ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(都甲幸治、久保尚美訳)、新潮社

【新作紹介】ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(都甲幸治/久保尚美訳、新潮社):SFとRPGと魔術的リアリズムのハイブリッドが生んだ新しい文学!
 岡和田晃


オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (Shinchosha CREST BOOKS) [単行本] / ジュノ・ディアス (著); 都甲 幸治, 久保 尚美 (翻訳); 新潮社 (刊)

 SFとRPGと魔術的リアリズムが衝突し、未曾有の大爆発を遂げた!
 英語とスペイン語、英米文学の伝統とラテンアメリカ文学の壮大な構造のまさにハイブリッド!
 『オスカー・ワオの短く凄まじい生涯』The Brief Wondrous Life of Oscar Wao,2007.
 21世紀文学に新たな1ページを刻む傑作の登場である。
 さあ叫べ、「シャザム」と! 君もキャプテン・マーベルに変身するんだ!

 オスカー・デ・レオン。ドミニカにルーツを持つ青年。女の子が大好き。だけど体重は140キロ。スポーツはからきしダメ。それでも彼は愛を求め、出逢う女の子に恋をしては撃沈を続けます。思い返せば幼稚園時代はモテモテでした。でも今は姉から「変わらなきゃ童貞のまま死ぬことになる」、「エロ本を捨てなさい」と説教される状態で、大学を出て教鞭をとるようになっても生徒から『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットに引っ掛けて笑いものにされる始末。

 しかし彼は単なるボンクラではありません。彼には確たる目標があったのです。それは素晴らしい小説を書いて「ドミニカのJ・R・R・トールキン」になること。9歳で『指輪物語』に触れ、高じてトールキンが発明したエルフ語を書けさえした(!)オスカーは、黄金期のSF作家のみならず、グレート・オールド・ワン、すなわち「もうみんなが忘れかけた」E・E・「ドク」・スミスやオラフ・ステープルドン(『最後にして最初の人類』や『スター・メイカー』で有名ですね)をさえ、むさぼり読むのです。そして彼のお気に入りの映画は、小松左京原作の『復活の日』。

 また彼は熱狂的なRPG者でもあり、家族に「一生をロールプレイング・ゲームの製作に捧げる」と宣言します。D&Dサポート雑誌「ドラゴン・マガジン」を購読し、メタル・フィギュアにせっせと色を塗り、「次のゲイリー・ガイギャックス」になることを夢見て、ファンタジー・ゲームズ・アンリミテッド社に超能力ものRPG『サイ・ワールド』の一部として自作モジュールの採用を検討されるところにまでこぎつけます。

 そして、デブのオスカーでも、ひょっとしていい関係になれそうな女の子たちも現れます(ヒント:オスカーはオルタナティヴ・ロックも大好きなのです)。

 しかし、なぜか決まって彼には不幸が訪れます。現に80年代が進むにつれて彼の心は荒んでいき、世界の終末を待ち望むようになるのです(オスカーは『ドラゴンランス』のレイストリンがお気に入り!)。

 オスカーは、アラン・ムーアのグラフィック・ノベル『ウォッチメン』を貪り読み、破滅もののRPG『アフターマス!』を遊びたがる粋な奴。そんなオスカーが他人とは思えない人は、おそらく筆者のほかにも多いでしょう(*1)。そして話が進み、オスカーとその家族の様子を追ううちに、読者は冒頭で説明される「フク」の実際を目の当たりにすることとなるのです。

 「フク」。正式には「フク・アメリカヌス」。

 小説の冒頭で説明されるそれは、広義には何らかの呪いや凶運を、狭義には新世界の呪いや凶運を意味する言葉です。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』において、この「フク」はラテンアメリカ史上最悪の独裁者ラファエル・トルヒーヨと、オスカーの家系との呪われた関係性を象徴する言葉として描き出されます。

 さて、手前味噌で恐縮ですが、筆者はボード/カードゲームの雑誌「GAME LINK」Vol.3(Shoot the Moon)の連載「戦鎚傭兵団の手柄話」において、政治を題材にしたゲームについての四方山話を書いたことがあります。

 ここでトルヒーヨについても簡単に触れましたので、その部分を紹介しましょう(*2)。

まずは(注:ボードゲーム)『フンタ』だ。南米の貧しい小国バナナ共和国を牛耳る軍事独裁政権の閣僚となって、先進国から施されたODA(政府開発援助)をかすめとってスイス銀行の秘密口座に入金できた額を競う最低なゲームだ。うまく大統領に当選すれば、好き勝手に援助金を分配できるが、根回しのさじ加減を間違うと、反対派にクーデターを起こされちまう!

 つい最近まで南米は、このゲームに出てくる政治家がヌルく思えるような連中でごった返してたんだぜ。例えばドミニカで30年以上も独裁を敷いていたラファエル・トルヒーヨ。クーデターを起こして将軍から大統領へ成り上がったトルヒーヨは、年金や都市計画に着手しつつ、国土の約3分の1を速やかに私物化し、首都の名前をトルヒーヨと改めるわ、市内に自分の銅像を1,200体あまりも立てるわ、新聞の第一面に大きく「ビバ、トルヒーヨ!」と書かせるわ、国内最高峰の山をトルヒーヨ山と改名するわ、やりたい放題。砂糖やコーヒーなど国内の主要産業は一族で独占。国内のハイチ人を1日に2~3万人も虐殺。あげくの果てには、支援者に自らをノーベル平和賞へ推挙させすらした(さすがに却下されたが……)。

 とまァ何もかも桁外れ。まさに神話的人物だ。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』などのファンタジーRPGでは、極限まで成長したキャラクターは神に近い存在となるが「混沌にして悪(ケイオティック・イーヴィル)」のキャラクターの成れの果てを見た気分だぜ。

(「戦鎚傭兵団の手柄話」第2回「同志(タワーリヒチ)、次回オリンピックはシベリアでいかが?」、「GAME LINK」Vol3)

 

 誇張ではないかと思われる方もおられるでしょうが、この独裁者が(諸説分かれる部分も含まれますし、無数の伝説を残してもいますけれども)南米において史上最悪とも言われる圧政を敷いてきたのは歴史的な事実なのです。彼はコロンビアの作家ガルシア=マルケスの長編小説『族長の秋』に登場する独裁者のモデルになったとも言われていますが、ガルシア=マルケスは、この独裁者を荒唐無稽なまでに神話的な人物として描き出します。

 その際に彼の筆は、いわゆる近代小説のお約束――ストーリーラインの一貫性、登場人物や時間軸の同一性――といった規範をやすやすと飛び越えるのです。近代小説の基盤が形成されたのは、バルザックやドストエフスキーが活躍した19世紀であると言われていまが、ここからわかるのは、トルヒーヨのような神話的人物は、19世紀的な方法論では到底、描き尽くせないということでしょう。

 しかし『族長の秋』以降の世代を生きるジュノ・ディアスが新しいのは、神話的人物としてのトルヒーヨと、トルヒーヨの治下で不当な弾圧を受けた人たちの生々しい「その後」を、きちんと切り結ぼうとしていることです。

 その際に必要不可欠だったのが、ほかならぬSFの、そしてRPGの想像力でした。

 SFとRPGの想像力を小説でハイブリッドさせた作品というと、古川日出男の『アラビアの夜の種族』を思い浮かべる方も多いでしょう。『アラビアの夜の種族』はコンピュータRPG『ウィザードリィ外伝2 古代皇帝の呪い』(と、同作のノベライズ『砂の王』)を母体とすることで、『千夜一夜物語』やガルシア=マルケスの『百年の孤独』が体現したような物語の複数性と、「始原の記憶の結晶」を追求する「迷宮志向」(それぞれ紀田順一郎)を文学の形で発展させました。

 一方の『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』は、『アラビアの夜の種族』とはまた異なるアプローチをもって、SFとRPGの方法を、新たな文学技法として積極的に取り入れる作品だと言えるでしょう(*3)。

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の原書には随所にスペイン語が挿入されていますが、SFやRPGの専門用語が、同じくらい大量に盛り込まれてもいます(*4)。そして、これらの固有名詞は実に効果的な配置がなされています。例えば『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』において、トールキンの『指輪物語』や『シルマリルの物語』に登場するサウロンやモルゴスといった強大な悪役の比喩をもって、トルヒーヨは語られますし、その暗殺の模様はRPGの戦闘のように「ヒットポイント四〇〇点ぶんのダメージを受けた」と説明されます(いや、本当に)。

 あまりにも馬鹿馬鹿しいって?

 しかしトルヒーヨがもたらした「フク」は、そして「フク」がもたらした歴史の総体はかように馬鹿馬鹿しくも大仰なもので、古典的なリアリズムの枠組みには収まりきらないもの。それゆえこの表現には確かな意味があるのです。

 高橋志行氏は「ロールプレイング・ゲームの批評用語」において、RPGにおける〈システムデザイン〉〈マスタリング〉〈プレイング〉をそれぞれ融合させた「共同ゲームデザイン」という考え方を提示しました。

 増田まもる氏が述べたように、この「共同ゲームデザイン」という考え方は、物語論(ナラトロジー)の立場から見れば、いわば既存の物語像の再解釈と理解することが可能です。

 つまり『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』はいわば「共同ゲームデザイン」の方法論で、トルヒーヨの独裁が生み出した惨劇と、惨劇の後に続く歴史を徹底して読み替えようとする試みにほかならないと筆者は考えています。

 「共同ゲームデザイン」を物語の中に取り入れる際には、例えばゲームブックのようなパラグラフ選択形式を持ち込むなどといった方法がありますが、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』とはそうした方法とはひとあじ異なるアプローチをとっています。それはつまり、「共同ゲームデザイン」の構造を、小説という一つの大きな箱の中に埋め込みつつ、プレイヤー×ゲームマスター間の「作者-読者」という関係性を、登場する各々の固有名詞のレベルにまで敷衍させている点にあります。

 そしてこの点は、RPGを生ぜしめた諸々の条件とも密接に連関するもので、RPGと、モダニズムを基体とした文学様式(例えばニューウェーヴSFやラテンアメリカ文学)の交点はここにこそあると筆者は考えていますが、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』は、その交点を体現した重要な作品だと言えるでしょう。

 お手に取ってそのことを確認してみて下さい。

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の第1章は1974年から始まりますが、これが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の発売と同じ年に設定されているのは、おそらく偶然ではないというのが筆者の見解です。いや、本書は立派なD&D小説です。作中では『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』のとある著名モジュールがプレイされる光景が語られますし、そのモジュールに登場する敵役にも、形象としての意味を見出すことは難しいことではありませんから。

 ところで、メキシコの作家・批評家であるカルロス・フエンテスは、著名な批評書『セルバンテスまたは読みの批判』の末尾において、次のように記しています。

 しかし事象は万人のものではなく言葉は万人のものである。そして言葉は共有財産のうちまず第一に、そして本然的に希求されるものである。したがってミゲル・デ・セルバンテスもジェイムズ・ジョイスも、彼らがセルバンテスやジョイスではなく、万人である限りにおいて言葉の所有者――詩人――になれるのである。詩人はその行為――〈詩〉――の後に生まれる。〈詩〉がその作者を創造する、ちょうどその読者を創造するように。セルバンテス、万人の読み。ジョイス、万人の記述。

(『セルバンテスまたは読みの批判』、牛島信明訳、水声社)

 万人の読みと、万人の記述。フエンテスのこの言葉は、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』にも当てはまるのではないでしょうか。

 そのうえで『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』は、語りの「ポリフォニー」(ミハイル・バフチン)を意図的に組み入れた作品でもあり、スージー&バンシーズを愛聴するパンク娘ロラのエピソードもあれば、ロラと激しく対立する母親のべリシア・カブラルの悲劇(*5)、さらにはジュノ・ディアスの過去作『ハイウェイとゴミ溜め』にも登場したユニオールなどが、さまざまな「声」をもって語り、あるいは語られる対象となります。

 こうした多声性は、SFやRPGの様式を用いて再解釈された「万人の読み」「万人の記述」と立体的に重ね合わされることになるのです。

 ですから……。

オスカーは千回目の『復活の日』を見て、日本人の科学者がティエラ・デル・フエゴについにたどり着き、最愛の人と再会するシーンで千回目に泣いた。オスカーは、おれの推測では百万回目の『指輪物語』を読んでいた。それは彼が初めて見つけたときから、最愛の書物であり最高の安らぎだった。オスカーと『指輪物語』の出会いは九歳のときで、途方に暮れ孤独だった彼に、仲の良かった図書館員が言ったのだった。ほら、これを読んでみたら。そしてこの一言が彼の人生を変えた。三部作をほぼ最後まで読み通し、「そして遠いハラドから……半分トロルのような黒い人間たちがいました」という文章まで来てオスカーは中断しなければならなくなった。彼の頭と心があまりにも痛んだのだ。

(『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』、都甲幸治/久保尚美訳、新潮社)

 

 ここで『復活の日』を観て涙するオスカーは、あなたの姿であり、私たちの姿でもあるのでしょう。

 まだの方は、ぜひ『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を読んで下さい。惹句に騙されてはいけません。この小説は、単なる「オタク文学」などではまったくないのです。

 小説の終盤で告げられる「私たちは一千万人のトルヒーヨなのよ」という言葉に、あなたはどう向き合いますか?

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (Shinchosha CREST BOOKS) [単行本] / ジュノ・ディアス (著); 都甲 幸治, 久保 尚美 (翻訳); 新潮社 (刊)

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』はThe John Sargent Senior First Novel Prize、The Dayton Peace Prize in Fiction、全米批評家協会賞、ピューリッツァー賞をそれぞれ受賞(2008年)。35もの“本年最高の本”リストに掲載、Lev Grossmanによって、「タイム」誌の2007年のベスト小説10のうち第1位に選出されました。

 Analog Game Studiesでは、今後とも『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』についての記事を掲載する予定です。


【脚注】

(*1)友人のアメリカ人ゲーマー/SFファンに尋ねたところ、「この主人公は私だ」との返事が! 彼はジュノ・ディアスとほぼ同世代です。
(*2)「戦鎚傭兵団の手柄話」はライター/翻訳家集団・戦鎚傭兵団の面々をデフォルメしたアイコンを傍らに配し、アナログゲームの題材となった背景をなるべく泥臭い形で紹介するのが趣旨の連載です。筆者は「頭の悪そうなトロール」風の似顔絵を描いてもらっていたので、ここではキャラクターに合わせた乱暴な文体を採用しています。
(*3)『百年の孤独』は寒村マコンドとブエンディア一族の運命を魔術的な文体で濃縮させた作品です。あらゆる神話的な状況が巨大な器の中に放りこまれ、撹乱され、放り出されます。人間は哀しいまでに愚かで儚く、死者は蘇り、やがて禁じられた相姦の果てと「豚のしっぽ」を最後に、マコンドもまた塵に掻き消えてしまうのです。
 テクストを通してその一部始終を目撃した私たちは、小説に刻まれる出来事を、歴史の、または人間の縮図であるように受け止めざるをえませんが、仮に『百年の孤独』で描かれる人間が卑小な「個」に過ぎないとすれば、一方の『族長の秋』に登場する独裁者はそうした「個」としての人間を飲み込み、蹂躙しながら際限なく膨れ上がり、傍目には神にも見紛う巨大な存在として描出されるに至ります。
 しかしガルシア=マルケスの筆は冷酷にも独裁者が抱える孤独を、すなわち無限の権力を持つ存在すら「個」にほかならないということを、容赦なく浮き彫りにしていきます。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』においても、この「個」の問題は、繰り返し問い直されていると言えるでしょう。
(*4)日本語版では、それらの専門用語にはすべて詳細な割注が添えられています。また、邦訳のある作品の表記は原則的に邦訳に準じたものになっています(E・E・「ドク」・スミスと「ドック」サヴェッジ)。割注は、文脈をご存知ない方でも小説を楽しんでいただけるように整備したものですが、おなじみだと思っていた固有名であってもびっくりするような使われ方をなされていることが、割注をご覧になればわかるでしょう(『マトリックス』とかね)。
(*5)母親について語れられる章は「べリシア・カブラルの三つの悲嘆」という章題がついていますが、ひょっとするとこれはフィリップ・K・ディックの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』にかけているのかもしれません。

もう一人の自分 ―ANOTHER SELF― ~AD&D(R)におけるキャラクター・ジェネレーションへの一考察~

 Analog Game Studiesは過去の優れた論考やTIPS等をも積極的に紹介していくことで、アナログゲームにまつわる言説と環境がさらに豊かなものになることを願っています。
 そこで今回ご紹介するのは、P・ローランさまによる「もう一人の自分」という、会話型RPG『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(AD&D)初版をベースにしたキャラクター論。初出はD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)とAD&Dの専門情報誌「ドラゴン・マガジン」(「F・Gジャーナル」)Vol.3(新和)、1987年。著者の許可を得てここに再掲させていただきます(なお再掲にあたってP・ローランさまは、もとの原稿の表現をさらに磨いて下さいました)。

 今回ご紹介する論考はキャラクターを創造し、それを“演じる”行為について、現在でも有効かつ普遍的な示唆を多数、内包している文章です。会話型RPGのキャラクターの位置づけとそれを“演じる”ことについての総論として、思考の基礎となりうる文章ではないかと考えます。

 本稿はAD&Dがベースになっていますが、以下の2点を押さえていただきさえすれば、AD&Dについて詳しくなくとも内容を理解することは可能です。

・AD&Dは、ルールに従って自分の演じるキャラクターを創造するところから始まる。
・AD&Dは『指輪物語』式のハイ・ファンタジーな世界観を、その色調を活かしつつ手軽に表現するゲームであり、ファイター(戦士)、マジックユーザー(魔法使い)、クレリック(僧侶)、シーフ(盗賊)の4種類の基本クラス(職業)や熟練者向けのサブクラスが用意されている。キャラクターはクラスのいずれかを選択し、駆け出しの冒険者から偉大な英雄へと成長していく。

 1987年といえば、日本にRPGが本格的に紹介されてからいまだ数年。そうしたいわば黎明期に、商業媒体においてかくもレベルの高い論考が著されていたことに私は驚きを隠せません。
 皆様がRPGについて、創作について、そして広く人間と“演じる”ことについて考えるための、ご参考にしていただけましたら幸いです。(岡和田晃、文責は下段の但し書きをも含む)


もう一人の自分 ―ANOTHER SELF―
~AD&D(R)におけるキャラクター・ジェネレーションへの一考察~
(初出:「ドラゴン・マガジン」(「F・Gジャーナル」)Vol.3(新和)、2011年2月改訂)

 P・ローラン


Advanced Dungeons & Dragons Players Handbook: Special Reference Work [ハードカバー] / Gary Gygax (著); D.A. Trampier C. Sutherland (イラスト); Wizards of the Coast (刊)Advanced Dungeons and Dragons [ハードカバー] / Gary Gygax (著); Wizards of the Coast (刊)Advanced Dungeons and Dragons Monster Manual [ハードカバー] / Gary Gygax (著); Wizards of the Coast (刊)

1.イントロダクション

 架空世界における自分のもう一つの存在――AD&Dではこの存在のことを“キャラクター”と呼ぶ。このキャラクターは人によっては自分自身であったり、また自分とは別の人格であったりするのだが、自分自身で己を演じるのならいざ知らず、全く、自分とは異なった新しい人格を一つ創り上げるのであれば、少なからぬ困難を伴う。もっとも、この困難の大部分はロールプレイングにまだそれほど熟達していないビギナーが最初から小説等にあるような複雑な人格と設定を持ったキャラクターを創ろうとすることから生じる。

 しかし、自分で設定した別の人格をプレイングするのがAD&Dの醍醐味であるのならば、その願望を実現し、面白さを体験する手助けを差し上げたいと思う。

 では、具体的にどうすれはよいのか。

2.個性

 多くのプレイヤーにとって、その方の初めの何人かのキャラクターが自分自身と同一であること、――つまり“プレイヤー=キャラクター”の図式となる事は自然なことである。最初から自分に無理をしてまで別の人格を設定してプレイングする必要は無く、あくまで初めは“楽しく遊ぶ”事にこそ集中すべきだろう。しかしながら、自分のプレイングするその初めの何人かのキャラクターに、出来れば最低一つ以上の自分とは異なった特徴を持たせておきたい。この特徴も、初めは自分が無理なくプレイングできるような簡単なもの、たとえば“好き嫌い”等に留めておく事をお薦めする。いずれ、慣れてきたのであれば、もう少し複雑な特徴付けを試みてもよいだろう。

 こうして自分の設定した幾つかの特徴が、自分のキャラクターにおいて本来の自分とは異なった人格を演ずる際の足掛かりとなる。この特徴をキャラクターにおける「個性」と呼ぶが、プレイヤーはこの自分が付けた個性をどんなことがあろうとも守るようにしたい。そして、それを恙なく実践する為にも、最初の何人かのキャラクターは基本4クラス(ファイター・マジックユーザー・クレリック・シーフ)に限定する事をお薦めする。

3.目的

 キャラクターに「個性」を持たせられるようになったのならば、次にはキャラクターに「目的」を与えたい。各状況においてキャラクターの思考基盤が「個性」であるならば、ストーリー中でキャラクターの行動に方向性を与えるのが目的である。キャラクターは、この目的を付与されて初めて、自分の持つ個性とあいまって、RPGの世界に於いて確かな地歩を占められるのである。

 もっとも、この目的も当初は大掛かりなものとはせずに、自分に遂行可能な手近なものから設定することをお勧めする。たとえば名剣を捜す、お金持ちになる、或いはいずれどこかの姫君と結婚したい等々。重要なのは、まず自分の出来そうなことを目的とすべきだということである。もちろん、以前に自分の設定した自分のキャラクターの個性とこの目的が矛盾したものであってはならない。自分が自分のキャラクターをプレイング中にこの目的を自然に見出していくのが最良だと考える。目的が実現するまでの期間の問題もあるが、やはり初めは短期間でかなう目的から始めて、序々に長期にわたるものへと変えていくのが良いだろう。

4.背景(バックグラウンド)

 キャラクターに自分が設定した個性と目的を遵守しているかぎりにおいて、プレイヤーは自分のキャラクターが少しずつであっても、一人歩きを始めたことに気付くだろう。これが所謂「プレイヤーとキャラクターの分離」の第一歩であり、キャラクターが架空世界において独自性を持ち始めた明白な証なのだ。遅かれ早かれ、この域に入ったプレイヤーが必要と感じるものがキャラクターの「背景」(バックグラウンド)である。これまで“プレイヤー=キャラクター”段階のプレイにおいては、プレイヤー本人が無意識にこの背景を補完していた。だが、ひとたび自分とキャラクターの相違を感じてしまったならば、キャラクターに独自の背景――どこで生まれ、育ち、家族構成はどうか、その者の置かれている社会的状況、地位等――これを与えたいと思うのが自然である。

 個性に目的、そして今や背景を得たキャラクターは架空世界においてしっかりとした基盤を築きあげ、自分とは異なる新たな人格として確立されるに至る。これは、これまでの努力が実を結んだということであり、またこの三点を苦労なく設定・実行できるようになれば、初めて基本4クラスから離れ、幾つかの特殊なサブクラスを試みることも可能となるだろう。ただし、サブクラスはいずれも独特な各位制限事項を数多く含んでいるために、よく自分のDM(編註:ダンジョンマスターの略称。他のRPGでのゲームマスターに相当)と相談することが必須である。

5.再融合

 プレイヤーがキャラクターと自分との相違を認識し、その結果としてキャラクターが独自に歩き始めるに至ると、プレイヤーはある認識に辿り着く。個性・目的・背景により自分のキャラクターが八方から縛られ、以前のように自由な行動を取ることが出来なくなっている。これは特殊なサブクラスであればなおさらだ。一体、どうしてこのような感覚が生じるのか。

 これまで“別の人格”を創ることに主眼をおき、まずは個性、次いで目的、最後に背景をキャラクターに与えて設定してきた。しかしながら、この設定するという行為はあくまでも論理(ロジック)を基本に築き上げてきたものである。その結果、確かに別の人格を演じられるまでにはなった。しかし――何が足りないのか。

 ロールプレイングをする際に、キャラクターが何故も容易く自分から遊離すると感じるのだろうか。答えは一つ――それは自分とキャラクターの相違は理解しつつも、キャラクター自体の“存在”を自分が感じていないからではないだろうか。

 自分とキャラクターの相違を認識した後。プレイヤーにとり必要とされるのは別人格となったキャラクターを感じとること、そして再度分かれてしまった“もう一人の自分”を自分の内に再び受け入れること――すなわち「再融合」である。

 すでに一個の自己として完成しているキャラクターならば、この融合により消滅してしまうことはありえない。むしろ自分の創りあげたキャラクターと自分とが同化することにより、一層そのキャラクターが理解できることであろう。更により重要なことに、この行為によって徐々に「意識したロールプレイング」から「自然なロールプレイング」へと移行して行くと考えられるからだ。一見すると、これは初期の“プレイヤー=キャラクター”と同一のようにも見える。しかし、自分自身が違いを認識した上で、別の自分を自然にロールプレイングする点において、格段の相違が彼我の間に横たわっているのである。

 いずれの段階を自分にとり最良とするか。それは各プレイヤーの選択であり、それにどうこう言うつもりは無い。しかし、努力により何かの結果が生ずることを信じているならば、そしてAD&Dプレイヤーとして生を受けたのであれば、一度は知性でなく、感性をもってファンタシイ・ストーリーを感じてみたいものだ。そう考えたい。

 何にせよ、この実践がこれまでのロールプレイイングで感じられなかった新たな陶酔と感動を与えてくれると愚考する次第だが、如何なものであろうか。

-Fin-


P・ローラン

(C)P・ローラン(1987/2011) All Rights Reserved.
F・Gジャーナル3号.jpg

※P・ローランさまの商業誌におけるほかの仕事に「AD&D(R)に対する一考案」(「ドラゴン・マガジン」Vol.1、新和、1986年)があります。入手が難しいかもしれませんが、ご興味のある方は、併せてご覧下さい。
※「ドラゴン・マガジン」誌は4号まで発刊された後、5号から「F・Gジャーナル」と改称しています。その後、バックナンバーの表記も増刷にあたって「F・Gジャーナル」と改称された模様です。ただし今回の底本に使用した「F・Gジャーナル」Vol.3の奥付に増刷や改訂は明示されていなかったため、「ドラゴン・マガジン」(「F・Gジャーナル」)Vol.3と、双方の名称を並行して表記することにいたしました。追って、Analog Game Studies記事内の雑誌名も双方を並行表記しています。ご了承下さい(2011/02/25追記)。
※本稿はP・ローランさまのご厚意のもと、岡和田晃がAnalog Game Studies(AGS)の代表としてAGSに所属している間に限り掲載されるものです。岡和田晃がAGSから何らかの形で離れる場合、岡和田晃の責任を持ってP・ローランさまの本文と本文関連の文書全ては削除されます。岡和田晃がAGSの主幹を誰かに委譲する場合は、委譲された方をP・ローランさまにご紹介の上で、改めてP・ローランさまの掲載許可をいただくという形を取ります。
※趣意書にもありますが、本稿を始め、当サイトに掲載している文章等のすべては、営利妨害や著作権侵害を意図したものではございません。著作権等を有する方からの警告を頂いた場合には直ちに該当記事を修正・削除いたしますので、お手数ですがanaloggamestudies1★gmail.comまでご連絡をお願いいたします(★→@)

内山靖二郎/高平鳴海/寺田幸弘/松本寛大/坂本雅之『クトゥルフ・ワールドツアー クトゥルフ・ホラーショウ』:ホラー映画リテラシー向上の書

【レビュー】内山靖二郎/高平鳴海/寺田幸弘/松本寛大/坂本雅之『クトゥルフ・ワールドツアー クトゥルフ・ホラーショウ』(アークライト):ホラー映画リテラシー向上の書
岡和田晃

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

毒々しい赤で書かれた「ホラーショウ」。
このおどろおどろしいタイトルロゴは、リチャード・オブライエンによるSFとグラムロックへの愛に満ちたミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』を彷彿 とさせます。しかし本書は傑作ホラーRPG『クトゥルフ神話TRPG』(『クトゥルフの呼び声』)のソースブックなのです。

クトゥルフ・ワールドツアー クトゥルフ・ホラーショウ / アークライト

『クトゥルフ神話TRPG』とはアメリカ・ケイオシアム社が1981年から発売しているタイトルであり、マイナー・チェンジを重ね、本年で30周年を迎えます。たびたび邦訳がなされ、現在手に入る『クトゥルフ神話TRPG』は本国での第6版が底本となっています。

その『クトゥルフ神話TRPG』とは、アメリカの作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが生み出した世界観、そしてラヴクラフトの死後も書き継がれてきた神話体系「クトゥルフ神話」を表現することを目的とした会話型RPG(TRPG)を意味しています。

クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [単行本] / サンディ ピーターセン, リン ウィリス (著); 中山 てい子, 坂本 雅之 (翻訳); エンターブレイン (刊)

ラヴクラフトの仕事は多岐に渡りますが、その中でも最も大きなインパクトを有しているのは、やはり「ウィアード・テールズ」などのパルプ雑誌に発表された 怪奇小説群でしょう。彼の小説は、狼男や吸血鬼といった古典的なホラーの範疇に留まらず、また(天文学に代表される)科学的な批評意識を取り入れながら、 ポオやダンセイニといった作家たちが形成した世界観を独自に咀嚼したものでもあり、「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」と呼ばれる独特の色調を有してい ます。そのスケール感は、ジェイムズ・ジョイスやミシェル・ビュトールといった、20世紀文学における最も冒険的な作家たちの仕事と遙かな照応を見せるで しょう。

最近はラヴクラフト研究の基礎文献とも言える、リン・カーターの『クトゥルー神話全書』が邦訳されました。

クトゥルー神話全書 (キイ・ライブラリー) [単行本] / リン・カーター (著); 朝松 健 (監修); 竹岡 啓 (翻訳); 東京創元社 (刊)

そしてラヴクラフトの昏い魅力は、最近では『きことわ』で第144回芥川賞を受賞した朝吹真理子氏がインタビューで「インスマウスの影」への愛着を語って いることからもわかるように(「文学の名門に生まれたゆえの苦悩」)、現代の先鋭的な表現者たちをも惹きつけてやまないようです。

本格的なクトゥルフ神話小説としては、朝松健氏の『弧の増殖 夜刀浦鬼譚』が発売になり、ダゴン信者たちの話題を集めているようです。

弧の増殖 夜刀浦鬼譚 [単行本] / 朝松 健 (著); エンターブレイン (刊)

ラヴクラフトが創造した「クトゥルフ神話」は、ゲームにおいてもデジタル・アナログ問わず、多くのタイトルの背景として採用されていますが、『クトゥルフ 神話TRPG』はその中でも嚆矢と言える作品です。プレイヤー・キャラクターが味わった恐怖によってどれだけ狂気の淵に近づいたのかを正気度(SAN)と いう形で数値化した独特のルールをはじめ、神々の扱い、ディテクティヴ・ストーリーを思わせる物語の進行様式など、「宇宙的恐怖」の色調を活かしつつ、 「参加するもの」としてラヴクラフトの世界を誠実に捉え直した作品だ言うことができるでしょう。

また『クトゥルフ神話TRPG』はパー センテージ・ロールでの技能判定を基軸とした「ベーシック・ロールプレイング・システム」というルールシステムを背景にしているため、柔軟かつ明快に処理 を行うことができ、モダン・ホラーを演じるにあたって最も重要な、背景情報や物語性を活かしたセッションを行なうのに適しています。

独自のプレイスタイルと、遊びやすいルールシステム。『クトゥルフ神話TRPG』が30年の長きにわたって、コンセプトやシステムに大規模な改変を加えることなく愛されてきたのは、こうした長所がユーザーに理解されていたからでしょう。

歴史の長いRPGだけあって、『クトゥルフ神話TRPG』には数多くのソースブックが存在しています。

『クトゥルフ神話TRPG』の基本ルールブックのみでも、ラヴクラフトが主な作品の舞台として設定した禁酒法時代のアメリカで遊ぶことができますが、これ らのソースブックを活用すれば、まったく別の世界で『クトゥルフ神話TRPG』を楽しむことが可能になります。『クトゥルフ神話TRPG』は、プレイヤー の社会経験や、歴史を始めとした社会科学的な知識を存分に活用することのできるゲームですが、ソースブックの活用によって、さながら異国に旅行するがごと く、新しいセッティングでの冒険を満喫することができるでしょう(もっとも、旅行の先には底知れぬ恐怖が待ち受けることになりますが……)。

これまで日本語化されたソースブックに限っても、ヴィクトリア朝時代のイングランド、大正時代の日本、現代日本、十字軍時代のヨーロッパ、戦国時代の日 本、果ては夢の世界(ドリームランド)など、さまざまな世界で遊ぶことができます。未訳のものを含めれば、ロシア革命時代を遊ぶシナリオや猫になって遊ぶ ルールのように、さらにぶっとんだ設定のものもあるのです。

そして本作『クトゥルフ・ホラーショウ』は、ホラー映画を題材として『クトゥルフ神話TRPG』を遊ぶため、いわばホラー映画のお約束を『クトゥルフ神話TRPG』に活用しよう、という特異なコンセプトのソースブックとなります。

同種のコンセプトの作品としては、かつて『13の恐怖』と呼ばれるシナリオ集が発売されていました。しかし『クトゥルフ・ホラーショウ』はホラー映画の世 界観を遊ぶこと、後半分の紙幅で3本のシナリオが含まれるという意味で『13の恐怖』と共通する部分もありますが(*1)、『13の恐怖』とはまた違った 切り口でホラー映画を扱ったソースブックとなっています。そもそもホラー映画とは何たるや、というところから始まり、読者のホラー映画・リテラシーを高め るための工夫が施されているのです。

つまり『クトゥルフ・ホラーショウ』は、RPGの観点からホラー映画を見るための入門書、あるいは ホラー映画に即した創作ガイドを目指したサプリメントであると言えるでしょう。もちろん「捨て駒キャット」(探索者たちが暫定的に扱うことのできるNPC に関するルール)、『クトゥルフ・ホラーショウ』専用の狂気リスト(実にヒドい)・武器リスト(血しぶきどろどろ)といった追加ルールも見逃せません。

ホラー映画は、あらかじめ予期された「お約束」(が実際に引き起こされること)を楽しむという、いわばメタ構造を多く内包しています。

それゆえホラー映画を題材とした会話型RPGのセッションでは、どうしてもそうした「お約束」が前景化せざるをえません。『イット・ケイム・フロム・レイ ト・レイト・レイトショウ 深夜三流俗悪映画の来襲!』のように――「史上最悪の映画監督」エド・ウッドの『プラン9・フロム・アウタースペース』を彷彿 とさせる映画に出演する俳優を演じ――低予算の三流映画の世界観を、「お約束」という観点からメタ視点で楽しむことをテーマとした会話型RPGすら存在し ているほどです。

セッションに「お約束」を積極的に盛り込むかどうかという点には賛否両論あるでしょうが、一方で「お約束」は、「神話 の力」(ジョゼフ・キャンベル)ともリンクしうるもの。使い過ぎれば食傷しますが、うまく活用できればセッションを大きく盛り上げることが可能になりま す。いずれにせよ「お約束」をはじめとしたホラー映画についてのリテラシーは、高められるに越したことはないはずです(映画についてよく知っていれば、さ らに映画を楽しむことができるようになるはずですから)。

この点、本作では「ホラー映画の名作イレブン」と題し、代表的な名作ホラー映 画を11本取り上げ、充分な紙幅を割いて解説しています。単なる紹介記事ではありません。名作ホラー映画を、『クトゥルフ神話TRPG』のシナリオを創造 したり、あるいはセッションを運用したりするための観点から分析しているのです。それゆえ『クトゥルフ・ホラーショウ』はRPGゲーマーのための映画批評 の書でもあるのです。「ホラー映画の名作イレブン」を紹介する面々も、坂本雅之氏・内山靖二郎氏といった日本の『クトゥルフ神話TRPG』の紹介に貢献し てきたベテラン・ライターから、『クトゥルフ神話TRPG』の有名ファンサイト「Red Worm Sanatorium」を運営している寺田幸弘氏、そして『玻璃の家』で第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した松本寛大氏(*2)と、豪華な面々が揃っています(ほか、シナリオではベテラン・ゲームデザイナー高平鳴海氏も参加しています)。

もちろん「ホラー映画の名作イレブン」で解説される作品の多くは著名な傑作ゆえに、ホラー映画マニアには物足りない部分があるかもしれれません。また、こ の解説はランダムシナリオ作成チャートのように「セッション中すぐに使える!」という即効性を有したギミックでもありません。しかしながら名作の構造を分 析し、その活用法を自家薬籠中のものとすることができれば、キーパー(ゲームマスター)の能力は飛躍的に向上を見せることと思います。

また、これらの名作ホラー映画(の構造)をモチーフにしたシナリオを遊ぶ場合、あらかじめ対象とする映画の解説部分をプレイヤーに読ませるようにしておけば、「お約束」を速やかに共有することができます。

アメリカでは、ゲームデザイナー/小説家のロビン・D・ロウズ氏が、『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET’S HIT POINTS(未 訳)という、『ハムレット』、『007 ドクター・ノオ』(『007は殺しの番号』)、『カサブランカ』といった古典的名作の構造を、ストーリーラインの 持続性と物語に関連したダイナミズム(Beat)の観点から徹底的に分析し、RPGの「語り」(ナラティヴ)に活用できるようにするという、興味深い理論 書を出しています。この点、『クトゥルフ・ホラーショウ』の試みは『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET’S HIT POINTSのような海外のRPG界における先鋭的な試みと共鳴する部分があると言えそうです。

ロビン・D・ロウズ氏は、ジャック・ヴァンスの小説『終末期の赤い地球』を原作としたRPGThe Dying Earth Roleplayingで 有名ですが、近年の仕事である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版のコアルール『ダンジョン・マスターズ・ガイドII』や、幻想世界グローランサを舞台に したRPGシステム『ヒーローウォーズ』は日本語でも紹介がなされています。ロウズ氏の小説は残念ながら未訳のようですが、“死体のような外見”という特 異なヒロイン、アンジェリカ・フライシャーが活躍するシリーズなどで人気を博しているようです(筆者も1冊持っていますが、なかなか痛快)。

そんなロウズ氏の現場での経験から生まれた『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET’S HIT POINTSについては、いずれAnalog Game Studiesでも詳しく紹介したいと思いますので、どうぞお楽しみに!

HHP-web-400-191x300 (1).jpg

また現在発売されている、会話型RPGを中心としたアナログゲーム総合情報誌「Role&Roll」Vol.77では、『クトゥルフ・ホラーショ ウ』に関連した「ホラー映画テンプレート式シナリオ講座」が掲載されており、シナリオ作成にあたって大きな手助けとなるでしょう。

Role&Roll Vol.77 [大型本] / アークライト (編集); 新紀元社 (刊)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【脚注】

(*1)題材の性質上、シナリオタイトルだけでもネタバレになってしまいかねないので解説は避けます。ただし筆者は2本目の寺田幸弘氏のシナリオをいたく気に入っています。
(*2) 松本寛大氏の長編ミステリ小説『玻璃の家』では、相貌失認(「顔」を正確に把握できなくなる症例)という認知科学的な問題意識とアナログゲームにも通じる 感受性が巧みに融合されていました(詳細は拙稿「ミステリとSF あるいはリセットの利かないゲーム」(〈ジャーロ〉38号を参照)。
現在、松 本寛大氏は『玻璃の家』に引き続き、ギリシア劇における合唱団「コロス」に相当する役割の人物を探偵役に据えた第2長編『妖精の墓標』(仮題)を執筆中と のこと(『本格ミステリー・ワールド2011』)。『クトゥルフ・ホラーショウ』は松本氏のフィクション観を窺い知ることができるという意味で、ミステ リ・ファンにもお薦めしたいところです。

玻璃の家 [単行本] / 松本 寛大 (著); 講談社 (刊)EQ Extra GIALLO (イーキュー エクストラ ジャーロ) 2010年 01月号 [雑誌] [雑誌] / 光文社 (刊)本格ミステリー・ワールド2011 [単行本(ソフトカバー)] / 島田荘司 (監修); 南雲堂 (刊)

SF作家・長谷敏司の知られざる傑作『ウォーハンマーRPG』小説

【レビュー】SF作家・長谷敏司の知られざる傑作『ウォーハンマーRPG』小説
 岡和田晃

―――――――――――――――――――――――――

 ウェブログ「大槌ぶんぶん」にて、SF作家・長谷敏司氏の手になる幻の短編小説が掲載されました。

 長谷敏司氏は魔法大系についての詳細かつ独特な設定が魅力的な大河ファンタジー小説『円環少女(サークリットガール)』シリーズで有名ですが、『あなたのための物語』、「SFマガジン」に掲載された「allo,toi,toi」など、現代社会と人間心理を穿つ批評性に富んだSF小説群をも発表し続けています。


 そして今回ブログに掲載された短編小説は、長谷敏司氏がデビュー前に同人誌に発表した『ウォーハンマーRPG』(初版)の世界観を下敷きとした短編ダークファンタジーのリライト。

 『ウォーハンマーRPG』とは、16世紀周辺のヨーロッパを模した多神教的世界を舞台に、「混沌」と呼ばれる存在との戦いをライトモチーフとした会話型ロールプレイングゲームのことを指します。現在でも第2版の日本語展開が継続しています。

 ジャック・ヨーヴィル(キム・ニューマン)の『ドラッケンフェルズ』シリーズとも背景を共有するものですが、他のファンタジー小説の中ではマイクル・ムアコックの『軍犬と世界の痛み』の世界観にも相通じる雰囲気を持っているとも言えるでしょうか。
軍犬と世界の痛み (ハヤカワ文庫SF ム 1-31 永遠の戦士フォン・ベック 1) [文庫] / マイクル・ムアコック (著); 佐伯経多&新間大悟 (イラスト); 小尾 芙佐 (翻訳); 早川書房 (刊)

 今回はリライトにあたり設定が第2版対応に変更されています。また「10年以上前に旧版のプレイを通じて作り上げた“僕たちのウォーハンマー”の世界観がベースなので、公式設定とはずれている部分もないわけではない」という付記も添えられています。

 それゆえ『ウォーハンマーRPG』を遊んだ経験から生まれたRPG小説、あるいはファン小説、もしくは同シリーズにオマージュを捧げたオリジナル・ファンタジーと見るのがよいかと思います。

 ご興味がある方は、小説のもととなった『ウォーハンマーRPG』にも触れてみて下さい。
ウォーハンマーRPG [大型本] / クリス プラマス (著); Chris Pramas (原著); 待兼 音二郎 (翻訳); ホビージャパン (刊)

 ゲームデザイナーのリン・ウィリスは、マイクル・ムアコックのダークファンタジー『永遠の戦士エルリック』シリーズの文章を、「その文章は、装飾過多の文体によって綴られ、色彩に満ち溢れているうえに、むらがあり、殺伐としていたり、官能的であったり、恐怖を感じさせたりします。そこには、危険極まりない遭遇や、抜け目のない飛躍的な表現の変化があります。また、時には接近戦に関する思いがけない興味が示されていることもあります。」(『エルリック!』)と評しました。

 このウィリスのムアコック評は、今回再掲された長谷敏司氏の蠱惑的な短編にも当てはまるのではないかと思います。

 Analog Game Studiesの読者の方に、自信をもってお薦めできる逸品です。


・大槌ぶんぶん/長谷敏司の幻のウォーハンマー小説!
 http://d.hatena.ne.jp/Yasujirou/20110206



 この短篇は単体でも、ファンタジー小説とアナログゲームを繋ぐ視点を提示してくれていますが、現代SFそして認知科学的な観点とも結び付けられるという意味で、今回の短篇を第30回日本SF大賞の候補にもなった『あなたのための物語』と関連させて読む視点を紹介させていただきます。

 『あなたのための物語』は、伊藤計劃氏の『ハーモニー』、仁木稔氏の『ミカイールの階梯』、あるいは八杉将司氏の『光を忘れた星で』にも通じる人間の認知についての問題意識に満ちた作品であり、この観点から現代SFとルドロジー(ゲームを理論的に扱う学問)の交錯点を示す好例にもなっています。
あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) [単行本] / 長谷 敏司 (著); 早川書房 (刊)
 ITPという脳内に擬似神経を形成するプロトコルによって創造された仮想人格《wanna be》が記す物語と、自己免疫不全で死期が迫った女科学者サマンサ・ウォーカーの関係に焦点を絞り、感情、物語のあり方、そして「死」に正面から向き合った『あなたのための物語』は、近年の日本SFの中でも稀に見る完成度を誇っていますが、この作品に衝撃を受けた方は、ぜひ、ある意味で長谷敏司氏のルーツとも言えるこのデビュー前の一篇を読んでみて下さい。

 そしてその筆致、描写の妙にご注目いただき、いかなる条件がこうした描写を可能にしているのかを、ぜひ考えてみて下さい。


 補足として、『あなたのための物語』から、死を前にしたサマンサ・ウォーカーについての凄絶な描写をご紹介しましょう。

サマンサ・ウォーカーは倒れ、身じろぎもできなかった。生前、何者であったとしても、今は痙攣し、あえぐだけのやせ衰えた肉体だった。

息をするたびに肺が縮んでゆくような閉塞感から逃れようと、口を開け閉めした。

血の混じった胃液を嘔吐するたび、人間らしさが、指で荒々しくもぎ取ったように奪われた。

理性も節度も感情も意志も、壊れやすい砂の城だ。痛みと苦しさに揺さぶられて、彼女は人間性の根から崩れつつあった。両腕で抱くように腹部を思い切り押さえて、まぶたをかたく閉じた。内蔵を全部口から吐いてしまえれば、楽になれる。重い血が全部流れてしまえば、軽くなれる。激しく咳き込んだ。血しぶきが木目調の茶色の床に散った。

苦痛と恐怖は、人間を極めて高い優先順位の刺激で閉じ込め、外界の優先順位を下げる。百人の他人に見守られようと、人は孤独に死ぬ。そして、外界は人格の基盤だから、それをうしなう断末魔は、自然に動物的なものとなる。

(『あなたのための物語』P.4)



 このおぞましさは、『あなたのための物語』の最後の一文(未読の方は、ぜひ御自分の目でお確かめ下さい)と連関していると言えるのではないでしょうか。そして、『あなたのための物語』で執拗に問いかけられる肉体と思考、人間と情報の区分についての思弁にリアリティを与える効果をも生み出しています。


 『あなたのための物語』は読み手に失語を強いる、一筋縄ではいかない小説です。けれども、今回の短編の(身体)描写を経たうえで向き合えば、『あなたのための物語』の志向するものが何か、おぼろげながら見えてくるのではないでしょうか。

 たとえば主題的に相通じる部分がある『ハーモニー』と比較して、『あなたのための物語』の身体描写の生々しさにはある種の特異性があり、その特異性こそが『あなたのための物語』で語られる思弁を、私たちにとってリアルな問題たらしめているわけですが、この思弁と身体の問題は、ファンタジーとSF、科学と神話の問題にもスライドさせることが可能でしょう。


 また、かつて安田均氏は『神話製作機械論』において、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』やSF作家トマス・ディッシュがデザインした“Amnesia”といったコンピュータ・アドベンチャー等を軸に、ゲームを(既存の小説の解体の先に位置した)「神話」としての文学を再生産する装置と見る考え方を提示しました。

 『神話製作機械論』から20年以上を経て発表された『あなたのための物語』は、《wanna be》という物語生成装置を登場させることで、解体の先に散逸する文学を、その身体をもって個人の生へと引き戻す経過を描いた小説ともなっており、『神話製作機械論』で提示された問題への――その後、テクノロジーとコンピュータ・ネットワークの飛躍的な進展とともに社会は大きく変化を遂げましたが、そのうえでの――応答たりえていると読むこともできるでしょう。


 単体として優れたダークファンタジーであることは間違いありませんが、一方でこの短篇は、『あなたのための物語』の読解を外郭から補完してくれる、優れた導きの糸にもなっています。

 まだお読みになっておられない方は、ぜひこの機会に『あなたのための物語』にも触れてみて下さい。

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) [単行本] / 長谷 敏司 (著); 早川書房 (刊)

・Analog Game Studies内の記事では、
「『ウォーハンマーRPG』リプレイ「魔力の風を追う者たち」ウェブ再掲記念;非公式対談――遊んでみて“改めて/新たに”わかった、会話型RPGの批評性」も併せてご覧下さい。
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/174590939.html

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第6回)

草場純

―――――――――――――――――――――――――

◆第5回はこちらで読めます◆

―――――――――――――――――――――――――

次に、日本の希少な伝統ゲームとして重要な、藤八拳(とうはちけん)に触れよう。これは前述の『日本伝統ゲーム大観』にも詳しく述べられている。

藤八拳はアクションゲームである。アクションゲームとは、卓上ゲームとスポーツとの中間のゲームと言えば分かりやすいだろう。すなわち程度の差はあれ、身体的な能力の必要なゲームが、アクションゲームである。

藤八拳は江戸時代に、飴屋とも薬屋とも幇間とも伝えられる藤八なる人物が、それまでの狐拳を改良して創案したと言われる「拳あそび(ジャンケン)」の一種である。江戸時代の後半から明治・大正・昭和の初期にかけて大流行したこの遊び(ゲーム)も、現在ではごく一部のプレイヤーを残すのみとなってしまった。

ここでは、まず藤八拳の内実(ルール)を概説し、それを現代にプレイする意義を考えてみたい。

藤八拳を一言で説明するなら「上半身を大きく使ったジャンケンの三本勝負」である。だがこの説明で藤八拳の面白さを理解できる人は皆無だろう。それを理解するのには、上手な人の指導を受けてやってもらうしかない。と言い放ってしまえば、それが真実ではあっても話が終ってしまう。だからここにこのアクションゲームの面白さを言葉で伝えるしかないのだが、その難しさを前以て諒解しておいて欲しい。

藤八拳はジャンケンと同じ三すくみ拳である。二人専用のゲームで、プレイヤーは正座して向かい合い、対峙する。

藤八拳の「手」は、猫耳のように両手で頭の上に耳を作る「狐」、手を胸の前で鉄砲の形に構える「猟師」、両手を握って膝の上に置く「庄屋」の三つだ。「狐」は「庄屋」に勝ち、「猟師」に負ける。「猟師」は「狐」に勝ち、「庄屋」に負ける。「庄屋」は「猟師」に勝ち、「狐」に負ける。ゲームの開始には「しぼり」と言って軽く三度拍手する。次に「最初はグー」ならぬ「最初は狐」を出し合う(相拳)。その後、ホッ、ハッ、ホッ、…とテンポよく、次々に「手」を繰り出し、三回連続で勝ったら手をパチンと叩いて(しめ)勝利となる。この三回「連続」がミソである。つまり間に一回でもアイコが入ればまた初めからだし、勝ち・勝ちと進んで次に勝てば勝利でも、三度目に負ければそれは相手の勝利への一勝目となる。

繰り返すが、この面白さを文章で伝えるのは難しい。だが、初心者が上手な人に勝てないのはこれだけでもお分かりだろう。つまりそもそもジャンケンには必勝法がある。その方法とは「後出し」である。もちろんジャンケンで後出しは反則であり、藤八拳でもそれは同じだ。(公式の対戦では行事がついて審判する。)だが動作の小さいジャンケンと違って、藤八拳では―ちょっと言い方が難しいが―いわば合法的に後出しができるのだ。例えば庄屋を出し合った後、すうっと手を頭上に持って行くと見せかける。相手がこれを猟師で打とうと構えた刹那、手が膝に戻っていて庄屋に負かされてしまう。このようなことを一秒の半分ぐらいの時間で判断し、手を繰り出さなければならない。素早い判断、相手のパターンを読む推理、誘い手、見せかけ、裏の裏をかく駆け引き、心理の読みあい…。結局、熟練がものを言う。

と、言うことは、練習(稽古)すれぱするほど勝てるようになり、成績が上がるということである。江戸時代の末期には「藤八拳指南」の私塾がたくさんでき、場所(公式戦)が開かれ、番付(ランキング)が公表され、火に油とばかりに広まった。

【参考:東八拳(藤八拳 tohachiken)--平成21年 番付披露会】

実際、現在でも、上手な人の藤八拳勝負を見ていると、まるで舞踊のようである。でありながらダンスとは全く違う。向かい合った二人の上半身だけのダンスなんて、見たことがないから。そこには明確なリズムはあるが、もちろんメロディもハーモニーもないので、いわば音楽のないダンスだ。(音楽とは言えないかも知れないが、一種の旋律を感じることはある。)このような文化は果たして海外にあるのだろうか?

ここでまた受容の問題との絡みが出てくる。

昨年は「相撲界の野球賭博」というアイロニカルな事件が世上を騒がせたが、ここで出てきた議論の一つに「相撲はスポーツか?」というものがあった。細かい議論に立ち入る暇はないが、私は相撲はスポーツとは異質な運動文化であると考えている。つまり人類の運動文化の一部に、スポーツやそうでないものがあるということだ。言い換えればスポーツは運動文化の単なる一形態であり、それはまさしく近代の所産である。

茶道・華道・香道といったものが、西欧近代的なアートでない、いわば芸術的パフォーマンスとでも言うべきものであるように、相撲は運動的パフォーマンスである。茶道がアートでない何か、相撲がスポーツでない何か、のように、藤八拳は(既存の)ゲームでない何か、を内包していると私は感じる。こうしたエニシング、あるいはオルタナティブに到達できる手がかりを得られることは、伝統ゲームを現代にプレイすることの意義そのものと私は思う。

私の藤八拳の直接の師となってくださった「最後の幇間」桜川善平師匠は、既に鬼籍に入られている。往年の名プレイヤーも次々に物故されている。私は特に反射神経に優れた若い人たちが、この日本の知られざる伝統的アクションゲーム「藤八拳」を覚えてくださることを、切に望んでいる。失われてしまってからでは取り返しがつかないからである。

江戸時代の浮世絵、役者絵などには、藤八拳の「手」を真似て見得を切る当時のスター俳優の絵が散見される。更にトテツル拳などのように、これを歌にし踊りにし、歌舞伎で演じ、巷に大流行したものも少なくない。これなどは江戸時代のメディアミックスであろう。つまりそれが江戸時代における藤八拳の相であり、庶民史の一断面だと私は考える。

―――――――――――――――――――――――――

◆第7回はこちらで読めます◆

―――――――――――――――――――――――――

『冒険王道(アドベンチャーロード)』初級が公開!

『冒険王道(アドベンチャーロード)』初級が公開!
齋藤路恵

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

小学生向け会話型RPG(TRPG)のPDFが公開されたことを御存知でしょうか?

『冒険王道』は小学校のクラブ活動向けに開発された会話型RPGです。

小学生のGM(ゲームマスター、司会進行役)が小学生のプレイヤー相手に50分程度で遊ぶことを目標に作られています。

実際のプレイングの様子はこちらでリポートされています。

・こどもたちにダイスを!(子どもたちにダイスを。)
http://dice4kids.blog57.fc2.com/

ルールブックはこちら。

・『冒険王道(アドベンチャーロード)』
http://kataruni.com/member/masafumi/ad_road/m_1.html

PDFを開くとまず、ページ構成の美しさに感心しました。

本当に小学生向けの教科書みたいです。

中味を読むと、会話型RPGにおける基本的な語句がわかりやすく説明されています。

語句の定義は、システムの構造をどうとらえるのか、という問題と関係してきます。

そのため慣れたプレイヤーでもおもしろく読めるのではないかと思います。

むしろ、このような観点は経験を重ねたプレイヤーの方がおもしろいのかもしれません。

私が感心した説明はこれです。

 次は<能力値>。そのキャラクターが得意なことや苦手なことを数字で書いたものだよ。
(本文5ページ、PDF7枚目)

「得意なことや苦手なことをあらわしたもの」とせずに「数字で書いたもの」とする表現するところに世界をデータ化、構造化するという会話型RPGの本質が良く表れています。

解説もていねいです。

運営上の注意からコミュニケーションのマナーまで書いてあります。

 わなが発動したら、とっさによけられたか、判定をします。難易度は「その罠を見つける難易度+2」ぐらいがいいでしょう。

(本文27ページ、PDF30枚目)

「自分で決められる」といっても、好きなことをしていいいわけではありません。あなたの行動が、仲間である他のプレイヤーに迷惑をかけることもあります。

あなたが何かをしたいと思ったとき、まず他のプレイヤーと相談しましょう。プレイヤーがばらばらに行動していては、危険なダンジョンをクリアすることはできません。

(本文21ページ、PDF24枚目)

依頼された内容をクリアしたら、ダンジョンは終了。依頼人に報告します。依頼人から「ありがとう」と伝えましょう。

(本文27ページ、PDF30枚目)

☆実際に遊んでみよう!

『冒険王道』の大きな特徴は、プレイヤーとGM(ゲームマスター、司会進行役)の両方がこどもであること=ルールがかんたんであること、プレイ時間が50分程度であることです。

これは会話型RPGの新規ユーザー開拓には有効ではないでしょうか。

加藤ヒロノリさんは以下のように述べています。

 皆さん、若い子を捕まえましょう! 若い血潮をアナログゲーム界に注ぎ込まなければ未来は暗いです。

(『Role&Roll』vol.76 17ページ 2011年1月発行)

新規ユーザーの少なさは会話型RPGを長いこと遊んでいる人の多くが実感していることでもあると思います。

鈴木銀一郎さんも「私見である」「業界を代表していっているのではない」と断って以下のように述べています。

 TRPG業界というものは、ボランティアであるゲームマスター(GM)に依存している。それなのに、コアとなるGMに対する配慮がまったくといっていいほどない。

中略

今こそ業界全体で若いユーザーの開拓に努めるべきではないのだろうか。

わたしが唱えている「1時間RPG」もそれを意識したものであった。長時間かけてゆっくり楽しむセッションはTRPGの醍醐味であろう。しかし、初めてのプレイヤー(PL)をユーザーに引き込むためには短時間で終了するゲームが必要ではないだろうか。

是空とおるさんは1時間で終了するシステムをつくり、声優さをPLにしてCDをつくった。伏見健二さんも2人プレイ(GM対PL)で1時間RPGをつくっておられるという。

わたしは、1時間RPGをカードゲームにしてしまおうと考えているところである。

(『Role&Roll』vol.76 116ページ 2011年1月発行)

伏見健二さんは以下のように述べています。

現在、かなりの勢いでユーザー数を増やしているボードゲームは1プレイで1時間、ないし、2時間ほどで終了するものが好まれます。30分かけてゲームを教 えて準備を済ませ、1時間かけてプレイをし、さらにもう1時間かけてしっかり習熟したところで再プレイをする。これが楽しいプレイパターンとなります。

これをそのままTRPGにあてはめてみると、30分かけて説明をしてキャラクターを説明し、1時間かけてプレイをし、その結果で報酬を獲得してレベルアッ プを行い、さらに1時間かけて成長したキャラクターでプレイを行う。このパターンが短く満足のゆくものとなるでしょう。

中略

ためしにプレイヤー1名で、自分がGMしたことのあるシナリオを遊んでみると良いでしょう。もちろん敵の強さなどは調整しますが、結果として、ほとんどの TRPGシナリオが、ほんの1時間でフルストーリーを終了させてしまうほどに時間短縮できる、ということが確認できると思います。

結論として言えることは、TRPGの時間を圧迫し、プレイシーンを限定させてきたのは、戦闘中心のプレイスタイルと、数の多いプレイヤー数だったと言えそうです。

中略

「本気の戦闘は1回だけ。プレイヤーは1人か2人!」

これが新たな合言葉です。

(伏見健二 『ブルーフォレスト通信』1号20頁 2010年9月発行)

私個人は、これに加えて、初心者同士で遊ぶ機会を増やす事が重要ではないかと考えています。

上手い人のプレイグループにまぜてもらうと、初心者は何となく様子見をしてしまい、積極的に動かない/動けないということがまま起こります。

私は、「自分の決定・行動に対して結果・反応が得られる」というのがゲームの基本的な楽しみではないかと思っています。

そうするとこれはもったいないことです。

初心者同士で遊んだからと言って必ず積極的に動けるわけではありませんが、心理的負担が減るならやってみる価値はあるのではないでしょうか。

学生のころ、クラスの友達を誘って、全員初めてで、みようみまねで遊んだ楽しい思い出……そうしたものを持っている人も多いと思います。

家庭を持っている人が、「こどもと遊びたい」「会話型RPGがどんな遊びか家族にわかってもらいたい」という需要もあります。

家庭との両立が難しく、会話型RPGをやめてしまった人は私の周りにもいました。
こどもといっしょに会話型RPGを楽しめれば、こどもが将来の顧客になるかもしれず、家族の理解も得やすくなり、一挙両得です。

D&Dではこども向けのシナリオをPDFで無料配布しています。

・『モンスター・スレイヤー / ヘシオドスの英雄たち』
http://www.hobbyjapan.co.jp/dd/support/files/the_heroes_of_hesiod_jp.pdf

このシナリオはD&Dを知らないこどもたちが、D&Dの雰囲気や基本的な動きを理解できるように作られています。いわばこども向けの導入編です。

シナリオ中の敵は全員で協力しなければ倒せないようになっています。シナリオをクリアしたこどもたちには盾形のバッチをあげるよう指示がなされています。

私はドワーフバーバリアンの女の子のイラストがとりわけかわいいと思っています。

このシナリオも所要時間30分程度で作られています。

……そうしたことを踏まえて、家で実際に2人プレイをしてみました。

2人とも会話型RPG歴は数年以上あります。

準備にかかった時間は20-30分くらい。

昼食を買いに行った帰り道、「迷子のペット(リス)を探しに行ったら巨大化していると言う話にしよう」と思いつきました。

その後、ダンジョンシートを印刷。

ダンジョンシートにシナリオの背景や登場人物についての情報、ダンジョン周辺の様子、間取りなどを書き込みました。あっというまに完了しました。

お昼休みにやったことはここまで。15-20分くらいでしょうか。

夕方、家人と顔を合わせてプレイヤーキャラクターとノンプレイヤーキャラクターの作成をします。

キャラクター作成は、そのキャラクターの得意なジャンルを選んで、おまけポイント1点を割り振るだけです。

家人とやったことはこれだけ。5分くらいでしょうか。各種シートの印刷まで入れて10分くらいでしょうか。

これで準備完了、シナリオスタート!

主人公は、グスタフ、ピョートル、オットーの3人組。
(家人は5分で3人もキャラクターを作っていました!)

グスタフはファイター(戦士)。戦いの腕をみがきたいと思っています。

ピョートルはシーフ(盗賊)。面白そうな事件に出会いたくてうずうずしています。

オットーはウィザード(魔法使い)。珍しいアイテムを集めたいと思っています。

17歳の3人はそれぞれの目的を持った駆け出しの冒険者です。

……もっとも村人たちは「ボンクラ3人組が何でも屋を始めた」くらいにしか思っていないようですが。

3人組が「冒険者らしく」村の雑貨屋兼宿屋でたむろしていると、村娘のシェンナとその弟バートがやってきました。

2人のペットのリス「リッキー」がいなくなったので、何でも屋の3人に探すのを手伝ってほしいというのです。

これといった支払いもできませんがお礼ならシェンナは祭りのときにパイを作ってくれること、バートは木工細工でイスを作ってくれることを約束してくれます。(甘いものは高級なので、祭りのときくらいしか食べられません!)

「ボンクラ3人組」は姉弟の頼みを快く引き受けました。

……ダンジョンシートにメモしておいた導入はここまで。ここからはアドリブです。

宿屋の食堂なのに水ばかり飲んでいた3人は店長に温かく送り出されます。

シェンナとバートと5人で森に入っていくと、3人はほどなくして一軒家を見つけます。

一軒家は最近建てられたもののようです。こんなところに誰か引っ越してきたのでしょうか?

3人はそっと家の窓に近寄ります。「依頼人」には安全のため少し離れたところで待っていてもらいます。
家の窓に近寄ると、窓のほとんどをモサモサした茶色い毛の塊が覆っています。

毛の塊はこきざみに揺れているようです。……あやしい。

家の中はどうなってる? あの茶色のモサモサは?

煙突、戸の隙間とさまざまなところから覗きましたが、モサモサは巨大すぎてどうもその全貌が見えません。

こうなったら、正面突破かと、3人は思い切って家のドアを叩いてみました。

「すみませーん!」

グスタフが叫びますが、返事はありません。

「すみませーん!」

もう一度呼びかけると、今度は3人の背後から声がしました。

「……早く帰った方がいいよ。帰りなさい」

女性の声でしたが、振り返っても3人の後ろには誰もいません。

どういうこと?魔法?!

駆け出し3人組は本格的な魔法?を見るのは初めて。

シェンナとバートも初めてです。

5人は驚いて素直に村に逃げ帰ります。

宿屋に戻って水を頼み、店長に話を聞くと、数か月前から新しくおばあさんが雑貨を買いに来るようになったそうです。森の家に住んでいるのはおばあさん?

少し落ち着いた5人は気を取り直して、再びおばあさん?に会いに出かけます。

3人組がドアの向こうから何度か話しかけると、ドアの外で待っているよう女性の声がしました。しばらく
するとドアの外に出てきたのはやっぱりおばあさんでした。

来てもらったのはいいものの、何から、どうやって聞けばいいのでしょう?

ちょっと迷った3人組でしたが、ピョートルが好奇心をこらえきれなくなって、ストレートに聞いてしまいました。おもしろそうな事件ですから!

「あのモサモサしたものはなに?」

「おばあさんって魔法使い?」

「リスについて何か知らない?」

直球勝負に出たプレイヤー。GMはルールにはありませんが、ここで対抗判定を行いました。

「ピョートルの〈感覚〉+サイコロ2個の出目」と「おばあさんの〈感覚〉+サイコロ2個の出目」を比較して、大きい方が有利になるように話を進めることにします。……おばあさんの勝ちです。

おばあさんはにっこり笑って言いました。

「何のこと?知らないよ」

「世の中には知らなくていいこともあるよ」

「2-3日すれば帰ってくるんじゃない?きっと大丈夫よ」

その後、おばあさんは隠居して都会からここに移り住んだこと、静かで落ち着くけどやっぱり少しさみしいことを話してくれます。

そして5人に言います。突然、仕事もできない婆が村に移り住んでもお互いに気苦労しそうだからここでひっそり暮らしている。でもたまには遊びに来てほしい、と。

そう言ってからおばあさんは5人に村に帰るよううながし、5人の姿が見えなくなるまで見送ってくれます。

しかし、どう考えてもおばあさんがあやしいという結論に至った5人は、すぐに引き返して再びおばあさんの家に向かいます。

3人組がそっと家に近づくと、今度は中からおばあさんの声が聞こえました。

「リッキーはかわいいね」

「リッキー悪戯しちゃだめよ」

やはりあの巨大なモサモサがリッキーだったようです。

3人組は、今度は、思い切ってドアをこちらから開けてみることにしました。

ファイターのグスタフがドアを開けることになりました。ピョートルとオットーはグスタフのすぐ後ろにいます。

「こんにちは!おばあさん!」

……と言うか言わないかのうちに、巨大化したリッキーが突進してきます。リスのするどい嗅覚で少し離れたところにいる飼い主たちのにおいをかぎつけ、喜んでいるのかもしれません。

先頭にいたグスタフはリッキーにじゃれつかれてモサモサもみくちゃ。グスタフのHPが削られます。

グスタフは、リッキーを傷つけまいと、ハンドアックス(手斧)の柄で反撃。

「よーし よしよし!」

しかし、よろこび勇んだリッキーはその程度では収まらない様子。

このままではグスタフのHPはどんどん減っていきます。

あやうし!グスタフ!

そこで、ピョートルが、とっさに持っていたたいまつに火をつけ、炎をリッキーに近づけます。

リッキーが驚いて後ずさった瞬間に、オットーがドアを閉めました。

GMはたいまつのアイディアが優れていると思ったため、無判定でこの行為を認めました。
からくも逃げ出したものの途方に暮れる3人組を見て、シェンナが意見を出します。

「おばあさんは悪い人じゃなさそうだし、2-3日で帰ってくるって言ってるんだから様子を見てみない?」

バートをはじめ、全員がこの意見に同意しました。

2日後に様子を見に行くと、リッキーは2日前の半分くらいにまで縮んでいました。

3日後、様子を見に行こうとする宿の3人のところに、先におばあさんがやってきました。

「迷惑かけたね。シェンナとバートの家はどこだい?」

おばあさんは腕にすっかり小さくなったリッキーを乗せ、布のかかったかごを持っています。

シェンナとバートの家につくと、おばあさんがかごの布をとりました。

「秘密にしてくれてありがとうね」

かごのなかはくるみのケーキでした!

シェンナとバートは両親も呼んできて、みんなで美味しくケーキをいただきました。

リッキーもくるみのおすそわけをいただきましたよ!

これにてシナリオ終了!

実プレイ時間は1時間くらいでした。

2人でやると行動と結果の回転が早く、すごく遊んだ感があります。

15分で作ったシナリオで間が持つのかと思いましたが、十分でした。

キャラクターの職業が少ないのも、パーティが組みやすく、少人数で遊ぶのに向いているのではないかと思います。

初級の職業はファイター(戦士)、シーフ(盗賊)、ウィザード(魔法使い)の3つです。

戦闘ルールは今回使いませんでした。なので、初級ルールブックの内容すべてを吟味できたわけではありません。

また、初めてやる人はどこまでアドリブで対応できるかもよくわかりません。

しかし、やはり「これは初めて会話型RPGをやる人や時間がないけど遊びたい人に向いている」と、思いました。

会話型RPGをやったことのない人に説明すると「難しそう」と言われることがあります。

ルールブックを見せると「そんなに厚いの読まないといけないの?」と言われることがあります。

「丸暗記しなくてもいいよ」と伝えてもやっぱり「大変そう」のイメージはすぐに消えないようです。

会話型RPGに慣れた人にとっては複雑なルールを理解したうえでキャラクターを作り込んだり、詳細な世界設定を読みこんだりするのも楽しみのうち であることがあります。

しかし、遊んだことのない人にとっては「なにから手をつけていいのかさっぱり」と戸惑うことがあるようなのです。

普段から会話型RPGを遊んでいる人でも、「準備がめんどうだなぁ」と感じることは度々あります。

『冒険王道』では世界設定の説明は最小限で、読みこみの必要はありません。

「ファンタジー」「昔のヨーロッパ風」であることがわかれば十分です。

プレイヤーキャラクターのデータも少なくて、魔法使いの魔法呪文は2種類(攻撃魔法と「見えない力」)だけです。

また、武器のデータがカードにまとめられていているのも親切です。

一般的なルールブックに書いてある事柄を大胆に省くことで、「初めて遊ぶ人でもすぐに読みこめる」、「ルールがかんたんに説明できる」、「思い 立ったらすぐ遊べる」といったことができるようになっています。

少人数で濃密な会話を楽しむにはこれくらい軽いシステムが良いのではないかと思いました。

プレイヤーの段階別学習を積極的に取り入れているところも『冒険王道』の特徴です。

『冒険王道』のルールブックは初級・中級・上級にわかれています。

初級のプレイヤーは、『冒険王道』を5回以上遊び、かつ、GMをやると中級になることができます。

先ほど、「自分の決定・行動に対して結果・反応が得られる」というのがゲームの基本的な楽しみではないかと書きましたが、これをキャラクターだけ でなくプレイヤーのレベルでも行えるシステムになっています。

つまり、遊ぶという行動の積み重ねの結果が、「プレイヤーの昇級」として評価されるのです。

昇級の条件を満たした初級プレイヤーは、中級の段階へ進むことが出来ます。

中級のルールブックでは、職業(神官、格闘家、狩人など)の追加、新しい武器、買い物ルール、キャラクターのレベルアップなど、新しいルールが導入されます。旅に関するルールも使えるようになります。

キャラクターが新しいルールブックで新たな選択肢と冒険の機会を与えられるのと同時に、中級になったプレイヤーはさらなる学習と成長の機会を得ます。

賞状はただの紙なのにもらうとうれしいです。それは賞状が上達の象徴だからです。

中級のルールブックもやっぱりもらったらうれしいのではないでしょうか。

会話型RPGは勝敗の基準が曖昧なため、上達という言葉を客観的に定義しにくいゲームです。

何が会話型RPGにおける上達か?という話をしたら、100人100通りの答えが返ってくるでしょう。

そこで、上達が何をさすかは置いておいて、単純にキャラクターのレベルアップに応じた段階別学習という視点がいくつかのゲームで行われてきました。中級レベル~上級レベル向けのルールを別冊で販売するゲームもあります。

『冒険王道』の特徴は、プレイヤーの初級から中級への昇級の条件を明確化したことです。「だいたいこれくらいになったら次に進んでもいいよ」あるいは「飽きてきたらお次へどうぞ~」ではなく、「これをやったら次の段階に進めます!」とはっきりしているのです。

これによりプレイヤーは昇級を明確な目標として定めやすくなります。

私は、今度は、プレイヤーになって遊んだり、会話型RPGをまったく知らない友達と遊んでみたりしたいと思います。

「もし良かったら『冒険王道』ってゲームで遊ばない?」

謝辞 本稿の作成にあたり、高橋志行さんと仲知喜さんから多くのご教示をいただきました。末尾になりましたが御礼申し上げます。ありがとうございます。