ドイツ・アナログゲームの歴史楽――ボードゲーム『イライラしないで』Mensch ärgere Dich nicht(メンシュ・エァゲレ・ディッヒ・ニヒト)


 『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』『ニセドイツ2≒東ドイツ製生活用品』(共に社会評論社)という一風変わったタイトルの本をご存知でしょうか?
 自動車、雑誌、ボードゲーム(!)などなど……。いまだ日本では広く知られていない、旧東ドイツの文化風物を豊富なユーモアと写真でわかりやすく紹介する書物で、その独特のアプローチから各紙誌で高い評価を受けました。
 とりわけ、「なんだかよくわからないけれども恐ろしそう」というイメージだけで済ませられてしまいがちな旧東ドイツでどのような生活が営まれていたのかが具体的によくわかり、批評性も豊かな素晴らしい本です。
 その『ニセドイツ』の著者の伸井太一さまが、とかくいかめしい印象を受けがちな歴史学を、奥深さはそのままに、知的な楽しさを掻き立てる「歴史楽」と見てもらえるようにと、ボードゲームを題材にコラムを寄せて下さいました。
 どうぞお愉しみください。(岡和田晃)

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ドイツ・アナログゲームの歴史楽――ボードゲーム『イライラしないで』Mensch ärgere Dich nicht(メンシュ・エァゲレ・ディッヒ・ニヒト)

 伸井太一

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 ボードゲーム『イライラしないで』Mensch ärgere Dich nicht(メンシュ・エァゲレ・ディッヒ・ニヒト) 1910年頃に製作
記念切手
(2010年に発売された記念切手 de.Wikipediaより)

 『Mensch ärgere Dich nicht(イライラしないで)』を知らないドイツ人はいないと言ってもよいくらいの超有名なボードゲーム。その題する通り、このゲームをプレイして「イライラ」した経験が心の傷となって記憶に残っているドイツ人は多いのではないだろうか。本ボードゲームが世に出た1914年から現在に至るまでの売上数は、7000万箱だと言われている(*1)。
 本稿ではこの『イライラしないで』について、「歴史学/楽」を絡めて解説してみたい。では、まずはルールを説明しておこう。
イライラ1
イライラ2
イライラ3
(『イライラしないで』のゲーム盤: wikiより)

■『イライラしないで』のルール

・プレイヤー人数:2~4人(6人用の盤もアリ)
・プレイ時間:約30分~1時間
・基本ルール:各プレイヤーは、サイコロを振って持ち駒4つ全てを自分の目的地(お家)のマスに誰よりも早く入れることを目指す。ここで圧倒的に重要なサイの目は「6」だ。6を出さないと自コマの待機地点から周回フィールドに自コマを出すこともできない。また、6を出せばもう一度サイコロを振るチャンスが訪れるので、一気に逆転するときも、逆転されるときも6が大きな役割を果たす。
 周回フィールド上に自コマがひとつでも存在し、1~5の目が出れば、それを目的地へ向けて進めることができる。6が出た場合は、もちろん周回フィールド上の自コマを6マス進めてもよいし、待機地点から自コマを周回フィールドに出してもよい。そして6が出たということは、さらにもう一度サイコロを降ることができる。
 また、周回中に相手の駒と同マスに止まった場合は、その相手駒を待機地点に追い戻すことが出来る。逆の場合は、自コマが追い返される。

 以上が基本ルールだが、なにせ100年もの間、ドイツで愛好されているボードゲームなので、無数の家族内ルールをはじめとして地方ルール、そして変形ルールのバリエーションが存在している。その中でも一番の変りダネのルールが、「共産主義的イライラしないで」である。『イライラしないで』は先に説明した通り、本来は4色のコマを使用するのだが、「共産主義」ルールでは一色である(赤が最適とされている)。まず、誰かが6を出して周回フィールドにコマを出すと、全員が「平等に」自コマを周回フィールドに出す。ここから、共産主義が理想とする平等社会における矛盾の再現が始まるのである。つまり、盤上に出ている赤いコマ4つのどれかひとつを自由に動かすことができ、それを自分のゴール地点に入れることを目指す。最初の標的は、もちろん最短ルートにある右隣のプレイヤーが出したコマとなり、これを自分のゴール地点に入れてしまうのが手っ取り早いだろう。しかし、他のプレイヤーが、自分のゴール地点を追い越させてしまう可能性もある。ここが、共産主義下であっても「ゴールは目指さなければならない(利益は得ないといけない)」状態における、「駆け引きや足の引っ張り合い(旧共産圏の権力争いに見られた権謀術数)」を再現している。これは、既に「イライラ」のレベルを超え、共産主義社会における人間性の露出といっても良い状態に陥り、お互いの人間関係にしこりが残ること必至のルールなのだ。

■『イライラしないで』の「イライラ」ポイント

 本ゲームはふたつの大きな「イライラ」から成り立っている。まずは、「6」が出るまで周回フィールドに出られないイライラ。そして、相手コマに乗っかられてしまい、自コマを周回フィールドから待機地点に戻さねばならないイライラだ。ちなみにドイツ語のMensch(メンシュ)は「人間」という意味だが、この場合は「おい、君」などの呼びかけと取るのが独和辞典的には正しいのだろう。しかし、現代の語用でMensch!で「チキショー!」のような意味で用いられているので(ベルリンだけかも……)、今となってはこの怒りや悔しさを表すMenschの方が近い気がする。
 しかし同時に、快感も用意されている。「6」が連続で出た場合だ。このときは高らかに叫ぼうではないか、「ずっと俺のターン!(By遊☆戯☆王)」と!そして、相手コマの後ろに付きロックオンしたときの快感。しかし、相手コマを越えてしまうと今度は逆にロックオンされてしまうのだが……。

 なお、『イライラしないで』(の類似ゲーム)は、日本の「ドンジャラ」のキャラ商戦のごとく、キャラクター商品化されている。例えば、プーさんやガーフィールド、そしてキティちゃんなどである。ただし、愛くるしいキティちゃんであっても、のんびりしているプーさんであっても、イライラするものはイライラすると思うのだが……。

■『イライラしないで』の歴史

 次に『イライラしないで』の歴史的背景や本ゲームから見える歴史について考えてみたい。ニュルンベルク市のおもちゃ博物館では、『イライラしないで』の特別展(2004年7月~2005年2月)が開催されていたので、まずはその広報用の資料を元に、『イライラしないで』の歴史の概略をまとめてみたい。その後、このゲームが生まれた20世紀初頭のドイツについて触れながら、『イライラしないで』を解題していく。どうか、イライラしないで読んでいただきたい。

 本ゲームが生まれたのは1910年頃とされており、前掲の切手も開発100周年として2010年に販売されている。ただし、実際に商品化されたのは1914年のことである。発明者は、ミュンヘン市の労働者街に住むサラリーマンのヨゼフ=フリードリヒ・シュミット。彼は子供たちと19世紀に発明されたボードゲームで遊んでいたが、戦術的・戦略的な要素が強く、ゲームの勝敗にどうしても「経験の差」や「年齢の差」が出てしまうことを問題視していた。そこで、シュミット氏は老若男女すべてが楽しくプレイできるように、サイコロを用い運の要素を高めながらルールをより簡略化させた結果、『イライラしないで』が生まれたのである。

 本ゲームが発売開始された1914年といえば、第一次世界大戦が開始された年である。発売当時にはそれほど有名ではなくヒットしなかったが、シュミットは戦争中の兵士への現物寄付として、3000箱の『イライラしないで』を贈った。その後、兵士内でルールが簡明なこのゲームはよく知られるようになり、戦争が終わった翌々年の1920年には、なんと100万個を売り上げていた。人間の「イライラ」の最大の集合体ともいえる戦争が『イライラしないで』を一躍有名にさせたのである。

 19世紀末のドイツでは、ボードゲームが兵士の戦略学習のために用いられており、より戦術的に複雑化する途を辿っていた。それと正反対の流れで、大衆受けするような簡単なルールの『イライラしないで』が、戦争によって流行するのは歴史の皮肉だろうか。いや、この『イライラしないで』の流行は皮肉と言うよりかは必然だったといえよう。つまり、20世紀には労働者といった「非ブルジョワ階級」も盤上遊戯に愉しむ時代が到来していたということなのだ。労働者街在住のサラリーマンが発明した本ボードゲームは、20世紀初頭のドイツ社会の発展と大衆化の好例を示しているのである。

■シュミット社とドイツ・アナログゲーム

 『イライラしないで』の快進撃によって、シュミット社は一躍、アナログゲームの開発・販売の大手となった。『イライラしないで』は、まさにこのシュミット社の草創期に貢献した記念碑的なゲームだ。その後、シュミット社は各種パズルをはじめ、1984年に会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)『The Dark Eye(独語オリジナル名はDas Schwarze Auge)』を世に送り出すなど、ドイツのアナログゲーム界に大きく貢献していく。1997年には家庭用TVゲームの普及などで経営不振に陥り、他社に買い取られてしまったが、今もなお「シュミット」の名前は会社名として残されており、現在はカードゲームやボードゲームを一手に販売している。たとえば、ドイツ・ボードゲーム大賞の受賞作品の『カルカソンヌ』や『ドミニオン』の販売も手がけている(両作共に制作はハンス・イム・グリュック出版)。

 シュミットの歴史は、ドイツ・アナログゲームの歴史そのものであり、『イライラしないで』のヒットがなければ、ドイツが現在のようなボードゲーム大国になることもなかったもしれない。

■最後に:サイの目の〈差異〉

 最後に、さらに本ゲームの「イライラ」のポイントを、仮説めいたとある着想から今一度掘り下げてみたい。では、再度、『イライラしないで』で使用する盤をご覧頂きたい。
イライラ4
 それぞれが一周を回る距離(コマ数)は同じだが、スタート地点とゴール地点がずれている。が、スタート地点とゴール地点がずれている。この点が、より効果的にイライラに影響を与えているのではないだろうか。たとえば、黄色の自コマが一周を完全に回りかけており、長い道のりの終わりに差し掛かっているときに、他コマに乗っかられてコマがスタート前の地点に戻ったとする。当然、これはコマを戻す方とすれば非常に残念な気持ちになる。しかし、乗っかった方が周回スタートの直後(例えば緑のコマ)だったとすると、乗っかられた方の「長い道のり」と「残念さ」を、彼/彼女は真に理解することはできないので、黄色プレイヤーの残念感と緑色プレイヤーの罪悪感との間に差異が生まれるのだ。これによって、相手をイライラさせる/自分がイライラする効果が増大されているのではないだろうか。

 この観点から、再度、歴史と関連付けて『イライラしないで』を解題したい。本ゲームの登場は、産業革命後の発展などによって社会の流動性が高まった時代を背景にしている。たとえば、1910年頃といえば女性参政権運動が全世界的に盛り上がった時期でもある。『イライラしないで』は、社会の成員の多くが同じルールの上(盤上)で共存・競争しつつある時代の非対称性の不条理を見事に表した「感情のゲーム」であったのかもしれない。

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【脚注】

(*1)100 Jahre 100 Objekte, S.30.

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伸井太一(のびい・たいち)
 1977年生まれ。ヒストリーコミュニケーター/ライター(ドイツ近現代史、サブカルチャー等)。ドイツ・ベルリン在住。
 会話型RPGにハマっていた小学生~中学生の頃から、歴史学研究者を志す。現在、歴史の「学」と「楽」を架橋する試みを展開中。
 著書に『ニセドイツ1≒東ドイツ製工業品』『ニセドイツ2≒東ドイツ製生活用品』(共に社会評論社)がある。
 また、同人誌『FLOWORDS』(http://d.hatena.ne.jp/FLOWORDS/)では、アニメ論やドイツの日本アニメ受容に関する文章を発表。
 Twitter: nob_de