Classic-Games

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第10回)


草場純

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ウンスンカルタは、日本のマイナーな伝統ゲームの中では最も有名なものの一つかも知れない。「有名なマイナーゲーム」というパラドクシカルな表現は決して文飾ではなく、このゲームの「相」を簡潔に表現していると考える。

現在も九州の人吉にだけ残るこの極めて特徴的なカードゲームは、そのポルトガルからのプロトタイプの伝播、日本での発展と普及、伝承と衰退、復興と現況の、どれをとっても「ゲームの受容」という本稿の後段のメインテーマにとって、重要なケーススタディーである。

ここではやや煩雑になるが、その前提となるこのゲームの内実(ルールと魅力)を述べて伝統ゲームを現在にプレイする意義を訴え、併せて後段に備えたい。

《参考:日本中で人吉市だけに残る遊びウンスンカルタとは?(出展:くまもとサプライズ)》

ウンスンカルタはトリックテイキングゲームである。

トリックテイキングゲームとは、コントラクトブリッジ、ナポレオン、ハーツ(ブラックレディ)、ゴニンカン、スカート、ブロット、ヤス、絵取り、オーヘル、…、のようなゲームである。

具体的には、スート(のような種別)と、ランク(強さ)の定まったカードをプレイヤー全員に同じ枚数ずつ配り、ルールによって定められた一人(リード)から順に1枚ずつカードを出していく。全員が1枚ずつ出したら、その中で最も強い(ランクの高い)カードを出したプレーヤーが、出されたカードを全て取得し(手札には入れない)、次のリードをする。これを手札の枚数回繰り返して、取得したカードの多寡で勝敗を争うゲームである。

ここで、強調して述べなければならないのは、「リードされたスートと同じスートの手札があれば、必ずそれを出さなければならない。」というルールで、このルールを「マストフォロー(ふぉろーの義務)」と言う。この場合、リードされたスートと同じスートの手札がもしなければ、他のスートのカードを出すことになるが、ランクに関わらずこのカードは勝つことができない(出されたカードを取れない=自分にとっては「捨て札」となる)。ただしこれは、ゲームによっては「切り札」という例外スートを決めることがあるのだが。

今までこの連載で触れた「黒冠」や「ごいた」、そして「クク」に、トリックテイキングゲームは よく似ている。

しかし「黒冠」や「ごいた」にはカードの強弱がなく、勝負が1巡ごとに区切られていないので、トリックテイキングとは言わないのが普通である。

また「クク」は、勝負が1巡で区切られカードに強弱もあるが、スートがなく、マストフォローでもないので、これも狭義にはトリックテイキングとは言わない。

このトリックテイキングゲームは、伝統的カードゲームのメインストリームで、そのニッチは、オンブル→ホイスト→オークションブリッジ→コントラクトブリッジと続き、現在でもカードゲームの本流と言ってよいと思う。中には、「トランプは、トリックテイキングゲームのために作られた。」と主張するプレーヤーもいるくらいだ。

しかもこのストリームには、無数の傍流がある。なぜならば、「マストフォロー」のルールは、厳しくこれを守らせるゲームと、ルーズなルールのゲームで様相が大きく変わるので、ヴァリエイションには事欠かないからである。(後述するが、ウンスンカルタはかなりルーズな部類に属する。)

さて、以上はトリックテイキングゲームをご存知の方には余計な説明だったとは思うが、ご存知でない方にはこれでトリックテイキングの意味を理解してもらうことは出来ないだろう。ゲームは全てそうだが、ルールを読んだだけではその意味するところは理解できない。やってみて初めてその意味するところが掴めるのである。

実はこれは大変困ったことで、「分かる人には分かる」では説明にはなっていないが、分かる人にしか分からないのである。言い換えれば、知っている人には説明の必要は全くなく、一方知らない人には説明しても分からないのだ。すなわち、ここでは「説明」はどちらにしろ無意味になってしまうのである。

だから知らない人には、ブラックレディでも何でもトリックテイキングゲームをしばらくやっていただくのが、最善であるが、しかし「しばらくプレイしてみてそれからこの文章を読んでね」と、読者に頼むわけにもいくまい。実際にやっていただければ最善ではあるが、ここではあえてトリックテイキングの持つ意味合いを贅言を費やして語ってみよう。もとよりあまり意味のないことは覚悟のうえだが、案外トリックテイキングゲームの本質に迫る考察になりえるかも知れない。そうなっていると読んでいただければ、幸甚である。

さて、トリックテイキングプレーの肝は「マストフォロー」である。これはリードされたスート(例えばスペード)が手札にあれは、必ずそれ(この場合はスペード)を出さなければならない(義務)というルールである。これがなかなか(日本人には)理解してもらえない。なぜなら、その場合に例えばハートをプレーしたら反則(リボーク)なのだが、ハートをプレーしてもそれが反則とはその時点では分からないからである。(尤もその場合はハートは、それがどんなに強いカードであっても勝つことはできない。フォローの義務に従っていない(捨て札になる)からである。)

これは、その人の手札の中にもしスペードがあれば反則、なければ反則ではなく、そして手札にスペードがあるかどうかはカードゲームの本質上、当人にしか分からないのである。そこで反則をしてもその時点では分からず、後から彼がスペードをプレーしたときになって、「なんだスペードを持っていたじゃないか。」と遡って反則が指摘されることになる。するとそこまでのプレーが無効になるばかりか、手札の内容が分かってしまうので、ゲームそのものが破綻してしまう。で、このようなやりにくいルールは、日本人には好まれないようなのである。それは公正さが図りにくいからであり、プレーの自由度が奪われるからであろう。ある意味これは自然なことである(と日本人である私には感じられる)。

これが「大貧民」と呼ばれる日本人好みのゲームでは、そのような心配がない。(中国や韓国でも同系統のゲームは非常に好まれている。) 大貧民では、手札に出すことができるカードがなければパスをするが、出せるカードがあってパスしても反則ではない。むしろしばしば必要な戦術ですらある。そして、このゲームではより大きなカードを出す義務があるが、例えば5の後に4を出せば、その瞬間に反則が指摘できて公正である。そこで出しなおせば、反則者は不利になるが、ゲームそのものが壊れることはない。日本人、アジア人ならずとも、これが好まれて不思議はないだろう。

一方日本では、「なぜマストフォローが要求されるのか」の理由が理解されない。もちろんそれがルールだから当然なのだが、ルールとしての存在意義がピンと来ないと思われるのである。

煩雑にはなるが、ここでマストフォローの効用について述べる必要が生じるだろう。

マストフォローの効果は、エスタブリッシュという現象によって遺憾なく発揮される。エスタブリッシュとは、あるスートを自分だけが持っている場合、それがどんな弱いカードでもそれをリードさえすれば、誰もフォローをできないのだから(みんな捨て札をする)そのカードが勝つ、という現象である。そして同一スートを繰り返しリードすることによって(ここでもマストフォローのルールが効いて)他のプレーヤーからそのスートをなくさせ、そのスートをエスタブリッシュさせることが選び取れる。つまりカードの強さにだけ頼らずに、カードプレーのテクニックがふるえる可能性があるということである。

だがこれは、ルールを聞いただけでは直感的に非常に分かりにくい。したがって、新しくゲームを覚えるプレーヤーは、マストフォローのような分かりにくいルールを受け容れにくいのである。

筆者の考えでは、こうしたマストフォローのルールは、14世紀から15世紀の南ヨーロッパで成立したと思われる。それは、ゲーム界における新しいニッチの登場であった。

さて、では上記を踏まえてウンスンカルタの内実に迫ってみよう。

ウンスンカルタは、16世紀にポルトガルの船乗り達によって伝えられたカードゲーム(南蛮カルタ)が原型である。伝来の経緯については史料が乏しく、不明な点が多い。そこで現在のルールから遡って、逆にどんなゲームが伝えられたかを推定することになる。あたかも、生物進化の経緯が直接的に調べがたいので、現生の生物の構造や生態から逆に推理しているのに似ている。

「伝統ゲームを現代にプレイする意義」を、ゲームの範疇を越えて広く捉えることが許されるなら、伝統ゲームをプレイすることは、歴史の解明につながる面があることが、意義の一つとして挙げられると思う。あえて大げさに言うなら、我々は古代のゲームをプレイすることによって、古代人の心になれるのである。

では具体的にウンスンカルタの内実、即ちルールの構造を見ていこう。今述べたようにこれは、「ルールから歴史を見る」ことにつながる。

現在、人吉に残っているウンスンカルタの技法は「八人メリ」である。これは八人が2チームに分かれて闘うトリックテイキングゲームで、世界的にも非常に珍しい。現在でも、ブーレやルーのように多人数でやるトリックテイキングゲームは沢山あるが、多くは個人戦である。その点でウンスンカルタはかなり特異ではあるが、健部伸明らの研究によって、かつては6人でプレーする六人メリ(トリオ戦)、4人でプレイする四人メリ(ペア戦)もかなり遊ばれていたことが考えられるようになった。特に、ウンスンカルタと南蛮カルタの過渡期の天正カルタでは、四人メリに近い技法で遊ばれていたと考えられている。したがって、人数の点にはあまり拘泥せずに考察することにしよう。

ウンスンカルタはトリックテイキングゲームである。しかしトリックテイキングゲームの重要な要素であるマストフォローという点から考えると、かなりルーズなルールであることが指摘できる。すなわち、マストフォローではない。では完全にマストフォローのルールが忘れられているかと言えば、そうでもない。切り札(ヤク)を出すのでなければ、フォローしないと勝てないところにそれは察せられる。

またモンチという語源不明のルールがあり、これはある状況においてマストフォローになるというルールである。

さて、ここでまた遠回りになるが、ウンスンカルタ(八人メリ)のルールをごく簡単に紹介しておこう。

ウンスンカルタは、75枚のカードからなり、主として「八人メリ」というゲームを遊ぶ道具である。しかし、他にも「天下取り」、「個取り」、「六人メリ」などの遊びがあり、この事実は極めて重要である。重要ではあるが、説明のために以下には現在専ら遊ばれている八人メリのルールを中心に、概説することにする。

まずカードの構成だが、スートは、パオ・イス・オリ・コツ・グルの五つ、ランクはスン・ウン・レイ・カバ・ソウタ・ロバイの絵札に9~1の数札が続く15種である。すると15×5で、75枚と相成るわけだ。この枚数が78枚のタロットに近いので、松田道弘氏は両者の相関(タロットが伝わってウンスンカルタになった)を強く示唆した(1979『トランプものがたり』p.84)。しかし松田氏自身も認めているように、トリックテイクのルールで獲得トリック数を争う(ブリッジのような)八人メリと、トリックで獲得したカードの点数を争う(ナポレオンやスカートのような)タロットでは、同じトリックテイキングゲームでも別物と言えそうである。しかし、もっとはっきり両者の直接の伝播関係を否定しているのは、カードの構成そのものである。

棍棒・刀剣・貨幣・聖杯という四つのスートに王・女王・騎士・兵士・10~1の数札が続いて全てで14種のランクがある(14×4の)56枚の小アルカナに、22枚の大アルカナが加わった78枚と、前述の75枚でははっきり構成が違う。両者のルーツはともかく、直接どちらかがどちらかのオリジナルである可能性は少ないと考えるべきだろう。
15×5≠14×4+22

しかし松田氏の気持ちも、全く分からないではない。

なぜなら、ウンスンカルタの数札は、パオ・イスの「細長い形をしたスート」は9が強く順に弱くなっていって1が最も弱い。そしてオリ・コツ・グルの「丸い形をしたスート」は逆に、1が強く順に弱くなっていって9が最も弱い。で、この甚だしい特徴が、タロットにも共通するからである。タロットでは、刀剣と棍棒という二つのスートでは、数札は10が強く順に弱くなっていって1が最も弱い。一方、貨幣と聖杯という二つのスートでは、1が強く順に弱くなっていって10が最も弱い。これは偶然の符合ではあり得まい。英語に堪能な(だから)松田氏が、タロットの伝来と考えたくなったのは、従って分からないではない。

しかし、古いトランプゲームのオンブルでは、黒いスート(クラブスペード)の数札は数値が大きいほど強く、赤いスート(ダイヤハート)の数札は数値が小さいほど強い。このことは、タロットがやってきてウンスンカルタになったと考えるよりは、両者に共通の祖先があったと考えるほうが自然であることを物語っているのである。

面白いのは、この奇妙な特徴「スートによるランクの逆転」が、プレーの上では全く意味を持たない、いやゲームを煩雑で間違えやすくするだけの悪いルールであるにも関わらず、インドのカードゲームのガンジハから、スラウェシのカードゲームのウジャンオミ、中国宋代のカードゲーム闘虎までに共通する、まさしく地理と時代を越えた共通ルールだということである。即ち、詳細は詳らかではないものの、そこにはカードゲームの伝播と盛衰の世界史的流れが窺えるのである。私は正にここに、伝統ゲームを現代にプレイする積極的意義を感じる。

すなわちそれは、尻尾のない人類の尾てい骨、あるいはDNAにあって全く機能しない偽遺伝子のような意味合いを持つと、思えるからである。尾骨は現生人類には役に立たないものではあるかも知れないが、それを調べることによって人類の由来、霊長類の進化の過程が辿れる。同様に、こうした古いルールをプレイすることによって、カードゲームの歴史の一端、今まで省みられることの少なかった人類の文化史の一断面が、みごとに垣間見られるわけである。

このことは、ウンスンカルタのカードそのものを見ても感じ取っていただけるだろう。それは東洋とも西洋とも言いがたい、そして東洋でも西洋でもあるような、不思議でキッチュなデザインである。「南蛮風」とでも言えば少しは言いえるのかも知れない。こうした図柄そのものが、ウンスンカルタの背負った歴史性を、視覚的に我々に教えてくれている。

さて、八人メリは文字通り8人でプレイする。これは4人対4人のチーム戦であり、プレーヤーは敵味方が交互になるように座る。詳しい手続きの解説はここでは割愛するが、要するにこの8人に一人9枚の手札を配る。75-9×8=3 であるから3枚残り、これで切り札を決める。

ここでトリックテイキングゲームの運びを思い出してもらえれば、このゲームが9トリックで終わることが分かるだろう。初めはルールで決められた人が手札から1枚をリードし、全員が順に1枚ずつ出す。重要なことはこれがマストフォローではない、ということだ。例えばグルのカードをリードされても、必ずしもグルを出さなくてもいい。この意味では確かに「日本化」されていると言えるのかも知れない。とは言え、完全にトリックテイキングを脱していないのは、フォローしないと勝つことができないことから分かる。こうしたルールを研究家は「メイフォロー」のゲームと呼ぶ。こうしてあるトリックに勝ったプレーヤーが次のトリックのリードをするわけである。

これを9回繰り返せば1ディールが終る。9は奇数なので、必ずどちらかのチームが勝つことになるが、それは5対4(1点)から9対0(9点)までいろいろで、この点数を積算していき、9ディールのトータル点で1ゲームの勝敗を決めるのである。

ゲームの大まかな流れはこうだが、八人メリというゲームを特徴付けているのは切り札の扱いである。

切り札は最初に残した3枚のうち1枚を表にして定める。(もしそれがコツの札ならコツの15枚(+1枚)が切り札となる。)さて、メイフォローであるから、何をリードされても切り札で勝つことができる。このことは、実はトリックテイキング本来のエスタブリッシュの機能を破壊している(もともとメイフォローは、エスタブリッシュしにくいのだが)。そして切り札を出すときは伏せて出し、複数の切り札がぶつかったら、同時に表にして勝負を決めるのである。ここが八人メリの肝であり、ここにヤクなどの斬新なルールが絡まって、他のゲームにはあまり見られない、独特の面白さを醸すのである。

こうした換骨奪胎が「日本化」であることは、このようなゲームは日本の創作ゲームにしばしば見られることからも、感じ取れる。最近ではパニックハイスクールというゲームが(だいぶ趣は違うが)こうした同時公開のシステムなので、私は内心驚いたものである。

要するに、ウンスンカルタはトリックテイキングの王道ではないのである。とは言え、その残滓が全くないといえばそうでもない。この辺りが、ゲームの受容のケーススタディーとして実に興味深い。例えば自ら切り札をリードする(このときは表にして出す)と、全員切り札を出さなければならなくなる。これをメリ(名詞)、あるいはメル(動詞)と言い、「八人メリ」の名の元になっているくらいだから、重要なルールと認識されているわけだ。そしてメラれた後はモンチ状態になる。モンチの語源は不明だが、ルールとしては何とマストフォローである。つまりメリきった後は、エスタブリッシュが効くのである。尤もモンチでも、リードされたスートが手札にあっても、切り札だけは伏せて出して切ることができるので、甚だ不徹底なマストフォローではあるが。

結論として、八人メリではエスタブリッシュの手法は、十分に威力を発揮することはない。トリックテイキングのニッチは、十全な形では日本の風土に展開できなかったと結論すべきだろう。とはいえ、そのことが逆に、独自の面白さとシステムを開拓した貴重な文化財を生み出したとも言えるのである。

ウンスンカルタは江戸時代から伝わる日本の伝統文化であるだけでなく、ゲームとしても大変特色があり面白いものである。だがそれを現代にプレイする意義は、そうした文化財の保護というレベルを超え、ゲームの伝播と歴史を知り、ひいては日本の精神文化に対する深い理解をもたらしてくれる、極めて意義深いものだと私は考えるものである。

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