冒険に満ちた散歩

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

冒険に満ちた散歩

齋藤 路恵 (協力:岡和田晃)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

わたしたちはしばしば「もし~だったら」と考える。もし地球の温度が一度上がったら、もしドラえもんの道具が手に入ったら、もし今この人生が夢だったら。
わたしたちはあり得たはずの別の可能性と隣り合う。つまり、想像を通じて異界と隣り合っている。
異界と写真について考えてみる。
写真はかつて異界の扉ではなかったか。カメラは異界への瞬間移動装置だったのでは? いや、きっとカメラは今日においても移動装置なのだ。わたしたちは写真に慣れ、長い間に、あるいは驚くほどの短い間に、そのことを忘れてしまったのだろう。
ここにフォトゲームブックがある。これを通して、わたしたちはかつて異界の創造者であり、今日において、なお異界の創造者であることを思い出してみよう。

こちらはあまのしんたろう氏のフォトゲームブックのサイトだ。

(あまの氏のフォトゲームブック「ウィンベー・バカンス」3頁の写真)

フォトゲームブックのしくみはそれほどむずかしいものではない。選択肢があり、それをたどると、ある写真、ある物語に行きつく。
おそらく少し勉強すれば同じような形式のものを作れるはずだ。

これらのゲームブックに使われている写真は現実に存在する場所だ。だが、写真とともに進行する物語は必ずしも日常生活の延長とは言えない。
日常のようで日常でない物語、読み手はその中を回遊することとなる。

カメラについて少し考えてみよう。最初期のカメラはまさしく魔法だった。複雑で危険な薬品を使いこなす。そして、自らを陰画紙に定着させる。それは絵画と似たものだったが、絵画とはまったく違うやり方で自らの客観視を可能にするものだった。
やがて技術革新が進み、写真は誰にでも撮影可能になった。進歩したカメラはわたしたちに手軽なフレーミング技術を与えてくれた。フレーミングとはここでは、世界を四角く切り取ることを指す。

もともと人間の視覚に境界線はない。上下左右への自由な移動。好きな場所にピントを合わせ、それをまた一瞬で変える。人間が視界をフレーミングするようになるのは、紙やキャンバスといった限りのあるものに、世界を写しかえようとしてからだ。
カメラは無限定な世界を四角く切り取って見せる。世界を四角く切りとること、それ自体は絵画もよくやっていた。だが、絵画の構図は手作業である。作者は時間をかけて絵の構図を完成させる。カメラはボタンを押した瞬間に世界が切り取られる。
カメラのフレーミングはしばしば意図せざる世界を出現させる。その偶発的な世界は、わたしたちの日常でありながら、わたしの意図によらない。それは異界なのだ。それも、限定され、完成した異界。切り取られた世界は完結した一つの世界だ。
写真は無限にズームアップできる世界でもある。ズームの限界がきたら、複写をやり直し、またズームすればいい。むろん、ズームアップすれば精度は下がる。すぐに何が何だかわからなくなる。でも、ズームアップできなくなるわけではない。理論上は永遠にズームアップを繰り返せる。
一方でズームダウンには限りがある。ズームダウンを繰り返すとやがて対象の外側が入ってくる。外側の侵入を防ぐことはできない。ズームダウンの限界は切り取られた世界の区切りであり、完結である。
わたしたちは無限の深さを持つ写真の内部において、また、無限の広がりを感じることができる。写真の中にあるもの、写真に写り込んでいないものの外部を想像する。外部の広大さはフレームによってこそ拡張される。
目で風景を見る場合、それは無限定の世界だ。見えない部分、世界の外側は遠くにある。
フレームの中の空間は制限されていて、世界の外側はすぐ近くにある。ビルの物陰の狂人を恐れるように、わたしは写真の奥の世界を恐れる。フレームの外側、あの闇の内に潜むものはなんだろうと警戒する。
見知った世界とよく似た異界の光景。ぼんやりとした不安の影。テキストはその闇の風景に輪郭を与える。曖昧で見えなかったもの、ぼやけていた輪郭が浮き上がり、世界が屹立する。わたしはその微かな瞬間に立ち会う。
でも、闇から現れでるものは恐怖の怪物とは限らない。暖かい日差しと穏やかな海、地に足をつけて暮らす人のやさしい言葉かもしれない。見えてはいたが、気づいていなかったものが瞬間に立ち上がる。
一方で、テキストはすべてを見えるようにするわけではない。テキストはさらに光の当たらない場所、より濃い闇を生み出す。テキストが行うのは世界の対照(コントラスト)をはっきりさせることだ。
人はテキストで書かれたものに注目する。テキストで書かれなかったものは目に入らなくなる。それまでぼんやりと見えていたものが闇に溶け込む。テキストによってそれは不可視になる。茫漠とした地になり、足元に暗闇を与える。

テキストを読む。予想と違う位置に輪郭線が引かれる。少し驚く。でも、理解できる。過去にそれを知っていたわけでもない。知っていたわけではないのに理解している。
変わった風景ではない写真。どこかにありそうだが、どこをとったのかわからない写真。

もう異界に入る準備はできている。テキストが立ち上がる。ああ、やっぱりここはいつもと違う場所だった。

これはわたしが作っても同じことだ。写真を撮る。影ができる。別の世界が始まる。テキストをつける。世界の闇が濃くなる。闇から声が聞こえてくる。わたしはこの闇からの声を知っている。闇から声がすると知っていた。懐かしい。
さあ、わくわくしよう。強い光と濃い影の中、わたしの冒険に満ちた散歩が始まる。

=====

しゃしんか あまのしんたろう こうしきさいと ヤミーアートミュージアム

http://shintaro-amano.com/

雑誌『内外教育』記事「『ごっこ遊び』で養う社会性」を読んで

 小春香子 (協力:岡和田晃、齋藤路恵、高橋志行)

 先日、職場の同僚と共同で購入している教育系の雑誌、『内外教育』(2012.11.6)を読んでいたら、アナログゲームの教育利用に関する実践報告で、大変興味深いものがありましたので紹介します。

・「内外教育」(時事通信社)2012年11月6日号の内容紹介
http://www.jiji.com/service/senmon/educate/backnumber_doc/e121106.html

 この「『ごっこ遊び』で養う社会性」(著:安藤ひかり氏)という記事は、第27回時事通信社「教育奨励賞」の努力賞を受賞した学校・教育機関の取り組みを紹介する記事で、ここでは熊本県荒尾第一幼稚園での教育実践が取り上げられています。
 この幼稚園ではよく一般の幼稚園や保育園で行われている「ステージの上で園児が踊ったり演劇をしたりする」というお遊戯会を見直し、その代わりに「ごっこ遊び」の延長として、まるでライブ・アクション・ロール・プレイング(以下、LARP)のようなプログラムを行っているということです。記事によると、このプログラムは園職員が解決すべき課題のあるシチュエーションを絵本の物語風に提供し、子ども達は自分達で課題解決の方策を考え、役割分担をし、保護者や園職員が扮する悪役と自分の体を動かしてちゃんばらごっこ風に戦ったりなどするプログラムのようです。
 このプログラムを導入し普段の生活の中でも「遊び」を重視していくことにより、園児たちが遊びの中から思考力や社会性を獲得し、自分たちで作ったルールをきちんと守っていく力が生まれてきていると報告にあります。

 LARPは実際の古城などをかりきって中世ヨーロッパ風の衣装に着替え、実際に身体を動かしながら会話型RPGと遜色ないようなシナリオを体験していく、演劇とオリエンテーリングを合わせたものです。日本では住宅事情などから、LARPの本場である欧米よりも大規模なLARP開催が難しいのではないかとされてきました。
 しかし、最近では日本でも「リアル脱出ゲーム」と呼ばれる、体験型エンタテイメントなどが各地で試みられるようになりました。これらは代替現実ゲーム(Alternative Reality Games)と呼ばれています(*)。
 LARPのように演劇的な要素を必ずしも伴うわけではないのですが、中には物語的な体験を強めるために、参加者にロールプレイ的なふるまいを求めるタイプのARGも少なくないようです。また、ゲームの持つ教育効果に着目した企業の新人研修などでLARP的な即興演劇に近い演習が取り入れられているという報告も目にするようになりました。

 この荒尾第一幼稚園の実践を見て、こうしたLARPの原点が幼児・小学校低学年児童に人気の「ごっこ遊び」にあるのだと、そして案外私たちはそのことを忘れてしまっているのではないかと思いました。企業の研修などはもちろん大学後期の学生や社会人が対象ですし、リアル脱出ゲームも大学生や社会人という年齢層をターゲットにしています。LARPとは少し違いますが、同じくごっこ遊びの延長に位置するだろう会話型RPGも、多くが中学生や高校生以上の年齢層をメインユーザーとして想定しているのだろうと感じられます。それ以前の年齢層、つまり小学生くらいの年齢で一度こうした「体を動かして物語を楽しむ」の遊びの経験が途切れてしまっているのではないでしょうか。
 小学校くらいの年齢の児童が外遊びをしなくなった理由として、遊べる公園などが少なくなったこと、塾や習い事、部活動などで仲間が集まりにくくなり、また長く遊ぶ時間が取りにくくなったこと、電源系ゲームなど手軽に1人で出来る遊びが増えたことなどがよく挙げられています。一方で、子どもの体力の低下を気にして体育(スポーツ)の「塾」や家庭教師などが登場し、子どもの外遊びを支援する社会教育系NPOも数多く存在します。ゲーム性は薄いですが、なりきりの一環としては小学校低学年を対象とした職業シミュレーションテーマパーク、キッザニアなども盛況です。また、この記事にあるようにこうしたLARPには他者とのコミュニケーション能力や主体性、想像力を育む効果が期待できますから、小学校から中学校くらいの年齢の子どもたちの遊びの選択肢としてLARPは需要があるだろうと考えられます。大学生や社会人に現在リアル脱出ゲームなどのLARPに人気が出ているのは、年齢が高くなるにつれて情報量が増えて世界が広がって仲間を得やすくなったり、彼らを満足させるような充分な物語性やルールなどのシステム作りが出来上がっているサービスが様々な形で提供されていたりするからではないかと考えます。だとするならば、もっと幼稚園くらいの年齢から小学校、中学校くらいの年齢層を対象にしたLARPが存在しても良いのではないかと思いました。

 ところで私は大学時代、社会教育や開発教育のゼミで「遊び」の教育効果を研究していました。その研究のための調査の中で、小学校低学年から中学年くらいの子どもを対象に大きな公園などで本格的に忍者ごっこをするぞ! という企画をしていたNPOに取材に行ったことがあります。
 一方でこうしたLARPは開催やシナリオ作成の難易度が高いのも特徴の1つだと思います。参加対象者の年齢が上がってくると特にそれははっきりとあらわれてきます。前述の忍者ごっこなどの実践も、小学校高学年の児童の参加者はかなり少なくなっていました。電源系ゲームなど高いゲーム性や物語性を持つ遊びに普段接していると、子ども達の遊びへの要求水準はかなり高くなっています。SCRAPの開催しているリアル脱出ゲームはその要となるパズル部分の高い難易度やクオリティが人気を誇る要素の1つですし、キッザニアはさまざまなジャンルの協賛企業が自社のPRも兼ねてかなり本格的な設備を提供し、参加者の満足度を高めています。そうしたことを考えると、LARPを行おうと思ったときに一番高いハードルとなるのは、LARPの中核となるゲーム性や物語性を作る部分になるのではないでしょうか。子ども達、もしくは彼らの保護者や社会教育関係者があまりLARPを遊んだり運用したりする経験が少ないならば、この部分を満足いくまでに作り上げていくのはとても難しいでしょう。LARPなどに慣れている人が雛型を作ったり運用してみせたりすることではじめて子ども達がLARPを自分たちで楽しんでいく力がつくのではないかと思います。
 このように大人だけではなく子どもを対象にしたLARPを提供していくことが出来れば、彼らが成長したときに現在の大学生や社会人向けのLARPの裾野がもっと広がっているのではないか。そんなことを考えさせられる記事でした。

(*)ARGの定義については『ARG情報局』内のこの記事が詳しい。http://arg.igda.jp/p/arg.html

【レビュー】まさかのシュルレアリスムRPG『Itras By』英訳版の登場!

―――――――――――――――――――――――――

【レビュー】まさかのシュルレアリスムRPG『Itras By』英訳版の登場!八重樫尚史 (協力:岡和田晃)

―――――――――――――――――――――――――

あなたは『Itras By』という会話形RPG(テーブルトークRPG、TRPG)をご存知でしょうか。
もともとノルウェーで2010年に発売され、Vagrant Workshop社(ペンギンを遊ぶRPG『Valley of Eternity』の英訳もした最近僕のお気に入りのゲーム会社)が2012/12/07に英訳版を出したばかりの新しいRPGです。
この記事では、『Itras By』の概要を、手短にご紹介いたします。
英文を参考にまとめたものですので、早合点や読み間違いなどがあるかもしれませんが、ご容赦いただけましたら幸いです。
itras_by_220
itras_by_slide
※(画像は公式サイトより)

コンセプトを見た段階で、僕のハートは鷲掴みにされました。
「1920年代で、シュルレアリスムを遊ぶRPG!」
エッジを利かせるにも程があるというものです!
僕も最初は「アンドレ・ブルトン(シュルレアリスム運動の理論的指導者)という名前にひっからない人はお断り」なゲームかと思っていました。

実はそういった近代美術史ファンに限定されたゲームという訳ではなくて、1920年代の架空の都市でキャラクターを演じるという『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』などに通じるゲームです(結構、欧州ではそういったゲームのニーズがあるようです。同じくVagrant Workshopが英訳したドイツ産の『Vampire City』もそんな感じでしたし)。
そう、『Itras By』というこのゲームの名は、英語で書くと「Itra’s City」、日本語では「イトラの街」という意味です。基本的にはこのイトラという名の街の一人となって遊ぶRPGになります。

ただし、この『Itras By』はより旧来の会話型RPGから離れたシステムを持っていて、簡単に言えばダイスレスで数字データもないゲームです。その代わりに、基本的に行為判定には「Chance Card」(チャンス・カード)というカードを使用します。
「Chance Card」には8種あって、単純な成功失敗以外の効果が出る仕組みです(ゲーム的に説明すると、“部分的”成功のようなもの)。
また、別に「Resolusion Card」(レゾリューション・カード)というものがあり、プレイヤー各人はこれを1セッションで1回使わなければならないというシステムです。
こちらのカードは、危険な状況などで判定を行おうとする際に使用されます。ここがシュルレアリスムという所の肝で、カードによってはとんでもないロールプレイが要求されます。

例えば「Cut Scene」(カット・シーン)というカードを引くと、強制的に3時間ぶんの時間が跳びます。しかしプレイヤーは、そのまま続けてロールプレイしなければなりません。また、その際に空白の3時間の描写は禁止です(!)。
中でもRPG的にとんでもないのが「Masquerade!」(マスカレード!)というカードで、これを引くとそのシーンの残り、全てのプレイヤー(ゲームマスター含む)がキャラクターをスワップしてプレイします。
「オートマティズム(自動筆記)」とか「コラージュ」といったシュルレアリスムの手法を導入したということなのでしょう。
カード部分は、オフィシャルページでPDFファイルとして公開されています。英語になりますが、興味のある方はご覧ください。

・Itras by Chance Cards(公式サイトより)
http://www.vagrantworkshop.com/files/itras_by_chance_cards.pdf

これまでの他のゲームと比較するとすれば、方向的にはやはり『ローズ・トゥ・ロード』(2010年版)に近いでしょうね。
カード使用法でも、『TORG』のサイドストーリーカードや『深淵』の運命カードの流れの延長線上に位置づけることができそうです。また、カードゲームの『ワンス・アポン・ナ・タイム』も遊び方としては似ているかもしれません。

まだ遊べていませんが、おそらく実際にプレイしてみると、ゲーム・セッションは、「スラップスティック」なナラティヴ・スタイルのゲームになると思います。カードの助けがあるので、意外と運用しやすいかもしれません。
ノルウェー版公式サイトには『Itras By』、というよりもシュルレアリスムの空気を掴むことができるように、ルイス・ブニュエル監督でサルバドール・ダリも参加したシュルレアリスム映画の代表作「アンダルシアの犬」等をサンプリングしたティーザー動画が用意されています。
1920年代のシュルレアリスムとはなにかを知るよすがになるかもしれません。
ただし、結局なにがなんだかよくわからない(これぞシュルレアリスム)かもしれませんし、映画史上に残る名シーンである「眼球切断シーン」が入っていますので、そういったものに耐性のない方は、くれぐれも再生ボタンを押さないでください。

ここ最近、海外では2046年の日本でサイバーパンク(「ニュー公明党」が政権第1党になっている)フランス産の『Kuro』(http://www.7emecercle.com/7cercle/jdr/kuro.php?page=Inf)のような尖ったゲームが出ています。
そして『Itras By』みたいに、英語圏以外のゲームであっても英語に翻訳されるものも登場し、PDFファイルで、ほとんどタイムラグなく手に入るようになりました。いい時代になったものです。

・Vagrant Workshop『Itras By』特設ページ
http://www.vagrantworkshop.com/index.php?categoryid=8&p2_articleid=42

※2012/12/13 一部修正。

【レビュー】『Warhammer 40,000 RolePlay Death Watch』プレイビュー

田島淳

『Warhammer 40,000 RolePlay Death Watch』をプレイする機会に恵まれた。

先頃発売されたプレイステーション3、XBOX360用ゲームソフト『ウォーハンマー40,000:スペースマリーン』【CEROレーティング「Z」】をご存知だろうか。

知らない方はこちらをご覧いただきたい。

ウォーハンマー40,000:スペースマリーン 【CEROレーティング「Z」】 / サイバーフロントウォーハンマー40,000:スペースマリーン 【CEROレーティング「Z」】 / サイバーフロント

http://www.cyberfront.co.jp/title/spacemarine/

いかがだろうか?

遠い未来を感じさせるSF世界。

お馴染みのパワードアーマーらしきものに身を包んでいるのにも関わらず、何故か頭部むき出しの厳つい大男がチェーンソーの刀身を持つ剣で緑色の肌をした亜人間の胴体を真っ二つに切り裂いている。

彼らこそがスペースマリーンだ。

観る者に強烈な印象を残すこの最新アクションゲームはその由来をミニチュアバトルゲームに持っている。

「暗黒の遠未来に唯一残ったもの、それは戦争」

日本でも展開されているミニチュアバトルゲーム『ウォーハンマー40,000』は人類が滅亡の危機に瀕する第41千年紀という遠未来が舞台である。

〈暗黒の千年紀(ダークミレニアム)〉と呼ばれるこの世界の様相は、およそ1万年経った今も人々の記憶に強く焼き付けらている忌わしき出来事に端を発してる。

1万年前、神々の御意志によって人類の長たるべく選ばれた不死なる皇帝は、その強大無尽蔵ともいえる軍事力を率いて銀河全域を平定するべく〈大征戦〉を展開していた。スペースマリーンはその主力である。彼ら〈戦闘者〉は遺伝子操作を施された身の丈3mを超える巨人であり、肉体の頑健さ、および強靭さは常人に倍する文字通りの超人だ。また出身戦団によって様々な異能、超能力を有する。

スペースマリーンの最前線における獅子奮迅の活躍によって聖なるテラ(地球)を中心とした人類の〈帝国(インペリウム)〉による銀河統一は時間の問題かと思われた。しかし総主教の中でも、ひときわ皇帝の信頼厚き大元帥ホルスが混沌の〈禍つ神々〉に魂を売り渡す事をためらわず、ましてや皇帝その人に反旗を翻そうとは誰が想像し得ただろうか。

〈ホルスの大逆〉と呼ばれるこの卑劣な裏切り行為により〈帝国〉は真っ二つに引き裂かれ、また皇帝自身もホルスを討ち取る際に瀕死の重傷を負った。 〈大征戦〉は頓挫し、人類は衰退を余儀なくされたのである。オルク、エルダー、ネクロン、ティラニッド、タウ・エンパイア、そしてケイオスの軍勢。人類に敵対する勢力はその力を取り戻し、また新たなる脅威も現れ、銀河は有史以来最も血生臭い時代に突入している。

数々の外敵に〈帝国〉もただ手をこまねいている訳ではない。超人的な力を有するスペースマリーンを中心として敢然とこれらの勢力に立ち向かっている。だが皇帝の威光は翳りつつあり、肥大化し、手の行き届かない〈帝国〉の諸惑星は次々と敵の手に落ちている。人類の劣勢は否定し難く、永遠の闇はそこまで迫っているのだ。

さてミニチュアバトルゲームではこの諸勢力の軍勢を構築しプレイをする。

戦場を再現したディオラマに、同じ特色を持ったミニチュアが多数並べられアーミーを形成し、また違う特色を持つアーミーとぶつかり合う様は壮大で興奮する。正に多数のキャラクターを一度に扱うミニチュアゲームでしか味わえない楽しさがある。

だが、このミニチュアのキャラクター1人1人に目を向けて見ることはできないのだろうか。

この丁寧に塗り分けられた精緻なつくりのスペースマリーンは、どこで生まれ、どんな経歴を持ち、この過酷な世界で何を考えて生きているのだろう。そもそもなんていう名前なのだ?

これらの疑問を解き明かし、今までに経験した事のない楽しさを提供してくれるゲームがある。

それが『Warhammer 40,000 RolePlay』だ。

『Warhammer 40,000 RolePlay』(以下『WH40KRPG』)はミニチュアバトルゲーム『ウォーハンマー40,000』と背景世界を同じくする会話型RPGである。

現在、プレイスタイルと密接な関係にあるキャリアごとに4つのコアルールが発売されている。

異端を葬る為なら惑星ごと焼き払う「究極浄化」も躊躇わない異端審問庁の異端審問官『Dark Heresy』
Dark Heresy Core Rulebook (Warhammer 40,000 Roleplay) [ハードカバー] / Owen Barnes, Kate Flack, Mike Mason (著); Fantasy Flight Pub Inc (刊)

危険な銀河を所狭しと飛び回る宇宙商人『Rouge Trader』
Rogue Trader Core Rulebook (Warhammer 40,000 Roleplay) [ハードカバー] / Fantasy Flight Games (Corporate Author); Fantasy Flight Pub Inc (刊)

大逆人ホルスの如く混沌に魂を売った「裏切り者」ケイオススペースマリーン『Black Crusade』
Black Crusade: Roleplaying in the Grim Darkness of the 41st Millenium (Warhammer 40,000 Roleplay) [ハードカバー] / Sam Stewart (著); Jay Little, Mack Martin, Ross Watson (寄稿); Fantasy Flight Pub Inc (刊)

これらは背景世界と元になるゲームシステムを共通とするが、単体でプレイ可能で各々にサプリメントが発売されるなど、それぞれが独自の展開を見せており、別のゲームと言っても良いほどである。

そして『Death Watch』はその第3弾に当たる。取り上げられているのはそう、スペースマリーンだ。
Deathwatch: Core Rulebook (Warhammer 40,000) [ハードカバー] / Owen Barnes, Alan Bligh, John French, Andrea Gausman (著); Ross Watson (イラスト); Fantasy Flight Pub Inc (刊)

タイトルであるデスウォッチとはスペースマリーンの各戦団から選抜された数百万人に1人のエリートである。スペースマリーンの中でもひときわ能力の高い者だけがデスウォッチに選ばれる。

彼らはダークエンジェルやスペースウルフなどのそれぞれの出身戦団によって守らなければならない流儀と有する異能が特徴づけられている。例えばダークエンジェルなら過去の汚点から部外者を信用せず、それが習性となるまで定期的に戦団への従順さを試される。その代わり戦闘では踏み止まって戦い続ける並外れた体力を手に入れる。全てが凍てつく惑星フェンリスで生き延びてきたスペースウルフなら獲物を逃さない知覚力は誰もが有するが、名誉を必要以上に重んじる態度はしばしば厄介事を引き起こす。

それらの特別な力はただただ聖なるテラの〈黄金の玉座〉にましまし続ける皇帝とその聖領である〈帝国〉のためだけに費やされる。

彼らは皆、皇帝への篤い信仰を胸に抱く信徒であり、お互いを同胞(ブラザー)と呼び合う。

また驚くべきことにデスウォッチは他のキャリアと違い戦場を選べる。

巨大な官僚機構の頂点に位置する至高卿による最高評議会が皇帝の御名において下した決定は絶対であり、各宙域の司令官、次に星域長、そして星区長、さらに惑星総督にまで伝達されて皇帝の御意志、各キャリアへの任務はようやく実行される。しかしデスウォッチはある程度の自由を持って人類の守護という聖務を果たす。

人類と外敵との戦いは正に最終局面を迎えようとしており戦場には事欠かない。そして戦場は例外なく厳しく、人類は敗北寸前の局面だ。その絶望的な状況を覆すためにデスウォッチ数名から編成されるキルチームは投入される。

危機に瀕した惑星へその能力を高める為に両目を潰した超能力者サイカーの案内だけを頼りに宇宙船で急行し、外を伺うことできない降下用ポッドでここぞと当たりをつけた地表の一箇所へ射出される。

ポッドから何事もなく出てくるキルチームはまさしく一般人を凌駕した〈戦闘者〉であり、人類の命運を双肩に掛けた救世主である。

〈皇帝〉から下賜されたパワーアーマーやチェインソードなどの聖具で身を固めたマリーンの姿を見て、帝国市民は頭を垂れ、膝を折り「我が君」と熱のこもった囁きを漏らすのだ。

そしてデスウォッチは圧倒的多数のエイリアンの群れに信仰心を武器にして戦いを挑み、勝利を皇帝に捧げるのである。

引き延ばされた数百年の寿命の中でデスウォッチはその強固な信仰のもとにこの様な戦いを繰り返している。

ここでゲームシステムに目を向けてみよう。

『WH40KRPG』は『ウォーハンマーRPG』(以下『WHFRP』)2版の正統な後継と言える。能力値や技能、異能などキャラクターを表す要素はほぼ変わらない。

ここで軽く『WHFRP』について触れておこう。

『WHFRP』は現在3版までが発表されており、日本でもかつて初版が社会思想社から発売され、2版もホビージャパンから展開されている三十年戦争時代のドイツをモチーフとしたファンタジーRPGである。

数あるファンタジーRPGの中でも『ウォーハンマーRPG』はプレイヤーキャラクターが開始時点において一般人と何も変わりなく、むしろそれが特色の1つと言っていいゲームだが、そのスペックは当然ながら一般人のそれだ。そのため鎖帷子を着込み剣と盾を構えた兵士でも、農具を構えた死にもの狂いで襲いかかる3人の農夫に屈服させられてしまう事が起こりえる。

『WH40KRPG』においてもシリーズ第1弾である『Dark Heresy』では事情はあまり変わらず、作りたてのプレイヤーキャラクターである異端審問官見習いの能力は『WHFRP』でせいぜい数回の冒険を経て成長させたキャラクターに等しい。

だが『Death Watch』は違う。

その違いは格闘技やスポーツにおける階級に近い。『WHFRP』や『Dark Heresy』などのプレイヤーキャラクターが軽量級なら『Death Watch』は超重量級だ。横たわる肉体の格差。経験では越えられない壁。それが『Death Watch』の特徴である。

数値を『WHFRP』と比べてみると『Death Watch』のキャラクターは肉体の筋力と頑健さを表す能力値による効果がドーピングにより2倍強あり、また彼らにしか扱えない武器も同様に倍の威力がある。

デスウォッチの右腕にはめた1mにも及ぶ巨大な拳、聖具パワーフィストが『WHFRP』のキャラクターに当たると、彼は2d10に10前後の筋力ボーナスを加えたダメージを被るのだ。

デスウォッチの肉体の強靱さが倍なのは比喩でも何でもなく文字通りの意味なのである。

もちろん敵もその分強力になり、今までのシリーズ作品からはお目にかかることができない数字が戦闘では飛び交う。

先行作品のプレイ経験がある者はまず唖然とし、次にこの新しい光景がもたらす快楽に自然と笑みを漏らすだろう。

さらにデスウォッチの超人性を際立たせるルールとして「群れ(Horde)」が設定されている。

これは群衆などの大勢を1体のキャラクターとして見做すルールで、例えば100体のミュータントの群れを1つのデータで管理する。そうする事によりその100体のミュータントをデスウォッチ1人で相手どる事がゲームで描写できる。彼は重火器の連射でそいつらを蹴散らすのだ。一定のダメージを与える毎に群れは士気が保てるか試され、その判定に失敗すると敢えなく崩壊して敗走する。

『WHFRP』では兵士が農夫に屈服させられてしまう事があると述べたが、『Death Watch』では圧政に耐え切れず悲壮な決意で蜂起した民衆の意志を1人の掃射で挫くことも容易だ。

以上のことから『Death Watch』は他の『WH40KRPG』と元のシステムを同じにするにも関わらず、扱う数値を上方にシフトするというシンプルなアイデアに超人であり一般人からみたら半神にも等しいデスウォッチという設定を乗せて既存作品との差別化を図っている。それにより全く別のゲームをプレイしている印象を与えることに成功している。システムと設定の見事な融合と言えるだろう。

ここまでゲームの面から『ウォーハンマー40,000』を眺めて来たが、重厚な背景世界を味わい尽くす為に忘れてはならないものがある。実力派作家のスピンオフ小説だ。

残念ながら1冊も翻訳は出ていないが、『禅銃』のバリントン・J・ベイリーによる長編『Eye of Terror』、『黒き流れ』三部作や『エンベディング』のイアン・ワトスンによるその名も『Warhammer 40,000 Space Marine』、『WHFRP』2版の巻頭小説『人生は、死を越えてなお』を手掛けたダン・アブネットによる『Gaunt’s Ghosts』シリーズなど数々の小説が発表されている。英語に堪能な方はこちらに触れてみるのもいいかもしれない。
Eye of Terror (A Warhammer 40, 000 novel) [ペーパーバック] / Barrington J. Bayley (著); The Black Library (刊)
また、まずは手軽にゲームを初めてみたいという方には簡易ルールとシナリオがセットになった体験版がこちらからダウンロードできる。
http://www.fantasyflightgames.com/edge_minisite_sec.asp?eidm=108&esem=4

『WH40KRPG』の世界は勢いを増して、留まることを知らない。思い切ってこの流れに飛び込んでみてはいかがだろうか。

皇帝陛下の御慈悲。そは許しにあらず、忘却にあらず。ただ受け入れることにあり、だ。

【レビュー】門倉直人『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉(ことのは)の魔法~』(付記:SF乱学講座「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」のお知らせ)

―――――――――――――――――――――――――

【レビュー】門倉直人『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉(ことのは)の魔法~』(付記:SF乱学講座「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」のお知らせ)

 公成文 

―――――――――――――――――――――――――

シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉の魔法~ [単行本] / 門倉 直人 (著); 緒方 剛志 (イラスト); 新紀元社 (刊)

 日常には、今も魔法が潜んでいる。

 朝松健の著作であったと思うのだが、あらゆる魔術の根源的要諦は「現実と寸分たがわぬヴィジョン」を創り上げることだ、という主旨のことをどこかで読んだ。そのような〈ヴィジョン〉を駆使することで、「現実」を随意に操作出来るものという。我々の知る魔術の儀式や道具立ては、〈ヴィジョン〉を現実に近づけるための、いわば方便であり補強であるらしい。これは、裏を返せば、〈ヴィジョン〉の構築に寄与すれば、何ごとによらず、「魔術」の道具であることを意味する。世の中には、ソードやワンドのような魔術師の道具が、人知れず蹲(うずくま)っているのである。                   
The Original Rider Waite Tarot Pack [カード] / Arthur Edward Waite (著); United States Games Systems (刊)                

 そして多分「言葉」こそは、そのような道具の筆頭である。人が何かを思い浮かべる時、多くは「言葉」による補強を受ける。我々が“運命”・“虚数”・“未来”と呼ぶ実体のないものまで〈ヴィジョン〉の内に収められるのも、言葉の力ゆえだ。

 「言葉」こそは、我々の世界を“世界らしく”在らしめている強力な魔法の道具なのである。

 すると、「言葉」によって〈ヴィジョン〉を細密に描き出し、その世界をありありと体感しようとする点で、RPGという行ないもまた、魔術の別名に他ならないということになる。

 勿論、その担い手達がどれほどRPGの魔術的側面を意識していたかは、別であるとしても。実際、キャラクター達に願望を仮託して遊んでいたつもりで、その実、そのことがそのまま魔術であったなどということは、普段想像すらすまい。

 だがここに、RPGのこのような側面をあやつる、一人の「魔術師」がいる。

 門倉直人氏である。

 門倉氏といえば、初の国産ファンタジーRPGシステム『ローズ・トゥ・ロード』を世に送り出し、以後もRPG界のトップランナーで在り続けている「常なる先駆者」であり、いまさら本稿の筆者が喋々するのも憚られる、いわば「顔」の一人である。       

 その門倉氏の代表作の一つ『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』(Bローズ)の、あの「マジックイメージ」を駆使した魔法システムは、言うなれば「記号」を用いた〈ヴィジョン〉の構築をその原理としている。「言葉」もやはり「記号」の一部であるから、Bローズも、先程来述べてきたような魔術のあり方と直結すると言って良い。また最近作『ローズ・トゥ・ロード』(Wローズ)は、これ正しく、言葉と〈ヴィジョン〉の魔術が、そのままRPGと化したかのようなシステムである。

ローズ・トゥ・ロード (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [大型本] / 門倉 直人 (著); エンターブレイン (刊)

 すなわち、ともどもに魔術的産物であって、我々はこれらのプレイを通して、本当に「魔術師の弟子」として振舞っていたということになるのである。それと悟らず(悟らせず)、知らず知らずに。

               
 さてそうなると、気になるのは、このような門倉氏の仕掛けた魔法を深く、しかも「魔術師」の地平から見つめる術はないのか、ということである。我々は今までその片鱗を、意識せずに垣間見てきたに過ぎないが、意識的にそれを観察すれば、その秘訣を盗みとることが出来るかもしれないからである。そもそも、己の知らぬ魔法を知りたい・使いたいという強い欲求は、「魔術師の弟子」として素直で自然なものではないだろうか?

魔法使いの弟子 (ちくま文庫) [文庫] / ロード ダンセイニ (著); Lord Dunsany (原著); 荒俣 宏 (翻訳); 筑摩書房 (刊)

 それを叶える書物がある。門倉氏の新著『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか~言葉の魔法~』である。                  

 門倉氏は同書で、「時」とそれに連なる魔法を通して、日常の中に今も潜む魔法の姿を鮮やかに解き明かしている。考えてみると、「魔法」のわざを見るのに、これほど適した題材もそうはない。                
 そもそも時は元来切れ目のない一筋のつらなりである。年・月・日、春・夏・秋・冬といった時の区分は、あくまで人間側の都合で切りわけた〈ヴィジョン〉であって、その分ほんのささいなことで簡単にうつろってしまう。  

 そこで仮設した〈ヴィジョン〉がうつろわぬよう、言葉とイメージとをより強く散りばめるために、いわば〈ヴィジョン〉をつなぎとめる〈アンカー〉として、年中行事や記念日が設けられ、旬や風物が選び取られてゆく。日頃意識こそしないが、そうやって我々の周りに魔法が張り巡らされることで、「時」は保たれているのである。自然、「時」の周囲を掘り起こせば、隠れた魔法の姿が見えてくる。

 例えば、冬の章「豆」の段。門倉氏はいにしえ以来設けられてきた「年」の切れ目(新暦旧暦それぞれ二回の正月と小正月、節分)が一年に「年越し」を5回(!)もたらしていることを指摘する。さらにそれらを聖別し、安定させる<アンカー>として「豆」――節分の「豆」、小正月の「小豆粥」、おせち料理の「黒豆」――が用いられていること、しかもそれが西洋のトゥエルフス・ナイトとトゥエルフス・ケーキの関係にも共通して言えることを述べている。これらの事象の裏には、本来夏至や冬至に比して体感しづらくうつろいやすい「年」の切れ目を、「豆」の力に依って保守しようとしてきた人間たちの営為が窺われるであろう。

 あるいは、全巻の冒頭、春の巻「花見の魔法」の段。門倉氏は白川静や高崎正秀の説を引きながら、「サクラ」という名の語源を、「サ(田・稲の神霊)」あるいは「サ(然=それ=名無き大いなる神霊)」の「クラ(座=依ります所)」というあり方に求める。その上で、桜を眺めそれと交わる花見のうちに、新たな年の豊穣を噛み締める「命」の祭としての側面を見出し、「生も死も、人も木も、一切を溶けあわせ精霊化する」という「花見の魔法」の存在を説いている。

 また、秋の章「トミノの地獄」の段で門倉氏は、口に出して唱えると死期を早めると巷で囁かれてきた西条八十の同名の詩を繙き、そこにちりばめられた「魔的象徴」の秘密を探っている。一見、「時」と関わりないように見えるこの段、実はこの詩の象徴の背景を手繰ってゆくと、その裏に潜む、ある「時」の魔法が浮かび上がってくる…という構成になっていて、タイトルに据えられるべきその「時」の魔法は、あえて段名に謳われていない。取り上げられた詩は口に出してはならず、「時」の魔法は密やかに示されるのみ。これは、J.K.ローリング『ハリーポッター』シリーズにおいて、魔法使い達が「例のあの人」「名前を言ってはいけないあの人」等と闇の帝王の名を口にしないのに似る。言葉は時として悪しき世界すら現前させるがゆえに、用いてはならぬこともあるのである。

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 (1枚組) [DVD] / ダニエル・ラドクリフ, ルパート・グリント, エマ・ワトソン (出演); デヴィッド・イェーツ (監督)

 このように、人間が「時」を巡らす/廻らすためにいかなる魔法を使い、それがどのように組み上げられ、その中で生きてきたかを、門倉氏は4章30段にわたって、詳細に明らかにしている。大魔導師の面目躍如であろう。卒業論文や文芸批評であれば、30段のうちの1段でも半段でも探れば、一本書けてしまえるような、ある意味で非常に危険な一書。RPGのセッションやらシステムやらの種ならば、一生分が篭められているような、実に眩い一冊である。

 ただし、弟子たちよ、心せよ。何しろ大いなる魔術師が力を注いだ本である。伝え聞くところによると、魔術師たちは、秘伝を記す時、初学者が使い方を誤らぬように、全てを明かさぬものという。     

 例えば、本稿の筆者の辿り得たところで言えば、先程も述べた、「豆」の段。実は門倉氏が同書の中で多く引く『今昔物語集』の中に、「霊」を「打蒔ノ米」(=米まき)で撃退した話がある。ここにキョンシー映画でのもち米のあり方や、結婚式のライスシャワーの存在などを考え合わせると「豆まき」にならぶ「米まき」、もっというならばそれらを包み込む「五穀」の魔法の系譜が想像されるが、それについてはいまだ詳らかにはされていない。

 どうやら、先に触れた「トミノの地獄」の段での隠し題同様、うかつに読み手が手をつけて、後々害にならぬよう、門倉氏が意図的にその奥義を明らかにしていないところが、あちらこちらにあるものらしい。

 本を手引きにより深く探っていくことで、初めて門倉氏の地平にたどり着く。そのように、同書は作られているのであろう。

ファンタジア スペシャル・エディション [DVD] / ディズニー (プロデュース); ベン・シャープスティーン (監督)

 同書は、現代の奇書である。同書を繙き門倉氏の仕掛けた魔法を味わえば、きっと、俗塵に染まった耳目を洗い濯ぎ、新たな「世界」とその魅力を発見することになるだろう。それは一種の生きる力の復活を意味する。      

 そして、多分そのような生きる力を蘇らせることこそが、古代の人々が「四海安かれ、四時安かれ」と願った、その思いと祈りとを引継ぎ、次代に伝えていくことにつながってゆくのではないか-とは、本稿の筆者が、規模小なりとはいいながら、未だ安らかならざる被災の地に住むために思う、僻事であろうか。 

 ともあれ、このような奇書が世に現れたのは誠に慶事である。本稿の筆者の怠慢ゆえ、あまりにも紹介の遅きに失した次第であるが、なに、この本の価値は、そのようなことで揺らぎはしない。今は諸共に、この新たなる名著の出現を言祝ごうではないか。

シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉の魔法~ [単行本] / 門倉 直人 (著); 緒方 剛志 (イラスト); 新紀元社 (刊)

―――――――――――――――――――――――――

 門倉直人さまの講演会が、来る10月2日に東京・高井戸で開催されます(SF乱学講座10月の回)。もと遊演体代表、小泉雅也さまとの共同講演となります。

※SF乱学講座は、40年の伝統がある市民講座で、誰でも聴講が可能です。事前予約も不要ですので、直接会場へお越しください。

 来月号の「SFマガジン」、そしてSF乱学講座ホームページにて告知文が掲載される予定ですが、Analog Game Studiesをお読みの方へ、お先にお知らせいたします。

SF乱学講座10月の予定

10月2日(日)

タイトル:日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から

講師:門倉直人氏(遊戯創作/文筆業)、小泉雅也氏(元遊演体代表)

参考図書:門倉直人著『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか』(新紀元社)、竹内薫著『世界が変わる現代物理学』(ちくま新書)
シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか ~言葉の魔法~ [単行本] / 門倉 直人 (著); 緒方 剛志 (イラスト); 新紀元社 (刊)世界が変わる現代物理学 (ちくま新書) [新書] / 竹内 薫 (著); 筑摩書房 (刊)

開催日時:2011年10月2日 日曜日 午後6時15分~8時15分
参加費 :千円
会場  :高井戸地域区民センター3F

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5302/



★『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか』のもととなった記事が連載されていた「Role&Roll」誌公式Twitterでご紹介いただきました!
※2011/8/30 一部内容ミスのご指摘を受け、修正。

【レビュー】徳岡正肇『ソーシャルゲーム業界最新事情』(ソフトバンククリエイティブ、2011)


【レビュー】徳岡正肇『ソーシャルゲーム業界最新事情』(ソフトバンククリエイティブ、2011)

 井上雄太


ソーシャルゲーム業界最新事情 [単行本] / 徳岡 正肇 (著)  ソーシャルゲーム業界最新事情

  著者: 徳岡正肇
 ・出版社/メーカー: ソフトバンク クリエイティブ
 ・発売日: 2011年4月1日
 ・メディア: ソフトカバー

 ソーシャルゲームというジャンルが世を賑わしている。そんなもの聞いたことがないけれど、という方もテレビCMでこのところ頻繁に現れる『怪盗ロワイヤル』、『釣りスタ』といったゲームタイトルを耳にしたことはあるだろう。これらがまさにソーシャルゲームの代表作である。驚くべきことにこのソーシャルゲームの市場規模は今や1200億円(*1)を越え、すでに家庭用ゲーム市場(*2)の4分の1にまで拡大しているのだ。

 突然現れたこの新しいゲームはどこからやってきて誰が支えているのか。歴史が短く、いまだ全貌もはっきりしないこの業界にいち早く切り込んだのが『ソーシャルゲーム業界最新事情』だ。著者の徳岡正肇氏はゲーム情報サイト「4Gamer.net」等でゲームのレビュー記事を執筆する一方、『ワールド・オブ・ダークネス』等海外の会話型RPG(TRPG)の翻訳も手がけた、ゲームレビュアーにして翻訳家である。本書はソーシャルゲームの成り立ちと可能性、その業界の現状を具体的な事例やインタビューから伝えている。

・本書の構成

 本書はソーシャルゲームの全体像について俯瞰的に語る「第1部 ソーシャルゲーム概説」と、インタビューによりソーシャルゲーム業界の現在を伝える「第2部 ソーシャルゲーム業界の最前線」とで構成されている。第1部では、まずソーシャルゲームの定義自体が見直される。その上で、日米における発展の経緯、「非同期性」に代表される従来の多人数ゲームとの大きな違い、そして「ソーシャル化」という現象がこれからゲームにどのような意味を持つのかについてまで語っている。もちろん、時折新聞やニュースをにぎわす「基本無料」問題にも触れている。

 第二部では、合計12社ものゲーム会社へのインタビューで構成される。この12社は大手ゲーム企業の事業部から、アプリ専業ベンチャー、動画サイトの運営会社など様々である。この多様さがそのまま業界の勢いと全体像の把握のし辛さを示していると言ってもよいだろう。ここでは、運営中のタイトルに対する各社自身による分析、スマートフォン化や、美しいグラフィック・BGMの利用によるコンテンツのリッチ化などといった将来への展望、それに企業側の求める人材が語られ、多様なソーシャルゲーム像を見ることができる。

 以上の構成を持つ本書は基本的にはソーシャルゲーム業界の動向に興味がある人、あるいは業界への就職を考えている人に業界の現状を伝ようと書かれたものと言ってよいだろう。そのため第2部で扱われるインタビューの内容も、単なるユーザーへのPRとは異なるものとなっている。とはいえ、第1部で扱われるゲームの「同期性・非同期性」という視点や、徳岡のゲームの「ソーシャル化」に対する展望等には、将来のゲーム像を考える上で大きな手がかりとなる情報がぎっしり詰まっている。

・ソーシャルゲームとはなにか

 さて、本書で扱われるソーシャルゲームとはそもそも一体どのようなゲームをさししめすのであろうか。

 単にソーシャルを「社会的なつながり」という意味で取るのならば、MMORPG(オンラインで多人数が遊ぶRPG)や多人数で遊ばれるアナログゲームなども充分にソーシャルゲームと呼ばれて然るべきなのではないか、という当然の疑問を検討することから徳岡は出発する。

 その上で徳岡はソーシャルゲームに対する現在一般的な定義「SNS(Facebookやmixiのようなソーシャルネットワークサービス)を利用し、SNSの参加者がプレイ可能なゲーム(本書 2頁)」を検討していく。ソーシャルメディアとゲームとの連結のみに視点をおけば、MMORPGなどの境界的な事例が多発することは現状必至である。この問題への対応として、徳岡はソーシャルゲームを「ゲームのいちジャンルと理解するよりも、インターネット上で影響力を拡大しているソーシャルメディアにゲームが連結された「状態」あるいは「運動」であると理解したほうが、より適切なのかもしれません。(本書 2-3頁)」という視点を打ち出す。

 この視点によりSNSと連結を持たない従来のブラウザゲームやMMORPG、アナログゲームはソーシャルゲームから、一旦切り離される。もちろん、これらのゲームにもいつかSNSと連結をもつ可能性自体は残されていると言うことはできるだろう。

・ソーシャルゲーム市場の歴史

 このようなソーシャルゲームとその市場の展開はどのように分析されるのであろうか。徳岡はその展開を、その独自性の発展と共に追っていく。

 ソーシャルゲームの隆盛のきっかけとして、徳岡が指摘するのはFacebookやMySpaceといったSNSでのアプリケーション開発のオープン化である。実際2007年にFacebookでの開発が可能となると、半年で14,000本ものアプリケーションが開発されたという。とはいえこの時点でのソーシャルゲームはこれまでにあった有名なアナログゲームやデジタルのカジュアルゲームをSNS上でプレイできるようにしたという色合いが強く、ソーシャルゲームならではの特徴といったものはまだ存在していなかった。また元となったゲームの権利元との問題の発生も指摘されている。この時点の日本ではGREEの『釣り☆スタ』がソーシャルゲームとして最初のあゆみを進めるが、開発のオープン化はまだ先のこととなる。

 2008年頃になると『Mob Wars(2008)』『Famtown(2008)』等SNSの性質を生かしたゲームが現れ出す。ソーシャルゲームは開発期間・開発コストの安さと、母体となるSNSのユーザー数増加により収益率が高かったことから、多くのディベロッパーがソーシャルゲーム市場に算入することとなった。

 日本でも2009年mixiアプリが公開され「サンシャイン牧場」が1ヶ月で130万ユーザーを獲得し一挙に普及する。これを受け2010年にはGREE、モバゲーにおいてもオープン化が行われ、国内市場でも競争が本格化していくこととなった。

 現在はスマートフォン市場への参入競争、日本企業の海外展開 が進み、海外企業による買収も行われ、勢力図の混沌としたまま先に述べたように市場は急激に拡大し続けている。もちろん急激な市場拡大には、様々な問題が付いて回る。過当競争によるリッチコンテンツ化と広告コストの増大により、すでに参入すれば儲かる時代は終りを告げている。他方で子どもによる高額課金の問題、SNSによるディベロッパーの囲い込みは、ときおり新聞やニュースを賑わしている。ゲームデザインの類似により訴訟問題も生じている。このようなソーシャルゲームが現在向き合っている課題についても一つ一つ丁寧に解説が行われている。

・ソーシャルゲームと「同期性・非同期性」

 ソーシャルゲームの大きな特徴として、遊ぶ時間を共有しない複数のユーザー同士が手軽に「一緒に」遊ぶことが出来るというものがある。この一見矛盾したかに見える状態を解き明かす鍵がユーザーとゲームの関わる時間の「同期性・非同期性」という概念である。

 「同期性・非同期性」とは「ゲームに限らず、多人数が利用するサービスにおいて、そのユーザーの利用時間は共有されているか、いないかということを示す(本書 27 頁)」とされる。人と人が直接あって話すことや電話は当事者同士の時間が共有されているため、「同期的」なコミュニケーションであると言え、それに対し、書籍やメールは書き手と読み手、さらには読み手同士の間にも同じ時間は共有される必要のない「非同期的」なコミュニケーションであるというのである。もちろんこれはどちらが優れているというわけでも、特定のコミュニケーションやサービスについてこれらのどちらか片方しか存在しないという性質のものでもない。

 徳岡の本書ではこのような同期性・非同期性の観点に基づき、将棋や麻雀といった古典ゲームからソーシャルゲームに至るまでのゲーム全般が分析されている。別して、アナログゲームやCGIゲーム(CGIを利用したwebブラウザのみでプレイ可能なゲーム)、MMORPG等の複数人数で遊ぶゲームは、プレイヤーの時間とゲーム内の時間が共有される同期的な面が強く現れる。つまり、複数人で遊ぶためには特定の時間をゲームのために共有する必要がある。さらに、MMORPGにおいては、ゲーム内時間の同期性は顕著なものとなる。プレイヤーがログインしない間もゲームには常に別のプレイヤーが遊んでいるという状況が発生し、ゲームを再開する際には自分を取り巻く状況が変わりうるというのである。そのため、MMORPGはゲームに大量の時間を必要とし、疲れ果ててしまうプレイヤーも現れるという問題点も生じたことが指摘される。

 他方で、コンピュータゲーム以降に大幅に広まったひとりで遊ぶゲームではプレイヤーはいつでもゲームを中断する事ができ、その時点での状況がそのまま保存されるため、ゲーム内の状況とプレイヤーは非同期的であった。もちろん、他のプレイヤーは存在しないため、そもそもプレイヤー間の同期を考える必要はなく、いつでも始められいつでも止めることができる。

 以上のような、一人:非同期、複数人:同期というこれまでのゲームの枠を変えたのが非同期的なソーシャルゲームであると徳岡は分析する。つまり、複数の人間が時間を共有せずに、一緒に遊ぶ事が出来るようになったというのだ。

 一体どうして多人数の非同期ゲームが可能になったのか。その答えとして、徳岡はゲームを中断した際の最低保証と、プレイヤー間の「インタラクション」(やりとり)の待受時間の長さが取り上げる。前者は、プレイヤーがゲームを中断している(と同時に他のプレイヤーがゲームを進めている)間に、ゲーム状況を中断前と同じかある程度進んでいるが大きな変化のない状態にすることにより、あたかも個人用のコンピュータゲームのデータをロードしたときのように、ゲーム内での状況がプレイヤー個人にとっては「止まっていた」と認識させることである。他方後者は、インタラクションの待受時間が長くとることにより、いまゲームをプレイしていないプレイヤーを含む任意の人物にアクションを行えることを保証している。この二つが非同期の多人数ゲームを可能にするというのだ。

 もちろんこの解決方法には問題点があることも指摘されている。最低保証はゲームからリスクやスリル、さらにそれを乗り越えることによって得られるカタルシスといった従来のゲームが提供して来た魅力を取り上げ、またリスクの少なさは新しいコンテンツの必要性を加速させてしまうというのである。そもそもゲームの非同期化そのものにより、「特別なイベントが常態化してしまう(本書 36頁)」というようにゲーム運営の起伏が小さくなり、イベントなどを仕掛ける効果も薄れてしまう問題もある。

 本書で用いられたゲームの同期性・非同期性という概念は、デジタルゲームの分析に固有というわけではない。徳岡は、ゲームにおける同期・非同期の関係性を、古典ゲームだけでなく、ボードゲームの『ディプロマシー(*4)』やTRPG等のアナログゲームにも広げて見せる。例えば『ディプロマシー』における手順自体の非同期性と「交渉」の同期性との関係が挙げられている。この同期性・非同期性の視点から「課金システム」(ゲームのプレイにお金がかかるシステム)とゲームシステムの関係を分析することもかなり刺激的なものとなりそうである。(課金システムとゲームシステムの関係は本書では第2部のインタビューの中で述べられるに留まっている。課金システムとゲームシステムの関係自体においてもある種のゲーム的な状況が成り立っていると言える。あるゲームシステムにおいて運営者がどのようにプレイヤーの課金への意欲を引き立てるか、そのように課金を意図して作られたシステムをプレイヤーがいかに利用するか/しないか、というやりとりはある種ゲーム的である。)

 同期性と非同期性、両者がひとつのゲームのシステムの内外でどのように影響しあうのかという問題は、アナログ・デジタルを問わないゲーム分析の際だけでなく、恐らくはゲームを制作する際においても非常に重要な視点となるのではなかろうか。

ソーシャルゲーム業界最新事情 [単行本] / 徳岡 正肇 (著)  ソーシャルゲーム業界最新事情

  著者: 徳岡正肇
 ・出版社/メーカー: ソフトバンク クリエイティブ
 ・発売日: 2011年4月1日
 ・メディア: ソフトカバー


[関連書籍・リンク]

 徳岡氏の書かれたものでソーシャルゲームに関わるものを下記したので参照されたい。

・『ウォーゲーマーハンドブック2010』掲載のコラム「野獣(のけもの)げぇまぁ」
http://a-gameshop.com/SHOP/WGH001.html
・『デジタルゲームの教科書』の「第10章 ソーシャルゲーム」
http://www.amazon.co.jp/dp/4797358823
・4Gamer.ner「コアゲーマーが満足できるソーシャルゲームはコレだ! 年末年始の休暇どころか,その先もどっぷりハマれるお勧めタイトルを紹介」
http://www.4gamer.net/games/109/G010913/20101225001/
・4Gamer.ner「[CEDEC 2010]「モバゲー、mixiモバイル、GREE等、モバイルソーシャルゲームの最新動向とゲームデベロッパーへの事業機会」の聴講レポートを掲載」
http://www.4gamer.net/games/105/G010549/20100901070/
・4Gamer.ner「徳岡正肇のこれをやるしかない! / 第11回:「Mafia Wars」に見る,「自分のペースでプレイできる」ゲームとは?」
http://www.4gamer.net/games/085/G008544/20100205058/


【脚注】

*1:シード・プランニング「ソーシャルゲームの市場動向調査結果がまとまりました。」http://www.seedplanning.co.jp/press/2010/2010122102.html
*2:モーニングスター「2011年上半期の国内ゲーム市場規模は15.9%減」
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=500519
*3:本書出版以降の最新の事例としては、「モバゲー」を運営するDeNAは6月13日韓国に現地法人を設立が上げられる。
 J-CASTモノウォッチ「ディー・エヌ・エー、韓国に現地法人「DeNA Seoul」設立」http://www.j-cast.com/mono/2011/06/27099575.html
*4:『ディプロマシー』とはアバロンヒル(Avalon Hill)社のボードゲーム(1959年)。ゲームでは、第一次世界大戦前のヨーロッパを舞台として(最大)7人のプレイヤーが当時の列強各国を担当し、ヨーロッパの覇権を目指して競いあう。

内山靖二郎/高平鳴海/寺田幸弘/松本寛大/坂本雅之『クトゥルフ・ワールドツアー クトゥルフ・ホラーショウ』:ホラー映画リテラシー向上の書

【レビュー】内山靖二郎/高平鳴海/寺田幸弘/松本寛大/坂本雅之『クトゥルフ・ワールドツアー クトゥルフ・ホラーショウ』(アークライト):ホラー映画リテラシー向上の書
岡和田晃

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

毒々しい赤で書かれた「ホラーショウ」。
このおどろおどろしいタイトルロゴは、リチャード・オブライエンによるSFとグラムロックへの愛に満ちたミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』を彷彿 とさせます。しかし本書は傑作ホラーRPG『クトゥルフ神話TRPG』(『クトゥルフの呼び声』)のソースブックなのです。

クトゥルフ・ワールドツアー クトゥルフ・ホラーショウ / アークライト

『クトゥルフ神話TRPG』とはアメリカ・ケイオシアム社が1981年から発売しているタイトルであり、マイナー・チェンジを重ね、本年で30周年を迎えます。たびたび邦訳がなされ、現在手に入る『クトゥルフ神話TRPG』は本国での第6版が底本となっています。

その『クトゥルフ神話TRPG』とは、アメリカの作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが生み出した世界観、そしてラヴクラフトの死後も書き継がれてきた神話体系「クトゥルフ神話」を表現することを目的とした会話型RPG(TRPG)を意味しています。

クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [単行本] / サンディ ピーターセン, リン ウィリス (著); 中山 てい子, 坂本 雅之 (翻訳); エンターブレイン (刊)

ラヴクラフトの仕事は多岐に渡りますが、その中でも最も大きなインパクトを有しているのは、やはり「ウィアード・テールズ」などのパルプ雑誌に発表された 怪奇小説群でしょう。彼の小説は、狼男や吸血鬼といった古典的なホラーの範疇に留まらず、また(天文学に代表される)科学的な批評意識を取り入れながら、 ポオやダンセイニといった作家たちが形成した世界観を独自に咀嚼したものでもあり、「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」と呼ばれる独特の色調を有してい ます。そのスケール感は、ジェイムズ・ジョイスやミシェル・ビュトールといった、20世紀文学における最も冒険的な作家たちの仕事と遙かな照応を見せるで しょう。

最近はラヴクラフト研究の基礎文献とも言える、リン・カーターの『クトゥルー神話全書』が邦訳されました。

クトゥルー神話全書 (キイ・ライブラリー) [単行本] / リン・カーター (著); 朝松 健 (監修); 竹岡 啓 (翻訳); 東京創元社 (刊)

そしてラヴクラフトの昏い魅力は、最近では『きことわ』で第144回芥川賞を受賞した朝吹真理子氏がインタビューで「インスマウスの影」への愛着を語って いることからもわかるように(「文学の名門に生まれたゆえの苦悩」)、現代の先鋭的な表現者たちをも惹きつけてやまないようです。

本格的なクトゥルフ神話小説としては、朝松健氏の『弧の増殖 夜刀浦鬼譚』が発売になり、ダゴン信者たちの話題を集めているようです。

弧の増殖 夜刀浦鬼譚 [単行本] / 朝松 健 (著); エンターブレイン (刊)

ラヴクラフトが創造した「クトゥルフ神話」は、ゲームにおいてもデジタル・アナログ問わず、多くのタイトルの背景として採用されていますが、『クトゥルフ 神話TRPG』はその中でも嚆矢と言える作品です。プレイヤー・キャラクターが味わった恐怖によってどれだけ狂気の淵に近づいたのかを正気度(SAN)と いう形で数値化した独特のルールをはじめ、神々の扱い、ディテクティヴ・ストーリーを思わせる物語の進行様式など、「宇宙的恐怖」の色調を活かしつつ、 「参加するもの」としてラヴクラフトの世界を誠実に捉え直した作品だ言うことができるでしょう。

また『クトゥルフ神話TRPG』はパー センテージ・ロールでの技能判定を基軸とした「ベーシック・ロールプレイング・システム」というルールシステムを背景にしているため、柔軟かつ明快に処理 を行うことができ、モダン・ホラーを演じるにあたって最も重要な、背景情報や物語性を活かしたセッションを行なうのに適しています。

独自のプレイスタイルと、遊びやすいルールシステム。『クトゥルフ神話TRPG』が30年の長きにわたって、コンセプトやシステムに大規模な改変を加えることなく愛されてきたのは、こうした長所がユーザーに理解されていたからでしょう。

歴史の長いRPGだけあって、『クトゥルフ神話TRPG』には数多くのソースブックが存在しています。

『クトゥルフ神話TRPG』の基本ルールブックのみでも、ラヴクラフトが主な作品の舞台として設定した禁酒法時代のアメリカで遊ぶことができますが、これ らのソースブックを活用すれば、まったく別の世界で『クトゥルフ神話TRPG』を楽しむことが可能になります。『クトゥルフ神話TRPG』は、プレイヤー の社会経験や、歴史を始めとした社会科学的な知識を存分に活用することのできるゲームですが、ソースブックの活用によって、さながら異国に旅行するがごと く、新しいセッティングでの冒険を満喫することができるでしょう(もっとも、旅行の先には底知れぬ恐怖が待ち受けることになりますが……)。

これまで日本語化されたソースブックに限っても、ヴィクトリア朝時代のイングランド、大正時代の日本、現代日本、十字軍時代のヨーロッパ、戦国時代の日 本、果ては夢の世界(ドリームランド)など、さまざまな世界で遊ぶことができます。未訳のものを含めれば、ロシア革命時代を遊ぶシナリオや猫になって遊ぶ ルールのように、さらにぶっとんだ設定のものもあるのです。

そして本作『クトゥルフ・ホラーショウ』は、ホラー映画を題材として『クトゥルフ神話TRPG』を遊ぶため、いわばホラー映画のお約束を『クトゥルフ神話TRPG』に活用しよう、という特異なコンセプトのソースブックとなります。

同種のコンセプトの作品としては、かつて『13の恐怖』と呼ばれるシナリオ集が発売されていました。しかし『クトゥルフ・ホラーショウ』はホラー映画の世 界観を遊ぶこと、後半分の紙幅で3本のシナリオが含まれるという意味で『13の恐怖』と共通する部分もありますが(*1)、『13の恐怖』とはまた違った 切り口でホラー映画を扱ったソースブックとなっています。そもそもホラー映画とは何たるや、というところから始まり、読者のホラー映画・リテラシーを高め るための工夫が施されているのです。

つまり『クトゥルフ・ホラーショウ』は、RPGの観点からホラー映画を見るための入門書、あるいは ホラー映画に即した創作ガイドを目指したサプリメントであると言えるでしょう。もちろん「捨て駒キャット」(探索者たちが暫定的に扱うことのできるNPC に関するルール)、『クトゥルフ・ホラーショウ』専用の狂気リスト(実にヒドい)・武器リスト(血しぶきどろどろ)といった追加ルールも見逃せません。

ホラー映画は、あらかじめ予期された「お約束」(が実際に引き起こされること)を楽しむという、いわばメタ構造を多く内包しています。

それゆえホラー映画を題材とした会話型RPGのセッションでは、どうしてもそうした「お約束」が前景化せざるをえません。『イット・ケイム・フロム・レイ ト・レイト・レイトショウ 深夜三流俗悪映画の来襲!』のように――「史上最悪の映画監督」エド・ウッドの『プラン9・フロム・アウタースペース』を彷彿 とさせる映画に出演する俳優を演じ――低予算の三流映画の世界観を、「お約束」という観点からメタ視点で楽しむことをテーマとした会話型RPGすら存在し ているほどです。

セッションに「お約束」を積極的に盛り込むかどうかという点には賛否両論あるでしょうが、一方で「お約束」は、「神話 の力」(ジョゼフ・キャンベル)ともリンクしうるもの。使い過ぎれば食傷しますが、うまく活用できればセッションを大きく盛り上げることが可能になりま す。いずれにせよ「お約束」をはじめとしたホラー映画についてのリテラシーは、高められるに越したことはないはずです(映画についてよく知っていれば、さ らに映画を楽しむことができるようになるはずですから)。

この点、本作では「ホラー映画の名作イレブン」と題し、代表的な名作ホラー映 画を11本取り上げ、充分な紙幅を割いて解説しています。単なる紹介記事ではありません。名作ホラー映画を、『クトゥルフ神話TRPG』のシナリオを創造 したり、あるいはセッションを運用したりするための観点から分析しているのです。それゆえ『クトゥルフ・ホラーショウ』はRPGゲーマーのための映画批評 の書でもあるのです。「ホラー映画の名作イレブン」を紹介する面々も、坂本雅之氏・内山靖二郎氏といった日本の『クトゥルフ神話TRPG』の紹介に貢献し てきたベテラン・ライターから、『クトゥルフ神話TRPG』の有名ファンサイト「Red Worm Sanatorium」を運営している寺田幸弘氏、そして『玻璃の家』で第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した松本寛大氏(*2)と、豪華な面々が揃っています(ほか、シナリオではベテラン・ゲームデザイナー高平鳴海氏も参加しています)。

もちろん「ホラー映画の名作イレブン」で解説される作品の多くは著名な傑作ゆえに、ホラー映画マニアには物足りない部分があるかもしれれません。また、こ の解説はランダムシナリオ作成チャートのように「セッション中すぐに使える!」という即効性を有したギミックでもありません。しかしながら名作の構造を分 析し、その活用法を自家薬籠中のものとすることができれば、キーパー(ゲームマスター)の能力は飛躍的に向上を見せることと思います。

また、これらの名作ホラー映画(の構造)をモチーフにしたシナリオを遊ぶ場合、あらかじめ対象とする映画の解説部分をプレイヤーに読ませるようにしておけば、「お約束」を速やかに共有することができます。

アメリカでは、ゲームデザイナー/小説家のロビン・D・ロウズ氏が、『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET’S HIT POINTS(未 訳)という、『ハムレット』、『007 ドクター・ノオ』(『007は殺しの番号』)、『カサブランカ』といった古典的名作の構造を、ストーリーラインの 持続性と物語に関連したダイナミズム(Beat)の観点から徹底的に分析し、RPGの「語り」(ナラティヴ)に活用できるようにするという、興味深い理論 書を出しています。この点、『クトゥルフ・ホラーショウ』の試みは『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET’S HIT POINTSのような海外のRPG界における先鋭的な試みと共鳴する部分があると言えそうです。

ロビン・D・ロウズ氏は、ジャック・ヴァンスの小説『終末期の赤い地球』を原作としたRPGThe Dying Earth Roleplayingで 有名ですが、近年の仕事である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版のコアルール『ダンジョン・マスターズ・ガイドII』や、幻想世界グローランサを舞台に したRPGシステム『ヒーローウォーズ』は日本語でも紹介がなされています。ロウズ氏の小説は残念ながら未訳のようですが、“死体のような外見”という特 異なヒロイン、アンジェリカ・フライシャーが活躍するシリーズなどで人気を博しているようです(筆者も1冊持っていますが、なかなか痛快)。

そんなロウズ氏の現場での経験から生まれた『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET’S HIT POINTSについては、いずれAnalog Game Studiesでも詳しく紹介したいと思いますので、どうぞお楽しみに!

HHP-web-400-191x300 (1).jpg

また現在発売されている、会話型RPGを中心としたアナログゲーム総合情報誌「Role&Roll」Vol.77では、『クトゥルフ・ホラーショ ウ』に関連した「ホラー映画テンプレート式シナリオ講座」が掲載されており、シナリオ作成にあたって大きな手助けとなるでしょう。

Role&Roll Vol.77 [大型本] / アークライト (編集); 新紀元社 (刊)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【脚注】

(*1)題材の性質上、シナリオタイトルだけでもネタバレになってしまいかねないので解説は避けます。ただし筆者は2本目の寺田幸弘氏のシナリオをいたく気に入っています。
(*2) 松本寛大氏の長編ミステリ小説『玻璃の家』では、相貌失認(「顔」を正確に把握できなくなる症例)という認知科学的な問題意識とアナログゲームにも通じる 感受性が巧みに融合されていました(詳細は拙稿「ミステリとSF あるいはリセットの利かないゲーム」(〈ジャーロ〉38号を参照)。
現在、松 本寛大氏は『玻璃の家』に引き続き、ギリシア劇における合唱団「コロス」に相当する役割の人物を探偵役に据えた第2長編『妖精の墓標』(仮題)を執筆中と のこと(『本格ミステリー・ワールド2011』)。『クトゥルフ・ホラーショウ』は松本氏のフィクション観を窺い知ることができるという意味で、ミステ リ・ファンにもお薦めしたいところです。

玻璃の家 [単行本] / 松本 寛大 (著); 講談社 (刊)EQ Extra GIALLO (イーキュー エクストラ ジャーロ) 2010年 01月号 [雑誌] [雑誌] / 光文社 (刊)本格ミステリー・ワールド2011 [単行本(ソフトカバー)] / 島田荘司 (監修); 南雲堂 (刊)

SF作家・長谷敏司の知られざる傑作『ウォーハンマーRPG』小説

【レビュー】SF作家・長谷敏司の知られざる傑作『ウォーハンマーRPG』小説
 岡和田晃

―――――――――――――――――――――――――

 ウェブログ「大槌ぶんぶん」にて、SF作家・長谷敏司氏の手になる幻の短編小説が掲載されました。

 長谷敏司氏は魔法大系についての詳細かつ独特な設定が魅力的な大河ファンタジー小説『円環少女(サークリットガール)』シリーズで有名ですが、『あなたのための物語』、「SFマガジン」に掲載された「allo,toi,toi」など、現代社会と人間心理を穿つ批評性に富んだSF小説群をも発表し続けています。


 そして今回ブログに掲載された短編小説は、長谷敏司氏がデビュー前に同人誌に発表した『ウォーハンマーRPG』(初版)の世界観を下敷きとした短編ダークファンタジーのリライト。

 『ウォーハンマーRPG』とは、16世紀周辺のヨーロッパを模した多神教的世界を舞台に、「混沌」と呼ばれる存在との戦いをライトモチーフとした会話型ロールプレイングゲームのことを指します。現在でも第2版の日本語展開が継続しています。

 ジャック・ヨーヴィル(キム・ニューマン)の『ドラッケンフェルズ』シリーズとも背景を共有するものですが、他のファンタジー小説の中ではマイクル・ムアコックの『軍犬と世界の痛み』の世界観にも相通じる雰囲気を持っているとも言えるでしょうか。
軍犬と世界の痛み (ハヤカワ文庫SF ム 1-31 永遠の戦士フォン・ベック 1) [文庫] / マイクル・ムアコック (著); 佐伯経多&新間大悟 (イラスト); 小尾 芙佐 (翻訳); 早川書房 (刊)

 今回はリライトにあたり設定が第2版対応に変更されています。また「10年以上前に旧版のプレイを通じて作り上げた“僕たちのウォーハンマー”の世界観がベースなので、公式設定とはずれている部分もないわけではない」という付記も添えられています。

 それゆえ『ウォーハンマーRPG』を遊んだ経験から生まれたRPG小説、あるいはファン小説、もしくは同シリーズにオマージュを捧げたオリジナル・ファンタジーと見るのがよいかと思います。

 ご興味がある方は、小説のもととなった『ウォーハンマーRPG』にも触れてみて下さい。
ウォーハンマーRPG [大型本] / クリス プラマス (著); Chris Pramas (原著); 待兼 音二郎 (翻訳); ホビージャパン (刊)

 ゲームデザイナーのリン・ウィリスは、マイクル・ムアコックのダークファンタジー『永遠の戦士エルリック』シリーズの文章を、「その文章は、装飾過多の文体によって綴られ、色彩に満ち溢れているうえに、むらがあり、殺伐としていたり、官能的であったり、恐怖を感じさせたりします。そこには、危険極まりない遭遇や、抜け目のない飛躍的な表現の変化があります。また、時には接近戦に関する思いがけない興味が示されていることもあります。」(『エルリック!』)と評しました。

 このウィリスのムアコック評は、今回再掲された長谷敏司氏の蠱惑的な短編にも当てはまるのではないかと思います。

 Analog Game Studiesの読者の方に、自信をもってお薦めできる逸品です。


・大槌ぶんぶん/長谷敏司の幻のウォーハンマー小説!
 http://d.hatena.ne.jp/Yasujirou/20110206



 この短篇は単体でも、ファンタジー小説とアナログゲームを繋ぐ視点を提示してくれていますが、現代SFそして認知科学的な観点とも結び付けられるという意味で、今回の短篇を第30回日本SF大賞の候補にもなった『あなたのための物語』と関連させて読む視点を紹介させていただきます。

 『あなたのための物語』は、伊藤計劃氏の『ハーモニー』、仁木稔氏の『ミカイールの階梯』、あるいは八杉将司氏の『光を忘れた星で』にも通じる人間の認知についての問題意識に満ちた作品であり、この観点から現代SFとルドロジー(ゲームを理論的に扱う学問)の交錯点を示す好例にもなっています。
あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) [単行本] / 長谷 敏司 (著); 早川書房 (刊)
 ITPという脳内に擬似神経を形成するプロトコルによって創造された仮想人格《wanna be》が記す物語と、自己免疫不全で死期が迫った女科学者サマンサ・ウォーカーの関係に焦点を絞り、感情、物語のあり方、そして「死」に正面から向き合った『あなたのための物語』は、近年の日本SFの中でも稀に見る完成度を誇っていますが、この作品に衝撃を受けた方は、ぜひ、ある意味で長谷敏司氏のルーツとも言えるこのデビュー前の一篇を読んでみて下さい。

 そしてその筆致、描写の妙にご注目いただき、いかなる条件がこうした描写を可能にしているのかを、ぜひ考えてみて下さい。


 補足として、『あなたのための物語』から、死を前にしたサマンサ・ウォーカーについての凄絶な描写をご紹介しましょう。

サマンサ・ウォーカーは倒れ、身じろぎもできなかった。生前、何者であったとしても、今は痙攣し、あえぐだけのやせ衰えた肉体だった。

息をするたびに肺が縮んでゆくような閉塞感から逃れようと、口を開け閉めした。

血の混じった胃液を嘔吐するたび、人間らしさが、指で荒々しくもぎ取ったように奪われた。

理性も節度も感情も意志も、壊れやすい砂の城だ。痛みと苦しさに揺さぶられて、彼女は人間性の根から崩れつつあった。両腕で抱くように腹部を思い切り押さえて、まぶたをかたく閉じた。内蔵を全部口から吐いてしまえれば、楽になれる。重い血が全部流れてしまえば、軽くなれる。激しく咳き込んだ。血しぶきが木目調の茶色の床に散った。

苦痛と恐怖は、人間を極めて高い優先順位の刺激で閉じ込め、外界の優先順位を下げる。百人の他人に見守られようと、人は孤独に死ぬ。そして、外界は人格の基盤だから、それをうしなう断末魔は、自然に動物的なものとなる。

(『あなたのための物語』P.4)



 このおぞましさは、『あなたのための物語』の最後の一文(未読の方は、ぜひ御自分の目でお確かめ下さい)と連関していると言えるのではないでしょうか。そして、『あなたのための物語』で執拗に問いかけられる肉体と思考、人間と情報の区分についての思弁にリアリティを与える効果をも生み出しています。


 『あなたのための物語』は読み手に失語を強いる、一筋縄ではいかない小説です。けれども、今回の短編の(身体)描写を経たうえで向き合えば、『あなたのための物語』の志向するものが何か、おぼろげながら見えてくるのではないでしょうか。

 たとえば主題的に相通じる部分がある『ハーモニー』と比較して、『あなたのための物語』の身体描写の生々しさにはある種の特異性があり、その特異性こそが『あなたのための物語』で語られる思弁を、私たちにとってリアルな問題たらしめているわけですが、この思弁と身体の問題は、ファンタジーとSF、科学と神話の問題にもスライドさせることが可能でしょう。


 また、かつて安田均氏は『神話製作機械論』において、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』やSF作家トマス・ディッシュがデザインした“Amnesia”といったコンピュータ・アドベンチャー等を軸に、ゲームを(既存の小説の解体の先に位置した)「神話」としての文学を再生産する装置と見る考え方を提示しました。

 『神話製作機械論』から20年以上を経て発表された『あなたのための物語』は、《wanna be》という物語生成装置を登場させることで、解体の先に散逸する文学を、その身体をもって個人の生へと引き戻す経過を描いた小説ともなっており、『神話製作機械論』で提示された問題への――その後、テクノロジーとコンピュータ・ネットワークの飛躍的な進展とともに社会は大きく変化を遂げましたが、そのうえでの――応答たりえていると読むこともできるでしょう。


 単体として優れたダークファンタジーであることは間違いありませんが、一方でこの短篇は、『あなたのための物語』の読解を外郭から補完してくれる、優れた導きの糸にもなっています。

 まだお読みになっておられない方は、ぜひこの機会に『あなたのための物語』にも触れてみて下さい。

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) [単行本] / 長谷 敏司 (著); 早川書房 (刊)

・Analog Game Studies内の記事では、
「『ウォーハンマーRPG』リプレイ「魔力の風を追う者たち」ウェブ再掲記念;非公式対談――遊んでみて“改めて/新たに”わかった、会話型RPGの批評性」も併せてご覧下さい。
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/174590939.html

アナログゲーマーのための「SFマガジン」ガイド(2011年3月号):SFの最前線を知ろう!


アナログゲーマーのための「SFマガジン」ガイド(2011年3月号):SFの最前線を知ろう!
 岡和田晃


 Analog Game Studiesをご覧の方の多くは「SFマガジン」(正式表記は「S-Fマガジン」)という雑誌をご存知かと思います。1960年の創刊から50年以上も継続している、日本唯一の月刊SF専門誌です。

 そして今月号(2011年3月号)のSFマガジンは、Analog Game Studiesの読者の方に、ぜひともチェックしていただきたい内容となっておりますので、簡単にご紹介をさせていただきます。

S-Fマガジン 2011年 03月号 [雑誌] [雑誌] / 早川書房 (刊)
 まず、目玉は2010年度英米SF受賞作特集。

 (とりわけ)海外のRPGやボードゲームの世界観やルールシステムは英語圏のSF小説に影響を受けていることが多いのですが、その最前線を日本語で追いかけることができる内容となっています。

 詳しくはP.54の橋本輝幸氏による「2010年度・英米SF受賞作特集」、「2010年度受賞作リスト」ならびに特集解説に詳しいので、こちらでは屋上屋を架すような真似は避けますが、Analog Game Studiesでも取り上げたチャイナ・ミエヴィルをはじめ、SF(ファンタジー)界の動向がわかりやすくまとめられています。 P.269の加藤逸人氏による「英米SF注目カレンダー2009」と併せて読めば、英語圏でのSFの流れを大まかに把握することができるでしょう。山岸真氏らによる、(SF界を代表する賞)「ヒューゴー/ネビュラ賞歴代受賞作リスト」は1997年に掲載されたものから更新が加えられているようです。

 今月号に収録された小説作品の中では、海外SFファンに衝撃を与えたキジ・ジョンスンの短編小説「孤船」がなんといってもおすすめです。

 アナログゲーマー(そしてSFファン)が往々にして目を背けるか無自覚に反芻してしまう、あるデリケートな――しかし極めて重要な――問題について再考を促す衝撃的な作品となっています。わずかに内容に触れただけでも興趣(という言葉もこの作品には似合いませんが)を削ぐ可能性がありますので、詳しく紹介はしませんが、この短編のためにだけでも、今月号のSFマガジンを買う価値はあります。

 ほか、ピーター・ワッツの「島」、そしてカレン・ジョイ・ファウラーの「ペリカン・バー」は、アナログゲームでも主題とされることが多い閉鎖的な空間の取扱い方/世界観の解釈について、示唆的な内容となっています。こちらも、より踏み込んだ内容紹介についてはP.54の橋本輝幸氏の解説をご覧下さい。

 続いて、P.266からの「SF SCANNER 特別版」では、石亀渉氏によるパオロ・バチガルピ(Paolo Bacigalupi)の「ねじまき少女」(The Windup Girl)の解説、後藤郁子氏によるチャイナ・ミエヴィル「都市と都市」(The City & the City)、市田泉氏のシェリー・プリースト(Cherie Priest)の「ボーンシェイカー」(Boneshaker)の解説が充実しています。これらはいずれも英語圏では非常に高い評価を受けていながら、邦訳がない長編小説群であり、その筋書きをまとまった形で手堅く押さえられる機会は貴重です。どの作品にも、おそらくサイバーパンク以降の現代SFに通用する共通した問題意識が垣間見え、アナログゲーマーの方にも関心を抱いてもらえる内容になっていると思います。

 連載群では、飛浩隆氏の連載「零號琴」は、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』と壮大さがジャック・ヴァンスの「月の蛾」の色調でずらされるかのような、驚きの読後感がもたらされる作品になっています。

 巽孝之氏監修になる「現代SF作家論」は、金子隆一氏によるアーサー・C・クラーク論。かつてクラークの訃報は多くのアナログゲーマーにも悲嘆をもたらしましたが、クラークとは何者だったのか、そしてハードSFとは何かを問う評論は、全体を貫く因果律の設定が重要なアナログゲームの現場にも何かしらのヒントを与えてくれることでしょう(ある意味、ワッツ「島」ともシンクロする内容かもしれません)。

 「てれぽーと」欄には、蔵原大氏が講師をつとめるSF乱学講座の告知「ウォーゲーム(図上演習)の歴史:クラウゼヴィッツ、H.G.ウェルズからオバマ大統領まで」(2011年2月6日)が掲載されております。より詳しくは、Analog Game Studiesの以下の記事も併せてご覧ください。

http://analoggamestudies.seesaa.net/article/181199132.html

 そしてAnalog Game Studiesの読者の方にとりましては、池澤春菜氏のエッセイ「SFのSは、ステキのS」も見逃せません。

 こちらでは、池澤春菜氏が会話型RPG(TRPG)『迷宮キングダム』(河嶋陶一朗/冒険企画局著、ホビーベース)を遊んだ経験がレポートされています。『迷宮キングダム』とは、世界全体がダンジョンと化してしまった世界(百万迷宮)を舞台に、ダンジョン探険と国家経営シミュレーションが同時に楽しめるユニークなコンセプトの作品です。ランダム・チャートが駆使されたセッション経験が軽快に綴られており、coco氏の楽しいイラストと相俟って、会話型RPGのライブ感が伝わってくるような文章になっています。

 なお池澤春菜氏は「ファンタジー寄りばかりではなく、もっとSFなTRPGはないものか」と、『キャプテン・フューチャー』、『タフの方舟』、『地球の長い午後』など、SF小説の名作群の名前を例として挙げておられますが……。

 実はあるのです、SFをフィーチャーしたRPG。それも、とっておきのものが。

 もったいぶるわけではありませんが、近いうちに、Analog Game Studiesが熱烈に推薦するSF-RPG『Eclipse Phase』を、Analog Game Studiesのウェブログ上で継続的にご紹介することができると思います。ご期待下さい。

・チャイナ・ミエヴィルについては、「RPGゲーマーのための『ペルディード・ストリート・ステーション』ガイド」もよろしく!
http://analoggamestudies.com/?p=184

・キジ・ジョンスン「孤船」のイラストをこちらで見ることができます。
http://quietblue.exblog.jp/14802756

追記:
『エクリプス・フェイズ』についての解説文はこちらで公開されました。
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/183475700.html

S-Fマガジン 2011年 03月号 [雑誌] [雑誌] / 早川書房 (刊)

【レビュー】RPGゲーマーのための『ペルディート・ストリート・ステーション』ガイド

【レビュー】RPGゲーマーのための『ペルディート・ストリート・ステーション』ガイド
仲知喜

―――――――――――――――――――――――――――――

ペルディード・ストリート・ステーション (プラチナ・ファンタジイ) [単行本] / チャイナ・ミエヴィル (著); 鈴木康士 (イラスト); 日暮雅通 (翻訳); 早川書房 (刊) Perdido Street Station [マスマーケット] / China Mieville (著); Del Rey (刊)

なんなんでしょうこの面白さ。チャイナ・ミエヴィルの『ペルディード・ストリート・ステーション』はアーサー・C・クラーク賞および英国幻想文学賞を受賞した、ダーク・スチームパンク・ファンタジー小説です。

え? いま、わたし、ダーク・スチームパンク・ファンタジーって言いました? いや、ほんと、この作品は一言で言い表すのが難しい小説なんです。舞台は〈バス・ラグ〉と呼ばれる異世界の巨大都市国家。〈バス・ラグ〉は蒸気機関による摩訶不思議な駆動力が発達した世界。スモッグに覆われた暗い空に聳える高層建築物。その上空には飛行船が浮かび、高層建築物の間をスカイレールと呼ばれる鉄道高架橋がうねりながら張り巡らされる。〈バス・ラグ〉は奇怪な魔法理論が学問として定着した世界。飛行船の隣を生命魔術で創りだされた飛翔型ゴーレムが飛び交い、鉄道高架橋下の薄暗がりには主人に見捨てられた使い魔が腹をすかせて獲物を待ち伏せしている。そんなSFでもないしファンタジーでもない、刺激的な、科学と魔法のハイブリッド。というかジャンルの壁なんかぶち壊しながら疾走する、お行儀なんてクソクラエのエンターテイメント作品なのです。ああ、そうだ、原作者のミエヴィルはこの作品をこう表現していました。『ペルディード・ストリート・ステーション』は「ニュー・ウィアード」である。

とか言われてもなぁ、と思っちゃいました? はっきり申しまして、ぼくもとっつきにくかったです。序盤、ダメダメな科学者アイザック(ぽっちゃり体型)が、身体は人間だが頭部は甲虫というゲッとするような恋人リンと痴話喧嘩シーンが続いたりして、もしかして難解な作品なのかも? と不安になったくらいです。
しかし、主人公の科学者アイザックのもとにサイメックの鳥人族ヤガレクがやってきて、大罪の代償として失った翼を取り戻したい、もう一度空を飛ばせてほしいと懇願してから、ストーリーはだんだん速度を上げていきます。一方、唾液彫刻のアーティストであるリンのもとに悪名高い暗黒街のボスから自分の彫刻を作ってほしいという奇妙な依頼が舞い込み・・・・・・。アイザックが謎のイモ虫を手に入れたときにはもう、ページをめくる手が止まりませんでした。わたしも久しぶりでしたよ、こんなに熱中した本は。え? イモ虫が何ですって? それはナイショです。

作者のミエヴィルは『ペルディード・ストリート・ステーション』についてこうも述べています。「とにかくモンスターが書きたかった」。「でしょうね(笑)」と頷くほかございません。

(編注;リンク先の画像は“Dragon”#352からの抜粋です)
http://njoo.deviantart.com/art/World-of-China-Mieville-48266205?offset=10

(編注;イラストレーターのサイトです)
http://www.andrewhou.com/

(編注;PSSとは関係ないクリーチャーが入っています)
http://www.andrewhou.com/portfolio/character_creatures_small.jpg

『ペルディード・ストリート・ステーション』には鳥人、昆虫人、両生類人が出てきます。サボテン人間も出てきます。魔法使いが出てきます。錬金術師が出てきます。リメイドと呼ばれる改造人間が出てきます。次元界を瞬間移動する巨大な知性のある大クモが出てきます。都市の大使館区には地獄の大使館があります。労働決起集会を鎮圧しようと空飛ぶクラゲに乗った民兵が現れます。狙撃兵が魔法使いに千里眼のサポートされながら煙幕ごしの射撃をします。スパイダーマンならぬカマキリ男が出てきて、バットマンよろしく謎のヴィジランテに活躍します。人間に寄生する「手」が出てきます。しかも、そいつらが空を飛びながら火炎を吐いて空中戦を繰り広げます。廃棄された機械の意識が集まって人工知性体が誕生します。冒険者たちが姿を一目見ただけで放心状態に陥る怪物を相手に視線をそらしがら戦いを挑みます。それからそれから……謎が謎を呼びます。とにかく凄いんです。

鼻息が荒すぎですね。ちょっとクールダウンしましょうか。

「S-Fマガジン」(2009年8月号 No.641)のチャイナ・ミエヴィル特集の記事を読むと、ミエヴィルはRPG経験者であることがわかります。「もう十二年ほどご無沙汰だ」とは言ってますが、けっこう夢中になって遊んでたんじゃないでしょうか。だって、『冒険者たちが姿を一目見ただけで放心状態に陥る怪物を相手に視線をそらしがら戦いを挑む』シーンなんて、『経験者』じゃないとあそこまで真に迫った描写できませんもの(笑)。また“Dragon”(2007年2月号Issue#352)では、ミエヴィルのインタビュー記事とBas-Lag Gazetterと題された『ペルディード・ストリート・ステーション』の世界をD&D(第3.5版)で遊ぶための世界設定と多数のモンスターデーターが掲載されました。このたありも、ミエヴィルの創造した世界とRPGゲームの親和性の高さを裏付けるものだと思います。

(編注;ミエヴィルのゲーム歴について詳しいインタビュー記事です)
http://www.believermag.com/issues/200504/?read=interview_mieville

ミエヴィルはローカス賞と英国幻想文学大賞を受賞したあと、(彼にとっておそらく初となるゲームライターの仕事として)『Pathfinder RPG』のサプリメントをデザインしたという異色の経歴の持ち主です。

『ペルディード・ストリート・ステーション』のことを、権威ある賞をいくつもとったからって小難しい作品じゃないかなんて思わないでください。これは、極上のエンターテイメント作品なのです。いや、むしろ、ゲーマー視点があってこそ楽しめる作品だとぼくは言いたい。『ベルディード・ストリート・ステーション』は『モンスター・マニュアル』1,2,3に“Fiend Folio”までぶちこんで、プレイヤー種族全解禁、プレイ中の妄言をかたっぱしから世界設定に採用したようなイカシたシティ・アドベンチャーです。同じゲーマーとして尊敬と共感と愛を感じることのできる魅力に満ちています。RPGゲーマーに強くオススメしたい作品です。

あ、最後に一言だけいいですか?
あなたが『ペルディード・ストリート・ステーション』を読み終えたら、アイザックの選択について、ヤガレクの決断について、どう感じたか、わたしに聞かせてください。でもそれは次の機会でけっこう。今度我々が“フラネスの宝石”グレイホークか“壮麗な都”ウォーターディープか、はたまた“塔の都”シャーンか、どこかの都市の路地裏で出会った時にでも。答えはあなたの目を見ればわかるはずですから。

【チャイナ・ミエヴィルの邦訳書籍】

キング・ラット (BOOK PLUS) [単行本] / チャイナ ミーヴィル (著); China Mi´eville (原著); 村井 智之 (翻訳); アーティストハウス (刊)

ペルディード・ストリート・ステーション (プラチナ・ファンタジイ) [単行本] / チャイナ・ミエヴィル (著); 鈴木康士 (イラスト); 日暮雅通 (翻訳); 早川書房 (刊) ジェイクをさがして (ハヤカワ文庫SF) [文庫] / チャイナ ミエヴィル (著); 鈴木康士 (イラスト); 日暮雅通, 田中一江, 柳下毅一郎, 市田泉 (翻訳); 早川書房 (刊)

アンランダン 上 ザナと傘飛び男の大冒険 [ハードカバー] / チャイナ・ミエヴィル (著); 内田 昌之 (翻訳); 河出書房新社 (刊) アンランダン 下 ディーバとさかさま銃の大逆襲 [ハードカバー] / チャイナ・ミエヴィル (著); 内田 昌之 (翻訳); 河出書房新社 (刊)

【チャイナ・ミエヴィルのRPG関連書籍】

■Dragon Issue #352
http://paizo.com/store/paizo/dragon/issues/2007/v5748btpy7tlo

■Pathfinder Chronicles: Guide to the River Kingdoms (PFRPG)
Pathfinder Chronicles: Guide to the River Kingdoms [ペーパーバック] / China Mieville, Elaine Cunningham, Chris Pramas, Steve Kenson (著); Paizo Publishing (刊)

http://paizo.com/store/downloads/pathfinder/pathfinderChronicles/pathfinderRPG/v5748btpy8d50

『Pathfinder Chronicles: Guide to the River Kingdoms』は、パスファインダーRPG(Paizo社、未訳)の世界設定資料の一つです。
題材になっているRiver Kingdomはさまざまな勢力が群雄割拠する地域です。そんな土地柄を反映させてか、この作品には複数の書き手が参加しています。チャイナ・ミエヴィル、クリス・プラマス(ウォーハンマー2版、Dragon AgeRPG)、スティーブ・ケンソン(Mutants & Masterminds、Freedom City)、エライネ・カニンガム(SF作家。フォーゴトンレルムやスターウォーズのノベライズを手掛ける)が名を連ねています。

※この本について『クトゥルフ神話TRPG』のサプリメント『マレウス・モンストロルム』や、クラーク・アシュトン・スミスほか『エイボン
の書』共訳者の立花圭一氏曰く、「ミエヴィルの担当パートはなかなかに凄いので一読の価値があると思いますよ。淡水環境下で生き延びるために呉越同舟して頑張るマーフォーク、サフアグン、シー・ハグ、トリトン他諸々の海生水中知性体連合ですよ。」(http://twitter.com/k1Tachibana/status/560635607777280

クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [大型本] / スコット・アニオロフスキーほか (著); 立花圭一, 坂本雅之 (翻訳); エンターブレイン (刊)