「視覚不要! RPG ~この町を救え~」レポート

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「視覚不要! RPG ~この町を救え~」レポート

 草場純 (協力:岡和田晃、齋藤路恵、田島淳)

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 2013年の10月5日土曜日13時~16時、高田馬場の日本点字図書館3階会議室にて、おそらく日本初、世界でもあまり例のないと思われる、視覚障碍者対象の会話型RPG(テーブルトークロールプレイングゲーム、TRPG)が行われました。参加予定の視覚障碍者は、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんの5人でしたが、AさんとCさんが仕事の都合で、Eさんが体調不良で不参加になったのが少々残念でした。特にAさんとCさんは、事前のテストプレーに参加してくださり(そういう意味では今回は「日本で2回目」だったとも言えますが)、本日の本番を楽しみにされていただけに残念でした。
 晴眼者(支援者)の参加者は6人、ゲームマスターを務めてくださった齋藤路恵さん、視覚障碍者用のゲームをいろいろ開発されているGさん、奥様が視覚障碍で私とはゲームを通じた30年来の付き合いのある私の二番弟子(笑)のHさん、それから点字図書館の職員の奥様と娘さんの、Iさんと、Jちゃん(9歳)、そして私こと、ここで30年間ゲーム会のお世話をしています、草場です。

 初めにごく簡単に自己紹介をし、それから齋藤さんから、RPGとは何ぞやという説明が、要領よくありました。ここで繰り返すこともないと思いますが、要するに「みんなでお話を創っていくゲーム」ということでした。言い換えれば「即興演劇遊び」で、「みんなはそれぞれ役割を考え、自分でその役割を演じていく」ということでした。
 ここで、Bさんから意見があり、「説明だけではイメージがつかみにくいので、やっているところを録音した資料があるといい」ということでた。なるほど。今後視覚障碍者向けRPGの普及を考えるならば、これは課題ですね。残念ながらこのセッション自体の録音も、手が回りませんでした。

 次に齋藤さんから舞台の提示がありました。
「ここは、1990年代の日本です。」
 しかし、予想外だったのですが、たまたま9歳の女の子がいたので、これはあまりよくなかったかもしれませんね。何せ生まれる15年も前のことは、私もなかなかイメージがつかめません。
 ともあれそうした背景を元に、各自自分の役割づくりをしました。普通はシートなどを使い、イラストを入れたりして仕上げるのですが、ここは全て言葉だけです。
 齋藤さんは、
「例えば、『私は料理の得意な売れない作家の伊藤です。』というように、役割(職業)を明確にして、名前はだれだか分からなくならないように本名をちょっとひねるとわかりやすいです。」
 という意味のことを言いました。これは今回特有の工夫だと思います。本来のRPGだと、思い切り本人から離れた方が良いのでしょうが、今回は耳だけで状況を捉えなければなりません。つかず離れずが大事なのだなあと思いました。
 さて、その結果は以下の様になりました。座り順です。

草場→自称発明家の関場
Bさん→政治評論家の坂東
Hさん→はやらない医者の林
Gさん→数学者の群馬
Iさん→看護師の相澤(途中参加)
Jちゃん→女子高生のじゅん(途中参加)
Dさん→町の小母さん堂本

 そこで齋藤さんから課題が出ます。
「今はみんなバラバラなところに居ますが、一人4発言、つまり4周発言が回って、合計20発言で全員どこかへ集まりましょう。」
(開始時点でIさんとJちゃん親子は居なかったので、5人プレー。)
 すったもんだの末 (妙な噂で株価が上がったり、はやらない林医院に突然患者が溢れたり)に、数学者一人を除いて何とか放送局に集まりました。
 たったこれだけのことですが、進め方や話し方がなんとか了解できました。易しいような難しいような…手でもこんな風に、何の条件もなく、チームがそれとなく作れるというのは面白いですね。
 偶然ですが、9歳の子も最初から参加より、先に見てからの参加はむしろ良かったかも。

 そこで、いよいよ本番の課題です。これは今の物語の後をうまく受けたものです。
 次に齋藤さんから3つの課題が出されます。基本は21発言(3周)でどこかに集まります。
 ミッションは、
1.謎の病気の原因を探る
2.病人を助ける
3.町の悪評を消す
 です。なかなかの難題ですね。
 何せ前の話の最後で、町は謎の病気の蔓延で封鎖されそうという大事になっています。

 初めは、右往左往ですが、やがて看護師と医者の活躍で患者の血(清?)中に微生物のようなものが発見され、女子高生の修学旅行で行ったタイ旅行に原因がありそうという話になり、数学者が祖父から貰ったお茶が病気に効きそうだと話になり、政治評論家の伝手でみんなでタイまで探査旅行に出かけることになったのでした。
 タイでもなかなか手がかりが見つからないのですが、やがてパパイヤマンゴーを食べて起こる風土病らしいということになり、またそれに効くお茶も同地でみつかり、日本に帰ることになりました。このお茶の成分の薬効で、謎の病気は一掃され、却ってそのことでこの町は国中の評判になったのでした。めでたしめでたし。

 こうして無事、町は救われました。要所、要所でダイスを振っての判定も適確で、でたらめのようででたらめでなく、予定調和のようで予定調和でないスリリングな展開になりました。小さい子も混じっての難しいセッションだったと思うのですが、みなんでゆっくり9歳の子の発言を待ちました。また、隣のお母さんの支えもあって、いろいろな活躍ができました。Jちゃんにとっては得難い体験になったことでしょう。看護師だけでなく、噂を集める町の小母さんも、病原菌を見つける一助となる発明家も、結果としてみんな所を得た活躍ができ、無事町に平和が戻ってよかったと思います。

 話し言葉以外に、ほとんど何も使えないような条件でゲームマスターを務めてくださった齋藤さん、ありがとうございました。この日はほぼ全員が初めての体験であったのに加えて、年齢層もまちまちであり、IさんJちゃん親子は少しあとから入られましたし、Hさんは所用で途中で帰られなくてはならなかったりと、いろいろ悪条件であったにもかかわらず、私を含めて全員が楽しい体験をすることができました。この方面の発展の、可能性を感じた3時間でした。
 参加された皆さんにも、厚く感謝をしたいと思います。

(※)個人情報保護の観点から、個人名をそれぞれ仮名処理させていただいております。ご理解いただけましたら幸いです。

市立小樽文学館企画展「テレビゲームと文学展」レポート

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市立小樽文学館企画展「テレビゲームと文学展」レポート

  岡和田晃 (協力:玉川薫(市立小樽文学館)、八重樫尚史、高橋志行)

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 2012年8月11日から9月23日まで、北海道の小樽市にある市立小樽文学館において、「テレビゲームと文学展」という企画展が開催されました。
 日本各地には様々な文学館が存在していますが、なかでも「テレビゲーム」と「文学」の関わりをテーマとして大々的に打ち出すというのは、きわめて珍しい試みです。

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【「テレビゲームと文学展」フライヤー】

 文学館というと古臭くて堅苦しいというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。けれども、そうしたイメージを払拭すべく、文学館の側も革新的な試みを打ち出すようになってきています。
 同じく北海道にある札幌の北海道立文学館では2014年2月8日か~3月23日まで、日本におけるスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説としてのSF)の第一人者であり、北海道におけるSFファンダムの始祖的な存在である作家・荒巻義雄をテーマに据えた「「荒巻義雄の世界」展」が開催されました。同展では、スペースオペラや伝奇ロマン、あるいは脳科学や精神医学、コンピュータ・サイエンスへの関心を全面に押し出され、著名なSF作家やSF評論家を交えたシンポジウムなども執り行われました。

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【「「荒巻義雄の世界」展」フライヤー】

 小樽市は小林多喜二や伊藤整を輩出した古き良き文学の街でもありますが、加えて、荒巻義雄や川又千秋といった、スペキュレイティヴ・フィクションの代表的な作家と縁が深い街でもあります。
 その市立小樽文学館での「テレビゲームと文学展」は、会期中に1335人の来場者を集め、盛況だった模様です。2014年4月4日~6月8日の期間には、「ゲームと文学」シリーズ第二弾としまして、「ボードゲームと文学展」も開催される予定となっています。そこで第一弾にあたる「テレビゲームと文学展」の模様を、簡単にご紹介してみたいと思います。

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【会場写真】

 展示は、大きく第一部「テレビゲーム史」、第二部「ゲームを生んだ文学、文学を生んだゲーム」、第三部「テレビゲームと文学の身体性・双方向性」に分けられます。
 第一部の冒頭に掲げられたコンセプトは、下記のようなものです。このコンセプトに加えて、黎明期から家庭のエンターテインメントとして定着するまでの「テレビゲーム史」が、1952年のコンピュータと対戦する三目並べ『OXO』の登場にまで遡る形で解説されます。

 テレビゲームは、1950年代に生まれ、80年代の家庭用ゲーム機の爆発的普及で、日本、さらに国際的にも世代を超えた遊びになりました。
 テレビゲームは、それよりはるかに長い歴史をもつ「書物による文学」と密接な関係があります。
 またテレビゲームの双方向性(遊び手によって物語自体が変化していく)と体感性は、従来の読書における作者と読者の関係にも変化をもたらしています。
 そしてテレビゲームで定着した複数の遊び手の同時参加により物語が変化するおもしろさは、ネット小説を生み出す原動力になり、文学の未来をも予感させます。
 この企画展は、テレビゲームと、その下地となったパーソナルコンピュータ技術、そして伝統的な文学の歴史を紹介し、相互の影響を考察しながら、テレビゲームを「文学的視点」で見直すものです。
 本展にあたり、多大なご協力をいただいた方々に、心より御礼申し上げます。

 第二部では、まず「世界の神話・民話・伝承・古典」と題して、『ギルガメッシュ叙事詩』、『ラーマーヤナ』、『聖書』、『古事記』、『イーリアス』、『アーサー王伝説』、北欧神話や御伽草紙が、「そのほとんどが作者不明で口承(こうしょう)で伝えられました。あらゆる物語の母胎(ぼたい)であり、ファンタジー文学の原郷(げんきょう)であり、おおくのテレビゲームの主人公が活躍(かつやく)する世界でもあります。」と紹介されました(年若い参加者でも理解できるように、適宜ルビがふられています)。
 続いて、「文学とテレビゲームをつなぐカギ、それが「テーブルトークRPG」」と題して、アナログゲームそれも会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の役割が、次のように強調されました。

 「テレビゲームと文学展」で、もっともたいせつなカギになるこの「TRPG(テーブルトークアールピージー)」について、うんとかんたんに説明しましょう。
 テレビゲームがすきな人はもちろん、やったことのない人、きょうみのない人でも「ドラクエ」は知っているでしょう。
 そのゲームは「勇者(ゆうしゃ)」が主人公であり、それはゲームをするあなたです。「勇者」はひと
りで旅をはじめますが、とちゅうで出あった戦士(せんし) 、魔法(まほう)つかい、商人(しょうにん)、あそび人(にん)が仲間になります。たたかった敵がともだちになり仲間(なかま)にくわわることさえあります。
 旅にはいろいろな困難(こんなん)がまちうけています。大嵐(おおあらし)や火山(かざん)、まよいこんだら出るのがむずかしい洞窟(どうくつ)。そしておそいかかってくる敵。
 とくいな力、欠点もある仲間とたすけあいながら困難をのりこえ、そのたびに「勇者」も仲間たちも成長していき、智恵(ちえ)も力もおおきくなっていきます。
 またその力にふさわしい「聖(せい)なる剣(けん)」なども手にすることができるようになります。
 そして最後にまちかまえている最大最強(さいきょう)のとりでと敵。それをのりこえ、たおさなけれ
ば「勇者」は「ほんとうの勇者」になることはできません。
 このようなゲームは、何かににていると思いませんか? 映画「ロード・オブ・ザ・リング」、その原作「指輪物語(ゆびわものがたり)」。そして「ナルニア国ものがたり」「ゲド戦記(せんき)」。「ネバー・エンディング・ストーリー(はてしない物語)」「モモ」。映画の「スターウォーズ」さえ、そのながい物語はまるで「ドラクエ」のようです。
 これらの物語は、世界じゅうに古(ふる)くからつたわる神話や伝説におおくのヒントをえています。だから国や年にかんけいなく、たくさんの人たちの心をとらえ、感動させます。
 これらの物語をどだいにして、それをみんなであそぶゲームにしたのが「テーブルトークRPG」です。ゲームに参加する人たちが、それぞれ「戦士」になり、「魔法つかい」や「妖精」になり「商人」や「あそび人」になったりする。みんなはこの国におおきな災難があることをしって、それを解決するために、つれだって旅にでます。そしていろいろな困難にであい、そのつど力をあわせてのりこえていきます。
 この「テーブルトークRPG」こそ、「ドラクエ」「ゼルダ」「ファイナルファンタジー」など、みんながだいすきなテレビゲームのもとになった遊びであり、「文学とテレビゲーム」をつなぐもっともたいせつなカギなのです。

 それにあわせて、何も知らない人でも理解できるように「TRPGとは?」といった解説、「ミニチュアを使用した戦争(ウォー)ゲーム」の古典であるH・G・ウェルズがデザインした“Little Wars”に、同作をルーツに持つ(『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の前身)でもある戦争ゲーム“Chainmail”の解説を含んだ「TRPGの誕生と発展」、さらにはゲームブックやリプレイの説明なども盛り込んだ「日本のTRPG」といった解説パネルが掲示され、実際に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版の「赤箱」、『ルーンクエスト』といったRPGのボックスが展示されました。
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【RPGのボックス展示(写真は「日本一周ぶらり旅」さまより引用)】

 とりわけ面白いのはプレイバイメール(郵便を使って遊ぶRPG)風の企画「ヲタブンQuest 往きて還りし物語」が実際にプレイされたことでしょう。「往きて還りし物語」とは物語の基本的な構造で、現在映画化されて大変な好評を博しているJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』でも採用されています。この企画は北海道大学RPG研究会が協力し、20人もの参加者を集め、好評を博したということです(北海道大学RPG研究会のほかにも、今回の「テレビゲームと文学展」には、藤井昌樹さま・宮崎佳奈さまが、パネルの文章執筆やゲームデザイン等、さまざまな協力を行っておられます)。
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【「ヲタブンQuest」で使用された各種シート】

 第三部では、「身体性」および「双方向性」という、ゲームを考えるにおいて欠かせない視点から、アクションゲーム、格闘ゲーム、体感推理ゲーム、ノベルゲーム、といった試みと「文学」の関係が模索されました。
 「身体性」が主軸となるアクションゲームを分析するにあたっては、「距離」や「間合い」といった視点が不可欠だとの指摘がなされ、ハードウェアやインターフェースの性能向上とともに、3D-CGのような三次元の感覚、あるいは体感型コントローラーの導入などが行なわれてきたと説明されます。面白いのは、直木三十五の剣豪小説『討入』と対比することで、そこにも「文学」とリンクする可能性が存在していることが、きちんと明示されていることでしょう。

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【「テミヤ線ファイター」(小樽文学館の側にある廃線・旧手宮線での格闘ゲーム)】

 それは、「体感型推理ゲーム」の紹介にあたっても同様で、証拠品が袋にとじこんであり、ゲームブックの嚆矢として語られることもある『マイアミ沖殺人事件』(デニス・ホイートリー)との対比で、名詞と動詞の入力で行われる初期のアドベンチャーゲームから、コマンド選択式のアドベンチャーゲームなど、ゲームシステムの違いをわかりやすくヴィジュアルで紹介しています。
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【ゲームシステムの変化が一目瞭然】

 その他、太宰治の『走れメロス』を横スクロール型のアクションゲームにしたらどうなるのかがシミュレーションされたり(『ベストセラー本ゲーム化会議』を彷彿させます)、あるいは小樽文学館の「色内広場」を舞台のオンラインゲームが構想されたりと、既成の枠組みにとらわれず、遊び心いっぱいに文学館という「場」を活かしながら、改めて「文学」のあり方が再考されているのが興味深く感じました。

 むろんここで紹介したのは、「テレビゲームと文学展」の一部にすぎません。ほかにも、展示に合わせてさまざまな参加型の企画が行われました。
 地域の文化を守り育てるために文学館が果たしている役割は、予想外に大きなものです。
 文学館に所蔵された資料のなかには、そこでしかアクセスできない貴重なものがありますし、学芸員の方々による工夫をこらした展示によって、文学を「そこにある、生のもの」として感じ取ることが可能です。
 それは、一人で本を読む経験とは、また学校で習う国語学習とは異なる展望を、私たちにもたらしてくれると確信します。
 「身体性」と「双方向性」に着目した「テレビゲームと文学展」は、知識の修得と実際の参加をうまく両立させた、意欲的な試みであることは間違いないでしょう。
 展示にあたっては著作権侵害などの恐れが生じないように工夫を凝らしつつ、企画展開催中は、会場の撮影やインターネット上での公開を積極的に推奨することで、広く浸透をはかったのことですが、そのような”開かれた”アプローチも興味深いところです。
 今年4月から開催される「ボードゲームと文学」展が、ますます楽しみになりました。

 快く資料の提供と公開許可をいただきました、市立小樽文学館の玉川薫副館長に改めて御礼申し上げます。

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企画展「ボードゲームと文学」

企画展「テレビゲームと文学」に続く、「ゲームと文学」シリーズ第2弾。
世界各地で根強い人気があるボードゲーム。その内部に組み込まれた「物語」に着目し、文学との接点を探ります。また、ゲームの盤面デザインやパッケージイラストなどアート的側面も紹介します。親子で楽しめる展覧会です。

1.魔法ゲーム「魔法のラビリンス」他
2.冒険ゲーム「小さなドラゴンナイト」他
3.おばけゲーム「3匹のおばけ」他
4.推理ゲーム「アロザ殺人事件」他
5.海賊ゲーム「海賊ブラック」他
6.動物ゲーム「やぎのベッポ」他

その他にも楽しい企画が盛りだくさんです。

会期:2014年4月4日(金)~6月8日(日)
休館日:月曜日(5月5日を除く)、4月30日(水)、5月7日(水)~9日(金)、13日(火)
入館料:一般300円、高校生・市内高齢者150円、中学生以下無料

市立小樽文学館公式サイトより引用。

東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ・明神下ゲーム研究会合同企画 TRPGコンベンション「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」に参加して

児童文学者の立場からRPGを中心としたアナログゲームへ関心を示し、雑誌『児童文学TRPG』を発行、会話型RPG『ラビットホール・ドロップスG』の序文を担当している佐々木江利子さまが、Analog Game Studiesメンバーもゲームマスターやスタッフとして協力したイベント「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」のレポートを寄稿してくださいました。(岡和田晃)

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東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ・明神下ゲーム研究会合同企画 TRPGコンベンション「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」に参加して

 佐々木江利子(協力:岡和田晃、伏見健二、冠地情、明神下ゲーム研究会)

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2013年12月8日(日曜日)、東京大学本郷キャンパスにて、午前10時から午後4時まで、発達障害の特性を持つ当事者、支援者、会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)の専門家が一同に集い、共に楽しむコラボレーションイベント「Mission Impossible 04――発達障害と想像力の世界」が開催された。
東大の赤門をくぐると、まずは東大のシンボルにもなっている鮮やかな黄色に色づく銀杏並木に圧倒される。休日の午前中で地域住民か老若男女様々な人がそぞろ歩きを楽しんでいる中、赤門入口すぐに体格の良いスタッフが会の開催の表示を掲げてわかりやすく立っていてくれ、安心感。当会への参加は、私は二回目、実は前回、会場棟の入口や場所がわからず時間内にたどり着くことができなかったが、随所に誘導の表示があり、今回は探検感覚で会場にスムーズに到着。
赤門
【東京大学(本郷キャンパス)の赤門】

参加者はスタッフを含め約30名。20代から40代前後の年齢層。半数が女性で、会話型RPGは初めての参加者が約半数。これは通常のTRPGコンベンションでは異例だそうだ。
米田衆介先生の開会挨拶と、主催側のイイトコサガシ代表冠地情氏の説明を経て各テーブル部屋に移動。
米田先生
【米田衆介氏(明神下ゲーム研究会)の開会挨拶】
冠地さん
【冠地情氏(イイトコサガシ)の各種説明】

この日行われたシステムは『ゴーストハンター13』、『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ エッセンシャルズ』、『ゆうやけこやけ』、『ラビットホール・ドロップスi』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ 第4版』の六つ。ほぼどの卓にも当事者、支援者が複数名含まれる構成。
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【『ダンジョンズ&ドラゴンズ エッセンシャルズ』のプレイ風景】

今回、特筆すべきは齋藤路恵氏による『ラビットホール・ドロップスi』。これは、これまで発達障がいをもつ当事者によって開催されてきたイイトコサガシのワークショップを一冊にした『ラビットホール・ドロップスi』を、さらに、視覚不要バージョンとしたもの。ゲームマスターも参加者も同時にアイマスクを装着し、イラストやサイコロ、また、プレイヤーの表情等、視覚的な情報によらず、音声のみによって物語作りが共同で行われた。人の目を見て話すことの苦手な当事者にも好評で、物語の進行面でも混乱することがなかったという。
また、現在開発中の『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』では、人魚姫のキャラクターが人間の姿になった場合、声が出せないという設定が試された。この場合、声が出せないプレイヤーの表情や身振りに自然と目をやる運びとなった。これらは昔話のように口承文芸と親しい距離にもある会話型RPGの新しい側面を拓くと同時に、視覚障がいと発達障がい、聴覚障がいと発達障がい等、複合したハンディキャップをもつ人々にも会話型RPGやコミュニケーションの機会が開く可能性を示す前向きな試みになった。
昼食は各テーブルで。別なボードゲームを行うテーブルも。初対面の人と食事を共にするが、同じメニューのお弁当だったため、会話の糸口にもなったように思う。
筆者が参加したのは伏見健二氏の『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』のテーブル。自分が作成したシナリオのたたき台が、どうアレンジされ参加者によってどう変容するかを直接体験できる初めての機会となった。みにくいアヒルのこ役の男性参加者(当事者)が人魚姫シナリオの途中で眠ってしまうということがあったが、同じシナリオで中学生男子を含めたメンバーで行ったとき、全く同じ個所で同様の反応だったことを思い出した。恋愛というモチーフに関して感情移入、あるいは共感させる物語の運びは、年齢層や対象を含め今後の課題となった。ただし、「眠る」という反応は緊張の緩和があることで起きるものであり、安心感をグループ内で得られたのは、その後のプレイングに生きていたのではないか。見た目の容姿ではなく、真摯に生きるアヒルのこの役を、その方が他のシナリオの中で深くとつとつと語る姿が印象的だった。アンデルセン童話の中に内在する演劇や人の無意識に働きかけ、内面にゆさぶりをかけていく要素が、会話型RPGにどのように生きていくか、次作『ラビットホール・ドロップスA(アンデルセン)』の完成が楽しみな時となった。
 
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佐々木江利子(ささき・えりこ)

宮城県仙台市生まれ。宮城教育大学教育学部特殊教育教員養成課程出身。
白百合女子大学児童文化研究センター構成員。日本児童文学者協会会員。
著作『超カワイイ!こいぬのココロをチェック!!』(汐文社)
共編者『魔法のファンタジー』(ファンタジー研究会、てらいんく)、日能研「知の翼」他。
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※RPG『ラビットホール・ドロップスi』は、「Role&Roll Station」等、都内のゲーム専門店、およびAmazon.co.jpで好評発売中です。

この作品はAnalog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ(グランペール・ブランド)、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った完全新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

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また、2014年2月15日(土)に「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 川崎市」が開催されます。リンク先の詳しい情報をお読みのうえで、ぜひ参加をご検討ください。
『ラビットホール・ドロップスi』のメイン・デザイナーで、Analog Game Studiesメンバーの齋藤路恵もファシリテーターとして参加します。申し込み方法はリンク先をご参照ください。

 「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」レポート

2013年7月21日に開催された「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」というイベントの模様を、ゲストとして編集者の中森しろさまにレポートしていただきました。中森さまはカードゲーム『コレクタブルモンスター』のデザイナーでもあります。(岡和田晃)

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「伏見健二講演会―RPGで開かれる世界―」レポート

中森しろ (協力:伏見健二、成人発達障害者当事者会イイトコサガシ、齋藤路恵、岡和田晃)

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2013年7月21日(日)豊島区心身障害者福祉センターで「伏見健二講演会-RPGで開かれる世界-」が行われました。主催は、東京都成人発達障害当事者会イイトコサガシ。イイトコサガシは、コミュニケーション・ワークショップに特化した成人発達障害当事者会です。講演会は、伏見健二氏が開発したRPG『ラビットホール・ドロップス』をイイトコサガシで運用できる形にした『ラビットホール・ドロップスi(アイ)』の体験会と合わせて開催されました。当日は、午前中に伏見健二講演会、午後からは『ラビットホール・ドロップスi』の体験ワークショップが行われました。ここでは、伏見健二講演会のみをレポートします。

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講演会は、前半が伏見健二氏の講演、後半がイイトコサガシ代表の冠地情氏との対談というプログラム。この日の聴衆は約30名。その後のアンケートを見ると、RPG経験者は少数で、多くはRPGを経験したことのない方々でした。

講演は、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に始まるRPGの歴史から始まりました。最初は淡々と聴いていた観客も「世界で最も売れたコンピュータRPGはなんでしょう?」という質問で「ドラクエ」「ウルティマ」「ファイナルファンタジー」「ポケモン」と様々な答えが出て、一気に場が和みました(正解は「ポケモン」)。

その後、日本でのRPGの展開が語られ、RPGが構造的に持っている一つの欠点として“ゲームの場から浮いてしまいがちなプレイヤー”の話へと進みました。

講演中、もっとも来場者の方々の関心が強かったのがこの箇所でした。というのも、その問題のある“浮いてしまいがちなプレイヤー”の特徴というのは、発達障害の特性とも重なる部分があったからです。

発達障害の現れ方はさまざまであり、こうした特徴を持たない発達障害の人もいます。しかしながら、たとえば“シングルフォーカス”(特定の事柄へ過剰に集中してしまうこと)の特性を有した発達障害者は、しばしば“空気が読めない”あるいは“協調性がない”とみなされ、コミュニケーションの場から排除されてしまうこともありました。

そういったプレイヤーも自然に溶け込めるユニバーサルなRPGをデザインしようというコンセプトで開発されたのが、『ラビットホール・ドロップス』、そして『ラビットホール・ドロップスi』であるということで、それらについてのより踏み込んだ話は、後半の冠地氏との対談の中で語られることになりました。

後半の対談の中では、RPGと発達障害との出会いについて語られました。これはまさに伏見氏と冠地氏の出会いによって『ラビットホール・ドロップス』が生まれてきたという歴史が披露されたのです。

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そういうこともあって、当日の午後に行われた『ラビットホール・ドロップスi』の体験ワークショップには、事前の申し込みの無かった方も含めて観客のほぼ全員が参加していただけるといった盛況ぶりでした。

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中森しろ(なかもり・しろ)
1964年兵庫県生まれ。法政大学卒業。在学中に『Advanced Dungeons & Dragons』にハマる。その後、出版社勤務を経て、1992年遊演体に入社。PBM『夜桜忍法帖』、『蓬莱学園の休日!』、『鋼鉄の虹 -Die Eisenglorie-』で会誌の編集を務める傍ら、『ファー・ローズ・トゥ・ロード』、『鋼鉄の虹 パンツァーメルヒェンRPG』、『蓬莱学園の冒険!!-復刻版-』などの編集にも携わる。その後、アニメ製作会社を経て、2003年エルスウェア入社。『ライトノベル完全読本』、『超解! フルメタル・パニック! 2007』などのムックや単行本の編集を手がける。現在は、フリーの編集者として、活動中。

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※RPG『ラビットホール・ドロップスi』の、「Role&Roll Station」等、都内のゲーム専門店、およびAmazon.co.jpでの取り扱いが始まりました。

この作品はAnalog Game Studies(AGS)の齋藤路恵氏がメイン・デザイナーをつとめ、成人発達障害当事者団体イイトコサガシと、ゲーム創作者集団エテルシア・ワークショップ(グランペール・ブランド)、およびAGSのコラボレート作業で完成に至った完全新作です。

★ご注意ください!

この冊子は成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップにおいて用いられる会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)のルールと、そのガイダンスです。一般的なゲーム商品とはその性質が異なりますので、ご理解の上、お読みください。ラビホアイ”で、お話づくりを通してコミュニケーションを楽しく試そう!

やさしいRPG「ラビットホール・ドロップス」から生まれた、完全に未経験者向きのRPGワークショップ「ラビットホール・ドロップスi」のすべてを解説。7つのステップと「リドラー」システムで、みんなが即興のお話作りを体験する2時間半のプログラム。
ハプニングに笑い、みんなのいいところを見つけて、とても心が解放されるような、素敵なひとときを過ごしませんか?(裏表紙より)

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また、2013年11月10日に「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 神奈川県川崎市」が開催されます。リンク先の詳しい情報をお読みのうえで、ぜひ参加をご検討ください。

12月14日にも、「発達障害ラビットホール・ドロップス・アイRPG IN 神奈川県川崎市」(同形式のイベント)の開催が告知されています。

12月8日には、「TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)が好き、もしくはTRPGに興味のある、発達障害のある成人当事者や発達障害支援にかかわる支援者・専門家と、TRPGの専門家とが一堂に集い、TRPGを楽しむコラボレーションイベント」である「Mission Impossible04~発達障害と想像力の世界~」が東京大学本郷キャンパスで開催されます。『ラビットホール・ドロップスi』にクレジットされている、明神下ゲーム研究会とイイトコサガシが主催するイベントで、Analog Game Studiesメンバーもゲームマスターとして参加します。申し込み方法はリンク先をご参照ください。

SF乱学講座 沢田大樹「(批評のための)捏造ドイツボードゲーム現代史」聴講記

草場純 (協力:沢田大樹、井上彰人、岡和田晃)

去る2013年6月2日(日)、東京・杉並の高井戸区民センターのSF乱学講座にて、沢田大樹氏の講演「批評のためのドイツゲーム現代史」が行なわれた。少々大げさかも知れないが、私は歴史に残る講演と評価したい。

SF乱学講座とは、毎月第一日曜の午後6時15分から同所で、SFにかこつけて何でも講演してしまおうという会である。前身の「SFファン科学勉強会」が、柴野拓美氏、大宮信光氏、石原藤夫氏、大田原治男氏らによって始められたのが45年も前という、こうした会としては老舗中の老舗である。
Analog Game Studiesでも、蔵原大氏のウォーゲームの歴史についての講演の聴講記や、門倉直人・小泉雅也氏のポストヒューマンについての講演の聴講記が掲載されているので、興味のある向きは参照されたい。

この講義はドイツのボードゲームを語る言葉がない、という問題意識のもとに準備されている。この問題意識に私は大いに共鳴するし、Analog Game Studiesの問題意識とも強くリンクするものだ。
沢田氏は冒頭「歴史を捏造する」と語った。これはもちろん韜晦ではあるが、今まで「歴史」のなかった(意識されなかった)ボードゲームの世界を、歴史の眼差しで読み解く営為は、確かに捏造としか言い得ない作業であるかも知れない。ただ、それは沢田氏が言うように、個々人の「A History」を、「The History」へと変えていくために必要な作業でもあろう。こうした実験的な論考を展開するには、ある意味でSF乱学講座はふさわしい舞台であったとも言えよう。
SF乱学講座はいつも大体10数名の参加であるが、この時はどこで評判を聞きつけたのか30名を越す聴講者で席が埋まり、急遽会場を二倍に広げる事態になった。主催者側としては嬉しい悲鳴であったろうが、そのため最終的に時間が不足気味だったのは、仕方がないとは言え、少々もったいなかった。

講演者の沢田大樹氏、および講演の撮影を行なっていた井上彰人氏から許諾を得たので、講演の動画を紹介させていただく。まずはこちらをご覧いただきたい。

さて内容については、とても簡単には語りきれない。そもそも今述べたように、ボードゲームに歴史の眼差しを当てるという営為そのものが、前例のないことであり、その評価は簡単ではない。沢田氏は二冊の洋書を参考文献として挙げられたが、海外でもその程度の先行する試みがある程度だと察せられる。逆に言えば、今回の公演が日本発の論考の嚆矢と言ってよいかも知れない。
そこで、私も不定期に何回かの論評を加える心づもりであり、以下に展開するのは、試論や序論以前の覚書の一つである。

私が、この講演で印象深かったことは多くあるが、その一つが「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」というカテゴリーである。
沢田氏によれば、ドイツゲーム・ユーロゲームの成立前夜、「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」が数多くつくられているというのである。時期としては19世紀から20世紀の前半に当たる。例としては、インドの伝統ゲームパチシ由来のルードやコピットゲームのほか、ハルマ由来のダイヤモンドゲーム(チャイニーズチェッカー)、などが挙げられた。
これに私が実例を補足するなら、アフリカのマンカラ由来のワリやオワール、インドネシアのスラカルタ由来のラウンドアバウト、マダガスカルのファノロナ由来のワルツなどと、大きくは広まらなかったものを含めて、多数見出せるのである。
さらにオセロの名で日本では広く知られているリバーシも、1888年にロンドンで特許が取られている。これも、典拠は不明だが田中潤司氏によれば、ハンガリーの民族ゲームが更にその元であるという。

私は、その昔アヴァロンヒルがオワリを作っているのを知って意外な感に打たれたが、こうした文脈で考えるなら、すんなりと理解できる。
確かに、著しい魅力を放つドイツゲーム・ユーロゲームであっても、それが全くの虚空から生み出されたものでないのは当然と言えば、当然であろう。とは言え、チェスやチェッカー(ドラフツ)、ドミノやトランプと、モノポリー、アクワイア間の溝は小さくない。そのような溝を埋める役割の一端(特に前半の)を担ったものが、こうした「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」ととらえるならば、時間的にも論理的にも納得しやすい。
そこには歴史の必然とまでは言わないまでも、明確な時代の流れがあったと認めることができるのである。

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【関連資料】

■講座に使用されているスライド(PDFファイル)
https://docs.google.com/file/d/0B2fXntLkQD05TFZ4bEVmX1BpcVU/edit

■沢田大樹氏のウェブログ「実録:食卓遊戯密着大本営発表廿四時」より、今回の講義の原型になった記事。

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part1)
http://toccobushi.exblog.jp/13792804/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part2)
http://toccobushi.exblog.jp/13804985/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part3)
http://toccobushi.exblog.jp/13868416/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part4)
http://toccobushi.exblog.jp/13994149/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part5)
http://toccobushi.exblog.jp/14041350/

■今回の講義のモデルとなった岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』(中公新書)
西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書) [新書] / 岡田 暁生 (著); 中央公論新社 (刊)

海外式LARP入門ワークショップ in キャッスル・ティンタジェル体験記

岡和田晃 (協力:齋藤路恵、髭熊五郎、高橋志行)

2013年1月24日に開催された「中世ファンタジーライブRPGコンベンション カーミニアLARP」の入門ワークショップに参加してまいりました。その模様を手短に報告させていただきます。
カーミニアLARPとは、東京・目白にある中世ヨーロッパ文化発信カルチャースクール「キャッスル・ティンタジェル」で行なわれているライブアクション・ロールプレイング(LARP)です。

主催団体のキャッスル・ティンタジェルでは、ドイツ西洋剣術を中心に――服飾文化やカリグラフィーなどを含めた――さまざまな講座が提供され、楽しみながら、中世ヨーロッパの文化に親しめるような配慮がなされています。また、代表のジェイ・ノイズ氏は、デジタルゲーム『ファイナル・ファンタジーⅩⅡ』や映画『ベルセルク』の西洋剣術スタントアドバイザーをつとめた実績もあるほどで、本場の中世剣術を現代に伝えるエキスパートだと言えるでしょう。このキャッスル・ティンタジェルがどういう団体かを詳しく知るには、以下の紹介動画が手っ取り早いので、ご存知ない方は、いちどご覧になってみてはいかがでしょうか。

動画を見ると、とても面白そうですが、あまりに本格的なため、「ちょっと敷居が高いかな……」と少々不安をおぼえもしたというのが、偽らざる所感でありました。しかし、実際に足を運んでみると、アットホームで、さながら「町の剣道場」のように話しやすい雰囲気が作られており、事前の不安がまったくの杞憂であったとよくわかりました。外国人の参加者も少なくないため、ちょっとした異文化交流のような趣きがあったということも付け加えておきます。

この「キャッスル・ティンタジェル」では、通常の各種講座のほか、中世風ファンタジー世界「カーミニア」を舞台にしたLARPが定期的に開催されています。中世剣術の講座が、あくまで武道の一環として中世の技術を学ぶものだとするならば、LARPは想像の翼を広げて、「体験すること・楽しむこと」により重きを置いた試みなのではないかというのが、筆者の第一印象です。

そもそも“ティンタジェル城”といえば、アーサー王伝説ゆかりの地。史実と想像の世界のあわいに漂うような、幻想味あふれる場所です。ここから名前をとっているキャッスル・ティンタジェルは、現実の中世文化のみならず、想像の世界の中世文化をも提供するのか、まったく野心的だなあと感嘆いたしました。

LARPの舞台であるカーミニア世界は、本格的な地図(http://www.castletintagel.com/larp/Karminya/k-geo.html)や年表(http://www.castletintagel.com/larp/Karminya/k-history.html)が完備され、気品を残しながらも、どこかしら懐かしさすら感じさせるハイ・ファンタジー世界です。とりわけ『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のような会話型ロールプレイングゲームや『イルスの竪琴』といったハイ・ファンタジー文学がお好きな方にとっては、まさしく垂涎ものの世界観なのではないかと思います。
ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズ・ハンドブック第4版 (ダンジョンズ&ドラゴンズ基本ルールブック) [大型本] / ロブ ハインソー, アンディ コリンズ, ジェームズ ワイアット (著); 桂 令夫, 岡田 伸, 北島 靖巳, 楯野 恒雪, 塚田 与志也, 柳田 真坂樹 (翻訳); ホビージャパン (刊)星を帯びし者 (イルスの竪琴1) (創元推理文庫) [文庫] / パトリシア・A・マキリップ (著); 脇 明子 (翻訳); 東京創元社 (刊)
キャッスル・ティンタジェルのLARPでは、何よりもまず、このカーミニア世界という中世ヨーロッパに魔法とモンスターを加えたような世界を、一人の人間(あるいはエルフ、オーク、etc……)として生きることを楽しむ、その過程に重きが置かれている印象がありました。

もちろん日本でも昔からLARPは「ライブRPG」という名前で開催されてきましたが、会場の都合や安全確保の問題など、さまざまな事情から、遊ばれるのは大幅に簡略化されたものであることがほとんどです。もちろん、日本式の「ライブRPG」にも、開催側にとっても参加側にとっても負担が少ないという長所があります。それゆえ、日本式「ライブRPG」の可能性も、さまざまに吟味されていくべきしょう。ですが一方で、キャッスル・ティンタジェルが開催しているような海外式LARPは、あえて日本式の「ライブRPG」と差別化をはかることで、どういう楽しみ方ができるのか、その特徴をより強く打ち出しているように思えます。

衣装を着替えるのは当たり前。
中世ファンタジーの世界のLARPならば、種族によってそれぞれの特徴を衣装の上に乗せます。
(例…ドワーフなら立派な髭、エルフなら長い付け耳、オークなら肌を緑色に塗ります)
実際にラテックス(柔らかいゴム)の剣で戦います。
鎧を着なければ防護点(いわゆる「防御力」)は得られません。
魔法はきちんと呪文を言葉として発します。
盗賊としてカギ開けをするなら、カギ開けの道具は必須です。

上記は、カーミニアLARPのホームページで言及されている海外式LARPならではの特徴ですが、ワークショップでは、このなかから、いくつかポイントをピックアップすることで、参加者が実際に身体を動かしながら(あるいは、ゲームマスター(チューター)が身体を動かして実践するのを目にしながら)、ひとつひとつ、LARPをプレイするとはどういうことであるのかを、感じ取ってもらうことが目的であるように見受けられました。例えば“アーケイン”(Arcane、“秘術”ほどの意)という領域の呪文を使うには、声に出して呪文(スペル)を唱えるだけではなく、必要な動作を行ない、構成要素となる物質を(現実世界で、実際に)準備しておかなければなりません。その過程を、ゲームマスターがいちいち実践して説明をしてくれるのがワークショップのよいところです。

Castle Tintagel

とりわけ筆者が面白いと思ったのは、ワークショップの後半、参加者でエチュードのようなものを行なったことです。これは3人1組で、それぞれ中世風ファンタジー世界の登場人物に成り代わったつもりで、1分間、自由に行動してみるというものでした。
使用するのは「中世風ファンタジー世界」という大枠のみ。「カーミニア」という固有名すら用いません。成り代わる人物については、“職業”と“特徴”の2点をランダムにカードを引いて決定し、細部は想像力を働かせて自由に肉付けします。もちろん、自分がどんな“職業”と“特徴”を有しているのかは、演技を通して表現しなければなりません。

用意されていた“職業”は、「騎士」「貴族」「魔法使い」「市の衛兵」「道化師」「商人」「僧侶」など。一方の“特徴”は、「意気消沈した」「悪意がある」「恋愛中である」など。それぞれ、個性的でバラエティ豊かなものが用意されていました。また、カードには日本語と英語が併記されていたため、日本人プレイヤーと、外国人プレイヤーが、スムーズに交流することもできました。

“職業”と“特徴”が決まると、参加者が見守るなか、ゲームマスターから、ファンタジーRPG風の状況説明が、日本語と英語で、それぞれ読み上げられます。この状況設定が、なんとも個性的でした。
一部を説明しますと……。

「君たちは、牢屋に閉じ込められている。裁判に引きずり出される役を、相手に押し付けなければならない!」
「君たちはダンジョンの奥で、目に見えない魔法使いと対峙した。その魔法使いは、呪文を唱えてくる!」
「君たちの一人が、悪魔に取り憑かれてしまった。悪魔を倒したいが、その悪魔はめっぽう強い!」
「君たちは、酒場で次のクエストの情報を交換している。隙を見て、誰か一人を暗殺せよ!」

なんとも、ドラマ性豊かなシチュエーションばかり。なお、ミッションで登場する“悪魔”や“暗殺者”といった真の顔については、“職業”や“特徴”とは別に、ランダムに(じゃんけんで)決定されました。

筆者は“特徴”として「意気消沈した」、“職業”は「僧侶」のカードを引きました。ここまではまだいいとして……。

「あなたがたの一人はグール(食屍鬼)だ。残りの二人は、足を麻痺させられている。しかしグールはまだ空腹ではない」

これが、筆者のグループに与えられたというミッションだったのです(!)。

じゃんけんをした結果、こともあろうに筆者が「グール」ということになってしまいました。

誰が何の“職業”と“特徴”を演じていたのかは、1分間の演技が終わった後に種明かしをするわけですが、オーバーアクションでかつての仲間を追いかけまわし、立ち止まってハムレットばりの懊悩を独白する謎のグールが、もとは敬虔な僧侶であったことがわかると、会場は大ウケ。こういう美味しいハプニング(?)こそが、ランダムに役割を決める醍醐味なのかもしれません。

全員が終わったら、特に演技が上手だった人を投票で決め、再演を行ないます。それも盛り上がり、そのあとで、自分がどこに気をつけて演技を行なったのか、どうすればより巧くできると思ったのか、などという話を順番に発表していきました。他人の演技を細かく講評するのではなく、自分が気をつけたポイントをお互い言い合っていくというのが、ゲームならではのインタラクティヴィティ(双方向性)なのかな、なんて感想が、頭をよぎった次第です。

そのあと、ゲームマスターから締めの一言。
「あなたがたが今回体験した(即興演技の)ワークショップは、実はLARPのなかで、もっとも難しいものでした。通常のLARPは、あらかじめキャラクター作成を行ない、種族や装備を決め、もっと具体的に肉付けされる情報が増えるので、より演じやすいはずです」

なるほど、逆転の発想でしょうか。もともと、キャッスル・ティンタジェルのホームページで無料公開されているLARPのルールブック「PATORIA SOLIS(パトリア・ソーリス)」(http://www.castletintagel.com/larp/rb.html)は、A4版で66ページもの分量がある本格的なもので、LARPをプレイするのに必要な枠組みが細かに記されています。「PATORIA SOLIS」のルールは会話型RPGのルールとよく似ていますが、たとえ熟練のゲーマーでも、いきなり全部を読んでルールを記憶するのは困難だろうと心配になるほどの密度があります。そして、もちろん、LARPの参加者は会話型RPGの経験者とは限りません。

この問題点を埋めるため、ワークショップでは五感を使い、身体を動かしてみることで、ルールシステムの基本を、アタマとカラダの相互作用で理解できるようにしているのではないかと感じました。
初めて会う人の前で中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の登場人物の演技をするのは、初対面同士のカラオケにも似た気恥ずかしさがあります。しかし、キャッスル・ティンタジェルという空間の魔力のたまものか、実際にやってみると思ったほど恥ずかしくはありません。かえって、童心に戻ったような解放感をおぼえました。

筆者は会話型ロールプレイングゲームについてのライティングを生業としていますが、ゲーム上で精密に表現される戦闘シーンや、各種アクションについて、単にルールシステムを通じて追いかけるだけではなく、身体を実際に動かしながらシミュレートしてみるという経験は、なんとも新鮮なものでした。また、筆者はゲームや創作全般に関心をお持ちの人向けに、中世ヨーロッパの社会史についての入門コラムも書いており、その関係で日頃から各種資料にどっぷりと漬かっていますが、そもそもキャッスル・ティンタジェルで行なわれている各種西洋剣術については――昨年、『中世ヨーロッパの武術』という凄まじい労作が出ましたが――このような例外はあれど、日本語で読める資料がもっとも少ない分野の一つです。
中世ヨーロッパの武術 [単行本(ソフトカバー)] / 長田 龍太 (著); 新紀元社 (刊)
昨年、取材した際に、剣術の修練で使われている資料を見せてもらいましたが、いずれも日本でアクセスするのは困難、たとえ入手はできても読み解けないだろうと思われる本格的なものばかりで、それを日本で触れることができるのは、実に貴重な機会であると感じました。

最新のテクノロジーと連動したAlternative Reality Game(ARG)が普及を見せてきたとはいえ、まだまだ日本ではLARPが一般的なものとはいえません。とりわけ、キャッスル・ティンタジェルで行なわれているような海外式LARPは、のびのびとプレイできる環境が整い、熟練のゲームマスターによるノウハウの蓄積がなければ実現不可能です。昔、何冊かLARPの英語版ルールブックを購入しては挫折し、LARPに憧れをおぼえてきた身にとっては、とても贅沢な時間を過ごすことができました。
今後もキャッスル・ティンタジェルでは、カーミニア世界を舞台にしたLARPのワークショップやイベントが定期的に開催され、飛び入りで参加できるものも少なくないようですので、ご興味のある方は、いちど体験してみることをお薦めいたします。あなたのゲーム観が、がらっと変わってしまうかもしれません。

(*)キャッスル・ティンタジェルの許可を得て写真を掲載させていただいております。また、写真は2012年5月12日のLARP入門ワークショップにて撮られたものです。

【教育×ゲーム】教育向けRPG『ラビットホール・ドロップス』体験会参加報告


【教育×ゲーム】教育向けRPG『ラビットホール・ドロップス』体験会参加報告

 小春香子 (協力:野崎卓馬、伏見健二、岡和田晃)


 2012年8月4日に所沢市男女共同参画推進センターにて行われた、会話型RPG(TRPG)『ラビットホール・ドロップス』の体験会に参加してまいりました。ゲームは印象が悪く捉えられがちですが、教育の世界でラビットホール・ドロップスを一例にRPGなどのゲームを活用する道を探る、という目的で開催された体験会です。主催者の方は野崎卓馬さんという、学習塾でマーケティングをしていらっしゃる方で、マーケティング分野でゲーミフィケーションやシリアスゲームが着目されている今が良い機会だとこの体験会を開いたそうです。
ラビットホール・ドロップス / グランペール
ラビットホール・ドロップス / グランペール
 参加者は8名、いずれもRPGの経験者ばかりがあつまりましたが、普段RPGを中心に遊んでいてあまり教育の分野にはかかわりがなかったゲーマーの方から、普段塾や学校の教員として働いている方、イイトコサガシさんからのつながりで福祉分野のNPOを運営されている方、日頃からラビットホール・ドロップスを楽しまれているRPGファンの方などさまざまな方が参加していらっしゃいました。

 会場に入ると、まずルールブックと筆記用具、飲み物とダイスが各自の席に用意してありました。主催者の方の細やかな配慮を強く感じます。会がはじまると、最初に主催者の方からゲーミフィケーションやシリアスゲーム、RPGのプレゼンが軽くあり、ゲームデザイナーの伏見健二さんからラビットホール・ドロップスの紹介がありました。
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 その後、二卓に分かれて実際にラビットホール・ドロップスの冒険に出てみました。GMによるルールやキャラクターの説明が分かりやすく、どちらの卓も比較的スムーズに冒険が進んだようです。終了後に冒険をつき合わせてみると、どちらの卓でも少し扱いが難しい「カエル」役の人気が高かったことが分かりました。片方の卓ではクレバーなカエル君が重要なNPCに引っかけをしかけたりなどの大健闘、もう片方の卓ではパーティのマスコットとして大笑いを引き出していたカエル君だったことなどが明かされ、「参加者によって同じ役でも展開が違う」というRPGの特性が印象付けるものとなりました。
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 こうした報告の後は、「このラビットホール・ドロップスをいかに教育で活用するか」のディスカッションがありました。愛知県の市立小学校でRPGを特別活動(クラブ活動)として取り入れている例や、さまざまな立場の方からの意見交換は大変有意義だったと思います。私の卓では、教育効果を狙って子供たち全員を対象とする学校教育(総合的な学習や「授業」としての実践)よりは、多年齢の希望者が集まるフリースクールや塾、などの社会教育、または現在実践されているように学校教育でも特別活動として取り入れていく方が効果的ではないかといった議論が交わされていたのが印象的です。

 野崎さんは終了後、この体験会について、「今回はRPG未経験の教育関係者にあまり告知できていなかったようで残念でした。ただ、RPGを普段遊んでいる人たちに、こういう活動ができるということを知ってほしかったので、そういった点では活発な議論や冒険となり満足しています。普通にゲームをするだけではない土台ができていき、ゆくゆくはゲームの持っている力についてもっと皆に知ってほしいと思っています」とおっしゃっており、またラビットホール・ドロップスをデザインした伏見さんからは、「教育関係者のお話を聞くことができ、問題意識を共有できて有意義な会でした。人を助けたり、感謝されたり、時に対立したり……ゲームのなかでたくさんの経験を提供できればいいと考えています。また、頼もしく仲間を守る役割だったり、おどけてリラックスさせる役割だったりと、集団のなかでの役割を交代することで子供たちが学べることは多いことと思います。それが教育の場を円滑にする効果はとても大きい、というお話になりました」というコメントをいただきました。

 全体として、非常に熱く盛況な体験会であったと思います。(小春香子)

 ※写真は主催者様から提供いただいた写真を使用させていただいております。


●会話型RPG『ラビットホール・ドロップス』のサプリメント(追加資料集)『ラビットホール・ドロップス シナリオブック』が発売されました。
 ラビットホール・ドロップス シナリオブック / グランペール
ラビットホール・ドロップス シナリオブック / グランペール

「ラビットホール・ドロップス」は、地図や物語を示した絵、「シナリオアート」をみんなで見ながら、童話の登場人物のような役割で冒険を体験する、新たなスタイルの「ロールプレイングゲーム」です。

 ルールはとてもシンプルで、1セッションは1時間ほどで終えることができます。
 親子で遊ぶ、初心者と遊ぶ、障害当事者との交流で遊ぶ、教育効果を高めるために遊ぶ、童話研究として遊ぶ、創作や表現の模索で遊ぶ……などなど。
 新たな方向を模索し、ロールプレイングゲームの効果を探る、さまざまな試みに用いられています。
 この冊子はそんなラビットホール・ドロップスのサポートブックです。
 小学生GMによる、実際の親子ゲームの様子を収録したリプレイ。剣士、怪盗、予言者、猫と、それぞれ新たな能力をもった4種類のドロップス(職業/役割)、そして最初のシナリオからつながる2つのキャンペーンシナリオ。6編の独立した小シナリオ。
 どれも、すぐにあなたのセッションに役に立つ、とびきりのサプリメントとなるでしょう。
 物語を作る喜び、語り合う嬉しさ、笑いあう楽しさ。
 どうぞ、ラビットホール・ドロップスで、価値ある体験を広げていってください。(裏表紙より)

 収録シナリオは「カラスと動く樹」、「ゆうれい城の王さま」、「笑わない姫」、「悲劇のあとに」、「盗まれた鎧」、「カエルのために笛を鳴らせ」、「ナイト・バイオレット」、「ジャッカル城の要塞」の8本。相沢美良氏の美麗なイラストがふんだんに盛り込まれ、4コマ漫画もあり。
 AGS代表岡和田のお薦めは「笑わない姫」。コミックのコマ割りの技法がシナリオアートに活かされており、まったく新しいシーンの切り取り方の妙味が体感できます。
 「Role & Roll Staiton」などの専門店でも入手可能です。
 Analog Game Studeisはルールブックに引き続き、「協力」としてクレジットをいただいております。

 なお、ゲームデザイナーの中森しろ氏、俳優の祝原あすか氏ら、『ラビットホール・ドロップス』のファンによる紹介動画『らびほTV』がニコニコ生放送で放映されるようです。詳細は『らびほTV』コミュニティをご覧ください。このような新しい試みを許容するところに、『ラビットホール・ドロップス』の懐の深さがあるように思います。

●「Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ第二回「現代によみがえるわらべ遊びの数々」を、2012年8月22日(木)10時より…豊島区心身障害者福祉センター、豊島区心身障害者福祉センター、豊島区心身障害者福祉センターで開催致します! 
 発達障害当事者(アスペルガー、ADHD、高機能広汎性等自閉症スペクトラム)にとって、コミュニケーションを試せる心地のよい「機会」となることを夢見て立ち上げましたイベントです。※ご家族や支援者、一般の方の参加は大歓迎。

 第1回のレポートはこちらをどうぞ。
 申込の詳細はイイトコサガシのウェブサイトをご参照ください(Analog Game Studiesでは申込を承っておりません、ご注意ください)

イイトコサガシさまが、2012年9月2日(日)に「『大人の発達障害』を、香山リカさんとイイトコサガシが語る会 医師の目×当事者の目」が開催されるそうです。
2012年9月2日(日)大人の発達障害を香山リカさんとイイトコサガシが語る会(表).jpg 

当事者が困ることって何だろう? 私たちに出来ることって何だろう?
 医師はどう治療するの? 当事者の目から見た世界ってどう見えるの?
 発達障害をめぐる様々な疑問に、精神科医の香山リカ先生と、発達障害当事者会イイトコサガシが、真面目に、でも和やかに向き合う会です。
(イイトコサガシプレスリリースより)

 ゲストに精神科医にして「SFマガジン」でも連載をもっている香山リカ氏を迎え、イイトコサガシの「本気」が伝わるこのイベント。ゲームと直接の関係はありませんが、よりよいコミュニケーションのあり方に関心のある方は、ご参加を検討されてはいかがでしょう。イイトコサガシの告知用サイトから、申込が可能です(Analog Game Studiesでは申込を承っておりません、ご注意ください)。(岡和田晃)
(※12/08/14 一部情報追加)

【教育×ゲーム】教育向けRPG『ラビットホール・ドロップス』体験会参加報告

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【教育×ゲーム】教育向けRPG『ラビットホール・ドロップス』体験会参加報告

 小春香子 (協力:野崎卓馬、伏見健二、岡和田晃)

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 2012年8月4日に所沢市男女共同参画推進センターにて行われた、会話型RPG(TRPG)『ラビットホール・ドロップス』の体験会に参加してまいりました。ゲームは印象が悪く捉えられがちですが、教育の世界でラビットホール・ドロップスを一例にRPGなどのゲームを活用する道を探る、という目的で開催された体験会です。主催者の方は野崎卓馬さんという、学習塾でマーケティングをしていらっしゃる方で、マーケティング分野でゲーミフィケーションやシリアスゲームが着目されている今が良い機会だとこの体験会を開いたそうです。
ラビットホール・ドロップス / グランペール
ラビットホール・ドロップス / グランペール
 参加者は8名、いずれもRPGの経験者ばかりがあつまりましたが、普段RPGを中心に遊んでいてあまり教育の分野にはかかわりがなかったゲーマーの方から、普段塾や学校の教員として働いている方、イイトコサガシさんからのつながりで福祉分野のNPOを運営されている方、日頃からラビットホール・ドロップスを楽しまれているRPGファンの方などさまざまな方が参加していらっしゃいました。

 会場に入ると、まずルールブックと筆記用具、飲み物とダイスが各自の席に用意してありました。主催者の方の細やかな配慮を強く感じます。会がはじまると、最初に主催者の方からゲーミフィケーションやシリアスゲーム、RPGのプレゼンが軽くあり、ゲームデザイナーの伏見健二さんからラビットホール・ドロップスの紹介がありました。
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 その後、二卓に分かれて実際にラビットホール・ドロップスの冒険に出てみました。GMによるルールやキャラクターの説明が分かりやすく、どちらの卓も比較的スムーズに冒険が進んだようです。終了後に冒険をつき合わせてみると、どちらの卓でも少し扱いが難しい「カエル」役の人気が高かったことが分かりました。片方の卓ではクレバーなカエル君が重要なNPCに引っかけをしかけたりなどの大健闘、もう片方の卓ではパーティのマスコットとして大笑いを引き出していたカエル君だったことなどが明かされ、「参加者によって同じ役でも展開が違う」というRPGの特性が印象付けるものとなりました。
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 こうした報告の後は、「このラビットホール・ドロップスをいかに教育で活用するか」のディスカッションがありました。愛知県の市立小学校でRPGを特別活動(クラブ活動)として取り入れている例や、さまざまな立場の方からの意見交換は大変有意義だったと思います。私の卓では、教育効果を狙って子供たち全員を対象とする学校教育(総合的な学習や「授業」としての実践)よりは、多年齢の希望者が集まるフリースクールや塾、などの社会教育、または現在実践されているように学校教育でも特別活動として取り入れていく方が効果的ではないかといった議論が交わされていたのが印象的です。

 野崎さんは終了後、この体験会について、「今回はRPG未経験の教育関係者にあまり告知できていなかったようで残念でした。ただ、RPGを普段遊んでいる人たちに、こういう活動ができるということを知ってほしかったので、そういった点では活発な議論や冒険となり満足しています。普通にゲームをするだけではない土台ができていき、ゆくゆくはゲームの持っている力についてもっと皆に知ってほしいと思っています」とおっしゃっており、またラビットホール・ドロップスをデザインした伏見さんからは、「教育関係者のお話を聞くことができ、問題意識を共有できて有意義な会でした。人を助けたり、感謝されたり、時に対立したり……ゲームのなかでたくさんの経験を提供できればいいと考えています。また、頼もしく仲間を守る役割だったり、おどけてリラックスさせる役割だったりと、集団のなかでの役割を交代することで子供たちが学べることは多いことと思います。それが教育の場を円滑にする効果はとても大きい、というお話になりました」というコメントをいただきました。

 全体として、非常に熱く盛況な体験会であったと思います。(小春香子)

※写真は主催者様から提供いただいた写真を使用させていただいております。

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●会話型RPG『ラビットホール・ドロップス』のサプリメント(追加資料集)『ラビットホール・ドロップス シナリオブック』が発売されました。
 ラビットホール・ドロップス シナリオブック / グランペールラビットホール・ドロップス シナリオブック / グランペール

 「ラビットホール・ドロップス」は、地図や物語を示した絵、「シナリオアート」をみんなで見ながら、童話の登場人物のような役割で冒険を体験する、新たなスタイルの「ロールプレイングゲーム」です。

ルールはとてもシンプルで、1セッションは1時間ほどで終えることができます。
親子で遊ぶ、初心者と遊ぶ、障害当事者との交流で遊ぶ、教育効果を高めるために遊ぶ、童話研究として遊ぶ、創作や表現の模索で遊ぶ……などなど。
新たな方向を模索し、ロールプレイングゲームの効果を探る、さまざまな試みに用いられています。
この冊子はそんなラビットホール・ドロップスのサポートブックです。
小学生GMによる、実際の親子ゲームの様子を収録したリプレイ。剣士、怪盗、予言者、猫と、それぞれ新たな能力をもった4種類のドロップス(職業/役割)、そして最初のシナリオからつながる2つのキャンペーンシナリオ。6編の独立した小シナリオ。
どれも、すぐにあなたのセッションに役に立つ、とびきりのサプリメントとなるでしょう。
物語を作る喜び、語り合う嬉しさ、笑いあう楽しさ。
どうぞ、ラビットホール・ドロップスで、価値ある体験を広げていってください。(裏表紙より)


 収録シナリオは「カラスと動く樹」、「ゆうれい城の王さま」、「笑わない姫」、「悲劇のあとに」、「盗まれた鎧」、「カエルのために笛を鳴らせ」、「ナイト・バイオレット」、「ジャッカル城の要塞」の8本。相沢美良氏の美麗なイラストがふんだんに盛り込まれ、4コマ漫画もあり。
 AGS代表岡和田のお薦めは「笑わない姫」。コミックのコマ割りの技法がシナリオアートに活かされており、まったく新しいシーンの切り取り方の妙味が体感できます。
 「Role & Roll Staiton」などの専門店でも入手可能です。
 Analog Game Studeisはルールブックに引き続き、「協力」としてクレジットをいただいております。

 なお、ゲームデザイナーの中森しろ氏、俳優の祝原あすか氏ら、『ラビットホール・ドロップス』のファンによる紹介動画『らびほTV』がニコニコ生放送で放映されるようです。詳細は『らびほTV』コミュニティをご覧ください。このような新しい試みを許容するところに、『ラビットホール・ドロップス』の懐の深さがあるように思います。


「Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ第二回「現代によみがえるわらべ遊びの数々」を、2012年8月22日(木)10時より…豊島区心身障害者福祉センター、豊島区心身障害者福祉センター、豊島区心身障害者福祉センターで開催致します! 
 発達障害当事者(アスペルガー、ADHD、高機能広汎性等自閉症スペクトラム)にとって、コミュニケーションを試せる心地のよい「機会」となることを夢見て立ち上げましたイベントです。※ご家族や支援者、一般の方の参加は大歓迎。
 第1回のレポートはこちらをどうぞ。
 申込の詳細はイイトコサガシのウェブサイトをご参照ください(Analog Game Studiesでは申込を承っておりません、ご注意ください)。

イイトコサガシさまが、2012年9月2日(日)に「『大人の発達障害』を、香山リカさんとイイトコサガシが語る会 医師の目×当事者の目」が開催されるそうです。
2012年9月2日(日)大人の発達障害を香山リカさんとイイトコサガシが語る会(表).jpg

 当事者が困ることって何だろう? 私たちに出来ることって何だろう?
医師はどう治療するの? 当事者の目から見た世界ってどう見えるの?
発達障害をめぐる様々な疑問に、精神科医の香山リカ先生と、発達障害当事者会イイトコサガシが、真面目に、でも和やかに向き合う会です。(イイトコサガシプレスリリースより)


 ゲストに精神科医にして「SFマガジン」でも連載をもっている香山リカ氏を迎え、イイトコサガシの「本気」が伝わるこのイベント。ゲームと直接の関係はありませんが、よりよいコミュニケーションのあり方に関心のある方は、ご参加を検討されてはいかがでしょう。イイトコサガシの告知用サイトから、申込が可能です(Analog Game Studiesでは申込を承っておりません、ご注意ください)。(岡和田晃)
(※12/08/14 一部情報追加)

Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センター、レポート!(付記:「わらべ歌」歌詞リスト)

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Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センター、レポート!(付記:「わらべ歌」歌詞リスト)

 岡和田晃、協力:草場純

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 2012年3月29日(木)、Analog Game Studies&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」が、豊島区心身障害者福祉センターにて開催されました。本ワークショップは、発達障害当事者の方々、支援者の方々、あるいは発達障害当事者の方々との楽しいコミュニケーションのチャンスを持ちたいと思われている方々が、ともに伝統ゲーム「わらべ遊び」(童遊び)を体験してみるという主旨のイベントで、今回が初の開催となります。

 Analog Game Studiesの紹介記事も併せてご覧ください。
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/259355278.html

 近年、アナログゲームの福祉分野での応用が注目を集めています。Analog Game Studiesのメンバーも、さまざまな研究会やイベントに出席して学習を重ねておりますが、今回はいよいよ、東京都成人(大人)発達障害(アスペルガー・ADHD等)当事者会「Communication Community・イイトコサガシ」ピアサポート・グループ(以下、「イイトコサガシ」)さまと共催という形で、イベント開催を行なってみた次第です。

 参加者には、さまざまな経歴の方々がいらっしゃいました。発達障害当事者の方々、発達障害支援を学んでいる方々はもちろん、イイトコサガシ代表の冠地情さま、イイトコサガシ心理職アドバイザーの加藤澄江さま、Analog Game Studiesに「CBT的アプローチのセッション運営」を寄稿くださいましたゲームデザイナーの伏見健二さまも参加する形で、ワークショップは大いに盛り上がりました。

 当日の天気は快晴。屋上に上がって簡単な自己紹介を行ない、「お手ぶし」をはじめ、簡単なリズム遊びから、「石蹴り」のようにゲーム性豊かな遊びまで、草場純氏の進行のもと、無理をせず、休憩を挟みながら3時間あまり、童心にかえって遊びに熱中した次第です。私自身、北海道の田舎で過ごした子ども時代に、いとこたちと牧場で「ケンケンパ」に興じたことを思い出しました。

 参加者の許可をいただきまして、写真をいくつか紹介いたします。「天国と地獄」(石蹴り)のレクチャーを受けているヒトコマです。
天国と地獄.jpg
レクチャー.jpgジャンプ成功.jpg

 イイトコサガシの「会話によるコミュニケーション能力開発ワークショップ」では、メインの会話のワークショップの前に、「アイスブレイク」として、緊張を取り除くための簡単なゲームを行っています。童遊びには、こうした「アイスブレイク」の効果もあるのではないかと感じた次第です。

 これまで草場純氏は、さまざまな場所でわらべ遊びのレクチャーを行なってきました。また、ミニコミ誌「子どもプラスMini」連載の「草場純の遊び百科」にて、伝統ゲームの一貫として童遊びを紹介してきました。「子どもプラスMini」40号[2011年3月号]では、Analog Game Studiesを紹介いただいております。

 この童遊びは古くからの口承伝統という側面があり、時として差別や悪口に近いものが混じっていたりします。そうしたものについても、成立事情や背景情報がわかりやすく解説されることで、「差別」が容認されたり、ゲームを通して「差別」が助長されたりすることなどは一切なく、童遊びの本質を体感することができました。

 総じて参加者は皆、気分良くゲームに参加することができました。アンケート結果からみても、ご好評をいただいていたことが改めて確認できました。今後、またこのようなイベントを開催していければと感じた次第です。



 さて、童遊びはパフォーマンスなので記録に残りにくく、複雑ではないもののなかなか覚えにくいという面があります。しかし「わらべ歌」(童歌)と密着しているために、歌詞を見ればやった人は比較的簡単に遊びを思い出すことができるものと思います。

 そこで、本レポートでは童歌の歌詞をご紹介していきます。当日ワークショップに参加された方も、また童遊びに興味がある方も、知っている歌、聞いたことがある歌を探してみてください。

〈「わらべ歌」歌詞リスト〉(採録:草場純)

■青山墓地

♪青山墓地からお化けがひょ~ろひょろ
♪お化けの後から子豚がブーブー
♪子豚の後から桶屋さんがオッケオッケ
♪桶屋さんの後から子どもがジャンケンポン

■お手ぶし

♪おてぶしてぶし てぶしのなかは へ~びのなまやき かえるのさしみ いっちょうばこやるから まるめておくれ い~いや!

■からすかずのこ

♪か~らすかずのこ にしんのこ おしりをねらって かっぱのこ

■黒猫

♪家(うっち)のうっらの黒猫は、白粉つけて、紅つけて、ひっとに見られてちょいと隠す!

■堂々巡り

♪どーどーめーぐり こーめぐり あーわのめーしもいーやいや そばきりそうめん 食べたいな

■なかなかホイ

♪なかなかホイ そとそとホイ なかなかそとそと なかなかホイ
そとそとホイ なかなかホイ そとそとなかなか そとそとホイ

■あぶくたった

♪あーぶくたった にえたった にえたかどうだか食べてみよう
むしゃむしゃむしゃ まだにえない
あーぶくたった にえたった にえたかどうだか食べてみよう
むしゃむしゃむしゃ まだにえない
あーぶくたった にえたった にえたかどうだか食べてみよう
むしゃむしゃむしゃ もうにえた
「戸棚にしまって、鍵閉めて、…(以下家庭生活を即興で演じる)…、電気を消してもう寝ましょう。」
鬼「とんとんとん」
子「何の音?」
鬼「風の音。」
子「ああよかった。」
鬼「とんとんとん」
子「何の音?」
鬼「(即興)の音。」
子「ああよかった。」
(以下任意に繰り返す)
鬼「とんとんとん」
子「何の音?」
鬼「おばけの音!」
で、コドモ達は逃げる。

■あんたきらい(罰ゲーム)

♪ばかあほまぬけ おたんこなすかぼちゃ そっぱそっぱみそっぱ あんたきらい フン

■いろはに金平糖(身体感覚と課題解決の遊び)

♪いろはにこんぺいと

■ えべっさん(鬼決め)

♪どっちどっちえべっさん えべっさんにきいたらわかる

■おじいさんおばあさん(鬼交代)

♪おじいさんおばあさん なにくってかがんだ えびくってかがんだ

■今年の牡丹

[コドモは内向きの一重円、オニは少し離れたところにいる。]
コドモ [輪になって踊る]
♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
[オニが来る]
オニ 「入れて」
コドモ「いや」
オニ 「どうして?」
コドモ「しっぽがあるから」
オニ 「しっぽ切ってくるから入れて」
コドモ「血が出るからいや」
オニ 「川で洗ってくるから入れて」
コドモ「川坊主が出るからいや」
オニ 「海で洗ってくるから入れて」
コドモ「海坊主が出るからいや」
オニ 「そんなら今度うちの前を通ったとき、天秤棒でひっぱたくぞ」
コドモ「じゃあ入れてあげる」
[オニが輪に入る]
コドモとオニ  [輪になって踊る]
♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
[オニが抜ける]
オニ 「わたし帰る」
コドモ「どうして?」
オニ 「晩ご飯だから」
コドモ「おかずはなあに?」
オニ 「蛙となめくじ」
コドモ「生きてるの? 死んでるの?」
オニ 「生きてるの」
コドモ「じゃあさようなら」
[オニが去って行く]
コドモ「だれかさんの後ろに蛇がいる」
オニ 「わたし?」
コドモ「違うよ」
オニ 「ああよかった」
コドモ「だれかさんの後ろに蛇がいる」
オニ 「わたし?」
コドモ「違うよ」
オニ 「ああよかった」
コドモ「だれかさんの後ろに蛇がいる」
オニ 「わたし?」
コドモ「そう!」
[以下鬼ごっこ]

■どんど橋 (とおりゃんせ遊び)

♪どんどばしわたれ、さあわたれ。こんこがくるぞ、さあわたれ。

■なべなべ (ミキシング)

♪なべなべそっこぬけ、そっこがぬけたら かえりましょ。
なべなべそっこぬけ、そっこがぬけたら まわりましょ。



12/04/20追記:
 本レポートをお読みになった松本由香子さまが、「あぶくたった」の歌を歌い、動画としてご提供してくださいました。
 伝承遊び(童遊び)「あぶくたった」の歌です。
 以下、松本由香子さまのコメントとなります。

 私は昭和40年代後半~昭和50年代前半(1970年代)、神戸市灘区と中央区(旧・葺合区)で小学校時代を送りました。当時は近所の年齢の違う子どもたち十数名が小学校-や幼稚園が終わると集まって、路地や空き地、公園で様々な外遊びをしていました。
「あぶくたった」は怪談やごっこ遊び的な要素が含まれているためか、人気の遊びの一つでした。
Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)で「あぶくたった」の歌詞の採録を拝見して、懐かしくなったので歌ってみました。


 あぶくたった」がどんな歌だったのかご存知ない方、あるいは、久しぶりに「あぶくたった」を聞いてみたい方は、ぜひアクセスしてみてください。

SF乱学講座聴講記 門倉直人、小泉雅也「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」

 2012年11月末に、Analog Game Studiesは創立2周年を迎えます。
 皆さまには常日頃より、あたたかいご理解とご支援をいただき、本当にありがとうございました。
 若干、勇み足ではありますが、AGSの2周年記念企画といたしまして、昨年Analog Game Studiesが協力させていただいた講座の模様を、詳細にレポートさせていただきます。(岡和田晃)


SF乱学講座聴講記 門倉直人、小泉雅也「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」

 田島淳 (協力:岡和田晃、齋藤路恵、門倉直人、小泉雅也)


 2011(平成23)年10月2日、高井戸地域区民センターにてSF乱学講座「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」が開かれた。

 以前Analog Game Studiesの会員である蔵原大氏も講師をし、その聴講記もこちらで公開しているが、改めてSF乱学講座は何かと説明すると、科学やその他の知識を学ぶための誰でも参加できる公開講座である。自然科学以外にも内容は多岐にわたり、Analog Game Studiesに寄稿頂いたミステリ作家の千澤のり子氏なども講師を務められている。発端となった評論家・科学ライターの大宮信光氏や作家の石原藤夫氏らによる「SFファン科学勉強会」から数えると40年以上の歴史がある。興味をもたれた方は下記のリンクをご覧になられたい。また毎月発売される「SFマガジン」(早川書房)に、案内が掲載されている。

・SF乱学講座
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5302/

 さて以下の文章は講演を聴講した筆者が、その内容と感想をまとめたものである。当日配布された資料・順番・補足に基づき、内容を筆者なりに再構成している。門倉氏、小泉氏が実際に話した内容・順番・補足とは必ずしも一致していない事をお断りしておく。

■門倉直人氏経歴
 慶応義塾大学文学部社会学科人間科学卒業。
 学生時代より、魔法使いディノンシリーズ(早川書房)など種々の創作活動に励む。
 卒業後、出版社で編集者として勤務した後、コンピュータネット時代到来を想定した実験的プロジェクト、大規模ネットワークゲームを展開する「遊演体」を組織。
 “ナップルテール”(セガ)などコンピュータソフトのデザインも手がけ、現在は遊戯創作と執筆に専念。

■小泉雅也氏経歴
 門倉直人氏らと「有限会社 遊演体」(のちに株式会社)を設立。同社最後の代表取締役として2004年に同社の活動を休止する。現在、北里大学看護学部に助手として勤務。日本看護学教育学会、日本医療情報学会に所属。

◯ポストヒューマン社会は可能か?

 まず、初めに本講座の内容と目的、そして何故このたびの講演を行うに至ったかという問題意識が門倉氏から述べられた。
 発端は門倉氏が、Analog Game Studiesのファンジンを通じ、会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)『エクリプス・フェイズ』を知ったことにある。
 『エクリプス・フェイズ』では未来において人類が「トランスヒューマン」という一種のポストヒューマンとして描かれている。
 『エクリプス・フェイズ』は、英米のSF小説、とりわけ「ニュー・スペースオペラ」、「ポスト・シンギュラリティ」、「ポスト・サイバーパンク」と呼ばれる小説群を、世界観の重要な下敷きにしている。
 日本では翻訳家の山岸真氏が、そうした作品を寄りすぐり、『ポストヒューマンSF傑作選 スティーヴ・フィーヴァー』にまとめているくらいだ。スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー) [文庫] / グレッグ・イーガン, ジェフリー・A・ランディス, メアリ・スーン・リー, ロバート・J・ソウヤー, キャスリン・アン・グーナン, デイヴィッド・マルセク, デイヴィッド・ブリン, ブライアン・W・オールディス, ロバート・チャールズ・ウィルスン, マイクル・G・コーニイ, イアン・マクドナルド, チャールズ・ストロス (著); 山岸真 (編集); 山岸真 (翻訳); 小阪淳 (イラスト); 金子浩, 古沢嘉通, 佐田千織, 内田昌之, 小野田和子, 中原尚哉 (翻訳); 早川書房 (刊)スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジ…
 ここでのポストヒューマン概念は、そうしたSF小説やSFゲームで頻繁に言及されるポストヒューマン概念を、ある種の共通項を持つものとして、総称的に取り出したものである(よって特定の作品等についてあらゆる誹謗中傷を目的とするものではない。あらかじめご了承されたい)。

 ポストヒューマンについて簡単に説明しておこう。
 仮説上の存在。多くはテクノロジーの進歩によってもたらされる進化により、その定義が更新された人類。現在の人類よりはるかに優れもはや人類として認知されない存在である。SFでは古くから取り入れられた馴染み深いテーマである。また『現代思想の教科書』では「ポストヒューマン状況」について「生物や動物に固有なものとして考えられていた生命現象も情報として解読されるようになる。情報テクノロジーによって人間が代替され補助され人工的に合成されるいうことが起きてくる」とある。

 さて、ポストヒューマンSFではしばしば、魂、心、あるいは精神といったものが量子コンピュータにより電子のデータとしてバックアップされ、それを転送することによって人々は肉体という檻から逃れ自由にその身体を脱ぎ変える。
 故に病や老いは無く、死さえも克服した人類は量子的な側面からいえば時間の制約を超えた存在となる。
 門倉氏の実感はこうだ。ありえない。

 何故か?
 自意識の連続性は肉体を離れると消滅する。
 例えどんなに用意周到に準備を重ね、違う肉体に精神を移し替えてもそれが本人であるか科学的には証明できないのである。

 このとおり魂を実在論で考えるとどうしても無理な状況が浮かび上がるのである。
 ではポストヒューマンSFで描かれるような社会は、ありえないものなのであろうか。

◯成立しうるポストヒューマン社会とは

 データで精神を転送することが可能だとしても自意識の連続性は肉体を離れると消滅する。自我は元々宿っていた肉体を不可欠な寄る辺として成立しているのである。
 先程門倉氏が挙げた問題点であるが、ここで視点を変えてみよう。

 門倉氏は社会性に着目する。
 仮に自意識が途切れ、実質死んだとしても精神を転送した先とされる肉体で「本人」が昔からの自分だと主張し、周囲の人々がそれを認めればそれで問題はない。社会から見たときに個人の連続性が担保されていれば、それで構わないのというのだ。

 強固な自我を出発点とする西洋的観点からすれば、なんとも曖昧な印象を受けるかもしれない。
 だが我々日本人にとってこれは本来とても馴染み深いものなのだ。

◯昔々あるところでポストヒューマンが……

 この講座に先駆けて門倉氏は単著『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか~言葉の魔法』を上梓している。
 この先に語られたのは氏が執筆中に感じた不思議、本の中では書ききれなかったことである。

 世界各地における神話の成立過程では、人の理解の及ばない不思議なものは最初、神の仕業とされた。森羅万象を人間が理解しようとした際、擬人化、擬生物化を施し、自分にとって想像しやすいイメージに置き換えるのは、世界に共通して伺える傾向である。
 たとえば雷。農耕にとって重要な自然現象である雨の先触れであり、同時に災害、また甚だしい音や光による脅威でもある。
 雷を司る神としてはギリシャ神話のゼウスなどが有名であるが、日本でもタケミカヅチという神がいる。

 この擬人化された神はしばしば冒険の旅に出て、人との間に子をもうける。その神の子である半神は伝説の中で英雄行為を成し遂げ、神の末席に身を連ねる。その英雄の子供はさらに神の血が薄まり、そうしてより人間に近い者が数々の逸話を残し、人口に膾炙され最後には民話となる。この様に次第に神話から伝説、そして民話と、より人間に近づいてくるのが神話の常であるのだが、日本においてはそれだけに限らない独特の過程があると門倉氏は述べる。

 神から人間の側に近づくのとは逆に、人間自体が自身の輪郭をまるで水彩画の様にぼやかすことによって、精霊に近づき神に寄り添い半同化するのだという。
 しかもそれは特定の個人ではなく、どこの誰とも知れない者たち、すなわち人間全体をぼやかす。

 西洋とは違い個人に対する考え方が希薄なのである。個が集まって集団になるのではなく、人間の集まりという漠然としたものがあってその中からその時々に応じて人が浮かび上がり現れては個人として振舞っている。

 そして来るであろうポストヒューマン社会では個人という連続性、考え方はわりと曖昧になるのではないか。そしてそのイメージは日本が先取りしているのではないか。そう門倉氏は主張するのである。

◯歌集、芸能から仄見える曖昧な日本人の精神

 万葉集、古今和歌集、新古今和歌集あるいは勅撰和歌集などの流れを見ると日本の精神史が分かってくる。

 万葉集は形式化が進む前の歌集で集められた収められた歌の内容も混沌としている。
 これが古今和歌集では形式化している。自然な流れである。そしてその後通常であればこのまま形式化が推し進むのだが、次の新古今和歌集の撰者である藤原定家はこの形式を一度解体してしまうのだ。

 定家の歌は当時全く理解されなかった。
 例えば普通は心情を歌うものだが、定家の歌は最初に人の匂いを漂わせることすれ、後半でそれを消し去ってしまう。また上の句は朝でも、下の句になると急に夜となるといったことがある。それもいつの夜か分からない。ここに時空的な断裂が起き、その狭間に聞き手が想像を巡らす余地を作った。“空”が発生したのである。

 こうして歌い手と聞き手の間に双方向性の状況が生まれたのは、西洋では見られない画期的なことである。

 定家以前にもその兆しはある。
 柿本人麻呂は万葉集に旅の歌を多く残している。
 当然万葉仮名で書かれたものだが、彼は助詞、助動詞等、意味を補完する仮名を省いた「略体歌」という形式を展開する。
 これは本来「わかる人が読めばわかる」という内向きな秘匿性、あるいは怖れ畏むという謙譲的な婉曲表現だったのかもしれない。
 しかし、この抜け落ちた結果できた「間隙」「空漠」が、解釈、曖昧に想像をくゆらせる余地を与えるツール、テクニックとして、幽玄美を提唱した藤原定家など、後世の歌人のヒントとなった可能性がある。

 別の例では夢幻能がある。
 夢幻能には設定はあるものの、定められた台本は存在しない。
 旅人がいてこれをワキと呼ばれる演者が舞うのだが、彼は旅の途中で人ならざる者と会合する。その様を観てどのような物語を感じるのは観ている者に委ねられている。

 また旅は人の心を揺るがせやすい。旅に出ると誰もが普段とは違う心持ちになる。そうすると意識していなかったものが心に入り込んでくる。意識のなかに無意識が忍びこんでくる。

 こういった固定していた意識が浮ついてきている状態を“中有”(ルビ:ちゅうう)という。
 中有は仏教用語だが、人が一旦死んでから死に切るまでの魂が宙に浮いたような、例えば四十九日といった時間であり生まれ変わるまでの中間世界である。

 さてこの状態では自分の中に他者が混じる。
 万葉集などでは旅立つ人の中に妹(いも)、愛しい人の魂が少し混じる。自分が自分だけでなくなる。それは同時にあなたであり、あるいは何ものかが混ざる。

 顕著な例は『おくのほそ道』の松尾芭蕉だろう。
 彼は不帰の覚悟を持って奥州を目指すが、旅の中で“かるみ”の精神状態に達する。

五月雨をあつめてはやし最上川

 有名な芭蕉の句だが、元句は以下のとおりだった。

五月雨をあつめてすずし最上川

 “すずし”と“はやし”が両句の違いであるが、これは何を表しているのか?
 “すずし”は体感であり詠み手の存在が感じられる。しかし“はやし”となるともはや人の気配は消えて茫漠とした諦観だけを浮かび上がらせる。
 旅によって“かるみ”の心境に達し、様々なものが入り込んで自分が自分だけでなくなった芭蕉の姿が垣間見える。

 芭蕉は江戸時代の人物であるがこの時代の文化はそれまで日本が積み重ねてきた様々な模倣のもとに花開いた。
 雛型がありそれを各々が感じたままに表現を繰り返したのである。

 フランスの思想家ボードリヤールは「未来社会はオリジナルの無いコピー社会になるだろう」と語ったが、これに触発されたのが映画『ブレードランナー』(原作P・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)である。
 レプリカント(模造)と呼ばれる人間そっくりのコピー、人造人間が産み出されたこの世界はある種のポストヒューマン社会といえるが、その模造する精神は江戸時代に通じるものがあると言ったら過言だろうか?

◯親族呼称から垣間見える死生観

 もう1つの日本人が個を曖昧にする例がある。
 神道における祖霊信仰で親族呼称に、それが見られる。

 世界的に祖先と子孫の呼称は平等だ。しかし日本では子孫は8代先まで呼称があるのに対して、祖先には4代前までの呼称しかない。これは供養が終われば祖先はひとつのもの、ひとつの大いなるものに還っていくと考えられているからだと見做せる。

 そもそも古くより日本では死体を臨機応変に野山に埋めておきながら、墓碑は別のところに建てていた。そうしておいて墓に向かって死者を悼むときにだけ個人をたちのぼらせ、思い出す。個人とは常に意識され、それぞれが隔絶された存在としてあるのではなく、意識されたときにだけ現れるのだ。

 以上の様な旧来の日本における事例は、個人の連続性がなくとも社会は十分に成り立つこと示しているのではないかと門倉氏は主張するのである。

◯人生をバックアップする?

 さて門倉氏によって、仮に精神が肉体を離れ自意識の連続性が途絶えたとしても成り立つであろう社会の道しるべは提示された。

 講座の後半ではこの門倉氏の主張を受け、では科学的な面から見ると何がポストヒューマン社会実現の障害と考えられ、そしてそれをどのように解決するのか小泉氏が詳述された。
 まず小泉氏が投げかけた疑問は以下の通りだ。

 未発見の非デジタルな超絶大容量記憶技術が将来現れる可能性はあるものの、ポストヒューマンSFにあるように、魂が量子コンピュータにおいてデータでバックアップされるのならそれはデジタルで記述されなくてはならず、その計算量はあまりに膨大であるということだ。
 人生全ての情報量はあまりに莫大ではないか。
 それも1人ではなく我々人間にとって代わる大勢のポストヒューマン全ての人生だ。

◯モノとコト

 だが人の人生全てをバックアップする必要がそもそもあるのだろうか?
 量子コンピュータで魂をバックアップするのなら、魂はものとしてバックアップされると考えられる。魂をものとして考えるのは実在論の立場といえる。ポストヒューマンSFのギミックを考えるには、このあたりを手掛かりにしていけるのではないか。

 アインシュタイン自身は実在論者として認識されているものの、相対性理論の登場により実在論的な捉え方しかできなかった状況から宇宙は実証論的に捉えるべき時代に移行しつつある。このことを主題としたのが本講座の課題図書として指定されていた『世界が変わる現代物理学』(竹内薫)である。

世界が変わる現代物理学 (ちくま新書) [新書] / 竹内 薫 (著); 筑摩書房 (刊)世界が変わる現代物理学 (ちくま新書) [新書] / 竹内 薫 (著); 筑摩書房 (刊)

 この著作のなかで竹内氏は「モノ」と「コト」という言葉を用い、実在論と実証論を独自の方法で解説している。ここでは小泉氏が用いた例でこの考えを説明しよう。

 2つのサイコロAとBがある。この2個のサイコロは別の「モノ」だ。そのように実在している。こちらが実在論の立場である。
 さてこのサイコロを振って両方同じ3の目が出たとする。この結果をもってどのサイコロを降ろうとも同じ「コト」が起きたとするのが実証論の立場である。

 この考え方を通じてポストヒューマンの可能性を探って行こう。

 従来の考え方では人間、ヒューマンは実在論=モノの立場で表せられる。
 そこでは空間的位置や時間的順序が関係において重要となる。モノとモノの関係、モノとして観察されることが重要視される。
 転じてポストヒューマンの可能性は記号と記号の関係、事象がコトとして観察され、時空間に束縛されないルールによる関係に見出されることになる。
 データ=情報がモノをコトと化し、モノとしてのヒューマンからコトとしてのポストヒューマンへ進化する。
 これならポストヒューマンもあり得るのではないか。

 では実在論から実証論へ移行は可能性なのだろうか。

◯実在論から実証論へ

 実在論的なものの見方としてニュートン力学がある。地球と月の間に働いている重力と落ちるリンゴに働いている重力(モノ)は一緒なわけだが、これは幾何学であり重力の正体に対しては何も記述してない。ただモノとモノの関係を幾何学的にしめしたのみである。
 ではこれを実証論の側から見れば重力とは力が働いているコトとなる。その業績は偉大であるもののニュートンは実証論的なところまでは踏み込めていなかった。

 現実には19世紀末から物理学は実証論の方へシフトしていることが明らかである。
 ルードヴィッヒ・ボルツマンが端緒を開いた統計力学がその証拠となる。
 ボルツマン自身は実在論より古い原子論の立場をとる。
 彼はまたエントロピー(「乱雑さ」「わからなさ」の度合い)の増大を証明した功績を持つが、実証主義の立場をとるエルンスト・マッハと対立して失意のうちに自殺した。
ボルツマンは何に直面したのか?

 統計力学が扱うのは元々温度である。しかし温度というモノは存在するのだろうか? 同じくエントロピーは? そんなモノはないが物理学的にそういったものを扱えるようにしたのが統計力学であり、ここで物理学は実証論に踏み込みつつある。即ち彼自身の成果が原子論を否定しつつあったのだ。

 温度・圧力・エントロピーなどはミクロのモノとしては不確定でも、マクロにはコトとして確定できる。統計力学にはそのような働きがある。

◯統計力学と情報理論

 クロード・シャノンは『通信の数学的理論』で情報量を定義した。
 実はこの情報量は単位が違うだけでエントロピーと同じである。

 情報量と言った際には、情報がたくさんあることと情報に価値があることは違う。
 例えばサイコロを1つ振るとき、出る目が奇数であるという連絡を受ける。出目が奇数かどうかは分からないからこれは情報として価値がある。
 これが振ったサイコロの出目は奇数でしたという事になるとすでに決定していることなので、シャノンの情報量理論ではこの情報量は0として扱う。
 先に挙げた振るまえに出目が奇数だという情報には、その情報が届くことにより2つのうち1つに決定できるので、情報量が1ある。2つある可能性を減らすことができるからだ。
 この様にシャノンの情報量は確率的に定義される。

 さてもともとの可能性が多ければ多いほど情報量は多いこととなる。
 6面体のサイコロより8面体、8面体のサイコロより10面体のサイコロの方が出目に関して可能性は多く、よって情報量は多い。
 そして次の出目が1であるという同じ情報でも、面数が多いサイコロの方がより可能性を減らせるので6面体よりも10面体で出目が1と決まる方がより情報量がある。

 情報量は多くなるにつれ、まだ決定していないものが増える。それは「わからなさ」と言い換えることができる。つまり統計力学におけるエントロピーが多いということだ。統計力学と情報理論は物理的モデルで同じなのだ。

◯量子の「わからなさ」

 実在論の立場としては他に量子力学が挙げられる。量子コンピュータを扱うなら触れておかねばならない。

 この究極的な世界像は、それ以上に小さなモノがない領域を描く。
 それ以上に小さなモノがない、これは素粒子、例えば電子やニュートリノのことだがあらゆる同種の素粒子は区別することができない。
 素粒子はそれより小さなモノが存在しないゆえに記入欄を作れず、名前をそれ自体に記すこと、ラベリングが不可能だからだ。 
 区別できないことはわからないということで先に述べたエントロピーと同様に「わからなさ」として確率的に評価するしか方法がなくなる。
 その振る舞いは確率的になる。
 それはどういうことか。以下はその例である。

 箱を中心で仕切って2つの玉を入れて振る。仕切りには玉が行き来できる隙間があるとする。すると片側に2つの玉が入っている可能性がそれぞれ1/4、バラバラに入っている可能性が1/2。これは2つの玉が区別できるからだ。
 これが電子の場合だと各1/3の確率となる。電子には名前も印も付けられない区別がつかないからだ。現象として本当に区別が付けられず、まさしく確率的に評価するしかない。

 このように量子力学の世界では粒子が区別できないというのは本質的で、それ以上小さくできないというのは避け難くどうしてもそうなってしまう性質を持っている。

 空気中には気体の分子が無数にあちこちへ飛び回り物凄く速い速度状態で運動している。無数の分子はどこにあるかそしてその軌道は複雑過ぎて分からない。これも物理的モデルでは統計力学の「わからなさ」と同じ意味合いである。粒子がたくさんあることでわからなくなってしまう「わからなさ」は統計力学の「わからなさ」なのである。

◯量子コンピュータとしての宇宙

 量子コンピュータを扱ったものではずばりそのものといえる書物がある。
 セス・ロイド(マサチューセッツ工科大学機械工学教授。量子機械工学者)は著書『宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』(早川書房2007)で宇宙は巨大な量子コンピュータとして理解できると主張した。またすべての物質、相互作用の伝搬は量子が担っているとし、量子間関係は計算的に記述できるという。

宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか? [単行本] / セス・ロイド (著); 水谷 淳 (翻訳); 早川書房 (刊)宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか? [単行本] / …

 彼によれば量子コンピュータは宇宙と同等である。そこでは時空間に〈状態〉が量子的に記述される。ただしその〈状態〉は一意ではない。複数の状態を確率的に取り得る。これは今まで述べてきたように量子が確率的な振舞いを見せるからだ。

 以上をふまえた上でいよいよ事は核心に迫る。

◯魂は実在か?魂は実証可能か?

 それでは魂は実証可能なのだろうか? バックアップ可能なのだろうか?

 「実証可能である」ならば「数学的もしくは理論的に記述可能である」
 とすればその対偶は、
 「記述可能でない」ならば「実証可能でない」
 すなわち「記述可能である」ものがすべて実証論的なコトであるわけではない。

 「魂に記述できない面がある」がそのまま「魂は記述可能ではない」
 であるなら、
 「魂は実証可能でない」ことになる。

 この帰結の前提「魂に記述できない面がある」は「自然の奥深くに隠された記述できない実在がある」という実在論の主張と矛盾しない。

 デジタルコンピュータ的に「バックアップ可能である」
 ならば
 「数学的もしくは理論的に記述可能である」
 よってその対偶は
 「記述可能でない」ならば「バックアップ可能でない」

 したがって実在論の主張と矛盾しない立場では「魂は記述可能でない」ので、デジタルコンピュータ的に「バックアップ可能でない」

◯計算量問題

 また小泉氏が最初に投げかけた疑問も立ちはだかる。

 計算理論において計算量は、その計算に要する時間の問題と記憶量の問題に帰結し、トレードオフの関係にある。
 この計算量問題があるため「記述可能である」事柄が全て「バックアップ可能である」わけではない。また現実的に「記述可能である」にしても計算量が膨大であれば「バックアップ可能」にならない。人生を全てバックアップしなければならないのなら、当然その計算量は膨大であるはずだ。

 ではここでもう一度述べよう。
 そもそも人生の全てをバックアップする必要があるのだろうか。

◯記憶のホログラム性

 バックアップされるものはその人生の記憶である。では記憶の「すべて」とはなんだろうか?

 そもそも我々は記憶のすべてを意識し続けて生きてはいない。既に忘れ去ったものもある。
 また憶えている事柄について記憶が薄れても、それはゼロにはならない。

 鮮明さは落ちるかも知れないがホログラフィー画像は記憶媒体が欠損しても全体像を再生可能である。

 記憶はホログラム的で、ならば「すべて」をバックアップする必要はないのではないか。

◯おとなのゴリラが笑う

 ここで小泉氏が紹介したとあるTV番組の内容を記してポストヒューマンの可能性について示したい。
それは『爆笑問題のニッポンの教養』FILE037、038「私が愛したゴリラ(前後編)」(NHK、2008年5月13、20日放送)である。

 ゴリラは子供の頃は笑うのだが、大人になると笑わなくなるという。それは何故かというと遊ばなくなるからだ。

 番組において山極壽一氏(京都大学大学院理学研究科教授、専門は霊長類社会生態学)は、親が殺されてしまった子供のゴリラをかつて保護し、育ててから野生に無事帰した。
 そのゴリラに山極氏は20年振りに会いにいく。野生に帰された彼は堂々たるシルバーバックとなり立派に群を率いている。

 シルバーバックは子供を連れてやってくる。彼は山極氏を憶えているものの人と交わって暮らしていたのは以前のことだ、近づいて来ようとはしない。また山極氏も観察者の立場を踏み越えようとはしない。
 やがてシルバーバックは子供たちと遊び出す。すると山極氏が観ているからこそなのか、本来子供と遊ぶ際にも大人になれば笑わないはずのゴリラが笑うのだ。

◯森羅万象に還る

 最後は小泉氏自身の言葉でこのレポートを締めくくりたい。

 人間はそのフィクションを語り得るという特異な言語を持つ事でとても多くの事を失ってしまった。
それは違う。ゴリラたちを見れば言語を得て何か失ったかのように人は感じるかもしれない。ことばによらないコミュニケーションをうまく言語化できないから。人間は言語で伝えられないから失ったと感じている。でもそれを感じられた時点で何も失われていない。

 ポストヒューマンが私たちヒューマンにはない特異な能力を備えたヒト科の新たな存在だとしたら、私たちヒューマンとポストヒューマンの関係はゴリラと私たちと同じと言える。ポストヒューマンから見たら私たちは失った何かを持つ存在に見える。そういうわけではない。

 記述可能なデータだけを記録することで計算量問題から削れてしまったものが出てくる。魂が失われてしまう。そういうわけではない。

 本当は大事なものは残り続けている。

 デジタル記録によりバックアップされたポストヒューマンの魂は、その全てがバックアップされていなくとも、ポストヒューマン同士が、そしてその前段階である私たちであれコミュニケーションをとるときにモノではなく、コトとして再生されているのかもしれない。計算量問題で全てをバックアップできなくてもそこで魂を経験できる。

 いまだってあなたの全てを知らなくてもコミュニケーションできる。何か変わったのだろうか?

 わたしたちは〈わたし〉のすべてを知っているだろうか。

 わたしは〈あなた〉のすべてを知ることができるだろうか。

 知りうることが〈すべて〉であって、全てを知ることはできない。

 森羅万象、全てはコト。

 魂もまたコトであり森羅万象に還る。

 全てはコトに還る。

 何故なら宇宙の始まりはコトであってモノではなかったのだから。


【参考図書】
門倉直人著『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか』新紀元社
松尾芭蕉、萩原恭雄著『芭蕉 おくのほそ道 付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄』岩波文庫
フィリップ・K・ディック著『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ハヤカワ文庫SF
竹内薫著『世界が変わる現代物理学』ちくま新書
クロード・E.シャノン、ワレン・ウィーバー著『通信の数学的理論』ちくま学芸文庫
セス・ロイド著『宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』早川書房


 なお、SF乱学講座の当日、AGS代表の岡和田晃は講座の模様をTwitterにて実況中継しておりました。

・「日本昔話「昔々、あるところでポストヒューマンが……」――その後の日本神話とデジタル物理学から」実況中継まとめ
http://togetter.com/li/199659

 おかげさまで好評をいただいておりましたが、速報性を重視していたため、いくつか誤りがございます。
 この場をお借りし、お詫びして訂正させていただきます。(岡和田晃)

誤)仮に精神が肉体から切り離されても自意識の連続性は途切れないのでは
正)仮に精神が肉体から切り離されたら自意識の連続性は途切れてしまう

誤)孫にあたる歌人にも、「祖父は乱詩病」という具合に言われてしまった。
正)孫にあたる歌人にも、「祖父は乱思病」という具合に言われてしまった。

誤)柿本人麻呂の特徴として、「やくたいか」という方法を駆使した
正)柿本人麻呂の特徴として「略体歌」という方法を駆使した
※↑この他の「やくたいか」も、全て「略体歌」へ一括修正をお願いいたします……一応フォローのツィートはあります。

誤) 門倉直人:そうかもしれない。ただ、今回は必ずしも実証主義的な話しではなく、私がそのように妄想を繋げて、「かもしれない」を広げて書いていること。
正) 門倉直人:そうかもしれない。ただ、今回は必ずしも実証主義的な話しではなく、私がそのように妄想を繋げて、「かもしれない」を広げて書いていること(つまり〝結果として〟略体歌という存在が、定家のような後世の人へ「空漠」というツールを意識させたのかもしれないということ)