【草場純先生のゲーム会】

【草場純先生のゲーム会】
草場純・蔵原大

AGS顧問の草場先生が主宰するゲーム会のリストです。
他にも多々ありますが、近々で行われるものだけピックアップしました。
予約不要なので、皆さま飛び入りでどうぞ!

————-
●日時:1月31日(土)19~21時半
●場所:高田馬場ブリッジセンター
(http://www.jcbl.or.jp/home/store_club/takadanobaba/tabid/90/Default.aspx)
●参加費:400円
●ゲーム内容:トランプのブラックレディ
(http://www.gamefarm.jp/modules/gamerule/page.php?game=blacklady.html)
————-
●日時:2月2日(月)19~22時
●場所:新宿にある「ゲームスペース柏木」
(http://www.gamerent.net/accessmap.php?d=20150122)
●参加費:1000円
●ゲーム内容:将棋のコマを使った「ごいた」
(http://www.kanda-zatsugaku.com/070921/0921.html)
————-
●日時:2月4日(水)19~22時
●場所:高田馬場ブリッジセンター
(http://www.jcbl.or.jp/home/store_club/takadanobaba/tabid/90/Default.aspx)
●参加費:400円
●ゲーム内容:チェッカーの亜種「ドラフツ」
(http://www.wmsg-teamjapan.jp/idx_checkers.htm)
————-
●日時:2月6日(金)19~24時
●場所:高田馬場ブリッジセンター
(http://www.jcbl.or.jp/home/store_club/takadanobaba/tabid/90/Default.aspx)
●参加費:400円
●ゲーム内容:トランプの「ブリッジ」
(http://www.jcbl.or.jp/home/introduction/what/tabid/156/Default.aspx)
————-
●日時:2月7日土13~17時
●場所:高田馬場の日本点字図書館
(http://www.nittento.or.jp/map/index.html)
●参加費:0円
●ゲーム内容:百人一首等
————-
●日時:2月7日土19~21時半
●場所:高田馬場ブリッジセンター
(http://www.jcbl.or.jp/home/store_club/takadanobaba/tabid/90/Default.aspx)
●参加費:400円
●ゲーム内容:トランプ
————-

遊戯史学会の新サイト&無料ゲーム会

《遊戯史学会の新サイト&無料ゲーム会》
 [蔵原大・遊戯史学会広報担当理事]

遊戯史学会はこのたびサイトをリニューアルしました。
今後ともよろしくお願いいたします。

■ 遊戯史学会新サイト:http://www.gameshistory.net/

さて11月22日の例会(1330~1620時)では、高田馬場にある東京富士大学キャンパスで開かれます
「五目並べ」とカードゲームの歴史に関する研究発表(&プレイ会)が行われる予定

■ 詳細は東京富士大学サイト(下写真)で公開中:http://www.fuji.ac.jp/app-def/S-102/wp/?p=7153
tokyofujiu

なお今回の例会では、二つの特別イベントが開催予定です。
■ ①.神保町の「奥野かるた店」から特別ブース出張
■ ②.ゲームプレイ用の特別ワークショップ(参加費無料、先着10名)

①は、神保町のゲームショップ「奥野かるた店」から、同店の会長とスタッフが出向されて、最新アナログゲームの即売会が予定されています。

②は、例会(1330~1620時)の後、発表で紹介されたゲームを実プレイする特別ワークショップが開かれる予定です。
参加費無料。先着順で10名。ゲーム他の資材は、すべて学会でご用意します。

お問い合わせについては、下記学会サイトからお願いします。

■ 遊戯史学会:http://www.gameshistory.net/

例会の会場である東京富士大学は、高田馬場駅から徒歩5分のところです。
駅の早稲田改札口から「さかえ」通り(下写真)をぬけてすぐそこ。
どうぞお気軽にお越しください。
sakae

《遊びにひそむ民俗 2》

《遊びにひそむ民俗 2》

●本文:草場純(遊戯史学会・理事)、解説ほか:蔵原大(遊戯史学会・理事)

——————————
《本 文》

「今年の牡丹(ぼたん)」は、前回に挙げた「あぶくたった」よりもっと忘れられた、既に失われたと言ってもそう間違いでない遊びです。ただ失われるのがあまりにも惜しい遊びでもあります。

〔◆ 解説者注:下の『こどものうた140選』(ドレミ楽譜出版社、1992)に「今年のぼたん」が収録: http://www.gakufu.ne.jp/detail/view.php?id=6081 〕

『こどものうた140選』
『こどものうた140選』(1992)

「今年の牡丹(ぼたん)」の全体は、以下の六つに分かれています。

 ●1.コドモ達が輪になって遊ぶ
 ●2.オニが現れて問答をする
 ●3.オニを含めてコドモ達が輪になって遊ぶ
 ●4.オニが「帰る」と言って再び問答になる
 ●5.オニをコドモが囃(はや)す
 ●6.鬼ごっこになる

案外複雑な構造をしているのですが、要するに鬼ごっこであるわけです。しかし民俗と重なるのはその前遊びに当たる部分なのです。

上で書きました「●1」「●3」の輪になって回る部分ですが、「♪今年の牡丹(ぼたん)はよい牡丹(ぼたん)、お耳をからげてスッポンポン、もひとつからげてスッポンポン」で耳をからげるのは、蛇よけ、とも魔よけとも言われます。オニはそれで理由を作って帰るのです。

そもそも鬼ごっこは、民俗学に言う感染呪術の雰囲気があります。オニは、悪霊であり、「穢(ケガレ)」であるわけです。その穢(ケガレ)は、接触によって憑依(ひょうい)感染します。オニに触られたコドモがオニになり、オニは穢(ケガレ)を染(うつ)すことによって、コドモに戻るわけですね。こうした穢(ケガレ)は、観念上のもののはずですが、子ども達の遊びの中でも、民俗のなかでも共同観念として実在化するのです。

〔◆ 解説者注:余談ですが「ケガレ」の意味をくわしく知りたい方には…… ⇒ 宮本要太郎「「ケガレ」の意味に関する比較宗教学的考察」(2008)http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/1334

実は、「今年の牡丹(ぼたん)」の中では明確に表明はされませんが、オニは蛇の精であるのです。穢(ケガレ)は蛇精として形象化されます。その証拠に姿は人間に見えても、影を見たり、後ろから見たら蛇そのものなのです。

だから上記の「●5」で、「♪だれかさんの後ろに蛇がいる」と囃(はや)されることになります。この遊びでは、囃(はや)されるたびに「わたし?」「違うよ。」「ああよかった!」という問答が二度繰り返され、三度目に「わたし?」「そう!」で、「●6」の鬼ごっこが始まります。そこにはクライマックスにむけて緊張を高めていく効果とともに、オニとコドモとの距離を物理的にも心理的にもとっていく工夫があります。

現代のボードゲームにもそうした印象を与えるものがあります。例えば、下の画像の「ミッドナイトパーティーなどは、単なるサイコロ遊びを越えた独特の興奮とスリルをもたらしますが、それはこうした心の深層の民俗学的感覚を呼び覚ますからかも知れませんね。 <終わり>

ゲーム「ミッドナイトパーティー」jplogo2

(◆“ミッドナイトパーティ.” メビウス ゲームズ: http://www.mobius-games.co.jp/Amigo/Mitternachtsparty.htm )

——————————
《解 説》

草場純氏は、双六の前近代史研究などで知られるゲーム研究者です。
本文は、草場氏が以前にNPO法人世界のボードゲームを広める会「ゆうもあ」の機関誌『ゆうもりすと』に掲載した記事の転載です。

なお草場氏はtwitter上で、三宅陽一郎氏(デジタルゲーム学会・理事)と共に「ゲームデザイン討論会」を開催しております。
第一回目の記録: http://t.co/13dMZ4mlST
第五回目の記録: http://togetter.com/li/682287
ゲームデザイン討論会」のハッシュタグ:#game_dsgn。

——————————
【むりやり関連書籍】

TVアニメ「ノラガミ」公式サイト
「ノラガミ」 http://noragami-anime.net/

 

「18 大祓(おおはらえ)」. 神社本庁 | コラム:
http://www.jinjahoncho.or.jp/column/000043.html

 

網野善彦『中世の非人と遊女』
『中世の非人と遊女』
http://www.amazon.co.jp/dp/4061596942/ref=pd_sim_b_2?ie=UTF8&refRID=1CH2WQ0VDXZTX6WQMD3B

——————————

日本デジタルゲーム学会の2014年夏季研究大会にて、蔵原大が共同研究発表に参加します

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日本デジタルゲーム学会の2014年夏季研究大会にて、蔵原大が共同研究発表に参加します

 岡和田晃 (協力:蔵原大、高橋志行)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 今やゲーム産業は2012年度時点で1兆円の市場規模にまで拡大しています。また、医療・教育・文学研究や歴史研究の領域からも注目を集めています(詳しくは、下記の資料をご参照ください)。

・今井麻裕美編(2013)『2013 ゲーム産業白書』メディアクリエイト.
・経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課(2012年12月)「【参考資料】現状分析編(各論)」(http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/contents/downloadfiles/121226-2.pdf)
・福岡市委託事業 九州大学シリアスゲームプロジェクト. (http://macma-lab.heteml.jp/)
・藤本徹(2007)『シリアスゲーム 教育・社会に役立つデジタルゲーム』東京電機大学出版局.

 そんななか、デジタルゲームの研究者や企業人が数多く集う学術団体「日本デジタルゲーム学会」(DiGRA Japanは、2014年8月24日(日曜)、東京工科大学キャンパスにて夏季研究大会を催します。同会の会員でなくても参加可能なイベントとなっています(http://digrajapan.org/?page_id=1297 )。
 そこでこのたび、Analog Game Studiesメンバーの蔵原大氏が、同大会で、クラウゼヴィッツ『戦争論』をゲーム化した手法に関する発表を行う予定となりました(他の発表者との共同発表)。概要は以下の通りです。

●発表名: 保田琳・蔵原大「クラウゼヴィッツ『戦争論』と「科学の時代のゲーム」」
●夏季大会紹介: http://digrajapan.org/?page_id=1297
●プログラム(02頁目を参照のこと):
http://digrajapan.org/summer2014/DiGRAJ_summer2014_schedule.pdf

 蔵原氏は、「今回の発表では、社会科学の理論モデルをゲームとして表現することで、理論を学ぶというより実感する方法の解説に主眼を置いています。いささか極端な言い方が許されるなら、学術における、ある種のPR(Public Relation)を模索していると言えるかもしれません。クラウゼヴィッツ風に述べるなら、学術的理論を啓蒙できる現代のゲームは「他の手段をもってする”学術”の継続」だということをご説明したいと思います」と、その意気込みを語っています。

 なお上記の研究大会では他にも、現役のクリエイターやメディア研究に携わる学術者たちが、興味深いパネル発表を行なう予定となっています。アナログゲームに興味がある方も、それぞれの関心にあわせ、何かしら有用なパネルを見つけることができるはずです。現代のゲームが、いかにクラウゼヴィッツの理論と切り結ぶのか。AGSメンバーの発表にご注目いただけましたら幸いです。

冒険に満ちた散歩

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

冒険に満ちた散歩

齋藤 路恵 (協力:岡和田晃)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

わたしたちはしばしば「もし~だったら」と考える。もし地球の温度が一度上がったら、もしドラえもんの道具が手に入ったら、もし今この人生が夢だったら。
わたしたちはあり得たはずの別の可能性と隣り合う。つまり、想像を通じて異界と隣り合っている。
異界と写真について考えてみる。
写真はかつて異界の扉ではなかったか。カメラは異界への瞬間移動装置だったのでは? いや、きっとカメラは今日においても移動装置なのだ。わたしたちは写真に慣れ、長い間に、あるいは驚くほどの短い間に、そのことを忘れてしまったのだろう。
ここにフォトゲームブックがある。これを通して、わたしたちはかつて異界の創造者であり、今日において、なお異界の創造者であることを思い出してみよう。

こちらはあまのしんたろう氏のフォトゲームブックのサイトだ。

(あまの氏のフォトゲームブック「ウィンベー・バカンス」3頁の写真)

フォトゲームブックのしくみはそれほどむずかしいものではない。選択肢があり、それをたどると、ある写真、ある物語に行きつく。
おそらく少し勉強すれば同じような形式のものを作れるはずだ。

これらのゲームブックに使われている写真は現実に存在する場所だ。だが、写真とともに進行する物語は必ずしも日常生活の延長とは言えない。
日常のようで日常でない物語、読み手はその中を回遊することとなる。

カメラについて少し考えてみよう。最初期のカメラはまさしく魔法だった。複雑で危険な薬品を使いこなす。そして、自らを陰画紙に定着させる。それは絵画と似たものだったが、絵画とはまったく違うやり方で自らの客観視を可能にするものだった。
やがて技術革新が進み、写真は誰にでも撮影可能になった。進歩したカメラはわたしたちに手軽なフレーミング技術を与えてくれた。フレーミングとはここでは、世界を四角く切り取ることを指す。

もともと人間の視覚に境界線はない。上下左右への自由な移動。好きな場所にピントを合わせ、それをまた一瞬で変える。人間が視界をフレーミングするようになるのは、紙やキャンバスといった限りのあるものに、世界を写しかえようとしてからだ。
カメラは無限定な世界を四角く切り取って見せる。世界を四角く切りとること、それ自体は絵画もよくやっていた。だが、絵画の構図は手作業である。作者は時間をかけて絵の構図を完成させる。カメラはボタンを押した瞬間に世界が切り取られる。
カメラのフレーミングはしばしば意図せざる世界を出現させる。その偶発的な世界は、わたしたちの日常でありながら、わたしの意図によらない。それは異界なのだ。それも、限定され、完成した異界。切り取られた世界は完結した一つの世界だ。
写真は無限にズームアップできる世界でもある。ズームの限界がきたら、複写をやり直し、またズームすればいい。むろん、ズームアップすれば精度は下がる。すぐに何が何だかわからなくなる。でも、ズームアップできなくなるわけではない。理論上は永遠にズームアップを繰り返せる。
一方でズームダウンには限りがある。ズームダウンを繰り返すとやがて対象の外側が入ってくる。外側の侵入を防ぐことはできない。ズームダウンの限界は切り取られた世界の区切りであり、完結である。
わたしたちは無限の深さを持つ写真の内部において、また、無限の広がりを感じることができる。写真の中にあるもの、写真に写り込んでいないものの外部を想像する。外部の広大さはフレームによってこそ拡張される。
目で風景を見る場合、それは無限定の世界だ。見えない部分、世界の外側は遠くにある。
フレームの中の空間は制限されていて、世界の外側はすぐ近くにある。ビルの物陰の狂人を恐れるように、わたしは写真の奥の世界を恐れる。フレームの外側、あの闇の内に潜むものはなんだろうと警戒する。
見知った世界とよく似た異界の光景。ぼんやりとした不安の影。テキストはその闇の風景に輪郭を与える。曖昧で見えなかったもの、ぼやけていた輪郭が浮き上がり、世界が屹立する。わたしはその微かな瞬間に立ち会う。
でも、闇から現れでるものは恐怖の怪物とは限らない。暖かい日差しと穏やかな海、地に足をつけて暮らす人のやさしい言葉かもしれない。見えてはいたが、気づいていなかったものが瞬間に立ち上がる。
一方で、テキストはすべてを見えるようにするわけではない。テキストはさらに光の当たらない場所、より濃い闇を生み出す。テキストが行うのは世界の対照(コントラスト)をはっきりさせることだ。
人はテキストで書かれたものに注目する。テキストで書かれなかったものは目に入らなくなる。それまでぼんやりと見えていたものが闇に溶け込む。テキストによってそれは不可視になる。茫漠とした地になり、足元に暗闇を与える。

テキストを読む。予想と違う位置に輪郭線が引かれる。少し驚く。でも、理解できる。過去にそれを知っていたわけでもない。知っていたわけではないのに理解している。
変わった風景ではない写真。どこかにありそうだが、どこをとったのかわからない写真。

もう異界に入る準備はできている。テキストが立ち上がる。ああ、やっぱりここはいつもと違う場所だった。

これはわたしが作っても同じことだ。写真を撮る。影ができる。別の世界が始まる。テキストをつける。世界の闇が濃くなる。闇から声が聞こえてくる。わたしはこの闇からの声を知っている。闇から声がすると知っていた。懐かしい。
さあ、わくわくしよう。強い光と濃い影の中、わたしの冒険に満ちた散歩が始まる。

=====

しゃしんか あまのしんたろう こうしきさいと ヤミーアートミュージアム

http://shintaro-amano.com/

遊びに潜む民俗 1

《遊びに潜む民俗 1》

●本文:草場純(遊戯史学会・理事)、解説ほか:蔵原大
——————————
《本 文》

◆◆♪あぶくたった 煮え立った 煮えたかどうだか 食べてみよ ムシャムシャムシャ◆◆※注

( https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Nfv3cY8VnLY )

野外の童(わらべ)遊びが滅んでいく中、まだ残っているのが、この「あぶくたった」とあとは「花一匁(はないちもんめ)」「初めの一歩」ぐらいでしょうか。ところでこの「あぶく」は何のあぶくなのでしょうか。何が煮え立ったのでしょうか。もう少し遊びを追ってみましょう。

あぶくたった」では、コドモ達は輪になって一人のオニを取り囲みます。オニはしゃがまされ、ムシャムシャムシャのときに つつかれたりします。ですから、煮えるのはオニなのですが、果たして鬼が煮えるものなのでしょうか。そうでないなら、オニ とは一体何でしょうか?

この後、二度同じことを繰り返し、三度目に「もう煮えた」と言われ、オニは別の場所に移されます。そこはコドモ達によって「戸棚」とされます。

◆◆♪トダナに仕舞って、鍵かけて、ご飯を食べて、お布団敷いて、電気を消して、もう寝ましょう◆◆※注

コドモたちが寝てしまうと、オニが「トントントン」と言います。コドモ達が「何の音?」と聞くと「風の音」などとオニが答え、コドモ達は「ああよかった。」と応じます。そして三回目(とは限らないが)にオニが「お化けの音」と答えて、コドモ達は逃げ、ここから鬼ごっこが始まり、掴(つか)まった子が次の鬼になるわけです。

煮られ、食べられ、戸棚に仕舞われ、お化けになるモノって何でしょう。実はこれは「小豆(あずき)の精」なのです

古代の社会には、イモ文化圏、マメ文化圏、イネ文化圏、ムギ文化圏、コーリャン文化圏などがあり、それらは重層しつつ基本的には産業革命まで続いたとされます。「あぶくたった」は、そうした日本文化の古層にまで辿れる遊びだと思われます。

いや逆に、産業革命以後の近代文化に覆われたイネ文化の、そのまた下に隠されたイモ・マメ文化だからこそ、遊びの中にようやく命脈を保ってきたとも考えられます。

それは丁度ヨーロッパで、万聖夜(ハローウィン)の夜にジャック・オ・ランタンを先頭に飛び出してきて翌日の万聖節には上層のキリスト教に覆われて再び地下へ消えていく、キリスト教以前の精霊たちのようです。

すなわち子ども達は、遊びの中に文化の古層を学ぶのだとも考えられるのです。<終わり>

※解説者注:皆さんご存知のように、いわゆる民謡とは、役所や企業から押し付けられた既製品ではなく、各地の人々が個別に工夫した風習・口伝です。民謡には時代・地域ごとに多彩なバリエーションがあります。ですから皆さんがお聞き及びの「あぶくたった」と本文のそれとが若干異なることはご了承ください。

——————————
《解 説》

草場純氏は、双六の前近代史研究などで知られるゲーム研究者です。
本文は、草場氏が以前にNPO法人世界のボードゲームを広める会「ゆうもあ」の機関誌『ゆうもりすと』に掲載した記事の転載です。

なお草場氏はtwitter上で、三宅陽一郎氏(デジタルゲーム学会・理事)と共に「ゲームデザイン討論会」を開催しております。
第一回目の記録 http://t.co/13dMZ4mlST
第五回目の記録 http://togetter.com/li/682287

——————————
【むりやり関連書籍】

●草場純ほか『ゲーム探検隊』
51pNXY6Vh3L._SY450_
http://www.amazon.co.jp/dp/4903746011

●柳田 國男『明治大正史 世相篇 新装版』
http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1590820

●二宮宏之『深層のヨーロッパ』 (民族の世界史シリーズ)
http://www.amazon.co.jp/dp/4634440903

——————————

『戦えば死がくる』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『戦えば死がくる』

本文:伏見健二 解説:仲知喜 協力:岡和田晃、伊藤大地、蔵原大、高橋志行、田島淳

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 今回お届けするのは、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』の再録です。著者である伏見健二さんの許可をいただき、初出である『RPGマガジンNo.5(1990年9月号)』から24年の時を経て再掲させていただくことが可能になりました。
 今年は西暦2014年です。平成元年生まれの人が『戦えば死がくる』が掲載された時は2歳だったことになります。当時20歳の人が今年46歳。嗚呼、隔世の感とはこのことですね。というわけで、今回の再掲と合わせて、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』を読者の皆さんにより楽しんでもらえますよう、本稿の後に解説を付け加えさせていただきました。なお、初出時の本稿には別枠に『ストームブリンガー』の戦闘ルールシステムの解説が添えられていました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

戦えば死がくる
FIGHT AND LET DIE
――“ストームブリンガー”における戦いと死をめぐる考察――

伏見健二 (文字起こし:伊藤大地)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1 戦えば死がくる

 “ストームブリンガー”と言えば、M・ムアコックの『エルリック・サーガ』をベースとした独特の背景世界や魔術について語られることが多いのですが、その戦闘システムも大きな魅力の一つです。しかしそれはあまりにも激しく、あまりにも壮絶で、卸し難いものです。
 まるで黒の剣・ストームブリンガーそのもののように、あなたの剣はしばしば自己の意識を持ったかのごとく敵の血をすすり、叩き潰してきたのではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”において、「敵」の存在はコンピュータRPGのように克服すべき障害物として記号化することを許されません。今回はちょっとだけシリアスに、“ストームブリンガー”における戦いと死について、さまざまな観点から考えてみることにします。シナリオづくりやマスタリング/プレイ術の参考になればいいな、と思います。
 敵の存在は重く、返り血は熱い……。
 たまにはそんなRPGをしてみましょうか。
 ビギナーの人たちにはちょっと読みづらいかもしれませんが、サラリと一読してみてください。

2 戦いとはなにか

GM:さあ、君の前には長身の男が立ちはだかっている。前髪を右目に垂らし、その足元には老いた大きな狼がまとわりついている。
ロート:あーっ、でたな、こいつ!「ラシウェル、なんの用だ、そこをどけ!」
GM:ラシウェルはわずかに笑みを見せたようだ。
「ロート、去れとは言わぬ。だが、ここは通せぬ。決着の時が来たようだ」と言っている。
ロート:……うぅっ、ついにこいつと正面からやるはめになるのか。

 まずは戦闘を行う理由について、いくつかのパターンを類別してみましょう。哲学や心理学、宗教など、いろいろな要素と見地からの分類が考えられますが、ここでは簡易に表面的にだけとらえてみます。まあ、一緒に考えてみましょう。

1)自己防衛のための戦闘
 多くの戦闘はこの形を取ります。ごく単純に言えば、「モンスターが襲ってきた」という状況などですね。自分の生命への危機、苦痛の忌避などを理由とする戦闘行為です。
心理的側面も考慮に入れれば、すべての攻撃は自己防衛によるものだと言えるでしょう。

2)他者防衛のための戦闘
 他者が何者かに攻撃されようとしている場合に、代わりに戦いを買って出るというもので、職業としての護衛はその代表的なものです。

3)障害排除としての戦闘
 ある場所を通過したいのだが、そこには敵対する存在がいて排除しなければならない。という場合があります。これは最終的な目的を達成するために必要な副次的戦闘と言えます。たとえば、財宝が眠る洞窟に入るには入口のモンスターをまず倒さなければならない……という場合がこれに当たるでしょう。

4)目的達成のための戦闘
 暗殺がこのパターンの典型です。相手の存在自体が自分の目的の障害となる場合に、この種の攻撃が行われます。
 シナリオでキーとなる戦いはたいていこのタイプのものですが、ほかの手段による解決が存在しないかどうか熟慮したいものです。

5)衝動による戦闘
 安っぽいサスペンスのようですが、衝動的な感情によって戦闘にが起こる場合もあります。精神的なストレスの代償行為として攻撃衝動にかられるという経験は、みなさんにもあるのではないでしょうか。このパターンの攻撃は、必ずしも勝利を得ることを目的としていません。

6)自己証明のための戦闘
 ことに男性において、自己の優位を証明するのは戦いに勝利することであるという、限りなく衝動に近い理論が存在します。そうした心理を象徴的に強調して表現するヒロイック・ファンタジーにおいては、特に重要な動機になっています。

7)肉体的欲求による攻撃
 動物が食欲にかられて攻撃をする、というような種類の攻撃行動です。
 ただし、動物はたとえ空腹でも、盲目的にわれを忘れて攻撃をするわけではないということに注意してください。ほとんどすべての場合、食物獲得のための戦いは冷静で注意深い行為であり、動物が食欲のために見慣れない生物(たとえば鉄をまとった人間)を襲うことはありません。動物がそのような攻撃をするのは、テリトリー維持のためのみです。

3 剣を抜く前に

ロート:「ラシウェル、俺はお前を友とも思っている。一度はともに戦った仲ではないか!」
GM:「猿め、友とはおこがましい」と身を震わせながら言うと、彼は剣をすらりと抜き放つよ!
ロート:ううむ、勝てたとしてもただでは済みそうにないよなぁ。やはり彼女の件でそんなに怒っているのかな?
GM:他にも思い当たるのかい?(笑)「お前を彼女のところへはいかせぬ!」
ロート:「リナスの幸福を真に望むなら、そこをどけ!」って怒鳴るぞ。心理的動揺を誘うって奴。

 さて、ひどくラフな分類でしたが、戦いというワードに含まれるさまざまな要素が見えてきたと思います。
 まず第一に、戦闘が目的であるのかあるいは手段なのか、それを意識しなければなりません。それは、回避できる戦いであるか、避けられない戦いであるかの区別でもあります。
 ことに“ストームブリンガー”というRPGにおいては、勝利の見通しがつきにくいということもあって、この見極めが重要なのです。「気晴らしに戦闘がしたいなあ」などと言っていると、ごくつまらない一撃で命を落とすことになるでしょう。
 ですから、必然的に“ストームブリンガー”においては、戦闘のスリリングな魅力のみに頼ったシナリオを行うことは難しいと言えましょう。コンピュータRPGのような、遭遇→交戦パターンのスタイルそのままのシナリオには不向きな戦闘システムなのです。
 “ストームブリンガー”において、戦いのリスクはあまりにも甚大です。ゲームマスター(以下GM)はその点をよく考えて、シナリオのストーリーと何ら関係のない、重要性の低い戦闘でプレイヤーキャラクター(以下PC)を殺してしまうことがないように気をつけてください。たとえプレイヤーの判断の甘さや不注意が原因だとしても、PCがプレイヤーに不満の残るつまらない死を迎えるのはよいことではありません。そのようなプレイでは、ゲームのおもしろさを十分に引き出すことはできないからです。
 そうした事態を避けるとりあえずの解決法としては、戦闘の回数を減らすことが第一でしょう。またプレイヤー側にも、無用な戦いは避ける姿勢が必要です。
 しかし、無用な戦いと避けられない戦いは一体どうやって区別されるのでしょうか。それにはGMとプレイヤーが「物語の呼吸」に対する敏感な感覚を共有することが必要です。「優れたプレイヤー術とは、GMの望んでいることを鋭敏に察知してGMの演出するストーリーにしっくり溶け込む主人公を演じることである」といった極論もありますが、そうした側面は否定できません。
 ぼくは「負ける戦いはしない」などという主張に代表される、PCはロジカルなコンバット・マシンになるべきだというような考え方には賛成できません。プレイヤーに必要なのは、キャラクターの感情状態を把握し、それを楽しむという姿勢でしょう。PCが激しい怒りを感じるような局面であれば、感情に身を任せて強大な敵に挑むのもよいと思います。
 しかし、その瞬間の感動を高めるためにも、譲るべきところは譲り、耐えるべきところは耐えるべきでしょう。それこそが「物語の呼吸」にほかなりません。
 そうですね……『水戸黄門』などの日本娯楽時代劇を例にとってみましょう。物語のクライマックスにいたるまで、主人公はののしられ、軽んじられる役回りを演じます。しかしそれゆえに、悪代官の前に印籠をかざす瞬間の壮快感が高められるのです。
 出会う相手とことごとく戦い、け散らして目的を達成するよりも、そのような心理的やりとりを背景にたったひとつの戦いに臨むことの方が、何倍も楽しいことではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”では、戦いこそが最高のドラマなのです。

4 戦いにおいて

GM:きれいな円弧を描いてブロード・ソードが振り下ろされる!……(コロッ)「さあ受けてみろ!」
ロート:フッ、俺だって成長しているのさ。(コロッ)キィン!ほおら、やすやすとかわした。
GM:「できるな!それでこそ俺のライバルと言えよう。フハハハッ」
ロート:こっちはそんなつもりはないぞお。

さて、戦いの危険そして危険であるがゆえに避けられる戦いは避け、本当に重要な戦闘に集中すべきだということは語りました。ここでは、迷いを断ち切り、実際に戦いに臨むにあたっての注意点を考えてみましょう。
 “ストームブリンガー”の戦闘システムは、戦いの手応えを十分に感じさせる優れたものです。
 降りかかる鋭い刃、そしてそれを受け流す時の手の痺れるような感触、ざらりと滑る鋼と鋼、そして敵の刃がガリッと装甲を削って肉をえぐる……血と共に力が抜けてゆく……体の動きが鈍くなってゆく!……
 しかし、システム自体の完成度が高いゆえに、しばしば戦闘は工夫のない平面的な切りあいに終始しがちです。
 たしかに“ストームブリンガー”の戦闘は大きな興奮を与えてくれますが、豊かな感覚においてなされたロールプレイが、戦闘が始まった途端に確率に一喜一憂する単純なサイコロの振り合いに「モード切り替え」してしまうのはいかにも残念です。
 だからぼくは、「戦闘中もなるべくしゃべりましょう!」と提言したいのです。戦っているPCの身振りを興奮のあまり演じてしまう……などというのは困ってしまいますが、敵を切る時のセリフや効果音はプレイを盛り上げます。
 また、戦闘空間は体育館のようなフラットな平面ではないのですから、現場のシチュエーションを想像する助けとなるような語りも効果的です。
 「足元の砂利が滑って回避に失敗した!」とか「空を切った件がレンガを削って粉が散った」といったちょっとした語りを加えると、戦闘のビジョンは一層輝きを増しますし、単に切り結ぶ以上の戦術を思いつくきっかけともなるのです。
 このような語りには、プレイヤーも積極的に参加してください。些細な行為の描写は、GMに対する越権行為にはなりません。

5 特殊な戦術の扱い

ロート:こんなところでクリティカルでもくらったらしゃれになんないから、〈体術〉でラシウェルの脇をすり抜けるぞ。道はどんな感じ?
GM:乱暴に組まれた石畳が、下り坂になって地下へ続いてるよ。かなり暗くて先はよくわからない。
ロート:「じゃ、悪いがラシウェル、ことが片付いたら相手をしてやろう」……(コロッ)クリティカル・サクセス!一瞬の疾風のようにすり抜けたってところかな?
GM:ひゃあ、よく出たね。でも、「ま、待て!やつを逃がすな!」という叫びが後ろから聞こえて、オオカミの吠え声が追ってくるよ。
ロート:ううっ、そうだったあ……。

 特殊な戦術をプレイに導入するのはなかなか難しいことです。思いつくのもさることながら、ルール上でどのように処理をするべきなのか、それを決定する感覚はなかなか得られるものではありません。ぼくもいまだに臨機応変かつ的確な処理ができずに、プレイ後に後悔させられることがしばしばあります。
 実例を挙げてみましょう。PCと敵キャラクターが1対1で斬りあってるシチュエーションで、もうひとりのPCが敵の顔に熟れたトマトをぶつけると宣言したとします。
 実際には、このような行為を成功させるのはとても難しいことでしょう。絶えず動き回る敵の顔にみごとにトマトが命中することなど、小説か映画でなければまずありえません。
 ……しかし、RPGというものは現実より小説や映画に近いものなのです。プレイヤーの顔を見回すと、皆がその思いつきに目を輝かせています。とても「そんなの100回に1回しか成功することじゃないよ」とは言えません……。
 こういう時、まずどんな判定をプレイヤーが期待しているのかを大事にしなければなりません。プレイヤーが状況に抱いているビジョンとGMのビジョンを調整し、統合する作業が必要となります。その2つが食い違ってしまう場合ほど、つまらなくいらだたしいことはないのです。
 この場合は、手投げ武器と同じような処理が適当でしょう。〈ジャグル〉技能の成功率を2分の1にしてボーナスを足した値で成否を判定します。相手はトマト攻撃に不意を付かれるので、回避はできないものとします。命中箇所については、深く考える必要はないでしょう。攻撃が成功したならば、それは狙いあやまたず顔に命中したでかまいません。なぜなら誰もがその結果を期待しているからであり、RPGは結局楽しんだ方が勝ちだからです。ただし、外れたら味方に当たってしまうなどの演出をするのもGMの大事なつとめです。
 特殊な戦術を用いる場合、結果は印象的に、ただし甘すぎないというバランスを保つことに注意しましょう。この場合は……まず空想してみてください。剣で切り結んでいる最中に、トマトが顔に当たったらどうなるかを。まずびっくりして動きが止まり、攻撃や受けができなくなるでしょう。プレイにおいては1回の攻撃不能と2回の回避不能、その程度がちょうどよいと思います。敵の目を見えなくしたりするのはプレイヤーに対して寛大すぎるでしょう。この程度で、PCは十分に勝機をつかむことができるはずです。
しかし、奇策はあくまで奇策でしかありません。特殊な戦術は戦闘の重要な要素ではありますが、GMはそれをあまり評価しすぎないように自戒すべきです。
 たいまつは剣より強いと信じている人に会ったことがあります。また、油の引火性を過大に評価しすぎている人もたくさんいます。投げつけるために小袋に分けた油や目潰し用の砂袋を持ち歩いているキャラクターは、ぼくは嫌いです。
 RPGにおける戦いは、キャラクターどうしのコミュニケーションの最後の局面であり、「哀しい手段」です。そのように戦いで敵の裏をかいたり、奇策で勝利すること自体に楽しみを見出そうとするのは本末転倒のそしりを免れません。

6 そして死がくる

ロート:「あ、クリティカルヒットだ!」
GM:ううぅ、それはきついぞ。(コロッ)ああ……。剣はラシウェルの守りの刃をくぐって薄い鎧に潜り込んだ。鮮血が散る……。ダメージは振るまでもないな。
ロート:メルニボネ人でも血は赤いんだな……。
「ラシウェル、だいじょうぶか?」
GM:おいおい(笑)。「フッ、こんな……ものだな。……お笑いだ……」
ロート:「目を閉じて少し休め……あとで迎えに来てやる……」ううむ、すっかりセンチメンタルだなあ。
GM:「……あまい、やつめ」とぜいぜい喉を鳴らして言った後、静かになるよ。
ロート:死顔は安らか?
GM:残念ながらそうでもない……。

 結果が勝利でも敗北でも納得できるという状況においてのみ、戦いは行われるべきです。しかし戦闘に臨むからには、全力で勝利を狙う以外の選択はありません。戦いとは、ひとつしかない命を賭ける行為なのです。
 ただ、この時忘れてならないのは勝利の定義です。相手を彼岸に送り出すことだけが勝利だ、という考えはあまりに単純です。場合によっては敵を倒すのではなく、相手の動きを引きつける目的の戦いもあり、その目的が達成されればそれは勝利と言えるでしょう。
 戦闘を始める前に自分が戦いに臨む目的を把握し、また戦いにおいて相手と自分の心理的優位のバランスを読み取ることが重要です。たとえば、剣を抜くしぐさをしただけで退散するゴロツキだっているでしょう。すべての相手と本気で戦う必要はないのです。
 しかし、先にも述べたように命を賭けて戦わなければならない局面は避けようもなく存在します。そしてその戦いにおいてPCに死が訪れることも十分に考えられるのです。
ぼくはプレイヤーが戦いの選択をしたならば、「死ぬ前の心の準備はできたかな」と聞くようにしています。変にRPGに慣れてしまったGMとプレイヤーには「苦労しても結局はPCが勝利する」という無言の了解が存在してしまうことが多々あり、PCが死ぬとひどく腹を立てる(そしてGMを非難する)プレイヤーはたくさんいます。ですから、高いリスクをともなう選択を選ぶのであれば、結果の責任は自分にあるということをプレイヤーは自覚しなければなりません。そのためにも、プレイヤーの頭を冷やし、戦闘の危険を把握させる必要があるのです。
 無論、RPGはGMとプレイヤーの戦いではありませんから、「戦うというなら死んでもかまわないんだな」とばかりに強力な敵で迎え撃つというGMも、何か勘違いしています。
ここで考えるべきなのは、ゲーム世界におけるGMとプレイヤーの立場の違いです、GMは世界の環境そのものなのですから。そこに働いているすべてのファクターを理解しています。しかしプレイヤーには、PCが知覚している(はずの)こと以外はわからないのです。目の前の相手が強力で自分は勝てないと判断すれば、熟練の冒険者であるPCはそれを理解し、戦いを避けるでしょう。戦える相手と判断するからこそ、戦端を切ろうとするのです。
 そしてそうした判断の根拠はGMから得られる情報しかないのですから、この時GMが適切な情報を与えないとすればそれはアンフェアです。敵の強さについて暗示的な情報を与えてもPCが気づかない時は、「今の君たちでは絶対に勝てないから逃げたほうがいいな」ぐらい直接的に言ってよいと思います。それでもなお向かっていくのであれば、それはプレイヤーの自由です。その時はPCが死ぬことに対してプレイヤーは覚悟し、納得もしているのですから、決してつまらない体験ではないでしょう。
 プレイヤー・キャラクターに死が訪れた場合、それは大事に受け止めなければなりません。GMが「ほうら、無理をするから」とか「ダイスの目が悪かったねぇ」などと言いわけじみたことを言うのはもってのほかです(これはつい言いたくなることです。誰しも経験があるのではないかな)。
 パーティーが仲間を失ったならば、皆でそれを弔い、別れの酒杯をあおりましょう(地の王グロームの司祭がいれば嬉々として埋葬してくれるでしょうが)。
 “ストームブリンガー”における死には、そうするだけの重さがあるのです。
 極論ですが、“クトゥルフの呼び声”においてPCの発狂がゲームの重要なフレーバーであるのと同じように(自分のPCがSANチェックに失敗するとなぜか嬉しいのはぼくだけかな)、“ストームブリンガー”においてはPCの死が重要なフレーバーだと言えましょう。
 「冒険の目的はなんだ?」と聞かれて「死に場所を探している」と答えるのっていい感じです。『眠狂四郎』とか、昭和30年代の時代劇のノリですね。そういうプレイスタイルは、『エルリック・サーガ』の世界の魅力を十分に引き出してくれるでしょう。
 「死がくるからこそ、今は生きていると言える。死が生を輝かせる」という言葉があるように、非存在への転落の危険が、紙上のデータに過ぎないPCへの感情移入を高めるのです。いかにしてキャラクターを息づかせるか、その演出技術によってプレイの質は格段に違ってきます。死の重さこそは、そうした演出の最大のチャンスなのです。“ストームブリンガー”で、ぜひそれを試してみてください。

7 ストームブリンガーのRPG論

GM:……で、どうする?
ロート:……やつの死を伝えなくちゃいけない人がいる。
GM:あ、そうだね。
ロート:狼にラシウェルの亡骸を守るように命じて、奥に進むぞ。リナスを止めなくては……。
GM:地の奥の方から、重苦しい巨獣の吠えるような響きが聞こえてくるよ。気をつければ大地の律動も感じる。

 『エルリック・サーガ』がヒロイック・ファンタジーの異端児であったように、その特徴を取り込んだ“ストームブリンガー”もRPGにおける異端児となり得ます。
 死が常に近くにあるからこそ、この世界におけるキャラクターは、納得のいく密度の濃い人生を歩んでゆかなければなりません。馴れあいは禁物です。
 もちろん、死から逃げ続けることは可能です。新王国といえども、平和な時代、平和な地方を探せば見つからないわけではないのです。
 しかし、感情が乾燥して平坦になっている現代社会に生きるぼくたちが、RPGのプレイの中で激しい感情の揺れ動きを体験することは意義あることと感じます。それはある時は激しい憎悪であり、殺意ですらありますが、半面身を挺する愛であり、世界を救う倫理とヒューマニズムでもあるのです。
無論、娯楽であるRPGにおいて過剰にそうした体験を追求しようとするのは考えものです。きっととても疲れてしまいますよ。ぼくだってそうです。でも時々そういった真面目でぎすぎすとした悲劇的な側面を持ったプレイをしてみたくもなるのです。
 ほのぼのとしたプレイも楽しいものですし、非常識やギャグプレイで笑うのもいいです。RPGのプレイスタイルを限定するのはおもしろくありません。さまざまなプレイスタイルが体験できるからこそおもしろいのです。
 今やRPGは円熟期、多くのゲームが出版され、それぞれのおもしろさがあります。われわれは個々のシステムと世界設定の魅力を引き出して楽しくプレイすればよいのであって、「RPGはこうプレイすべきだ」などと概論的な意見が適用する時代は終焉を迎えたと言ってよいでしょう(もちろん、プレイのマナーについては概論的に語られるでしょうが)。
 メインディッシュとして本格的なRPG、たとえば“ルーンクエスト”や“ワースブレイド”のキャンペーンを行いながら、時には“ストームブリンガー”のように個性の強いRPGや手軽に遊べるRPGをプレイする、というのがぼくの考える理想的なRPGホビーライフです。
 最高に美しいボックスアートを持った“ストームブリンガー”ですが、決してコレクション用アイテムで終わらせずに、その華麗にして凶悪な、プレイアブルにしてサスペンスフルな魅力を存分に楽しんでください。

8 おしまいに

 今後の展開ですが、そろそろ待望の追加ルール&シナリオ集“ストームブリンガー・コンパニオン”が出るようです。また、『エルリック・サーガ』第7巻(早川書房)も翻訳進行中とのこと。中身をちょこっと教えてもらったぼくは気が重いのですが、翻訳家の井辻朱美先生を声援しましょう。また、先生のお書きになった歌集『水族』(沖積舎)にはエルリックを題材にした短歌が収録されているようです。ファンは要チェック!
 という感じで、比較的地味だった“ストームブリンガー”はそろそろ飛躍を迎えます(ですよね、Mさん)。熱心なファンのみなさん、辛抱強く待っていてくれてありがとう。では、よいプレイを!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

解 説

 文:仲知喜 協力:蔵原大、高橋志行、田島淳

rpgmagazine1990_Sep_No5 TACTICS1990_Feb_No75 SyuraNoGho Stormbringer2nd_jp

 

伏見健二

 介護福祉士。作家、ゲームデザイナー、おもちゃ企画者。 伏見さんが『戦えば死がくる』を執筆したのは21歳のときです。武蔵野美術大学を卒業後、フリーライターとして活動しておられました。大学生の頃から伏見さんはアナログゲーム雑誌『TACTICS』の読者ページの常連投稿者で、ストームブリンガーのファンジン『ストームブリンガー・シナリオ集』『ストームブリンガーキャンペーン・修羅の業』を発表するなど、熱心なファン活動を行っていました。 『TACTICS』でのデビュー作は『ストームブリンガー』のシナリオ『紫水晶と鮮血』でした。その後、魔法ルールのサポート記事『新王国における書物と魔術』、マイルーン人をテーマにしたシナリオ『金翅の聖獣』などを手掛けています。伏見氏の代表作である『ブルーフォレスト物語』はこの記事と同年の1990年、ツクダホビーから発売されました。
公式プロフィール: http://www.blueforest.jp/~fushimi/guide.htm

マイケル・ムアコック

 マイケル・ムアコックは今年で75歳になるSF作家です。彼は、エルリック・サーガの最初の作品『夢見る都』を21歳の時に書上げました。24歳の若さにしてSF誌『ニュー・ワールズ』の編集長になり、60年代のイギリスで始まったニューウェーブSFという反体制的で急進的なSF運動を先導する役割を担いました。マイケル・ムアコックの代表作には、『この人を見よ』『グローリアーナ』そして「エターナル・チャンピオン・シリーズ」があります。

エターナル・チャンピオン・シリーズ

 「エターナル・チャンピオン・シリーズ」とは『エルリック』『ホークムーン』『コルム』などのヒロイック・ファンタジー小説の総称です。エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちは皆「永遠の戦士(エターナルチャンピオン)」という存在の化身であり、多元宇宙を舞台に転生を繰り返しながら永遠に戦い続けている戦士とされています。
 神話学者のジョセフ・キャンベルが世界中の英雄神話の母型に着目し共通する構造を明らかにすることで、大きな影絵のように1つの英雄像を浮かび上がらせたように、ムアコックは多元宇宙という合わせ鏡の中央に一人の戦士を立たせることで、英雄の前後に途方もない世界の広がりを作り出しました。
 しかし、エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちが、決して鏡に映ったオリジナルの複製ではないところに、このシリーズの妙妙たる魅力があります。彼らは、内面と肉体にハンデを背負っています。『コナン』に代表されるそれまでのヒロイック・ファンタジーの主人公が沢山の模倣作品を生み出したように、コナンはヘラクレスの、あるいはあらゆる神話英雄の、巨大な影の中に滲み込んでいきます。
一方で、永遠の戦士たちはこの影の中にとどまること拒絶しています。その手がかりが、エターナル・チャンピオンのハンデ(傷)ではないかというのがわたしの見立てです。彼らは、このハンデに苦しみ思い悩む。途方もなく広がる宇宙の中で、痛みに身を悶えさせ、悩みに縮こもりながらも、この苦悩こそが実在の証であると百万の虚像に向かって主張する……。
 このような思弁的な内容もさることながら、エターナル・チャンピオン・シリーズはヒロイック・ファンタジーの王道である血沸き肉躍る冒険譚でもあります。そこにムアコックのお家芸ともいえる異国情緒がプラスされ、異世界を堪能できる素晴らしいファンタジー作品となっています。

ストームブリンガー

 黒い魔剣の名を冠したこのゲームは、『エルリック・サーガ』を題材にした会話型ロールプレイングゲームです。 1987年にケイオシアム社から第1版が発売されました。今回の『戦えば死がくる』は、『ストームブリンガー』(ホビージャパン/1988)の第2版日本語版をもとにして書かれています。システム(ルール)は『ルーンクエスト』や『クトゥルフの呼び声』と同じベーシック・ロールプレイングをベースにしています。『ストームブリンガー』は、たいへんシビアな戦闘ルールと、オーバーパワーなデーモンや精霊の召喚ルールが特徴です。『ストームブリンガー』は版上げに際してタイトルがころころ変わってややこしいのですが、途中で『エルリック!』に変わり、また『ストームブリンガー』に戻ったと覚えておけばいいでしょう。現在、エンターブレインから発売されている『MICHAEL MOORCOCK’S ストームブリンガー』はストームブリンガーの最新版(第5版)にあたります。

TACTICS誌、RPGマガジン

 ホビージャパンが刊行していたアナログゲーム専門誌です。1981年創刊-1990年頃に休刊しました。初期はウォー・シミュレーションゲームを専門としていましたが、80年代に入ってからは当時流行した会話型RPGを多く取り上げるようになりました。RPG マガジンは1990年から1999年まで刊行されていました。

5/31 遊戯史学会のご案内

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<5/31 遊戯史学会のご案内>
 草場純(遊戯史学会理事・当AGS顧問) 解説・記事編集:蔵原大

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【解 説】 蔵原大
 ゲームの歴史を研究する遊戯史学会の総会が、5月に東京で開かれる予定です。ご聴講される際の予約は不要ですので、お気軽においでください。下記「本文」を書かれた学会理事の草場純先生は、これまで『ゲーム探検隊』などを執筆される他、最近ではTwitter上で「ゲームデザイン討論会」を催されています(AI研究者の三宅陽一郎先生と連名)
 
 なお遊戯史学会における研究の方向性につきましては、学会会長が書かれた「増川宏一語る「研究の切り口」」をご参照ください( http://analoggamestudies.com/?p=199 )

—————————-
【本 文】 草場純

 2014年5月31日土曜日東京都世田谷区太子堂2-16-7 世田谷産業プラザ大会議室にて遊戯史学会第27回総会が開かれます場所は東急田園都市線三軒茶屋北口下車徒歩2分 のところですので、どうぞおいでください。資料代500円です。(遊戯史学会員は無料) 時間は14時~17時で、その後懇親会も計画されています。

●<参 考> 世田谷産業プラザ:
https://www.setagaya.co.jp/institution/51_setagayasangyou.html

 さて、内容ですが、恒例により今回も講演が二つです。

講演1 「『厩図屏風』の中の盤上遊戯」       田中規之氏
講演2 「長崎奉行所犯科帳にみるカルタ賭博の実態」  江橋崇氏

講演1について
 田中規之(たなか・のりゆき)氏は長く遊戯史学会監事を務められ、特に文献資料の少ない古代のゲームについて、さまざまな資料を紹介されてきました。今回の「厩図屏風」(うまやず・びょうぶ)は、文字通り屏風に厩(うまや)の絵を描いたものです。初期のそれは専ら厩(うまや)につながれた何頭かの馬を描くだけものでしたが、時代が降るに従い、半ば社交場と化してきた厩(うまや)の周りで、将棋や双六を遊ぶ様子がリアルに描かれたものが現れます。特に重要文化財ともなっている16世紀頃の成立とされるものは、ゲームの局面もかなり辿れます。今回はおそらくそこに着目した発表になるのではないかと、期待されます。

●<参 考> 繋馬図屏風(厩図屏風):
C0005738
【重要文化財。16世紀頃の作。画像提供:東京国立博物館 http://www.tnm.jp/
(画像の無償利用の範囲と条件について:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1372

●<参 考> 「厩図屏風」(うまやず・びょうぶ)は切手にもなっています。
0040040009872
http://www.kennedystamp.jp/shopdetail/004004000987/004/X/page3/product/

講演2について
 江橋崇(えばし・たかし)氏は法政大学の憲法学の教授でしたが、昨年度定年退職され、これからは「本業」のカルタ研究に打ち込むと話されていましたので、特に今回の発表は楽しみです。氏は、日本のカルタ研究の第一人者で、「遊戯史研究」誌には、かつて三回にわたって花札の歴史も執筆されていました。遊戯史では資料の不足がいつもネックになりますが、特に当事者が記録を残さない賭博の領域では、決定的に資料が不足しています。というわけで、正確で詳細な記録は、むしろそれを取り調べた司法側に遺されていることが多いのです。今回もそうしたアプローチだと思われますので、一層期待が高まります。

●<参 考> 江橋崇―Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%A9%8B%E5%B4%87

●<参 考> 「ナガジン」発見!長崎の歩き方:「犯科帳が教える江戸期の長崎」:
title1012
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken1012/index.html

—————————-

Traditionelle japanische Spiele für Herr Reiner Kunizia

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Traditionelle japanische Spiele für Herr Reiner Kunizia

 草場純 (協力:クリスチャン・バウムバッハ、岡和田晃)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 2013年3月23日、メビウスゲームズ20周年記念パーティーが催されました。そこでは世界的なゲームデザイナーであるライナー・クニツィアが招待され、東京の文京シビックセンターで講演を行ないました。その話もよかったのですが、翌日、折角日本に来たのだからと、私の提案で日本の伝統ゲームをクニツィア先生にレクチャーしようという運びになりました。
 以下はその時に用いた、クニツィア先生用の資料です。友人のクリスチャン・バウムバッハ氏にドイツ語訳してもらったのを渡しました。そちらも合わせて掲載いたします。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■日本の伝統ゲーム

 こんにちは、ようこそおいでくださいました。心より歓迎いたします。
 せっかく遠路はるばるお越しくださったので、よくあるゲームではなく、昔から伝わる日本独特の伝統ゲームをいくつかご紹介いたします。ただし、これらは現代日本では決して一般的ではなく、むしろ知らない日本人の方が多いと思います。また時間がありませんので、実際にやっていただくのは「ごいた」程度で、あとはお見せするだけになると思います。
 お楽しみいただければ幸いです。

1:ごいた…石川県北部の宇出津(うしつ)地方の漁民に、19世紀中ごろから伝わる遊びです。日本のゲームには珍しいペア戦で、早く手札をなくした方が勝ちです。本来、独特の道具を使って遊びますが、それを私がカード化してみました。

2:投扇興(とうせんきょう)…日本のダーツですが、ダーツとはかなり趣が違います。18世紀後半に京都で考案された遊びで、扇を投げて的に当て、落ちた形で点をつけます。道具が日本的な美しさを持っています。

3:旗源平(はたげんぺい)…19世紀前半に石川県南部の金沢(かなざわ)で考案されたダイスゲームです。単純な遊びですが、道具立てはきれいです。

4:東八拳(とうはちけん)…19世紀中ごろに江戸(昔の東京)で考案された、アクションゲームです。きつね(だんなに勝つ)の動作か、だんな(鉄砲に勝つ)の動作か、鉄砲(きねに勝つ)の動作を、二人同時にします。これをリズミカルに繰り返し、三回連続して勝てば最終的な勝ちです。

5:手本引き(てほんびき)…一人の親(ディーラー)と何人かの子(プレーヤー)が対戦するギャンブルゲームです。親が1~6の数字カードを1枚伏せて出し、それを子が当てるというだけのゲームですが、独特の心理戦になります。

6:盤双六(ばんすごろく)…日本のバックギャモンです。日本には7世紀に伝わり、独特の発達をしました。現在ではバックギャモンにとってかわられた、滅びたゲームです。

7:うんすんかるた…九州の人吉(ひとよし)地方に伝わるカードゲームです。16世紀末にポルトガルから伝わったものが独特の発達をとげたトリックテーキングゲームです。

8:花札…これも7と同じくポルトガルから伝わったカードゲームが、別の発達をとげたもので、日本からさらに韓国、ハワイ、パラオなどに伝わりました。これは現在でも多くのプレーヤーがいます。カシノやスコポーネに似ています。

9:絵取り…18世紀にオランダから伝わったペア戦のトリックテーキングゲームで、現在は島根県の掛合(かけや)だけに伝わります。

10:ゴニンカン…9が、さらに変形したもので、20世紀初めから青森県で盛んにおこなわれています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Traditionelle japanische Spiele

Hallo und willkommen in Japan! Wir freuen uns alle wirklich sehr über
Ihren Besuch.

Als Dank dafür, dass Sie den weiten Weg auf sich genommen haben,
möchte ich Ihnen heute ein paar besondere, weniger bekannte Spiele
vorstellen, die traditionell in Japan gespielt wurden. Heutzutage sind
die Spiele leider etwas in Vergessenheit geraten, sodass selbst die
meisten Japaner sie nicht mehr kennen. Da wir heute nicht viel Zeit
haben, beschränken wir unser Testspiel auf das Spiel „Goita“. Die
anderen Spiele stelle ich Ihnen nur kurz vor.

1. Goita: Bei diesem Spiel aus der Mitte des 19. Jhd., dass von
Fischern aus dem Gebiet Ushitsu im Norden der Provinz Ishikawa stammt,
werden Teampaare gebildet, was für japanische Spiele ungewöhnlich ist.
Es geht darum, seine Hand möglichst schnell auszuspielen. Ursprünglich
wurde es mit speziellen Spielsteinen aus Bambus gespielt, doch ich
habe daraus ein Kartenspiel gemacht.

2. Tōsenkyō (Fächerwurf): Lässt sich ein wenig mit Darts vergleichen,
auch wenn es sich grundsätzlich anders spielt. Dieses Spiel wurde in
der zweiten Hälfte des 18. Jhd. in Kyoto erdacht. Dabei wird ein
Fächer auf ein Ziel geworfen und je nachdem, wie er zu liegen kommt,
werden unterschiedlich viele Punkte vergeben. Die Spielgegenstände
bringen die japanische Ästhetik zur Geltung.

3. Hatagenpei: Ein Würfelspiel, dass in der ersten Hälfte des 19. Jhd
in Kanazawa im Süden der Provinz Ishikawa erfunden wurde. Es ist ein
simples Spiel mit hübschen Utensilien.

4. T ō hachiken: Ein aktionsreiches Spiel, das Mitte des 19. Jhd. in
Edo (Alter Name von Tokio) erfunden wurde. Ähnlich wie bei
Stein-Schere-Papier zeigen zwei Personen gleichzeitig eins von drei
Handzeichen: Fuchs (gewinnt gegen Edelmann), Edelmann (gewinnt gegen
Gewehr) oder Gewehr (gewinnt gegen Fuchs). Rhytmisch (zur
musikalischen Begleitung) werden so lange Zeichen gezeigt, bis einer
der Spieler drei Mal hintereinander gewinnt und somit das Spiel für
sich entscheidet.

5. Tehonbiki: Ein Glücksspiel, bei dem ein „Elternteil“ (Dealer) gegen
mehrere „Kinder“ (Spieler) spielt. Der Dealer legt verdeckt eine Karte
von 1 bis 6 aus, die daraufhin von den Spielern erraten werden muss –
sehr einfach, aber mit einer interessanten psychologischen Komponente.

6. Bansugoroku: Japanisches Backgammon, das im 7. Jhd nach Japan
überliefert wurde und sich danach auf besondere Weise entwickelte.
Leider wurde es mittlerweile von Backgammon vollständig verdrängt.

7. Unsunkaruta: Ein Kartenspiel aus der Gegend Hitoyoshi auf der Insel
Kyushu, das sich aus ursprünglich aus Portugal überlieferten Spielen
entwickelt hat. Dabei müssen Stiche gewonnen werden.

8. Hanafuda: Wie Nr. 7 beruht auch dieses Kartenspiel auf einem
portugiesischem Ursprung. Die in Japan entwickelte Variante breitete
sich wiederum nach Korea, Hawai, Palau und in andere Länder aus.
Hanafuda wird heutzutage sehr beliebt. Es ähnelt Casino und Scopone.

9. Edori: Dieses Kartenspiel wurde im 18. Jhd. aus den Niederlanden
überliefert. Dabei müssen Spielerpaare Stiche erziehlen. Heutzutage
ist es nur noch in Kakeya in der Provinz Shimane lebendig.

10. Goninkan: Hat sich wiederum aus Nr. 9 entwickelt und wird seit
Beginn des 20. Jhd. in der Provinz Aomori gerne gespielt.

(Übersetzung:Christian Baumbach)

「視覚不要! RPG ~この町を救え~」レポート

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「視覚不要! RPG ~この町を救え~」レポート

 草場純 (協力:岡和田晃、齋藤路恵、田島淳)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 2013年の10月5日土曜日13時~16時、高田馬場の日本点字図書館3階会議室にて、おそらく日本初、世界でもあまり例のないと思われる、視覚障碍者対象の会話型RPG(テーブルトークロールプレイングゲーム、TRPG)が行われました。参加予定の視覚障碍者は、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんの5人でしたが、AさんとCさんが仕事の都合で、Eさんが体調不良で不参加になったのが少々残念でした。特にAさんとCさんは、事前のテストプレーに参加してくださり(そういう意味では今回は「日本で2回目」だったとも言えますが)、本日の本番を楽しみにされていただけに残念でした。
 晴眼者(支援者)の参加者は6人、ゲームマスターを務めてくださった齋藤路恵さん、視覚障碍者用のゲームをいろいろ開発されているGさん、奥様が視覚障碍で私とはゲームを通じた30年来の付き合いのある私の二番弟子(笑)のHさん、それから点字図書館の職員の奥様と娘さんの、Iさんと、Jちゃん(9歳)、そして私こと、ここで30年間ゲーム会のお世話をしています、草場です。

 初めにごく簡単に自己紹介をし、それから齋藤さんから、RPGとは何ぞやという説明が、要領よくありました。ここで繰り返すこともないと思いますが、要するに「みんなでお話を創っていくゲーム」ということでした。言い換えれば「即興演劇遊び」で、「みんなはそれぞれ役割を考え、自分でその役割を演じていく」ということでした。
 ここで、Bさんから意見があり、「説明だけではイメージがつかみにくいので、やっているところを録音した資料があるといい」ということでた。なるほど。今後視覚障碍者向けRPGの普及を考えるならば、これは課題ですね。残念ながらこのセッション自体の録音も、手が回りませんでした。

 次に齋藤さんから舞台の提示がありました。
「ここは、1990年代の日本です。」
 しかし、予想外だったのですが、たまたま9歳の女の子がいたので、これはあまりよくなかったかもしれませんね。何せ生まれる15年も前のことは、私もなかなかイメージがつかめません。
 ともあれそうした背景を元に、各自自分の役割づくりをしました。普通はシートなどを使い、イラストを入れたりして仕上げるのですが、ここは全て言葉だけです。
 齋藤さんは、
「例えば、『私は料理の得意な売れない作家の伊藤です。』というように、役割(職業)を明確にして、名前はだれだか分からなくならないように本名をちょっとひねるとわかりやすいです。」
 という意味のことを言いました。これは今回特有の工夫だと思います。本来のRPGだと、思い切り本人から離れた方が良いのでしょうが、今回は耳だけで状況を捉えなければなりません。つかず離れずが大事なのだなあと思いました。
 さて、その結果は以下の様になりました。座り順です。

草場→自称発明家の関場
Bさん→政治評論家の坂東
Hさん→はやらない医者の林
Gさん→数学者の群馬
Iさん→看護師の相澤(途中参加)
Jちゃん→女子高生のじゅん(途中参加)
Dさん→町の小母さん堂本

 そこで齋藤さんから課題が出ます。
「今はみんなバラバラなところに居ますが、一人4発言、つまり4周発言が回って、合計20発言で全員どこかへ集まりましょう。」
(開始時点でIさんとJちゃん親子は居なかったので、5人プレー。)
 すったもんだの末 (妙な噂で株価が上がったり、はやらない林医院に突然患者が溢れたり)に、数学者一人を除いて何とか放送局に集まりました。
 たったこれだけのことですが、進め方や話し方がなんとか了解できました。易しいような難しいような…手でもこんな風に、何の条件もなく、チームがそれとなく作れるというのは面白いですね。
 偶然ですが、9歳の子も最初から参加より、先に見てからの参加はむしろ良かったかも。

 そこで、いよいよ本番の課題です。これは今の物語の後をうまく受けたものです。
 次に齋藤さんから3つの課題が出されます。基本は21発言(3周)でどこかに集まります。
 ミッションは、
1.謎の病気の原因を探る
2.病人を助ける
3.町の悪評を消す
 です。なかなかの難題ですね。
 何せ前の話の最後で、町は謎の病気の蔓延で封鎖されそうという大事になっています。

 初めは、右往左往ですが、やがて看護師と医者の活躍で患者の血(清?)中に微生物のようなものが発見され、女子高生の修学旅行で行ったタイ旅行に原因がありそうという話になり、数学者が祖父から貰ったお茶が病気に効きそうだと話になり、政治評論家の伝手でみんなでタイまで探査旅行に出かけることになったのでした。
 タイでもなかなか手がかりが見つからないのですが、やがてパパイヤマンゴーを食べて起こる風土病らしいということになり、またそれに効くお茶も同地でみつかり、日本に帰ることになりました。このお茶の成分の薬効で、謎の病気は一掃され、却ってそのことでこの町は国中の評判になったのでした。めでたしめでたし。

 こうして無事、町は救われました。要所、要所でダイスを振っての判定も適確で、でたらめのようででたらめでなく、予定調和のようで予定調和でないスリリングな展開になりました。小さい子も混じっての難しいセッションだったと思うのですが、みなんでゆっくり9歳の子の発言を待ちました。また、隣のお母さんの支えもあって、いろいろな活躍ができました。Jちゃんにとっては得難い体験になったことでしょう。看護師だけでなく、噂を集める町の小母さんも、病原菌を見つける一助となる発明家も、結果としてみんな所を得た活躍ができ、無事町に平和が戻ってよかったと思います。

 話し言葉以外に、ほとんど何も使えないような条件でゲームマスターを務めてくださった齋藤さん、ありがとうございました。この日はほぼ全員が初めての体験であったのに加えて、年齢層もまちまちであり、IさんJちゃん親子は少しあとから入られましたし、Hさんは所用で途中で帰られなくてはならなかったりと、いろいろ悪条件であったにもかかわらず、私を含めて全員が楽しい体験をすることができました。この方面の発展の、可能性を感じた3時間でした。
 参加された皆さんにも、厚く感謝をしたいと思います。

(※)個人情報保護の観点から、個人名をそれぞれ仮名処理させていただいております。ご理解いただけましたら幸いです。