Classic-Games

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第7回)


 草場純

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◆第6回はこちらで読めます◆

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 初めに前回、第6回の補足を少し。

 前回、藤八拳の動画がついていたが、あの画像は番付披露会の余興であって本当の勝負ではない。本当の勝負には鉦や三味線はつかないし、もう少しテンポも速い。それにあの画像は余興なので、故意に勝負をつけないように演じている(ある意味それも技量ではある)。それでも知らない方には藤八拳の雰囲気は千言を費やすよりよく伝わるだろう。動画はありがたい。合いの手の、ハッ、ホッ、ハッ……というのも手と同時に発声するのではなく、手の合間に出す(裏打ちと言うのかな?)のも見て取れる。

【再掲載:東八拳(藤八拳 tohachiken)--平成21年 番付披露会】

 なお、現在主流の睦会は東京が中心なのにも因んでいるのか、「藤」の字を「東」に変えて「東八拳」と名乗っていることも付記しておく。

 さて今回はもう一つの江戸の花、投扇興を見てみよう。

 幸いなことに投扇興は、かなり復興してきた伝統ゲームと言えそうである。ここでたびたび引く『日本伝統ゲーム大観』にも、9ページに渡って詳説されている。この復興の過程や現状は、繰り返し述べて恐縮だが、後半の柱「ゲームと社会との関わり」、即ち受容の問題に格好のケーススタデイを提供してくれる。ここではそこに目配りをくれながらも、内実、すなわちルールの問題をまず考察していこう。

 ありがたいことに、投扇興については、その初期からそれなりの文献が残されている。「投壷」という前史についてすら、ある程度の史料がある。

 投扇興に関する最も初期であり重要である文献は、安永二年(1773年)に出版されている。しかしそこに記されているルールは、その後多くの変遷を経ている。また逆に遡れば、洛中洛外図などに見られる「投げ扇」は、立って投げるものであり、室町末期から江戸時代前半にかけても、変遷のあることが知れる。だがそうした議論は多く後半に譲り、ここでは現代に盛行している「其扇流」に即してその構造、すなわちルールの性質を見ていこう。

 其扇流の成立は、これを主唱する東都浅草投扇興保存振興会が活動を始めた1982年頃と見てよいだろう。それから現在に至るまで、いや現在でも完成を目指して発展を続けているルール、と考えてよいと私は思う。

 ここで私的な体験を述べる愚を冒させてもらいたい。その方が「ルール」というものの姿が見えるだろうからである。

 私が投扇興を覚えたくて、浅草寺の裏にある見番(三業会館)を初めて訪れたのは、1983年の冬のことだったと記憶する。産業ではなく、三業である。知っている人は知っているだろうが、この意味がお分かりだろうか。三業とは、芸者・置屋・飲食店の「三」業のことなのである。そして見番とは、その芸者の事務方であり、稽古場なのである。そうした空間そのものが、当時の私にとってカルチャーショックであった。

 私は東京の北区の生まれであり、隅田川の最も上流、岩淵水門で荒川と隅田川が分かれる辺りに幼時を過ごした。そこはいわゆる「下町」よりももっと下方であったが、子ども心にも下町の雰囲気の片鱗は嗅いでいたということになろう。だから見番には不思議な懐かしさを感じ、気持ちが和む思いであった。見番の二階はいわば和風体育館という雰囲気で、畳敷きの大広間と、同じ高さの板敷きの舞台とが、引き幕で区切られる構造であった。天井近くに扁額が掛けられ、壁には大小の三味線が下がっていて、床には緋毛氈が敷か
れ、しきりには屏風が使われ、大学の寮だのマンションだのに住んでいた私には「別世界」であった。そこで和服姿のお姐さんが、優雅に扇を投げているのである。

 さてゲームが始まってみると更に驚いた。まず中央に「枕」と呼ばれる桐箱を置き、その上に「字」と呼ばれる碇を逆さにしたような飾り物を置く。その枕を挟んで1メートル半ほども離れあった座布団に正座して、ゲームが始まるのである。が、その辺りは私も国会図書館で投扇式(上記江戸時代の文献)を読んでいたので、さほどのことはなかったが、枕の脇に座布団を敷いて座した主審「行司」が、閉じた扇を前に置いて口上を述べるのには少なからず驚いた。

「ただ今より、○○殿と××殿の対戦を行います。一堂、礼。」

 それからサイコロを振らせて先手後手を定め、

「両者、礼。始めませい。」

 で交互に扇を五投ずつ投げあい、途中で投席を交換し、更に五投するのである。すると行司が、

「これにて一席満投。」

 記録取り役がそれを受けて、

「○○殿△点、××殿▲点。」

 と記録を読み上げ、再び行司が、

「○○殿とあい勝ち候、一堂、礼。」

 と述べて礼をして終るのである。

【参考:投扇興の試合】

 さて貴方はどう感じただろうか。

 大仰と言えば大仰、面白いと言えば面白い。しかし、これはルールなのだろうか。

 かつて私は「牌の音」に雀鬼会の麻雀を学びに何度か通ったことがある。そのとき雀鬼様のありがたいお話の後、精神統一とかいうことで黙祷のようなことをした。それはまあいいとして、兼ねて聞き及んでいたように一巡目に字牌は切ってはいけないと言う。

 そこで私は「はい、質問です。」と手を挙げ、

「一巡目に字牌を切ってはいけないというのは、ルールなんですか、マナーなんですか?」

 と質問してみた。それに対する雀鬼の答えは、

「限りなくルールと思って欲しい。」

 というものであった。それで私は「ははあ、ルールと断言しないがルールなのだな。」と理解した。

 一般に、事前にプレーヤーの了解が取れていて一貫していれば、どんなルールでも(ローカル)ルールとしての正当性を持つと、私は考える。だから雀鬼流における「一巡目に字牌を切らない」のはルールなのである。ではこれと其扇流とは同じなのだろうか。そうではない、と私は思うのである。

 告白するが、初めて見番で投扇興を体験した私は深く感動した。

 一つには伝統ゲームを体験できた喜びであった。もう一つはそれがルールとして完備しているということに対してであった。主審としての行司、副審としての字扇取り役、記録をとる記録取り役、といった役回りの完備だけでなく、記録用紙の用意や、毛氈、座布団、文机、記録印といった小道具、そうして何よりゲームを成立させている銘定、手順などのルールは、一面非常に合理的であり、うまくできていた。ここまでは、よい競技のルールの必要条件である。だが、私が感銘を受けた真の原因はそこだけではなかったのだ。

 そもそも私は、「投扇興は日本のダーツだ」と思っていた。ダーツはゲームとして完成している。ここへ来て、投扇興もゲームとして完成しているように見えた。だから「投扇興は日本のダーツ」というのは正解だったと言えそうである。だがしかし、投扇興はダーツでは、ない。

 そのことがとてもよく分かるのが「銘定」である。「銘定」というのは、扇が字に当たって落としたときのフォルム(字と扇の位置関係等)で決まる配点である。ゲームやスポーツの原理から行けば、当然難しいフォルム、高度な技が高得点になるべきである。ダーツは概ねそうなっている。ダブルブルや、20のトリプルは的が小さく、確かに難しい。だが投扇興はどうだろうか。

 投扇興でもめったにできないようなフォルムは高得点である。しかしそれは偶然の要素が強く、その割りに極端に点が大きい。私もかつて伝法院で開かれた大会で、技量に差がありすぎて全く敵わない相手に対し、最後の一投で篝火(枕に乗った扇に字の鈴が引っかかってぶら下がるという大技)を出して大逆転したことがあった。

 しかしそのときは、嬉しいというよりあっけに取られてしまった。

 篝火などという技は、とても狙って出せるようなものではないからである。

 銘定のもう一つの問題点は、曖昧さである。ダーツは的に針金がはめてあって、中間の点数には刺さらないようなメカニズムがしつらえてある。即ち曖昧さはなく、割り切れていて合理的である。一方銘定は、どちらともいえない曖昧な状況をメカニズムで防ぐようなことはしていない。むしろ紙と竹と糸と布は、あえて曖昧さを呼び寄せているようですらある。いわば割り切れず、不合理である。

 更に加えて、銘定が全ての可能性を覆っているようには見えなかった。銘定にない事態が出来したら、一体どうするのだろう。

 そのことを質問すると、回答はある意味明快であった。

「それは行司が判定します。」

 では行司の恣意性はどのようにして防ぐのだろうか? 私には疑問であった。

 更によく見てみると、投扇興の配点は非常にアンバランスに見えた。

 始めた初期の頃、主催者にその疑問をぶつけてみたこともある。

 その回答も印象的なものであった。

「投扇興はスポーツやゲームではありません。見立ての遊びです。雅の遊び、雅遊なのです。」

 当時の私はそれを理解できず、「スポーツ投扇」という実力を強く反映するルールを考案してみたりした。だが現在ではそうは考えていない。

 誤解を恐れずに断言してしまうなら、投扇興の魅力は様式美であり、情感なのである。

 近頃大変評判の悪い相撲に、また話は及ぶ。

 相撲は近代の産物としてのスポーツではないと前回述べた。これは否定的に言っているのではない。前回述べたことを繰り返せば、相撲はスポーツ以上の何かなのである。言い換えれば、スポーツは、人類に普遍的にある運動文化のある一形態に過ぎず、それは18世紀、19世紀のイギリスに端を発した、近代文化の一つにすぎない。すなわち、そもそも相撲は近代にあって、近代を超えねばならぬ矛盾を孕んでいるのだ。

 相撲には仕切りという儀式がある。土俵入りがある。弓取り式があったり、あまり知られていないが場所前には、土俵に盛り土をして神事をする。こうしたものの価値を説明するのは難しい。特に私は無神論者だから、神様を引き合いに出すわけにもいかない。だからスポーツにないサムシングがそこにあるとしか言いようがなく、これを様式美と説明すればできるが、妙に薄っぺらになってしまって非常に説明しづらい。だが、そこには確かに合理的な(例えば八百長のない(笑))ゲームの勝敗に帰着できない何ものかがあり、
それはスポーツでは捨てられてしまっている何かである。

 投扇興における「見立て」も同様に説明が難しい。

 例えば、落とした字の上に扇がかぶさり、扇の骨の間から字についた鈴が見えるような状態(フォルム)を「鈴虫」と言う。骨を草、字を虫と見立てているのである。

 扇が字を落として枕の上に乗れば「澪標(みをつくし)」である。

 澪とは中世・近世の水路標識であり、確かに棒の上に扇が乗っている形をしている。さらに「みをつくし」には、「身を尽くして」字の身代わりになるという含意もある。

 先ほどの鈴虫の逆に、扇の骨の上に字が倒れて載れば「朝顔」である。今度は字を朝顔、骨を朝顔の絡まる垣根と見立てるのである。鈴の紐が骨に絡まったりすれば絶品だ(しかし点は変わらない)。

 骨ではなく、扇の紙の上に乗れば夕顔である。ここには朝顔―夕顔という対比がある。逆に紙の下に字が隠されれば夕霧となる。霧で字が見えないのである。すなわち、見えれば顔、紙なら夕、というなぞりがあるわけだ。

 字に当たらず、扇がただ落ちれば「手習い」。なるほど練習なみか。

 字を落としただけで、扇と字が散り散りになれば「花散里」。

 源氏物語の中で、あまり美人に描かれなかった花散里の、なぞりなのだろうか。

 いちいち全てを説明しきれないし、全てが見立てられているわけでもない。そもそも見立ては感覚的であり、恣意的であるからそう思えばそう、そう思わなければそうでない。だがこうしたフォルム(銘定)のそれぞれが源氏物語の五十四帖の題名になぞらえられ、全体で一つの体系を形作ることには感銘を受ける。すなわち見立ての背後には教養が必要なのである。だから行司は実は審判ではない。かと言って恣意でもない。その真の役割は、形を見立て、それに銘を与える宗匠なのである。

 また幼時の思い出に走って恐縮だが、幼稚園に通っていたころ、帰り道に近所のお爺さんが箱庭を作っているのに遭遇し、そこに世界のミニチュアを見て、非常に感心したことがある。全く異質な石だの苔だので、巧に家屋やら草地やらを表現する「見立て」に我を忘れさせられた。これは盆栽などもそうだろう。それはまさしくミクロコスモスであり、それを成立させるのは見立てのセンスであり情感であり、広い意味での教養なのである。

 見立ては、世界の投影であり、心の投影である。投扇興の伝統は、しかし相撲のように江戸時代から続くようなものではなく(尤も相撲の「伝統」も案外近代に創られたものが少なくないが)、確かにここ30年のものであるかも知れない。だが私が見番で感動したのは、そのような様式美がゲームの面白さをむしろ支えるという事実であり、そこにこそ伝統ゲームを現代にプレイする意義があると言えるのである。

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