『混沌の渦』小説風プレイリポート:”This Bullshit God Made”

 今回Analog Game Studiesが公開するのは、漫画家/イラストレーターの山寧さまによる、『混沌の渦』の小説風プレイリポートとなります。

 本プレイリポートを楽しむために、特別な予備知識は不要ですが、『混沌の渦』については軽く解説をしておきます。
 『混沌の渦』とは、かつて社会思想社から刊行された、中世後期からのヨーロッパ(主に16世紀イギリス、テューダー朝イングランド)を舞台にしたヒストリカル・ロールプレイングゲームのルール・システムのことを指します。
 シンプルなルールに独特の世界観が相まって密かに人気を集めていた作品です。実在の世界を舞台にするのですが、「混沌の渦」と呼ばれる不可思議な力を操作することにより魔法の使用が可能となります。いわゆる「呪文リスト」を用いるのではなく、あくまでユーザーの創意工夫によって発生する効果を考えるルールが印象的でした。

 日本でも英語圏でも長らく絶版が続いていたタイトルでしたが、近年Arion Gamesから復刊されました。かつては基本ルールブックのみで完結した作品でしたが、現在は順調にシナリオやサプリメントが刊行されています(いずれも未訳)。筆者は「乞食」を扱ったサプリメント『Beggar’s Companion』がイチオシです。

 この小説風プレイリポートでは、『混沌の渦』のルールを用いながらも、舞台を19世紀に移し、また基本ルールにはないオリジナルの職業「墓守」をプレイヤーの一人が選択しています。佐脇洋平さまによる日本語版の後書きにもあるとおり、『混沌の渦』は、ユーザーによる積極的なカスタマイズが推奨されたタイトルだったのです。ただ『混沌の渦』らしさは残されており、「混沌の渦」を操作することは現実を操作することにも繋がるという世界観の根幹が、今回のシナリオには活かされています。

 なお、山寧さまはAnalog Game Studies上の掲載にあたり、オリジナル・イラストを描き下ろしてくださいました。

 さあ、暗黒のロンドンでの惨めな話を、しばしご堪能あれ。

(岡和田晃)

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『混沌の渦』小説風プレイリポート:”This Bullshit God Made”

■ゲームマスター&レポート執筆
 山寧

■プレイヤー・キャラクター
 クロード・ブルックス——–自由労働者
 ダニエル・ポプキンス——墓守
 ヴィダ・バーミン ———見習い司祭

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≪STORY≫

 産業革命以後、仇敵フランスをも統治下に置き、欧州最大の、すなわち世界最強の国家となった大英帝国。その首都である大ロンドンは1850年現在すでに人口五百万人を抱え、まさに文字通りの混沌の大渦巻といった様相を呈していた。その中でも、貧民窟と工場とが無秩序に入り乱れたスラム地域には人口の実に80%以上が集中し、人々は様々な都市問題と社会病理を日常としながら、流入していた当時抱いていた『可能性溢れる未来』への希望を唯一の拠所としつつ、脱出する勇気すら持てぬままに、労働貧民としての明日なき日々を這い進んでいた。

 そんな無間地獄的な環境の中、三人のPCはそれぞれに各人の方法で生存していた。そう、クロードは富める者どもの明るい暮らしを支える工場労働者として、ダニエルは虫けらどもに幻想の救いを与え賜う教会の見習いとして、そしてヴィダは、人々に平等に降り注ぐ死の恩寵から糧を得る墓堀人として。

 -I- 

 クロードの同僚が苛酷な労働のため命を落とした。仕事のために出席できなかった労働者達は、自分達の流儀で仲間を弔うことにし、夜、酒を持って墓地に集まった。6フィート下に眠る友を思いながら、彼らは粗悪な酒を酌み交わす。そこでクロードは、独り輪の外にいたベンジャミンという労働者と語らう。ともに妻を亡くし、同じ位の年の息子を持つ彼らにとっては、自身の人生は子供達のもの。それを確認しあう二人であった。

 そんな労働者達の様子を尻目に、この墓地で働くヴィダは、同僚のグレン・ベントンと自分達の稼業について語らっていた。彼ら墓堀人と教会はウマの合う仕事仲間。今日もダニエルの勤める教会と組んで、貧民の死体一ケで美味しい商売をした、という具合。クズどもが倒れ、彼らは酒を呑む。至って順調な日々である。

 だが、同じく葬儀で一日を終えたダニエルには、そのような感慨はなかった。それより頭を悩ますのは、ここのところ毎晩のように師であるオグデン・グラズナー神父が外出すること。神父に引き取られて教会で暮らしているダニエルには、彼の行動が気になって仕方ない。

 数日後、クロードの工場で一騒動起こる。クロードが肩を並べて労働する同僚であり、年上の親友であるエドワード・ベイリーが、工場監督コールマンと大乱闘をやらかしたのだ。墓地での弔いの宴で、正義感溢れるベイリーは、死んだ仲間は工場に殺されたのだと語っていた。そのことに対する蓄積された怒りが、監督の無遠慮な言葉で爆発したらしい。監督の商売道具である棍棒で血まみれにされた栄養不良の労働者は、食堂の隅に放り出される。だが、昼休みにクロードが様子を見に行くと、すでにその姿はいずこかへと消えていた。落ち込むクロードに、ベンジャミンは自分の夢、息子のアダムを学校に入れ、この環境から脱出させるという夢が実現しそうだとポツポツと語り、気を紛らせる。

 同日。ダニエルは神父から小遣いをもらい、何処かへ遊びに行くように言われていた。不慣れな盛り場でウロウロしているうちに墓堀人達と会い、酒場へと連れて行かれる。途中、引ったくりにやられて泣いていた子供に金を与えたりしつつ、墓掘り行きつけの店へ。すると、なにやら店内は緊張感に包まれていた。聞けば、ふらりと現れた血まみれの労働者が客にサイコロ勝負を挑み、勝ち続けているとか。早速ヴィダ達が挑戦するも、あえなく敗退。ダニエルも戦い、その結果彼は要求されるままに賭けた大金--神父にもらった全てを失った。続いて彼は金の十字架--教会から授かった聖なる物品--を賭けることを申し出たが、男はその輝きをめにするや落涙、呻きながら十字架を奪って酒場を飛び出して行く。追いかけると、彼はテムズ河に架かる橋の上に立ち、水面を呆けたように見詰めている。ダニエルは気を取り直すよう諭した。否、そうしようとしたのだが、大して熱心でもない聖職者見習いの言葉には何の説得力もない。一声叫びを上げると、工場労働者エドワード・ベイリーは河に身を投げた。

 目の前で人が死を選んだためなのか、大事な十字架を失ったためなのか、ともかくダニエルはいささかショックを受けた。墓掘りと別れて街を彷徨っているうちに、彼はフランス系の男、ポールに『エジプトのファラオのダンス』と題された怪しげなショーに誘われる。金を払って芝居小屋に入ると、舞台では半裸の踊り子達が色鮮やかな香の煙の中で身をくねらせていた。その光景に魅了されたダニエルに、ポン引きポールは「次のステップ」を提案する。彼は踊り子の一人、外国人のマリアを指名し、ポール・クライスト氏に料金を支払った。

 暫の後、ダニエルは再び通りに出た。脱力感に襲われ、ボンヤリしながら歩く彼は、三人組の少年達に財布をひったくられる。それは先に墓掘り達が金を与えていた子供達。ダニエルは悪童の一人を追いかける。だが、遂に追いついたという瞬間、少年は馬車にはねられた。叩きつけられ、ボロクズのようになって即死。泥にまみれた汚らしい死。居合わせた人々はそれを呆然と見詰め、御者はショックに硬直。だが、馬車の中の客はカーテンの向こうから顔を出しもせず、馬車を出すように命じる。怒ったダニエルが馬車の扉を引き開けると、そこにはグラズナー神父、そして娼婦マリアがいた。二人はダニエルを認識し、ダニエルは師の外出の目的を知る。死体は忘れられ、見苦しい言い争いが始まった。そのうちに警官達が飛び出した浮浪児に全責任があると宣言し、手早く死体を処理すると、人々はすっかり興味を失った。
 翌朝ダニエルが起床すると、すでに新しい神父、ロバート・プラモンドンが来ており、ダニエルをこき使う。結局グラズナーは罪の意識に耐えかねてロンドンを離れたのだという。

 死んだのはベンジャミンの子、アダムだった。息子が盗人だったこと、そしてゴミのように始末されたこと。その二つの事実がベンジャミンの精神を破壊した。仕事中、放心状態に陥っていた彼はクロードの眼前で紡績機械に腕を巻き込まれてしまう。血しぶきが飛び散り、オゾンの臭気が立ち込める修羅場で、仲間達は必死に救出作業を行った。意識を失ったベンジャミンの傍らでは、彼の一部分が手順通り見事に紡がれていた。

 その数日後、病室に彼を見舞った帰り、クロードは街角の古道具屋で素晴らしい義手を見掛ける。それは、片腕を失ったベンジャミンのために何かしてやれることはないかと考えていた労働者仲間達にとっては、丁度良い贈り物だった。工場での相談で、その義手を皆で購入し、ベンジャミンに贈るという話がまとまる。
 翌日、店に入ったクロードは、ナサニエルと名乗る若い店主と対面する。彼の言った義手の価格は、仲間達で金を出し合えば何とか手の届く金額だった。ナサニエルが言うには、このクラスの義手は持ち主に合わせて製作されているので、古道具としてはあまり価値がないのだという。「何しろ、ぴったり合わないと役に立ちませんので。ですから、もし貴方の御友人にお試しになって駄目なようでしたら、返品してくださって結構ですよ--」

 -II-

 一日の仕事を終えると墓掘りヴィダは近所の酒場へ向かった。得意先の神父が交代してからそろそろ一ヶ月になろうとしているが、これまでのところ特に問題は起こっていない。本人の弁によれば新しい神父は前任者より遥かに良識派であるそうだが、実際のところはどうだろうか。何しろオグデン・グラズナーは、見たところは穏やかで常識的な--そう、新任の神父よりもずっと常識的に見える--良い神父だったのだから……。

 酒場に労働者の一団が入ってくる。彼らは仲間の一人の全快祝いに久々の酒宴を催そうとしていた。早速主賓である見事な義手をした男を中心に、楽しげな輪ができ上がる。だが、当の主賓はどうも妙な感じだった。皆が祝ってくれているというのに、いささか冷笑的な雰囲気を漂わせているのだ。そのうちにある程度場が落ち着くと、男は労働者仲間達を相手に語り始める。彼の語る内容は、どうやら彼らの職場の環境に対する攻撃のようだった。

 酒場に教会の見習いが入ってくる。彼はバーテンに用件を告げる。ブランデーとワインを何本か、教会に買っていくのだという。と、それを聞いて、先ほどから演説をぶっていた男が笑い声を上げる。「蝿教会の蛆虫神父様は少々きこしめしていらっしゃるって訳か! ハハ!」

 それを機に男は教会攻撃を展開し始める。曰く、現在の英国国教会の堕落ぶりには目に余るものがあり、元々があの欺瞞に満ちた薄汚い紙束を脆弱な柱として成り立っているものに、さらに二千年にも渡って積み重ねられてきた嘘と悪徳の数々は、もはやあの悪臭ふんぷんたる豚小屋を崩壊寸前にまで追い込んでいるのだとか何とか。教会とのコンビで商売をしている墓掘り人としては、少々ちょっかいを出したくなる内容であった。ヴィダはその労働者、ベンジャミンと舌戦を展開する。と、そこに話の発端となった男が登場する。

 酒場に蛆虫神父が入ってくる。教会のワインのストックを空にし、手に最後の一本を持って戸口に現われたその男は、酒場にいる誰よりも酒臭い息を吐きながらダニエルに文句を言う。ダニエルがベンジャミンの教会攻撃のただ中にあって酒場を出るに出られないでいる間に、プラモンドンはしびれを切らしたという訳だ。彼は手に持った瓶を空にし、そのまま床に仰向けに倒れると、白豚よろしく嵐のようないびきをかき始めた。

 彼の攻撃を補強する絶好の材料を前にして、ベンジャミンの舌はますます滑らかに、言葉はより痛烈に、語りはよりエネルギッシュになる。工場、教会、搾取する者達、そして英国政府を標的として、彼は饒舌に攻撃的演説を続ける。そんな、以前とは明らかに変わってしまったベンジャミンの語り口調に驚きながらも、そのカリズマティックなムードに労働者仲間達は徐々に魅きつけられていく。だがその中で唯一、クロードだけは何処か納得のいかないものを感じていたのだった。

 酒場から神父を引きずって帰ったダニエルは、彼の巨体を何とか寝台に横たえる。そのうちにホプキンスは寝言を言い始めた。そしてこの破廉恥漢は、マリアの名を唱えながらニヤニヤと卑しく笑う。それが聖母ではなく、あの娼婦の名であることは明らかであった。だが、かつて彼が取り仕切ったベンジャミンの子アダムの葬儀の際に、すでに信仰を失っていたサタニストのダニエルにとっては、それは大して意外なことではなかった。

 続くわずかな期間に、事態は急激に展開した。ベンジャミンが奇蹟を成したという噂が流れ、工場労働者達の一部には次第に彼への崇拝の感情が発生する。暴力的な待遇改善要求行動を求める動きが進行し、クロードはベンジャミンらに度々グループに加わるように言われるが、彼は納得しない。しかし、ベンジャミンは何故かそんな彼を無理には誘おうとしなかった。

 食堂で食事をしているクロードの所に、ベンジャミンに心酔している粗野で無知な労働者ルーカス・スタフォードがやってくる。彼は熱心にベンジャミンのグループに加わるように勧めるが、彼自身もそうしなければならない理由を理解してはいないようだった。どうしても納得しないクロードにルーカスはいらいらし始めるが、そのうちに近くで騒ぎが起こる。食堂ではさかんにベンジャミンと彼に関する幾つかの噂が話題にされていたのだが、彼を認めるか否かを原因として激しい喧嘩が起こったのだ。その内にベンジャミンを否定していた男が徹底的に打ちのめされ、重症を負う。食堂内に不穏当な空気が漂う中、静かに食事をしていたベンジャミンがゆっくりと立ち上がり、怪我人に手を、義手を差し伸べる。すると彼の義手が光を放ち、男の傷は癒されていった。

 ホール内が静寂に包まれる中、ベンジャミンは最後の演説を行う。その言葉は労働者達を一つにまとめ、暴動へと促す引き金となった。彼らは津波のように工場内へと突入し、工場長や現場監督を呑み込む。吊し上げ、打ち壊し、蹂躙しながら、彼らは外の世界に溢れ出す。周辺の工場労働者を巻き込みながら、群集は貧民街をねり歩いた。

 教会に向かって地響きのような群衆の足音が近付いてくる。今日も宿酔いのプラモンドン神父はその音に怯え、ダニエルに様子を見てくるように命じた。ダニエルが外に出ると、教会は怒りに燃える暴徒の群れに取り囲まれていた。暴徒達は口々に教会の罪を叫び、手に手に武器や松明を振り上げてダニエルに迫る。彼は教会内に逃げ込もうとしたが、扉には内側から閂がかけられていた。プラモンドンが閉め切ったのだ。中から暴徒達を説得しろと命じる神父の声に絶望し、ダニエルはサタンの名を唱えて助けを求める。その言葉を聞くと暴徒は鎮まった…。だが、彼らはすぐに「蛆虫教会より始末の悪い」サタニストを高く吊るすことを決定した。

 クロードは離れた位置からその様子を見ていた。そこにベンジャミンが現われる。彼はもはや人々を率いてはいない。彼はきっかけを作っただけ。人々が心の底に蓄えていた憎悪と不満に火を放っただけなのだ。そう話すベンジャミンは、クロードにも心を解放することを促す。だが、この冴えない労働者はその点について決して譲ろうとはしなかった。そうこうする内、教会からは惨殺されたプラモンドンの首とともに、十字架に架けられたイエスの像が運び出される。二人の見る前で人々はそれを粉々に打ち砕いた。「おやおや、彼らはもはや信仰までも失ったようだな……。だが、なぜだろう……俺は……少し、疲れたみたいだ……」

 そういうベンジャミンの義手を、クロードは突然もぎ取った。教会に放火した群集は、新たな目標を求め、彼等の方へと押し寄せつつあった。

 その後、クロードはヴィダと出会い、ともに事態を打開するべく動くことになる。クロードが義手を外した時、ベンジャミンの口調は確かに元に戻り、親友クロードに逃げるよう言った。彼自身は群集に飲み込まれてしまったのだが、ともかく鍵はあの奇妙な義手にある。今やそれはベンジャミンの元を離れ、クロードの手中にあった。二人は、古道具商ナサニエルの店へと向かった。

 街中ではすでに暴動の噂が広まり、人々は屋内に立て籠もっていた。通りには人影はほとんどなく、何処か遠く離れた所からは、暴動によると思われる騒音や、暴徒達の歓声がかすかに聞こえてくる。この死んだような大ロンドンの街を二人は彷徨い、遂にナサニエルの店に、否、かつてそれがあった場所へと辿り着いた。あの店は、すでに引き払われていたのである。近所の者の話では、ナサニエルは一月と少し前にここに店を構え、ほんの僅かな期間で店を閉めてしまったのだという。

 その後、二人はテムズ河方面へ。見ると、群集がロンドン橋で警官隊と交戦しているところだった。その内に群集は行く手を塞ぐ者どもを打ち破り、何処かへと消えていく。二人は戦闘の場となった橋に赴く。そこには少数の警官達の死体と、おびただしい数の労働者の死体が転がっていた。そしてその中には、サーベルで幾度も刺し貫かれたベンジャミンの死体もあった。彼の顔は苦痛に歪んではいない。そこにはただ、困惑したような表情が浮かんでいた。

 彼の死体の見守る前で、クロードは義手をテムズ河へと投げ込む。悪臭を放つどす黒い流れの中で、小さな工芸品はすぐにその姿を消した。

 -III-

 浜辺では、波に打ち寄せられた死者達が彼方までの海岸線を黒く縁取っていた。あの後、暴徒達は船を奪い、新天地を求めて船出したものの、領海から出ることもできずに撃沈されたのである。彼らから冥界への路銀をもむしり取ろうとする盗人や、好奇心を刺激された大勢の弥次馬達が、ここには集まっていた。そんな愛すべき人々に混じって、父と子は手を取り合い、とぼとぼと砂丘に足跡を刻んでいた。彼らは夢に現われたベンジャミンの導きに従って、この海岸にやって来たのである。夢の中でベンジャミンはクロードにこう言った。「奴らに一発お見舞いしてやってくれ」と。

 クロードは見覚えのある男に会った。男は何か棒のようなものを、布にくるんで大事そうに抱えていた。男は言う。「なかなか楽しめたのではないですか?」

 クロードは男に理由を問う。すべての理由を。男は話し始めた。

「まあ、言ってみれば簡単な実験のようなものです。詳しくお話するつもりはありませんがね。我々が用意したのは最初のほんのきっかけだけで、後はすべて貴方達の意思でなされたことですが、まったくもって予想された通りの展開でしたよ。人間とその行動に関する我々のある仮説が実証されたのです。完全なる成功、と言えるでしょうね。結局のところ、すべては事前に分かっていたのです。一度『操作』がなされれば、もはやそこに貴方達の言う所謂自由意志の介入する余地はないのです。可能性も未来も、すべては幻想ですよ」

 そう言う男に対して、クロードは自分の夢を語る。彼の夢、すなわち彼の描く未来とは、この薄汚れた大ロンドンを離れ、自然の中で息子とともに牧場をやっていくことであった。その未来は彼と息子のものであり、ほかの誰のものでもない。そして、その未来を自らの手で作り出すことは彼らが自由であることの証なのである。

 それを聞くと男は親子に背を向け、砂丘の向こうへと歩み去っていく。振り返りもせず。男は冷笑的な口調で語る。「残念なことですがね、その牧場は失敗するんですよ。火事が起こるんです。2年目に、そう、落雷でね。……その後のことを語るのはよしましょう。まあ、慈悲というものですか。ともかく、楽しみにすることですな。これから何が起こるかを……」

 父は子の肩を抱きながら、無言で消えていく男の後ろ姿を見送る。そして日が暮れ、辺りに人影もまばらになると、彼らもまたこの地を去っていった。

 -EPILOGUE-

 彼は振り返らなかった。もしそうすれば、彼の顔に浮かんだ表情をあの男に見られてしまうからだ。実験に生じた小さな傷。ただ一つの、そして必要充分の反証。それがあの男だった。彼は卑しい人間に嘘をついた。それは彼にとっては、まったく耐えがたい屈辱であった。

F I N

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≪GAME MASTER≫

 今回は、なんだろう。まあ、好きなんです。こういう話が。

 今回のシナリオはまず題名が決定し、そこから惨めな世界の惨めな人間を描く話、という線で膨らませていったのだが、システム選びは難航した。結局『混沌の渦』になり、内容にも『渦』の要素を加えたのだが、最終的には割とまとまったと思う。まあ多分この路線で何回かやるのではないかと。

 マスタリングについては、第一部にあまりに時間を取り過ぎたおかげで、第二部の展開を相当削る羽目になったのがいささか心残りではある(全編やろうとしたら後4時間くらいはかかったかも)のだが、第一部の超スローペースでドゥーミィな感じで全編通したら流石にイヤになるからな。まあ、緩急がついたというコトで。ちなみに第一部で先の見えないイラだちを感じさせたのは意図的な演出です。ちょっとやり過ぎてマスター側もマイってしまいましたが…。で、結局全編が終了したのは9時を大きく回った頃だったのだけれども、何か僕は最近長時間のセッションで燃え尽きる感じが好きなのかもしれないです。ハイ。

 ロールプレイについてだが、全編一人称の語りってのは、まあ、好きではあるんだけれども、とにかくもう疲労が激し過ぎる。他の部分をキチンとやる余裕が無くなってしまうのが、どうにもキビシイ感じだ。やはり三人称との使い分けをしっかりしよう。

 しかし今回は本当にゲームらしくないゲームであった。何しろルール的な判定をする場面はほとんど(2回くらいだけか?)なかったのだから、もうほとんどシステムレスである。どうも極端になってしまうんだよな。僕がもっとゲームっぽくやろうとすると、それはもう大昔のD&Dの王道的な、ちまちました感じになってしまうのだ。なんだろう。

 今回の元ネタは、『Kill the Christian (DECIDE)』、『Grim Luxuria (CATHEDRAL)』、『Enter the Worms (CATHEDRAL)』以上3曲の歌詞(特に最後のはセッション中も祈祷の文句として活用)、サルトルの幾つかの作品、英国産業革命時代の見世物や大衆風俗についての本(タイトル忘れた)、『反キリスト者』、『ヒーザーン』、『ディファレンス・エンジン』、あとは聖書関係の色々と、もちろん『鐘鳴』も。(山寧)

[セッション日:1995/10/08]

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山寧(やまね)
 1974年生まれ。元ゲーマー。エロ絵描き。介護業界人。
「エロ絵描き」にも元が付きつつある現状を憂いている。
 宇野常寛さん主催の評論誌『PLANETS』で細々と仕事中。
PLANETS SPECIAL 2011 夏休みの終わりに [単行本(ソフトカバー)] / 宇野常寛, 小熊英二, 小林よしのり, 中沢新一, 中森明夫, 濱野智史, 速水健朗, 宮台真司 (著); 宇野常寛 (編集); 第二次惑星開発委員会 (刊)PLANETS vol.7 [単行本(ソフトカバー)] / 宇野 常寛, 荻上 チキ, 濱野 智史, 福嶋 亮大, 中沢 新一 (著); 宇野 常寛 (編集); 第二次惑星開発委員会 (刊)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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ゲームブック温故知新――「ブックゲーム」という冒険

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【Analog Game Studies1周年企画】

ゲームブック温故知新――「ブックゲーム」という冒険

 フーゴ・ハル(HUGO HALL)、岡和田晃

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 遅くなりまして申し訳ございません。予告していたAnalog Game Studies1周年企画をお贈りいたします。

 昨年の今頃は、門倉直人さまの「グンドの物語」をAGS上で再掲させていただきましたが、今回はフーゴ・ハルさまとのコラボレーションです!

皆さまはAnalog Game Studiesに掲載された「ゲームブックとの邂逅」をお読みになりましたか?

 「ゲームブックとの邂逅」では、親子二代に渡るゲームブック体験が綴られました。従来は一過性のブームに終わったとみなされることもあったゲームブックは、熱心なファンによって読み継がれ、新たな世代の読者を獲得しつつあります。

 そこでAnalog Game Studiesでは、日本のアナログゲーム・シーンにおける重要なパイオニアであり、現在もゲームブック作家やボードゲーム・デザイナーとして活躍なさっている、HUGO HALLさまとコラボレートした特別企画をお届けいたします。

 題して「ゲームブック温故知新――「ブックゲーム」という冒険」。
古き時代を振り返ることで新たな表現のあり方を考えるとともに、創作と批評のよりよい可能性を模索する企画になればと考えます。

 第1部として、ゲームブックの歴史を示す貴重な記事を再掲し、第2部では、新たな試み「ブックゲーム」を紹介いたします。

 さあ、読み進めたまえ。

(岡和田晃)

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■第1部:【再掲】「アルバイトニュース」のゲームブック記事

 まず紹介するのは、「アルバイトニュース」誌(現「An」、学生援護会)のゲームブック特集に1週間だけ掲載された幻の記事、「こんなに楽しいゲーム・ブックの世界」の再掲です。フーゴ・ハルさまの許可をいただき、Analog Game Studiesのウェブログ上で公開させていただきます。
 1986年当時、ゲームブックはどのように受け止められていたのでしょうか。当時の事情を知ることでゲームブックの面白さを再確認するために、本稿をご活用いただけましたら幸いです。

(岡和田晃)

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こんなに楽しいゲーム・ブックの世界

 フーゴ・ハル(HUGO HALL)(初出:「アルバイトニュース」1986年4月14日号、学生援護会)

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 (編注:「○」は見出しサイズを表します。「○」が多いほど大きな文字になっております)

○○○○○こんなに楽しいゲーム・ブックの世界

○○○ひとりで出来る探検隊、ゲーム・ブックの傾向と対策

 ここ数年よく目につくようになったゲーム・ブック。一見するとフツーの小説本と変わらないよーなシロモノが、本屋さんで飛ぶように売れているという。ゲーム・ブックのどこがそんなに面白いのか!? じっくり探ってみよう。

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[トップ絵]ホンノキュビズム

○○迷うことの快楽

 近頃、道に迷う機会が少なくなったと思う。少し前まではこうじゃなかった。雑誌の中でもちょっと気をゆるめれば迷うことができた。しかし最近の道の丁寧な表示はそう簡単に私たちを迷わせてはくれない。まったくわかりやすくなったものだと思う。だが、私達には迷う快楽への憧憬があるはずだ。それは小学校の頃通学路に交差する沢山のわき道に魅惑されたあの感情でもある。わき道は夕方になると影を帯びて不可思議な魅力を倍増した。この道には怪人や魑魅魍魎がひそんでいると言って誰かが探検隊を編成すれば、翌日はたしかに怪人があらわれた!という報告が全校を震撼させたものだった。血湧き肉踊る、あのわき道。そこでは誰でも川口浩探検隊だった。やがて義務教育が終わり神秘のわき道も消え失せる。しかしわき道から消え失せたのはこちらのほうだったのかもしれない。

 ノスタルジーとしてではなく、いいものは取り返してやりたい。そして久しぶりにわき道でゆっくり迷ってみたい。そんな意見に賛成ならばゲーム・ブックをやってみるべきだ。

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 このゲーム・ブック作品はあなたの好みに併せて読めるようになっています。つまり全体がひとつの大きなゲーム・ブックになっているのです。文中に選択肢がでてきたらその中から一つを選び指示に従ってください。別に指示どうり読まず、自由に飛ばし読みしてもかまいません。それではAからスタート。

○○○○A 最近密かに大流行 一人遊びの決定版 ゲームブックとは何か

 本屋に行くと「……ゲーム・ブック」と称す本の一群が目につくようになりました。このテの本では読者が主人公となって本の世界へ冒険に旅立ち、ストーリーは読者の選択によって変更ができるように仕組まれています。ある時は怪人と戦い、ある時は友と語りあう。最後に財宝を手に入れることができるであろうか。そうして読み終わり本を閉じるもその余韻は覚めやらず、また次の冒険の旅へと本を渡り歩いていくことになるに違いありません。ゲーム・ブックとは、ゲームと本がひとつになった今までの本になかった楽しみ方のできる、一人あそびの決定版です。なんていうところがこのテの本の売り口上でしょうか。確かに小中学生のみなさんは目の色変えてやっておりますし、密かにオトーサンがやってみても楽しいものは楽しい。しかし小中学生オトーサンにはそのとおりでも、アルバイトニュースを愛読するお兄さんお姉さんにはちと、浮いて見えるのではないか? そこで今回は青少年のためのゲーム・ブックの概要とその遊び方の紹介であります。

 さてゲーム・ブックは2年前の年末こつ然と姿を現わし、この1年間で約140冊を数えるにいたりました。ところが発展途上、玉石混交、状況混乱、どれをどう選べばいいのか分からない状態です。

 ゲーム・ブックがどういうものかよく知らないならBへ。

 それなりに知っているならCへ。

○○○○B 読者自身が主人公になって、自分だけの『物語』が味わえるのである

 ゲーム・ブックは早い話がYES-NOクイズ(よく雑誌についていて、あなたはどのタイプ? なんて質問とYES-N0の矢印にしたがって進んでいくと、おっとりタイプとか、ぽっちゃりタイプとか書いてあってむっとするやつ)を複雑かつ大長編に仕上げたようなものです。本のなかに複数のストーリー展開が用意してあって、それを読者が随所で選択できる仕掛けになっています。主人公になりきった読者が冒険に旅立ち、やがて二叉路にさしかかると、「二つの道のどちらかに行くか? 右なら×ページへ、左なら××ページにその先の展開が用意してあるからお好きな方を」という感じ。こうなると、普通の小説と違って最初から順を追っては読めません。それに先のストーリーが分からないように内容が意識的にバラバラにしてあるわけです。

 ストーリー展開が、本だけではなく読者の好みによって変わっていく。同じ本であり永人によって全く違ったストーリーを楽しめる。天下の大発明だ。とはいっても、そう複雑多岐なストーリー展開をしているわけでなく(大変な量になってしまうし、うんざりものでついていけなくなる)ほとんどの物語が、財宝を手に入れろ、悪を倒せのパターンです。まあ、今までになかった新鮮で奇妙な読書を楽しめるのは間違いありません。

 しかしこんなゲームの説明だけでは食べもののガイドブックみたいで、どうもむなしい。やはり実際にやってみるのが一番です。そんなわけで、ちょっとしたゲームを用意してみました。

 やってみるなら、Cへ。

 その気がないのなら、退屈な日常へ。

○○ゲーム・ブックの特徴

●本だからもちろん一人であそべてしまう。又、ストーリーが一本でないから数段楽しめる(かもしれない)。

●乱丁本である。たとえば下図(編注:J・H・ブレナン『暗黒城の魔術師』)の78と79の文章を小さいでしょうが無理して読むと繋がっていない。78なら文の最後にある63に続きの文章があるということになります。63の文章をどうしても読みたい場合はこの本を買ってください。

●挿絵がかならずある。何故か必ずはいっています。たいがいはペン画ですが、左図の本(編注:『暗黒城の魔術師』)のように鉛筆画や、マンガなどもあります。だからどうだといった意味はありません。

●やたらに指示が多い。左図の一ページだけでも選択せよ、サイコロを振れと注文が多い。サイコロ代わりに本にサイコロの目を印刷してしまっているものも多い。左図(編注:『暗黒城の魔術師』)だと本の左右上隅にある6、3がそれで、こういった数字が全ページに降ってあり、ぱらぱらめくって止ったページの数を使います。

フーゴ・ハル_こんなに楽しい_p4_200.png

C ミニミニ・アドベンチャー・ゲーム劇場「KIOSKの謎」

 やってみるなら1へ行ってさあスタート。そういう気がないのならDへとぶ。

【1】
 北へ向かう一本道を歩いていくと、前方に浮浪者のような老人が倒れている。

 介抱するなら、13へ。
 無視して先を急ぐなら、9へ。

【2】
 やがて二叉路になった。今きた道を含めて三方向に道がのびている。

 東へのびる道を行くなら、6へ。
 西へのびる道を行くなら、23へ。
 南へのびる道を行くなら、5へ。

【3】
 広場にでた。西と北に道がある。はずれの方で紙芝居屋に子供がむらがっている。

 東の方の道を行くなら、6へ。
 北の方の道を行くなら、22へ。
 珍しいから紙芝居をみるなら、24へ。

【4】
 いわくありげな薄暗い肉屋の前にでた。のぞきこむと、奥から気味の悪い男がでてきて、「合い言葉は?」と聞いてくる。

 「下さいな」と答えるなら16。
 「天上天下唯我独尊」と答えるなら、21へ。
 「知りません」と正直に答えるなら、26へ。

【5】
 老人の死体が転がっていて地面にスタートと書かれてある場所にきた。つまり、振り出しである。

 死体を揺さぶってみるなら、31。
 引き返すなら、2へ。

【6】
 また二叉路である。今きた道をいれ三方向に道がある。

 東の方の道を行くなら、4へ。
 北の方の道を行くなら、11へ。
 西の方の道を行くなら、2へ。

【7】
 「国鉄甘木駅」と看板がある駅らしい所についた。しかし改札口はシャッターで閉ざされており貼り紙がしてあるのだった。

 貼り紙を読むなら、15へ。
 引き返すなら、14へ。

【8】
「ほほう、難問をよく解いたねえ。おりこうにはごほうびだ」
 紙芝居屋のおじさんはそういってミルクせんべいをくれるのだった。
「今日はこれでおしまいだよ」

 東の方の道を行くなら、6へ。
 北の方の道を行くなら、22へ。

【9】
 老人には優しくするものである。1に戻って選び直す。

【10】
 魚肉ソーセージを与えると犬はよろこんでふはふは食べ、前足で口をぬぐり終えると「ここ行けワンワン」とマンホールに吠えるのだった。
 マンホールの蓋を開けて17へ。

【11】
 三つの道の交差点。

 西の道を行くなら、14へ。
 南の曲り道を行くなら、22。
 東の曲り道を行くなら、6へ。

【12】
 三つの道の交差点。黒いマスクをかけた男が背を向けてこれ見よがしに立っている。
 
 男に声をかけてみるなら、28。
 北の道を行くなら、27へ。
 南の道を行くなら、23へ。
 東の道を行くなら、22へ。

フーゴ・ハル_こんなに楽しい_p5_200.png

【13】
 老人は紙を押しつけ「わしはもうだめだ。宝はここにある。あとはたのむ。がくっ」と、ことわるまでもなく死んでしまった。紙には「KIOSK」とだけ書かれてある。2へ。

【14】
 三つの道の交差点。

 北の道を行くなら、7へ。
 南の道を行くなら、22へ。
 東の道を行くなら、11へ。

【15】
「定休日」。7へ戻る。

【16】
 肉屋のおやじがにやりとした。「ここんとこ、取締りがきつくてね」奥の棚をごそごそしていたが「ほーれ、こんな上物めったに手に入るもんじゃねえんだ」と目の前に魚肉ソーセージをぶらさげてみせるのだった。「ところでミルクせんべいは持ってるんだろうな?」

 持っていたら、19へ。
 持っていなければ、6へもどる。

【17】
 薄暗い下水道が北の方にまっすぐにのびている。しばらく行くと、二又に分かれた。
 北に行くなら、20へ。
 西に行くなら、18へ。

【18】
 行きどまりに骸骨化した死体がある。壁に「食料も底をついた。もうだめだ。KIOSKはいずこ--昭和9年吉日、山田太郎」とある。

 ぞっとして17へ引きかえす。

【19】
 「よしよし」ソーセージを受け取って、6へ引きかえす。

【20】
 なにか臭い匂いがするぞ。梯子があって上に登れそうだ。

 25へ。

【21】
「お前、サツのまわし者だな? 帰ってくれ!」

6へもどる。

【22】
四つ角。中央のマンホールの上に犬が座っている。

肉の類いを持っているなら10。
東の曲り道を行くなら、11。
西の道を行くなら、12へ。
南の道を行くなら、3へ。
北の道を行くなら、14へ。

【23】
道はカーブして北から南を向くようになり、やがて小高い丘にでた。危なげな物見櫓がある。

のぼってみるなら、29へ。
北に行くなら、13へ。
南に行くなら、2へ。

【24】
 クイズの時間らしく、紙芝居には数字が書かれているのだった。
「この問題が解けるかね」
 11-3+1-9+8=?

 答えの数のセクションへ。

【25】
 出た所は公衆便所のマンホールであった。外にでると、どうやら駅の構内らしい。トイレをでると二又だ。

 西に行くなら、30へ。
 東に行くなら、32へ。

【26】
「うちは会員制なんだ」と追い出されてしまった。

 6へ引き返す。

【27】
 行きどまり。つきあたりの壁に「皆様のKIOSKは駅の中」と訳のわからない広告看板がかかっている。12へもどれ。

【28】
 声をかけると男は「いいもんがあるんですがねえ、イッヒッヒ」と卑屈に笑いながら、「犬を東、それから南、ついでに東へ折れた所に家がありやすからそこで“くださいな”と言うんですぜ」別に従うこともないが覚えとこう。

 12へもどる。

【29】
 下の道には仔犬、紙芝居、駅などが見える。

 おりて、23へもどる。

【30】
 シャッターの降りている改札口に出た、ひきかえせ。25へ。

【31】
 がくがくがくがくがくがくがくがくがくがくがくがくがく。気が済んだら2へひきかえせ。

【32】
プラットホームの上にでた。中央にさびれた売店があり、KIOSKの看板。やったぞ、宝はこの中だ。33へ。

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【33】
 KIOSKの売店の中には一冊の雑誌があった。雑誌には『アルバイトニュース』とかいてある。ええと……ゲーム・ブック特集だって? ちょっと読んでみよう。Aにもどる。

○○○○D 失敗しないゲーム・ブックの選び方

●すでにゲームは本選びから始まっている。

○○第1チェック 上面を調べる

 ゲーム・ブックには必ずロールプレイング、シミュレーション、アドベンチャー、などの名称がついているものです。しかし目くそ鼻くそを笑うのたぐいで決定的な違いがあるわけじゃない。ロール・プレイングとついていたらサイコロを使い(偶然性を加えるために使うのです)ゲームのやり方がやや複雑です、しかしストーリーが複雑とは限りません。

 ゲーム的にはこれだけ知っていれば充分。世間的にはロールプレイングの方が本格的といわれているようです。ちょいとむずかしそうな奴にトライしたい方はどうぞ。

○○第2チェック ぱらぱらめくってみる

 めくってみて、END、完、終などの単語がやた目立つものは、本筋から外れた選択をするとすぐに終わり・やり直しになっていて、内容的にうすっぺらで、まだるっこしいだけ。またさし絵がチャチだったりしたらその内容も、ま、おして知るべしでしょうね。

○○第3チェック 冒頭を少し読んでみる

 例えば、遊び方の解説で「シューティングダイスに2ポイント、プラスした結果がLESS4ならドロップする」なんてことがでてきたら、これはつまり「サイコロを振って出た目に2足した数が4以下だったらダメ」ってことにすぎないのだけれど、こんな表現をしたら箔がつくとでも思ってるのか、この手のしちめんどうな言いまわしを、誇らしげに使ってる本がある。内容に自信がない証拠と思って間違いなさそうですね。

○○第4チェック ゲーム少年隊に注目する

 ときに、書店のゲーム・ブックのコーナーにたむろし、かたっぱしから「コレダメ、インチキ、ツマラナイヤ」と大声で品定めし、やがてさっさと消えてしまう少年の一団を見かけることがあります。彼らの意見は、連日のゲーム・ブックできたえてますから、なかなかシビア。本の巻末についている解説文(ゲームに解説文なんているんでしょうかね)などよりはるかに実践的でためになります。目撃する機会があったら聞き耳立てて、できればおうかがいをたててみるといい。

○○最終手段 困った時の神頼み

 それでも決められない場合は、神頼みです。平積みの本の上に10円玉を乗せ、「コックリさんコックリさん、一等おもしろい本を教えてください」ととなえながら、指の動くにまかせます。ぴたっと止まった本があればそれでよし。だめな場合は次のチャンスに期待します。

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■再掲にあたって

 諸事情により、再掲にあたっては一部をカットさせていただいたことをお断りいたします。

 また、本稿は初出時、奥谷春雨名義で発表がなされたことを書き添えておきます。

 加えまして、本稿末尾においては、既存のゲーム・ブックには物足りない読者へ向けて、「ゲーム・ブック的要素を持つ本」として、下記の3作品が紹介されましたことをお知らせいたします(カッコ内の説明文は、キャプションとして添えられたものの引用です)。

・L・ニーヴン&S・バーンズ『ドリーム・パーク』
(ゲームブック的娯楽設備をテーマにしたSF)

・コルターサル『石蹴り遊び』
(選択肢を使ったラテンアメリカ産の実験小説)

・ミシェル・ビュトール『時間割』

 なお現在、『時間割』は、河出文庫で復刊されております。『ドリーム・パーク』と『石蹴り遊び』は入手が難しくなっていますが、図書館や古書店等でアクセスしてみていただけましたら幸いです。(岡和田晃)
時間割 (河出文庫) [文庫] / ミシェル・ビュトール (著); 清水 徹 (翻訳); 河出書房新社 (刊)
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フーゴ・ハル(HUGO HALL)

 国籍は本人にも不明。ゲームブック制作に初期から従事、成り行きで様々な名前を用い、挿し絵、ゲームデザイン、執筆をこなす。主な作品としては『シャーロック・ホームズ10の怪事件』(編集スタッフとして日本シャーロック・ホームズ大賞受賞)、『アドベンチャーゲームブック・グーニーズ』、『魔城の迷宮』(すべて二見書房)など。また『グレイルクエストシリーズ』、『ドラキュラ城の血闘』(共に創土社)などで挿し絵を担当している。会話型RPG『迷宮キングダム』にもしばしば挿絵で参加。「Role&Roll」Vol.79(アークライト/新紀元社)より、懸賞付きパズルエッセイ「ドナドナ鍋」を連載中。

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■第2部:【コラム】古くて新しい「ブックゲーム」の冒険

 続いて、岡和田晃によるフーゴ・ハルさまのゲームブック作品について論じたコラムをご紹介いたします。

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「ブックゲーム」の冒険――フーゴ・ハル論序説

 岡和田晃

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 かつてゲームブックは、1980年代を代表する新文化の一つとして広く認識されてきた。
再録記事「こんなに楽しいゲームブックの世界」のように、アルバイト情報誌においてゲームブックに関する記事が掲載されたことからみても、当時はゲームブックという形式が社会に大きなインパクトを与えていたことがわかるだろう。

 ゲームブックには、今まであまりゲームに馴染んでこなかった方々へゲーム的な思考法の醍醐味を知ってもらえるという、「本」の形式を活かした独特の強みがあり、あるいは「本」という形式と「ゲーム」の持つ双方向性をハイブリッドすることで、まったく新たな表現が生まれるという楽しみもある。

 そもそもモダニズムを経由した20世紀文学は、さまざまな方法的な実験を為してきている。「こんなに楽しいゲームブックの世界」でフーゴ・ハルが取り上げた『時間割』は、「ヌーヴォー・ロマン」と呼ばれる革新的な文学作品群の代表作として知られている。また『石蹴り遊び』など、ラテンアメリカ文学の興隆は、「ヌーヴォー・ロマン」を始めとした実験文学の影響を強く受けたものであるといえよう。
特に、モダニズムによって屋台骨が形づくられたミステリの分野では、殺人事件の現場に遺された手がかりを読者が実際に手にして捜査が可能なデニス・ホイートリーの『マイアミ沖殺人事件』に見られるように、ゲームブック的な方法論の可能性が模索されてきた。「こんなに楽しいゲームブックの世界」が発表されたまさにその年、日本推理作家協会の編纂になる『1986年版 推理小説年鑑 推理小説代表作品選集』所収の「推理小説・一九八五」(二上洋一)内において、ゲームブックが評論の対象となっている。この場を借りて紹介してみたい。

 さて、1985年のミステリー界の状況である。
 推理小説のジャンルが拡がったことは、既にここ数年いわれ続けてきたことである。また、推理小説がブームの形で定着し、出版点数の増加と、大衆小説誌の柱として認められることになってからも久しい。この状況は、この年も続いた。
 しかし、読者の側には、気になる変化が生まれ始めた。
 まず、アドヴェンチャー・ゲームブックである。
 年少読者をターゲットにしたものは、冒険活劇や、ファンタジー風の物語が多く、問題にはならないかも知れないが、謎解きゲームブックの「シャーロックホームズ10の怪事件」となると、そう簡単なものではない。
ロンドンの地図やら、住所録があり、実際に事件の現場に立ち合い、真相を推理していく過程は、ストーリー作りに読者も参加しているという満足感を味わわせてくれるものである。
 ついで、パソコン、ファミコンのアドヴェンチャー・ゲームである。「ポートピア連続殺人事件」などは、思考錯誤(原文ママ)をくり返しながら、意外な犯人に辿りつくという、ミステリーの本道に近い作品である。
 アドヴェンチャー・ゲームは、今のところ少年達の間の流行にとどまっているが、ファミコンのハードが六百万台を越えたといわれる現在、推理小説の市場に乱入してくる可能性が皆無とはいえない。
 質のよいアドヴェンチャー・ゲームが出ることによって、推理小説もまた、良質のものが生み出されれば、それに過ぎることはないのだが、変質を強いられたりすると、問題は小さくないと思われる。1986年の重大な課題であろう。

(『1986年版 推理小説年鑑 推理小説代表作品選集』(日本推理作家協会編、講談社、一九八六年、四〇二~四〇三頁))

 お気づきの方もいるだろうが、本文で評価されている『シャーロック・ホームズ10の怪事件』は、フーゴ・ハル氏が編集スタッフとして大きく関わった作品だ。ドイツ・ゲーム大賞(Spiel des Jahres)およびオリジンズ・アワードを受賞したボックス入りの原作ゲームを書籍形式とし、日本シャーロック・ホームズ大賞を受賞したことで知られる本作は、ロンドンの地図・新聞・住所録などの情報を駆使して読者がホームズその人と知恵比べが可能なギミック、ヴィクトリア朝イングランドの文化風俗を雰囲気たっぷりに再現したこともあり、ミステリの伝統においては『マイアミ沖殺人事件』の系統に属する作品と見ることができる。

 2011年現在、ミステリ作家がプロットを手がけたり、あるいは読者に推理を行なわせたりするゲームは、もはや珍しいものではなくなった。その意味で、ゲームは確実に推理小説を変質させているともいえるかもしれない。ゲームブック的な双方向性の原理がミステリに与える影響はますます大きくなり、1980年代よりもミステリと「ゲーム」の関わりは深まっている。しかしながら、80年代に書かれたミステリ・ゲームブックの傑作群――山口雅也の『13人目の探偵士』、岡嶋二人の『ツァラトゥストラの翼』など――のように、「本」という形式のうえでミステリとゲームを高いレベルで融合させた作品は、2012年1月現在、ほとんど見ないのもまた現実である。

 門倉直人は、「アナログゲームは、その統合感覚的で曖昧模糊とした(現状のデジタルとは全く異質な)強みをもっています。その人の心における非言語な影響力は計り知れません。とっても深いメディアです。」と述べたが(http://analoggamestudies.seesaa.net/article/171968188.html)、紙の本よりもデジタル・メディアでのゲームが低コストで制作できてしまうとも言われる現状において、ゲームブックのあり方を考えるためには、「本」であることの「曖昧模糊とした」意味が、改めて重要性を帯びてくるだろう。

 ゲームブック界のパイオニアであるフーゴ・ハルは、この「本であること」の意義について、最も深い実践的考察を重ねてきたゲームデザイナーの一人だ。
 ゲームブックを語るうえで「本であるべきか、それともゲームであるべきか」という問いかけは、時として「卵が先か、鶏が先か」という虚しい問いにもつながりかねない危険なものである。
 しかしながら、World Wide Webが私たちの生活の隅々にまで浸透し、電子書籍の可能性が積極的に模索されるようになった昨今、ゲームブックの根幹である「本であること」の意義を、改めて考え直す好機でもあるのではないか。

 それゆえ、いまいちどフーゴ・ハルの作品に向き合う必要がある。むろん思いつく限りでも、フーゴ・ハルはさまざまな顔を有した書き手だ。日本のアナログゲーム界を、その草創期から支え続けてきたこの「巨人」の活躍は、とても一言で語れるようなものではない。しかしながら、ゲームブックを語るうえで、フーゴ・ハルの固有名を外せないのもまた事実である。あらゆるゲームブック作家のなかで、おそらくフーゴ・ハルこそが、最も「本」であることにこだわったデザインを続けてきたからだ。

 フーゴ・ハル。ダダイズムの芸術家フーゴ・バルに由来する名を持つ、「国籍不詳」の謎の作家。ハリー・リンド、奥谷春雨・奥谷晴彦・奥谷道草などの多様な名義を駆使し、日々「暗躍」を続けている。
 現在、フーゴ・ハルを知る者の多くは、J・H・ブレナンの人気ゲームブックシリーズ『グレイル・クエスト』(『ドラゴン・ファンタジー』)シリーズを彩ったゴシック風の挿絵を通して彼の作品と出会ったのではないかと思う。その『グレイル・クエスト』シリーズや『ドラキュラ城の血闘』などのゲームブック作品は、近年創土社から復刊されている。フーゴ・ハルによる、美麗な表紙画も大きな魅力だ。
暗黒城の魔術師―グレイルクエスト〈01〉 (Adventure Game Novel) [単行本] / ハービー ブレナン (著); J.H. Brennan (原著); 真崎 義博, フーゴ・ハル (翻訳); 創土社 (刊)ドラゴンの洞窟―グレイルクエスト〈02〉 (Adventure Game Novel―グレイルクエスト) [単行本] / ハービー ブレナン (著); フーゴ ハル (監修); J.H. Brennan, Hugo Hall (原著); 日向 禅 (翻訳); 創土社 (刊)魔界の地下迷宮―グレイルクエスト〈03〉 (Adventure Game Novel―グレイルクエスト) [単行本] / ハービー ブレナン (著); J.H. Brennan (原著); 日向 禅, フーゴハル (翻訳); 創土社 (刊)七つの奇怪群島―グレイルクエスト〈04〉 (Adventure Game Novel グレイルクエスト 4) [単行本] / J.ハービー ブレナン (著); J.H. Brennan, Hugo Hall (原著); 日向 禅, フーゴ ハル (翻訳); 創土社 (刊)ドラキュラ城の血闘 (ADVENTURE GAME NOVEL) [単行本] / ハービー・ブレナン (著); 高橋 聡, フーゴ・ハル (翻訳); 創土社 (刊)

 その他ゲームブック関連では、編集スタッフとして関わった『シャーロック・ホームズ10の怪事件』、『シャーロック・ホームズ 呪われた館』、『シャーロック・ホームズ 死者からの館』などのホームズ・シリーズ(二見書房)、映画とは一味違ったオリジナル・ストーリーでありながら、ゲームブックのあらゆる技巧を駆使し、巻末にはボードゲームまでつけてしまったという『グーニーズ』(二見書房)が知られているが、なんといっても奇書『魔城の迷宮』(二見文庫)は忘れがたい。
 パズル作家としては奥谷晴彦名義を用い、「テレビ・ブロス」誌(九州版、東京ニュース通信社)や「お絵かきパズルランド」誌(白夜書房)での連載、『マジカル3Dパズル――奇想天外150問』(奥谷道草名義、二見文庫)といった作品群を残している。また、パズルという領域にはとらわれないユニークな文業として、「R・P・G」誌(国際通信社)で連載していた、パラグラフ・ジャンプ式の小説ともいうべき「フーゴ・ハルの虚しい口」が印象深い。『迷宮キングダム』のサプリメント「迷宮クロニクル」Vol.7(イエローサブマリン)では(『魔城の迷宮』の後日譚にあたる)小説「ルドスの末裔」といった仕事をなしている。最近では、「Role&Roll」誌(アークライト/新紀元社)で連載中のパズル・エッセイ「ドナドナ鍋」が好評を集めているが、その設問の奇抜さは一見の価値ありだ。
 ボードゲーム作家としてはホビーベース・イエローサブマリンのレーベル「Yellow Hall Collection」にて『hydra』『たぶらか』『POTATOでチョ!』『ALL THE KING’S MEN』『バロンポテトの晩餐会』といった作品を発表。近年では、建築士と『大聖堂』を、金融ウーマンと『シャーク』をといったように、その道の専門家と関係したボードゲームをプレイする「等身大のゲーム」というコラムを「GAME LINK」誌(アークライト)で連載している。
 また、いわば「プロの散歩者」として各種コラムを寄稿。近年は「散歩の達人」誌(交通新聞社)に「グルメの迷宮」を連載している。

 このようにフーゴ・ハルの活動を概観してみたが(*)、やはり近年のフーゴ・ハルの仕事のうち、ゲームブック作家としての個性が最も意欲的な形で表出されているのは『モービィ・リップからの脱出』、『虹河の大冒険』の2冊(ともに新紀元社)に尽きるだろう。これらは、会話型RPG(TRPG)『迷宮キングダム』の世界観をベースにしているため、『迷宮キングダム』の入門用としても活用することが可能だ。しかし単にRPGをゲームブックに落としたものとは異なり、『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』は新たな試みが多数、盛り込まれている。つまり「ゲームブック」ならぬ「ブックゲーム」として、通常のゲームブックよりも「本」であることに、より重きを置いたつくりになっているのだ。
 これらの作品は、それぞれ独立したアドベンチャーとして楽しむことができるものの、ある程度共通した設計思想、ひとつのシリーズとしてみてもかまわないような仕組みを持っている。そこで、『モービィ・リップからの脱出』や、刊行されたばかりの『虹河の大冒険』の特徴を詳しく見ていきたい。
迷宮キングダム ブックゲーム モービィ・リップからの脱出 (Role&Roll Books) [新書] / フーゴ・ハル (著); 河嶋陶一朗, 冒険企画局 (監修); 新紀元社 (刊)迷宮キングダム ブックゲーム 虹河の大冒険 (Role&Roll Books) [新書] / フーゴ・ハル (著); 河嶋 陶一朗, 冒険企画局 (監修); 新紀元社 (刊)

▼『モービィ・リップからの脱出』『虹河の大冒険』の特徴

●1:表紙から冒険は始まっている!

『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』の表紙には……。

・どんな冒険が待ち受けているのか慎重に調べてみる→25ページの一四へ
・とりあえず大冒険しちゃった事にして済ませておく→254ページの二三〇へ

 という選択肢が示されている(引用は『虹河の大冒険』より)。思わぬ不意打ちに、読者はあっと驚くことだろうが、何よりも素晴しいのは、この本が間違いなく「ゲームブック」であると、表紙の段階から全力で主張していることだ。表紙の段階からすでに「ゲーム」になっていることは、「本を手にとって開く」というプロセスに、一種の魔力を付与している。仕掛け絵本のようなワクワク感も備わっている。また、主人公が「君であって君ではない」ギミックも秀逸。

●2:「本」とゲームシステムが一体化

『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』は、サイコロやキャラクターシートを使用しない。ゲームシステムやツールと「本」そのものが一体化しているからだ。これまでのゲームブックの多くは、シートやサイコロを使って数値管理や判定を行なうものが大半だった。しかし『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』では、アイテムが手に入ったり仲間が増えたりすることによるステータスの変動は、該当のページに折り目を付けることで処理を行なう。
 もちろんゲームブックらしく戦闘も用意されているが、基本的に読者がある数字を思い浮かべ、それによって戦闘結果が変動するようになっているので、サイコロは使用せずに済む。さらに言えば、この戦闘法ならではの「コツ」も用意されている!
 肝心のヒット・ポイント管理は、該当する数値の箇所にしおりを差し挟むことで処理をするので参照も簡単、煩雑さはまったくない。何よりこのシステムには、仕掛け絵本とゲームが融合したような面白さがある。そのうえで、通勤電車などの移動中に『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』をプレイすることも可能なのだ! 筆者はこれまで、ゲームブックを遊ぶ際には机に方眼紙とパラグラフ経過をメモする紙とサイコロを用意し、「遊ぶぞ!」と念を入れてからプレイしていたが、これならより気軽にゲームブックに親しむことができる。

●3:パラグラフとマップの融合

『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』は、パラグラフ数では『モービィ・リップからの脱出』が270、『虹河の大冒険』が230パラグラフとなっている。ゲームブックの代表的シリーズである『ファイティング・ファンタジー』シリーズが平均400パラグラフで構成されているところからみると、やや物足りなく思われる向きもあるかもしれない。しかしながら、『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』は縦長の新書サイズ(256ページ)という様式を活かし、紙面を上下に分割することで、パラグラフ数から考えると信じられないほどの奥行きをもたらすことに成功している。

『モービィ・リップからの脱出』では白鯨の体内から脱出する過程が、『虹河の大冒険』では小鬼たちを襲った脅威の原因を探るため虹河を遡って源流へと向かう過程が、それぞれマップとして提示されている。ゲームブックにおけるダンジョン探索や野外探検は、読者が方眼紙などを片手にマッピングを行なうことが前提とされている作品が大半だ。しかし『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』では、本文上部に舞台のマップが迷路を描いた絵本のような形で提示され、それを辿ることで冒険を進めていくことで、マッピングの手間が省かれている。かといってただの迷路絵本のように地図を辿って終わりというわけではなく、イベントの発生する箇所が指定され、そこから特定のパラグラフへジャンプすることで、マップとパラグラフ選択がうまくドッキングされているのだ。さらに、迷路がページ単位で細分化されているのを利用して、時折前のページのマップに戻ろうとすると、別ページに戻されてしまい、道筋が変化するという仕掛けまでもが施されている。

『モービィ・リップからの脱出』では、迷路が白鯨の体内であるため、身体の各部位に関係したイベントが設定されている。さらには、途中でワープゾーンを駆使したマップがすら用意されている。『虹河の大冒険』では、7色よりなる「虹河」が舞台となっているため、オレンジ・黄色・緑……。と、河の色が移り変わるごとに、雰囲気の異なる7種類の世界を冒険することが可能だ。こうした工夫によってマッピングの手間が省かれるとともに、迷路絵本とパラグラフ・ジャンプが合体した新感覚の読書体験を得ることができる。『虹色の大冒険』にいたっては、より手軽に冒険ができるようにと「休憩セクション」が設けられている。これも、単なるセーヴ・ポイントではわけではなく、きちんと物語世界に関係した仕掛けが施されている。

●4:洗練された贅沢なユーモア

「ピップ、ピップ、ピップ!」という呼びかけでお馴染みの『グレイル・クエスト』(『ドラゴン・ファンタジー』)をお読みの方なら、そのモンティ・パイソン流ともいうべき、英国風ユーモアのセンスに脱帽したことだろう。このアイリッシュ・モルトのようなユーモアは、グレイル・クエストの作者であるJ・H・ブレナンのみならず、挿絵と翻訳作業にたずさわったフーゴ・ハルも多分に持ち合わせているものであり、『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』でも顕在だ。監修と解説を担当した河嶋陶一朗曰く「脱力系ギャグ」。だが、ボケのセンスは一級品で、読み手をやるせない気分へ誘ったり、煙に巻いたりするのはまだまだ序の口。ユーモアの中に、こっそり冒険のヒントを入れ込んだりもするのだから油断できない。

 まだフーゴ・ハルのユーモアへ触れたことがない方へ、私が好きなユーモアを一つ挙げるとしたら、やはり『モービィ・リップからの脱出』のパラグラフ「一」になるだろうか。なんとなく『不思議の国のアリス』の冒頭部を思わせるこの「超展開」、ゲームブックならではの「振り回されている感」が堪能できるのだ。単にユーモアが羅列されているのではなく、このユーモアは世界観やゲーム・システムとの関わりを持つことで、「本」のページを繰る喜びをいっそう増幅させてくれる仕掛けになっている。かつて刊行されたゲームブックの中には、「読み物」としての意識が低い作品も少なくなかったが、『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』は、何よりもまず「読み物」としてのサービス性精神に溢れた書物となっているのだ。

●5:間テクスト性

 文芸批評の概念に「間テクスト性」というものがある。もともと批評家のジュリア・クリステヴァが提唱したこの概念には、さまざまな解釈が寄せられてきた。だが、ごく簡単に私見を述べれば「あるテクスト、すなわち『本』は、それ自体が単独で存在しているわけではない」というのがその要諦であろう。
 しかるべき文脈の内に置かれてはじめて、テクストは存在することを許される。あらゆるテクストは、何かしら別のテクストの影響下にあり、濃密な関連性を有している。その関連性を解きほぐし、読書の快楽を増幅させるために用いられるのが「間テクスト性」という用語だったのではないかと思うのだ。
 たとえば『アルテウスの復讐』『ミノス王の宮廷』『冒険者の帰還』の「ギリシア神話アドベンチャーゲーム三部作」は、ホメロスの『オデュッセイア』などの叙事詩や悲劇と密接な連関性を持ち、とりわけ『冒険者の帰還』においては、『オデュッセイア』の読み替えともいうべき、驚くべき離れ業を見せていた。これらの作品で描かれていた事象が、神話や叙事詩といかなる関係を有していたのかを踏み込んで考えるためには、「間テクスト性」にまつわる言説が役に立つだろう。

 そもそも背景世界として採用された『迷宮キングダム』自体が、映画やゲームなどのパロディやオマージュが豊富に盛り込まれた作品ということもあり、『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』にも、いかなる「間テクスト性」があるのかと、読者の分析欲を誘発させるような小ネタがたっぷりと盛り込まれている。
膨大な量になるので『虹河の大冒険』に限ってみれば……。

 ・〈バナナフィッシュ号〉→サリンジャーの短編小説「バナナフィッシュにうってつけの日々」より。
・デパート・デ・ニトロ王→『タクシードライバー』などで知られるアメリカの俳優ロバート・デ・ニーロより。
・「荷馬車に乗った」ガイラと「冬の海辺で岩投げる」サンダ→映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』より。
・青い河一帯に暮らすスキアポデス人→プリニウスの『博物誌』に登場する一本足人より。
・「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者よ!」→シェイクスピアの戯曲『マクベス』第5幕5場の台詞より。

 ……などなど、盛りだくさんだ。よかったらどれだけのネタがあるか、探してみてほしい。
 もちろん、これらは単なるもじりであって、あまり鹿爪らしく分析するほど御大層なものではないかもしれない。しかし、仮にもじりに終わるものだとしても、単なるもじりのレベルに留まらない可能性は、常に残されているのではなかろうか。『モービィ・リップからの脱出』というタイトルは、ハーマン・メルヴィルの『白鯨(モービィ・ディック)』が下敷きになっている。『白鯨』は、近代文学最大の謎の一つとして、時代とともにさまざまな解釈を読む者に与えてきた。冒険の舞台たる白鯨からの脱出ルートはいくつか残されているが、そのことの意味を、少し考えてみてはいかがだろうか。『モービィ・リップからの脱出』のラスト付近で、読者はエイブルハム船長の秘密に直面した読者は、タイトルに絡められた「ひっかけ」の悲哀を感じとることだろう。
 また、『虹河の大冒険』のクライマックスでは、読者は狂気の画家「ヒューゴ・ヘル」と対峙することになる。「ヒューゴ・ヘル」は、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』のモチーフにしたと思しき地獄絵『ヘルニカ』を、おぞましいやり方で描き上げていた。憎悪に満ちた『ヘルニカ』を退けるため、読者は通常の読書にあたっては、まず行なうことのない大掛かりな操作を「本」そのものに加えねばならないのだ……。その後、『ヘルニカ』が本来どのような絵画であったのかを知った時、読者は「サクーシャ神」の意図を知り、にっこりと微笑むことになるだろう。

 ところで、ここでいったん、フーゴ・ハルの代表作『魔城の迷宮』へ目を向けてみよう。
『魔城の迷宮』は、14世紀アラブの商人ハーマン・オクトーネの旅行記『東方の神秘』に記されていたという、タクラマカン砂漠に聳え立つ壮大な都市「ルドス」の姿を――数百枚ものペン画を費やし――見事「本という形のゲーム」という様式にて現前させたものだった。
 なぜ、このような様式が必要だったのか。「信濃毎日新聞」1989年4月12日号に、『魔城の迷宮』についての書評が掲載されている。評者の近藤功司は『魔城の迷宮』を文芸的なストーリー・ゲームとしてとらえ、「魅力的なストーリーを用意し、それを表現・演出するためにゲームを使ったもの」と論じている。つまり近藤功司は「ブックゲーム」の狙いを、鋭く見抜いていたのだ。
 20世紀イタリアの作家イタロ・カルヴィーノに、マルコ・ポーロがフビライ・ハンに架空の都市について話して聞かせる『見えない都市』という小説作品がある。文芸的なストーリーゲームとしては、『魔城の迷宮』は、『見えない都市』のヴィジュアル化ともいうべき作品になるだろうが、それに留まらない魅力と遊び心を兼ね備えている。『魔城の迷宮』の舞台である架空都市「ルドス」は、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』に登場する遊びの分類(ルドゥース、努力や技倆によって目標へ到達する遊び)に由来しているが、これほど迷宮を彷徨う愉悦を端的に表した言葉もないだろう。カルヴィーノの達成を下敷きにしつつ、ゲームならではの眩惑的スタイルをもって「架空の都市」を描出すること。それが『魔城の迷宮』という「テクストの冒険」なのかもしれない。
そして『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』もまた――『魔城の迷宮』の系譜に連なる――めくるめく書物(テクスト)の迷宮へ誘う「間テクスト性」に満ちた作品であるのは間違いない。冒険を楽しんだ後は、作中に出てきた別の本を紐解き、さらなる「テクストの冒険」に乗り出すというのはいかがだろう?
迷宮キングダム ブックゲーム モービィ・リップからの脱出 (Role&Roll Books) [新書] / フーゴ・ハル (著); 河嶋陶一朗, 冒険企画局 (監修); 新紀元社 (刊)迷宮キングダム ブックゲーム 虹河の大冒険 (Role&Roll Books) [新書] / フーゴ・ハル (著); 河嶋 陶一朗, 冒険企画局 (監修); 新紀元社 (刊)

●終わりに

 以上、最新型のゲームブックとして『モービィ・リップからの脱出』および『虹河の大冒険』の特色、すなわち「ブックゲーム」の新しさを簡単ながら紹介してきた。
 アナログゲームは、デジタルゲームのように目に見えるインターフェースの進歩が見られないため、どのように進歩しているのかが見えづらい。ルドロジー(ゲーム学)的な考え方では、まず、パズルとゲームを区分するが、フーゴ・ハルの試みを「ゲーム」という双方向性を基軸とした観点で考えれば、彼が行なってきた試行錯誤は、「本」と読者の新鮮で幸福な関係を模索するものだったといえるのではないか。
 ぜひ、『モービィ・リップからの脱出』や『虹河の大冒険』に触れ、ゲームブックのニューウェーヴを体感していただきたい。それとともに「本」と「ゲーム」のよりよい関係について、いまいちど、考えを巡らせていただけたら幸甚だ。

 近年、ショーン・タンの『アライバル』や、リンド・ウォードの『狂人の太鼓』などの“文字のない絵本”が注目を集めている。これらの“文字のない絵本”はもまた、フーゴ・ハルのいう「ブックゲーム」、すなわち古くて新しい「ゲームブック」の範疇に含まれるだろう。フーゴ・ハルには『羊とともに眠る本』(ブライアン・ログウッド名義、二見書房)という共同制作作品もあるのだが、日本におけるアナログゲームの黎明期から「ゲームブックとは何か」を一貫して実践的に考えぬいてきたフーゴ・ハルは、常に「ゲームブック」の原理を見つめ、その数歩先を幻視していたのではなかろうか。
 ミステリ作家の泡坂妻夫は記述内容と「本」そのものが同時に入れ子構造を為している『しあわせの書』、袋とじを閉じたままで読むと短編として読め、袋とじを開くと長篇が現前する『生者と死者』など、超絶技巧を駆使して「読書行為」そのものを思考実験とした。実際、国産ミステリの文脈においてフーゴ・ハルの仕事は、泡坂妻夫作品の流れで読み直すことも可能であろう。
 今後もAnalog Game Studiesでは、フーゴ・ハルの仕事を紹介していきながら、ゲームと文学のよりよい関係について、考えを深めていきたいと考えている。ご期待いただきたい。「本」があり、それを読む者がいる限り、ゲームブック作家・フーゴ・ハルの冒険は終わらないのだ。
最後に、フーゴ・ハル氏から今回の特集にあたって、コメントをいただいたのでご紹介し、締めの言葉に替えさせていただこう。

 ささやかな実験読書的な快楽を忍ばせた自作ゲームブックの数々が、何らかの意義を持ち得るとすれば、それは、作者に帰因する以上に、フーゴ・ハルを再発見したAGSの諸氏、および我が国のゲーム文化の熟成に負う所が大きい。
時代と、時代の招いた思慮深い遊び手たちに感謝する次第である。――HUGO HALL

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(*)むろんフーゴ・ハル氏の仕事の幅は、この範囲に留まらない。詳しくは氏のホームページの「プロフィール」を参照。その驚くべき経歴の一端を知ることができる。

※『マイアミ沖殺人事件』をご教示いただいたミステリ作家・評論家・翻訳家の小森健太朗さま、そして「推理小説・一九八五」についてご教示いただいた渡邊利道さま(第7回日本SF評論賞優秀賞)に、この場を借りて感謝します。

※2011/01/16 一部修正、および再修正(読者からのご指摘をいただきました、感謝します)。

グンドの物語

Analog Game Studiesをご覧の皆さまに、すてきなお年玉をお届けいたします。

幻想世界ユルセルーム(もの語り遊戯/会話型RPG(TRPG)『ローズ・トゥ・ロード』の背景世界)を舞台にした散文「グンドの物語」の再録でございます。
著者である門倉直人さまの許可をいただき、初出よりおよそ20年の時を経まして、Analog Game Studiesのブログ上に再掲させていただくことが可能になりました。

「グンドの物語」は“静かの公”グンド・べレドール、つまりユルセルーム世界最大の英雄の一人を中心とした散文です。
本稿ではその生涯が蠱惑的な文体によって読者の前に提示されており、日本の幻想文学、あるいはヒロイック・ファンタジー史における、重要な位置を与えられてしかるべき作品でしょう。とりわけ、ヒロイック・ファンタジーにおける「文体」、そして幻想文学における「相互干渉性(インタラクティヴィティ)」の問題について、思考の材料を提示してくれていると思います。
加えて、トールキンやル=グィンを思わせるいわゆるハイ・ファンタジーをベースにしながらも、日本語による詩歌文学の伝統の味わいもある独得の世界観は新鮮な驚きを提示してくれることと思いますので、RPGをご存じない方もぜひご覧下さい。

今回公開される「グンドの物語」は、もともと『ローズ・トゥ・ロード』(2010年版、通称『Wローズ』)の前身の一つである『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』のバリアント『変異混成術師の夜』に収録されておりました。
日本最初の職業的ゲームデザイナー鈴木銀一郎さま曰く「文章は散文だけど、あの作品は詩」(「R・P・G」1号、国際通信社、P.146)。
ほか、数々の目利きに高い評価を受けながらも、残念ながら長きにわたって参照困難な時期が続いていた伝説の散文がAnalog Game Studies上で再公開されます。
そのまま優れた幻想文学として味読することも、『ローズ・トゥ・ロード』、ひいては他のファンタジーRPGのシナリオソースやイメージソースとして活用することも可能な「グンドの物語」を、新しい年を迎えた皆さまへの祝福として、ぜひともご堪能いただけましたら幸いです。

なお今回、Analog Game Studiesに再録するにあたって、『変異混成術師の夜』に収録されたバージョンから、門倉さまにご監修いただいたうえで細部の表記や「てにをは」等を修正し、また文献学上生じた疑問点を門倉直人さまに問い合わせ、そのご回答を踏まえた編註(*)を示してあります。読解の補助にご活用下さい。

また、作中に登場する地名・神格名等についてご不明な点をお持ちの方は、『ローズ・トゥ・ロード』や各種参考資料をご覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

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グンドの物語
門倉直人(『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』バリアント『変異混成術師の夜』(遊演体)初出、2011年1月改訂)

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グンドはストラディウム(*1)大公“マレストル・ぺレドール”と「黒髪の」“カンナ・ミュール”のあいだにもうけられた男子である。誕生のさい、まったく泣き声をあげず目をつむったまま身じろぎもせずにいたことから、死産と間違えられた。十三になるまで一言も喋らず、痩せこけてもの思いにふけるかのようにじっとしていることが多かったため「静の君」とあだ名される。しかしながらグンドは非常に賢く、人の話しも早くから理解していた。故に、老大公マレストルはいつも残念がっていたという。老大公の嫡子はグンドただ一人しかおらず、言葉の喋れぬものをストラディウムの大公主として自分の後を継がせることはかなわなかったからである。

ところがグンドは、十三になったその日、生まれて初めて言葉を話したのである。彼は老大公にむかって「父上が公位をお譲りになられるのは、いつか」と、たずねたのだ。自分の息子を唖とばかり思い込んでいたマレストル大公は非常に喜び、「もっと話せ。さすればおまえに公位を譲ろうぞ」と答えた。そこでグンドは老大公に話を始めた。

「……産まれてくる前、定かな記憶はすでにないのですが、私は長い長い間、おそらく海にいたようです。

ある時たくさんの妖精達が沈んできました。彼らはとても高貴で美しい顔立ちしていましたが、そのほとんどはどこかしら酷く傷つき、傷口からは血が流れ出していました。私は恐れ、ただただ妖精たちが緑色の髪をゆらしながらゆっくりと落ちてくるのを眺めていました。
すでに死んでいるのか、生きているのか、妖精たちはピクリともうごかず、そのまぶたはかたく閉じられたまま開かれようとしません。しかし、ただ一人、ひときわ高貴な容貌の妖精が目をあけ、両手を前に――そう、まるで何かを抱きとめようかとするように――のばして沈んできました。 「ストラディウムは来ず、為に、我はアウルのかいなに招かれて眠らん青き大海の底、緑なる海の藻とともに、我が髪は静かにゆれるだろう。今や遠く遥かな、純白の、アウロンが浜道を夢みつつ……(*2)。――おまえ、行って伝えておくれ。ストラディウムはその誇りを失わずにいてよいのだと。そう、すべては我がはらから、リュクセインによるのだから。ああ、悲しいかな! 人は後に我がはらからを、アル=ガルッド、アガルッド、‘誇り、奪いしもの’と呼ぶだろう。だから、おまえ、行って伝えておくれ! ストラディウムの民人に。ストラディウムは人の子の誇りを失わずにいてよいのだと。もし、ストラディウムが人の子故の誇りにこだわれば、それはストラディウムの為によいことにはならぬ――』その高貴な妖精は、私にそうつげると、まぶたを閉じ、類まれな輝く深い青色の瞳を隠しました。そしてその瞬間、私は何かに押し上げられるかのような感覚に襲われ、あたりは闇につつまれたのです。

このようにして私は産まれ、自らに告げられた言葉の意味と私の為すべきことを考えてきたのです。これまでの年月、ずっと」

マレストルは驚き、心ひそかに自分の息子がただならぬ存在ではないかと思った。

「最近に至って」と、グンドは続けた。 「私はようやく自らの為すべき道々、そう、 ‘主(あるじ)の道’(ローズ・トゥ・ロード)のいくつかを見いだしたような気がします。
私は、自分が産まれる以前に出会ったあの海の妖精の名に、今や疑いを抱いておりません」

「そは、誰ぞ」と、マレストルは恐る恐るたずねた。

「――リミン。かの偉大なる妖精王。“緑藻(メダウモッド)の”リミンです」

マレストルは確信した。あのリミン、「真の色彩」を二(一説には三)種同時に帯びた唯一の者、太古の魔法に通じ、海神アウルの血を直接ひくという“緑藻の”リミンに会ったというのだろうか? しかも、産まれてくる前に!

「わしには、とうてい信じられん……」マレストルは頭を振って、グンドの母であるカンナを呼びに行かせた。カンナは由緒あるファライゾンの家系に生まれた娘てあり、言葉の真偽を判断する卓越した特殊能力を持っていた。

カンナもマレストル同様、わが子のしゃべるのを確かめ涙を流して喜んだが、グンドが例のリミンの話をするに及ぶと、やはり困惑した表情を隠せずにいた。

「この子が私をはるかに上回る力を持っているのでない限り、この子はただ真実のみを申しております」と、カンナはマレストルにむかって言った。「そして、私は、自分のこの力に関して、ユルセルームで他と伍した時、そうは低い能力だと思っておりませぬ」

「父上、お約束どうり、ストラディウムの公位をお譲りいただきとうございます」

グンドは屈託なく言うと、両手をマレストルヘ差しのばした。

「公位を得て、どうするのだ」

マレストルは怪しみ、躊躇して手を握りしめた。

「ストラディウムがリミンを裏切り、ためにアウロンの浜道を血で汚すよう好計を謀った妖女アガルッドと、彼女が君臨する“灼熱の血忌の国”ヒュノーを討つのです」

わが子の壮大なる話に、マレストルは苦々しげな表情を顔いっぱいに浮かべた。かつて「西方の守護」たる栄光に満ちた誇り高き人間族の地、ストラディウムの名誉を地に落としめた忌まわしい事件を思い出したのだ。

「ヒュノーを討つなど、今のストラディウムの海軍兵力では、とうていかなうわけがないぞ。それに、おまえの話が本当だとして、確かリミンは『もし、ストラディウムが人の子ゆえの誇りにこだわれば、それはストラディウムのために良いことにはならぬ』と告げておったのではないか」

「父上、しかし、それは我ら人間族全て、そしてユルセルーム全土にとって益なることとなるでしょう。

いかに、たばかられたといえ、ユルセルームの至宝である古の妖精たちが自由に住まう最後の国、その国を滅ぼすのに手を貸してしまった人間族の国ストラディウムが、その償いもせずにどうやって来たる大戦の日、デュラの猛攻を我らが同族、人間族が闘えましょうや」

グンドはそう言うと、沈黙を続けるマレストルに業を煮やしたように自室へ駆け戻り、城から抜け出してしまった。

グンドはかねてから秘かに調べていた、ストラディウム建立時からの秘密の地下迷路を丸一日かかって抜け出し、ストラディウム本島の山脈中西部にいるという伝説の刀鍛冶一族、山小人(ニムロ・ノイロ)のダロム一族をたずねた。

最初ダロムの刀鍛冶たちは、年端もいかぬグンドの戯言などに耳も貸さなかった。しかし、グンドが近くにあった「やっとこ」で自らの八重歯を抜き、これを用いてディヴァイン・ソードを造れというに及び、ダロムの刀鍛冶は真剣にならざるを得なかった。グンドが抜いた八重歯はなんと紫水晶でできており、抜いたとたんに淡い紫の光を薄闇のなかに放ちはじめた。ただ事ではない、と思ったダロムの刀鍛冶たちは、ついに自分たちの頭領で、かつ最高の腕を持つヒンテサン・ダロムを呼んだ。ヒンテサンはグンドとその八重歯を一目見ると、深々と頭を下げ「アウルとザリの寵愛を受けられた貴公は、人間の姿にあって何を私に命じられるのか」と、たずねた。

グンドはヒンテサンに自分の八重歯を渡し、これをもって奪われた人の子の誇りを取り戻してふたたびエルダノンとエンダラトスとの絆の礎になるような剣を造ってほしいと頼んだ。ヒンテサンはひどく恐縮し、言った。「生きているうちに真の色、スィーラの力の現われにふれることができるとは……。しかも、それを用いて自らの作とするものを造れるとは、なんと刀鍛冶冥利につきることか! 私は畏ろしい。が、やらせていただきますぞ」

ヒンテサンはグンドの紫水晶の八重歯を手にすると、夢かうつつの独り言のようにつぶやいた。 「真の紫の色は、大気と稲妻の主、ザリの力の現われ。わだつみのアウルが王座にひかえる水龍たちは、竜巻をもって水中より天に昇るという。竜巻のなかで龍たちはザリのよびかけにこたえ、天に向って吠えるとき、その口よりは紫の稲妻が激しくはっせられるという。彼らが持つのは紫の真の色を帯びた牙。してみると、あなた様はアウルとザリの寵愛を受けるザラバウムイラ(紫牙龍)のうまれ変わりに遠いありません」「山小人たちにどのような信仰があるのか、私はくわしくないのだが、私自身は“生まれかわり”だの“前世”だのということは考えないようにしている。私は、私が今、何をしていくのかだけを考えていたい」 (グンドは答えた)「恐れながら、しかし、“これから”は、“これまで”と無関係ではありますまい。いかにも“闇の中の炎”らしいお言葉ではありますが……(註1)」

このようなやりとりがあったのち、ヒンテサンはグンドも含めていっさいの者を自分の仕事場の外に出し誰も中に入れようとはしなかった。したがって、ハウセル(*3)がいったいどのようにセヴァーン・エト・ザラバウムイラ(紫牙龍の剣)なる異名をとる“鞘なき”グンドの剣、すなわちグンダルバウセ(グンドの牙)なる名のディヴァイン・ソードをつくりあげたかは、全く伝わっていない。ただストラディウム王室書庫の資料には、以下のようなことが述べられている。
……ヒンテサンがこもった山が、七夜後に震え、山頂は突如として黒雲を戴き紫の雷光を発し始めた。グンドと驚いたヒンテサンの弟子たちは、ヒンテサン自身の仕事場がある山の中央最深部に通じる長大な洞窟を、あわてふためいてかけおりていった。灼熱の溶鉱炉を間近に控えるヒンテサンの鍛冶場をおそるおそるのぞくと、金床の上には見事な貴金属と宝石であしらわれたツカが置いてあった。が、肝心の刀身はつけられていない。それどころか、ヒンテサン自身の姿も、どこにも見当らなかった。ヒンテサンの弟子たちは怪しみ、うろたえ騒いだが、グンドは落ち着きはらってツカの先、本来はそこから刀身がのひているはずの箇所に自分の八重歯が備え付けてあるのを見てとると、長いツカを手にとって、帯にはさみこんだ……

グンドはこうして「グンダルバウセ」を得、マレストルやカンナを初め、城の者全てがグンドの行方を案じて大騒ぎのストラディウム城へと帰還したのである。

グンドは帰り道にあっては地下道を通らず、あえて城の正門の前に立って父、マレストルを呼ばわった。 「我が父にして、ストラディウム公マレストル殿と、その臣下の方々よ。とくとく見定めよ。こは我が牙にして、我が意志なり!」グンドがそう大音声でよばわると、マレストルをはじめとする城の人々は、たちまち城の外壁の上にむらがってグンドを見下ろした。

グンドはその鞘なき剣を天上に向かって捧げ上げた。――すると見よ! 七枝に分かれた紫電が、かのツカに埋め込まれたグンドが八重歯へと天より到り、その様、あたかも雷電の刃が、突如、顕われたかのようである。グンドはあっけにとられる城の老々の眼前にて、手に持つ剣の重みに堪えかねるかのごとく、全身の力をふりしぼって、やおら剣を降りおろした。

大地にそのまま紫電がたたきつけられ、大地に紫電が走り、目指すストラディウム城門に及んだ。かつて外よりは決して開けられた事がなく、また、開け得ぬとされた「三大門」(註2)の一つ、人間族の大門、ストラディウムの大門が呻き、人間族の王たる王グンドに応答し、振動とともに、その口を開いたのである。伝説では、この時、デュラの黒太主ユレーグは王座より立ち上がり、本国マストより第一黒龍騎兵の召喚を命じたという。時にイーヴォ歴1485年(一説には1442年)(*4)、紫の月。かくてグンドは、弱冠十三の歳にしてストラディウムの大公主に迎えられ、「大戦」は新たなる展開を見せることになった。

「大戦」の詳細に関しては『ユルセルーム戦史』に詳しいので、ここでは簡単にのぺるものとする。

アタティオンの炎とともにデュラの大陸軍侵攻が始まったが、グンドは名高い「イラフロノウム越え」を行ってダーの要塞を一時的ではあるが逆包囲し、この他に包囲されていたローダニゾンの精兵を救出。が、莫大な量の敵兵を前にローダニゾンの軍は徐々に後退、遂にローダニゾンは崩壊する。グンドはローダニゾンの難民をデュロン山脈中にかくまい、この地の山小人皇王、“赤髭の”シクロスと協力してデュラの軍に側面から圧力を加え、その進撃速度を鈍らせるぺくデュロン山脈中の無数の坑道から出撃する遊撃隊を組織。戦況が膠着状態となるに及んで、統一王朝の王、“一角龍の”イルク・セイリオンにヒュノー強襲を上奏した。イルク・セイリオンは「公主殿の“直接嘆願権”はただ一度のみ。公主殿が自領の城を守るか、ヒュノーの城を破るかである」と宣り給うが、はたしてグンドは後者を選んだ。「たとえストラディウムの城がおちようとも、ヒュノーを討たずしていかに人の子が自らの内に、真の城をうち建てることができましょうや」グンドは毅然と言い放ったという。

運命の1940年(*5)、赤の月。統一王朝の大軍は突如エンダルノウム南方からナーハン方面へと進撃を開始し、すでにドゥーロンを席捲してギュロンに侵入しはじめていたデュラ主力と、正面から対する構えを見せた。この動きを見て、ヒュノーの主力はユルセルーム大陸エンダルノウム地方の南岸へ上陸。手薄になった南方を一気に北上、統一王都エンダルノウムを襲おうとした。――だが、この時、グンド率いる精兵「ストラディウム海騎兵」が巧みな迂回行動をとってヒュノー本島へ上陸。主力のいない炎の島、ヒュノーのアガルッド宮に向かって猛進。とはいえ、忌まわしき土地の毒気、熱に散々悩まされつづけた。この間、統一王朝の主力はただちにエンダルノウムに向かってこれを守るべく、全速で引き返し始める。主力が帰るまでの間、竜王イルク・セイリオン自ら率いるエンダルノウムの僅かばかりの近衛軍千人は、「十の十倍」といわれる圧倒的なヒュノーの主力十万と七日七夜にわたって激闘を展開、討ちとったヒュノーの将は数知れなかった。なぜならエンダルノウムの近衛兵は「一対一であれば黒龍騎兵も闘うのを避ける」と、歌にまでうたわれた精鋭中の精鋭であったし、イルク・セイリオンの黄金色の槍“オザノング”には何者も抗し難かったから。だが七日目にして、遂に戦線は破れる。

戦線の崩壊とともに突出したイルク・セイリオンは包囲、殲滅されかかった。この時、さすがの“竜王”イルク・セイリオンも自らに与えられた、ただ一度のオザンに対する“直接嘆願権”の行使を覚悟した、と伝えられている。しかし、結局、間一髪間に合ったラムザス疾走騎兵らによって救われることになった。そしてこの後、統一王朝軍の主力が到着し、この時はエンダルノウムの陥落は避けられたのである。

一方、グンドらのヒュノー強襲部隊は、イルク・セイリオンの部隊がエンダルノウムの存亡を賭て死闘を繰り広げている間も、溶岩流によって守られたアガルッド宮を攻めあぐんでいた。アガルッドの門前は激しい熱と毒気が渦巻き、これを守る溶岩巨人らの攻撃は苛烈をきわめた。千人にも満たぬグンドの部隊の将兵らは、一人、また一人と消耗していった。“人の子の誇り、奪いし妖女”アガルッドは勝ち誇ってグンドらの前に姿を現し「“緑藻の”リミンすら騙されたものを、人の子の浅知恵、かたはら痛し」と嘲笑った。寡黙なるグンドも、この時は声高く「リミンが、メディート、アウル両大神への“直接嘆願権”を持ちながら、これを行使せざるは何ぞ! 情深きリミンは、そなたに最後の機会を与えるべく、自ら大海の底に沈んだのだ!」と叫び、天と地の問、大気とイカヅチを治めるサリに対し、自らの、最初で最後の“直接嘆願権”を行使した。グントの喉笛からスィーラ自らが口にする神聖語の正確な音韻によってザリの真名が呼ばわれ、守護大神ザリ自身の力が太古の誓約に従ってあらわれた。突如生じた暴風雨の中、グンドの両手に握られたグンダルバウセは紫光を帯び、たかだかとそのイカツチの刃を天にのばした。グンドがグンダルバウセの猛き刃を前に振り降ろすと溶岩巨人などは粉々にふきとび、塔は震え、城門は毀れた。グンドらは、そのまま城内へ突入し、アガルッド宮の守備隊はザリの力を得たグンドの怒りの前に、ただ散り散りになって逃げ惑うばかりだった。この時、アガルッド自身は半身にグンダルバウセによる激しい火傷を負い、どのような妖術を用いても、二度と惑わしの美しい容姿をとり得ぬ、イカヅチの走った醜い跡を残すことになったと云われている。

かくて“灼熱の血忌の国”と呼ばれ、デュールにより火をもって大海から持ち上げられたという恐怖の島ヒュノーは、一人の定命の人間によって鎮定されたのである。

しかし、エンダルノウム攻略に向ったヒュノーの主力は、帰るところを失ってかえって死に物狂いとなり、ついには全滅するまで闘って統一王朝の主力に対しても無視できぬ損害を与えた。とはいえ、この後ほぼ七年間、戦線は膠着状態となり、統一王朝の難民の多くが、より安全な地域へと逃れることができたのである。

1497年末、薄青の月。ふたたびデュラの大攻勢が始まった。海で、陸で、デュールの魔力を得た黒太主ユレーグの軍は、ストラディウムを主力とする西方守護連邦の軍を完膚無きまでに撃破。グンドの父、マレストル・ベレドールは旗艦“西方の星”ストラクステルと共に大海の底へ沈む。奇しくも、リミンその人が沈んだアウロン沖であった。以後、城塞都市ストラディウムは三年間にわたる十重、二十重の包囲を受ける。グンドは何度も包囲の突破を試みたが果たせず、グンダルバウセの威力は相変わらずすさまじいものではあったけれども、二度と大神ザリの力そのものを現すことはなかった。なぜなら、グンドに許されていたスィーラへの“直接嘆願権”はただの一度のみであり、グンドはこれをすでに行使してしまったからである。包囲されたストラディウムの兵士たちは、確実に疲弊していった。だが、二本の足をして彼らを立たせ、支えていたのは、グンドの偉業であったことも、また、まきれもない事実であった。

しかし1950年末(*6)、薄青の月。今や、デュラの魔王にしてユルセルームの支配者を公然と名乗る、ユレーグ自らの指揮する第一黒竜騎兵が、“西方守護”ストラディウムに最後の一撃を与えるべく突撃の準備をするに及び、グンドは遂にストラディウム“西方守護連邦軍”の解散を命じる。「各自、これからは自らの最も大事とするものを守れ」グンドが最後に下した解散の命令に従って、兵士たちは自分の家族のもとへと絶望的な脱出の準備を始めた。しかして、グンドはストラディウムの大門の前を離れようとはせず、問いただす臣下らに、グンドは答えたという。「ここより、後にある全てが、私の最も大事なものであるから、私はここに残る」、と。
町に放たれた炎が、時折漆黒の夜の闇を照らし、今しも崩れ落ちようとするストラディウムの大門を前にしたグンドの瞳は、これから自分が向おうとする運命をうつして限りなく黒く、深かった。

そうしたグンドの側に近寄る、二人の騎士がいた。一人は、ロードンのヒンドルス、いま一人はユル・ストラディウムのハクセオイといった。グンドは何も言わなかった。戦のさなかヒンドルスは身寄りの全てを失っていたし、ハクセオイはそもそも生まれたときから、ただの一人だったからである。ハクセオイの額に残る傷跡は、臨月だった彼の母の腹を貫いたデュラの兵士の槍がつけたものだった。

大門の崩壊のその瞬間、三人の騎士は電光のように突撃し、黒龍騎兵のただ中に突っ込んでいった。グンダルバウセが一閃し、黒龍の首がはねられ、ヒンドルスのバーニング・ソードが乗手を甲冑ごと燃え上がらせた。ハクセオイの長槍は黒龍の首を貫き、さらにその乗り手までをも貫いた。第一黒龍騎兵は動揺し、混乱した。不敗を誇る第一黒龍騎兵が僅かとは言え、退却したのは、この時をもって他にはない。この間に、多くの者が秘密の地下道を通って、城外へと脱出した。

グンドらが目指したのは、このデュラ最強の軍の深奥、闇よりなお暗い甲冑に身をかため、ひときわ大きい黒龍にまたがり、リミンの長槍シンサレアをもってしても倒れる事無く、 “虚無の剣”アガレイの使い手、デュールが自らの身を裂いて創造したという忌まわしきフェルダノン、魔王ユレーグ、そのものだった。その様は、あたかも夜の大海に沈みゆく一個の真珠のようであったという。圧倒的な闇の中、僅かな光がひときわ暗い闇へと急速に接近し、ひとたびの閃光の後に、消えた。グンド、その人の生涯のように。

グンドの死体が発見されたという、いかなる記録も残ってはいない。この後、ストラディウムは徹底的に破壊され、4年後、新たに魔族グドルの軍を加えて、統一王朝の都エンダルノウムはイルク・セイリオンの叫びとともに陥落。そして、1509年。聖都ファラノウム前面にて、遂にファライゾンの執政フィキタスは執政の職を降り、イーヴォを求め、“ファライゾンの破壊石”を行使。デュラの主力は瞬時にして壊滅し、現在のシリネラ湖ができた。黒龍騎兵とユレーグは当初のデュラ領へとひきこもった。

この後の約200年間、ストラディウム山中に隠れ暮らす者にとってはもちろん、非力な人間族にとっては、あまりにつらい「大混乱期」がつづくが、そんな中にあって、ただ彼らを支え、闇のなかに奇跡のように輝く星のごとくに彼らを導いたのは、グンドと、彼があらしめ、かつて人間族が行なったユルセルームへの裏切りにより失われた“西方守護たる人間族の「誇り」”そのものであった。ただこれ故に、彼らは真の「貧困」に陥ることなく、1700年、遂にストラディウムを再興する。そして、1750年には、かつての「西域」ほぼ全域を含む、ストラディウム連邦を不死鳥のように形成するのである。

「グンドの物語」終)

(註1):“闇の中の炎”とは、数ある「人間族」を表す呼び名の一つである。デュールによってその存在のきっかけを与えられた「人間」が、限りある「生」において、試行錯誤の闇のうちに自らの生きざまを天上に向って投げかける様を、燃焼する炎のありさまにたとえたものと云い伝えられる。翻って、これを「刹那的」とか「やけくそ」的な意味として用いる場合もある。

(註2) :「三大門」とは、聖郡ファラノウム、続一王都エンダルノウム、西方守護ストラティウム、以上三都市の城門を指す。

【編註】(門倉直人、岡和田晃)

*1 エルダ(中期西方読み)もエルロウダ(精霊古語詠み)も間違いでないように、ストラディウムの読み方について、ストラデュウムもストラデュームも間違いではないが、この文献上ではストラディウムで統一している。

*2 伝え聞くところによれば、“眠らん”は、前の“かいなに招かれて”を受けると同時に後の“青き大海”をも修飾する。時の匂い、またグラデーションといった移ろいへの詠嘆など、妖精族の雅で詩歌的文体において多用される傾向があった。「招かれて」の部分は「抱かれて(いだかれて)」とする異本が存在するという。

*3 ハウセルとは、語源的には「潜在する神威を鍛え顕す、神業をなす特別な鍛冶場、その火、燃料、送りこむ風、鎚、金床の全て」を意味した――が、後に、単に優れた業物を鍛え上げる「鍛冶場」を意味する言葉になり、結果的に四王国時代では、それは「山小人の鍛冶場」という意味へ(ほぼ)語の運用が変わる。そして、薄暗がりの時代以降は、また「ちゃんとした正規の(施設の整った)鍛冶場」という意味に一般化する。つまり、ここはこの文献時の語の運用に合わせ――ハウセル(山小人の鍛冶場)とするか、ハウセル(特別な鍛冶場)などと理解するのが良いだろう。あるいは逆に山小人の鍛冶場という慣用を念頭に置き、ハウセルはあくまで表音を意味するという理解の仕方も可能だろう。

*4 この箇所について、ファラノウム図書館にあるイーヴォ派諸国に於ける公式史書ではっきりしているのは、1490年にヒュノーがグンドにより滅ぼされたという一点のみ。そこからの類推においては、1485年説が正しいと見るべきだろう……。ただし、ミレアの黒塔伝承のように時間軸を撹乱するような混沌の呪縛が関与している可能性は常にある。なお、ストラディウムの『公統譜』あるいは『五公譜』ではグンドは1485年の即位となっている。

*5 ヒュノーがグンドによって滅ぼされたのは1490年が正しく、異説はない。しかしながら、この箇所はこの文献上で数字音に意味をもたせた意図的アナグラムという説がある。

*6 正式な史実では、1500年の薄青の月でグンドがストラディウムの大門を開き最後の突撃をしたこととなっている。ただ、本文献において、なぜこのような記載がされたかということについて、単なる誤りではないという説がある。すなわち、グンドはこの時に戦死していないという「見立て」を行なうことで、グンドの再来が成就すると信じられた、一種の呪術的表記という説だ。つまり実際には1500年という運命の年の冬に(死体こそ見つからなかったが)戦死したグンドを、ここで数字を「1950年末」と「文字にして刻み流布」することで、ある種「将来のグンド、あるいはグンド的なるもの」の黄泉がえりを祈願するという、その手の呪術、祈祷が込められた可能性を示唆している。そして実際、1950年代の末は大暗黒期におこったフェリア水没前後と類推され、そこに黄泉がえったグンドが現れ、その活躍が、続くインジークによる大暗黒期終焉の予言に関係しているという言い伝えは(根拠はともかく)西方人の人気の物語になっているようだ。

ローズ・トゥ・ロード (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [大型本] / 門倉 直人 (著); エンターブレイン (刊)

 

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グンドの物語 by 門倉直人(Naoto Kadokura) is licensed under a Creative Commons 表示 – 継承 3.0 Unported License.

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門倉直人(かどくら・なおと)
ゲームデザイナー。国産初のテーブルトークRPG『ローズ・トゥ・ロード』のデザイナー。その独得かつ幻想的な世界観は、いまなお数多くのユーザーを魅了し続けている。
代表作は『ローズ・トゥ・ロード』、『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』、ゲームブック『魔法使いディノン』シリーズなど。
(『ローズ・トゥ・ロード』リプレイ『ソングシーカー』(新紀元社)より)

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グンドの物語は、とてもTRPG的な物語です。すなわち、とても、やわな構造をした双方向的もの語り遊戯であります。
そこには初出のグンドの物語(『変異混成術師の夜』に収録前の、遊演体ニューズレター掲載のもの)への反響、思いといったものが反映され、疑問点、矛盾点への考察やら四方山がインタラクティヴに響き合い続けています。
神話が重層性を深めていくのには曖昧性、ゆらぎといった要素が不可欠であり、古においてそれは口伝による伝播ということが大きな役割を果たしたと言えましょう。
「邪気」という言葉が「蛇鬼」という言葉として同音連想をからめて様々な物語を生み出したように。
これは文字による伝播が前提であれば、なかなか思いつかない神話生成の要因かと思うのです。
それゆえ現代に於いて、誤植、誤解、誤変換、取り込みエラー等々も、それは神話が新たな枝葉を伸ばす「意味を吸い込み、依り憑かせ、また変異混成させる、偶然という名の真空」ととらえるのです。
だから、私は今でも、このグンドの物語を稚拙な語運用を恥ずかしく思いつつも、(一読者として)とても楽しく読めたところがありました。(門倉直人)

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Analog Game Studiesでは、以下の記事でも『ローズ・トゥ・ロード』に触れています。併せてご覧になって下さい。

・『ローズ・トゥ・ロード』というRPGをやってみた

・「忘れたという、その空白の隙間で--門倉直人『ローズ・トゥ・ロード』試論」