『戦えば死がくる』

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『戦えば死がくる』

本文:伏見健二 解説:仲知喜 協力:岡和田晃、伊藤大地、蔵原大、高橋志行、田島淳

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 今回お届けするのは、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』の再録です。著者である伏見健二さんの許可をいただき、初出である『RPGマガジンNo.5(1990年9月号)』から24年の時を経て再掲させていただくことが可能になりました。
 今年は西暦2014年です。平成元年生まれの人が『戦えば死がくる』が掲載された時は2歳だったことになります。当時20歳の人が今年46歳。嗚呼、隔世の感とはこのことですね。というわけで、今回の再掲と合わせて、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』を読者の皆さんにより楽しんでもらえますよう、本稿の後に解説を付け加えさせていただきました。なお、初出時の本稿には別枠に『ストームブリンガー』の戦闘ルールシステムの解説が添えられていました。

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戦えば死がくる
FIGHT AND LET DIE
――“ストームブリンガー”における戦いと死をめぐる考察――

伏見健二 (文字起こし:伊藤大地)

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1 戦えば死がくる

 “ストームブリンガー”と言えば、M・ムアコックの『エルリック・サーガ』をベースとした独特の背景世界や魔術について語られることが多いのですが、その戦闘システムも大きな魅力の一つです。しかしそれはあまりにも激しく、あまりにも壮絶で、卸し難いものです。
 まるで黒の剣・ストームブリンガーそのもののように、あなたの剣はしばしば自己の意識を持ったかのごとく敵の血をすすり、叩き潰してきたのではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”において、「敵」の存在はコンピュータRPGのように克服すべき障害物として記号化することを許されません。今回はちょっとだけシリアスに、“ストームブリンガー”における戦いと死について、さまざまな観点から考えてみることにします。シナリオづくりやマスタリング/プレイ術の参考になればいいな、と思います。
 敵の存在は重く、返り血は熱い……。
 たまにはそんなRPGをしてみましょうか。
 ビギナーの人たちにはちょっと読みづらいかもしれませんが、サラリと一読してみてください。

2 戦いとはなにか

GM:さあ、君の前には長身の男が立ちはだかっている。前髪を右目に垂らし、その足元には老いた大きな狼がまとわりついている。
ロート:あーっ、でたな、こいつ!「ラシウェル、なんの用だ、そこをどけ!」
GM:ラシウェルはわずかに笑みを見せたようだ。
「ロート、去れとは言わぬ。だが、ここは通せぬ。決着の時が来たようだ」と言っている。
ロート:……うぅっ、ついにこいつと正面からやるはめになるのか。

 まずは戦闘を行う理由について、いくつかのパターンを類別してみましょう。哲学や心理学、宗教など、いろいろな要素と見地からの分類が考えられますが、ここでは簡易に表面的にだけとらえてみます。まあ、一緒に考えてみましょう。

1)自己防衛のための戦闘
 多くの戦闘はこの形を取ります。ごく単純に言えば、「モンスターが襲ってきた」という状況などですね。自分の生命への危機、苦痛の忌避などを理由とする戦闘行為です。
心理的側面も考慮に入れれば、すべての攻撃は自己防衛によるものだと言えるでしょう。

2)他者防衛のための戦闘
 他者が何者かに攻撃されようとしている場合に、代わりに戦いを買って出るというもので、職業としての護衛はその代表的なものです。

3)障害排除としての戦闘
 ある場所を通過したいのだが、そこには敵対する存在がいて排除しなければならない。という場合があります。これは最終的な目的を達成するために必要な副次的戦闘と言えます。たとえば、財宝が眠る洞窟に入るには入口のモンスターをまず倒さなければならない……という場合がこれに当たるでしょう。

4)目的達成のための戦闘
 暗殺がこのパターンの典型です。相手の存在自体が自分の目的の障害となる場合に、この種の攻撃が行われます。
 シナリオでキーとなる戦いはたいていこのタイプのものですが、ほかの手段による解決が存在しないかどうか熟慮したいものです。

5)衝動による戦闘
 安っぽいサスペンスのようですが、衝動的な感情によって戦闘にが起こる場合もあります。精神的なストレスの代償行為として攻撃衝動にかられるという経験は、みなさんにもあるのではないでしょうか。このパターンの攻撃は、必ずしも勝利を得ることを目的としていません。

6)自己証明のための戦闘
 ことに男性において、自己の優位を証明するのは戦いに勝利することであるという、限りなく衝動に近い理論が存在します。そうした心理を象徴的に強調して表現するヒロイック・ファンタジーにおいては、特に重要な動機になっています。

7)肉体的欲求による攻撃
 動物が食欲にかられて攻撃をする、というような種類の攻撃行動です。
 ただし、動物はたとえ空腹でも、盲目的にわれを忘れて攻撃をするわけではないということに注意してください。ほとんどすべての場合、食物獲得のための戦いは冷静で注意深い行為であり、動物が食欲のために見慣れない生物(たとえば鉄をまとった人間)を襲うことはありません。動物がそのような攻撃をするのは、テリトリー維持のためのみです。

3 剣を抜く前に

ロート:「ラシウェル、俺はお前を友とも思っている。一度はともに戦った仲ではないか!」
GM:「猿め、友とはおこがましい」と身を震わせながら言うと、彼は剣をすらりと抜き放つよ!
ロート:ううむ、勝てたとしてもただでは済みそうにないよなぁ。やはり彼女の件でそんなに怒っているのかな?
GM:他にも思い当たるのかい?(笑)「お前を彼女のところへはいかせぬ!」
ロート:「リナスの幸福を真に望むなら、そこをどけ!」って怒鳴るぞ。心理的動揺を誘うって奴。

 さて、ひどくラフな分類でしたが、戦いというワードに含まれるさまざまな要素が見えてきたと思います。
 まず第一に、戦闘が目的であるのかあるいは手段なのか、それを意識しなければなりません。それは、回避できる戦いであるか、避けられない戦いであるかの区別でもあります。
 ことに“ストームブリンガー”というRPGにおいては、勝利の見通しがつきにくいということもあって、この見極めが重要なのです。「気晴らしに戦闘がしたいなあ」などと言っていると、ごくつまらない一撃で命を落とすことになるでしょう。
 ですから、必然的に“ストームブリンガー”においては、戦闘のスリリングな魅力のみに頼ったシナリオを行うことは難しいと言えましょう。コンピュータRPGのような、遭遇→交戦パターンのスタイルそのままのシナリオには不向きな戦闘システムなのです。
 “ストームブリンガー”において、戦いのリスクはあまりにも甚大です。ゲームマスター(以下GM)はその点をよく考えて、シナリオのストーリーと何ら関係のない、重要性の低い戦闘でプレイヤーキャラクター(以下PC)を殺してしまうことがないように気をつけてください。たとえプレイヤーの判断の甘さや不注意が原因だとしても、PCがプレイヤーに不満の残るつまらない死を迎えるのはよいことではありません。そのようなプレイでは、ゲームのおもしろさを十分に引き出すことはできないからです。
 そうした事態を避けるとりあえずの解決法としては、戦闘の回数を減らすことが第一でしょう。またプレイヤー側にも、無用な戦いは避ける姿勢が必要です。
 しかし、無用な戦いと避けられない戦いは一体どうやって区別されるのでしょうか。それにはGMとプレイヤーが「物語の呼吸」に対する敏感な感覚を共有することが必要です。「優れたプレイヤー術とは、GMの望んでいることを鋭敏に察知してGMの演出するストーリーにしっくり溶け込む主人公を演じることである」といった極論もありますが、そうした側面は否定できません。
 ぼくは「負ける戦いはしない」などという主張に代表される、PCはロジカルなコンバット・マシンになるべきだというような考え方には賛成できません。プレイヤーに必要なのは、キャラクターの感情状態を把握し、それを楽しむという姿勢でしょう。PCが激しい怒りを感じるような局面であれば、感情に身を任せて強大な敵に挑むのもよいと思います。
 しかし、その瞬間の感動を高めるためにも、譲るべきところは譲り、耐えるべきところは耐えるべきでしょう。それこそが「物語の呼吸」にほかなりません。
 そうですね……『水戸黄門』などの日本娯楽時代劇を例にとってみましょう。物語のクライマックスにいたるまで、主人公はののしられ、軽んじられる役回りを演じます。しかしそれゆえに、悪代官の前に印籠をかざす瞬間の壮快感が高められるのです。
 出会う相手とことごとく戦い、け散らして目的を達成するよりも、そのような心理的やりとりを背景にたったひとつの戦いに臨むことの方が、何倍も楽しいことではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”では、戦いこそが最高のドラマなのです。

4 戦いにおいて

GM:きれいな円弧を描いてブロード・ソードが振り下ろされる!……(コロッ)「さあ受けてみろ!」
ロート:フッ、俺だって成長しているのさ。(コロッ)キィン!ほおら、やすやすとかわした。
GM:「できるな!それでこそ俺のライバルと言えよう。フハハハッ」
ロート:こっちはそんなつもりはないぞお。

さて、戦いの危険そして危険であるがゆえに避けられる戦いは避け、本当に重要な戦闘に集中すべきだということは語りました。ここでは、迷いを断ち切り、実際に戦いに臨むにあたっての注意点を考えてみましょう。
 “ストームブリンガー”の戦闘システムは、戦いの手応えを十分に感じさせる優れたものです。
 降りかかる鋭い刃、そしてそれを受け流す時の手の痺れるような感触、ざらりと滑る鋼と鋼、そして敵の刃がガリッと装甲を削って肉をえぐる……血と共に力が抜けてゆく……体の動きが鈍くなってゆく!……
 しかし、システム自体の完成度が高いゆえに、しばしば戦闘は工夫のない平面的な切りあいに終始しがちです。
 たしかに“ストームブリンガー”の戦闘は大きな興奮を与えてくれますが、豊かな感覚においてなされたロールプレイが、戦闘が始まった途端に確率に一喜一憂する単純なサイコロの振り合いに「モード切り替え」してしまうのはいかにも残念です。
 だからぼくは、「戦闘中もなるべくしゃべりましょう!」と提言したいのです。戦っているPCの身振りを興奮のあまり演じてしまう……などというのは困ってしまいますが、敵を切る時のセリフや効果音はプレイを盛り上げます。
 また、戦闘空間は体育館のようなフラットな平面ではないのですから、現場のシチュエーションを想像する助けとなるような語りも効果的です。
 「足元の砂利が滑って回避に失敗した!」とか「空を切った件がレンガを削って粉が散った」といったちょっとした語りを加えると、戦闘のビジョンは一層輝きを増しますし、単に切り結ぶ以上の戦術を思いつくきっかけともなるのです。
 このような語りには、プレイヤーも積極的に参加してください。些細な行為の描写は、GMに対する越権行為にはなりません。

5 特殊な戦術の扱い

ロート:こんなところでクリティカルでもくらったらしゃれになんないから、〈体術〉でラシウェルの脇をすり抜けるぞ。道はどんな感じ?
GM:乱暴に組まれた石畳が、下り坂になって地下へ続いてるよ。かなり暗くて先はよくわからない。
ロート:「じゃ、悪いがラシウェル、ことが片付いたら相手をしてやろう」……(コロッ)クリティカル・サクセス!一瞬の疾風のようにすり抜けたってところかな?
GM:ひゃあ、よく出たね。でも、「ま、待て!やつを逃がすな!」という叫びが後ろから聞こえて、オオカミの吠え声が追ってくるよ。
ロート:ううっ、そうだったあ……。

 特殊な戦術をプレイに導入するのはなかなか難しいことです。思いつくのもさることながら、ルール上でどのように処理をするべきなのか、それを決定する感覚はなかなか得られるものではありません。ぼくもいまだに臨機応変かつ的確な処理ができずに、プレイ後に後悔させられることがしばしばあります。
 実例を挙げてみましょう。PCと敵キャラクターが1対1で斬りあってるシチュエーションで、もうひとりのPCが敵の顔に熟れたトマトをぶつけると宣言したとします。
 実際には、このような行為を成功させるのはとても難しいことでしょう。絶えず動き回る敵の顔にみごとにトマトが命中することなど、小説か映画でなければまずありえません。
 ……しかし、RPGというものは現実より小説や映画に近いものなのです。プレイヤーの顔を見回すと、皆がその思いつきに目を輝かせています。とても「そんなの100回に1回しか成功することじゃないよ」とは言えません……。
 こういう時、まずどんな判定をプレイヤーが期待しているのかを大事にしなければなりません。プレイヤーが状況に抱いているビジョンとGMのビジョンを調整し、統合する作業が必要となります。その2つが食い違ってしまう場合ほど、つまらなくいらだたしいことはないのです。
 この場合は、手投げ武器と同じような処理が適当でしょう。〈ジャグル〉技能の成功率を2分の1にしてボーナスを足した値で成否を判定します。相手はトマト攻撃に不意を付かれるので、回避はできないものとします。命中箇所については、深く考える必要はないでしょう。攻撃が成功したならば、それは狙いあやまたず顔に命中したでかまいません。なぜなら誰もがその結果を期待しているからであり、RPGは結局楽しんだ方が勝ちだからです。ただし、外れたら味方に当たってしまうなどの演出をするのもGMの大事なつとめです。
 特殊な戦術を用いる場合、結果は印象的に、ただし甘すぎないというバランスを保つことに注意しましょう。この場合は……まず空想してみてください。剣で切り結んでいる最中に、トマトが顔に当たったらどうなるかを。まずびっくりして動きが止まり、攻撃や受けができなくなるでしょう。プレイにおいては1回の攻撃不能と2回の回避不能、その程度がちょうどよいと思います。敵の目を見えなくしたりするのはプレイヤーに対して寛大すぎるでしょう。この程度で、PCは十分に勝機をつかむことができるはずです。
しかし、奇策はあくまで奇策でしかありません。特殊な戦術は戦闘の重要な要素ではありますが、GMはそれをあまり評価しすぎないように自戒すべきです。
 たいまつは剣より強いと信じている人に会ったことがあります。また、油の引火性を過大に評価しすぎている人もたくさんいます。投げつけるために小袋に分けた油や目潰し用の砂袋を持ち歩いているキャラクターは、ぼくは嫌いです。
 RPGにおける戦いは、キャラクターどうしのコミュニケーションの最後の局面であり、「哀しい手段」です。そのように戦いで敵の裏をかいたり、奇策で勝利すること自体に楽しみを見出そうとするのは本末転倒のそしりを免れません。

6 そして死がくる

ロート:「あ、クリティカルヒットだ!」
GM:ううぅ、それはきついぞ。(コロッ)ああ……。剣はラシウェルの守りの刃をくぐって薄い鎧に潜り込んだ。鮮血が散る……。ダメージは振るまでもないな。
ロート:メルニボネ人でも血は赤いんだな……。
「ラシウェル、だいじょうぶか?」
GM:おいおい(笑)。「フッ、こんな……ものだな。……お笑いだ……」
ロート:「目を閉じて少し休め……あとで迎えに来てやる……」ううむ、すっかりセンチメンタルだなあ。
GM:「……あまい、やつめ」とぜいぜい喉を鳴らして言った後、静かになるよ。
ロート:死顔は安らか?
GM:残念ながらそうでもない……。

 結果が勝利でも敗北でも納得できるという状況においてのみ、戦いは行われるべきです。しかし戦闘に臨むからには、全力で勝利を狙う以外の選択はありません。戦いとは、ひとつしかない命を賭ける行為なのです。
 ただ、この時忘れてならないのは勝利の定義です。相手を彼岸に送り出すことだけが勝利だ、という考えはあまりに単純です。場合によっては敵を倒すのではなく、相手の動きを引きつける目的の戦いもあり、その目的が達成されればそれは勝利と言えるでしょう。
 戦闘を始める前に自分が戦いに臨む目的を把握し、また戦いにおいて相手と自分の心理的優位のバランスを読み取ることが重要です。たとえば、剣を抜くしぐさをしただけで退散するゴロツキだっているでしょう。すべての相手と本気で戦う必要はないのです。
 しかし、先にも述べたように命を賭けて戦わなければならない局面は避けようもなく存在します。そしてその戦いにおいてPCに死が訪れることも十分に考えられるのです。
ぼくはプレイヤーが戦いの選択をしたならば、「死ぬ前の心の準備はできたかな」と聞くようにしています。変にRPGに慣れてしまったGMとプレイヤーには「苦労しても結局はPCが勝利する」という無言の了解が存在してしまうことが多々あり、PCが死ぬとひどく腹を立てる(そしてGMを非難する)プレイヤーはたくさんいます。ですから、高いリスクをともなう選択を選ぶのであれば、結果の責任は自分にあるということをプレイヤーは自覚しなければなりません。そのためにも、プレイヤーの頭を冷やし、戦闘の危険を把握させる必要があるのです。
 無論、RPGはGMとプレイヤーの戦いではありませんから、「戦うというなら死んでもかまわないんだな」とばかりに強力な敵で迎え撃つというGMも、何か勘違いしています。
ここで考えるべきなのは、ゲーム世界におけるGMとプレイヤーの立場の違いです、GMは世界の環境そのものなのですから。そこに働いているすべてのファクターを理解しています。しかしプレイヤーには、PCが知覚している(はずの)こと以外はわからないのです。目の前の相手が強力で自分は勝てないと判断すれば、熟練の冒険者であるPCはそれを理解し、戦いを避けるでしょう。戦える相手と判断するからこそ、戦端を切ろうとするのです。
 そしてそうした判断の根拠はGMから得られる情報しかないのですから、この時GMが適切な情報を与えないとすればそれはアンフェアです。敵の強さについて暗示的な情報を与えてもPCが気づかない時は、「今の君たちでは絶対に勝てないから逃げたほうがいいな」ぐらい直接的に言ってよいと思います。それでもなお向かっていくのであれば、それはプレイヤーの自由です。その時はPCが死ぬことに対してプレイヤーは覚悟し、納得もしているのですから、決してつまらない体験ではないでしょう。
 プレイヤー・キャラクターに死が訪れた場合、それは大事に受け止めなければなりません。GMが「ほうら、無理をするから」とか「ダイスの目が悪かったねぇ」などと言いわけじみたことを言うのはもってのほかです(これはつい言いたくなることです。誰しも経験があるのではないかな)。
 パーティーが仲間を失ったならば、皆でそれを弔い、別れの酒杯をあおりましょう(地の王グロームの司祭がいれば嬉々として埋葬してくれるでしょうが)。
 “ストームブリンガー”における死には、そうするだけの重さがあるのです。
 極論ですが、“クトゥルフの呼び声”においてPCの発狂がゲームの重要なフレーバーであるのと同じように(自分のPCがSANチェックに失敗するとなぜか嬉しいのはぼくだけかな)、“ストームブリンガー”においてはPCの死が重要なフレーバーだと言えましょう。
 「冒険の目的はなんだ?」と聞かれて「死に場所を探している」と答えるのっていい感じです。『眠狂四郎』とか、昭和30年代の時代劇のノリですね。そういうプレイスタイルは、『エルリック・サーガ』の世界の魅力を十分に引き出してくれるでしょう。
 「死がくるからこそ、今は生きていると言える。死が生を輝かせる」という言葉があるように、非存在への転落の危険が、紙上のデータに過ぎないPCへの感情移入を高めるのです。いかにしてキャラクターを息づかせるか、その演出技術によってプレイの質は格段に違ってきます。死の重さこそは、そうした演出の最大のチャンスなのです。“ストームブリンガー”で、ぜひそれを試してみてください。

7 ストームブリンガーのRPG論

GM:……で、どうする?
ロート:……やつの死を伝えなくちゃいけない人がいる。
GM:あ、そうだね。
ロート:狼にラシウェルの亡骸を守るように命じて、奥に進むぞ。リナスを止めなくては……。
GM:地の奥の方から、重苦しい巨獣の吠えるような響きが聞こえてくるよ。気をつければ大地の律動も感じる。

 『エルリック・サーガ』がヒロイック・ファンタジーの異端児であったように、その特徴を取り込んだ“ストームブリンガー”もRPGにおける異端児となり得ます。
 死が常に近くにあるからこそ、この世界におけるキャラクターは、納得のいく密度の濃い人生を歩んでゆかなければなりません。馴れあいは禁物です。
 もちろん、死から逃げ続けることは可能です。新王国といえども、平和な時代、平和な地方を探せば見つからないわけではないのです。
 しかし、感情が乾燥して平坦になっている現代社会に生きるぼくたちが、RPGのプレイの中で激しい感情の揺れ動きを体験することは意義あることと感じます。それはある時は激しい憎悪であり、殺意ですらありますが、半面身を挺する愛であり、世界を救う倫理とヒューマニズムでもあるのです。
無論、娯楽であるRPGにおいて過剰にそうした体験を追求しようとするのは考えものです。きっととても疲れてしまいますよ。ぼくだってそうです。でも時々そういった真面目でぎすぎすとした悲劇的な側面を持ったプレイをしてみたくもなるのです。
 ほのぼのとしたプレイも楽しいものですし、非常識やギャグプレイで笑うのもいいです。RPGのプレイスタイルを限定するのはおもしろくありません。さまざまなプレイスタイルが体験できるからこそおもしろいのです。
 今やRPGは円熟期、多くのゲームが出版され、それぞれのおもしろさがあります。われわれは個々のシステムと世界設定の魅力を引き出して楽しくプレイすればよいのであって、「RPGはこうプレイすべきだ」などと概論的な意見が適用する時代は終焉を迎えたと言ってよいでしょう(もちろん、プレイのマナーについては概論的に語られるでしょうが)。
 メインディッシュとして本格的なRPG、たとえば“ルーンクエスト”や“ワースブレイド”のキャンペーンを行いながら、時には“ストームブリンガー”のように個性の強いRPGや手軽に遊べるRPGをプレイする、というのがぼくの考える理想的なRPGホビーライフです。
 最高に美しいボックスアートを持った“ストームブリンガー”ですが、決してコレクション用アイテムで終わらせずに、その華麗にして凶悪な、プレイアブルにしてサスペンスフルな魅力を存分に楽しんでください。

8 おしまいに

 今後の展開ですが、そろそろ待望の追加ルール&シナリオ集“ストームブリンガー・コンパニオン”が出るようです。また、『エルリック・サーガ』第7巻(早川書房)も翻訳進行中とのこと。中身をちょこっと教えてもらったぼくは気が重いのですが、翻訳家の井辻朱美先生を声援しましょう。また、先生のお書きになった歌集『水族』(沖積舎)にはエルリックを題材にした短歌が収録されているようです。ファンは要チェック!
 という感じで、比較的地味だった“ストームブリンガー”はそろそろ飛躍を迎えます(ですよね、Mさん)。熱心なファンのみなさん、辛抱強く待っていてくれてありがとう。では、よいプレイを!

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解 説

 文:仲知喜 協力:蔵原大、高橋志行、田島淳

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伏見健二

 介護福祉士。作家、ゲームデザイナー、おもちゃ企画者。 伏見さんが『戦えば死がくる』を執筆したのは21歳のときです。武蔵野美術大学を卒業後、フリーライターとして活動しておられました。大学生の頃から伏見さんはアナログゲーム雑誌『TACTICS』の読者ページの常連投稿者で、ストームブリンガーのファンジン『ストームブリンガー・シナリオ集』『ストームブリンガーキャンペーン・修羅の業』を発表するなど、熱心なファン活動を行っていました。 『TACTICS』でのデビュー作は『ストームブリンガー』のシナリオ『紫水晶と鮮血』でした。その後、魔法ルールのサポート記事『新王国における書物と魔術』、マイルーン人をテーマにしたシナリオ『金翅の聖獣』などを手掛けています。伏見氏の代表作である『ブルーフォレスト物語』はこの記事と同年の1990年、ツクダホビーから発売されました。
公式プロフィール: http://www.blueforest.jp/~fushimi/guide.htm

マイケル・ムアコック

 マイケル・ムアコックは今年で75歳になるSF作家です。彼は、エルリック・サーガの最初の作品『夢見る都』を21歳の時に書上げました。24歳の若さにしてSF誌『ニュー・ワールズ』の編集長になり、60年代のイギリスで始まったニューウェーブSFという反体制的で急進的なSF運動を先導する役割を担いました。マイケル・ムアコックの代表作には、『この人を見よ』『グローリアーナ』そして「エターナル・チャンピオン・シリーズ」があります。

エターナル・チャンピオン・シリーズ

 「エターナル・チャンピオン・シリーズ」とは『エルリック』『ホークムーン』『コルム』などのヒロイック・ファンタジー小説の総称です。エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちは皆「永遠の戦士(エターナルチャンピオン)」という存在の化身であり、多元宇宙を舞台に転生を繰り返しながら永遠に戦い続けている戦士とされています。
 神話学者のジョセフ・キャンベルが世界中の英雄神話の母型に着目し共通する構造を明らかにすることで、大きな影絵のように1つの英雄像を浮かび上がらせたように、ムアコックは多元宇宙という合わせ鏡の中央に一人の戦士を立たせることで、英雄の前後に途方もない世界の広がりを作り出しました。
 しかし、エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちが、決して鏡に映ったオリジナルの複製ではないところに、このシリーズの妙妙たる魅力があります。彼らは、内面と肉体にハンデを背負っています。『コナン』に代表されるそれまでのヒロイック・ファンタジーの主人公が沢山の模倣作品を生み出したように、コナンはヘラクレスの、あるいはあらゆる神話英雄の、巨大な影の中に滲み込んでいきます。
一方で、永遠の戦士たちはこの影の中にとどまること拒絶しています。その手がかりが、エターナル・チャンピオンのハンデ(傷)ではないかというのがわたしの見立てです。彼らは、このハンデに苦しみ思い悩む。途方もなく広がる宇宙の中で、痛みに身を悶えさせ、悩みに縮こもりながらも、この苦悩こそが実在の証であると百万の虚像に向かって主張する……。
 このような思弁的な内容もさることながら、エターナル・チャンピオン・シリーズはヒロイック・ファンタジーの王道である血沸き肉躍る冒険譚でもあります。そこにムアコックのお家芸ともいえる異国情緒がプラスされ、異世界を堪能できる素晴らしいファンタジー作品となっています。

ストームブリンガー

 黒い魔剣の名を冠したこのゲームは、『エルリック・サーガ』を題材にした会話型ロールプレイングゲームです。 1987年にケイオシアム社から第1版が発売されました。今回の『戦えば死がくる』は、『ストームブリンガー』(ホビージャパン/1988)の第2版日本語版をもとにして書かれています。システム(ルール)は『ルーンクエスト』や『クトゥルフの呼び声』と同じベーシック・ロールプレイングをベースにしています。『ストームブリンガー』は、たいへんシビアな戦闘ルールと、オーバーパワーなデーモンや精霊の召喚ルールが特徴です。『ストームブリンガー』は版上げに際してタイトルがころころ変わってややこしいのですが、途中で『エルリック!』に変わり、また『ストームブリンガー』に戻ったと覚えておけばいいでしょう。現在、エンターブレインから発売されている『MICHAEL MOORCOCK’S ストームブリンガー』はストームブリンガーの最新版(第5版)にあたります。

TACTICS誌、RPGマガジン

 ホビージャパンが刊行していたアナログゲーム専門誌です。1981年創刊-1990年頃に休刊しました。初期はウォー・シミュレーションゲームを専門としていましたが、80年代に入ってからは当時流行した会話型RPGを多く取り上げるようになりました。RPG マガジンは1990年から1999年まで刊行されていました。

5/31 遊戯史学会のご案内

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<5/31 遊戯史学会のご案内>
 草場純(遊戯史学会理事・当AGS顧問) 解説・記事編集:蔵原大

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【解 説】 蔵原大
 ゲームの歴史を研究する遊戯史学会の総会が、5月に東京で開かれる予定です。ご聴講される際の予約は不要ですので、お気軽においでください。下記「本文」を書かれた学会理事の草場純先生は、これまで『ゲーム探検隊』などを執筆される他、最近ではTwitter上で「ゲームデザイン討論会」を催されています(AI研究者の三宅陽一郎先生と連名)
 
 なお遊戯史学会における研究の方向性につきましては、学会会長が書かれた「増川宏一語る「研究の切り口」」をご参照ください( http://analoggamestudies.com/?p=199 )

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【本 文】 草場純

 2014年5月31日土曜日東京都世田谷区太子堂2-16-7 世田谷産業プラザ大会議室にて遊戯史学会第27回総会が開かれます場所は東急田園都市線三軒茶屋北口下車徒歩2分 のところですので、どうぞおいでください。資料代500円です。(遊戯史学会員は無料) 時間は14時~17時で、その後懇親会も計画されています。

●<参 考> 世田谷産業プラザ:
https://www.setagaya.co.jp/institution/51_setagayasangyou.html

 さて、内容ですが、恒例により今回も講演が二つです。

講演1 「『厩図屏風』の中の盤上遊戯」       田中規之氏
講演2 「長崎奉行所犯科帳にみるカルタ賭博の実態」  江橋崇氏

講演1について
 田中規之(たなか・のりゆき)氏は長く遊戯史学会監事を務められ、特に文献資料の少ない古代のゲームについて、さまざまな資料を紹介されてきました。今回の「厩図屏風」(うまやず・びょうぶ)は、文字通り屏風に厩(うまや)の絵を描いたものです。初期のそれは専ら厩(うまや)につながれた何頭かの馬を描くだけものでしたが、時代が降るに従い、半ば社交場と化してきた厩(うまや)の周りで、将棋や双六を遊ぶ様子がリアルに描かれたものが現れます。特に重要文化財ともなっている16世紀頃の成立とされるものは、ゲームの局面もかなり辿れます。今回はおそらくそこに着目した発表になるのではないかと、期待されます。

●<参 考> 繋馬図屏風(厩図屏風):
C0005738
【重要文化財。16世紀頃の作。画像提供:東京国立博物館 http://www.tnm.jp/
(画像の無償利用の範囲と条件について:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1372

●<参 考> 「厩図屏風」(うまやず・びょうぶ)は切手にもなっています。
0040040009872
http://www.kennedystamp.jp/shopdetail/004004000987/004/X/page3/product/

講演2について
 江橋崇(えばし・たかし)氏は法政大学の憲法学の教授でしたが、昨年度定年退職され、これからは「本業」のカルタ研究に打ち込むと話されていましたので、特に今回の発表は楽しみです。氏は、日本のカルタ研究の第一人者で、「遊戯史研究」誌には、かつて三回にわたって花札の歴史も執筆されていました。遊戯史では資料の不足がいつもネックになりますが、特に当事者が記録を残さない賭博の領域では、決定的に資料が不足しています。というわけで、正確で詳細な記録は、むしろそれを取り調べた司法側に遺されていることが多いのです。今回もそうしたアプローチだと思われますので、一層期待が高まります。

●<参 考> 江橋崇―Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%A9%8B%E5%B4%87

●<参 考> 「ナガジン」発見!長崎の歩き方:「犯科帳が教える江戸期の長崎」:
title1012
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken1012/index.html

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