増川宏一語る「研究の切り口」―その〔1〕(全3部)

Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ、略称AGS)は、2010年10月の結成以来、ウェブマガジン・各種イベントの運営、ゲームや関連分野における研究・実践・出版活動などを行なって参りましたが、このたび独自ドメインを取得、新たな発信基地として本サイトを設定、心機一転してさらなる飛躍を目指すことになりました。旧サイト(http://analoggamestudies.seesaa.net/)から、随時コンテンツを移行しながらの情報発信となりますが、今後ともAGSへのご理解・ご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。リニューアル第1弾として、遊戯史研究の大家である増川宏一さまの寄稿をお愉しみ下さい。(Analog Game Studies代表・岡和田晃)

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増川宏一語る「研究の切り口」―その〔1〕(全3部)

(本文:増川宏一、解説・レビュー:蔵原大、協力:草場純、仲知喜)

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■【解 説】
  蔵原 大

増川宏一といえば、ゲーム研究にとって「大先輩」にあたる、遊戯史研究の分野でご活躍されてきた高名な研究者です。将棋や賭博(ギャンブル)の盛衰に関する増川先生の史学研究について、ご存知の方も多いでしょう。

■ 遊戯史学会:http://www.gameshistory.net/

先日、幸運にも増川先生とご縁ができましたので、当AGSの草場純顧問を介して、遊戯史や歴史研究における「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」をお聞きしました。遊戯史(あるいは歴史学やゲーム研究)はどんなポイントから研究してゆく学問なのか、ということをお訊ねしたわけです。

以下の【本文】は、増川先生のご承認を得て、先生よりいただいたお手紙を転載したものです。長くなりますので、今回は三分割したうちの「その〔1〕」を公開しました。
●「その〔2〕」
●「その〔3〕」も公開です。
※記事中の「国立国会図書館所蔵」資料は、他文献・サイトなどへの転載をご遠慮ください※

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■【本 文―その〔1〕】
  増川宏一

前略

「研究の切り口はどのように見つけたらよいのか」というお訊ねについて、私は以下のように考えています。

いわゆる「切り口」は人によって異りますので、十人十色と云ってもよいでしょう。私の場合を具体的に示しますと、『賭博の日本史』(平凡社選書・一九八九)の時には、「第三章 教養としての賭博――中世の賭博」、「第四章 社交としての賭博――近世の賭博(一)」、という章建てにしました。「切り口」と云えるかもしれません。

第三章は、かなりな量の公家の日記(活字本として出版されています)を読んだところ、聞香、闘茶、連歌、詩歌や和歌の合せもの等が遊びとして非常に多く記されていました。天皇や皇族も含む公家達は、ほぼ同じ様な環境で育ち、教育をうけていますので、嗅覚を競う遊び、味覚を比べる遊び、文学的知識や才能を競う遊びが成り立っていました。つまり私は、「どの公家にも共通している行為」を一つの考察の対象にして、いわば「切り口」として「教養」という観点から採り上げてみたのです。

第四章は、主として「黄表紙本」(或いは単純に「黄表紙」)と刑法の判例集を述べた『御仕置類例集』を参考にしました。判例集もかなりな量で、他の犯罪に分類されているなかにも「遊び」があります。

〈黄表紙本『美男狸金箔』(十返舎一九 作・画、国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532473〉

共通しているのは、町人が交際する場合に遊んでいることです。社交を「切り口」にしました。三章四章の「切り口」は、無論、担当の編集者と懇談の際に話をして、大いに賛成してもらったものです。

他の場合も、絵双六の歴史を調べている時に、双六の製作過程から絵双六を観た場合、双六を奢侈禁止という視点から見た場合、など、一つのテーマであっても様々な角度から見ることができます。そのなかの或る角度が「切り口」になるのでしょう。
人によって異なるのは、前述の公家の日記を読んだ歴史家のなかには「悪党の世紀」という観点から考えた人もあり、公家の荘園からの収益と低下、という観点から考えた人もあります。近年では「公家の病気」という観点から考察した人もいます。すなわち、その人の関心やテーマによって異なります。

jpegOutput源氏双六1

〈タイトル (title):〔源氏双六〕、収載資料名 (publicationName):〔双六〕(国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304980〉(引用者注:あるいは「源氏絵合わせかるた」「呼び出しかるた」か)

同じゲームを採りあげるにしても、様々な視点から考えられます。ゲームを実践やルールから考察された方には優れた人達が沢山いらっしゃることは私もよく承知しております。

明治以来、遊びは学術研究の対象になりませんでした。そのため研究の蓄積も充分ではありません。皆様がゲームという大きなテーマに果敢に取り組んでいられることに私は敬意を表します。よくぞ頑張っていられると尊敬もし、感嘆し、激励したいと常に思っています。

 

〈滑稽本『東海道中膝栗毛』(十返舎一九 作・画、国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2558997〉

(その〔2〕に続きます)

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■【レビュー:増川宏一『日本遊戯史―古代から現代までの遊びと社会』
  蔵原 大

なお読者の中には増川先生の業績に不案内な方もおられるかもと思い、ここに先生のご著書のレビューを付け加えました。理解の一助にしてくだされば、幸いです。

http://www.amazon.co.jp/dp/4582468144

もちろん遊びは楽しいものですし、そうであって全く問題ありません。けれど同時に、遊びの明るい側面とは対照的な「影の部分」が存在するのも また事実です。遊びの「影の部分」を紐解くことは、今のゲームに関わる方々にとって決して無益ではないでしょう。なにしろ江戸時代の武士や町人が「将棋」「富くじ」「さいころ賭博」に熱中した姿と、現代の私たちが競馬、パチンコ、携帯ゲームにハマってしまう姿とは、けっこう似通っているように思えるからです。

そうした遊びの日本史、つまり本文で挙げられていた『賭博の日本史』のいわばダイジェスト版が、2012年に出た『日本遊戯史』です。ここでその見どころ、あるいは遊びの「影の部分」の一部をご紹介しましょう。

内容は、古代から現代まで、日本の人々がつくりあげ親しんできた遊びの姿とその盛衰を描いたものです。といって囲碁・将棋のようなポピュラー物にとどまりません。相撲などのスポーツ、和歌・俳句・百人一首といった文学的遊びもさりながら、本書独自の「切り口」は「ギャンブル」。先にあげたゲームが賭け事と深く結びついていた事実、それぞれの時代の人々がゲームを使ったバクチに熱中してきた姿について詳しく検証されています。ゲームの普及や普遍性、将来どんなゲームが生き残るのか、といった問いへの好材料となるでしょう。

なお『日本遊戯史』の構成はつぎの通りです。

○ はじめに
○ 第一章 遊びの伝来と定着
○ 第二章 中世の遊び
○ 第三章 華麗な遊びの世界
○ 第四章 遊びの近代と現代
○ 終章 遊戯史研究
○ おわりに
○ あとがき

今の遊びの場では、ゲームの「課金」問題、ちょっと前の「コンプガチャ」騒動のように、お金に関するシリアスな課題が浮上中です。野球や相撲などのスポーツ賭博についても、再三報道されてきました。ですが、そもそも遊びと「課金」またはギャンブル性とは、元から表裏一体なのです。『日本遊戯史』では、将棋や相撲以外にも「双六」(すごろく)や「かるた」(カードゲーム)の古い姿を通じて、ギャンブルの起源が取り上げられています。ゲームとギャンブルとの結びつきは、テクノロジーの違いこそあれ、今も昔も共通すると言えそうです。

さらに付け足すと『日本遊戯史』では、時の権力が発するギャンブル(遊び)禁止令に逆らって庶民が、そして武士や貴族、なんと皇族でさえ平然と、もちろん金品を賭けて遊んできた赤裸々な姿にも目配りが行き届いていました(一例として天皇家の遊びについては本書pp.127-128,135-138)。かつ書中で紹介されるエピソード、たとえば「第三章 華麗な遊びの世界」の中には、これまた現代のゲーム(とくに同人系)を連想させる点が多々あります。

たとえば「すごろく」は、江戸時代いくども「奢侈」「風俗よろしからず」等の理由で取り締まりの対象となりました。けれどその都度バリエーションを変えて生き残る、この生命力はまさにサブカルチャーのお手本です(本書pp.168-178で詳解)。やがてその力は、明治以後には文明開化の、そしてついには軍国主義のプロパガンダさえ担ってしまいます。極論すれば「人生ゲーム」や「リアル脱出ゲーム」( http://realdgame.jp/ )だって、今なお生きる「すごろく」の一種ではないでしょうか。

〈「江戸名所双六」(国立国会図書館所蔵、転載許可取得済み)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310733〉

こうして見ていくと、中国のことわざの「上に政策あれば、下に対策あり」という言い分は、日本ゲームの領域でもまた時代を越える普遍的事実なのかもしれません。遊びに関わってきた人々の底力、その広がり・奥深さを単にながめるだけでも、面白く元気づけられるように感じます。きっとそれは、遊びという行為を人が追い求める、その根源にある人間性につながっているのでしょう。

最後になりますが『日本遊戯史』のユニークな点の一つは、「終章 遊戯史研究」とありますように、遊びの「研究の蓄積」つまり遊びに関する史学研究の流れが、著者ご自身の実体験を踏まえて語られていることです。遊びの研究が権力によって大きな影響を被ってきた事情、学術の「影の部分」と社会とのむずかしい関係について指摘されています。

結論としては、今のゲームの研究・ビジネスにおいて独自の「切り口」を模索されている方々への非常な刺激剤となりえるのが、本書『日本遊戯史』です。「本来の人間が持っている積極性、活動性を表わすものとしての遊びの真実を伝えたい」(本書p.4)とするその内容が、皆さんのご参考になれば幸いです。

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さまざまな遊びは消長を繰り返しながら遊び継がれていく。総体にせよ個々の遊びにせよ、遊びがどのような方向に向かうのか、遊びの近い将来を決定するのは人間である。人が遊びを創り伝えている。これが遊びの歴史であろう。

―増川宏一『日本遊戯史』p.295―

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ゲームと犯罪と子どもたち

・ゲームはいわゆる「ゲーム脳」をつくりだすのか? ゲームは子どもに悪影響を及ぼし犯罪を助長するのか? ハーバード大の研究チームが、児童を対象とする社会調査の成果を切り口に、ゲームやニュー・メディアをめぐる噂や政治的言説の真偽を検証した研究書です。

● 牧原憲夫『全集 日本の歴史 第13巻 文明国を目指して』
( http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784096221136 )

・幕末から明治へ、幕藩体制から天皇制へと変わる日本で、庶民の暮らしはいったい何がどう変わったのか? 福沢諭吉の「人の上に人をつくらず」ってホントはどんな意味? 「開国」「文明開化」がもたらした自由競争という名の差別・侵略を切り口に、近代化による格差社会の形成を明らかにした研究書です。
今日のTPP問題につながる通商・物流の影響を多く取り上げ、コラム「博打と博徒」(p.290)では増川先生の研究にも触れています。

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