【活動報告】Analog Game Studies第11回~16回読書会報告&各種活動報告

【活動報告】Analog Game Studies第11回~16回読書会報告&各種活動報告

 岡和田晃
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 Analog Game Studiesのサイト移転に伴い、活動報告が遅れておりましたが、その後も読書会は続いております。2013年3月の第11回では、杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』(講談社)を扱いました。中世世界を席捲したモンゴル帝国、その成立が世界に与えた影響を振り返ることで、「ポスト・モンゴル時代」の現代を解釈し直す、といった内容で、アカデミズムとジャーナリズムにおける言説のあり方、西洋中心主義的な歴史学へのオルタナティヴについてなどが議論されました。

 2013年5月の第12回では、石光泰夫『身体 光と闇』(未來社)を扱い、映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』等を参照しつつ、身体と観念、そして近代資本主義社会の関係について幅広い議論が交わされました。

 2013年7月の第13回、9月の第14回、2014年1月の第16回では、ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』下巻(ソフトバンククリエイティブ)を少しずつ精読しております。

 2013年11月の第15回は、明神下ゲーム研究会と合同開催で、「Mission Impossible 04 発達障害と想像力の世界」の開催準備の話し合いを行ないました。
 今後もAnalog Game Studiesは、より良いアウトプットを行なうために、読書会と議論を続けて参ります。

 このおよそ1年の間に、Analog Game Studiesのメンバーが行なった活動の一部をご紹介していきます(AGS内記事執筆・査読等を除く)。
 顧問の草場純氏は、小野卓也『ボードゲームワールド』(スモール出版、2013年5月)の座談会に参加し、また、2013年6月28日に「週刊金曜日」の東京南部読者会の催しで「左手利きと教育」についての講演を行ないました。「週刊プレイボーイ」2013年10月28日号、「日経流通新聞」2014年1月13日付のボードゲーム記事で取材を受け、コメントが掲載されました。また、アークライトから発売された『ククカード』のルール執筆と解説を担当しています。

 加えて人工知能研究者にしてゲームAIの開発者である三宅陽一郎氏との対話記事「ゲームデザイン討論会」が好評を集めました。その他、各種ゲーム関連イベントに、随時参加しています。また高田馬場の日本点字図書館3階会議室にて、視覚障害の当事者・支援者と「視覚不要! RPG この町を救え」を開催しました。
 AGS代表の岡和田晃は、「Role&Roll」に連載されている『エクリプス・フェイズ』関係の記事、および「SF Prologue Wave」の『エクリプス・フェイズ』企画に毎号協力しています。また、『ホームズ鬼譚~異次元の色彩』(創土社、2013年9月)に収録されたフーゴ・ハル「バーナム2世事件」への協力も行ないました。『本格ミステリー・ワールド2013』(南雲堂、2013年12月)では、座談会「ゲーム化しライト化する2013ミステリ」に参加。また、評論集としては初の単著『「世界内戦」とわずかな希望 伊藤計劃・SF・現代文学』(アトリエサード、2013年11月)を刊行し、「日本経済新聞」「SFマガジン」「小説推理」「紀伊國屋じんぶん大賞」といった媒体で評され、日本図書館協会の選定図書とされました。

 イベントは「Role&Roll Station」で継続的に開催されている『エクリプス・フェイズ』体験会、『ウォーハンマーRPG』オンリーコンベンションといった会話型RPGのイベントにゲームマスターとして携わり、JGC(ジャパンゲームコンベンション)2013での『ハーンマスター』体験会、発達障害の特性を持つ当事者・支援者・会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の専門家が一同に集い共に楽しむコラボレーションイベント「Mission Impossible03 発達障害と想像力の世界」(2013年6月)、同じく「Mission Impossible04 発達障害と想像力の世界」(2013年11月)にもゲームマスターとして参加しました。また、ジュンク堂書店池袋本店でのイベント「未来を産出(デリヴァリ)するために」(2013年10月)、市民講座・SF乱学講座「「伊藤計劃以後」のSFと文学」(2013年12月)等で講演を行いました。その他、各種雑誌や新聞等に寄稿を行なっています。詳しくは岡和田晃のウェブログをご参照ください。
 伊藤大地は、『ウォーハンマーRPG』オンリーコンベンションの展開に関わり、また「Mission Impossible03」、「Mission Impossible 04」にそれぞれプレイヤーとして参加しました。
 蔵原大は、第25回遊戲史学会で「遊戯から政策へ:”行政広報ゲーム”とは何か?」という講演を行い、また「Mission Impossible03」にプレイヤー参加。また「遊戯史研究」25号(2013年10月)に「近現代ウォーゲーム(兵棋演習)の歴史――二百年の変遷」を寄稿いたしました。
 小春香子は、「Mission Impossible03」(2013年6月)にプレイヤーとして参加し、2014年2月には、『エクリプス・フェイズ』小説「龍の血脈」が日本SF作家クラブ公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」に掲載されました。
 齋藤路恵はメイン・デザイナーとして、エテルシアワークショップ・東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシとの共同作品である会話型RPG『ラビットホール・ドロップスi』(エテルシアワークショップ、2013年11月))を完成させました。同作品はゲーム専門家や発達障害の当事者・支援者、その他コミュニケーションに関心を持つ方々に大きく評価されました。

 また、「SF Prologue Wave」に『エクリプス・フェイズ』小説「ゲルラッハの恋人」を寄稿。イベントでは、「伏見健二講演会――RPGで開かれる世界――」に協力、「視覚不要! RPG この町を救え」ではゲームマスターとして参加しました。SF乱学講座で「日本における同性愛”者”の発見/発明」(2013年2月)、「会田誠 戦争画リターンズを読む」(2014年2月)の講演を行ない、また「Mission Impossible 03」、「Mission Impossible04」にゲームマスターとして参加しました。
 田島淳は、サンセットゲームズから日本語版が発売予定の『ハーンマスター』入門キット『雛菊の野』の翻訳に参加、またJGC2013『ハーンマスター』体験会、および『ウォーハンマーRPG』オンリーコンベンション、「Mission Impossible 03」にそれぞれゲームマスターとして参加しました。
 髭熊五郎は、トリックテイキングゲームオンリーイベント「Trick Taking Party vol.1」(2013年3月)、「Trick Taking Party vol.2」(2013年10月)を主催し、また「Mission Impossible 03(2013年6月)」にプレイヤー参加しました。
 八重樫尚文は、オンラインセッションツール「どどんとふ」の同人誌「どどんとふで始める初めてのオンラインセッション2013年夏の号」「どどんとふ用オンラインセッションシナリオ集 オンセの素第2号!」の編集を担当し、「Mission Impossible 03」にゲームマスター参加、「Mission Impossible 04」にプレイヤー参加しました。

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第16回)

草場純(協力:伸井太一、岡和田晃、高橋志行)

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◆第15回はこちらで読めます。◆

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前回の予告どおり、今世界の様々なゲームの、「民族」(エスニシティ)的な受容の相を、具体的に見ていきたい。

その際に、Analog Game Studiesの読者にとっては、まず、伸井太一氏の「ドイツ・アナログゲームの歴史楽――ボードゲーム『イライラしないで』Mensch ärgere Dich nicht(メンシュ・エァゲレ・ディッヒ・ニヒト)」が重要な導きの糸となるだろう。
伸井氏の論考では、ドイツにおける『イライラしないで』の受容が、社会的な背景と絡めながら論じられており、私も啓発されるところが大きかった。
もし未読の方がいるならば、是非お読みいただきたいと思う。

同論によれば、ニュルンベルク市のおもちゃ博物館では、『イライラしないで』が1910年ごろに考案されたものと紹介されているという。そして、第一次世界大戦を契機として、ドイツで『イライラしないで』は大きく浸透を見せ、ドイツの国民的ゲームとして広く認識されるようになるわけだが、伸井氏は主題を明確にするためか詳しく触れていないものの、この『イライラしないで』には、実のところ長きにわたる「前史」が存在する。

1863年にイギリスで、『イライラしないで』によく似た『ルド』というゲームが販売され、その後、フランス、スペイン、オランダなどに広まったと言われている。この『ルド』が『イライラしないで』の祖であると、私は考えている。
任天堂から出ていた『ディズニー ロケットゲーム』が、『ルド』そのもの。私の子供のころは、はなやま(現在の株式会社ハナヤマ)などから、『飛行機ゲーム』として出ていたので遊んでいた。また『ルードゲーム』という名でも出ていたと記憶している。中国では「飛行棋」と呼ぶそうで、これはうまいネーミングだろう。
この『ルド』がドイツに渡ったのは、1925年にドイツのオットーマイヤー(ラベンスバーガー)社が出したことによる。シュペア社はそれを改変して『コピットゲーム(帽子取りゲーム)』として売り出した。これも私は子供のころだが、遊んだことがある。仄聞するところでは、現在でもラベンスバーガー社から出ているそうだ。

では『イライラしないで』はもともとイギリスのゲームかと言うとそうではなく、そのまたもとは、インドにまで遡る。オリエンタリストのトマス・ハイドが1694 年に『パチシ』として記述しているのが、ヨーロッパにおける初出とわれている。
インドではムガール帝国で遊ばれていたのは間違いなく、その頃に『パチシ』と呼ばれていた。ルールはほぼ同じだが、6面体ダイスではなく、2面体ダイス(いわゆる「宝貝」)を6個ふる。これは中国の六博と同じで、例によって中国起源説を唱える人もいる。
16世紀のムガール帝国で遊ばれていたところまでは確実で、そこで『パチシ』と呼ばれていた。『パチシ』は25という意味で、今でもスペインなどでは『ルド』ではなく、『パチーシ』と呼ぶそうである。一説によると起源は9世紀にさかのぼり、それが本当なら1200年の歴史のあるゲームとなる。尤も六博説を取れば、これは春秋戦国時代だから2400年の歴史となろう。

しかし、『パチシ』で最も興味深いのは、アステカに伝わる『パトリ』である。これは、誠に残念ながらスペインの植民地支配のため、失われた。またパチシがインドからイギリスへわたったのももちろん、植民地支配の結果に他ならない。
ちなみにこのパトリは、正確なルールは不明なものの、遺されたゲーム盤はなぜかパチシにそっくりという、アステカの伝統ゲームである。

さて、ここまで縷々述べたことは、ドイツの子供たちがみな一度は遊んだとされる『イライラしないで』が、実は真空から突如ドイツに発生したものではなく、長い前史があるということにまとめられる。そのオリジンは、確実なところに限っても16世紀のインドにまで遡ることができるだろう。
しかしここでよく注意しなければならないことは、ゲームに限らず小説などにも言えることだが、創作や著作権に関する考え方が、当時と現代では大きく異なるということである。
現在発売される新しいゲームの多くは、「ライナー・クニツィア」とか「アラン・ムーン」とか、クレジットされているのがむしろ常識である。日本人の名も、例えば「カワサキ」「カナイ」「キサラギ」「ハヤシ」などの名が、すでに世界に流通している。
けれども、これは21世紀の「常識」であって、むしろ記名されないのが「常識」という時代もあったのだ。これは議論のあるところではあるが、ルールそのものの著作権は、現在でも認められているとは言い難い部分がある。いわんや100年、200前に於いておやである。ゲームのルールシステムと著作権のより良き落とし所については、今後、積極的な議論が重ねられる必要があろう。本稿では、記名の是非を論じようというよりも、文化史的な観点から、パラダイムの変遷を指摘した次第である。
つまり私は、『イライラしないで』が実は創作ではないと告発したいのではなく、伸井氏の記事に触発され、当時は似たようなゲームを名前だけ変えて出すようなことが普通に行なわれていたということを指摘しつつ、失われた系譜を簡単ながら辿り直してみた次第である。

この点に関し、この6月2日になされた澤田大樹氏の講演「批評のためのドイツゲーム現代史」において、極めて興味深い指摘がなされている。
澤田氏によれば、ドイツゲーム・ユーロゲームの成立前夜、「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」が数多くつくられているというのである。時期としては19世紀から20世紀の前半に当たる。例としては上記のパチシ由来のコピットゲームのほか、ハルマ由来のダイヤモンドゲーム(チャイニーズチェッカー)、アフリカのマンカラ由来のワリやオワール、インドネシアのスラカルタ由来のラウンドアバウト、マダガスカルのファノロナ由来のワルツなどと、大きくは広まらなかったものを含めて、多数見出せるのである。
さらにオセロの名で日本では広く知られているリバーシも、1888年にロンドンで特許が取られている。これも、典拠は不明だが田中潤司氏によれば、ハンガリーの民族ゲームが更にその元であるという。(ハンガリーは植民地とは呼べないだろうが。)

こうした現象に先行するのがスポーツの事例である。例えばバドミントンはインドのプーナを「改良」したものであるし、ラクロスはアメリカ(と後に呼ばれる)大陸のネイティブの遊びを「改良」したものである。このような現象は、明らかに「民族」間の文化の伝播であるし、またゲームの受容のある形態(相)であるということが言える。一方これらはまた、ポスト・コロニアリズム理論の枠組みから見ても、興味深い現象と言うことができよう。
ここでまたスポーツから卓上ゲームに話を戻せば、現代日本の麻雀も、明治時代後半の初期植民地主義によって、中国や「満州」の地に「発見」され、「改良」されて、大正期そして昭和期に広まったものと言うことができそうだ。時代と地域を平行移動すれば、澤田氏の枠組みがそのまま敷衍できる。

ゆえに、『イライラしないで』のように、子供の遊びとして、あまり識者からは顧みられないゲームが、澤田氏の提唱するような大きなゲーム史の枠組みの中に位置づけられるというのは、私としても大きな発見であった。
貴重な提起として、伸井氏の記事には重ねて感謝したい。

東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ・明神下ゲーム研究会合同企画 TRPGコンベンション「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」に参加して

児童文学者の立場からRPGを中心としたアナログゲームへ関心を示し、雑誌『児童文学TRPG』を発行、会話型RPG『ラビットホール・ドロップスG』の序文を担当している佐々木江利子さまが、Analog Game Studiesメンバーもゲームマスターやスタッフとして協力したイベント「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」のレポートを寄稿してくださいました。(岡和田晃)

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東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ・明神下ゲーム研究会合同企画 TRPGコンベンション「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」に参加して

 佐々木江利子(協力:岡和田晃、伏見健二、冠地情、明神下ゲーム研究会)

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2013年12月8日(日曜日)、東京大学本郷キャンパスにて、午前10時から午後4時まで、発達障害の特性を持つ当事者、支援者、会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の専門家が一同に集い、共に楽しむコラボレーションイベント「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」が開催された。
東大の赤門をくぐると、まずは東大のシンボルにもなっている鮮やかな黄色に色づく銀杏並木に圧倒される。休日の午前中で地域住民か老若男女様々な人がそぞろ歩きを楽しんでいる中、赤門入口すぐに体格の良いスタッフが会の開催の表示を掲げてわかりやすく立っていてくれ、安心感。当会への参加は、私は二回目、実は前回、会場棟の入口や場所がわからず時間内にたどり着くことができなかったが、随所に誘導の表示があり、今回は探検感覚で会場にスムーズに到着。
赤門
【東京大学(本郷キャンパス)の赤門】

参加者はスタッフを含め約30名。20代から40代前後の年齢層。半数が女性で、会話型RPGは初めての参加者が約半数。これは通常のTRPGコンベンションでは異例だそうだ。
米田衆介先生の開会挨拶と、主催側のイイトコサガシ代表冠地情氏の説明を経て各テーブル部屋に移動。
米田先生
【米田衆介氏(明神下ゲーム研究会)の開会挨拶】
冠地さん
【冠地情氏(イイトコサガシ)の各種説明】

この日行われたシステムは『ゴーストハンター13』、『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ エッセンシャルズ』、『ゆうやけこやけ』、『ラビットホール・ドロップスi』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ 第4版』の六つ。ほぼどの卓にも当事者、支援者が複数名含まれる構成。
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【『ダンジョンズ&ドラゴンズ エッセンシャルズ』のプレイ風景】

今回、特筆すべきは齋藤路恵氏による『ラビットホール・ドロップスi』。これは、これまで発達障がいをもつ当事者によって開催されてきたイイトコサガシのワークショップを一冊にした『ラビットホール・ドロップスi』を、さらに、視覚不要バージョンとしたもの。ゲームマスターも参加者も同時にアイマスクを装着し、イラストやサイコロ、また、プレイヤーの表情等、視覚的な情報によらず、音声のみによって物語作りが共同で行われた。人の目を見て話すことの苦手な当事者にも好評で、物語の進行面でも混乱することがなかったという。
また、現在開発中の『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』では、人魚姫のキャラクターが人間の姿になった場合、声が出せないという設定が試された。この場合、声が出せないプレイヤーの表情や身振りに自然と目をやる運びとなった。これらは昔話のように口承文芸と親しい距離にもある会話型RPGの新しい側面を拓くと同時に、視覚障がいと発達障がい、聴覚障がいと発達障がい等、複合したハンディキャップをもつ人々にも会話型RPGやコミュニケーションの機会が開く可能性を示す前向きな試みになった。
昼食は各テーブルで。別なボードゲームを行うテーブルも。初対面の人と食事を共にするが、同じメニューのお弁当だったため、会話の糸口にもなったように思う。
筆者が参加したのは伏見健二氏の『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』のテーブル。自分が作成したシナリオのたたき台が、どうアレンジされ参加者によってどう変容するかを直接体験できる初めての機会となった。みにくいアヒルのこ役の男性参加者(当事者)が人魚姫シナリオの途中で眠ってしまうということがあったが、同じシナリオで中学生男子を含めたメンバーで行ったとき、全く同じ個所で同様の反応だったことを思い出した。恋愛というモチーフに関して感情移入、あるいは共感させる物語の運びは、年齢層や対象を含め今後の課題となった。ただし、「眠る」という反応は緊張の緩和があることで起きるものであり、安心感をグループ内で得られたのは、その後のプレイングに生きていたのではないか。見た目の容姿ではなく、真摯に生きるアヒルのこの役を、その方が他のシナリオの中で深くとつとつと語る姿が印象的だった。アンデルセン童話の中に内在する演劇や人の無意識に働きかけ、内面にゆさぶりをかけていく要素が、会話型RPGにどのように生きていくか、次作『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』の完成が楽しみな時となった。
 
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佐々木江利子(ささき・えりこ)

宮城県仙台市生まれ。宮城教育大学教育学部特殊教育教員養成課程出身。
白百合女子大学児童文化研究センター構成員。日本児童文学者協会会員。
著作『超カワイイ!こいぬのココロをチェック!!』(汐文社)
共編者『魔法のファンタジー』(ファンタジー研究会、てらいんく)、日能研「知の翼」他。
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※RPG『ラビットホール・ドロップスi』は、「Role&Roll Station」等、都内のゲーム専門店、およびAmazon.co.jpで好評発売中です。

この作品はAnalog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ(グランペール・ブランド)、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った完全新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

ラビットホール・ドロップスi 001

また、2014年2月15日(土)に「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 川崎市」が開催されます。リンク先の詳しい情報をお読みのうえで、ぜひ参加をご検討ください。
『ラビットホール・ドロップスi』のメイン・デザイナーで、Analog Game Studiesメンバーの齋藤路恵もファシリテーターとして参加します。申し込み方法はリンク先をご参照ください。

増川宏一語る「研究の切り口」―その〔2〕(全3部)

増川宏一語る「研究の切り口」―その〔2〕(全3部)
(本文:増川宏一、解説・レビュー:蔵原大、協力:草場純、仲知喜)

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■【解 説】
  蔵原 大

 増川宏一といえば、ゲーム研究にとって「大先輩」にあたる、遊戯史研究の分野でご活躍されてきた高名な研究者です。将棋や賭博(ギャンブル)の盛衰に関する増川先生の史学研究について、ご存知の方も多いでしょう。

■ 遊戯史学会:http://www.gameshistory.net/

 先日、幸運にも増川先生とご縁ができましたので、当AGSの草場純顧問を介して、遊戯史や歴史研究における「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」をお聞きしました。遊戯史(あるいは歴史学やゲーム研究)はどんなポイントから研究してゆく学問なのか、ということをお訊ねしたわけです。

 以下の【本文】は、増川先生のご承認を得て、先生よりいただいたお手紙を転載したものです。長くなりますので、今回は三分割したうちの「その〔2〕」を公開しました。
●「その〔1〕」はすでに公開済み。
「その〔3〕」も公開です。

(Note: Some of the game images below are quoted from the British Museum for scholary & non-commercial purpose according to the Standard Terms of Use: (http://www.britishmuseum.org/about_this_site/terms_of_use.aspx). Their copyright is preserved by the Museum.)

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■【本 文―その〔2〕】
  増川宏一

その〔1〕からの続きです)

 明治以来、遊びは学術研究の対象になりませんでした。そのため研究の蓄積も充分ではありません。皆様がゲームという大きなテーマに果敢に取り組んでいられることに私は敬意を表します。よくぞ頑張っていられると尊敬もし、感嘆し、激励したいと常に思っています。

 私の考えを詳しく述べる紙数もありませんので、気付いていることを簡略に述べると、盤上遊戯の歴史に興味をもっているのは、少なくとも五〇〇〇年という長い歴史をもち、現在に至るまで起伏も多く、分岐して様々な方向に向かい、或いは独創や隆盛、衰退や消滅があるのは、まさに人間の歴史と共通していること。ですから「ゲームに反映されている人間の歴史」とでもいえることを追及したいこと。すなわち巨視的な観点からが一つ。

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 画像は、大英博物館の所蔵品「ウルの宮中ゲーム」。イラク南部の古代都市遺跡ウルで発見され、紀元前2600~2400年頃のもの。

The image is quoted for scholary purpose from “British Museum – The Royal Game of Ur” ( http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/me/t/the_royal_game_of_ur.aspx ). The copyright is preserved by the British Museum.

 古代シュメール文明に属するウルの町並みをごらんになりたい方は、大成建設の「古代文明都市ヴァーチャルトリップ」へ→( http://www.taisei.co.jp/kodaitoshi/civil/civilization.html )。

 次は、ゲームが変化するのは、遊び手である人間がゲームを変えていることで、変える人間はその時代の風潮、考え、感覚、流行、嗜好、信条など、その時代の環境に影響されていると考えています。その時代に生きている人々の感覚が投影されてゲーム(又はルール)が変えられる、と思っています。

 この両者のなかにも「切り口」は見つけられると考えています。例えば、江戸の黄表紙本に現われている滑稽や諧謔、才覚や人情は、そのまま歌舞伎にも反映していますが、かるたや絵双六にも表われています。ですから江戸の雰囲気というのも一つの「切り口」でしょうし、多色刷の錦絵と同等な絵双六は、遊戯具に示されている芸術性という視点からも採り上げることができます。

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〈「江戸名所双六」(国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310733〉

 今、私が下書きをしている次の本の或る一章は「戦争と遊戯」をひとつの「切り口」に考えています。これには、戦争による遊びのかげり(細かいことで申し訳ないのですが、日中戦争が始まると神戸市内の麻雀荘が激減したこと等)から始まって、勇ましい紙芝居など、これも或る時代を「切り口」にしたといえるでしょう。

 このような様々な「切り口」があることに気づかれたら、自分の最も得意とする分野で「切り口」を見つけるようにしたら、案外、容易に発見できるかもしれません。あまり自信の無い分野は避けたほうがよいでしょう。但し、全体からの関連でどうしてもここで、これをテーマにするべきだ、または必要か、しなければならない、となったら話は別です。資料を探し、いやでも取り組むと自分の勉強になります。

 資料を探すのも大事な研究の一環です。信頼できる第一級の資料に辿りつくことは立派な研究活動です。

(その〔3〕に続きます)

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■【レビュー:増川宏一『盤上遊戯の世界史』】  蔵原 大
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 なお読者の中には増川先生の業績に不案内な方もおられるかもと思い、前回同様、ここに先生のご著書のレビューを付け加えました。理解の一助にしてくだされば、幸いです。

 シルクロード、という言葉の説明はとくにいらないでしょう。古代から現代に至るまで、世界中をさまざまな文物が往来しています。もちろんシルク(絹)だけではありません。今ならインターネットで無料ゲームが配信されますが、昔のゲームはヒトの手に抱えられて、山を越え、砂漠を越えて、海の彼方からやって来たのです。囲碁・将棋しかり、トランプしかり。

 この『盤上遊戯の世界史』は、シルクロードをはじめとする交易の道を通じて広まったゲームが、その変遷や伝わったルートと共に紹介されています。それも将棋(象棋・チェス)やトランプといった、お馴染みのコンテンツにとどまりません。「ポロ」(馬に乗ってボールを打ちあう遊び)や「マンカラ」(アフリカ・東南アジアなどでの伝統ゲーム)、さらには古代オリエント史の中に消えてしまった謎のゲームまで網羅されているのです。

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 画像(シエラネオネ製)は、大英博物館の所蔵品であるマンカラ・ゲームの基盤。マンカラは、アフリカや東南アジアに見られる盤上ゲームです。

The image is quoted for scholary purpose from “British Museum – Mancala (wari) board” ( http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aoa/m/mancala_wari_board.aspx ). The copyright is preserved by the British Museum.

 『盤上遊戯の世界史』は、どんな時代であれ、人類が遊びにそそぐ情熱とエネルギー、その大きさを感じさせてくれる名著だといえるでしょう。とくに日本ゲームの海外進出を考えておられるプロの皆さんにとっては。

 さて『盤上遊戯の世界史』の構成はつぎの通りです。

 ○ はじめに
 ○ 第一章 オアシスの路
 ○ 第二章 草原の路
 ○ 第三章 海のシルクロード
 ○ 第四章 日本への伝来
 ○ おわりに―新たな問題提起

 この本では、ゲーム研究の意義が、人類史そのものへの問いかけに重ね合わせて述べられています。皆さんへのご参考に、以下一部引用しました。

 「本書は人間が創り上げた文化の重要な側面を示す遊びについて考察するものである。盤上遊戯を主題としたのは、一万年近い歴史があり、進化ともいえる起伏に富んだ過程をみることができるからである。人々によって遠くまで伝えられた跡を知ることも可能だからである。何よりも人間の意志や意欲が反映されているからである。

  遊びは長い年月の間に枝分かれして、多種多様になった。新しく考案されたものや、しばらくして消えたものもある。遊び継がれてきたものには、楽しみを追い求める人間の姿があり、幾世代、幾十世代にわたって、あるいはもっと長い年月にわたって遊ぶ歓びを伝えてきたからである。これらの遊びから人間の営みの跡を辿ることにする。つまり遊びの歴史を調べることは人間の歴史を解明することにつながる。本書は、このような視点から遊びをとりあげていくものである。」(『盤上遊戯の世界史』pp.15-16)

 遊びやゲームって、ほんと奥深いですね。

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 画像は、大英博物館の所蔵品である古代エジプトのゲーム「セネト」です。セネトは今から1000年以上前に「滅んでしまった」ゲームでして、本来のルールや遊び方は謎につつまれています。

 セネトについては、当AGS顧問の草場純の解説をごらんください。

The image is quoted for scholary purpose from “British Museum – Senet game” ( http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aes/s/senet_game.aspx ). The copyright is preserved by the British Museum.

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■【ムリヤリ関連書籍】

● ヒカルの碁(アニメ・漫画)
 http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/hikaru/
 http://www.amazon.co.jp/dp/4088727177

● 藤本徹『シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム』
 http://www.amazon.co.jp/dp/4501542705

 先ほどの増川先生曰く「遊び手である人間がゲームを変えている」の最たるものは、ゲームが遊び以外の領域で成果をあげていることかもしれません。現代の医療や大学教育などの、その現代の現場におけるゲームの社会的効用を追跡した書籍です。

 日経ラジオ「マネー女子会」のシリアスゲーム解説(by 藤本徹)は、コチラでお聴きできます→ http://www.radionikkei.jp/podcasting/themoney/2013/12/player-post-121.html
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● 石井米雄・吉川利治『日・タイ交流600年史』
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 日本の将棋は、はるばる東南アジアから伝来したと言われています。またPCに欠かせないHDD(ハードディスク)、その世界的需要の大半を担っている国は東南アジアのタイだとか。この『日・タイ交流600年史』は平安の頃から江戸、明治そして現代にも続く日本とタイとの交流について、東南アジア史の大家であった石井先生、吉川先生がまとめられた一作です。

 東南アジアの人々って、日本人とはどんな係わりを持ってきたのか? 意外に多い日本との接点をお知りになりたい方には特にお勧めです。

 「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」レポート

2013年7月21日に開催された「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」というイベントの模様を、ゲストとして編集者の中森しろさまにレポートしていただきました。中森さまはカードゲーム『コレクタブルモンスター』のデザイナーでもあります。(岡和田晃)

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「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」レポート

中森しろ (協力:伏見健二、成人発達障害者当事者会イイトコサガシ、齋藤路恵、岡和田晃)

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2013年7月21日(日)豊島区心身障害者福祉センターで「伏見健二講演会-RPGで開かれる世界-」が行われました。主催は、東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ。イイトコサガシは、コミュニケーション・ワークショップに特化した成人発達障害当事者会です。講演会は、伏見健二氏が開発したRPG『ラビットホール・ドロップス』をイイトコサガシで運用できる形にした『ラビットホール・ドロップスi(アイ)』の体験会と合わせて開催されました。当日は、午前中に伏見健二講演会、午後からは『ラビットホール・ドロップスi』の体験ワークショップが行われました。ここでは、伏見健二講演会のみをレポートします。

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講演会は、前半が伏見健二氏の講演、後半がイイトコサガシ代表の冠地情氏との対談というプログラム。この日の聴衆は約30名。その後のアンケートを見ると、RPG経験者は少数で、多くはRPGを経験したことのない方々でした。

講演は、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に始まるRPGの歴史から始まりました。最初は淡々と聴いていた観客も「世界で最も売れたコンピュータRPGはなんでしょう?」という質問で「ドラクエ」「ウルティマ」「ファイナルファンタジー」「ポケモン」と様々な答えが出て、一気に場が和みました(正解は「ポケモン」)。

その後、日本でのRPGの展開が語られ、RPGが構造的に持っている一つの欠点として“ゲームの場から浮いてしまいがちなプレイヤー”の話へと進みました。

講演中、もっとも来場者の方々の関心が強かったのがこの箇所でした。というのも、その問題のある“浮いてしまいがちなプレイヤー”の特徴というのは、発達障害の特性とも重なる部分があったからです。

発達障害の現れ方はさまざまであり、こうした特徴を持たない発達障害の人もいます。しかしながら、たとえば“シングルフォーカス”(特定の事柄へ過剰に集中してしまうこと)の特性を有した発達障害者は、しばしば“空気が読めない”あるいは“協調性がない”とみなされ、コミュニケーションの場から排除されてしまうこともありました。

そういったプレイヤーも自然に溶け込めるユニバーサルなRPGをデザインしようというコンセプトで開発されたのが、『ラビットホール・ドロップス』、そして『ラビットホール・ドロップスi』であるということで、それらについてのより踏み込んだ話は、後半の冠地氏との対談の中で語られることになりました。

後半の対談の中では、RPGと発達障害との出会いについて語られました。これはまさに伏見氏と冠地氏の出会いによって『ラビットホール・ドロップス』が生まれてきたという歴史が披露されたのです。

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そういうこともあって、当日の午後に行われた『ラビットホール・ドロップスi』の体験ワークショップには、事前の申し込みの無かった方も含めて観客のほぼ全員が参加していただけるといった盛況ぶりでした。

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中森しろ(なかもり・しろ)
1964年兵庫県生まれ。法政大学卒業。在学中に『Advanced Dungeons & Dragons』にハマる。その後、出版社勤務を経て、1992年遊演体に入社。PBM『夜桜忍法帖』、『蓬莱学園の休日!』、『鋼鉄の虹 -Die Eisenglorie-』で会誌の編集を務める傍ら、『ファー・ローズ・トゥ・ロード』、『鋼鉄の虹 パンツァーメルヒェンRPG』、『蓬莱学園の冒険!!-復刻版-』などの編集にも携わる。その後、アニメ製作会社を経て、2003年エルスウェア入社。『ライトノベル完全読本』、『超解! フルメタル・パニック! 2007』などのムックや単行本の編集を手がける。現在は、フリーの編集者として、活動中。

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※RPG『ラビットホール・ドロップスi』の、「Role&Roll Station」等、都内のゲーム専門店、およびAmazon.co.jpでの取り扱いが始まりました。

この作品はAnalog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ(グランペール・ブランド)、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った完全新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

ラビットホール・ドロップスi 001

また、2013年11月10日に「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 神奈川県川崎市」が開催されます。リンク先の詳しい情報をお読みのうえで、ぜひ参加をご検討ください。

12月14日にも、「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 神奈川県川崎市」(同形式のイベント)の開催が告知されています。

12月8日には、「TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)が好き、もしくはTRPGに興味のある、発達障害のある成人当事者や発達障害支援にかかわる支援者・専門家と、TRPGの専門家とが一堂に集い、TRPGを楽しむコラボレーションイベント」である「Mission Impossible04~発達障害と想像力の世界~」が東京大学本郷キャンパスで開催されます。『ラビットホール・ドロップスi』にクレジットされている、明神下ゲーム研究会とイイトコサガシが主催するイベントで、Analog Game Studiesメンバーもゲームマスターとして参加します。申し込み方法はリンク先をご参照ください。

SF乱学講座「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える(2009年7月5日) 第1回

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【テーマ連載】「ゲームと文学をリンクする」

SF乱学講座「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える(2009年7月5日) 第1回

岡和田晃 (協力:草場純、田島淳)
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【但し書き】

本稿は2009年7月5日(日)に東京・高井戸で行なわれた市民講座「SF乱学講座」(前身たるSFファン科学勉強会から数えると、半世紀近い歴史を持つ市民講座で、「SFマガジン」に毎号告知が載っています)での講義を録音し、文字に起こして整理したものです。本講義は“ゲームと文学をリンクするという目的”で行われました。原則、細かな点には手を入れてはおりません(なので、以下の自己紹介等の情報は、2009年当時のものとなります)。

テーマ連載「ゲームと文学をリンクする」と題し、複数回に分けて公開していきます。聴講者の方の感想と併せてご参照いただき、ゲームと文学のよりよき関係について考えるよすがとしていただけましたら、幸いです。

【事前の内容紹介文】

SFがテクノロジーと人間との関わり合いに焦点を当てた文学形式であることは論を待ちません。しかし、「情報」として作品内にテクノロジーを組み込むだけではなく――J・G・バラードや筒井康隆らが示してきたように――爛熟したテクノロジーが人間を、ひいては表現そのものをもダイレクトに変容させてしまうところにも、SFの面白さは宿るものと私は考えます。

それゆえ、SFの在り方を考えるには、SF内で描かれる情報の種類だけではなく、SFを規定する表現そのものの在り方についても思考の幅を広げる必要があるのではないでしょうか。

かような問題意識のもとに、参加者の方々と一緒に、SFという表現の可能性について考えてみるつもりです。

具体的には、私が近々上梓する評論「青木淳悟――ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」(『社会は存在しない』所収、南雲堂近刊)と、ロールプレイングゲームについての単著『ガンドッグゼロ リプレイ アゲインスト・ジェノサイド』の両者(編注:ともに2009年に刊行された)がいかなる問題意識のもとに書かれているのかの解説を軸にして、「ナラトロジー」(批評理論としての物語論)と「ルドロジー」(批評理論としてのゲーム論)の両局面から、SFという表現の在り方が今後いかように深化しうるのかを考察しようと思っています。

「いわゆるハードSF的なアプローチの他にも、アクチュアルな表現としてSFに接することは可能だ!」ということを知っていただけましたら幸いです。

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●はじめに

皆様、はじめまして、岡和田晃と申します。今回はお忙しいなか、また日本SF大会と日程が重複しているさなか、わざわざ足をお運びいただきまして、ありがとうございました。

今回は皆様に「「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える」と題した講演をさせていただこうと思います。岡和田の話すことそのものをフィーチャーしたイベントというのはこのSF乱学講座が初めてとなります。拙い部分も多々あるでしょうが、なにとぞ、お手柔らかにお願いいただければと思います。

 

●自己紹介

さて、私はゲーム、特に「ロールプレイングゲーム」(RPG)という分野のライティング仕事を文芸批評と並行して行なっています。RPGのライティングとは、ゲームのシナリオを書いたり、設定を翻訳したり、チェックしたりする、という仕事でして、ほかにもイベントの取材をして結果をレポートしたりと、色々な仕事をしています。後述しますが、ゲームライティングといっても、会話型のロールプレイングゲームの場合、ゲームの運用そのものにもクリエイティヴィティが求められますから、ジャーナリストよりは小説家に近い仕事かもしれません。

一方、文芸評論・SF評論の仕事は主に「speculativejapan」という、ワールドコン・Nippon2007という世界規模のSFイベントを契機として結成されたグループをベースに活動しています。かつて「NW-SF」という雑誌を主催していた山野浩一さんや、山野浩一さんとの論争が日本SF史の基礎となった荒巻義雄さん、そして「NW-SF」で翻訳家としてデビューし、今も精力的に活動を継続している増田まもるさんらが活動しています。

「speculativejapan」には「ニューウェーヴ/スペキュレイティブ・フィクション・サイト」とありますが、わかりやすく言えば「純文学」と「SF」の境界線上にある作品についての批評を掲載していくプロジェクトなのですね。その活動の延長線上で、「SFセミナー2009」というイベントでは「若手SF評論家パネル」というパネルに出演し、合宿では「Speculative Japan (J・G・)バラード追悼『楽園への疾走』読書会」、「仁木稔さんというSF作家の『HISTORIA』シリーズを語る」なるパネルを主催いたしました。

商業ベースの批評では、『社会は存在しない』という共著が南雲堂から刊行されました。なにやら危険な題名ですが(笑)、マーガレット・サッチャー、そう、「鉄の女」こと、イギリスの元首相の有名なセリフ「社会は存在しません。あるのは国家と個人だけです」という有名な文句を下敷きにした本なのですね。つまり、サッチャーが推し進めてきた――現在ではネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれる、社会保障を切り捨て「小さな政府」を推進する経済政策が特徴的なグローバル資本主義が、日本のフィクションにいかなる影響を与えたのか、それを特集的に論じている評論集です。

こちらに私は、「青木淳悟――ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」という400字詰め原稿用紙換算で80枚ほどの論考を寄稿しました。商業媒体において批評の肩身は、年々狭くなってきておりまして、文芸誌を見ても掲載される内容の多くは「広告」であっても「批評」と呼べるものではなくなっています。そうしたなかで、ようやく書きたいことが書けた、という手応えがあります。

また、ほぼ同時期に、私の初めての単著であるところの『アゲインスト・ジェノサイド』という本を出させていただきました。『アゲインスト・ジェノサイド』は、RPGの「リプレイ」という分野に属する本です。なかでも、ジャック・ヒギンズやジョン・ル=カレらの仕事、つまり「冒険小説」を意識した長篇小説のような内容になっています。新書サイズですが、その実、内容はぎっしり、かなりのボリュームがあるんです。

『社会は存在しない』に収録された批評と、RPGリプレイ『アゲインスト・ジェノサイド』。これら二篇は、一見まったく異なる作品ではありますが、実は共通した問題意識に基づいて書かれています。そのことを中心に、お話を進めさせていただきます。

 

●在野で批評をするということ

私の仕事のうち、フリーライターとしての仕事は、わかりやすいものだと思いますが、批評の仕事については、もう少し、説明が必要かもしれません。
身も蓋もない言い方になりますが、そもそも批評とは、ある意味において図々しいものです。日本における近代批評を拓いた重要な立役者に小林秀雄という人がいますが、小林の時代から、自分がそれと直観したことが――たとえそれが通説に反していたとしても――社会において普遍的な価値を持つ、意見として提出するに足ると信じ、言葉を磨いていくことが根本的な出発点となっています。その問題意識がいかなるものであるのかをなるべく噛み砕いて説明していくことで、何らかの思考のヒントを提示できたらと考えています。

なお、私は批評の仕事をしているといっても、学会にも所属していなければ、大学院で指導教官を得ているわけでもありません。在野の批評の徒として、ここに来ているつもりです。私が大学にいたころは、アカデミズムに安住せず、在野で批評をすること、それ自体が、状況に対しての批評的な態度となる、そのような選択が許された時代でした。

在野であることのメリットは、まったく組織にいることの恩恵を受けられないということです(会場笑)。つまりはフリーランス・ライターですね。この立場にこだわりはないつもりですが、フリーランスでいることの長所は、学閥のような面倒くさい「しがらみ」に対して、できるだけ批評的な位置を崩さないでいられることでしょうか。反対に、自分の発言の保証を自分で取るしかないとも言えるわけで、自分の発言の前提を常に疑わなければなりません。つまり自分が、自分の指導教官なのです。必然的に言葉は重くなります。今回の講義は、そうした疑義の繰り返した結果の産物だとご了解ください。在野であることを自己目的化しているわけではないので(笑)、将来的には、どこかに所属することもあるかもしれませんが、出発点が在野にあるので、この精神は保持していきたいと考えています。

 

●「SF」は「近代」の産物

さて、今回は「SF乱学講座」ということもあり、これらの前提を「SF」に引きつけてお話をさせていただきます。「SF」がテクノロジーと人間性の関係を主軸とした文芸ジャンルであるということは、多言を要さないでしょう。

むろん、広義の「SF」、ひいては「幻想文学」という括りでは、私たちが思い浮かべるような「SF」の成立以前にも、優れた作品は多々存在します。例えば、旧約聖書。あるいは、『オデュッセイア』。モーゼの十戒で海が割れたりだとか、一つ目の巨人キュクロプスに出くわすだとかいった内容は、現実離れした荒唐無稽な内容ともいえ、その荒唐無稽さは「SF」として解釈できるようにも思えます。

ですが、ここでは「SF」を「近代」の産物として理解することにしましょう。それは、「SF」を「SF」と認識する姿勢が、産業革命と出版産業の拡充を経て、生まれた考え方であるからです。「実は何々がSFだった」という遊びは、私も好きでよくやりますが(笑)、話をわかりやすくするためにこうした文学史的な経緯を重視します。

さて、「近代」とは何なのかを具体的に措定するのは難しい行為ですし、そもそも実証主義的な歴史学では「近代」という概念が具体的な形として成立するかどうかすら、怪しい面があるのもまた事実でしょう。しかし、ルネッサンスにおける人間観のドラスティックな変化を経て、官僚と常備軍を備えた「国民国家」や、国民のアイデンティティを規定する「近代文学」が成立は、「近代」の重要なキーとなります。

いわゆる「近代文学」の登場人物は皆、際だった個性を有しています。ロシアの作家・ツルゲーネフは、「近代文学」の類型を、シェイクスピアの戯曲に登場する「“ハムレット”型」と、セルバンテスの小説の主人公である「“ドン・キホーテ”型」に分けています。ハムレットにせよ、ドン・キホーテにせよ、それぞれ病的なまでに極端な人物造形ですね。でも、彼らは「近代人」の典型、すなわち「国民国家」のパーツの一部分として受け入れられる。つまり、著名な批評の言葉を借りれば「ハムレットは我らの同時代人」、というわけなのです。それは、「近代文学」へ本質的に根ざした特性と言い換えることもできます。

「近代文学」を定義づける条件のひとつに「内面」の「発見」があると言われますが、一方で「近代文学」と「SF」の違いとは、「社会」における「個人」の内面だけではなく、「社会」の変動と「個人」の関わりについて、より主題的に考察したところにある。そう、私は考えています。

 

●社会システムへの思考実験としての「SF」

主題的とはどのようなものでしょうか。ダルコ・スーヴィンというSF評論家がいるのですが、彼は『SFの変容』という著作で、16世紀のトマス・モア『ユートピア』を、SFの端緒のひとつと見ているわけです。『ユートピア』には、当時のイギリスで行われていた「囲い込み」運動(エンクロージャー)、地主が羊毛の取り引き量を増やすために牧場を拡大し、そこに住んでいた民を追い出す運動ですが、それを批判する下りが出てきます。

モアが描くユートピアには「囲い込み」のような、非人道的なことをする者はいない。ひとつの島に批評的なイメージを集約しつつ、それを国家と対比するわけです。宇宙船も光線銃も『ユートピア』には出てきませんが、社会をめぐる環境の変動という意味で、『ユートピア』は「SF」の祖型であると言えるでしょう。

事実、現在も「SFマガジン」で樺山三英という優れた作家が、『ユートピア』やオーウェルの『1984年』や、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』など、ユートピアを主題に連作を書き続けています(注:2012年、『ゴースト・オブ・ユートピア』と題して早川書房より刊行)。樺山さんがSFという枠組みのなかで「ユートピアSF」を書いている、その問題意識には、スーヴィンと相通ずるところがあると思います。『ユートピア』が体現している、現実とは別の社会システムを思考実験として導出すること。それが「SF」というジャンルの枠組みを決定づけているのではないかと私は考えています。

作家・批評家のブライアン・オールディスによれば、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』から始まるとされるSF史の流れも、こうした、「近代文学」の一面としての「SF」の流れと密接に関わってきます。「SF」が文学ジャンルとして大成したのは、産業革命と出版産業の興隆、特に一般大衆への出版文化の浸透という経緯を経た後、すなわち、アメリカのパルプ・フィクションの勃興を経ているのですが、優れた「SF」は『ユートピア』が体現していたような、文明批評、社会批評的な側面を強く保持しているのではないかと思います。

架空のモデルを設計することで、テクノロジーや社会システムの工学化を問題にすること。事実、『ユートピア』で槍玉に挙げられた「囲い込み」も、明らかに近代社会における工業化の産物ですが、それと人間性の変化を主題とした思考実験。ここに、SFの特性は根ざしているのではないでしょうか。

 

●テクノロジーとフェティシズム

ただ、20世紀の「SF」には独自の特徴があります。ひとことで言えば、今までに類を見ない、テクノロジーの高度化による社会のドラスティックな変化です。例えばアポロ11号が月面に着陸したのは1969年、今からちょうど40年前のことで、それまで人間が月の上を歩くことはできませんでした。

「SF」の黄金時代は、1940年から50年頃だという意見があります。アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリ、フィリップ・K・ディックら、「SF」というジャンルを大成させた巨匠たちが、本格的に活躍を始めたのはこの頃のことです。彼らは自分たちが小説で考察したヴィジョンというものが現実として具体化する様子を、目の当たりにしてきました。ただ、「SF」というジャンルが成熟していく過程で、工学的なヴィジョンだけではなく、テクノロジーと社会の変化の内部で人間性がどう変容するのか、という問題も真摯に問われはじめました。

「SF」内で、そうした問題について考察した最初の作家は、先日亡くなったJ・G・バラードです。バラードの作品は「SF」の枠を内側から食い破るようなもので、時代の病理を赤裸々に暴き、私たちの世界認識を更新させてくれます。現代社会を理解するにあたって、バラードの小説は、必須の教養としても過言ではないでしょう。

20世紀に入り、ロケットの到着によって宇宙が開発され、気象衛星や衛星放送などのテクノロジーが具体化するわけですが、20世紀的な科学技術の発展は、ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾による大量死といったような悲劇をも生んでしまいました。ロケットや原子爆弾といったテクノロジーが、どこか手の届かないところにある遠いものではなくなったときに、現代人の心性としては、日常生活の延長線上にあるものとして、テクノロジーは一種のオブセッション、フェティシズムの対象となるようです。

バラードの小説でテクノロジーへの執着を端的に表しているのが、1964年に書かれた「終着の浜辺」という短編です。B-29で日本を爆撃した元飛行士がエニウェトニク環礁の水爆実験場を訪れ、日本人医師の死体と、哲学的とも言える内的な対話を交わすという作品ですが、内的な対話と言っても、内面描写は、全然ありません。そもそも、会話がほとんどない(笑)。ただ見ているだけ、歩き回っているだけ。もちろん、ストーリーらしいストーリーもありません。ただただ、水爆実験場の荒涼とした、しかしながら蠱惑的な風景を執拗に描き出すバラードの筆は、なまなかなメッセージ以上に、私たちのテクノロジーへの執着を明るみに出してくれます。

「終着の浜辺」では語り手が、テクノロジーの内容(例えば原爆のメカニズムだとか)について詳細に説明するのではなく、原爆と人間の関係についての関係性そのものを、あくまでも「語り」によって表現しています。これは、珍しいことです。私は「SF」について書かれた評論へできるだけ目を通しているつもりですが、なぜか「語り」の性質が問われる機会が少ないように思えてなりません。

黄金期の「SF」が、宇宙旅行のような古典的な「SF」のテーマを主題にしていたとしたら、バラードのような作家は「内宇宙」、すなわち人間の内的世界を主題としました。それが、60年代のSFを特徴づける要素と言ってかまわないでしょう。きわめて大雑把なまとめになりますが、続く70年代には「フェミニズム」が重要なテーマとなり、80年代にはコンピュータ・ネットワークを中心にした「サイバーパンク」がブームとなる。以後は「ナノテクノロジー」や「シンギュラリティ」が着目されるといったように、主題となるテクノロジーそのものに目を向けられる機会は比較的多いような気がしますが、一方で、テクノロジーや主題、作品に籠められた思想や、肝心の「SF」という物語ジャンルの「語り」については、批評的に問い直される機会が存外少なく、それが「SF」をかえって畸形化させているようにも思えます。

 

●ナラティヴの定義は難しい

それもそのはず。「語り」について考えることは、なかなか困難な仕事なのです。そこで私が補助線として用いるのが、「ナラトロジー」という考え方です。ナラトロジーとは、英語のnarrativeについての学問ということで、いわゆる「お話」についての理論です。思い切って大胆にパラフレーズしながら、その本質を考えたいと思います。

大学や教育機関において、物語論や言語哲学について学んだ人は、エクリチュールやパロール、シニフィアンやシニフィエといった術語を耳にしたことがあるかもしれません。これらの術語を駆使して内実に踏み込むことも可能ですが、今回はそのような方向の議論はせず、あえて「ナラトロジー」を、“開かれた”理論として考えてみます。「ナラトロジー」は自由な理論で、誤解を承知で言えば、みんながみんな、好き勝手なことを言っていると思っていい、というのは放言が過ぎるでしょうか(笑)。

どういうことかと申しますと、「物語る」行為は、神話的とも呼べるほどの、人間の本能の一つだと私は考えておりまして、客観的に定義付けても、そこから逸脱するところがあるのではと考えているのです。つまり理屈としては筋が通っているように見えても、どこかそれをはみ出す余剰がある。上手、下手は問わず、「物語る」ことはできるのだとしたら、「物語る」ことは本質的に開かれた、普遍的な営為でなければいけないのです。

 

●昔話や物語の原像が示すもの

「近代」に入って、文学やあるいは人間の形が問い直された際に、物語の原型として、昔話であるとか、伝承の収集が盛んに行われました。誰でも物語ることは可能であるならば、その紀源を探れば、近代に穢されていない、理想的な人間の原型像のようなものが手に入るのではないか。そのような思惑が、どこかにあったのかもしれません。

ドイツで言えばグリム兄弟が、「赤ずきんちゃん」など、ドイツの民話を集めました。フィンランドでは神話的な民族叙事詩の『カレワラ』が、エリアス・リョンロートによって集められました。アイルランドでは、『オシアン』のマックファーソンや、詩人のイェイツが、ケルトの民話を聞き書きで集めました(『ケルトの薄明』)。日本では、柳田国男の『遠野物語』などが、特に有名ですね。

さて、ロシアのウラジミール・プロップという批評家がいまして、その人はこうした民話を読んで、あることに気がついてしまった。こうした物語は、みんな同じような構造をしている、と。ストーリーはいくつかのパターンに分けられる。日本の「浦島太郎」と、ドイツの民話を起原とする「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、登場人物こそ違うが、同じ構造だ。こうして、有名な、物語のパターンをカードにして分類するという作業が生まれたと言います。ただ、いささか誤解されているのですが、プロップはその先にこう付け加えています。「確かに同じ話だ、なのに面白い」と(会場笑)。

なぜ面白いのでしょう。それは、各々のお話に、物語を収集してきた土地独自の、土地柄だとか、匂いだとか、そういうものが現われるからです。むしろ、語りは、そうした実体化しづらいものを表現させなければならないのではないか。

なので「SF」に引きつけますと……。「ナラティヴ」の仕組みに着目すれば、テクノロジーの種類だけでは見えなかった、テクノロジーと人間性についての新たな着眼点が得られるのではないでしょうか。このような問いが、立てられます。つまり、学問的に正確な「ナラトロジー」、つまり「ナラトロジー」の定義とは何かをこねくり返すのも大事ですが、また一方で、特定の作品を語る際に、作品を構成する「語り」の仕組み、ひいては作品の表現そのものを、より現場的な視点で考えるのも重要です。

繰り返しましょう。「ナラトロジー」とは何かを一面的に定義することは困難です。
今まで、長々と「SF」とは「文学」とは、ということを語ってきたのも、結局は「ナラトロジー」の「語り得ないもの」について輪郭を描く、苦肉の策というわけです。

『ギルガメッシュ叙事詩』から考えれば、人間が記録に残る形で物語を記録し始めてから、およそ5000年は経過しています。そのなかには、幾多もの歴史があります。この歴史を無視して、ナラティヴは成立しえない。「ナラティヴ」を考えることは、個人のナラティヴの背景に根ざした、無数の先人たちの「ナラティヴ」に耳を傾けることでもあるのです。

(続く)

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※11月6日に、岡和田晃による、初の批評の単著が発売されます。
11月4日(月・祝)の第17回文学フリマでも、特別価格で先行販売されます(オ-25「幻視社」)。

この講演の問題意識を引き継いだ内容となっていますので、お読みいただければ幸いです。

岡和田晃『「世界内戦」とわずかな希望 伊藤計劃・SF・現代文学』(アトリエサード/書苑新社)

※同じく11月4日に開催される「ゲームマーケット2013秋」で、RPG『ラビットホール・ドロップスi』が頒布されます。Analog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

ゲームマーケットブース情報 11月4日(月・祝)332番 エテルシアWS

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増川宏一語る「研究の切り口」―その〔1〕(全3部)

Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ、略称AGS)は、2010年10月の結成以来、ウェブマガジン・各種イベントの運営、ゲームや関連分野における研究・実践・出版活動などを行なって参りましたが、このたび独自ドメインを取得、新たな発信基地として本サイトを設定、心機一転してさらなる飛躍を目指すことになりました。旧サイト(http://analoggamestudies.seesaa.net/)から、随時コンテンツを移行しながらの情報発信となりますが、今後ともAGSへのご理解・ご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。リニューアル第1弾として、遊戯史研究の大家である増川宏一さまの寄稿をお愉しみ下さい。(Analog Game Studies代表・岡和田晃)

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増川宏一語る「研究の切り口」―その〔1〕(全3部)

(本文:増川宏一、解説・レビュー:蔵原大、協力:草場純、仲知喜)

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■【解 説】
  蔵原 大

増川宏一といえば、ゲーム研究にとって「大先輩」にあたる、遊戯史研究の分野でご活躍されてきた高名な研究者です。将棋や賭博(ギャンブル)の盛衰に関する増川先生の史学研究について、ご存知の方も多いでしょう。

■ 遊戯史学会:http://www.gameshistory.net/

先日、幸運にも増川先生とご縁ができましたので、当AGSの草場純顧問を介して、遊戯史や歴史研究における「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」をお聞きしました。遊戯史(あるいは歴史学やゲーム研究)はどんなポイントから研究してゆく学問なのか、ということをお訊ねしたわけです。

以下の【本文】は、増川先生のご承認を得て、先生よりいただいたお手紙を転載したものです。長くなりますので、今回は三分割したうちの「その〔1〕」を公開しました。
●「その〔2〕」
●「その〔3〕」も公開です。
※記事中の「国立国会図書館所蔵」資料は、他文献・サイトなどへの転載をご遠慮ください※

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■【本 文―その〔1〕】
  増川宏一

前略

「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」というお訊ねについて、私は以下のように考えています。

いわゆる「切り口」は人によって異りますので、十人十色と云ってもよいでしょう。私の場合を具体的に示しますと、『賭博の日本史』(平凡社選書・一九八九)の時には、「第三章 教養としての賭博――中世の賭博」、「第四章 社交としての賭博――近世の賭博(一)」、という章建てにしました。「切り口」と云えるかもしれません。

第三章は、かなりな量の公家の日記(活字本として出版されています)を読んだところ、聞香、闘茶、連歌、詩歌や和歌の合せもの等が遊びとして非常に多く記されていました。天皇や皇族も含む公家達は、ほぼ同じ様な環境で育ち、教育をうけていますので、嗅覚を競う遊び、味覚を比べる遊び、文学的知識や才能を競う遊びが成り立っていました。つまり私は、「どの公家にも共通している行為」を一つの考察の対象にして、いわば「切り口」として「教養」という観点から採り上げてみたのです。

第四章は、主として「黄表紙本」(或いは単純に「黄表紙」)と刑法の判例集を述べた『御仕置類例集』を参考にしました。判例集もかなりな量で、他の犯罪に分類されているなかにも「遊び」があります。

〈黄表紙本『美男狸金箔』(十返舎一九 作・画、国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532473〉

共通しているのは、町人が交際する場合に遊んでいることです。社交を「切り口」にしました。三章四章の「切り口」は、無論、担当の編集者と懇談の際に話をして、大いに賛成してもらったものです。

他の場合も、絵双六の歴史を調べている時に、双六の製作過程から絵双六を観た場合、双六を奢侈禁止という視点から見た場合、など、一つのテーマであっても様々な角度から見ることができます。そのなかの或る角度が「切り口」になるのでしょう。
人によって異なるのは、前述の公家の日記を読んだ歴史家のなかには「悪党の世紀」という観点から考えた人もあり、公家の荘園からの収益と低下、という観点から考えた人もあります。近年では「公家の病気」という観点から考察した人もいます。すなわち、その人の関心やテーマによって異なります。

jpegOutput源氏双六1

〈タイトル (title):〔源氏双六〕、収載資料名 (publicationName):〔双六〕(国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304980〉(引用者注:あるいは「源氏絵合わせかるた」「呼び出しかるた」か)

同じゲームを採りあげるにしても、様々な視点から考えられます。ゲームを実践やルールから考察された方には優れた人達が沢山いらっしゃることは私もよく承知しております。

明治以来、遊びは学術研究の対象になりませんでした。そのため研究の蓄積も充分ではありません。皆様がゲームという大きなテーマに果敢に取り組んでいられることに私は敬意を表します。よくぞ頑張っていられると尊敬もし、感嘆し、激励したいと常に思っています。

 

〈滑稽本『東海道中膝栗毛』(十返舎一九 作・画、国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2558997〉

(その〔2〕に続きます)

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■【レビュー:増川宏一『日本遊戯史―古代から現代までの遊びと社会』
  蔵原 大

なお読者の中には増川先生の業績に不案内な方もおられるかもと思い、ここに先生のご著書のレビューを付け加えました。理解の一助にしてくだされば、幸いです。

http://www.amazon.co.jp/dp/4582468144

もちろん遊びは楽しいものですし、そうであって全く問題ありません。けれど同時に、遊びの明るい側面とは対照的な「影の部分」が存在するのも また事実です。遊びの「影の部分」を紐解くことは、今のゲームに関わる方々にとって決して無益ではないでしょう。なにしろ江戸時代の武士や町人が「将棋」「富くじ」「さいころ賭博」に熱中した姿と、現代の私たちが競馬、パチンコ、携帯ゲームにハマってしまう姿とは、けっこう似通っているように思えるからです。

そうした遊びの日本史、つまり本文で挙げられていた『賭博の日本史』のいわばダイジェスト版が、2012年に出た『日本遊戯史』です。ここでその見どころ、あるいは遊びの「影の部分」の一部をご紹介しましょう。

内容は、古代から現代まで、日本の人々がつくりあげ親しんできた遊びの姿とその盛衰を描いたものです。といって囲碁・将棋のようなポピュラー物にとどまりません。相撲などのスポーツ、和歌・俳句・百人一首といった文学的遊びもさりながら、本書独自の「切り口」は「ギャンブル」。先にあげたゲームが賭け事と深く結びついていた事実、それぞれの時代の人々がゲームを使ったバクチに熱中してきた姿について詳しく検証されています。ゲームの普及や普遍性、将来どんなゲームが生き残るのか、といった問いへの好材料となるでしょう。

なお『日本遊戯史』の構成はつぎの通りです。

○ はじめに
○ 第一章 遊びの伝来と定着
○ 第二章 中世の遊び
○ 第三章 華麗な遊びの世界
○ 第四章 遊びの近代と現代
○ 終章 遊戯史研究
○ おわりに
○ あとがき

今の遊びの場では、ゲームの「課金」問題、ちょっと前の「コンプガチャ」騒動のように、お金に関するシリアスな課題が浮上中です。野球や相撲などのスポーツ賭博についても、再三報道されてきました。ですが、そもそも遊びと「課金」またはギャンブル性とは、元から表裏一体なのです。『日本遊戯史』では、将棋や相撲以外にも「双六」(すごろく)や「かるた」(カードゲーム)の古い姿を通じて、ギャンブルの起源が取り上げられています。ゲームとギャンブルとの結びつきは、テクノロジーの違いこそあれ、今も昔も共通すると言えそうです。

さらに付け足すと『日本遊戯史』では、時の権力が発するギャンブル(遊び)禁止令に逆らって庶民が、そして武士や貴族、なんと皇族でさえ平然と、もちろん金品を賭けて遊んできた赤裸々な姿にも目配りが行き届いていました(一例として天皇家の遊びについては本書pp.127-128,135-138)。かつ書中で紹介されるエピソード、たとえば「第三章 華麗な遊びの世界」の中には、これまた現代のゲーム(とくに同人系)を連想させる点が多々あります。

たとえば「すごろく」は、江戸時代いくども「奢侈」「風俗よろしからず」等の理由で取り締まりの対象となりました。けれどその都度バリエーションを変えて生き残る、この生命力はまさにサブカルチャーのお手本です(本書pp.168-178で詳解)。やがてその力は、明治以後には文明開化の、そしてついには軍国主義のプロパガンダさえ担ってしまいます。極論すれば「人生ゲーム」や「リアル脱出ゲーム」( http://realdgame.jp/ )だって、今なお生きる「すごろく」の一種ではないでしょうか。

〈「江戸名所双六」(国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310733〉

こうして見ていくと、中国のことわざの「上に政策あれば、下に対策あり」という言い分は、日本ゲームの領域でもまた時代を越える普遍的事実なのかもしれません。遊びに関わってきた人々の底力、その広がり・奥深さを単にながめるだけでも、面白く元気づけられるように感じます。きっとそれは、遊びという行為を人が追い求める、その根源にある人間性につながっているのでしょう。

最後になりますが『日本遊戯史』のユニークな点の一つは、「終章 遊戯史研究」とありますように、遊びの「研究の蓄積」つまり遊びに関する史学研究の流れが、著者ご自身の実体験を踏まえて語られていることです。遊びの研究が権力によって大きな影響を被ってきた事情、学術の「影の部分」と社会とのむずかしい関係について指摘されています。

結論としては、今のゲームの研究・ビジネスにおいて独自の「切り口」を模索されている方々への非常な刺激剤となりえるのが、本書『日本遊戯史』です。「本来の人間が持っている積極性、活動性を表わすものとしての遊びの真実を伝えたい」(本書p.4)とするその内容が、皆さんのご参考になれば幸いです。

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さまざまな遊びは消長を繰り返しながら遊び継がれていく。総体にせよ個々の遊びにせよ、遊びがどのような方向に向かうのか、遊びの近い将来を決定するのは人間である。人が遊びを創り伝えている。これが遊びの歴史であろう。

―増川宏一『日本遊戯史』p.295―

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■【ムリヤリ関連書籍】

● 柴田ヨクサル『ハチワンダイバー』(漫画)
http://www.amazon.co.jp/dp/4088771850
● つのだじろう『5五の龍』(漫画)
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4120017907?vs=1

● R・カトナー、S・K・オルソン『ゲームと犯罪と子どもたち―ハーバード大学医学部の大規模調査より』
( http://www.amazon.co.jp/dp/4844327089 )
ゲームと犯罪と子どもたち

・ゲームはいわゆる「ゲーム脳」をつくりだすのか? ゲームは子どもに悪影響を及ぼし犯罪を助長するのか? ハーバード大の研究チームが、児童を対象とする社会調査の成果を切り口に、ゲームやニュー・メディアをめぐる噂や政治的言説の真偽を検証した研究書です。

● 牧原憲夫『全集 日本の歴史 第13巻 文明国を目指して』
( http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784096221136 )

・幕末から明治へ、幕藩体制から天皇制へと変わる日本で、庶民の暮らしはいったい何がどう変わったのか? 福沢諭吉の「人の上に人をつくらず」ってホントはどんな意味? 「開国」「文明開化」がもたらした自由競争という名の差別・侵略を切り口に、近代化による格差社会の形成を明らかにした研究書です。
今日のTPP問題につながる通商・物流の影響を多く取り上げ、コラム「博打と博徒」(p.290)では増川先生の研究にも触れています。

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【活動報告】Analog Game Studies第10回読書会報告&各種活動報告

岡和田晃

2013年1月某日、Analog Game Studiesの第10回読書会が開催されました。今回の課題図書は、ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)で、15章「不確かさのシステムとしてのゲーム」から21章「ルールを破るということ」までの議論が行なわれました。今回の読書会で『ルールズ・オブ・プレイ』上巻の精読が終了し、時間をかけて、ゲームを理論的に捉えるための基礎を確認することができました。
ルールズ・オブ・プレイ(上) ゲームデザインの基礎 [単行本] / ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン (著); 山本 貴光 (翻訳); ソフトバンククリエイティブ (刊)
また、今回の会合では、AGSが創設から2周年を迎えたことを機会とし、これまでの活動成果をふまえながら、新たな活動コンセプトをいかに組み立てていくべきか、抜本的な話し合いが行なわれました。
これまでAGSは、「アナログゲームを中心とした産学連携」を合い言葉に、ゲームとそれ以外の社会的要素を繋ぐべく、現場のクリエイターや研究家・学術者・ファンたちが情報発信と実践をしていくプロジェクト」として自らを位置づけ、読者の皆さま、執筆協力者の皆さまに、多大なご支援をいただき、おかげさまで、いくつもの成果を出すことができました。本当にありがとうございます。
10回目の読書会である本会では、そうした成果をふまえて、AGSが新たなステージへ踏み出すために、活動初期のコンセプトを、より具体的に、より身近に、より実践的に編成し直そうと、熱心に話し合いが行なわれました。結果、下記2点を活動の柱とし、より実践的な展開をしていくことになりました。

・ゲームと社会、そしてメディアの関わりについて、そのルールシステムの内と外から、さまざまな学術や芸術の方法論を通じてアプローチできるという事実・言説を育てていく。

・ゲームを“その場で生きたもの”として捉え、情報発信と実践を通してコミュニティの枠を広げながら、ゲームと人生を豊かにする。

併せて、本ウェブログのトップのキャッチも変更させていただきます。
改めまして、今後も皆さまのご理解・ご支援をよろしくお願い申し上げます。

・アナログゲーム専門店Role&Roll Station秋葉原店にて、2012年3月17日にポストヒューマンRPG『エクリプス・フェイズ』の体験会が開催されます。まだ参加者を募集しておりますので、ぜひお越しください。AGSメンバーが協力させていただいているイベントです。

・東京創元社のウェブマガジン「Webミステリーズ!」2013年3月5日更新号に、「第33回日本SF大賞受賞記念インタビュー――宮内悠介『盤上の夜』を語り尽くす!」と題し、第33回日本SF大賞受賞作家・宮内悠介氏を囲んだ長篇鼎談が掲載されましたが、こちらにAnalog Game Studies顧問の草場純氏と、代表・岡和田晃が参加させていただきました。『盤上の夜』はアナログゲームを題材とした小説で、Analog Game Studies読者の方でしたら、間違いなくお楽しみいただける内容です。鼎談では、ゲームの理論的側面について、かなり、突っ込んだ議論も行なわれています。無料で閲覧できますので、ぜひともご覧ください。
盤上の夜 (創元日本SF叢書) [単行本] / 宮内 悠介 (著); 東京創元社 (刊)

・2012年2月3日には、市民講座「SF乱学講座」にて、齋藤路恵氏が「日本における同性愛“者”の発見/発明」と題した講演を行ない、好評を得ました。また、AGSメンバーは、翌3月3日に開催された講座、「第二次大戦中・おらが村に落とされた一発の大型爆弾」(講師:『植民地時代の古本屋たち』の著者・沖田信悦氏)の開催協力をさせていただきました。パンプキン爆弾(模擬原爆)や、植民地の古書肆についてなど、貴重なお話を多々うかがうことができました。ご来場いただいた皆さまに感謝します。
植民地時代の古本屋たち 樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国-空白の庶民史|沖田信悦|寿郎社|送料無料

海外式LARP入門ワークショップ in キャッスル・ティンタジェル体験記

岡和田晃 (協力:齋藤路恵、髭熊五郎、高橋志行)

2013年1月24日に開催された「中世ファンタジーライブRPGコンベンション カーミニアLARP」の入門ワークショップに参加してまいりました。その模様を手短に報告させていただきます。
カーミニアLARPとは、東京・目白にある中世ヨーロッパ文化発信カルチャースクール「キャッスル・ティンタジェル」で行なわれているライブアクション・ロールプレイング(LARP)です。

主催団体のキャッスル・ティンタジェルでは、ドイツ西洋剣術を中心に――服飾文化やカリグラフィーなどを含めた――さまざまな講座が提供され、楽しみながら、中世ヨーロッパの文化に親しめるような配慮がなされています。また、代表のジェイ・ノイズ氏は、デジタルゲーム『ファイナル・ファンタジーⅩⅡ』や映画『ベルセルク』の西洋剣術スタントアドバイザーをつとめた実績もあるほどで、本場の中世剣術を現代に伝えるエキスパートだと言えるでしょう。このキャッスル・ティンタジェルがどういう団体かを詳しく知るには、以下の紹介動画が手っ取り早いので、ご存知ない方は、いちどご覧になってみてはいかがでしょうか。

動画を見ると、とても面白そうですが、あまりに本格的なため、「ちょっと敷居が高いかな……」と少々不安をおぼえもしたというのが、偽らざる所感でありました。しかし、実際に足を運んでみると、アットホームで、さながら「町の剣道場」のように話しやすい雰囲気が作られており、事前の不安がまったくの杞憂であったとよくわかりました。外国人の参加者も少なくないため、ちょっとした異文化交流のような趣きがあったということも付け加えておきます。

この「キャッスル・ティンタジェル」では、通常の各種講座のほか、中世風ファンタジー世界「カーミニア」を舞台にしたLARPが定期的に開催されています。中世剣術の講座が、あくまで武道の一環として中世の技術を学ぶものだとするならば、LARPは想像の翼を広げて、「体験すること・楽しむこと」により重きを置いた試みなのではないかというのが、筆者の第一印象です。

そもそも“ティンタジェル城”といえば、アーサー王伝説ゆかりの地。史実と想像の世界のあわいに漂うような、幻想味あふれる場所です。ここから名前をとっているキャッスル・ティンタジェルは、現実の中世文化のみならず、想像の世界の中世文化をも提供するのか、まったく野心的だなあと感嘆いたしました。

LARPの舞台であるカーミニア世界は、本格的な地図(http://www.castletintagel.com/larp/Karminya/k-geo.html)や年表(http://www.castletintagel.com/larp/Karminya/k-history.html)が完備され、気品を残しながらも、どこかしら懐かしさすら感じさせるハイ・ファンタジー世界です。とりわけ『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のような会話型ロールプレイングゲームや『イルスの竪琴』といったハイ・ファンタジー文学がお好きな方にとっては、まさしく垂涎ものの世界観なのではないかと思います。
ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズ・ハンドブック第4版 (ダンジョンズ&ドラゴンズ基本ルールブック) [大型本] / ロブ ハインソー, アンディ コリンズ, ジェームズ ワイアット (著); 桂 令夫, 岡田 伸, 北島 靖巳, 楯野 恒雪, 塚田 与志也, 柳田 真坂樹 (翻訳); ホビージャパン (刊)星を帯びし者 (イルスの竪琴1) (創元推理文庫) [文庫] / パトリシア・A・マキリップ (著); 脇 明子 (翻訳); 東京創元社 (刊)
キャッスル・ティンタジェルのLARPでは、何よりもまず、このカーミニア世界という中世ヨーロッパに魔法とモンスターを加えたような世界を、一人の人間(あるいはエルフ、オーク、etc……)として生きることを楽しむ、その過程に重きが置かれている印象がありました。

もちろん日本でも昔からLARPは「ライブRPG」という名前で開催されてきましたが、会場の都合や安全確保の問題など、さまざまな事情から、遊ばれるのは大幅に簡略化されたものであることがほとんどです。もちろん、日本式の「ライブRPG」にも、開催側にとっても参加側にとっても負担が少ないという長所があります。それゆえ、日本式「ライブRPG」の可能性も、さまざまに吟味されていくべきしょう。ですが一方で、キャッスル・ティンタジェルが開催しているような海外式LARPは、あえて日本式の「ライブRPG」と差別化をはかることで、どういう楽しみ方ができるのか、その特徴をより強く打ち出しているように思えます。

衣装を着替えるのは当たり前。
中世ファンタジーの世界のLARPならば、種族によってそれぞれの特徴を衣装の上に乗せます。
(例…ドワーフなら立派な髭、エルフなら長い付け耳、オークなら肌を緑色に塗ります)
実際にラテックス(柔らかいゴム)の剣で戦います。
鎧を着なければ防護点(いわゆる「防御力」)は得られません。
魔法はきちんと呪文を言葉として発します。
盗賊としてカギ開けをするなら、カギ開けの道具は必須です。

上記は、カーミニアLARPのホームページで言及されている海外式LARPならではの特徴ですが、ワークショップでは、このなかから、いくつかポイントをピックアップすることで、参加者が実際に身体を動かしながら(あるいは、ゲームマスター(チューター)が身体を動かして実践するのを目にしながら)、ひとつひとつ、LARPをプレイするとはどういうことであるのかを、感じ取ってもらうことが目的であるように見受けられました。例えば“アーケイン”(Arcane、“秘術”ほどの意)という領域の呪文を使うには、声に出して呪文(スペル)を唱えるだけではなく、必要な動作を行ない、構成要素となる物質を(現実世界で、実際に)準備しておかなければなりません。その過程を、ゲームマスターがいちいち実践して説明をしてくれるのがワークショップのよいところです。

Castle Tintagel

とりわけ筆者が面白いと思ったのは、ワークショップの後半、参加者でエチュードのようなものを行なったことです。これは3人1組で、それぞれ中世風ファンタジー世界の登場人物に成り代わったつもりで、1分間、自由に行動してみるというものでした。
使用するのは「中世風ファンタジー世界」という大枠のみ。「カーミニア」という固有名すら用いません。成り代わる人物については、“職業”と“特徴”の2点をランダムにカードを引いて決定し、細部は想像力を働かせて自由に肉付けします。もちろん、自分がどんな“職業”と“特徴”を有しているのかは、演技を通して表現しなければなりません。

用意されていた“職業”は、「騎士」「貴族」「魔法使い」「市の衛兵」「道化師」「商人」「僧侶」など。一方の“特徴”は、「意気消沈した」「悪意がある」「恋愛中である」など。それぞれ、個性的でバラエティ豊かなものが用意されていました。また、カードには日本語と英語が併記されていたため、日本人プレイヤーと、外国人プレイヤーが、スムーズに交流することもできました。

“職業”と“特徴”が決まると、参加者が見守るなか、ゲームマスターから、ファンタジーRPG風の状況説明が、日本語と英語で、それぞれ読み上げられます。この状況設定が、なんとも個性的でした。
一部を説明しますと……。

「君たちは、牢屋に閉じ込められている。裁判に引きずり出される役を、相手に押し付けなければならない!」
「君たちはダンジョンの奥で、目に見えない魔法使いと対峙した。その魔法使いは、呪文を唱えてくる!」
「君たちの一人が、悪魔に取り憑かれてしまった。悪魔を倒したいが、その悪魔はめっぽう強い!」
「君たちは、酒場で次のクエストの情報を交換している。隙を見て、誰か一人を暗殺せよ!」

なんとも、ドラマ性豊かなシチュエーションばかり。なお、ミッションで登場する“悪魔”や“暗殺者”といった真の顔については、“職業”や“特徴”とは別に、ランダムに(じゃんけんで)決定されました。

筆者は“特徴”として「意気消沈した」、“職業”は「僧侶」のカードを引きました。ここまではまだいいとして……。

「あなたがたの一人はグール(食屍鬼)だ。残りの二人は、足を麻痺させられている。しかしグールはまだ空腹ではない」

これが、筆者のグループに与えられたというミッションだったのです(!)。

じゃんけんをした結果、こともあろうに筆者が「グール」ということになってしまいました。

誰が何の“職業”と“特徴”を演じていたのかは、1分間の演技が終わった後に種明かしをするわけですが、オーバーアクションでかつての仲間を追いかけまわし、立ち止まってハムレットばりの懊悩を独白する謎のグールが、もとは敬虔な僧侶であったことがわかると、会場は大ウケ。こういう美味しいハプニング(?)こそが、ランダムに役割を決める醍醐味なのかもしれません。

全員が終わったら、特に演技が上手だった人を投票で決め、再演を行ないます。それも盛り上がり、そのあとで、自分がどこに気をつけて演技を行なったのか、どうすればより巧くできると思ったのか、などという話を順番に発表していきました。他人の演技を細かく講評するのではなく、自分が気をつけたポイントをお互い言い合っていくというのが、ゲームならではのインタラクティヴィティ(双方向性)なのかな、なんて感想が、頭をよぎった次第です。

そのあと、ゲームマスターから締めの一言。
「あなたがたが今回体験した(即興演技の)ワークショップは、実はLARPのなかで、もっとも難しいものでした。通常のLARPは、あらかじめキャラクター作成を行ない、種族や装備を決め、もっと具体的に肉付けされる情報が増えるので、より演じやすいはずです」

なるほど、逆転の発想でしょうか。もともと、キャッスル・ティンタジェルのホームページで無料公開されているLARPのルールブック「PATORIA SOLIS(パトリア・ソーリス)」(http://www.castletintagel.com/larp/rb.html)は、A4版で66ページもの分量がある本格的なもので、LARPをプレイするのに必要な枠組みが細かに記されています。「PATORIA SOLIS」のルールは会話型RPGのルールとよく似ていますが、たとえ熟練のゲーマーでも、いきなり全部を読んでルールを記憶するのは困難だろうと心配になるほどの密度があります。そして、もちろん、LARPの参加者は会話型RPGの経験者とは限りません。

この問題点を埋めるため、ワークショップでは五感を使い、身体を動かしてみることで、ルールシステムの基本を、アタマとカラダの相互作用で理解できるようにしているのではないかと感じました。
初めて会う人の前で中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の登場人物の演技をするのは、初対面同士のカラオケにも似た気恥ずかしさがあります。しかし、キャッスル・ティンタジェルという空間の魔力のたまものか、実際にやってみると思ったほど恥ずかしくはありません。かえって、童心に戻ったような解放感をおぼえました。

筆者は会話型ロールプレイングゲームについてのライティングを生業としていますが、ゲーム上で精密に表現される戦闘シーンや、各種アクションについて、単にルールシステムを通じて追いかけるだけではなく、身体を実際に動かしながらシミュレートしてみるという経験は、なんとも新鮮なものでした。また、筆者はゲームや創作全般に関心をお持ちの人向けに、中世ヨーロッパの社会史についての入門コラムも書いており、その関係で日頃から各種資料にどっぷりと漬かっていますが、そもそもキャッスル・ティンタジェルで行なわれている各種西洋剣術については――昨年、『中世ヨーロッパの武術』という凄まじい労作が出ましたが――このような例外はあれど、日本語で読める資料がもっとも少ない分野の一つです。
中世ヨーロッパの武術 [単行本(ソフトカバー)] / 長田 龍太 (著); 新紀元社 (刊)
昨年、取材した際に、剣術の修練で使われている資料を見せてもらいましたが、いずれも日本でアクセスするのは困難、たとえ入手はできても読み解けないだろうと思われる本格的なものばかりで、それを日本で触れることができるのは、実に貴重な機会であると感じました。

最新のテクノロジーと連動したAlternative Reality Game(ARG)が普及を見せてきたとはいえ、まだまだ日本ではLARPが一般的なものとはいえません。とりわけ、キャッスル・ティンタジェルで行なわれているような海外式LARPは、のびのびとプレイできる環境が整い、熟練のゲームマスターによるノウハウの蓄積がなければ実現不可能です。昔、何冊かLARPの英語版ルールブックを購入しては挫折し、LARPに憧れをおぼえてきた身にとっては、とても贅沢な時間を過ごすことができました。
今後もキャッスル・ティンタジェルでは、カーミニア世界を舞台にしたLARPのワークショップやイベントが定期的に開催され、飛び入りで参加できるものも少なくないようですので、ご興味のある方は、いちど体験してみることをお薦めいたします。あなたのゲーム観が、がらっと変わってしまうかもしれません。

(*)キャッスル・ティンタジェルの許可を得て写真を掲載させていただいております。また、写真は2012年5月12日のLARP入門ワークショップにて撮られたものです。

雑誌『内外教育』記事「『ごっこ遊び』で養う社会性」を読んで

 小春香子 (協力:岡和田晃、齋藤路恵、高橋志行)

 先日、職場の同僚と共同で購入している教育系の雑誌、『内外教育』(2012.11.6)を読んでいたら、アナログゲームの教育利用に関する実践報告で、大変興味深いものがありましたので紹介します。

・「内外教育」(時事通信社)2012年11月6日号の内容紹介
http://www.jiji.com/service/senmon/educate/backnumber_doc/e121106.html

 この「『ごっこ遊び』で養う社会性」(著:安藤ひかり氏)という記事は、第27回時事通信社「教育奨励賞」の努力賞を受賞した学校・教育機関の取り組みを紹介する記事で、ここでは熊本県荒尾第一幼稚園での教育実践が取り上げられています。
 この幼稚園ではよく一般の幼稚園や保育園で行われている「ステージの上で園児が踊ったり演劇をしたりする」というお遊戯会を見直し、その代わりに「ごっこ遊び」の延長として、まるでライブ・アクション・ロール・プレイング(以下、LARP)のようなプログラムを行っているということです。記事によると、このプログラムは園職員が解決すべき課題のあるシチュエーションを絵本の物語風に提供し、子ども達は自分達で課題解決の方策を考え、役割分担をし、保護者や園職員が扮する悪役と自分の体を動かしてちゃんばらごっこ風に戦ったりなどするプログラムのようです。
 このプログラムを導入し普段の生活の中でも「遊び」を重視していくことにより、園児たちが遊びの中から思考力や社会性を獲得し、自分たちで作ったルールをきちんと守っていく力が生まれてきていると報告にあります。

 LARPは実際の古城などをかりきって中世ヨーロッパ風の衣装に着替え、実際に身体を動かしながら会話型RPGと遜色ないようなシナリオを体験していく、演劇とオリエンテーリングを合わせたものです。日本では住宅事情などから、LARPの本場である欧米よりも大規模なLARP開催が難しいのではないかとされてきました。
 しかし、最近では日本でも「リアル脱出ゲーム」と呼ばれる、体験型エンタテイメントなどが各地で試みられるようになりました。これらは代替現実ゲーム(Alternative Reality Games)と呼ばれています(*)。
 LARPのように演劇的な要素を必ずしも伴うわけではないのですが、中には物語的な体験を強めるために、参加者にロールプレイ的なふるまいを求めるタイプのARGも少なくないようです。また、ゲームの持つ教育効果に着目した企業の新人研修などでLARP的な即興演劇に近い演習が取り入れられているという報告も目にするようになりました。

 この荒尾第一幼稚園の実践を見て、こうしたLARPの原点が幼児・小学校低学年児童に人気の「ごっこ遊び」にあるのだと、そして案外私たちはそのことを忘れてしまっているのではないかと思いました。企業の研修などはもちろん大学後期の学生や社会人が対象ですし、リアル脱出ゲームも大学生や社会人という年齢層をターゲットにしています。LARPとは少し違いますが、同じくごっこ遊びの延長に位置するだろう会話型RPGも、多くが中学生や高校生以上の年齢層をメインユーザーとして想定しているのだろうと感じられます。それ以前の年齢層、つまり小学生くらいの年齢で一度こうした「体を動かして物語を楽しむ」の遊びの経験が途切れてしまっているのではないでしょうか。
 小学校くらいの年齢の児童が外遊びをしなくなった理由として、遊べる公園などが少なくなったこと、塾や習い事、部活動などで仲間が集まりにくくなり、また長く遊ぶ時間が取りにくくなったこと、電源系ゲームなど手軽に1人で出来る遊びが増えたことなどがよく挙げられています。一方で、子どもの体力の低下を気にして体育(スポーツ)の「塾」や家庭教師などが登場し、子どもの外遊びを支援する社会教育系NPOも数多く存在します。ゲーム性は薄いですが、なりきりの一環としては小学校低学年を対象とした職業シミュレーションテーマパーク、キッザニアなども盛況です。また、この記事にあるようにこうしたLARPには他者とのコミュニケーション能力や主体性、想像力を育む効果が期待できますから、小学校から中学校くらいの年齢の子どもたちの遊びの選択肢としてLARPは需要があるだろうと考えられます。大学生や社会人に現在リアル脱出ゲームなどのLARPに人気が出ているのは、年齢が高くなるにつれて情報量が増えて世界が広がって仲間を得やすくなったり、彼らを満足させるような充分な物語性やルールなどのシステム作りが出来上がっているサービスが様々な形で提供されていたりするからではないかと考えます。だとするならば、もっと幼稚園くらいの年齢から小学校、中学校くらいの年齢層を対象にしたLARPが存在しても良いのではないかと思いました。

 ところで私は大学時代、社会教育や開発教育のゼミで「遊び」の教育効果を研究していました。その研究のための調査の中で、小学校低学年から中学年くらいの子どもを対象に大きな公園などで本格的に忍者ごっこをするぞ! という企画をしていたNPOに取材に行ったことがあります。
 一方でこうしたLARPは開催やシナリオ作成の難易度が高いのも特徴の1つだと思います。参加対象者の年齢が上がってくると特にそれははっきりとあらわれてきます。前述の忍者ごっこなどの実践も、小学校高学年の児童の参加者はかなり少なくなっていました。電源系ゲームなど高いゲーム性や物語性を持つ遊びに普段接していると、子ども達の遊びへの要求水準はかなり高くなっています。SCRAPの開催しているリアル脱出ゲームはその要となるパズル部分の高い難易度やクオリティが人気を誇る要素の1つですし、キッザニアはさまざまなジャンルの協賛企業が自社のPRも兼ねてかなり本格的な設備を提供し、参加者の満足度を高めています。そうしたことを考えると、LARPを行おうと思ったときに一番高いハードルとなるのは、LARPの中核となるゲーム性や物語性を作る部分になるのではないでしょうか。子ども達、もしくは彼らの保護者や社会教育関係者があまりLARPを遊んだり運用したりする経験が少ないならば、この部分を満足いくまでに作り上げていくのはとても難しいでしょう。LARPなどに慣れている人が雛型を作ったり運用してみせたりすることではじめて子ども達がLARPを自分たちで楽しんでいく力がつくのではないかと思います。
 このように大人だけではなく子どもを対象にしたLARPを提供していくことが出来れば、彼らが成長したときに現在の大学生や社会人向けのLARPの裾野がもっと広がっているのではないか。そんなことを考えさせられる記事でした。

(*)ARGの定義については『ARG情報局』内のこの記事が詳しい。http://arg.igda.jp/p/arg.html