの民話を起原とする「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、登場人物こそ違うが、同じ構造だ。こうして、有名な、物語のパターンをカードにして分類するという作業が生まれたと言います。ただ、いささか誤解されているのですが、プロップはその先にこう付け加えています。「確かに同じ話だ、なのに面白い」と(会場笑)。

なぜ面白いのでしょう。それは、各々のお話に、物語を収集してきた土地独自の、土地柄だとか、匂いだとか、そういうものが現われるからです。むしろ、語りは、そうした実体化しづらいものを表現させなければならないのではないか。

なので「SF」に引きつけますと……。「ナラティヴ」の仕組みに着目すれば、テクノロジーの種類だけでは見えなかった、テクノロジーと人間性についての新たな着眼点が得られるのではないでしょうか。このような問いが、立てられます。つまり、学問的に正確な「ナラトロジー」、つまり「ナラトロジー」の定義とは何かをこねくり返すのも大事ですが、また一方で、特定の作品を語る際に、作品を構成する「語り」の仕組み、ひいては作品の表現そのものを、より現場的な視点で考えるのも重要です。

繰り返しましょう。「ナラトロジー」とは何かを一面的に定義することは困難です。
今まで、長々と「SF」とは「文学」とは、ということを語ってきたのも、結局は「ナラトロジー」の「語り得ないもの」について輪郭を描く、苦肉の策というわけです。

『ギルガメッシュ叙事詩』から考えれば、人間が記録に残る形で物語を記録し始めてから、およそ5000年は経過しています。そのなかには、幾多もの歴史があります。この歴史を無視して、ナラティヴは成立しえない。「ナラティヴ」を考えることは、個人のナラティヴの背景に根ざした、無数の先人たちの「ナラティヴ」に耳を傾けることでもあるのです。

(続く)

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※11月6日に、岡和田晃による、初の批評の単著が発売されます。
11月4日(月・祝)の第17回文学フリマでも、特別価格で先行販売されます(オ-25「幻視社」)。

この講演の問題意識を引き継いだ内容となっていますので、お読みいただければ幸いです。

岡和田晃『「世界内戦」とわずかな希望 伊藤計劃・SF・現代文学』(アトリエサード/書苑新社)

※同じく11月4日に開催される「ゲームマーケット2013秋」で、RPG『ラビットホール・ドロップスi』が頒布されます。Analog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

ゲームマーケットブース情報 11月4日(月・祝)332番 エテルシアWS

ラビットホール・ドロップスi 001