【レビュー】門倉直人『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉(ことのは)の魔法~』(付記:SF乱学講座「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」のお知らせ)

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【レビュー】門倉直人『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉(ことのは)の魔法~』(付記:SF乱学講座「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」のお知らせ)

 公成文 

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シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉の魔法~ [単行本] / 門倉 直人 (著); 緒方 剛志 (イラスト); 新紀元社 (刊)

 日常には、今も魔法が潜んでいる。

 朝松健の著作であったと思うのだが、あらゆる魔術の根源的要諦は「現実と寸分たがわぬヴィジョン」を創り上げることだ、という主旨のことをどこかで読んだ。そのような〈ヴィジョン〉を駆使することで、「現実」を随意に操作出来るものという。我々の知る魔術の儀式や道具立ては、〈ヴィジョン〉を現実に近づけるための、いわば方便であり補強であるらしい。これは、裏を返せば、〈ヴィジョン〉の構築に寄与すれば、何ごとによらず、「魔術」の道具であることを意味する。世の中には、ソードやワンドのような魔術師の道具が、人知れず蹲(うずくま)っているのである。                   
The Original Rider Waite Tarot Pack [カード] / Arthur Edward Waite (著); United States Games Systems (刊)                

 そして多分「言葉」こそは、そのような道具の筆頭である。人が何かを思い浮かべる時、多くは「言葉」による補強を受ける。我々が“運命”・“虚数”・“未来”と呼ぶ実体のないものまで〈ヴィジョン〉の内に収められるのも、言葉の力ゆえだ。

 「言葉」こそは、我々の世界を“世界らしく”在らしめている強力な魔法の道具なのである。

 すると、「言葉」によって〈ヴィジョン〉を細密に描き出し、その世界をありありと体感しようとする点で、RPGという行ないもまた、魔術の別名に他ならないということになる。

 勿論、その担い手達がどれほどRPGの魔術的側面を意識していたかは、別であるとしても。実際、キャラクター達に願望を仮託して遊んでいたつもりで、その実、そのことがそのまま魔術であったなどということは、普段想像すらすまい。

 だがここに、RPGのこのような側面をあやつる、一人の「魔術師」がいる。

 門倉直人氏である。

 門倉氏といえば、初の国産ファンタジーRPGシステム『ローズ・トゥ・ロード』を世に送り出し、以後もRPG界のトップランナーで在り続けている「常なる先駆者」であり、いまさら本稿の筆者が喋々するのも憚られる、いわば「顔」の一人である。       

 その門倉氏の代表作の一つ『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』(Bローズ)の、あの「マジックイメージ」を駆使した魔法システムは、言うなれば「記号」を用いた〈ヴィジョン〉の構築をその原理としている。「言葉」もやはり「記号」の一部であるから、Bローズも、先程来述べてきたような魔術のあり方と直結すると言って良い。また最近作『ローズ・トゥ・ロード』(Wローズ)は、これ正しく、言葉と〈ヴィジョン〉の魔術が、そのままRPGと化したかのようなシステムである。

ローズ・トゥ・ロード (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [大型本] / 門倉 直人 (著); エンターブレイン (刊)

 すなわち、ともどもに魔術的産物であって、我々はこれらのプレイを通して、本当に「魔術師の弟子」として振舞っていたということになるのである。それと悟らず(悟らせず)、知らず知らずに。

               
 さてそうなると、気になるのは、このような門倉氏の仕掛けた魔法を深く、しかも「魔術師」の地平から見つめる術はないのか、ということである。我々は今までその片鱗を、意識せずに垣間見てきたに過ぎないが、意識的にそれを観察すれば、その秘訣を盗みとることが出来るかもしれないからである。そもそも、己の知らぬ魔法を知りたい・使いたいという強い欲求は、「魔術師の弟子」として素直で自然なものではないだろうか?

魔法使いの弟子 (ちくま文庫) [文庫] / ロード ダンセイニ (著); Lord Dunsany (原著); 荒俣 宏 (翻訳); 筑摩書房 (刊)

 それを叶える書物がある。門倉氏の新著『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか~言葉の魔法~』である。                  

 門倉氏は同書で、「時」とそれに連なる魔法を通して、日常の中に今も潜む魔法の姿を鮮やかに解き明かしている。考えてみると、「魔法」のわざを見るのに、これほど適した題材もそうはない。                
 そもそも時は元来切れ目のない一筋のつらなりである。年・月・日、春・夏・秋・冬といった時の区分は、あくまで人間側の都合で切りわけた〈ヴィジョン〉であって、その分ほんのささいなことで簡単にうつろってしまう。  

 そこで仮設した〈ヴィジョン〉がうつろわぬよう、言葉とイメージとをより強く散りばめるために、いわば〈ヴィジョン〉をつなぎとめる〈アンカー〉として、年中行事や記念日が設けられ、旬や風物が選び取られてゆく。日頃意識こそしないが、そうやって我々の周りに魔法が張り巡らされることで、「時」は保たれているのである。自然、「時」の周囲を掘り起こせば、隠れた魔法の姿が見えてくる。

 例えば、冬の章「豆」の段。門倉氏はいにしえ以来設けられてきた「年」の切れ目(新暦旧暦それぞれ二回の正月と小正月、節分)が一年に「年越し」を5回(!)もたらしていることを指摘する。さらにそれらを聖別し、安定させる<アンカー>として「豆」――節分の「豆」、小正月の「小豆粥」、おせち料理の「黒豆」――が用いられていること、しかもそれが西洋のトゥエルフス・ナイトとトゥエルフス・ケーキの関係にも共通して言えることを述べている。これらの事象の裏には、本来夏至や冬至に比して体感しづらくうつろいやすい「年」の切れ目を、「豆」の力に依って保守しようとしてきた人間たちの営為が窺われるであろう。

 あるいは、全巻の冒頭、春の巻「花見の魔法」の段。門倉氏は白川静や高崎正秀の説を引きながら、「サクラ」という名の語源を、「サ(田・稲の神霊)」あるいは「サ(然=それ=名無き大いなる神霊)」の「クラ(座=依ります所)」というあり方に求める。その上で、桜を眺めそれと交わる花見のうちに、新たな年の豊穣を噛み締める「命」の祭としての側面を見出し、「生も死も、人も木も、一切を溶けあわせ精霊化する」という「花見の魔法」の存在を説いている。

 また、秋の章「トミノの地獄」の段で門倉氏は、口に出して唱えると死期を早めると巷で囁かれてきた西条八十の同名の詩を繙き、そこにちりばめられた「魔的象徴」の秘密を探っている。一見、「時」と関わりないように見えるこの段、実はこの詩の象徴の背景を手繰ってゆくと、その裏に潜む、ある「時」の魔法が浮かび上がってくる…という構成になっていて、タイトルに据えられるべきその「時」の魔法は、あえて段名に謳われていない。取り上げられた詩は口に出してはならず、「時」の魔法は密やかに示されるのみ。これは、J.K.ローリング『ハリーポッター』シリーズにおいて、魔法使い達が「例のあの人」「名前を言ってはいけないあの人」等と闇の帝王の名を口にしないのに似る。言葉は時として悪しき世界すら現前させるがゆえに、用いてはならぬこともあるのである。

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 このように、人間が「時」を巡らす/廻らすためにいかなる魔法を使い、それがどのように組み上げられ、その中で生きてきたかを、門倉氏は4章30段にわたって、詳細に明らかにしている。大魔導師の面目躍如であろう。卒業論文や文芸批評であれば、30段のうちの1段でも半段でも探れば、一本書けてしまえるような、ある意味で非常に危険な一書。RPGのセッションやらシステムやらの種ならば、一生分が篭められているような、実に眩い一冊である。

 ただし、弟子たちよ、心せよ。何しろ大いなる魔術師が力を注いだ本である。伝え聞くところによると、魔術師たちは、秘伝を記す時、初学者が使い方を誤らぬように、全てを明かさぬものという。     

 例えば、本稿の筆者の辿り得たところで言えば、先程も述べた、「豆」の段。実は門倉氏が同書の中で多く引く『今昔物語集』の中に、「霊」を「打蒔ノ米」(=米まき)で撃退した話がある。ここにキョンシー映画でのもち米のあり方や、結婚式のライスシャワーの存在などを考え合わせると「豆まき」にならぶ「米まき」、もっというならばそれらを包み込む「五穀」の魔法の系譜が想像されるが、それについてはいまだ詳らかにはされていない。

 どうやら、先に触れた「トミノの地獄」の段での隠し題同様、うかつに読み手が手をつけて、後々害にならぬよう、門倉氏が意図的にその奥義を明らかにしていないところが、あちらこちらにあるものらしい。

 本を手引きにより深く探っていくことで、初めて門倉氏の地平にたどり着く。そのように、同書は作られているのであろう。

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 同書は、現代の奇書である。同書を繙き門倉氏の仕掛けた魔法を味わえば、きっと、俗塵に染まった耳目を洗い濯ぎ、新たな「世界」とその魅力を発見することになるだろう。それは一種の生きる力の復活を意味する。      

 そして、多分そのような生きる力を蘇らせることこそが、古代の人々が「四海安かれ、四時安かれ」と願った、その思いと祈りとを引継ぎ、次代に伝えていくことにつながってゆくのではないか-とは、本稿の筆者が、規模小なりとはいいながら、未だ安らかならざる被災の地に住むために思う、僻事であろうか。 

 ともあれ、このような奇書が世に現れたのは誠に慶事である。本稿の筆者の怠慢ゆえ、あまりにも紹介の遅きに失した次第であるが、なに、この本の価値は、そのようなことで揺らぎはしない。今は諸共に、この新たなる名著の出現を言祝ごうではないか。

シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉の魔法~ [単行本] / 門倉 直人 (著); 緒方 剛志 (イラスト); 新紀元社 (刊)

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 門倉直人さまの講演会が、来る10月2日に東京・高井戸で開催されます(SF乱学講座10月の回)。もと遊演体代表、小泉雅也さまとの共同講演となります。

※SF乱学講座は、40年の伝統がある市民講座で、誰でも聴講が可能です。事前予約も不要ですので、直接会場へお越しください。

 来月号の「SFマガジン」、そしてSF乱学講座ホームページにて告知文が掲載される予定ですが、Analog Game Studiesをお読みの方へ、お先にお知らせいたします。

SF乱学講座10月の予定

10月2日(日)

タイトル:日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から

講師:門倉直人氏(遊戯創作/文筆業)、小泉雅也氏(元遊演体代表)

参考図書:門倉直人著『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか』(新紀元社)、竹内薫著『世界が変わる現代物理学』(ちくま新書)
シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉の魔法~ [単行本] / 門倉 直人 (著); 緒方 剛志 (イラスト); 新紀元社 (刊)世界が変わる現代物理学 (ちくま新書) [新書] / 竹内 薫 (著); 筑摩書房 (刊)

開催日時:2011年10月2日 日曜日 午後6時15分~8時15分
参加費 :千円
会場  :高井戸地域区民センター3F

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5302/



★『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか』のもととなった記事が連載されていた「Role&Roll」誌公式Twitterでご紹介いただきました!
※2011/8/30 一部内容ミスのご指摘を受け、修正。

【レビュー】徳岡正肇『ソーシャルゲーム業界最新事情』(ソフトバンククリエイティブ、2011)


【レビュー】徳岡正肇『ソーシャルゲーム業界最新事情』(ソフトバンククリエイティブ、2011)

 井上雄太


ソーシャルゲーム業界最新事情 [単行本] / 徳岡 正肇 (著)  ソーシャルゲーム業界最新事情

  著者: 徳岡正肇
 ・出版社/メーカー: ソフトバンク クリエイティブ
 ・発売日: 2011年4月1日
 ・メディア: ソフトカバー

 ソーシャルゲームというジャンルが世を賑わしている。そんなもの聞いたことがないけれど、という方もテレビCMでこのところ頻繁に現れる『怪盗ロワイヤル』、『釣りスタ』といったゲームタイトルを耳にしたことはあるだろう。これらがまさにソーシャルゲームの代表作である。驚くべきことにこのソーシャルゲームの市場規模は今や1200億円(*1)を越え、すでに家庭用ゲーム市場(*2)の4分の1にまで拡大しているのだ。

 突然現れたこの新しいゲームはどこからやってきて誰が支えているのか。歴史が短く、いまだ全貌もはっきりしないこの業界にいち早く切り込んだのが『ソーシャルゲーム業界最新事情』だ。著者の徳岡正肇氏はゲーム情報サイト「4Gamer.net」等でゲームのレビュー記事を執筆する一方、『ワールド・オブ・ダークネス』等海外の会話型RPG(TRPG)の翻訳も手がけた、ゲームレビュアーにして翻訳家である。本書はソーシャルゲームの成り立ちと可能性、その業界の現状を具体的な事例やインタビューから伝えている。

・本書の構成

 本書はソーシャルゲームの全体像について俯瞰的に語る「第1部 ソーシャルゲーム概説」と、インタビューによりソーシャルゲーム業界の現在を伝える「第2部 ソーシャルゲーム業界の最前線」とで構成されている。第1部では、まずソーシャルゲームの定義自体が見直される。その上で、日米における発展の経緯、「非同期性」に代表される従来の多人数ゲームとの大きな違い、そして「ソーシャル化」という現象がこれからゲームにどのような意味を持つのかについてまで語っている。もちろん、時折新聞やニュースをにぎわす「基本無料」問題にも触れている。

 第二部では、合計12社ものゲーム会社へのインタビューで構成される。この12社は大手ゲーム企業の事業部から、アプリ専業ベンチャー、動画サイトの運営会社など様々である。この多様さがそのまま業界の勢いと全体像の把握のし辛さを示していると言ってもよいだろう。ここでは、運営中のタイトルに対する各社自身による分析、スマートフォン化や、美しいグラフィック・BGMの利用によるコンテンツのリッチ化などといった将来への展望、それに企業側の求める人材が語られ、多様なソーシャルゲーム像を見ることができる。

 以上の構成を持つ本書は基本的にはソーシャルゲーム業界の動向に興味がある人、あるいは業界への就職を考えている人に業界の現状を伝ようと書かれたものと言ってよいだろう。そのため第2部で扱われるインタビューの内容も、単なるユーザーへのPRとは異なるものとなっている。とはいえ、第1部で扱われるゲームの「同期性・非同期性」という視点や、徳岡のゲームの「ソーシャル化」に対する展望等には、将来のゲーム像を考える上で大きな手がかりとなる情報がぎっしり詰まっている。

・ソーシャルゲームとはなにか

 さて、本書で扱われるソーシャルゲームとはそもそも一体どのようなゲームをさししめすのであろうか。

 単にソーシャルを「社会的なつながり」という意味で取るのならば、MMORPG(オンラインで多人数が遊ぶRPG)や多人数で遊ばれるアナログゲームなども充分にソーシャルゲームと呼ばれて然るべきなのではないか、という当然の疑問を検討することから徳岡は出発する。

 その上で徳岡はソーシャルゲームに対する現在一般的な定義「SNS(Facebookやmixiのようなソーシャルネットワークサービス)を利用し、SNSの参加者がプレイ可能なゲーム(本書 2頁)」を検討していく。ソーシャルメディアとゲームとの連結のみに視点をおけば、MMORPGなどの境界的な事例が多発することは現状必至である。この問題への対応として、徳岡はソーシャルゲームを「ゲームのいちジャンルと理解するよりも、インターネット上で影響力を拡大しているソーシャルメディアにゲームが連結された「状態」あるいは「運動」であると理解したほうが、より適切なのかもしれません。(本書 2-3頁)」という視点を打ち出す。

 この視点によりSNSと連結を持たない従来のブラウザゲームやMMORPG、アナログゲームはソーシャルゲームから、一旦切り離される。もちろん、これらのゲームにもいつかSNSと連結をもつ可能性自体は残されていると言うことはできるだろう。

・ソーシャルゲーム市場の歴史

 このようなソーシャルゲームとその市場の展開はどのように分析されるのであろうか。徳岡はその展開を、その独自性の発展と共に追っていく。

 ソーシャルゲームの隆盛のきっかけとして、徳岡が指摘するのはFacebookやMySpaceといったSNSでのアプリケーション開発のオープン化である。実際2007年にFacebookでの開発が可能となると、半年で14,000本ものアプリケーションが開発されたという。とはいえこの時点でのソーシャルゲームはこれまでにあった有名なアナログゲームやデジタルのカジュアルゲームをSNS上でプレイできるようにしたという色合いが強く、ソーシャルゲームならではの特徴といったものはまだ存在していなかった。また元となったゲームの権利元との問題の発生も指摘されている。この時点の日本ではGREEの『釣り☆スタ』がソーシャルゲームとして最初のあゆみを進めるが、開発のオープン化はまだ先のこととなる。

 2008年頃になると『Mob Wars(2008)』『Famtown(2008)』等SNSの性質を生かしたゲームが現れ出す。ソーシャルゲームは開発期間・開発コストの安さと、母体となるSNSのユーザー数増加により収益率が高かったことから、多くのディベロッパーがソーシャルゲーム市場に算入することとなった。

 日本でも2009年mixiアプリが公開され「サンシャイン牧場」が1ヶ月で130万ユーザーを獲得し一挙に普及する。これを受け2010年にはGREE、モバゲーにおいてもオープン化が行われ、国内市場でも競争が本格化していくこととなった。

 現在はスマートフォン市場への参入競争、日本企業の海外展開 が進み、海外企業による買収も行われ、勢力図の混沌としたまま先に述べたように市場は急激に拡大し続けている。もちろん急激な市場拡大には、様々な問題が付いて回る。過当競争によるリッチコンテンツ化と広告コストの増大により、すでに参入すれば儲かる時代は終りを告げている。他方で子どもによる高額課金の問題、SNSによるディベロッパーの囲い込みは、ときおり新聞やニュースを賑わしている。ゲームデザインの類似により訴訟問題も生じている。このようなソーシャルゲームが現在向き合っている課題についても一つ一つ丁寧に解説が行われている。

・ソーシャルゲームと「同期性・非同期性」

 ソーシャルゲームの大きな特徴として、遊ぶ時間を共有しない複数のユーザー同士が手軽に「一緒に」遊ぶことが出来るというものがある。この一見矛盾したかに見える状態を解き明かす鍵がユーザーとゲームの関わる時間の「同期性・非同期性」という概念である。

 「同期性・非同期性」とは「ゲームに限らず、多人数が利用するサービスにおいて、そのユーザーの利用時間は共有されているか、いないかということを示す(本書 27 頁)」とされる。人と人が直接あって話すことや電話は当事者同士の時間が共有されているため、「同期的」なコミュニケーションであると言え、それに対し、書籍やメールは書き手と読み手、さらには読み手同士の間にも同じ時間は共有される必要のない「非同期的」なコミュニケーションであるというのである。もちろんこれはどちらが優れているというわけでも、特定のコミュニケーションやサービスについてこれらのどちらか片方しか存在しないという性質のものでもない。

 徳岡の本書ではこのような同期性・非同期性の観点に基づき、将棋や麻雀といった古典ゲームからソーシャルゲームに至るまでのゲーム全般が分析されている。別して、アナログゲームやCGIゲーム(CGIを利用したwebブラウザのみでプレイ可能なゲーム)、MMORPG等の複数人数で遊ぶゲームは、プレイヤーの時間とゲーム内の時間が共有される同期的な面が強く現れる。つまり、複数人で遊ぶためには特定の時間をゲームのために共有する必要がある。さらに、MMORPGにおいては、ゲーム内時間の同期性は顕著なものとなる。プレイヤーがログインしない間もゲームには常に別のプレイヤーが遊んでいるという状況が発生し、ゲームを再開する際には自分を取り巻く状況が変わりうるというのである。そのため、MMORPGはゲームに大量の時間を必要とし、疲れ果ててしまうプレイヤーも現れるという問題点も生じたことが指摘される。

 他方で、コンピュータゲーム以降に大幅に広まったひとりで遊ぶゲームではプレイヤーはいつでもゲームを中断する事ができ、その時点での状況がそのまま保存されるため、ゲーム内の状況とプレイヤーは非同期的であった。もちろん、他のプレイヤーは存在しないため、そもそもプレイヤー間の同期を考える必要はなく、いつでも始められいつでも止めることができる。

 以上のような、一人:非同期、複数人:同期というこれまでのゲームの枠を変えたのが非同期的なソーシャルゲームであると徳岡は分析する。つまり、複数の人間が時間を共有せずに、一緒に遊ぶ事が出来るようになったというのだ。

 一体どうして多人数の非同期ゲームが可能になったのか。その答えとして、徳岡はゲームを中断した際の最低保証と、プレイヤー間の「インタラクション」(やりとり)の待受時間の長さが取り上げる。前者は、プレイヤーがゲームを中断している(と同時に他のプレイヤーがゲームを進めている)間に、ゲーム状況を中断前と同じかある程度進んでいるが大きな変化のない状態にすることにより、あたかも個人用のコンピュータゲームのデータをロードしたときのように、ゲーム内での状況がプレイヤー個人にとっては「止まっていた」と認識させることである。他方後者は、インタラクションの待受時間が長くとることにより、いまゲームをプレイしていないプレイヤーを含む任意の人物にアクションを行えることを保証している。この二つが非同期の多人数ゲームを可能にするというのだ。

 もちろんこの解決方法には問題点があることも指摘されている。最低保証はゲームからリスクやスリル、さらにそれを乗り越えることによって得られるカタルシスといった従来のゲームが提供して来た魅力を取り上げ、またリスクの少なさは新しいコンテンツの必要性を加速させてしまうというのである。そもそもゲームの非同期化そのものにより、「特別なイベントが常態化してしまう(本書 36頁)」というようにゲーム運営の起伏が小さくなり、イベントなどを仕掛ける効果も薄れてしまう問題もある。

 本書で用いられたゲームの同期性・非同期性という概念は、デジタルゲームの分析に固有というわけではない。徳岡は、ゲームにおける同期・非同期の関係性を、古典ゲームだけでなく、ボードゲームの『ディプロマシー(*4)』やTRPG等のアナログゲームにも広げて見せる。例えば『ディプロマシー』における手順自体の非同期性と「交渉」の同期性との関係が挙げられている。この同期性・非同期性の視点から「課金システム」(ゲームのプレイにお金がかかるシステム)とゲームシステムの関係を分析することもかなり刺激的なものとなりそうである。(課金システムとゲームシステムの関係は本書では第2部のインタビューの中で述べられるに留まっている。課金システムとゲームシステムの関係自体においてもある種のゲーム的な状況が成り立っていると言える。あるゲームシステムにおいて運営者がどのようにプレイヤーの課金への意欲を引き立てるか、そのように課金を意図して作られたシステムをプレイヤーがいかに利用するか/しないか、というやりとりはある種ゲーム的である。)

 同期性と非同期性、両者がひとつのゲームのシステムの内外でどのように影響しあうのかという問題は、アナログ・デジタルを問わないゲーム分析の際だけでなく、恐らくはゲームを制作する際においても非常に重要な視点となるのではなかろうか。

ソーシャルゲーム業界最新事情 [単行本] / 徳岡 正肇 (著)  ソーシャルゲーム業界最新事情

  著者: 徳岡正肇
 ・出版社/メーカー: ソフトバンク クリエイティブ
 ・発売日: 2011年4月1日
 ・メディア: ソフトカバー


[関連書籍・リンク]

 徳岡氏の書かれたものでソーシャルゲームに関わるものを下記したので参照されたい。

・『ウォーゲーマーハンドブック2010』掲載のコラム「野獣(のけもの)げぇまぁ」
http://a-gameshop.com/SHOP/WGH001.html
・『デジタルゲームの教科書』の「第10章 ソーシャルゲーム」
http://www.amazon.co.jp/dp/4797358823
・4Gamer.ner「コアゲーマーが満足できるソーシャルゲームはコレだ! 年末年始の休暇どころか,その先もどっぷりハマれるお勧めタイトルを紹介」
http://www.4gamer.net/games/109/G010913/20101225001/
・4Gamer.ner「[CEDEC 2010]「モバゲー、mixiモバイル、GREE等、モバイルソーシャルゲームの最新動向とゲームデベロッパーへの事業機会」の聴講レポートを掲載」
http://www.4gamer.net/games/105/G010549/20100901070/
・4Gamer.ner「徳岡正肇のこれをやるしかない! / 第11回:「Mafia Wars」に見る,「自分のペースでプレイできる」ゲームとは?」
http://www.4gamer.net/games/085/G008544/20100205058/


【脚注】

*1:シード・プランニング「ソーシャルゲームの市場動向調査結果がまとまりました。」http://www.seedplanning.co.jp/press/2010/2010122102.html
*2:モーニングスター「2011年上半期の国内ゲーム市場規模は15.9%減」
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=500519
*3:本書出版以降の最新の事例としては、「モバゲー」を運営するDeNAは6月13日韓国に現地法人を設立が上げられる。
 J-CASTモノウォッチ「ディー・エヌ・エー、韓国に現地法人「DeNA Seoul」設立」http://www.j-cast.com/mono/2011/06/27099575.html
*4:『ディプロマシー』とはアバロンヒル(Avalon Hill)社のボードゲーム(1959年)。ゲームでは、第一次世界大戦前のヨーロッパを舞台として(最大)7人のプレイヤーが当時の列強各国を担当し、ヨーロッパの覇権を目指して競いあう。