『戦えば死がくる』

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『戦えば死がくる』

本文:伏見健二 解説:仲知喜 協力:岡和田晃、伊藤大地、蔵原大、高橋志行、田島淳

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 今回お届けするのは、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』の再録です。著者である伏見健二さんの許可をいただき、初出である『RPGマガジンNo.5(1990年9月号)』から24年の時を経て再掲させていただくことが可能になりました。
 今年は西暦2014年です。平成元年生まれの人が『戦えば死がくる』が掲載された時は2歳だったことになります。当時20歳の人が今年46歳。嗚呼、隔世の感とはこのことですね。というわけで、今回の再掲と合わせて、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』を読者の皆さんにより楽しんでもらえますよう、本稿の後に解説を付け加えさせていただきました。なお、初出時の本稿には別枠に『ストームブリンガー』の戦闘ルールシステムの解説が添えられていました。

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戦えば死がくる
FIGHT AND LET DIE
――“ストームブリンガー”における戦いと死をめぐる考察――

伏見健二 (文字起こし:伊藤大地)

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1 戦えば死がくる

 “ストームブリンガー”と言えば、M・ムアコックの『エルリック・サーガ』をベースとした独特の背景世界や魔術について語られることが多いのですが、その戦闘システムも大きな魅力の一つです。しかしそれはあまりにも激しく、あまりにも壮絶で、卸し難いものです。
 まるで黒の剣・ストームブリンガーそのもののように、あなたの剣はしばしば自己の意識を持ったかのごとく敵の血をすすり、叩き潰してきたのではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”において、「敵」の存在はコンピュータRPGのように克服すべき障害物として記号化することを許されません。今回はちょっとだけシリアスに、“ストームブリンガー”における戦いと死について、さまざまな観点から考えてみることにします。シナリオづくりやマスタリング/プレイ術の参考になればいいな、と思います。
 敵の存在は重く、返り血は熱い……。
 たまにはそんなRPGをしてみましょうか。
 ビギナーの人たちにはちょっと読みづらいかもしれませんが、サラリと一読してみてください。

2 戦いとはなにか

GM:さあ、君の前には長身の男が立ちはだかっている。前髪を右目に垂らし、その足元には老いた大きな狼がまとわりついている。
ロート:あーっ、でたな、こいつ!「ラシウェル、なんの用だ、そこをどけ!」
GM:ラシウェルはわずかに笑みを見せたようだ。
「ロート、去れとは言わぬ。だが、ここは通せぬ。決着の時が来たようだ」と言っている。
ロート:……うぅっ、ついにこいつと正面からやるはめになるのか。

 まずは戦闘を行う理由について、いくつかのパターンを類別してみましょう。哲学や心理学、宗教など、いろいろな要素と見地からの分類が考えられますが、ここでは簡易に表面的にだけとらえてみます。まあ、一緒に考えてみましょう。

1)自己防衛のための戦闘
 多くの戦闘はこの形を取ります。ごく単純に言えば、「モンスターが襲ってきた」という状況などですね。自分の生命への危機、苦痛の忌避などを理由とする戦闘行為です。
心理的側面も考慮に入れれば、すべての攻撃は自己防衛によるものだと言えるでしょう。

2)他者防衛のための戦闘
 他者が何者かに攻撃されようとしている場合に、代わりに戦いを買って出るというもので、職業としての護衛はその代表的なものです。

3)障害排除としての戦闘
 ある場所を通過したいのだが、そこには敵対する存在がいて排除しなければならない。という場合があります。これは最終的な目的を達成するために必要な副次的戦闘と言えます。たとえば、財宝が眠る洞窟に入るには入口のモンスターをまず倒さなければならない……という場合がこれに当たるでしょう。

4)目的達成のための戦闘
 暗殺がこのパターンの典型です。相手の存在自体が自分の目的の障害となる場合に、この種の攻撃が行われます。
 シナリオでキーとなる戦いはたいていこのタイプのものですが、ほかの手段による解決が存在しないかどうか熟慮したいものです。

5)衝動による戦闘
 安っぽいサスペンスのようですが、衝動的な感情によって戦闘にが起こる場合もあります。精神的なストレスの代償行為として攻撃衝動にかられるという経験は、みなさんにもあるのではないでしょうか。このパターンの攻撃は、必ずしも勝利を得ることを目的としていません。

6)自己証明のための戦闘
 ことに男性において、自己の優位を証明するのは戦いに勝利することであるという、限りなく衝動に近い理論が存在します。そうした心理を象徴的に強調して表現するヒロイック・ファンタジーにおいては、特に重要な動機になっています。

7)肉体的欲求による攻撃
 動物が食欲にかられて攻撃をする、というような種類の攻撃行動です。
 ただし、動物はたとえ空腹でも、盲目的にわれを忘れて攻撃をするわけではないということに注意してください。ほとんどすべての場合、食物獲得のための戦いは冷静で注意深い行為であり、動物が食欲のために見慣れない生物(たとえば鉄をまとった人間)を襲うことはありません。動物がそのような攻撃をするのは、テリトリー維持のためのみです。

3 剣を抜く前に

ロート:「ラシウェル、俺はお前を友とも思っている。一度はともに戦った仲ではないか!」
GM:「猿め、友とはおこがましい」と身を震わせながら言うと、彼は剣をすらりと抜き放つよ!
ロート:ううむ、勝てたとしてもただでは済みそうにないよなぁ。やはり彼女の件でそんなに怒っているのかな?
GM:他にも思い当たるのかい?(笑)「お前を彼女のところへはいかせぬ!」
ロート:「リナスの幸福を真に望むなら、そこをどけ!」って怒鳴るぞ。心理的動揺を誘うって奴。

 さて、ひどくラフな分類でしたが、戦いというワードに含まれるさまざまな要素が見えてきたと思います。
 まず第一に、戦闘が目的であるのかあるいは手段なのか、それを意識しなければなりません。それは、回避できる戦いであるか、避けられない戦いであるかの区別でもあります。
 ことに“ストームブリンガー”というRPGにおいては、勝利の見通しがつきにくいということもあって、この見極めが重要なのです。「気晴らしに戦闘がしたいなあ」などと言っていると、ごくつまらない一撃で命を落とすことになるでしょう。
 ですから、必然的に“ストームブリンガー”においては、戦闘のスリリングな魅力のみに頼ったシナリオを行うことは難しいと言えましょう。コンピュータRPGのような、遭遇→交戦パターンのスタイルそのままのシナリオには不向きな戦闘システムなのです。
 “ストームブリンガー”において、戦いのリスクはあまりにも甚大です。ゲームマスター(以下GM)はその点をよく考えて、シナリオのストーリーと何ら関係のない、重要性の低い戦闘でプレイヤーキャラクター(以下PC)を殺してしまうことがないように気をつけてください。たとえプレイヤーの判断の甘さや不注意が原因だとしても、PCがプレイヤーに不満の残るつまらない死を迎えるのはよいことではありません。そのようなプレイでは、ゲームのおもしろさを十分に引き出すことはできないからです。
 そうした事態を避けるとりあえずの解決法としては、戦闘の回数を減らすことが第一でしょう。またプレイヤー側にも、無用な戦いは避ける姿勢が必要です。
 しかし、無用な戦いと避けられない戦いは一体どうやって区別されるのでしょうか。それにはGMとプレイヤーが「物語の呼吸」に対する敏感な感覚を共有することが必要です。「優れたプレイヤー術とは、GMの望んでいることを鋭敏に察知してGMの演出するストーリーにしっくり溶け込む主人公を演じることである」といった極論もありますが、そうした側面は否定できません。
 ぼくは「負ける戦いはしない」などという主張に代表される、PCはロジカルなコンバット・マシンになるべきだというような考え方には賛成できません。プレイヤーに必要なのは、キャラクターの感情状態を把握し、それを楽しむという姿勢でしょう。PCが激しい怒りを感じるような局面であれば、感情に身を任せて強大な敵に挑むのもよいと思います。
 しかし、その瞬間の感動を高めるためにも、譲るべきところは譲り、耐えるべきところは耐えるべきでしょう。それこそが「物語の呼吸」にほかなりません。
 そうですね……『水戸黄門』などの日本娯楽時代劇を例にとってみましょう。物語のクライマックスにいたるまで、主人公はののしられ、軽んじられる役回りを演じます。しかしそれゆえに、悪代官の前に印籠をかざす瞬間の壮快感が高められるのです。
 出会う相手とことごとく戦い、け散らして目的を達成するよりも、そのような心理的やりとりを背景にたったひとつの戦いに臨むことの方が、何倍も楽しいことではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”では、戦いこそが最高のドラマなのです。

4 戦いにおいて

GM:きれいな円弧を描いてブロード・ソードが振り下ろされる!……(コロッ)「さあ受けてみろ!」
ロート:フッ、俺だって成長しているのさ。(コロッ)キィン!ほおら、やすやすとかわした。
GM:「できるな!それでこそ俺のライバルと言えよう。フハハハッ」
ロート:こっちはそんなつもりはないぞお。

さて、戦いの危険そして危険であるがゆえに避けられる戦いは避け、本当に重要な戦闘に集中すべきだということは語りました。ここでは、迷いを断ち切り、実際に戦いに臨むにあたっての注意点を考えてみましょう。
 “ストームブリンガー”の戦闘システムは、戦いの手応えを十分に感じさせる優れたものです。
 降りかかる鋭い刃、そしてそれを受け流す時の手の痺れるような感触、ざらりと滑る鋼と鋼、そして敵の刃がガリッと装甲を削って肉をえぐる……血と共に力が抜けてゆく……体の動きが鈍くなってゆく!……
 しかし、システム自体の完成度が高いゆえに、しばしば戦闘は工夫のない平面的な切りあいに終始しがちです。
 たしかに“ストームブリンガー”の戦闘は大きな興奮を与えてくれますが、豊かな感覚においてなされたロールプレイが、戦闘が始まった途端に確率に一喜一憂する単純なサイコロの振り合いに「モード切り替え」してしまうのはいかにも残念です。
 だからぼくは、「戦闘中もなるべくしゃべりましょう!」と提言したいのです。戦っているPCの身振りを興奮のあまり演じてしまう……などというのは困ってしまいますが、敵を切る時のセリフや効果音はプレイを盛り上げます。
 また、戦闘空間は体育館のようなフラットな平面ではないのですから、現場のシチュエーションを想像する助けとなるような語りも効果的です。
 「足元の砂利が滑って回避に失敗した!」とか「空を切った件がレンガを削って粉が散った」といったちょっとした語りを加えると、戦闘のビジョンは一層輝きを増しますし、単に切り結ぶ以上の戦術を思いつくきっかけともなるのです。
 このような語りには、プレイヤーも積極的に参加してください。些細な行為の描写は、GMに対する越権行為にはなりません。

5 特殊な戦術の扱い

ロート:こんなところでクリティカルでもくらったらしゃれになんないから、〈体術〉でラシウェルの脇をすり抜けるぞ。道はどんな感じ?
GM:乱暴に組まれた石畳が、下り坂になって地下へ続いてるよ。かなり暗くて先はよくわからない。
ロート:「じゃ、悪いがラシウェル、ことが片付いたら相手をしてやろう」……(コロッ)クリティカル・サクセス!一瞬の疾風のようにすり抜けたってところかな?
GM:ひゃあ、よく出たね。でも、「ま、待て!やつを逃がすな!」という叫びが後ろから聞こえて、オオカミの吠え声が追ってくるよ。
ロート:ううっ、そうだったあ……。

 特殊な戦術をプレイに導入するのはなかなか難しいことです。思いつくのもさることながら、ルール上でどのように処理をするべきなのか、それを決定する感覚はなかなか得られるものではありません。ぼくもいまだに臨機応変かつ的確な処理ができずに、プレイ後に後悔させられることがしばしばあります。
 実例を挙げてみましょう。PCと敵キャラクターが1対1で斬りあってるシチュエーションで、もうひとりのPCが敵の顔に熟れたトマトをぶつけると宣言したとします。
 実際には、このような行為を成功させるのはとても難しいことでしょう。絶えず動き回る敵の顔にみごとにトマトが命中することなど、小説か映画でなければまずありえません。
 ……しかし、RPGというものは現実より小説や映画に近いものなのです。プレイヤーの顔を見回すと、皆がその思いつきに目を輝かせています。とても「そんなの100回に1回しか成功することじゃないよ」とは言えません……。
 こういう時、まずどんな判定をプレイヤーが期待しているのかを大事にしなければなりません。プレイヤーが状況に抱いているビジョンとGMのビジョンを調整し、統合する作業が必要となります。その2つが食い違ってしまう場合ほど、つまらなくいらだたしいことはないのです。
 この場合は、手投げ武器と同じような処理が適当でしょう。〈ジャグル〉技能の成功率を2分の1にしてボーナスを足した値で成否を判定します。相手はトマト攻撃に不意を付かれるので、回避はできないものとします。命中箇所については、深く考える必要はないでしょう。攻撃が成功したならば、それは狙いあやまたず顔に命中したでかまいません。なぜなら誰もがその結果を期待しているからであり、RPGは結局楽しんだ方が勝ちだからです。ただし、外れたら味方に当たってしまうなどの演出をするのもGMの大事なつとめです。
 特殊な戦術を用いる場合、結果は印象的に、ただし甘すぎないというバランスを保つことに注意しましょう。この場合は……まず空想してみてください。剣で切り結んでいる最中に、トマトが顔に当たったらどうなるかを。まずびっくりして動きが止まり、攻撃や受けができなくなるでしょう。プレイにおいては1回の攻撃不能と2回の回避不能、その程度がちょうどよいと思います。敵の目を見えなくしたりするのはプレイヤーに対して寛大すぎるでしょう。この程度で、PCは十分に勝機をつかむことができるはずです。
しかし、奇策はあくまで奇策でしかありません。特殊な戦術は戦闘の重要な要素ではありますが、GMはそれをあまり評価しすぎないように自戒すべきです。
 たいまつは剣より強いと信じている人に会ったことがあります。また、油の引火性を過大に評価しすぎている人もたくさんいます。投げつけるために小袋に分けた油や目潰し用の砂袋を持ち歩いているキャラクターは、ぼくは嫌いです。
 RPGにおける戦いは、キャラクターどうしのコミュニケーションの最後の局面であり、「哀しい手段」です。そのように戦いで敵の裏をかいたり、奇策で勝利すること自体に楽しみを見出そうとするのは本末転倒のそしりを免れません。

6 そして死がくる

ロート:「あ、クリティカルヒットだ!」
GM:ううぅ、それはきついぞ。(コロッ)ああ……。剣はラシウェルの守りの刃をくぐって薄い鎧に潜り込んだ。鮮血が散る……。ダメージは振るまでもないな。
ロート:メルニボネ人でも血は赤いんだな……。
「ラシウェル、だいじょうぶか?」
GM:おいおい(笑)。「フッ、こんな……ものだな。……お笑いだ……」
ロート:「目を閉じて少し休め……あとで迎えに来てやる……」ううむ、すっかりセンチメンタルだなあ。
GM:「……あまい、やつめ」とぜいぜい喉を鳴らして言った後、静かになるよ。
ロート:死顔は安らか?
GM:残念ながらそうでもない……。

 結果が勝利でも敗北でも納得できるという状況においてのみ、戦いは行われるべきです。しかし戦闘に臨むからには、全力で勝利を狙う以外の選択はありません。戦いとは、ひとつしかない命を賭ける行為なのです。
 ただ、この時忘れてならないのは勝利の定義です。相手を彼岸に送り出すことだけが勝利だ、という考えはあまりに単純です。場合によっては敵を倒すのではなく、相手の動きを引きつける目的の戦いもあり、その目的が達成されればそれは勝利と言えるでしょう。
 戦闘を始める前に自分が戦いに臨む目的を把握し、また戦いにおいて相手と自分の心理的優位のバランスを読み取ることが重要です。たとえば、剣を抜くしぐさをしただけで退散するゴロツキだっているでしょう。すべての相手と本気で戦う必要はないのです。
 しかし、先にも述べたように命を賭けて戦わなければならない局面は避けようもなく存在します。そしてその戦いにおいてPCに死が訪れることも十分に考えられるのです。
ぼくはプレイヤーが戦いの選択をしたならば、「死ぬ前の心の準備はできたかな」と聞くようにしています。変にRPGに慣れてしまったGMとプレイヤーには「苦労しても結局はPCが勝利する」という無言の了解が存在してしまうことが多々あり、PCが死ぬとひどく腹を立てる(そしてGMを非難する)プレイヤーはたくさんいます。ですから、高いリスクをともなう選択を選ぶのであれば、結果の責任は自分にあるということをプレイヤーは自覚しなければなりません。そのためにも、プレイヤーの頭を冷やし、戦闘の危険を把握させる必要があるのです。
 無論、RPGはGMとプレイヤーの戦いではありませんから、「戦うというなら死んでもかまわないんだな」とばかりに強力な敵で迎え撃つというGMも、何か勘違いしています。
ここで考えるべきなのは、ゲーム世界におけるGMとプレイヤーの立場の違いです、GMは世界の環境そのものなのですから。そこに働いているすべてのファクターを理解しています。しかしプレイヤーには、PCが知覚している(はずの)こと以外はわからないのです。目の前の相手が強力で自分は勝てないと判断すれば、熟練の冒険者であるPCはそれを理解し、戦いを避けるでしょう。戦える相手と判断するからこそ、戦端を切ろうとするのです。
 そしてそうした判断の根拠はGMから得られる情報しかないのですから、この時GMが適切な情報を与えないとすればそれはアンフェアです。敵の強さについて暗示的な情報を与えてもPCが気づかない時は、「今の君たちでは絶対に勝てないから逃げたほうがいいな」ぐらい直接的に言ってよいと思います。それでもなお向かっていくのであれば、それはプレイヤーの自由です。その時はPCが死ぬことに対してプレイヤーは覚悟し、納得もしているのですから、決してつまらない体験ではないでしょう。
 プレイヤー・キャラクターに死が訪れた場合、それは大事に受け止めなければなりません。GMが「ほうら、無理をするから」とか「ダイスの目が悪かったねぇ」などと言いわけじみたことを言うのはもってのほかです(これはつい言いたくなることです。誰しも経験があるのではないかな)。
 パーティーが仲間を失ったならば、皆でそれを弔い、別れの酒杯をあおりましょう(地の王グロームの司祭がいれば嬉々として埋葬してくれるでしょうが)。
 “ストームブリンガー”における死には、そうするだけの重さがあるのです。
 極論ですが、“クトゥルフの呼び声”においてPCの発狂がゲームの重要なフレーバーであるのと同じように(自分のPCがSANチェックに失敗するとなぜか嬉しいのはぼくだけかな)、“ストームブリンガー”においてはPCの死が重要なフレーバーだと言えましょう。
 「冒険の目的はなんだ?」と聞かれて「死に場所を探している」と答えるのっていい感じです。『眠狂四郎』とか、昭和30年代の時代劇のノリですね。そういうプレイスタイルは、『エルリック・サーガ』の世界の魅力を十分に引き出してくれるでしょう。
 「死がくるからこそ、今は生きていると言える。死が生を輝かせる」という言葉があるように、非存在への転落の危険が、紙上のデータに過ぎないPCへの感情移入を高めるのです。いかにしてキャラクターを息づかせるか、その演出技術によってプレイの質は格段に違ってきます。死の重さこそは、そうした演出の最大のチャンスなのです。“ストームブリンガー”で、ぜひそれを試してみてください。

7 ストームブリンガーのRPG論

GM:……で、どうする?
ロート:……やつの死を伝えなくちゃいけない人がいる。
GM:あ、そうだね。
ロート:狼にラシウェルの亡骸を守るように命じて、奥に進むぞ。リナスを止めなくては……。
GM:地の奥の方から、重苦しい巨獣の吠えるような響きが聞こえてくるよ。気をつければ大地の律動も感じる。

 『エルリック・サーガ』がヒロイック・ファンタジーの異端児であったように、その特徴を取り込んだ“ストームブリンガー”もRPGにおける異端児となり得ます。
 死が常に近くにあるからこそ、この世界におけるキャラクターは、納得のいく密度の濃い人生を歩んでゆかなければなりません。馴れあいは禁物です。
 もちろん、死から逃げ続けることは可能です。新王国といえども、平和な時代、平和な地方を探せば見つからないわけではないのです。
 しかし、感情が乾燥して平坦になっている現代社会に生きるぼくたちが、RPGのプレイの中で激しい感情の揺れ動きを体験することは意義あることと感じます。それはある時は激しい憎悪であり、殺意ですらありますが、半面身を挺する愛であり、世界を救う倫理とヒューマニズムでもあるのです。
無論、娯楽であるRPGにおいて過剰にそうした体験を追求しようとするのは考えものです。きっととても疲れてしまいますよ。ぼくだってそうです。でも時々そういった真面目でぎすぎすとした悲劇的な側面を持ったプレイをしてみたくもなるのです。
 ほのぼのとしたプレイも楽しいものですし、非常識やギャグプレイで笑うのもいいです。RPGのプレイスタイルを限定するのはおもしろくありません。さまざまなプレイスタイルが体験できるからこそおもしろいのです。
 今やRPGは円熟期、多くのゲームが出版され、それぞれのおもしろさがあります。われわれは個々のシステムと世界設定の魅力を引き出して楽しくプレイすればよいのであって、「RPGはこうプレイすべきだ」などと概論的な意見が適用する時代は終焉を迎えたと言ってよいでしょう(もちろん、プレイのマナーについては概論的に語られるでしょうが)。
 メインディッシュとして本格的なRPG、たとえば“ルーンクエスト”や“ワースブレイド”のキャンペーンを行いながら、時には“ストームブリンガー”のように個性の強いRPGや手軽に遊べるRPGをプレイする、というのがぼくの考える理想的なRPGホビーライフです。
 最高に美しいボックスアートを持った“ストームブリンガー”ですが、決してコレクション用アイテムで終わらせずに、その華麗にして凶悪な、プレイアブルにしてサスペンスフルな魅力を存分に楽しんでください。

8 おしまいに

 今後の展開ですが、そろそろ待望の追加ルール&シナリオ集“ストームブリンガー・コンパニオン”が出るようです。また、『エルリック・サーガ』第7巻(早川書房)も翻訳進行中とのこと。中身をちょこっと教えてもらったぼくは気が重いのですが、翻訳家の井辻朱美先生を声援しましょう。また、先生のお書きになった歌集『水族』(沖積舎)にはエルリックを題材にした短歌が収録されているようです。ファンは要チェック!
 という感じで、比較的地味だった“ストームブリンガー”はそろそろ飛躍を迎えます(ですよね、Mさん)。熱心なファンのみなさん、辛抱強く待っていてくれてありがとう。では、よいプレイを!

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解 説

 文:仲知喜 協力:蔵原大、高橋志行、田島淳

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伏見健二

 介護福祉士。作家、ゲームデザイナー、おもちゃ企画者。 伏見さんが『戦えば死がくる』を執筆したのは21歳のときです。武蔵野美術大学を卒業後、フリーライターとして活動しておられました。大学生の頃から伏見さんはアナログゲーム雑誌『TACTICS』の読者ページの常連投稿者で、ストームブリンガーのファンジン『ストームブリンガー・シナリオ集』『ストームブリンガーキャンペーン・修羅の業』を発表するなど、熱心なファン活動を行っていました。 『TACTICS』でのデビュー作は『ストームブリンガー』のシナリオ『紫水晶と鮮血』でした。その後、魔法ルールのサポート記事『新王国における書物と魔術』、マイルーン人をテーマにしたシナリオ『金翅の聖獣』などを手掛けています。伏見氏の代表作である『ブルーフォレスト物語』はこの記事と同年の1990年、ツクダホビーから発売されました。
公式プロフィール: http://www.blueforest.jp/~fushimi/guide.htm

マイケル・ムアコック

 マイケル・ムアコックは今年で75歳になるSF作家です。彼は、エルリック・サーガの最初の作品『夢見る都』を21歳の時に書上げました。24歳の若さにしてSF誌『ニュー・ワールズ』の編集長になり、60年代のイギリスで始まったニューウェーブSFという反体制的で急進的なSF運動を先導する役割を担いました。マイケル・ムアコックの代表作には、『この人を見よ』『グローリアーナ』そして「エターナル・チャンピオン・シリーズ」があります。

エターナル・チャンピオン・シリーズ

 「エターナル・チャンピオン・シリーズ」とは『エルリック』『ホークムーン』『コルム』などのヒロイック・ファンタジー小説の総称です。エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちは皆「永遠の戦士(エターナルチャンピオン)」という存在の化身であり、多元宇宙を舞台に転生を繰り返しながら永遠に戦い続けている戦士とされています。
 神話学者のジョセフ・キャンベルが世界中の英雄神話の母型に着目し共通する構造を明らかにすることで、大きな影絵のように1つの英雄像を浮かび上がらせたように、ムアコックは多元宇宙という合わせ鏡の中央に一人の戦士を立たせることで、英雄の前後に途方もない世界の広がりを作り出しました。
 しかし、エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちが、決して鏡に映ったオリジナルの複製ではないところに、このシリーズの妙妙たる魅力があります。彼らは、内面と肉体にハンデを背負っています。『コナン』に代表されるそれまでのヒロイック・ファンタジーの主人公が沢山の模倣作品を生み出したように、コナンはヘラクレスの、あるいはあらゆる神話英雄の、巨大な影の中に滲み込んでいきます。
一方で、永遠の戦士たちはこの影の中にとどまること拒絶しています。その手がかりが、エターナル・チャンピオンのハンデ(傷)ではないかというのがわたしの見立てです。彼らは、このハンデに苦しみ思い悩む。途方もなく広がる宇宙の中で、痛みに身を悶えさせ、悩みに縮こもりながらも、この苦悩こそが実在の証であると百万の虚像に向かって主張する……。
 このような思弁的な内容もさることながら、エターナル・チャンピオン・シリーズはヒロイック・ファンタジーの王道である血沸き肉躍る冒険譚でもあります。そこにムアコックのお家芸ともいえる異国情緒がプラスされ、異世界を堪能できる素晴らしいファンタジー作品となっています。

ストームブリンガー

 黒い魔剣の名を冠したこのゲームは、『エルリック・サーガ』を題材にした会話型ロールプレイングゲームです。 1987年にケイオシアム社から第1版が発売されました。今回の『戦えば死がくる』は、『ストームブリンガー』(ホビージャパン/1988)の第2版日本語版をもとにして書かれています。システム(ルール)は『ルーンクエスト』や『クトゥルフの呼び声』と同じベーシック・ロールプレイングをベースにしています。『ストームブリンガー』は、たいへんシビアな戦闘ルールと、オーバーパワーなデーモンや精霊の召喚ルールが特徴です。『ストームブリンガー』は版上げに際してタイトルがころころ変わってややこしいのですが、途中で『エルリック!』に変わり、また『ストームブリンガー』に戻ったと覚えておけばいいでしょう。現在、エンターブレインから発売されている『MICHAEL MOORCOCK’S ストームブリンガー』はストームブリンガーの最新版(第5版)にあたります。

TACTICS誌、RPGマガジン

 ホビージャパンが刊行していたアナログゲーム専門誌です。1981年創刊-1990年頃に休刊しました。初期はウォー・シミュレーションゲームを専門としていましたが、80年代に入ってからは当時流行した会話型RPGを多く取り上げるようになりました。RPG マガジンは1990年から1999年まで刊行されていました。

『ファンタズム・アドベンチャー』を語ろう(第2回) わたしと『ファンタズム・アドベンチャー』

仲知喜 (協力:岡和田晃、田島淳、齋藤路恵、高橋志行)

学生時代、ぼくは会話型RPGに夢中でした。放課後セッションにとどまらず、登校前に友人宅でダンジョン探索。ぼくと同世代の方々――現在30代後半から40代――共通の思い出だと思います。その頃遊んでいたゲームは、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(クラシック)、『ストームブリンガー』(第2版)、『クトゥルフの呼び声』(第2版)、『指輪物語ロールプレイング』(MERP)、『トンネルズ&トロールズ』(第5版)……。懐かしい名作・傑作ばかりです。そんなゲームの中でひときわ記憶に残る作品があります。それが『ファンタズム・アドベンチャー』です。
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『ファンタズム・アドベンチャー』は、1988年、大日本絵画から出版されたファンタジーRPGです。 このゲームのメイン・デザイナーは、トロイ・クリステンセンさん。当時、大日本絵画は、「ゲームグラフィックス」というアナログゲーム雑誌を出版しており、『ファンタズム・アドベンチャー』は「ゲームグラフィックス」の看板ゲームでした。
ルールブックの裏表紙には次のようなうたい文句が書かれています。

 地球から遠く時と時空を隔てた惑星モノカン。そこには様々な形態から進化した知的生物と、彼らをはるかに上回る種類の生物が棲んでいます。惑星上の小さな大陸アニス。そこがロールプレイの出発点になります。あなたは、存在する多くの知的生物の中から、好きな種族をキャラクターとして選んで下さい。そして、そのキャラクターを第2の自分として、血に飢えたキャラクターや死の罠の数々が待ち受けている果てしない冒険へ挑んでゆくのです。ファンタズム・アドベンチャーは、大いなる危険と終わることのないスリルに満ちたファンタジー・アドベンチャーです。

『ファンタズム・アドベンチャー』はどいうゲームか、一言で言い表すのは難しい。
プレイヤー・キャラクターとして選択可能な種族はエルフ、ジャイアント、ピクシー、セントール、オーク、ガーゴイル、トレント(!)、マンティコア(!!)、スリッジ(アメーバ……)など基本ルールブックだけで79種類。キャラクターは「氏族」という中世のギルドのような同業者組合に所属することで、いわゆる『クラス』のような特徴を持ちます。同時に、キャラクターのレベルアップは「氏族」内の地位の上昇として表わされます(地位が上がるにつれ、使用可能な武器やサービスなどさまざまな恩恵が解除される仕組み)。すべてのスキルには決定的成功と致命的失敗表が設けられ、戦闘には鎧や武器の消耗、ダメージによるショック、特定部位への攻撃、大きさの違いによるダメージの変化や命中修正など細かいルールがあります。魔法使いは独自の魔力獲得パターンや行使のスタイル(ジェスチャー、詠唱、踊り、歌唱など)を自由に選択できます。いくつもの「神話」が共存するエキゾチックな宗教設定。そして、ファンタジーゲームの世界設定といえばトールキンに代表されるハイ・ファンタジーが多い中、大勢の異種族と社会体制、魔法と異形の科学が共存する惑星モノカンは、ジャック・ヴァンスの『終末期の赤い地球』 や M.ジョン・ハリスンの『パステル都市』のようなサイエンス・ファンタジー色の濃い世界設定でした。

Pastel
「異色」。『ファンタズム・アドベンチャー』にふさわしい言葉です。

わたしのゲーム経験でもファンタズム・アドベンチャーは特異な位置を占めています。そもそも、異種族(デミヒューマン)といえばエルフ、ドワーフ、ハーフリングぐらいしか遊んだことがなかったのに、いきなりスリッジやマンティコアが選択可能になるのですからね。身長3メートルのジャイアントがどれだけひっそり行動するのに不向きなのか身を持って体験したり、トレントの盗賊が鍵明けに挑戦するさまを想像してみんなで大笑いしたり、このゲームは強烈な印象を与えてくれました(笑)。

でも、失礼を承知のうえで言わせてもらうと、『ファンタズム・アドベンチャー』は謎の多いゲームでした。その頃、遊んでいたゲームの中では飛び抜けて個性的なゲームでありますが、振り返って考えると自分がその魅力を理解していたとは言い難いのです。

このたびのトロイさんへの質問には、そういった疑問をぶつけてみたいという気持ちがありました。「ファンタズム・アドベンチャーとは一体なんだったのか?」

トロイさんの回答は、残念ながら、ぼくが予期していたものでありませんでした。例えば、「ファンタズム・アドベンチャーの種族の多いところはラリー・ニーヴンの『リングワールド』に影響を受けたんだ」そういうデザインコンセプトの答えを予想していたのです。ですから、しばし、悩んだんですよ。なんだろうこれは、と。この人はなにを隠してるんだ(笑)。

もやもやした気分のまま数日が過ぎ、気が付きました。古いRPG雑誌に載ったキャンペーン設定の作成に関する記事を思い出したのです。そこで紹介されていたのは、「世界設定を自作するにあたり、いきなり膨大な設定を決めたりせず、最初はプレイヤーの暮らす村や町など(いわゆるホームタウン)周辺のみの設定にとどめ、その後、キャラクターの行動範囲が広がるのに合わせて(GMのシナリオの展開にあわせて)どんどん設定を拡張していく」という手法です。

そこでパッと閃いた。つまりトロイさんは最初から、今ある形の『ファンタズム・アドベンチャー』を想定してデザインを行なったというよりも、プロトタイプでのプレイを重ねながら、少しずつ手を加え、『ファンタズム・アドベンチャー』を仕上げていったのではなかろうか。実プレイの積み重ねによって生まれた記録の集合体が『ファンタズム・アドベンチャー』なのかも知れない。

そういえばわたしにも似たような経験があります。むしろ、手元にあるのは一冊のルールブックだけ、世界設定も追加ルールも英語版で入手するのも読むのも夢のまた夢なんて状況では、ゲームのプレイはそうせざるを得なかったんですよね。名前も考えてなかった小さな村がホームタウンになり、ふとした拍子に登場したNPC(ノンプレイヤー・キャラクター、GMが演じるキャラクターのこと)がその後重要な役割を持つようになり、全滅寸前のパーティへの救済策として都合主義もはなはだしいオリジナルのマジックアイテムを登場させて後付で隠された伝説をひねり出したり、あるシナリオで救出した伯爵の娘とキャラクターの一人が婚約したり……。

あの当時の記録を集大成したら、ちょっとしたD&Dの自家製ルール集兼キャンペーンガイドできるかもしれません。あの当時は多くのゲームマスターがそうだったように記憶しています。何層にもなる手書きダンジョンマップ、部屋ごとの細かい描写、NPCのリスト、人間関係図、王国とその近隣国の設定など、ノートにまとめていませんでした?
というか、あのグレイホークやフォーゴトンレルム、グローランサだって、そういう過程を経て創られていったんですよね!

トロイさんの発言から『ファンタズム・アドベンチャー』の成り立ちについて想像を膨らませるうちに、だんだん『ファンタズム・アドベンチャー』に不思議な親近感がわいてきました。同時に、昔懐かしいゲームをもう一度じっくり遊んでみたいという気持ちが高まりました。

しかし、この年齢になると、学生時代のようにはゲームに時間を割けません。それに、人生には「ゲームどころではない」という事態が人生には思いのほか多いです。

昔のようには遊べないかもしれません。でも、ある時期、ある世代、RPGを遊んだ人たち、自作の世界設定を作り、壮大なキャンペーンを行なっていた人たちがいた。そんなゲームの「達人」――彼らのような人をこう呼ばせてください――が、腕を錆びさせてしまうのはあまりにももったいないんじゃないか。

最後に、唐突になりますが、わたしの体験談をお話しさせてください。わたしのゲーム関係の知人に東北地方太平洋沖地震で被災した方がいます。彼の家は、地震の被害は最小限だったそうです。それでも、断水や停電が1週間以上続いたそうです。彼とオンラインで連絡が取れたのが震災発生から2か月以上後のことでした。心配する私に彼が笑ってこう言っていました。「なんとかやってる。いやー、ゲームどころじゃないよ」。そのあとでいつものようにゲームの話題になりました。わたしから見た彼はいつもの会話ができて心底ほっとしているようでいて、どこか、なんといえばいいのか、壮絶でした。それ以来、ぼくの中にある考えが浮かぶようになりました。

「ゲームのある日常とは何か」

実のところ、まだ、答えは出ていません。
「ゲームどころではない」という事態が人生には思いのほか多い。という事実は40年も生きていれば身をもってわかっているつもりでした。でも、その時初めて、我々がゲームを楽しんでいる日常っておそろしくあっさり崩壊するもんなんだと、痛感したのです。

そこで、こう自問する。

「だからこそ平凡な日常で、ゲームにしかできないことはないだろうか?」

難しいです。
だが、やってみないことにはならないと思うようになりました。少なくともその価値はある。なにより、ゲームの素晴らしさは自分が一番よく知っているからです。

「ここらでいっちょう時間も手間のかかるゲームにしっかり取り組んでみよう」

そう考えながら、数年ぶりに押入れから出してきた『ファンタズム・アドベンチャー』を手近な本棚に 戻したのでした。

「忙しい」を口実に楽な方に逃れてはいないかと自戒の念も込めつつ。

『ファンタズム・アドベンチャー』を語ろう(第1回) トロイ・クリステンセンさんへの質問

仲知喜 (協力:岡和田晃、蔵原大、高橋志行)

先日、たまたま会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)『ファンタズム・アドベンチャー』(1988年、大日本絵画)のメイン・デザイナーであるトロイ・クリステンセンさんとオンライン上で言葉を交わす機会がありました。舞い上がってしまったわたしは、さっそくトロイさんに、『ファンタズム・アドベンチャー』についての質問を、拙い英語で投げかけ、簡単なインタビューを試みてみました。その記録を再構成し、ご本人の許可をいただき、Analog Game Studiesで公開させていただきます。

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トロイ・クリステンセンさんは、『ファンタズム・アドベンチャー』シリーズとして『ノーザンエリア』(ワールドガイド)、『亡霊の砦/洞窟の死神』(ゲームマスター・スクリーン&シナリオ集)、『水竜湖の暗黒城』(シナリオ集)、『霧雨の島』(キャンペーンシナリオ集)、『アドバンスド・ファンタズム・アドベンチャー』(新版ルールブック)に関わり、またSF-RPG『マルチバース』のメイン・デザイナーとしても知られています(すべて大日本絵画から刊行)。
『ファンタズム・アドベンチャー』は、現在も新しい版のデザインが進められております。最新情報は、トロイ・クリステンセンさんのウェブサイト“Emerald Tablet”をご覧ください(英語)。
その他、英語圏では、『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下AD&D)第2版のサプリメント(追加設定資料集)“Castle Guide”(共著、未訳)や、オリジナルRPG“Bloodbath”(未訳)といった作品も発表なさっています。

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仲:ミスター・トロイ・クリステンセン、あなたがデザインしたロールプレイングゲーム『ファンタズム・アドベンチャー』についてお聞きしたいと思います。刊行当時、ぼくは中学生でしたが、本当に大好きなゲームでした。ファンタジーRPGと言えば『ダンジョンズ&ドラゴンズ』しか知らなかったので、『ファンタズム・アドベンチャー』には驚かされました。
『ファンタズム・アドベンチャー』をデザインし、出版するまでの経緯についてお聞かせください。

トロイ:わたしは東京の三鷹にある国際基督教大学の学生でした。当時わたしは22歳で、その年に、このうえなく素晴らしい経験をしました――日本は素晴らしい国です。日本の文化も、人々も、みな本当に最高でした。
『ファンタズム・アドベンチャー』は、初期のロールプレイングゲームに強い影響を受けています。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、『メレー』(*1)、『ルーンクエスト』、『ヴィランズ&ヴィジランテス』(*2)、その他、数多くのクラシカルなRPGあっての作品でした。思い返せば、わたしがこのゲームのルールを初めて書いたのは1980年ごろ、まだ高校生のときでした。最初の版か次の版、このゲームは単にタイプで打ち(ええ、その頃はこれしか手段がなかったんです)、それをコピーしただけのものでした。
1986年、わたしは来日し、交換留学生として三鷹の国際基督教大学に入学しました。地元に置き去りにしてきたゲームや、一緒にゲームをプレイしていた仲間が懐かしくなって、新宿に出た際に『ゲームグラフィックス』誌を買ってみたのです。雑誌の最後に、編集部の住所が英語で書かれていたので、昔ながらの方法で手紙を出しました(当時、Eメールはありませんでした)。驚いたことに、また嬉しいことに、それを読んだ編集部の人たちは、編集部に遊びに来るようにと言ってくれたんです。
それからのことについては、ご承知のとおり。わたしたちはすぐに打ち解け、彼らは日本のゲーム・ファンへ向けて、『ファンタズム・アドベンチャー』をデザインするように依頼してきたのです。

仲:『ファンタズム・アドベンチャー』には沢山の種族が出てきますよね。

トロイ:ええ。わたしは、種族はいっぱい必要だろうと思ったんです。日本のゲーム・ファンに向けて出すにあたって、編集部のアドバイスに従い、より日本文化に馴染むような種族を付け加えました。だいぶ時間が経ってしまったので、どれが編集部の依頼で加えたものか詳しくは憶えていませんが、ラビットマンと、その他いくつかの種族だったと思います。
私はこのゲームのごく初期の頃から、身長6インチのフェアリーが、身長12フィートのジャイアントと一緒に(ともにプレイヤー・キャラクターとして)冒険できたらどんなにワクワクするだろう、という思いがありました。このルールはなかなかうまく機能し、種族ごとの特徴が出せました。ピクシーがジャイアント並みの腕力を有していたり、ジャイアントなのにピクシー並の腕力しかなかったり、なんてことは、『ファンタズム・アドベンチャー』では決して起こりません。

仲:キャラクターを特徴づける「氏族」という要素が斬新ですね。なぜ『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のようなクラス・システムを採用しなかったのですか?

トロイ:「クラス」のアイデアは、わたしがこのゲームをデザインした当時、あまりにもとらえどころがないものと思えたのです。さらに何らかの技倆に特化した組織という雰囲気を出したいと思っていました。たとえば「陸軍」、「海軍」、「空軍」、「海兵隊」という用語から感じるようなね。
この考え方のおかげで同時に「氏族」はゲーム世界の物語や伝承とうまく結びつくようになりました。今でこそ先鋭的な考えではありませんが、当時は革新的なルールだと見なされていたのです。将来、エクスパンション・ブックで、特定のギルド内における政治的階層の詳細を説明し、プレイヤーが数多の氏族の指導者となって、ゲーム世界の晴れ舞台で覇権を握れるようにできればと思っていました。

仲:宗教と魔法のルールもユニークですね。

トロイ:神々は「信仰度」に則ってデザインされています。一人のキャラクターは、複数の神々を信仰することができ、それぞれの神に対して様々な態度を取ることができます。そのキャラクターの信仰の度合いが深くなれば、神格はより多くの恩恵を与えてくれるようになりますが、その代わりに、彼の人生にはさらなる制約が課せられることになります。うまくロールプレイを組み入れることを斟酌すれば、なかなかバランスがよく、運用して面白いルールシステムだと思います。
魔法についてはもう少し複雑ですが、このゲームのシステムでもっとも特徴的なものの一つであると自負しています。それぞれの術者が、2つの領域と系統を選択します。領域はそれぞれ能力の一部に結びついています。20の領域と、4段階の魔法の力が設定されているため、どの術者にも、それぞれ固有の特徴が生まれます。「肉体」(体の動き)と「物品」(特定の物品を持つ)の両方を取得した術者が2人いたとします。1レベルの「肉体」と4レベルの「物品」を取得している1人目のキャラクターは、呪文を用いるには、指をちょっと動かせばよいのですが、聖遺物については、重たい、ほぼ運搬不可能なほどに大掛かりなものが必要となります。4レベルの「肉体」と1レベルの「物品」を取得していた2人目のキャラクターは、大仰な身振りが必要となりますが、指輪かアミュレットが1つあれば物品としては十分なのです。このルールがあるおかげで、魔法を使う光景が、具体的に思い浮かべられるようになっていると思います。
『ファンタズム・アドベンチャー』のシステムには、クールなルールがたくさん含まれています。いま日本であまりプレイされていないのは、本当に残念ですね。
(筆者注:魔法のルールの説明は、Phantasm Adventures, 3rd Edition [English]に準拠していると思われます。基本は『アドバンスド・ファンタズム・アドベンチャー』のルールと同じです。http://emeraldtablet.wordpress.com/phantasm-adventures/

仲:ああっ、大切なことをお聞きしそびれるところでした。タフィボーゼ(*3)とスリッジ(*4)です。あれはなんなんですか?(笑)

トロイ:いい質問です。ああいう一風変わったクリーチャーのアイデアが、どこから来たのかは自分でもわかりません。このゲームがデザインされてから25年が経ちますが、タフィボーゼやスリッジをロールプレイしたことのあるプレイヤーは一人しか知りません。
『ファンタズム・アドベンチャー』をプレイした人たちは、特定の種族のキャラクターをプレイすることを心から愉しみ、何年も同じキャラクターで続けてゲームをプレイしたりもします。ただ、同じ種族のキャラクターを繰り返してプレイするという例は寡聞にして知りません。わたしは、防御役になる種族――たとえば、ジャイアント・イーグル、ユニコーン、トレントのように、面白いのに、あまり日の目をみない種族――が、もっと注目されてしかるべきだと考えています。

仲:背景世界のモノカンはどういう発想で生まれたのでしょうか?

トロイ:何年もゲームを重ね、また幻想にあふれた世界を夢見ることで形作られました。

仲:丁寧なコメントをありがとうございました。大好きなゲームのデザイナーにインタビューすることができて、とても光栄でした。本当に感謝いたします。

トロイ:こちらこそ、素晴らしいご質問の数々に感謝します。あなたがインタビューしてくれたおかげで、若い世代のプレイヤーが『ファンタズム・アドベンチャー』に触れるための新しい機会が生まれたと思います。

(*1)『メレー』:1977年。メタゲーミングコンセプト社。デザイナーは『ガープス』のスティーブ・ジャクソン。個人戦闘を扱う。「タクテクス」40号に和訳あり。『幻のユニコーンクエスト』(1988年、ホビージャパン)の基本ルールでもある。
(*2)『ヴィランズ&ヴィジランテス』:1979年。ファンタジー・ゲームズ・アンリミテッド社。スーパーヒーローRPG。デザイナーはJack Herman と Jeff Dee。ちなみにJeff DeeはAD&Dのアートを多数手掛けたイラストレーターでもる。
(*3)タフィボーゼ:三足歩行をする、頭が足の下にある種族。かつて、惑星モノカンを侵略しようと襲来をかけてきた種族であるが、現在は祖先に関する科学技術のすべてを失っている。
(*4)スリッジ:アメーバに似た奇怪な種族。高度な知能を有しているが、視覚を持たない。酸の唾を吐くことができる。亜種のエアリアル・スリッジは、攻撃の命中を受けるたびに爆発する確率があり、プレイヤーを恐怖に陥れた。

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インタビュー記事はここまでです。
わたしの突撃インタビューにたいへん丁寧にご回答して頂いたトロイ・クリステンセンさんにこの場をかりてお礼申し上げます。

※2013/4/9 一部修正。

【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回)

【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回)

伏見健二、岡和田晃

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Analog Game Studiesに、伏見健二さまによる「CBT的アプローチのセッション運営(第1回)」(初出:「ブルーフォレスト通信1」、グランペール、2010)をテーマ連載の第1回として再掲したところ、各方面より大きな反響をいただきました。すでに、(公式窓口である)Analog Game Studiesの公式メールアドレスに寄せられたご意見「私がTRPGをセラピーとして使わない理由」(早瀬以蔵)を、対論として全文掲載させていただいております。

続く本記事は、主として早瀬以蔵さまのご批判に対し、執筆者である伏見健二さま、Analog Game Studies代表の岡和田晃が応答を行なうとともに、本連載「CBT的アプローチのセッション運営」の今後について語るものです。(岡和田晃)

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●伏見健二の応答

寄稿くださった早瀬以蔵先生、WEB上にてご指摘とご教示をくださった滝野原南生先生をはじめ、本論へのご意見やご批判、危険性についての迅速なご指摘に感謝いたします。

論の進行と共に、その実運用、危険性や限定性についてと段を踏んで言及する予定でありました。

しかし本論が治療をテーマとするものであることを踏まえ、そのリスクに対してより慎重に扱うべきものであるということ、それはむしろ『最初に』提示するべきであった、また、この論が「独り歩き」する危険が多大にある、とのご批判はたいへんに的を射たものであり、首肯いたします。

よって、以下、危険性について強調しておきます。

この論を全論、非公開化するべきだとのご意見もありますが、欠点を確認し、その修正を共有する、という意義もふまえ、また、今後とも会話型RPG(TRPG)シーンにおいて精神保健の知識の啓蒙と、問題共有するという意図において、反論や危険視の声も含めての継続公開をAnalog Game Studiesにお願いいたしました。

・本論は、知識の未熟な者をもって治療行為・医療行為をするようにと誤読させる危険をおおきく孕んでいる。

・TRPGのセッションが、治療効果をうたって人を集めることにより、政治活動、宗教活動、あるいは詐欺をはじめとする犯罪等に悪用される恐れがある。

・セラピーセッションが成功するとは限らない。このセッションによって、クライアントが治療効果を得られなかったために悲観を深める危険性がある。そのときに、ゲームコミュニケーションだけではその方への継続的な支援の手が届かない。

・セラピーセッションはTRPGそのものの楽しみとはまったく異なる目的手法であり、TRPGという娯楽の形式を誤認させ、その理解と拡大を歪める危険性がある。

一方、TRPGの有効性/特殊性に対して、また「娯楽」の概念定義に関しては異論、異説もある件かと存じます。私も考えを深めてゆきたいと思います。

そして、以下の形を現在の持論として述べさせていただきたいと思います。

・TRPGをはじめ、対人コミュニケーションをその娯楽の根幹とする趣味においては、障害や疾病の理解を深め、受容を高めるべきである。

・障害や疾病を持っていても、ほとんどの場合、本人はそれをコントロールできており、また、良質な娯楽を必要としている。彼ら/彼女らは愉快で魅力的な仲間であり、なんらかのコミュニケーション障害を理由として過度に危険視する必要はない。

・基本的な知識を持つ者が配慮をもってTRPGを一緒に楽しむことで、大きな相互支援効果を上げることができる。

最後に、この論考について、より多くの方に周知され、説を深めるべきとの意図を持って掲載を決断され、また、識者各位からの意見を集めてくださったAnalog Game Studies代表岡和田晃氏に深く感謝いたします。早瀬以蔵さまのご批判をふまえたうえで、今後Analog Game Studies上で公開していく内容につきましては、ソーシャルワークとTRPGとの関係を主軸とした研究と実践の模索という形に方針を変更させていただき、公開すべき進展がありましたら、その成果をご報告させていただきたいと考えております。

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伏見健二(ふしみ・けんじ)
1968年東京生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒。作家、ゲームデザイナー、介護福祉士。
日本の主要なアナログゲームクリエイターのひとり。21歳の時に代表作であるテーブルトークRPG『ブルーフォレスト物語』(ツクダホビー)を発表。小説家としても多数の作品を発表する。冒険企画局に所属の後、テーブルトークRPGの専門集団(有)F.E.A.R.の設立、小規模出版によって多様なゲームシーンを発掘紹介する(株)グランペールの設立と相次いでゲーム企業の設立に携わる。またインターネット黎明期に千人の会員を持ったWEB上ゲームサークルG99の主催者でもあった(現在は解散)。
介護を本業とする現在も、福祉資格取得の講師やスキルアップセミナーの講師を行いながら、ゲームデザインや出版やイベントに携わり、ことに小規模出版の支援や障害者支援に力を入れて幅広い活動を行っている。

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●岡和田晃の応答

本テーマ連載は、Analog Game Studies代表岡和田晃によって企画・推進されました。

岡和田晃が「CBT的アプローチによるセッション運営(第1回)」(以下、「本稿」)をAnalog Game Studiesでの公開に値すると判断したのは、次の3点を理由とします。

・会話型RPG(TRPG)の運用メソッドを、新たな社会的文脈へと繋げていること。

・会話型RPGの運用メソッドという形式を通じ、精神保健の啓蒙を推進していること。

・会話型RPGの現場では往々にして見過ごされがちな事態について、改善の契機となりうること。

本稿の再掲にあたっては、Analog Game Studies内の当記事への査読担当者による査読を行ないました。結果、原則として文面を変化させる必要はないという結論に至りました。その理由は、大きく分けて以下の4点になります。

・「ブルーフォレスト通信」の他の記事とは内容的に独立した記事であり、例えば『ブルーフォレスト物語』を知らなくても理解することができる。

・初出のままで掲載したほうが、本稿の先進性が読者の方に伝わりやすい。

・本稿の鋭角的に打ち出された問題意識、ならびに会話型RPGという表現を通じて「前に進む」意志は、それ自体として固有の価値がある。

・本稿はすでに、(精神科医を含む)精神保健や臨床の専門家、あるいは相互支援の現場にいる方々から高い評価をうけていた。

これらの理由から、伏見健二さまと相談のうえ、原則として初出のままで公開することとした次第です。

岡和田晃、ならびにAnalog Game Studiesにおける「CBT的アプローチのセッション運営」査読担当者(以下、「私たち」)は、公開後も本稿で問われた問題についての議論を重ねてきましたが、私たちは、これまで会話型RPGにおいて、プレイヤーマナーの問題としてのみ考えられ、プレイヤーへの批判や排斥につながってきた問題が、「CBT的アプローチのセッション運営(第1回)」によって、神経由来の障害や疾病の問題、ひいては個性の違い(*)とも受け止められる事例だということが明らかにされたところに、本稿の最も大きな可能性を見ています。

(*)現在、障害の分野ではICFの考え方(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html)というものが主流となっています。すなわち、障害(や疾病)があっても、それは機能において評価されるべきである、また機能への支援がなされるべきであって、障害(や疾病)があることと「人格」に欠点・問題・欠損があることを混同しないという視点です。

それゆえ私たちは、伏見健二さまの指摘はゲームの場に起こることを説明するうえで、大きな一歩たりうると考えております。そして受容や解決の道のりの模索がなされていることは、古くから存在している問題を解決するための、新たな視点であるのは間違いありません。

近年、福祉の現場において、(「医者‐患者」という関係に留まらない)クライアント同士の相互援助の重要性が説かれ、また実践が模索されています。とすれば、相互支援の考え方を前提としたうえで、会話型RPGが選択される可能性もあるのではないでしょうか。会話型RPGが独特で他に代えがたいものであるなら、それは固有のベネフィットたりうる可能性もあるのではないでしょうか。

しかし私たちはまた、寄稿された対論にある早瀬以蔵さまのご指摘をも真摯に受け止めます。

そして私たちは、伏見健二さまが「CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回)」で改めて強調した、危険性についての問題意識を共有します。そのうえで、会話型RPGをはじめとしたアナログゲームと精神保健の問題について、継続して思考の材料を提示していくこともまた、アナログゲームの可能性を広げることにもなると考えます。

それでは本応答をもちまして、「CBT的アプローチのセッション運営(第1回)」についての対論・対論への応答の流れはいったん締めさせていただきます。ただし、ご意見は継続して承りますので、ご意見をお持ちの方は、「活動趣旨」にも掲載されている公式窓口analoggamestudies1★gmail.com(★→@)にまで、メールにてお寄せいただけましたら幸いです。

寄稿依頼に応じてくださり、また数々のご配慮をいただきました伏見健二さま、対論をお寄せいただいた早瀬以蔵さま、ならびに読者の皆さまに深く感謝いたします。

一方、「CBT的アプローチのセッション運営」(第1回)、および「私がTRPGをセラピーに使わない理由」の議論を通じ、精神保健の基礎的な知識の習得に関心が生まれた方は、その一助として、以下のウェブサイト等の情報を参照されてはいかがでしょうか。

・「発達障害者理解のために」(PDFファイル)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/hattatsu/dl/01.pdf

・「みんなのメンタルヘルス総合サイト」
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/index.html

一般書店で容易にアクセス可能な入門書を一冊挙げるとしましたら、星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社新書 190)が参考になります。
発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) [新書] / 星野仁彦 (著); 祥伝社 (刊)

その他、関連分野の専門書にも触れていただければ幸いです。

なお、「ブルーフォレスト通信2」(グランペール、2010)には、本稿の続編「CBT的アプローチのセッション運営(第2回)」が掲載されています。

これは「ブルーフォレスト通信2」に掲載されたもので、「軽度の不安神経症を抱え、コミュニケーション障害の悩みを抱えるクライアントをモチーフに、ソーシャル・スキル・トレーニングの視点で、その行動の積極性を高めるため」の実例を、会話型RPGのセッションを通じて考えるものとなっております。

イメージしてください。あなたに、軽度の不安神経症を抱え、コミュニケーション障害の悩みを有している友人がいたとします。その友人が会話型RPGをプレイしたいと言ってきた場合、あなたはどのようにふるまうべきでしょうか?

こうした問題を、「CBT的アプローチのセッション運営(第2回)は、コミュニケーションの位相から考えるものとなっております。つまり、介護の現場での経験を通して試行錯誤を続けてきた、一人のクリエイターによるシミュレーションが提示されているのです。

「CBT的アプローチのセッション運営(第2回)」は、第1回の内容を前提として書かれた記事ですから、早瀬以蔵さまのご指摘、ならびに本稿で強調された「危険性」の確認は、第2回を読むうえで大いに役立つでしょう。

「ブルーフォレスト通信2」も、併せてご覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)
ブルーフォレスト通信2 / グランペール

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回) by 伏見健二(Kenji Fushimi)、岡和田晃(Akira Okawada) is licensed under a Creative Commons 表示 – 継承 3.0 Unported License.

私がTRPGをセラピーとして使わない理由

先日、伏見健二さまの「CBT的アプローチによるセッション運営(第1回)」(初出:「ブルーフォレスト通信1」、グランペール、2010)を、岡和田晃の序文を添えたうえで、Analog Game Studiesに再掲載させていただきましたが、読者の方より、同記事と序文への対論をAnalog Game Studiesの公式メールアドレス宛てにお寄せいただきました。

寄稿者の早瀬以蔵さまとご相談のうえ、Analog Game Studiesに対論エントリとして全文掲載させていただきます。(岡和田晃)

なお、本対論への応答も併せてご覧ください。

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【対論】私がTRPGをセラピーとして使わない理由
(【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1回)への対論)

早瀬以蔵

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このような真面目な論考がたくさんある中で私の論ともいえないような文章を投稿するのは大変に恐縮なことですが、伏見健二氏論考の転載、「CBT的アプローチのセッション運営(第1回)」を読ませていただいて、精神医療・福祉のプロとしての意見、特に反論を述べたくなりましたので投稿させていただきます。

【目次】
1) 私は何者で、なぜこれを書くのか
2) 批判1:目的と論旨が逆方向である
3) 批判2:認知行動療法は治療法である
4) 批判3:認知行動療法における認知の考え方が間違っている
5) 批判4:児童の教育・思春期のトレーニング・うつに悩まされている方の自己実現・SST目的にTRPGが使われることは、特に有利でない
6) 私は娯楽としてのTRPGをある程度以上に回復した患者に推奨する
7) 私は行動心理学や認知心理学をTRPGに応用することを推奨する
8) TRPGはセラピーとして大きな欠陥がある
9) なぜ我々は趣味を本業や他分野に応用しようと思いがちなのか
10) 対人援助として趣味を扱い、工夫するそのこと自体が、対人援助性を損なう
11) 結論とまとめ

1)私は何者で、なぜこれを書くのか

私は福祉的病院施設に勤める30代の男性医師です。専門は小児科。特に精神疾患・心身症・発達障害と重症心身障害を専門とし、成人の精神科での勤務経験もあります。CBTを含む行動主義的アプローチと薬物療法を臨床の軸にしています。一方で、人生の一時期にうつを経験し、精神科医療を受けたこともあります。そして、当然、そのような経験をするはるか以前からの会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)ファンです。私がはじめてGMをプレイしたのは伏見健二氏の『ブルーフォレスト物語』でした。システムに組み入れられた世界観(あるいはその逆)にいたく感動したのを覚えています。以来30代になるまで、私の人生からTRPGが分離されたことは一度としてありませんでした。

私はTRPGを大切にしています。TRPGに、ある程度回復した患者さんが参加することを禁忌的に扱いたくはありませんし、そうすることで結局自分自身の損となる事をわかっていただきたいと思っています。

従前「困ったチャン」と呼ばれていた人たちを含めて参加する人を大切にするセッション運営をしたいと思っていますし、他の人にも推奨します。その中でコミュニケーションにかかわる心理学的知識とカウンセリング技法が参考になると考えてもいます。岡和田氏はこう書いています。

 会話型RPGが遊ばれる現場において、精神疾患を有していたり障害を有していたりする方の状況が正しく理解されず、いわゆる「困ったちゃんプレイヤー」として排斥されてしまう事例がままあります。これらの問題や対応について、容易な解決を見ることは難しいでしょうが、認知行動療法の予備知識があれば、そのプレイヤーを理解し、受容し、ゲームの仲間として楽しいひとときを共有するための何らかの糸口、思考のヒントを得られるかもしれません。少なくとも、従前よりも状況をより的確に理解することができるようになるのではないでしょうか。(中略)

そして可能であれば、うつ病、精神疾患、障害、認知行動療法等の専門書へアクセスし、知見を広げる契機としていただけましたら幸いです。

この目的には異議を唱える物ではありません。参考として挙げられている伏見氏の「バイステックのRPG」も良い文章であると思います。しかし、本論は上記目的の入り口としては不適であると考えます。内容的にもプロから見て大きな疑問があることと、誤解を招くように思うからです。

○2) 批判1:目的と論旨が逆方向である

さて、批判の一つ目は岡和田氏の掲載目的と再掲された文書の方向が逆方向である点です。岡和田氏の目的の一つは、要約すれば「CBT的考え方をTRPGセッション運営に生かす」という事でした。ところが、この文章は「TRPGをCBTとして運営しよう」ということです。論旨がまるで逆で、混乱をきたしています。要するに、引用する文章を間違えているのです。

○3) 批判2:認知行動療法は治療法である。

岡和田氏も伏見氏も、これは治療に関する文章ではないと言いますが、認知行動療法は名前の通り明確に治療です。CBTは認知心理学と行動主義心理学の治療的応用です。伏見氏は大きな誤解をしているようですが、CBTは誰でもできるようなパッケージでは決してありません。CBTを行うには背景理論に関する深い理解と、それを目の前のクライアントに即座に転用する熟練が必要となるのです。(実は、それを勘違いしている心理のプロも多く、生兵法のCBTを行っては、効果が上がらず首をひねる、ということを繰り返しています)要するに用語の選択を間違っているのです。「行動科学」をTRPGに応用する、というのであれば、無用の誤解はなくなるのではないでしょうか。

○4) 批判3:認知行動療法における認知の考え方が間違っている

CBTでは「認知モデル」に沿ってクライアントの体験や問題を整理し、それを変容したり、あるいはそれとうまく付き合う方法を考えたりする心理療法です。「認知モデル」とは、我々がこの世界、そして出来事を「どのようにとらえているか」をわかりやすく示すモデルです。

例えば、会社員Aが仕事上のミスをしたとします。ミスをしたという状況自体は過去の事なので変えることはできません。会社員Aはミスをした後から、 1:自分が無能であるという考え(認知)が頭を離れず、2:毎日の出社にだるさを感じる(身体反応)ようになります。出社しても、3:ぼんやりと過ごす(行動)ことが多く、4:ミスをした時のことを思い出すとその時の焦燥感(感情)が再現され、結果として5:仕事でミスをしてしまいます(行動)。そのため、6:自分が無能であるという思い(認知)が強くなります。

一方同僚Bも同じミスをしたとします。Bは1:ミスには原因があるはずだと考え(認知)、2:ミスの原因を探ります。(行動)3:結果、自分の能力に一つの欠陥がある事に気が付き、(認知)不快になる(感情)と同時に、4:ミスを挽回して上司を見返してやりたい(認知)と考えるようになります。5:結果として彼はミスの後から見違えるように仕事に熱心に取り組むようになりました(行動)。

重要なのはA、Bどちらがいいか、ということではなく、同じミスでも捉え方が違うだけで随分と反応が違う、ということです。人の考え方(認知)にはクセがあります。これは、生まれてから現在までに培ってきた知恵と考えることもできます。我々は外の状況をいちいち真っ新からとらえる時間はありません。しかし、時にその考え方の癖が私たちに牙をむくことがあります。この考え方の癖に気付くことそれ自体が治療的効果を持つと考えられますし、問題自体も整理されるので暮らしやすくもなってきます。さらにCBTではこのような自分の考え方の癖に対してそれを意識的に修正したり、あるいはそのような考えが頭をよぎることがあっても、それに対する身体的反応や気分の変化を日常生活に支障のないレベルに落ち着ける訓練をしたりします。

以上の意味で、伏見氏の認知行動療法の解説には誤謬があります。例えば氏の言う「思い込み」とは認知そのものであり、この修正が狭義のCBTの目標ですから、「思い込み」が原因と考えられる場合にこそ最も認知療法は適しています。そもそも「思い込み」でないことなど、究極的にはこの世にはありません。我々は認知を通さずに物事を認識することはできないのです。

細かいようですが、これは大事です。CBTにおける「スピリット」と言っても過言ではありません。伏見氏がCBTを微妙に勘違いしている事が論が的外れである証拠にはなりませんが、誤解を広める元にはなると考えます。

○5) 批判4:児童の教育・思春期のトレーニング・うつに悩まされている方の自己実現・SST目的にTRPGが使われることは、特に有利でない。

児童を実際に診ているとわかりますが、昨今のゆとり教育の中でさえ、児童の生活は失敗と成功の連続であり、その経験量はTRPGで得られるそれをはるかに上回ります。それを、学校や地域社会という揺籃の中で経験することによって(失敗が、取り返しのつかないことを起こさない場で)児童は育っていきます。このことを心配するなら、やるべきは児童の成功/失敗に対する親・先生の態度や児童にかかわるあなた自身の態度の修正です。わざわざTRPG を用いる必要はありませんし、後述する般化の問題によってむしろ不利であると考えられます。

ほぼ同様の理由で、伏見氏の挙げるTRPGはほかの日常生活や趣味と比較して特に有利な側面は皆無です。

○6) 私は娯楽としてのTRPGをある程度以上に回復した患者に推奨する

私は、セラピーとしてTRPGを採用しません。実は精神科医療の世界にはTRPGファンは少なくありません。ロールプレイングという言葉自体が精神科医療に大変近しい言葉ですし、即興演劇の力をセラピーに結び付けようとするサイコドラマという方法論もあります。私を含めて多くの人がTRPGはセラピーとなりうるのではないかと考えたかと思います。もちろん私自身も真面目にTRPGがセラピーとして成立するかどうかを考えたことがあります。答えは、否、でした。

しかし、娯楽としてのTRPGの活用は推奨できるかと考えます。実は、娯楽は精神科的リカバリの大きな柱です。大変意外なことかと思いますが、疾患にかかわらず多くの精神科患者が「余暇を楽しむ能力」そのものに障害を抱えています。余暇を楽しむことは、ストレスに有効に対処し、健常な精神生活を送るうえで欠くべからざるものです。

また、TRPGはコミュニケーションを基盤としたゲームです。相手を必要とする趣味は、それ相応のコミュニケーションの練習となると考えてよいでしょう。精神科的リハビリテーションの場では、工作などの自分一人でできる趣味と、球技など相手を必要とする趣味の両方が推奨されます。

そのような意味で、多くの趣味に比べてTRPGが劣る点・禁忌的な点は特に見当たりません。ですから、余暇支援としてのTRPGの活用は止める理由がありませんし、一TRPGファンとしては応援したいところです。

○7)私は行動心理学や認知心理学をTRPGに応用することを推奨する

心理学は、(人間の)心的過程と行動に関する学問であり、そこには実生活に応用可能な多くの示唆が含まれています。一方でTRPGにおける諸問題は、心的過程と行動への自他からの干渉の問題と考えることができますから、心理学の直接的応用分野と言っても過言ではありません。

例えば行動主義心理学は、環境刺激や言語刺激と人間の行動の間にある程度の法則があることを示唆します。そして、いかなる干渉がいかなる反応を生み出すかということについての例をたくさん記述しており、それは直接的にTRPGを楽しくすることに援用可能でしょう。

TRPGに心理学の知見を応用することで、単に繰り返し遊ぶよりも上達が望めると考えられます。

○8 )TRPGはセラピーとして大きな欠陥がある

そうしてみると、TRPGにはセラピーとしての可能性があるように思えてきます。では、TRPGがセラピーに使えるように改造していくことにしましょう。

TRPGにおいて、葛藤と問題解決は大きなテーマです。この事を持って問題解決に役立つ思考を鍛えるのは理に適っているようにも思います。また、成功体験自体も精神的に良い影響を与えるものと考えられます。しかし、TRPGにはセラピーとして大きなネックがあります。それは、キャラクターを作り、GMが提示した仮想の問題で遊ぶという点にあります。

皆さんは競技に参加したことはありますか? そこで、「練習では十分にできたことが本番ではできない」ということを経験したことはありませんか? なぜそんなことが起こるのででしょうか。本番では一発勝負だから? 相手が違うから? 会場が違うから? 体調のせい? いろいろ理由はあると思いますが、結局のところ練習と本番では「文脈が違う」のです。よく専門家外の人たちの言う「般化」の問題として考えると分かりやすいと思います。

「般化」とは、「ある状況でできたことが、別の状況でもできるようになること」を表します。初期の行動療法や認知療法で問題になったのが(そして今でも問題であり続けているのが)、この「般化の壁」でした。セラピーで身に着けたスキルや考え方が日常生活で作用しないのです。

例えば、高所恐怖症の人がセラピストと共に何度か高いところからの映像を見て恐怖を克服したとします。ところが、いざセラピストと共に高いところに上るとまた恐怖がよみがえってきます。それが平気になったっとしても、今度はセラピストがいないだけで恐怖がよみがえってきます。それが平気になってもこんどは上るビルが違うと恐怖がよみがえってきます。

ちなみにこのことは成功体験にも言えます。セラピーでの成功体験と自己肯定感が日常生活で持続しないのもよく見られる現象です。

習得したスキルを「どこでも使えるようになる」というのは、意外なほど高い壁です。セラピーの中だけでの問題解決は真の問題解決たりえません。日常の生活の中で問題解決思考ができてこそのセラピーです。

一方でいきなり現実の状況に出るのはリスクの大きいことです。守られ、安心できる状況でこそ、傷ついた人々は一歩踏み出す気になれると言えますし、もしそこで手痛い失敗をするならば、状況は悪化するかもしれません。

セラピーはこのバランスを取らなければなりません。この壁を乗り越えるために、CBTは、いえ、全てのカウンセリング技法は工夫を重ねてきました。1:宿題の設定(セラピーの結果を日常で試してみる)、2:できるだけ生活に近い場でのセラピー、3:セラピストを何度か変更する、4:「今」「ここ」の問題を取り扱う(日常生活ですぐに問題場面が表れて練習しやすいからです)、5:漸次接近(限定状況から始めて徐々に状況を開放していく)、6:文脈に左右されないほど強固にスキルを定着させる等等です。現行のTRPGでは、環境設定が現実と違いすぎます。漸次接近の最初の入り口としてもやはり遠いと言わざるを得ません。「私ではない人」が、「今でない時」「ここに含まれる誰も実際にはチャレンジされたことのない問題に挑む」という状況設定は般化を難しくします。

ですから、一工夫してみましょう。まず、キャラクターは「私」としましょう。誰かほかの人に「私」になってもらうのもいいかもしれません。「問題」はメンバーの中から募りましょう。身近な問題こそ般化がなされやすいからです。さらに「これからも形を変えて起こりうること」を題材に選びましょう。行動判定はやめましょう。「実際にできること」のみがあなたの能力です。

さて質問です。これはTRPGですか?

質問の答えがYesでもNoでもいいのですが、実際のところこうしたセラピーはもう既に存在しています。先にあげたサイコドラマや、行動療法の一種であるところのソーシャル・スキル・トレーニング(SST)がそうです。そこにはTRPGで追及されていない、治療へ向かう意図と技法が含まれています。セラピーという意味では、既存のTRPGはサイコドラマやSST、そしてCBTのデッドコピーと申し上げても過言ではありません。従って、セラピーの貴重な時間を効率の悪い欠陥品に費やす必要性は全くありません。

○9) なぜ我々は趣味を本業や他分野に応用しようと思いがちなのか

一方で私自身はTRPGから多くの学びを得ました。その中には人生に関することや診療に関することがたくさんあります。私にはなぜ般化が起こったのでしょう。

一つには、TRPGでの問題解決を、何も物が考えることができなくなるほどたくさん繰り返してきた、ということが挙げられます。文脈が影響を及ぼさないほどに私の中でスキルが定着した、ということです。少なくとも数人には「同じ経験をした」と言っていただけると思うのですが、それこそ「猿のように」ただただTRPGとボードゲームを遊び続けた日々が私にはあります。週末の60時間をすべてゲームにささげることも稀ではありませんでした。

もう一つは暗喩の効果であると考えます。意味を明示しない例え話は、個人個人で異なる解釈を生み出し、それぞれの立場に応じた教訓となりえます。

身近なところでは童話がそのような効果を持ちます。少しの間、自分の今の悩みについて考えてみてください。そのことを考えながら、次の文章を読みます。

http://hukumusume.com/douwa/pc/world/10/03.htm

有名なグリム童話「ブレーメンの音楽隊」です。もしかすると、今の悩みに対して漠然とした教訓を感じませんでしたか? しかし、その内容は人によって違うと思います。例えば、「海外留学をしようかどうか迷っている」人がいるとしましょう。その人はこのお話のどの部分に反応するでしょうか? 「旅立った」ところでしょうか?「みんなで旅立った」ところでしょうか? 「年を取ってから旅立った」ところでしょうか?「泥棒が影と音を恐れた」ところでしょうか?「影によって追い払った」ところでしょうか? 「結局ブレーメンにはいかなかった」ところでしょうか?

どこを選ぶかによって教訓の意味は変わります。そしてその教訓を与えたのは実は童話そのものというよりも読んだその人自身なのです。

そのような意味で暗喩には教育効果が確かにありますが、そもそも、暗喩から得られる学びは、実は「自分で作った」ものです。つまり受け取り方、「認知」によって左右されます。ですから、自己に不利な認知を持つ人は、自分を追い詰める教訓を選ぶかもしれません。また、私たちは日常生活のあらゆる場面から暗喩を取り出すことができます。TRPGから得られる暗喩が野球から得られるそれを上回るという保証はありません。

さらに、帰属の錯誤である可能性があります。我々は、起こったことを今までの行動の結果と思いたがる傾向にあるようです。TRPGをたくさんした後で、コミュニケーション態度が良くなると、「TRPGのおかげだ」と思いたがるわけです。本当はほかの事が効いているのかもしれません。

いずれにせよ気を付けたいことは、人生の多くの時間を何か一つの趣味に割き、そしてそこから人生に大きな成果を得たと考えている人(つまり、我々)は、他の人にもそれが起こると信じがちであるということです。

TRPGは大変楽しい趣味であり、そこで生まれるコミュニケーション体験は独特で、他に代えがたいものがあります。しかし大局的に考えると、精神生活に対するベネフィットを得るためには、その趣味がTRPGである必要はありません。むしろあらゆる趣味が含まれると言えます。もし、TRPGを無理やりCBTとして考えるならば、CBTにはほとんどあらゆる対人娯楽が含まれることになります。テニスセラピー、卓球セラピー、野球セラピー、サッカーセラピー、カーリングセラピー、共同農作業セラピー、チェスセラピー、マルチゲームセラピー、株取引セラピー。これらも他に代えがたい独特のコミュニケーション体験を提供します。これらもセラピーとして考える、という前提であれば、TRPGをセラピーと考えてもいいかもしれませんが。TRPGは数多くの娯楽の一つに過ぎず、だからこそ一生を共にするにふさわしいのです。

○10)対人援助として趣味を扱い、工夫するそのこと自体が、対人援助性を損なう

我々対人援助者が娯楽を対人援助として使用するときに特に気を付けなければならないことがあります。それは、「必要以上の気を使って趣味の形をゆがめない」事です。

障害者スポーツを見たことがおありでしょうか。そこでは様々な工夫がなされていますが、例えば水泳で「泳ぐこと」に必要以上の手助けをしたりしません。腕がないからと言って足ひれの使用を認めようとかいう議論が起こることはありません。そうすることによって水泳は競技者にとってつまらないものになってしまうからです。ああなるかも、こうなるかもと事前に手をまわし過ぎると、これもまた、趣味の魅力を奪います。

さらに「狙い」を絞りすぎるのも失敗のもとです。前述のように、趣味に意味づけするのは趣味を行う人自身です。ベネフィットは主体的に選び取るものであり、それこそがエンパワーメント(主体的な力の回復を促す)ことになるのです。伏見氏の工夫の殆どは余計なことです。

その人の動機づけを高め、楽しい趣味の場を提供すれば、その人は自然に自らを助けていきます。腐心するべきは、そのゲーム体験を援助者自身が楽しめて、おそらく参加者が楽むであろうものにすることです。TRPGから学んでほしいことを必要以上に意識する必要はありません。

○11) 結論とまとめ

1:TRPGはほかの日常生活や娯楽と同等にセラピー効果と教育効果が期待できる。

2:TRPGに心理学的知見(≠CBT)を応用することでより良いプレイが実現する可能性がある。

3:TRPGをCBT、SST、教育として考えるとき、般化(文脈)の面で大きな欠陥を抱える

4:その欠点を補うと、既存の他のセラピーとなり、特にTRPGを用いる必要がなくなる

5:精神生活や教育に対する趣味や娯楽が持つベネフィットは一般に考えられているよりもはるかに大きく、であるがゆえに、もしもTRPGを対人援助として役に立てたいならば、下手な工夫をするよりもTRPGがもっと面白くなるように工夫するべきである。

「たかが娯楽」とか「趣味の範囲」という表現をよく聞きます。私たちは娯楽を娯楽以上のモノにしたくてたまらなくなります。しかし、娯楽の力を過小評価してはいないでしょうか。娯楽は、娯楽としての側面を追求するだけでも十二分に絶大な影響力とベネフィットを持つのです。娯楽を超えようという試みも徒労ではありませんが、TRPGはTRPGとして誇ってよいと私は考えます。

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早瀬以蔵(はやせ・いぞう)

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
私がTRPGをセラピーに使わない理由 by 早瀬以蔵(Izo Hayase) is licensed under a Creative Commons 表示 – 継承 3.0 Unported License.

【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1回)

Analog Game Studiesはアナログゲーム全般をエンターテインメントとして優れたものとして捉えていますが、同時にその社会的価値を高め、広く証し立てることを大きな目標として掲げています。
そこで今回は、商業媒体において発表された、心理学における認知行動療法を援用しつつ会話型RPG(テーブルトークRPG、TRPG)を運営するためのコラムを、執筆者の許可をいただき、Analog Game Studies上で再掲させていただきます。

今回の記事を書かれたのは、伏見健二さま。
東洋風の世界観、「悟り」といった独創的な目標設定でRPGの新時代を切り開いた『ブルーフォレスト物語』、スチームパンクをベースに広義の社会参加・人間讃歌をシステム内に組み込んだ『ギア・アンティーク』、南米風の世界観のもと、ダイナミックな空戦システムと人と人ならざるものの往還を表現した『ドラゴンシェルRPG』など、作家性豊かなゲーム・デザインで知られる、日本を代表するゲーム・デザイナーの一人です。
あるいは『サイレンの哀歌が聞こえる』などの平明ながらも情感豊かな小説の書き手として認識されることも多いでしょう。
近年は、介護の現場で培った問題意識や方法論のゲーム・デザイン/運用への応用を模索されています。

Analog Game Studiesは伏見健二さまの問題意識に共鳴し、アナログゲームを、そしてアナログゲームを語る言葉をさらに豊かなものとするため、微力を尽くさせていただきたいと考えています。

なお、本文の冒頭にもありますが、本コラムで紹介するものは治療行為ではありません。会話型RPGを通じた介護、支援、コミュニケーションのレベルのアプローチです。治療に関しては専門医や臨床心理士の判断を仰いでください。介護や支援、コミュニケーションについての基本的な知識やスキルの習得は専門書や専門機関をあたっていただければと思います。本稿の方法論を実際に適用する際にも、本文中のチェックリストを活用し、専門家と相談の上でプレイングを行なってください。

会話型RPGが遊ばれる現場において、精神疾患を有していたり障害を有していたりする方の状況が正しく理解されず、いわゆる「困ったちゃんプレイヤー」として排斥されてしまう事例がままあります。これらの問題や対応について、容易な解決を見ることは難しいでしょうが、認知行動療法の予備知識があれば、そのプレイヤーを理解し、受容し、ゲームの仲間として楽しいひとときを共有するための何らかの糸口、思考のヒントを得られるかもしれません。少なくとも、従前よりも状況をより的確に理解することができるようになるのではないでしょうか。

本コラムをきっかけに、まずは、皆さまも考えてみてください。そして、得られた結論を一足飛びに実践へと移すのではなく、下段解説部でも紹介している伏見健二さまの「バイステックのRPG」(「つぎはぎだより3」所収、つぎはぎ本舗、2011、同コラムは体験版からもアクセス可能)もお読みください。
そして可能であれば、うつ病、精神疾患、障害、認知行動療法等の専門書へアクセスし、知見を広げる契機としていただけましたら幸いです。

なお、活動趣旨にも記載がありますが、本テーマ連載ならびにAnalog Game Studiesへのご意見につきましては、analoggamestudies1★gmail.com(★→@)にて承っております。すべてにお返事ができるとは限りませんが、ご意見をお持ちの方はお寄せいただけましたら幸いです。(岡和田晃、下段の解説部を含む、11/04/28一部補足修正)

本稿をお読みの方は、お手数ですが、あらかじめ「CBT的アプローチのセッション運営(第1・5回)」に記された「危険性の確認」をご確認ください。(2011/05/23追記)

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【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1回)
(初出:「ブルーフォレスト通信1」、グランペール、2010)

伏見健二

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■最初に知っておいていただきたいこと

鬱、妄想などの精神疾患症状が起きている場合、また精神障害者、知的障害者、なんらかの行動障害が発生している場合において、それをサポートして解決するのは純粋に医学的アプローチに基づくものでなければなりません。

それらの障害や疾病の理解については、このゲームルールブック(編注:会話型RPG『ブルーフォレスト物語』およびサポート誌『ブルーフォレスト通信』)ではまったく情報量は不足していますし、また、執筆者自身、医師や臨床心理士ではありません。この章が治療行為を推奨するものではなく、またその効果を保障するものではないことをお断りしておきます。

多くの場合、これらの治療は、カウンセリングによってのみ行われるものではありません。専門医による投薬や支援が必要となります。これは治療レベルではなく、介護、支援、コミュニケーションのレベルのアプローチである、ということを強調した上で、文章を進めさせていただきます。うつ病、精神疾患の知識や、認知行動療法について、より詳しくお知りになりたい方は専門書をあたってください。

■認知行動療法

認知行動療法(CBT)は、主としてうつ病の行動支援のカウンセリング手法として発展してきました。その特徴と原理は、自己の客観視による不利な自動思考(NATS)の抑制、そして行動経験による克服と適応です。

なんらかの事象に出会ったときに、精神的傷害を受けている者は、自己に不利な思考や感情に囚われます。これは認知の歪み、すなわち「そう理解しなくても良いのに、間違った認識をして、自己の苦しみを増してしまう」ことです。どの瞬間に、どのような自動思考が発生するのかを知ることによって、クライアントと治療者はそれを正しい認知へ、あるいは回避的な認知へと導いてゆくことができます。

それが「思い込み」である場合、その思い込みが間違っていることを確認するためには、行動療法が有効になります。実際にやってみると、考えていたとは違っていた……この経験は、自動思考を塗り変える力となるでしょう。

それが「思い込み」ではなく不利な事実である場合はどうでしょうか。行動療法は成果とはならず、その不利を強調する結果になりかねません。その場合は認知療法が有効となります。不利益のなかになにかの利益を発見する認知を得ることによって、不利は有利に、有益な結果へなることを期待できます。見え方、感じ方は補整が利くことなのです。

成功経験による行動への自信、狭隘で偏向的な認知から、合理的な認知への克服。これがCBTの成果となります。

回復への原理は革命的なものではありませんが、それを容易に入手できないからこそ、うつ病やパニック障害からクライアントは抜け出せないでいます。これまでは治療者の個人差の高かった、分析と支援へのカウンセリング援助技術を、普遍的で手順的なスキルとして共有できるように体系化させたものがCBTなのです。

■TRPGとCBT

TRPGをCBTの視点で導入することは、次のような状況において有益です。

1:児童への行動療法的な教育の手段として。

2:思春期の心理変化において、認知力を高めさせ、行動障害を起こさないための予防的な認知力トレーニングとして。

3:成人において、健常で健康的な精神状態を維持するための心理トレーニングとして。

4:うつに悩まされているクライアントの、休息と自己実現の手段として。

5:なんらかの精神障害、知的障害、行動障害に合わせた、娯楽やソーシャルスキルトレーニングの手段として。

援助者はいずれの場合においても、TRPGをアセスメントツールとして、またCBTツールとして利用することができるでしょう。

注意すべきことは、この干渉はネガティブにも働きうる、ということです。治療的にTRPGを用いる場合、以下の条件をチェックリストとして使用してみてください。

・治療が必要なクライアントであれば、その支援が既に受けられていること。すなわち、精神疾患などがあれば、それが専門医による治療や向精神薬の投与などによってコントロールされており、コミュニケーションや遊びの場を持つことが勧められていることを確認すること。

・一緒にゲームを参加する者が、治療や教育の目的を理解していること。参加者数が、GMのコントロール可能な人員を超えていないこと。とくに配慮が必要なクライアントの場合は、1対1でのプレイを推奨。

・GMがゲーム外のコミュニケーションにおいてクライアントから充分な信頼を得られていること。さもなければ、ゲームの場に、クライアントが充分に信頼する人物がGMへの協力者として存在すること。

・プレイのストレスが大きくならないように配慮すること。時間で区切り、規則正しい休息をとること。また、プレイの中断や終了のときに、クライアントが充分にセッション内容を理解して咀嚼し、刺激を低減できるためのクールダウンの時間をとること。援護が必要なクライアントの場合、帰り道の安全が保障されていること。

では、前述したクライアントタイプごとに、それぞれの注意点を、以下、記述してみます。

■児童とのTRPG

児童がTRPGから獲得するのは、体験そのものです。児童は行動と結果の反復のトレーニングの途上にあり、それを急速に学習してゆきます。

TRPGによる代理的な体験は、そのような児童の豊かさをはぐくむ上で大きな効果を与えます。例えば絵本の読み聞かせのような、相手の反応を見ながら、物語の語り口を変えたり、テーマの強調の方向性を変えたりといった働きかけをすることができます。

多くの場合、児童は達成経験に飢えています。自分の行動がなにかに影響し、そして変化が生じる、ということそのものに強い印象を受けるものであり、またそれが良き成果を挙げれば、強い満足を得ます。

しかし、児童教育の視点においては、必ずしも成功経験のみを与えることは、良い結果を生み出さない可能性がある、と想定しておくべきだと考えます。成功経験がもたらす過度な興奮や、過度な自信は、児童の現実に対するヴィジョンを歪めてしまう危険性があるのです。成功への期待は多くの場合は豊かな経験と積極性へつながりますが、度を過ぎるなら鈍感と貪欲を作り出してしまいます。

逆に、失敗すること、そして失敗を挽回する、という経験を与えることも重要です。精神的に健康な児童に対してのゲーム体験は、このような「失敗経験」こそを与えるように、慎重で巧妙なストーリー展開を用意するべきです。しかし失敗は大きなストレスとなり、ゲームを「投げ出す」危険性がありますから、薬を糖衣で包むように、成功と報酬を準備する必要があります。この視点においては、「喜び」は「苦しみ」を覆い隠すための調味料として活用すべきものであり、それそのものが目的ではありません。

■知的障害者の娯楽として

行動を阻害する障害の多くは、脳機能によるものです。

脳内の伝達系、神経刺激のコントロールに異変があると理解できます。

知的障害においては、後天的に知的刺激が減少している状況における環境的な精神遅滞、先天的な生理的原因によって脳機能が制限を受けている単純性精神遅滞、また疾病によって脳や各器官が損傷を受けることによる知的障害の発生があります。

軽度の知的障害者や、知的低下を伴わないアスペルガー症候群、自閉症スペクトラムのプレイヤーに対しては、ゲームセッションはほとんど問題なく運営することができます。しかし、そのプレイヤーの行動は突飛であったり、こだわりが強く出たりすることがあります。そのような反応を想定内とし、GMは受容的にセッション運営をする必要があります。

知的障害者の行動訓練療法の視点において、TRPGのもたらす仮想体験が有効である可能性もあります。しかし知的障害者のソーシャルスキルトレーニングにおいては、実際に体を動かして反復的に行動することがより重要であり、学習の効果を過大に期待するべきではありません。またTRPGにおいてさまざまな背反への選択を求めることは、このカテゴリーのユーザーにとって有効でも有益でもないかもしれません。

しかし、テーブルトークRPGがもたらす娯楽の要素はこのようなプレイヤーにとても意味のあるものとなります。仲間、危険の克服、感謝といったドラマは、快いイメージを伴い、幸福感のある時間をつくります。

気をつけるべきところは、暴力的なモチーフをコントロールすることが困難である場合であるため、それを避けるべきだということです。障害のもたらす混乱、低抑制のなかで、暴力モチーフを安易に用いることは良いことではありません。また、このようなクライアントは暴力や性的欲求の発露から離れるように、という行動訓練を受けている場合も多く、それらの教育効果を損ねる娯楽を提供することは望ましくない場合もあります。

知的障害者とのゲーム体験は、あくまでソーシャルスキルトレーニングだ、という視点を持つと良いでしょう。

自由にPCが行動を選択できるTRPGとは違い、「理想的な行動パターンを体得する」ために行う反復性の高いトレーニングゲームであるとイメージすると良いでしょう。

■精神障害者の娯楽として

精神疾患にもさまざまなタイプがありますが、一例を挙げれば、統合失調症の代表的な症例は関係妄想に伴う被害妄想であり、それが生み出す精神的苦痛です。ドーパミンの過剰が、いわば神経の「つながりっぱなし」の状態を作り出してしまいます。

社会参加している多くの統合失調症患者、ないし、その傾向を持っている者は、そのような自分の妄想的な思考をコントロールする技術を得ています。妄想に対して「そんなことはない」と客観視によって解消したり、妄想が存在しても別の意識で「気にしないで」行動したり、あるいは達成体験や他人からの愛情や感謝によって、被害妄想がもたらす苦痛を打ち消すための工夫、ストレスコーピング技法を持っています。

TRPGのセッションがもたらす「関連の解き明かしや解決」の物語は、このようなクライアントの心象風景にごく近いものだと考えられます。TRPGは空想の世界で問題を解決するストーリーシステムであり、また、それを経験することによって、箱庭療法的に、関係妄想の整理と昇華を手助けする効果を期待できます。

関係妄想においては、他者からの攻撃の危険性や、憎まれているという不安が大きなテーマとなります。攻撃への不安に対しては、ゲーム内体験によって自分が行動的で強力な存在であり、困難に対処できる発展性を持っている、という擬似体験と確認とが有効と考えられます。また憎まれているという不安に対しては、そうではない物語空間を経験する……すなわち、病に苦しんで挫折を繰り返す自分ではなく、行動と成功を得て、感謝される自分を経験することにより、ネガティブな体験に対抗できる自信を獲得することができるでしょう。

■TRPGセラピストになる

現実問題、TRPGがセラピーにおいて非常に効果的であった、という症例は多く存在していると考えています。いわゆる「上手い」GMは、そしてプレイヤーも、このようなテクニックを駆使して、参加者に有益なセッションを作り上げてきたのです。

もしも貴方がTRPGに飽きが来たとしたら、次はこのような視点で、遊びの中で人に干渉し、人を手助けできるツールとしてのTRPGの分析と利用を考えてみてもらいたいと思います。そしてTRPGは、人間を理解するためのツールとして非常に面白い、無限のポテンシャルを持っている分野である、と感じていただければと思います。

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伏見健二(ふしみ・けんじ)
1968年東京生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒。作家、ゲームデザイナー、介護福祉士。
日本の主要なアナログゲームクリエイターのひとり。21歳の時に代表作であるテーブルトークRPG『ブルーフォレスト物語』(ツクダホビー)を発表。小説家としても多数の作品を発表する。冒険企画局に所属の後、テーブルトークRPGの専門集団(有)F.E.A.R.の設立、小規模出版によって多様なゲームシーンを発掘紹介する(株)グランペールの設立と相次いでゲーム企業の設立に携わる。またインターネット黎明期に千人の会員を持ったWEB上ゲームサークルG99の主催者でもあった(現在は解散)。
介護を本業とする現在も、福祉資格取得の講師やスキルアップセミナーの講師を行いながら、ゲームデザインや出版やイベントに携わり、ことに小規模出版の支援や障害者支援に力を入れて幅広い活動を行っている。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
CBT的アプローチのセッション運営(第1回) by 伏見健二(Kenji Fushimi) is licensed under a Creative Commons 表示 – 継承 3.0 Unported License.
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本コラムで、会話型RPGと福祉分野の関わりに関心を持たれた方は、つぎはぎ本舗さまの「つぎはぎだより3」に掲載されたコラム「バイステックのRPG」をも、併せてご覧いただけましたら幸いです(体験版からも読むことができます)。

・「つぎはぎだより3」
http://home.dlsite.com/work/=/product_id/RJ075968.html

【追記】11年05月01日付けで、本コラムへの対論「私がTRPGをセラピーに使わない理由」(早瀬以蔵)がAnalog Game Studiesに掲載されました。併せてご覧いただけましたら幸いです。

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なお、伏見健二さまの代表作『ブルーフォレスト物語』は、小説版・3DOやプレイステーション版の発売など、さまざまなメディアで展開がなされましたが、原典にあたる最初の版がリバイバル・エディションとして復刊されています。『ブルーフォレスト物語』をご存知の方もそうではない方も、この機会にお手にとっていただけましたら幸いです。

ブルーフォレスト物語 リバイバル・エディションブルーフォレスト戦乱 リバイバル・エディションブルーフォレスト伝承 リバイバル・エディション / グランペール

本コラムの初出誌である『ブルーフォレスト物語』のワンコインサポート誌「ブルーフォレスト通信1」も、オンライン書店やゲーム・ショップ等で、好評発売中です。
「ブルーフォレスト物語 the 3rd Edition その道のりとコンセプト」、「相沢美良イラスト講座」、「新しいスタイルのTRPGシナリオを」、「『ブルーフォレスト物語 リバイバルエディション』用書き下ろしシナリオ「雄花と雌花」「きみは虎の子」」など、盛りだくさんの内容になっております。

ブルーフォレスト通信 / グランペール

ルナー帝国とは ~ルナー帝国と『秘身譚』、あるいはグローランサ系TRPGについて語るの事~

ルナー帝国とは ~ルナー帝国と『秘身譚』、あるいはグローランサ系TRPGについて語るの事~

【テーマ連載】『秘身譚』とルナー帝国(第2回)
ルナー帝国とは
~ルナー帝国と『秘身譚』、あるいはグローランサ系TRPGについて語るの事~

掛川雅明

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【目次】

1、秘身譚とルナー帝国?
2、幻想世界グローランサについて
3、「グローランサというシステム」について
4、「グローランサというシステム」がルールを超えた経緯
5、そしてルナー帝国

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1、『秘身譚』とルナー帝国?

どうも、AGS さんより「ルナー帝国コラムを」ということでご依頼を頂きました まりおん です。

グローランサ系RPG(『ルーンクエスト』、『Hero Quest』、『Rune Wars』)の廃人的ファン(こういう人を海外では Gloranthaphile と言う)として一部界隈のみで知られている者です。どうぞお見知りおきを。

「『秘身譚』が、ルナー帝国のイメージソースとして使えるのではないか?」というツイッター上でのやりとりが編集者さんのお目にとまってこんな記事を書かせていただくことになりまして、ツイッターの力を実感する今日このごろです。(世の中何が起こるかよくわかりません(笑)) そのあたりの経緯は編集者さんのコラム(「『秘身譚』とルナー帝国 第1回」)をご覧くださいませ。

秘身譚(1) (KCデラックス) [コミック] / 伊藤 真美 (著); 講談社 (刊)

私の『秘身譚』に関する感想はこちら。

・『秘身譚』感想--あるいはルナー帝国への想い – まりおんのらんだむと~く
http://d.hatena.ne.jp/mallion/20101215/p1

2、幻想世界グローランサについて

グローランサというのは米国のゲームデザイナー、グレッグ・スタフォード氏が創造したファンタジー世界です。通常はこういうものはファンタジー小説などとして発表されるのが普通です。しかし、グレッグ氏はこの世界を使って『White Bear & Red Moon』(WB&RM)【*1】というボードゲームを作ったのが一風変わっていました。氏自身が語るところによると、小説の3要素(キャラクターと設定と筋書き)のうち、筋書きを無くした(プレイする人が筋書きをつくるようにした)「Do It Yourself Novel」を作るという意図だったそうです。【*2】

【*1】後に改稿されて「Dragon Pass」(ドラゴン・パス)として発売。日本でもルーンクエストに先立ちホビージャパン社から翻訳出版された。

【*2】『GREG STAFFORD TALK SHOW』,「TRPGがもっとやりたい!!」,アトリエサード刊(2003年)より。なお、この桂令夫氏との対談は、「ケイオシアム社が設立された理由が持ち込みが断られ続けてタロットカードで占った結果だった」とか「クトゥルフの呼び声の誕生のきっかけが、サンディ・ピーターセンのルーンクエストのモンスター集サプリメントの持ち込みだった」とか興味深い事実満載の記事ですので、興味がある方はぜひご一読を。
ASIN:4883750469
TRPGがもっとやりたい / アトリエサード

『WB&RM』が1975年に発刊されたその月、ちょうど前年出版された『D&D』の1版を手にとったグレッグ・スタフォードは、本人の弁によれば

「そして私は当時のアメリカ人の大多数と同じ感想を抱いた。
『俺ならもっとうまくやれる』」 [会場爆笑]

……という理由で(笑)スティーブ・ペリン氏とともにグローランサを背景とした『ルーンクエスト』というRPGを発刊しました(1978)。『ルーンクエスト』は、D&Dのカウンターパートとして当時の米国TRPG界に大きな影響を与えました。特に緻密な背景世界と膨大な設定で遊ぶ「第二世代RPG」は、この『ルーンクエスト』や『トラベラー』(1977)が最高峰であるとされています。

『ルーンクエスト』は当時まだ学生だった日本のゲームデザイナー諸氏(水野良氏や清松みゆき氏など)にもよく遊ばれ、日本におけるゲームデザインの最初期に大きな影響を与えています【*3】。また翻訳されたルーンクエスト(RQ)は、本格的な海外TRPGとして、D&Dとともによく遊ばれ、デジタルゲームでも一定の影響をみることができます。【*4】

【*3】水野良&清松みゆき の『ソード・ワールド』の背景世界フォーセリアや、友野詳の『GURPS ルナル』などにその影響が指摘される。ちなみに水野良氏はオーランス派、清松みゆき氏はイェルマリオ派だったそうな。水野良氏はグレッグ氏が来日したときにも一緒にご飯を食べていたりしていました。

【*4】『ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏氏が、影響を受けたTRPGでよく挙げるのが『T&T』と『ルーンクエスト』です。氏は現在は新版のBRPのルールを導入して遊んでいるそうな。噂レベルではもっといろいろあります。

3、「グローランサというシステム」について

グローランサはルーンクエストの背景世界として有名ですが、ルーンクエストとはいかなる特徴をもつシステムなのでしょうか。
ルーンクエストは、いわゆる「第二世代TRPG」の代表格として挙げられる存在です。第二世代TRPGとは、

第二世代RPGの定義:「戦闘ルールよりも、むしろキャラクターの生活世界に関する事象を中心にルールで記述し、“その世界の住人”として生きることを楽しむことを主題とした、ストーリー指向・キャンペーン指向のRPGのこと」【*5】

です。第二世代TRPGの特徴は、「システムによって世界を表現しようという欲求」だと言えるでしょう。システムの中には、もちろんルールもありますし、世界を説明した背景設定も含みます。これ総体を「データ」と言ってもいいでしょう。データによって世界を表現しようという欲求の発露が第二世代TRPGであるといえます。

【*5】『多摩豊の「RPG世代論」を正しく把握する』, gginc(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070820/1187666679)。

その上で「ルーンクエスト・グローランサ」というシステムの特徴は、

・世界を表現するためのデータ処理が〈技能〉処理と能力値/副能力値処理に集約されている。そのため世界への干渉を簡単に記述できる。

・《魔術》により、〈技能〉処理・能力値/副能力値処理が大きく干渉を受けるため、《魔術》処理が世界観の中心に位置づけられる。

・その《魔術》を獲得するシステムが「カルト」システムとして世界観にからめて構築され、さらにカルトがキャラクター・アーキタイプとして機能する。

・「カルト」の上位存在として「神殿」または「神群」というものがあり、これが文化圏を特徴づけるとされることで、文化・習慣を意識させる。

・文化・習慣・歴史は、「背景世界情報」という「データ」で記述される。(ルールの埒外だが、システムに組み込まれている)

ということにまとめられるかと思います。

「カルト」は、「神話」「世界の中のカルト」「カルトの生態」「カルト内の位階」「精霊呪文(エブリデイマジック)」「神性呪文(必殺技)」「友好カルト」(神殿/神群の中の関係)といったフォーマットを基準に解説され、これを「カルト・ライトアップ」といいます。(必要最小限にまとめたものを「ショート・カルトライトアップ」、4~5ページにわたるものを「ロング・カルトライトアップ」と区別したりしますが、構造は同じです)

たとえば、ヴォーリアという女神さまがおります。

ヴォーリアは大神オーランスと大地母神アーナールダとの間の娘で、大暗黒が終わり「時」が始まる前に生まれました。「長い冬」が終わったときに生まれた女神なので、「春の女神」とされています(神話)。ヴォーリアはアーナールダの寺院でともに信仰されています(世界の中のカルト)。ヴォーリアの信者は成人前の少年少女たちが中心です(カルトの生態)。カルトの入信者は少年少女たちなので、信仰には加われません。女祭は他のカルトに入ったことのない大人の処女であることが条件です(カルト内の位階)。精霊魔術はなし。神性魔術は《ヴォーリア礼拝》、《開花》、《活力付与》、《小動物との会話》です。友好カルトは大地神殿の女神たちです。

《開花》 1ポイント
接触、残照、複合不可、再使用可
花を作り出すことができる。何かの表面に触れて1魔力ポイントを消費することにより、触れた場所に一輪の可愛い花か一枝の葉が開く。そこが小さな植物の生長に適した場所ならば、根付いて成長する。(タイルの床や他人の耳の裏側のように)生長に適さない場所だったときは、花や短い枝つきの葉が現れるだけで、その場所に根付くことはない。魔力ポイントが尽きるか接続時間をすぎるまで、女祭の歩くそばからつぎつぎと花を咲かせることもできる。

い、意味がないっ!

人間の頭に花を咲かせられたからといってそれが戦闘や問題解決に何の意味があるというのか!

……だが、われわれはそういった戦闘とはまったく関係がないものも含めて、世界は成り立っていることを実感できるのです。【*6】

【*6】実際には、ヴォーリアたんの女祭には、保母さんカルトとして子どもたちとお遊戯したり、攫われ役になるという大事な役目があります。

サプリメント「ジェナーテラ」には、これらの「システム」の「ルール」から演繹して世界を考察する、ファンからも絶賛されている世界解説がありますので、一部引用してみましょう。

 多くの人間にとって、グローランサは単純かつ簡素な世界である。地球の言葉を使えば、人類の大半はいまだ新石器あるいは青銅器文明の段階にある(すなわち、一部で始まったばかりの農業、原始的な道具類、単純な政府が特徴)。しかし、地域によっては魔術や過去の時代の遺産のおかげで、中世のレベルか、あるいはそれ以上の段階のレベルに達しているところもある。

(中略)

グローランサにおいては、誰もが宗教と魔術の存在を認識している。これは生存にとって基礎的な要素であると考えられている。神々は誰もが認めるように実存し、世界に対して強大な影響力をふるっている。

ここでは魔術が世界を支配しているため、日常生活が多くの意味で地球とは異なっている。カルトや宗教を中心に人々の生活がある。魔術は生活の安定や安楽を手に入れる手段であると同時に、いさかいと恐怖の源でもある。

怪我や病気は地球の場合ほど深刻ではない。というのも、肉体的な傷や病気であれば、友人や家族、あるいは土地の誰かに治してもらえるからである。このことは、高い治療費を払って、わざわざ専門家のところに出向かねばならない地球の場合とは対照的である。

魔術で傷が簡単に治るということは、裏返せば、暴力が紛争解決の手段として日常的に用いられている、ということも意味している。

病気はケガよりもはるかに危険が大きい。これは病の神マリアなどの有害な存在のためである。病気の治療はふつう地域レベルで行われ、費用も安いが、幼児や児童の多くは、治療者のところに連れて行かれる前に死んでしまう。

狩猟や農業も魔術の恩恵を受けている。土地が肥沃になるように呪文がかけられ、それによって収穫が増える。狩猟の場合も、武器が強力になるような呪文によって、狩人の放つ矢の威力が増す。このようにして、より大規模の社会を支えることができる。しかし、魔術戦争と災害の時代が続いているという事実は、天然資源の豊かな地域が少ないということをも意味している。

(中略)

グローランサにおける人間の死亡率は、一般的に地球の古代または中世のそれに近い。ただし、死亡率は子どもや老人に特に高く見られるわけではなく、あらゆる年齢層で平均している。グローランサの幼児は、地球の中世における幼児よりも成人まで生き残る確率が高い。しかし、そうして生き残った者は、成人が果たすべき危険な仕事を引き受けなけくてはならない。老いるまで生き残るのはさほど難しくはないが、それは彼が巨大な権力を得たか、あるいは若い頃に巧みに責任を回避したことを物語っている。

要するにグローランサの魔術は、片方の手で与えたものを、もう片方の手で奪い取っている、と言い表すことができるのである。【*7】

【*7】サプリメント「ジェナーテラ」付属『グローランサ・ブック』、「編集者による序論」、ビル・ダン、1988年 より抜粋。

4、「グローランサというシステム」がルールシステムを超えた経緯

さて、ルーンクエストはグローランサに様々な世界観を取り入れました。上記のような世界観――血と青銅と泥にまみれた、神々の実在するハイ・ファンタジー ――は、「ルーンクエストをシステムとして持ったことでグローランサが獲得した特質だ」といえるかもしれません。

しかしながら、ルーンクエストが「地に足をつけた」世界の範囲を切り取って描写するシステムであった一方、グローランサの世界観には「英雄による物語」という一面がありました。それはグローランサ最初のゲーム化である「WB&RM」で、ヒーローユニットが数千人からなる連隊とひとりで渡り合えるということからも分かります。しかしルーンクエストが表現する範囲の「世界」では、グローランサのその側面を表現することは困難でした。【*8】【*9】

【*8】ファンサイドのルールバリアントとして「スーパー・ルーンクエスト」(100%を超えた技能を扱う)という形での試みはあったが、必ずしもうまくいったとは言いがたい面があった(超インフレで)。スーパー・ルーンクエストのリプレイがこちらにある。
http://www.river.sannet.ne.jp/rojin/rq_replay_top.html

【*9】もちろん、超人的な能力を発揮することだけが英雄の条件ではないので、ルーンクエストの範囲でも英雄を演じることは可能ではあります。

Avalon Hill 社からルーンクエスト3版のサプリメント出版が長らく無くなり(しかしルーンクエスト出版の版権はAH社に押さえられていたため、ケイオシアム社として独自の展開もできなかった)、ファンの間では、グローランサの神話上の出来事に喩えて「大暗黒」と呼ばれる期間が始まります(およそ90年代全般に相当)。この間、ファンの間ではファンジンが頻繁に出版され、コンベンションでのグレッグ氏を交えた質疑応答などで、グローランサの設定は深みを加えていきます。グレッグ・スタフォード氏もルーンクエスト時代末期にかかれた資料集『King of Sartar』【*10】を嚆矢として、「Unfinished Work」というTRPGシステムに依拠しない部分のグローランサの設定を深めていきました。【*11】

【*10】グレッグ・スタフォード著。英雄戦争の数百年後(?)の時代、かつての歴史の知識が失われてしまった時代に、とある学者が英雄アーグラス王にまつわる文書をまとめて英雄戦争がいかなるものであったのかを考察した、という設定の架空の歴史書/研究書。この本自体の真贋を含めて様々な議論が噴出した。グローランサの神話・歴史の底本としても重要な位置づけを受ける。日本では『グローランサ年代記』と題されホビージャパン社から出版(1994)。ASIN:4894250411
幻想神話大系 グローランサ年代記

【*11】ルナー帝国についての考察を進めた3部作をはじめ、システムによらずテーマごとに神話や歴史の文書を集積した本。Unfinished と題されているだけあって、書きかけになったまま放置された部分もあったりする(笑)。上記の「King of Sartar」を含める場合もある。10冊程度出版されている。

そして2000年5月15日、グレッグ氏は新しいシステムをグローランサの器として採用しました。それが「ヒーローウォーズ」であり、その改訂版が現在も展開が続いている「HeroQuest」シリーズになります。

ヒーローウォーズ/HeroQuestにおいて、採用されたシステムの特徴をまとめると以下のようになります。

・技能の定義をせず「自然言語」としての意味づけに抽象化することで、ゲーム的に扱える範囲を拡大する。

・ゲームスケールを拡大し、判定を英雄レベルまで可能にする

・ヒーロークエストのルール化(神話の再演、共同体のサポート、ヒーローサイクル)

・英雄を支える「共同体」のルール化と、共同体との縁故、支援効果のルール化

技能を抽象化したルールを採用したために、戦闘の再現性や戦闘の面白さという点ではルーンクエストに遠く及ばず、『ルーンクエスト』ユーザーからは一部から失望の声が挙がったりしましたが、特に「共同体を代表して探索を行い、共同体に変化を持ち帰るものが英雄である」という英雄の定義をヒーロークエストと縁故という形でシステム的にまとめた【*12】ことなど、グローランサ系システムとして、この方向への進化は必然であったと言えるでしょう。

ルーンクエストが「英雄戦争のゲットー【*13】を活写する」ことに特化していたものを、『ヒーローウォーズ』/『HeroQuest』 は「英雄戦争【*14】を実装する」ことを目指しているといえると思います。

【*12】グローランサにおける英雄についての考察についてはこちら。「ヒーロークエスト考」http://www31.atwiki.jp/mallion/pages/49.html

【*13】『ゲットー(ghetto)は、ヨーロッパ諸都市内でユダヤ人が強制的に住まわされた居住地区である。第二次世界大戦時、東欧諸国に侵攻したナチス・ドイツがユダヤ人絶滅を策して設けた強制収容所もこう呼ばれる。 アメリカ合衆国などの大都市におけるマイノリティの密集居住地をさすこともある。』(Wikipedia より)。ここでは後者の意味を転用した比喩。ルーンクエストの展開が、英雄戦争の主戦場とは関係の薄いプラックス地方などのみを舞台にしていることを差してこう言われることがあった。

【*14】グレッグ・スタフォードの発言によれば、英雄戦争は通常の「英雄による戦争」という枠を超えて、世界のリアリティを変革する神話的な大戦であるとのこと。英雄戦争の歴史を記した先般の『King of Sartar』でも、英雄戦争時代後半においては世界のリアリティが変質し、神話的な争いが展開されることが示唆されている。

そしてルーンクエストは、Avalon Hill社(Monarch Avalon 社のゲーム部門)の解散と出版権の売却に伴う版権の混乱が整理された後、Mongoose Publishing 社に出版社を変えて発売されましたが(第1版2006年、第2版2010年)、こちらはグローランサにおける「過去」、第二期を扱うことで『Hero Quest』と差別化されました。こちらも『HeroQuest』からのフィードバックを取り入れることで世界設定の強化をはかっていますが、第二期は「帝国の時代」と言われ、二大帝国(陸の「ワームの友邦帝国」と海の「中部海洋帝国」)による帝国主義的な時代であり、プレイヤーキャラクターたちもその尖兵として、またはそれに抗う民族の一員として、力を獲得し、個人的な栄達を目指していくものになっています。

5、ルナー帝国について

……ということで、かなり遠回りしてグローランサとシステムの変遷について述べてまいりましたが、 「『秘身譚』がイメージソースとなる」というルナー帝国とはどのような国家なのでしょうか?

秘身譚(1) (KCデラックス) [コミック] / 伊藤 真美 (著); 講談社 (刊)

簡単なまとめはこちらにあります。

●「Introduction to Lunar Empire」(PDF文書)http://www.glorantha.to/~tome/lib/LuanrEmpire.pdf

ルナー帝国は、もともとルーンクエスト第2版、また日本語翻訳された第3版が主に展開されたプラックス地方においては「侵略者」として設定されており、一般的にプレイヤーキャラクターとして選択される「冒険者」である、オーランス信仰/嵐の神殿/蛮族ベルト文化圏とは敵対関係にあります。
帝国の特徴としては、「圧倒的な軍事力」、「先進的な文明」、「退廃的な習俗」……などがあげられ、「蛮族=ケルト人やゲルマン人」、「文明国=ローマ帝国」という見立てがルーンクエスト第2版の初期より発生しました。実際、帝国の著名人の名前にはローマ風のものが多く、軍の装備などもローマ風に描かれていました。

しかしルーンクエスト大暗黒時代にあたる1990年代に書かれた『Unfinished Work』のルナー帝国三部作【*15】において、グレッグ・スタフォードのルナー帝国に関する「認識の変更」が行われました。それを簡単にまとめると、「諸文明(諸世界観)の集合体としての帝国」ということになるかと思います。

【*15】「Gloriouse ReAscent of Yelm」、「Fortunate Sucession」、「Entekosiad」の三部作。1巻目で古代の神話について掘り下げ、2巻目で歴史時代を、3巻目で辺境の異文化を考察した。これにより、帝国が全く異なる多文明からなる集合体であることが明らかになった。

すなわち、ルナー帝国は、

・古代世界の帝国である(人口800万程度)【*16】 ※ローマ帝国は5000万~6000万

・神が実在する世界における「神権政治」(女神の息子である皇帝が支配する)

・都市文明的

・多文化圏からなる

という特徴があり、ルナー帝国が「ペルシア的である」というのは、支配者階級が「サトラップ」というペルシア風の称号を持っていることだけではなく、中央集権が完全になされてはいないこと、皇帝を神と崇める国家であること、異文明を多数抱合する国家である【*17】こと、などを含めての、全体としてのイメージであると思われます。

『秘身譚』の舞台であるローマ帝国東方のシリアは、ローマ帝国とはいいながらもヘレニズム文化が色濃く残っている地方であり、また異教を中心に扱っている(ローマ帝国にありながら、シリアでも異教の“太陽の唯一神”エラガバルを崇める地方の王家が物語の中心に位置づけられる)ことからも、従来の「ローマ帝国」のイメージを越えて、ルナー帝国のイメージソースとして最適ではないかと思います。

【*16】『……事実、グローランサにはいかなる種類の効果的な官僚組織も存在しない。このため、農業をはじめ、全国規模の税の徴収、軍備の組織といった、社会にとって決定的に重要な活動を効率的に行うことができない。グローランサの最も進んだ社会においてすら、徴兵制度といった近代的手段があるという話をきいたことがない。』(サプリメント「ジェナーテラ」付属『グローランサ・ブック』、「編集者による序論」、ビル・ダン)

【*17】たとえば二元論のゾロアスター的な教義を中心にする地方、精霊信仰を中心とする地方、神秘主義的な超越を信仰する地方、石器時代の信仰を維持している地方など。それぞれの民族が征服したり征服されたりの歴史をかかえている。

また、ゲーム的なギミックとしては、『Hero Quest』で採用された「閥」(Association)という仕組みがあります。「閥」とは、ある目的達成を目的に形成された、支配者階級からカルト・私兵・ギルド・職人・商人・学者・農民などまでを含む共同体です。ルナー帝国内部ではこういった「閥」が地方の都市を中心に形成されており、帝国を9つにわける君主領の支配者たちもこういった「閥」に組み込まれています。
ゲーム的な未来にあたる英雄戦争においては、帝国の諸民族の対立に対する重しでもあった皇帝が消滅し、この「閥」による対立が噴出することになります。『King of Sartar』において、辺境の小国であるサーター王国にルナー帝国が敗退していく様子が描かれていますが、実は帝国自体が内乱に陥っていたためであったようです。

この「閥」による対立、といったものも、『秘身譚』における各諸勢力の争いという形でイメージソースとして利用できるのではないかと思います。

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掛川雅明(かけがわ・ただあき)
1972年長野生まれ。高校時代に会話型RPGと出会い、大学時代にグローランサと出会い、以後耽溺。主に海外ファンジンの翻訳出版、ホームページやブログでの情報発信を行ってきた。第二世代TRPGマニア。ペンネームは「まりおん」。
2011年より、同人ではなく公式出版としてグローランサ翻訳出版を起案し、プロジェクトを進めている。

【ブログ】まりおんのらんだむと~く
http://d.hatena.ne.jp/mallion/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
ルナー帝国とは――ルナー帝国と秘身譚、あるいはグローランサ系TRPGについて語るの事 by 掛川 雅明 is licensed under a Creative Commons 表示 3.0 Unported License.
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『秘身譚』とルナー帝国(第1回)

『秘身譚』とルナー帝国(第1回)

 Analog Game Studiesは、アナログゲームとそれ以外の社会的要素を取り結ぶことを大きな目標として掲げています。この問題意識に則り、現在「マガジンイーノ」(講談社)で連載中のコミック作品『秘身譚(ウィタ・アルカーナ)』(伊藤真美)と、この作品と共通したモチーフを採用した幻想世界である「グローランサ」とを題材として、「『秘身譚』とルナー帝国」という主題でテーマ連載を行なうこととなりました。
「グローランサ」とは各種の神話素を混交させた独自の色調を有していますが、そのなかでも多民族・多宗教の巨大帝国として君臨するルナー帝国の退廃的な魅力は数ある創作世界の中でも異彩を放ち、洋の東西を問わず熱心なファンを有しています。第1回目は、『秘身譚』の担当編集者K・Nさま(ご本人の希望により、イニシャル表記とさせていただきます)が『秘身譚』と「ルナー帝国」に共通するモチーフについて記事を書いて下さいました。

ところで「グローランサ」については、Wikipedia日本語版の記述が充実しています。ご存知ない方は、まずはリンク先の解説をご覧下さい。(岡和田晃)

・グローランサ(Wikipedia日本語版)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5

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【テーマ連載】『秘身譚』とルナー帝国(第1回)
『秘身譚』担当編集K・N

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つい先日、ツイッターの一角で、ある漫画作品が、(会話型RPG「ルーンクエスト」の背景世界である)幻想世界グローランサに登場するルナー帝国を想起させる、という話題がのぼりました。その作品の名は、伊藤真美氏によって描かれている『秘身譚』です。この小文では、この『秘身譚』と「グローランサ」(ルーンクエスト)について触れていきます。

秘身譚(1) (KCデラックス) [コミック] / 伊藤 真美 (著); 講談社 (刊)

『秘身譚』は、紀元3世紀の古代ローマ帝国を舞台に繰り広げられる、歴史と神話が入り混じった冒険活劇です。物語は、ローマ皇帝カラカラの暗殺で幕を開け、シリア属州都アンティオキアを舞台に、月の満ち欠けにより半陰陽に変化する少年・エラと、彼の庇護者である軍士官、グナエウス・D・ポリオを中心にして、ローマ帝国の帝位を巡る争いが話の軸となり、展開していきます。太陽神「エラガバル」を奉じ、帝位奪還を狙う前帝の外戚の一族や、ポリオが率いる秘密結社「夜の辻」の幹部の面々、野心的な女性医師など、彼らを取り巻く人々も、『秘身譚』では生き生きと描かれています。

作品内でも見られるように、広大な版図を持つローマ帝国の領域内では、(ギリシア化された)ローマ古来の神々や、ギリシアの密儀宗教、オリエント諸都市の神々、ガリア(ケルト)やゲルマンの自然神、原始キリスト教、ミトラ教など、様々な神々や宗教が同時並列的に信仰されていました。作中にも、アンティオキア市の守護神である、幸運の女神テュケー(ローマ名:フォルトゥーナ)、死と月の女神ヘカテー、シリアの太陽神エラガバルなど、幾柱かの神々の名前が登場し、物語の中で重要な役割を果たします(因みにキリスト教も、新興宗教としてほんの少しだけ触れられています)。ローマ人はこれらの宗教を受容しながらも、思考と理性を重んじるギリシア哲学もよく学び、文化や慣習が異なる多様な地域を支配する必要から、万人に共通して適用するルール=「法」を最重要視して、その体系の整備に努め、帝国内の安定に努めました。

一方で、自らが誇る「文明」を許容しない国家や文明に対しては、非常に冷酷に対応し、大規模な破壊や残忍な処刑や虐殺を全く厭いませんでした。領域内に組み込んだ地域では、ローマ風の都市計画を推し進めて道や建物を建設し、ラテン語を支配階層への教育で広めて、生活環境や思考方法での「ローマ人」化を一方的に推し進めました。そして何よりもローマ本国の皇帝への忠誠を、現地の神々や信仰よりも上位に置くように強く求めました。ユダヤ民族やゲルマン民族は、この政策にたびたび反発してローマに戦いを挑み、大規模な反乱や戦争を何度も引き起こしてきました。

「中世以前の技術・文明段階の世界で」「自文化の受容を強制し」「古来の信仰や習慣を守ろうとする民族を抑圧する」「様々な神々が住まう地における巨大帝国」……。グローランサ世界におけるルナー帝国が、『秘身譚』の舞台である古代ローマ帝国と重なるのは、当然のことだと思われます。ですが奇妙なことに、グローランサの創造者であるグレッグ・スタフォードは、「ルナー帝国のモチーフはササン朝ペルシアである」と述べているのです。しかしササン朝ペルシアはローマ帝国と時代こそ重なりますが、ペルシア民族主義を打ち出して独自の文化を優遇した王朝でした。ところで、ササン朝ペルシアが創成した場所であるイラン高原中部もまた、アレキサンダーの東征の範囲に含まれており、したがってササン朝もヘレニズム文化の影響を免れ得なかったと考えるほうが自然でしょう。では何故、我々は古代ローマ帝国のイメージをルナー帝国の中に見るのでしょうか? 私が考えるに、『秘身譚』の舞台である「ローマ帝国東方」に、その答えはある様に思われます。

ローマ帝国における東方とは、小アジアやシリア、パレスティナ、アラビア、エジプト、メソポタミア等にある属州や皇帝直轄領で構成され、現代では「中近東」とされる地域にあたります。ここで重要なのは、これらの場所がアレキサンダー大王が征服してギリシア文化と融合して初めて「西洋」に組み込まれたのであり、それまではアッシリアやヒッタイト、新旧バビロニア、アケメネス朝ペルシアなどの、古代オリエントの諸帝国が何千年もの間、興亡を繰り広げた場所だったということです。

専門家ではない我々一般の人々が「ローマ」という言葉から想像するのは、多分に古典古代や現在のイタリアから得られる“西洋的”なイメージでしょう。確かに古代ローマは、建築や法体系、言語などで、現代西洋文明の重要な基層を成す文明でしょう。ですが、東方においては、ローマの支配下にあっても、(ヘレニズム化されてギリシア文化を融合した形での)古代オリエントの影響が、非常に強く残っていました。中でも支配者の頂点たる王や皇帝を、地上に存在する神そのものとして崇拝する習慣は根強く、東方においては、ローマ皇帝の偶像をたて、神として崇めたという記録は数多く残っています。

中央集権支配を容易にするこの思想は、ローマ中央政府にも受け入れられ、ディオクレティアヌス以降及び東ローマ帝国においては、支配原理として採用されることになります。因みにローマなどのイタリア諸都市や西方の属州では、皇帝を地上に居る神として崇拝する習慣は、そこまで強く根付かなかったようです。

また、ササン朝ペルシアの王朝創成の場所であるイラン高原中部も、アレキサンダーの東征の範囲に含まれ、ヘレニズム文化の影響を免れ得なかったと考えることが自然でしょう。そもそも前王朝のパルティアは、ギリシア文化を積極的に受け入れており、「ペルシア文化の独自性」はどのようなものかは、不明な点は多いと思われます。

上記のことを考え合わせると、ルナー帝国は、「オリエント化されたローマ」のイメージと、「ヘレニズム化されたオリエント」のイメージを併せ持った、文字通り「幻想の帝国」である、と言うことができるのではないでしょうか。我々の感覚とグレッグの発言に相違があるのでは無く、ひとつの曖昧なイメージを、別々の側面から見ているともいえるでしょう。

『秘身譚』は、ローマ帝国を舞台としていますが、東方における「古代オリエント」の部分が、強く描かれている作品です。伊藤氏が描く、緻密且つ濃密な古代世界を、今後とも是非ご堪能ください。

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『秘身譚』担当編集K・N

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
『秘身譚』とルナー帝国 by K・N is licensed under a Creative Commons 表示 – 非営利 – 改変禁止 2.1 日本 License.

秘身譚(1) (KCデラックス) [コミック] / 伊藤 真美 (著); 講談社 (刊)

【オビの紹介文】
「紀元217年、皇帝カラカラの暗殺を機に、世界最強の帝国ローマは大きく揺らぎ始める。帝位を簒奪した新帝マクリヌスは、東方の要アンティオキアで地位を安定させるべく、街を闇から牛耳る軍士官、Cn・D・ポリオを逮捕せんと画策するが!? 爛熟と退廃そして神秘と幻想に満ちた古代地中海世界を、美麗なビジュアルで描く、歴史ロマン幻想譚、堂々の開幕!!」

【Wikipedia日本語版より】
主人公の少年(または両性具有)のエラと、エラの保護者であり、街を闇から牛耳るローマ軍団士官グナエウス・ドミティウス・ポリオは、次第に皇帝の座を巡る陰謀に巻き込まれていく。

【参考】
「秘身譚とコンシューマーゲームのコラボ」4gamer.netの記事
http://www.4gamer.net/games/096/G009649/20091221006/

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本コラムをきっかけとして「大規模な破壊や残忍な処刑や虐殺を」厭わなかった軍国主義帝国ローマをもっと知りたくなった方向けの参考書二冊をご紹介いたします。

○『戦略の形成』(上)
戦略の形成〈上〉―支配者、国家、戦争 [単行本] / ウィリアムソン マーレー, アルヴィン バーンスタイン, マクレガー ノックス (著); 石津 朋之, 永末 聡, 歴史と戦争研究会 (翻訳); 中央公論新社 (刊)
同書の第二章で、古代ローマ共和制を地中海世界全体の覇者にのしあげた社会的メカニズムとしての「軍国主義体制」が解説されています。

○『図説 古代ローマの戦い』
図説 古代ローマの戦い [単行本] / エイドリアン ゴールズワーシー (著); ジョン キーガン (監修); Adrian Goldsworthy, John Keegan (原著); 遠藤 利国 (翻訳); 東洋書林 (刊)
良くも悪くも古代ローマの象徴である軍事システムについて、その誕生から滅亡までの千年近い歴史をまとめて解説しています。(蔵原大)

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今回のテーマ連載では『秘身譚』とルナー帝国の歴史的な背景の関わりが指摘されていますが、一方で『秘身譚』は二〇世紀文学の傑作、アントナン・アルトーの『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』とも背景設定を共有した文学的な裏付けを持つ作品でもあり、ジェンダー論、あるいはある種のオリエンタリズムの観点からも魅力ある読解可能性を有した優れた作品です。
単行本は一巻が発売されたばかりですが、その鮮烈な表現は読者に衝撃を与えました。コミックという表現を通し、既存の方法では成し得なかった新たな文学性へ突き抜ける予感をもたらす逸品だと言えるでしょう。
どうぞ、「己が宮殿の厠の中で己が護衛の兵士らによって殺された墓場なき死者、ヘリオガバルスの屍をめぐって、血と排泄物がおびただしく流れたと同様に、彼の出生のときにもその揺籃をめぐっておびただしい精液が流れたのであった」というアルトーの文(多田智満子訳)を念頭に置き、『秘身譚』の頁を繰ってみて下さい。絢爛たる性と血の饗宴が、トリマルキオの晩餐のごとく、あなたを待ち受けています。

ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト (アントナン・アルトー著作集) [単行本] / アントナン アルトー (著); Antonin Artaud (原著); 多田 智満子 (翻訳); 白水社 (刊)

さて、「グローランサ」を背景世界として採用した『ルーンクエスト』や『ヒーローウォーズ』などの会話型RPGは、その誕生時からSFやファンタジー文学等の物語ジャンルと密接な影響関係を有してきました。世界最初の会話型RPGにして、現在でも世界最大のプレイ人口を誇る『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D)が、J・R・R・トールキンの『指輪物語』やロバート・E・ハワードの「コナン」シリーズ、ひいてはマイクル・ムアコックの「永遠の戦士エルリック」シリーズといったファンタジー小説群に多大な影響を受けていたことは広く知られる通りです。
またモチーフのみならず物語構造の観点から見ても、『幻影都市のトポロジー』のアラン・ロブ=グリエ、『宿命の交わる城』のイタロ・カルヴィーノに『334』のトマス・M・ディッシュ、あるいは『帝都最後の恋』のミロラド・パヴィチといった20世紀文学の優れた書き手の方法に、RPGにも通じる相互干渉性(インタラクティヴィティ)を見出すことは容易でしょう。
さらには『トンネルズ&トロールズ』の一人用アドベンチャー『恐怖の街』やスティーヴ・ジャクソン&イアン・リビングストンの手になる『火吹山の魔法使い』といった「ゲームブック」はいまだ人気を博していますし、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』シリーズの一つ『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』の背景世界を活用した小説『ドラゴンランス』シリーズのように、RPGから生まれ、広い読者に感銘を与えた小説群は数多く存在します。
近年においては、ドミニカ出身の作家ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(邦訳は新潮社から近刊予定)のように、ドミニカの独裁者ラファエル・トルヒーヨの治世に象徴される――自然主義の方法における表象を拒否した――圧倒的な政治的現実のうねりを描くにあたって、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をはじめとしたRPGの方法が効果的に活用され、高い評価を受けた小説作品すら現れました(2008年ピューリッツァー賞受賞)。

かようにモダニズムを引き継いだ新たな形式の物語表現とRPGには切っても切り離せない影響関係が存在しています。そしてRPGには、物語世界の持つ特性や手触りのようなものを活かしつつ、コンセプトをダイレクトに反映した独自の因果律を有した世界観を構築していくことが可能なところに、重要な特性が根ざしています。イメージや幻想性――詩心(うたごころ)と言い換えてもよいかもしれません――を掬い上げながら、その中で人間が生きて動いて、ドラマを乗せていくことのできるような背景世界の存在。RPGと物語表現の交点を考えるにあたり、この部分を軽視することはできません。
それゆえRPGの背景世界である「グローランサ」と物語表現としての『秘身譚』が交わる地点を考えることは、RPGの可能性を広げることにもなるでしょう。

なお批評の現場にいると、(相互干渉性を前提とした)背景世界の充実に代表されるRPGの構築性については、まだまだ批評の言語が追いついていないという思いを日々強くします。ゲイリー・ガイギャックスは(背景世界を的確に踏まえた)RPGのシナリオが文学として評価される日の到来を夢想しました(『実践ゲームマスターの達人』)が、物語表現の未来を考えるためには、ガイギャックスの憧憬についてきちんと向き合う必要があると私は確信しております。そのための第一歩として、『秘身譚』は優れた思考の種を与えてくれるでしょう。

最後になりましたが、ルナー帝国の設定については、グレッグ・スタフォードの手になる『グローランサ年代記』にも詳しい記述が存在します。入手が難しいかもしれませんが、図書館に入っていることが多い作品ですので「グローランサ」にご興味をお持ちの方はぜひお読み下さい。
会話型RPG『ヒーローウォーズ』も、ルナー帝国の解説は充実しています。こちらはまだ比較的入手が容易なはずです。(岡和田晃)

幻想神話大系 グローランサ年代記

ヒーローウォーズ―英雄戦争 (TRPG series) [単行本] / ロビン・ロウズ, グレ…

【レビュー】RPGゲーマーのための『ペルディート・ストリート・ステーション』ガイド

【レビュー】RPGゲーマーのための『ペルディート・ストリート・ステーション』ガイド
仲知喜

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ペルディード・ストリート・ステーション (プラチナ・ファンタジイ) [単行本] / チャイナ・ミエヴィル (著); 鈴木康士 (イラスト); 日暮雅通 (翻訳); 早川書房 (刊) Perdido Street Station [マスマーケット] / China Mieville (著); Del Rey (刊)

なんなんでしょうこの面白さ。チャイナ・ミエヴィルの『ペルディード・ストリート・ステーション』はアーサー・C・クラーク賞および英国幻想文学賞を受賞した、ダーク・スチームパンク・ファンタジー小説です。

え? いま、わたし、ダーク・スチームパンク・ファンタジーって言いました? いや、ほんと、この作品は一言で言い表すのが難しい小説なんです。舞台は〈バス・ラグ〉と呼ばれる異世界の巨大都市国家。〈バス・ラグ〉は蒸気機関による摩訶不思議な駆動力が発達した世界。スモッグに覆われた暗い空に聳える高層建築物。その上空には飛行船が浮かび、高層建築物の間をスカイレールと呼ばれる鉄道高架橋がうねりながら張り巡らされる。〈バス・ラグ〉は奇怪な魔法理論が学問として定着した世界。飛行船の隣を生命魔術で創りだされた飛翔型ゴーレムが飛び交い、鉄道高架橋下の薄暗がりには主人に見捨てられた使い魔が腹をすかせて獲物を待ち伏せしている。そんなSFでもないしファンタジーでもない、刺激的な、科学と魔法のハイブリッド。というかジャンルの壁なんかぶち壊しながら疾走する、お行儀なんてクソクラエのエンターテイメント作品なのです。ああ、そうだ、原作者のミエヴィルはこの作品をこう表現していました。『ペルディード・ストリート・ステーション』は「ニュー・ウィアード」である。

とか言われてもなぁ、と思っちゃいました? はっきり申しまして、ぼくもとっつきにくかったです。序盤、ダメダメな科学者アイザック(ぽっちゃり体型)が、身体は人間だが頭部は甲虫というゲッとするような恋人リンと痴話喧嘩シーンが続いたりして、もしかして難解な作品なのかも? と不安になったくらいです。
しかし、主人公の科学者アイザックのもとにサイメックの鳥人族ヤガレクがやってきて、大罪の代償として失った翼を取り戻したい、もう一度空を飛ばせてほしいと懇願してから、ストーリーはだんだん速度を上げていきます。一方、唾液彫刻のアーティストであるリンのもとに悪名高い暗黒街のボスから自分の彫刻を作ってほしいという奇妙な依頼が舞い込み・・・・・・。アイザックが謎のイモ虫を手に入れたときにはもう、ページをめくる手が止まりませんでした。わたしも久しぶりでしたよ、こんなに熱中した本は。え? イモ虫が何ですって? それはナイショです。

作者のミエヴィルは『ペルディード・ストリート・ステーション』についてこうも述べています。「とにかくモンスターが書きたかった」。「でしょうね(笑)」と頷くほかございません。

(編注;リンク先の画像は“Dragon”#352からの抜粋です)
http://njoo.deviantart.com/art/World-of-China-Mieville-48266205?offset=10

(編注;イラストレーターのサイトです)
http://www.andrewhou.com/

(編注;PSSとは関係ないクリーチャーが入っています)
http://www.andrewhou.com/portfolio/character_creatures_small.jpg

『ペルディード・ストリート・ステーション』には鳥人、昆虫人、両生類人が出てきます。サボテン人間も出てきます。魔法使いが出てきます。錬金術師が出てきます。リメイドと呼ばれる改造人間が出てきます。次元界を瞬間移動する巨大な知性のある大クモが出てきます。都市の大使館区には地獄の大使館があります。労働決起集会を鎮圧しようと空飛ぶクラゲに乗った民兵が現れます。狙撃兵が魔法使いに千里眼のサポートされながら煙幕ごしの射撃をします。スパイダーマンならぬカマキリ男が出てきて、バットマンよろしく謎のヴィジランテに活躍します。人間に寄生する「手」が出てきます。しかも、そいつらが空を飛びながら火炎を吐いて空中戦を繰り広げます。廃棄された機械の意識が集まって人工知性体が誕生します。冒険者たちが姿を一目見ただけで放心状態に陥る怪物を相手に視線をそらしがら戦いを挑みます。それからそれから……謎が謎を呼びます。とにかく凄いんです。

鼻息が荒すぎですね。ちょっとクールダウンしましょうか。

「S-Fマガジン」(2009年8月号 No.641)のチャイナ・ミエヴィル特集の記事を読むと、ミエヴィルはRPG経験者であることがわかります。「もう十二年ほどご無沙汰だ」とは言ってますが、けっこう夢中になって遊んでたんじゃないでしょうか。だって、『冒険者たちが姿を一目見ただけで放心状態に陥る怪物を相手に視線をそらしがら戦いを挑む』シーンなんて、『経験者』じゃないとあそこまで真に迫った描写できませんもの(笑)。また“Dragon”(2007年2月号Issue#352)では、ミエヴィルのインタビュー記事とBas-Lag Gazetterと題された『ペルディード・ストリート・ステーション』の世界をD&D(第3.5版)で遊ぶための世界設定と多数のモンスターデーターが掲載されました。このたありも、ミエヴィルの創造した世界とRPGゲームの親和性の高さを裏付けるものだと思います。

(編注;ミエヴィルのゲーム歴について詳しいインタビュー記事です)
http://www.believermag.com/issues/200504/?read=interview_mieville

ミエヴィルはローカス賞と英国幻想文学大賞を受賞したあと、(彼にとっておそらく初となるゲームライターの仕事として)『Pathfinder RPG』のサプリメントをデザインしたという異色の経歴の持ち主です。

『ペルディード・ストリート・ステーション』のことを、権威ある賞をいくつもとったからって小難しい作品じゃないかなんて思わないでください。これは、極上のエンターテイメント作品なのです。いや、むしろ、ゲーマー視点があってこそ楽しめる作品だとぼくは言いたい。『ベルディード・ストリート・ステーション』は『モンスター・マニュアル』1,2,3に“Fiend Folio”までぶちこんで、プレイヤー種族全解禁、プレイ中の妄言をかたっぱしから世界設定に採用したようなイカシたシティ・アドベンチャーです。同じゲーマーとして尊敬と共感と愛を感じることのできる魅力に満ちています。RPGゲーマーに強くオススメしたい作品です。

あ、最後に一言だけいいですか?
あなたが『ペルディード・ストリート・ステーション』を読み終えたら、アイザックの選択について、ヤガレクの決断について、どう感じたか、わたしに聞かせてください。でもそれは次の機会でけっこう。今度我々が“フラネスの宝石”グレイホークか“壮麗な都”ウォーターディープか、はたまた“塔の都”シャーンか、どこかの都市の路地裏で出会った時にでも。答えはあなたの目を見ればわかるはずですから。

【チャイナ・ミエヴィルの邦訳書籍】

キング・ラット (BOOK PLUS) [単行本] / チャイナ ミーヴィル (著); China Mi´eville (原著); 村井 智之 (翻訳); アーティストハウス (刊)

ペルディード・ストリート・ステーション (プラチナ・ファンタジイ) [単行本] / チャイナ・ミエヴィル (著); 鈴木康士 (イラスト); 日暮雅通 (翻訳); 早川書房 (刊) ジェイクをさがして (ハヤカワ文庫SF) [文庫] / チャイナ ミエヴィル (著); 鈴木康士 (イラスト); 日暮雅通, 田中一江, 柳下毅一郎, 市田泉 (翻訳); 早川書房 (刊)

アンランダン 上 ザナと傘飛び男の大冒険 [ハードカバー] / チャイナ・ミエヴィル (著); 内田 昌之 (翻訳); 河出書房新社 (刊) アンランダン 下 ディーバとさかさま銃の大逆襲 [ハードカバー] / チャイナ・ミエヴィル (著); 内田 昌之 (翻訳); 河出書房新社 (刊)

【チャイナ・ミエヴィルのRPG関連書籍】

■Dragon Issue #352
http://paizo.com/store/paizo/dragon/issues/2007/v5748btpy7tlo

■Pathfinder Chronicles: Guide to the River Kingdoms (PFRPG)
Pathfinder Chronicles: Guide to the River Kingdoms [ペーパーバック] / China Mieville, Elaine Cunningham, Chris Pramas, Steve Kenson (著); Paizo Publishing (刊)

http://paizo.com/store/downloads/pathfinder/pathfinderChronicles/pathfinderRPG/v5748btpy8d50

『Pathfinder Chronicles: Guide to the River Kingdoms』は、パスファインダーRPG(Paizo社、未訳)の世界設定資料の一つです。
題材になっているRiver Kingdomはさまざまな勢力が群雄割拠する地域です。そんな土地柄を反映させてか、この作品には複数の書き手が参加しています。チャイナ・ミエヴィル、クリス・プラマス(ウォーハンマー2版、Dragon AgeRPG)、スティーブ・ケンソン(Mutants & Masterminds、Freedom City)、エライネ・カニンガム(SF作家。フォーゴトンレルムやスターウォーズのノベライズを手掛ける)が名を連ねています。

※この本について『クトゥルフ神話TRPG』のサプリメント『マレウス・モンストロルム』や、クラーク・アシュトン・スミスほか『エイボン
の書』共訳者の立花圭一氏曰く、「ミエヴィルの担当パートはなかなかに凄いので一読の価値があると思いますよ。淡水環境下で生き延びるために呉越同舟して頑張るマーフォーク、サフアグン、シー・ハグ、トリトン他諸々の海生水中知性体連合ですよ。」(http://twitter.com/k1Tachibana/status/560635607777280

クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [大型本] / スコット・アニオロフスキーほか (著); 立花圭一, 坂本雅之 (翻訳); エンターブレイン (刊)